早朝――フラムたちはまだ空が薄暗い時間に王都を発ち、例の森にたどり着いたのはその四時間後だった。

 まず周囲をぐるっと周り、馬車が通れそうな道が無いか探す。

「こちらにうっすらですが、車輪の跡があります。狭いですが、通れないことは無さそうですねぇ」

「さっすがレント君、馬車に関しては君がナンバーワンだ!」

 ウェルシーがそう太鼓判を押す御者の名はレント。

 普段は馬車会社で働いているのだが、実はウェルシーの新聞社に情報を提供する記者らしい。

 馬車は王都における重要なインフラの一種。

 王族や教会の幹部が利用することも多いため、潜入取材するには打って付けの場所なんだそうだ。

 サティルスが使っていた馬車の動きを調べられたのも、レントの功績が大きいらしい。

「うあぁー、ガタガタするうぅー」

 インクの声は体の動きに合わせて揺れている。

 当然、森は道が舗装されていないため、馬車の乗り心地は最悪だった。

 フラムたちの中に、酔いやすい人間がいなかったことだけが救いだろうか。

「ぶぇー……」

 馬車を手配した張本人であるウェルシーを除いて。

 そこから更に前に進むと、急に揺れが収まる。

「ここから先は比較的綺麗な道になってますね。舗装こそされてませんが、普段から多くの馬車が行き来してるようです」

「入り口周辺だけカモフラージュされてたんだ……」

「ますます怪しいです」

 この先に研究所があるのは間違いなさそうだ。

 となると問題は、敵の襲撃だが――そこから二十分ほど先に進んでも、一向に異変は発生しない。

「フラム、そこまで化物を警戒する必要は無いかもしれない」

「どうしてですエターナさん?」

「ダフィズから敵意は感じられなかった。昨日の朝、私が待ち合わせの場所に来なかったのに、強引に連れていこうともしなかった。キマイラやチルドレンとも敵対しているのなら、もしかすると単純にネクロマンシーは戦える力を持っていないのかもしれない」

「死者を蘇らせるのに特化してるってことですか」

「……まあ、多少は願望も入ってる」

「それならガディオさんもまだ無事でしょうから、私もそう願いたいです」

 フラムは心のどこかで、ガディオが昨晩のうちに戻ってくるのではないかと思っていた。

 だが現実はそう甘くなかったのだ。

(そう、現実は甘くない。ガディオさんだけじゃなくて、セーラちゃんだって帰ってこないんだもん)

 馬車に乗っていると、どうしてもいなくなったあの少女のことを思い出す。

 魔族のネイガスと一緒に行動しているそうだが、本当に無事でいるのだろうか。

 おそらく遠くにいるであろう彼女に思いを馳せていると――

「ん……?」

 馬を操るレントが、何かに気づく。

「このあたり、馬とは違う足跡が残っています」

「野生の獣じゃないのー?」

「いいえ、明らかに大きい。おそらくモンスターのものでしょう」

 そう、螺旋の怪物がいなかったとしても、単純に強力なモンスターが襲いかかってくることも考えられる。

 なんにせよ、いくつもの危険が潜んでいることは間違いないのだ。

 そして――

「足音が聞こえる……」

 インクがつぶやいた。

 他の面々は車輪の音で聞き取れなかったが、耳のいい彼女には聞こえているらしい。

「インク、方向を教えてほしい」

「右後ろのほう。すごい勢いで、ドスドスドスって近づいてきてる。足は二つかな……人型の、けど大きい。モンスターだと思う」

 エターナは客車の窓から外を覗くも、まだ姿は見えない。

 だが瞳を閉じて聴覚に意識を集中させると、確かに彼女にも聞こえた。

 インクの言う通り、強く、重い、圧迫感を覚える嫌な足音が。

「この音、もしかして……」

 フラムには覚えがあった。

 思い出すのは――かつて遭遇した、螺旋のオーガだ。

 そして、その予感は的中してしまう。

 エターナが窓から見たものは、顔の渦巻きから〝ぶじゅるぶじゅる〟と赤い液体を撒き散らし、拳を振り上げるオーガの姿――

「みんな、伏せて!」

 エターナが大きな声をあげると――ゴオオォォオオウッ! と激しい螺旋の嵐が、客車を強襲する。

 触れた部分を粉々の木片に変え、カーゴの上半分が吹き飛んだ。

「くっ、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だからっ!」

 レントは呼吸が乱れた馬たちを必死でなだめる。

「あ……あれが螺旋の化物……っ」

 初めて遭遇する異形を前に、青ざめるミルキット。

「生理的嫌悪感というか、見てるだけでぞわぞわしてくる見た目ね……」

 ウェルシーはそう言いながらも、バーンプロジェクションで記録を残している。

 一方でフラムは魂喰いを抜き、柄を握る右手を肩の高さまで持ち上げ、切っ先で狙いを定める。

 同時にスキャンも発動、相手のステータスを確認した。


 ―――――――――――――――――――――

 Chimaira―Prototype:O

 属性:土

 筋力:2552

 魔力:584

 体力:2831

 敏捷:1259

 感覚:499

 ―――――――――――――――――――――


 フラムはそれを見て確信する。

(あのときのオーガとは違う。見た目こそ一緒だけど、コアのせいで暴走してるわけじゃない……あれは制御された化物なんだ)

 すなわち、誰かの命令を受けて、明確に彼女たちを狙っている。

 しかも名前からして、あれはネクロマンシーの持ち物ではなく、キマイラの所有物である。

(わざわざ私とセーラちゃんが戦ったのと同型を用意するあたりに、性根の腐った悪意を感じるな。しかもご丁寧に顔まで渦巻かせて。だけど――)

 それを用意したのがダフィズかどうかは一旦置いておく。

 重要なのは、相手が次の攻撃を放つ前に、あれを仕留めることだ。

「今の私を、あのときと一緒だと思うな! 気穿槍プラーナスティングッ!」

 ヒュゴォッ――黒き大剣の先端から、刃に満ちたプラーナを凝縮させた槍が射出される。

 オーガも同時に拳から螺旋を放った。

 小細工なしの真っ向勝負。

 空中でぶつかりあった二つの力は、競り合うことすらなく、反転の力が螺旋を打ち消し、そうがオーガのコアを貫いた。

 動力源を失い、緑の巨体が森に転がる。

 その直後、今度はミルキットが声をあげた。

「逆からも来てますっ!」

「まだいるのっ!?

 見えたときにはすでに遅く、相手は拳を繰り出したあと。

 このタイミングでは攻撃を放ったばかりのフラムは間に合わない。

「アイスシールド」

 ならばエターナが対処するだけのこと。

 氷の盾が空中に浮かび上がり、渦巻く力場を受け止める。

 ガリガリと破片を撒き散らしながら螺旋は氷を掘り進もうとしたが、彼女の魔力によって生成されたそれは並の攻撃では突破できない。

「ウォーターバレット」

 さらに彼女は、盾の裏側――つまり相手の死角から水の弾丸を複数放つ。

 弾丸は螺旋すら防ぐ氷の盾をたやすく貫通し、オーガの四肢と頭に着弾。

 パパパパンッ! と破裂するように命中した部位は弾け跳び、敵は動きを止めた。

「コアが破壊できなくても、これぐらいはできる」

「エターナ、まだ来てるよ。しかも今度はすごい数!」

「……めんどくさい」

 今度は馬車の背後からオーガの群れが迫る。

 その足音はまるでバッファローの群れのように激しく、肌にビリビリと響く。

「が、頑張ってくれ、頼むっ!」

 レントに応援され馬たちは懸命に走るが、オーガの速度には勝てない。

「これは大スクープ……だけど、ちょっと絵面が新聞向きじゃないかもー」

「こんな恐ろしい光景、見たことないです……」

 それはウェルシーもミルキットも絶句してしまうほどの、強烈な光景だった。

 迫り来るは、まるでスプリンターのように背筋と指をピンと伸ばし、高くももを上げながら走るオーガの群れ。

 しかもその全てが顔に肉のうずまきを携え、流れる血を撒き散らしているのだから。

 そして群れはほぼ同時に足を止めると、拳を振り上げた。

 螺旋の弾丸を一斉に放つつもりだ。

 さすがにあの数では、フラムもエターナも一人で止めることはできない。

 するとエターナはフラムに耳を寄せ、何かをつぶやいた。

 またそれを聞いてフラムの方からも意見する。

「ちょ、ちょっと、あれ大丈夫? なんかすごい攻撃が来そうじゃないっ?」

 慌てるウェルシー。

 だが二人はあくまで冷静に、相手と向き合う。

 ぶじゅるっ、ぶじゅっ――そんな音とともに前に突き出される、無数の拳。

 螺旋同士が絡み合い、竜巻ほどの太さになって、馬車を押しつぶさんとフラムたちに接近する。

 エターナは客車で立ち上がり手をかざすと、魔法を発動させた。

「アイスシールド!」

 先ほどより少し大きめのシールド。

 だがそれ以外に、何も特別なことはしていない。

「うわー、来る来るっ、来ちゃうぅーっ!」

 一人慌てるウェルシー。

 だがインクとミルキットはそれぞれパートナーを信じ、祈る――

 そしてフラムは氷の盾に手を当てると、そこに魔力を注ぎ込んだ。

反転付与エンチャント・リヴァーサル!」

 何もそれは特別な技術ではない。

 普段から魂喰いや騎士剣術キャバリエアーツに魔力を込めているように、エターナが作った盾に付与するだけの話。

 吹きすさぶ嵐のように木々を吹き飛ばし、地面をえぐりながら迫る暴力的螺旋。

 だがそれは――盾に触れた瞬間、まるでつむじ風のように散り散りになって消えた。

 螺旋の向きが反転したことで、攻撃に込められたエネルギーが霧散したのである。

「続けて仕掛ける――」

「私も行きます!」

 二人は走る馬車から飛び降り、地面に着地した。

 エターナは大地に手を付ける。

「フローズングラウンド!」

 凍りつく地面。

 その範囲は徐々に広がり、まるで蛇が這い寄るように、群れの足元を覆っていく。

 そしてオーガの足裏が氷に触れると、脚全体が氷結し、化物たちは身動きが取れなくなった。

 すかさず剣を構えるフラム。

「お願いします、エターナさんっ」

「それじゃあ作戦通り……アイスエンチャント」

 魂喰いの刃が氷を纏う。

 それは先日の、ガディオとネクトの戦いから着想を得た剣技だ。

 もちろん、ガディオほど筋力が無いフラムには、文字通り荷が重い技である。

 だが彼女には一点だけガディオにも勝る部分がある。

 それは〝再生〟だ。

 どれだけ無茶をして腕の筋が切れようが、すぐに癒える。

「ふううぅぅぅうう……」

 フラムは腹の奥底からあふれ出る、低い唸り声をあげる。

 剣はみるみる氷によって巨大化し、やがて木々の高さを越えた。

 ぶちぶちっ、と支える腕から嫌な音がする。

「おぉおおおおおおっ――」

 声は次第に大きくなり、うなりから、ほうこうへと変わっていく。

 高くそそり立った剣は、前を走る馬車からでも見ることができた。

 腕からは筋だけでなく、骨が変形する破砕音も聞こえていたが、折れると同時に再生されるため、フラムが痛みを感じるだけで済んだ。

「うおぉぉおおおおりゃあぁぁぁああああッ!」

 そして――彼女はオーガの群れに向けて、氷の刃を叩きつける。

 その名も、氷刃槌崩斬ヨトゥンブレイド――!

 オーガたちはまず圧倒的質量に押しつぶされ、続けて地面で弾けた氷の破片で全身を切り刻まれ、さらに衝撃波によって吹き飛び、木の幹に叩きつけられる。

 もちろんフラムの放った剣技だ、反転の魔力が込められているため、触れたコアは壊される。

 水蒸気の白煙と砂埃が混じり合った濃いブラインドが晴れると、見えたのは原型すら留めないオーガの群れだった。

 生き残りはゼロ。

 それどころか、周辺の木々は倒れ、地面はえぐれ、軽く地形まで変わってしまっている。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「少しやりすぎたかもしれない」

「はぁ……いえ……これぐらいで、いいと思います……あいつら、しぶといんで……はぁ……」

 肩で呼吸をしながら、フラムは笑った。


 ◇◇◇


 驚異を排除したフラムたちは、半壊した馬車に乗って先を急ぐ。

 さらにそこから五分ほど進むと、道の横に看板が立っていた。

「〝救いの町〟シェオル……?」

 読み上げ、首をかしげるフラム。

「この先にある町の名前でしょうか」

「あっれー、でもおかしくない? 地図上は町なんて無かったわよ」

「そのあたりは本人に聞けばわかる」

「エターナさん、本人って一体――」

 フラムがそう尋ねた瞬間、馬車がスピードを緩め止まった。

「レントさん、どうしたんですか?」

「人が立ってるんです」

 行く手を遮るように立っているのは、白衣を纏った細身の男だった。

 エターナの言った〝本人〟が彼のことだとすれば、あれが――

「ダフィズ・シャルマス……」

 ネクロマンシーを統率する管理者、その張本人である。

 自分の名が呼ばれると、彼は神妙な表情でフラムを見た。

「神は残酷なものです。受け入れないとは言っていないのに、準備もさせてくれないとは」

「私のことを言ってるの?」

 馬車を飛び降りて、フラムはダフィズの目の前に着地した。

 そして魂喰いを抜き、有無を言わさず剣を首に突きつける。

 野蛮だと罵倒されても仕方のない行いかもしれない。

 だがフラムは、今まで散々オリジンコア絡みでしんさんめてきたのだ。

 先ほども化物に襲いかかられたばかり、これぐらいの警戒は当然と言えよう。

「剣を収めてもらえませんか、僕に戦う意図はありません」

「白々しい。こっちはついさっき、オーガにコアを埋め込んだ化物に襲われたところなんだけど?」

「キマイラと交戦したんですか!? 道理で大きな音がするわけです。あなたがたには言い訳に聞こえるかもしれませんが、それは僕が仕向けたものではありません」

「言い訳にしか聞こえない」

「キマイラとネクロマンシーは競争相手です。敵対していると言ってもいい。そんな我々がわざわざエキドナの作った兵器を使う理由がありません! 何より、僕らがシェオルで使っているネクロマンシー・セントラル・コアと、キマイラ・コアは相性が悪い。下手に近づけば混線して、制御が乱れてしまう可能性だってあるのです。併用するのは現実的じゃありません」

「専門用語を使われても私にはわからない」

「ネクロマンシー・セントラル・コアは、死者を蘇らせるために使うオリジンコア――通称ネクロマンシー・コアを制御し、受信するオリジンの影響を弱めるための大型コア、と言えばわかりますか? キマイラ・コアは単純に、キマイラが作り出したコアだと思っていただければ」

 あっさりと説明するダフィズに、拍子抜けするフラム。

 確かにエターナが語っていたように、彼からは敵意らしいものがまったく感じられない。

 目を見ても、偽っているようには思えなかった。

「ガディオさんは、どこ?」

「無事ですよ、今は奥さんと幸せに過ごしています。ご希望でしたら、会われますか? ご本人も王都に残してきた人たちに心配をかけているかもしれない、と心を痛めておられましたよ」

 もちろんフラムは、まだ彼を信用していない。

 だが二人のやり取りを見ていたウェルシーが彼女に言った。

「フラムちゃん、ひとまず剣は下げていいんじゃない? 私から見ても本当に嘘をついてるようには見えないよ。それに聞けば色々教えてくれるだろうし、教会の情報だって聞き出せるんじゃないかなー」

 おそらく他の三人も似たような結論だと思われる。

 だがミルキットとインクは結論を出すのをフラムに委ねているし、エターナは一度ダフィズと会っているため、あえて口は挟まなかった。

 フラムは納得はしていないが、今はそれが最善であることを理性で理解している。

「……わかりました」

 しぶしぶ剣を収めるフラム。

 光の粒子となる魂喰いを見て、ダフィズはほっと胸を撫で下ろした。

「ふぅ……僕もわかっています、あなたがたが殺したいほど教会のことを憎んでいるということは。ですから、その決断に感謝します。ありがとうございます」

 人の良さが鼻につく。

 だがそれは、フラムが最初からダフィズを敵だと認識しているからだろう。

 エターナやウェルシーからは、また別の見え方がしているに違いない。

「それではシェオルにお連れします。馬車のままで構いませんのでついてきてください」

 そしてダフィズは前を歩き、研究所があるという町まで案内を始めた。

 フラムが馬車に戻ると、ミルキットは心配そうに彼女を見つめる。

 不安に満ちた表情の主を、案じているのだろう。

 その思いやりに気づくと、フラムの胸に温かな感覚が広がる。

 自然とその手はミルキットの頭に伸び、柔らかな髪をくしゃりと撫でていた。


 ◇◇◇


 道を進んでいると急に森が拓け、町の入り口が現れる。

 救いの町シェオル――それは研究所のでもなんでもなく、本当にただの町だった。

 住民が暮らし、作物を作り、物を売り買いし、子供たちは元気に走り回り、両親らしき男女がそれを微笑ましく見守る。

 中央に大きな教会がある以外は、ごく普通ののどかな田舎町だ。

 フラムたちは入り口で馬車から降り、一旦レントと別れて中に足を踏み入れる。

 実際に歩いてみても、違和感はない。

 いや、唯一あるとすれば、住民たちがやけにフラムのことを見てくることだが――立地が立地だけに、よそ者が目立つのは仕方のないことだ。

「あの教会が研究所なの?」

 フラムが問うと、ダフィズは快く答えた。

「ええ、実際は地下にまで施設が広がっています」

「サティルスに資金提供を受けてるし、この土地はまた別の貴族の所有物だって聞いたけど、地下にあるってことは……施設を造ったのは教会?」

「おや、そこまでご存じだったんですか、さすがですね。おっしゃる通り、サティルスさんから資金援助は受けています。ですがあくまで研究の主体は教会にあります」

「だったらなんのためにサティルスは資金提供をしたの?」

「彼女にはネクロマンシーが完成したあかつきに、その商業利用の権利を優先的に与える契約をしているんです」

「……やっぱり信用できない。死者を蘇らせる技術を商売にするだなんて!」

 声を荒らげ、足を止めるフラム。

 ダフィズは彼女のほうに振り返ると、悲しげに語った。

「僕だって乗り気ではありませんよ、人の命を商売に使うだなんて。ですが金がなければ研究を進めることすらできない。蘇った人々に暮らす場所を提供することもできない。割り切るしかないんです、僕の夢を叶えるために」

「蘇った人々に、暮らす場所? まさか、ここに暮らしてる人たちって……」

「あなたの想像通り、半分は死者です。そして残り半分は、愛する人を取り戻して救われた人々――どうです、みんな幸せそうでしょう?」

 ダフィズは誇らしげに言った。

 フラムたちは改めて、この町で暮らす人々の姿を見た。

 彼女が瞳を見つめても、生者との区別はつかない。

 ミルキットが眺めても、エターナが考え込んでも、インクが声を聞いても、ウェルシーが観察しても、である。

 一行が足を止めていると、教会から出てきたお腹の大きな女性が、ダフィズに駆け寄ってくる。

「スージィ、ダメじゃないか走ったりしちゃ!」

「だって心配だったのよ。大きな音がしたからって、あなたが一人で外に出ていくから。せめて護衛ぐらいつけてくれないと」

「その人は……」

「僕の愛する妻、スージィといいます。彼女もコアを使って蘇った人間でして、見ての通り今は子供を身ごもっています。来月には生まれる予定なんですよ」

 幸せな未来の予想図を、彼は嬉しそうに話す。

 紹介されたスージィも、どこか照れくさそうだ。

 そんな二人の姿は、何も知らずに見れば、実に幸福な夫婦に見えるに違いない。

 だが彼らがそれを誇れば誇るほど、フラムの目には全てがおぞましいものとして映ってしまう。

 よくないバイアスがかかってしまっている、到底冷静な判断ができているとは思えない。

 しかし――冷静な判断が必ずしも正しいと、直感や感情が間違っていると、誰が決めたというのか。

「スージィさんが生き返ったあとに、妊娠した……」

「フラムさん、あなたはおそらく『オリジンコアが蘇ったように見せかけているだけ』ではないかと疑っているのでしょう。しかしスージィのお腹には新たな生命が宿っている。町にはすでに生まれ、成長している子供だっています。もちろんその子は普通の人間として、ごく普通の肉体を持っています。生命のサイクルがそこにある以上、少なくとも『蘇った』という事実に関しては、疑う余地など無いはずです」

 ダフィズには自信と誇りがあった。

 自らが研究で得てきた成果や知識、そして蘇った妻や仲間たちと過ごした日々――その数年間に及ぶ積み重ねの中で、彼は〝完全なる蘇生〟の確信を得たのだ。

 フラムが何を言っても、彼は揺るがないだろう。

 もしそれを彼女が否定したとしても、この町に数百という死者たちが暮らしている以上、ネクロマンシーを否定するということは彼ら全員を殺すということになる。

 数人だけならどうにかなる――そんな考えがフラムの中にあった。

 だが甘かった。

 どれだけ疑わしかろうと、生者と区別のつかない数百人のコアを破壊し全て殺すのは、物理的にも精神的にも不可能だ。

 今、この町を訪れたところで、フラムに何ができると言うのか。

「……あ、ガディオだ」

 と、ふいにインクが言った。

 どうやら、遠くから聞こえてきた声に反応したようだ。

 フラムたちが周囲を見回し探すと、商店から出てくるガディオと、彼に腕を絡め微笑むティアを見つけた。

「ガディオさん……!」

「無事でよかったですね、ご主人様」

「……うん」

 しかし見たことがないほどリラックスした表情の彼を見ると、フラムは素直に喜べない。

 ガディオもフラムたちの存在に気づき、驚いた様子で目を見開くと、少しバツが悪そうに近づいてくる。

「お前たちも来ていたのか」

「急にいなくなったら来るに決まってる。ケレイナとハロム、心配してた」

「すまん、俺もどう伝えていいかわからなかった」

「ガーくんは悪くないよっ、本当はあたしが二人に話しておくべきだったんだよね……」

 ティアにも黙って出てこさせた罪悪感はあるらしい。

 それでも絡めた腕はほどかないあたり、結局は二つの事象を天秤にかけて、今の状況を選択しただけなのだろう。

「ガディオさん、帰ってくるつもりは無いんですか?」

「ティアは、この町でしか暮らせない。だが、だからと言って王都の屋敷とここを往復できるほど、図太い神経は俺も持っていないさ」

「この町でしか暮らせないって、どういうことです?」

「そのあたりは、僕がこれから説明しますよ」

 フラムたちのやり取りを静観していたダフィズが口を開く。

「あたしもね、できれば王都で暮らしたいと思うし、ガーくんのこと縛りたくないとは思ってるんだけど……」

「ティアさん、ガディオさん、ひとまず彼女たちと話すのはあとにしてください。研究所内へ案内しますので」

「そうだな、それが一番納得できるだろう。すまない、邪魔をしたな」

 背中を向けるガディオを、フラムは慌てて呼び止めた。

「待ってください、ガディオさんっ!」

「とりあえず中を見てくるといい。その男なら、お前の疑問にも全て答えてくれるだろう」

 彼は足を止めず、そう言い残して、ティアとともに遠ざかっていった。

「前に会ったときとは別人みたい」

 何気なくインクがつぶやく。

 確かに、声だけでなく、表情もフラムの知っているガディオとはまるで違う。

 けていた――というと言葉は悪いが、普段は隠している〝弱み〟を、逆にさらけ出しているような状態だった。

「ガディオさんを責めないであげてください。ティアさんはとても明るい女性です。あんな素敵な奥さんを亡くすなんて、彼もさぞ苦しんだことでしょうから」

「他人事みたいに……! だいたい、ティアさんはキマイラに殺されたはずだよね。キンダーさんとクローディアさんの墓を暴いたということは、いくらオリジンコアでも死体が無ければ蘇らせることはできないはず。どうやって彼女の死体を手に入れたっていうの?」

 キンダーとクローディアの名が出ると、エターナが微かに反応を見せる。

 しかし、彼女の変化にダフィズは気付いていないようだ。

「敵対していると言っても、僕たちとキマイラに交流が無いわけではありません。以前、エキドナの所有するとある研究施設を訪れたとき、彼女が自慢げに見せてくれた、防腐処理の施された〝状態のいい死体〟――それがティアさんのものでした」

 彼は当時のことを思い出しながら、唇を噛んだ。

 わざわざ防腐処理を施したということは、エキドナはなんらかの目的があって、死体を保管していたのだろう。

「ひょっとすると、ゆくゆくはキマイラの素材として使うつもりだったのかもしれません。完成した化物を、ガディオさんと戦わせるために……」

「いくらなんでもじゃすいしすぎ」

 少し刺々しい声色で言うエターナ。

 墓を暴いたことに反省のないダフィズに対する軽いあてつけのようだが、やはり彼は気づかなかった。

 ネクロマンシーの研究を続けるには、大量の人間の死体が必要になる。

 墓を掘り返したことは、一度や二度ではないのだろう。

「そういう女ですから、エキドナ・イペイラは。おそらく森にオーガ型キマイラを配置したのも彼女でしょうね。フラムさんがそれで死ぬなら構わないし、仮に生き残っても僕との間に溝ができる。本当にこうかつで嫌な女ですよ。昔から、ずっと」

 よほど恨みつらみが積もっているらしく、ダフィズは初めて〝嫌悪感〟を表に出した。

 隣を歩くスージィは、そんな夫の様子を見て苦笑いを浮かべた。

「ごめんなさいね。彼、普段は本当に温和で優しいんだけど、エキドナって女の話だけはダメなのよ」

 キマイラの管理者が腐っていることはフラムも重々理解している。

 あんな化物を、この穏やかな町で作り出しているとも思えないし、おそらくはダフィズの言葉が事実なのだろう。

(いくら奥さんと一緒といっても、ガディオさんだって何も調べてないわけじゃないはず。つまり、ダフィズさんには悪意は無くて、蘇った人たちも生前と変わらない状態で動いている。それだけは事実なのかもしれない)

 しかし、やはり――歩きながら平和な町を見ていても、フラムは心のどこかに引っかかるものがある。

 ミルキットと手を繋いでいればいつもは細かなことは気にならなくなるが、それでも消えてくれないのだ。

 自分に向けられた住民たちの視線、その違和感が。