その夜、家に戻ってきたエターナは、何も語ろうとはしなかった。

 そして翌朝――最初に起きたミルキットが、ダイニングのテーブルに置かれたメモに気付く。

『少し出かけてくる。すぐに帰るから心配しないでほしい』

 エターナが記したその文章を見るなり、ミルキットは二階に駆け上がりフラムを起こした。

 そして読み上げたフラムもがくぜんとし、頭を抱える。

「まさかエターナさんが私たちに黙って出ていくなんて……」

 彼女はベッドの縁に座ると、どう動くべきか悩む。

 ただでさえ蘇ったサティルスの一件で頭がパンクしそうだというのに、打開策など浮かぶはずもなかった。

「エターナさんがいなくなったことも、ネクロマンシーと関連しているんでしょうか」

「謎の来訪者といい、偶然だとは思えないタイミングだよね」

 ネクトの言う通り、すでに教会は仕掛けてきている。

 死者を使った一種の分断工作と言ってもいいかもしれない。

 フラムが苦悩していると、コンコンと何者かが寝室のドアをノックした。

「入っていいかな?」

「インク? 別にいいけど……」

 扉が開き、小さな少女が気配を頼りにフラムとミルキットに近づいてくる。

「インクさん、部屋から出てよかったんですか?」

 首を横に振るインク。

「まだあと少しだけ出ちゃいけないって言われてたけど、エターナがいなくなったんじゃ部屋に閉じこもってる意味無いもん」

「聞いてたんだ……」

「それもあるけど、外が明るくなる前にエターナが家から出ていったの、気付いてたんだよね」

「そんなに早い時間に外出されたんですね」

 ミルキットの起床時間も、十分早朝といえる時間だ。

 それより前となると、もはや深夜と言ったほうがふさわしい時間帯だろう。

「そこまでして私たちに伏せておきたい行き先、か……」

「ねえ、まず朝ごはん食べようよ。お腹からっぽで考えたって、いい考えは浮かばないと思うよ」

 そう言いながらインクはただお腹を空かせているだけなのだが――食事で悲しさを紛らわす意図もあるのだろう。

 ひとまずフラムたち三人は、一階のダイニングに場所を移すことにした。

 そして階段を下り、部屋に入ると――

「やあ、お邪魔してるよ」

 椅子でくつろぐネクトが、なれなれしく手を上げた。

「あんたどうしてっ!?

 とっさに前に出て、剣を抜くフラム。

「まあまあ落ち着いて。困ってるんじゃないかと思って手助けに来たんだよ。あぁ、それとインク久しぶり。元気してたかい?」

「ネクト……うん、元気だったよ」

 歯切れの悪い返事をするインク。

 それを聞いてネクトは、何がおかしいのか「あはっ」と嬉しそうに笑った。

「僕の言った通りだったろう? エターナ・リンバウに危機が迫ってる、ってね」

「こうなることを知ってたの?」

「予想はしてた。でも選択権はあくまで彼女にあったと思うよ。ダフィズ・シャルマスはそういう甘い男だからね。今回の場合、だからこそうまくいったんだろうけど」

 ガディオやエターナの心が揺らいだのは、ダフィズが誠実な男だったからだ。

 言葉や話にしてもそうだし、一番重要なのはにじみでる〝雰囲気〟である。

 そういう上っ面だけでは誤魔化せない部分で、彼は信頼を勝ち得た。

「エターナさんが誰に会うために出ていったのか知ってるの?」

「そこまでは知らないよ。言ったじゃないか、チルドレンとネクロマンシーは敵対関係にあるって。まあ昨日ダフィズが連れてたのは老夫婦だったから、祖父母とかそのあたりじゃないかな」

 それは昨日、インクが言っていた来訪者と一致する。

 つまりその老夫婦がエターナの関係者であり、もう一人の男性がネクロマンシーに所属する研究者だったのだろう――そうフラムは推測した。

「しっかし……英雄と呼ばれるほどの人間でも、やっぱり抗えないもんなんだねえ。僕はさ、ネクロマンシーのやってることを馬鹿げたことだと思ってた。人は死ぬ生き物なんだから、それを蘇らせることにパパの力を使うなんて無駄遣いだ、ってさ。でも違った。僕が思っていた以上に、人間っていうのは、自分がこれから生きる未来じゃなくて、過去にこだわる生き物だった。お姉さんやインクを見捨ててまでも、ね」

「……言っとくけど、それでもあんたと組むつもりは無いから」

 フラムはぜんとした態度でネクトと向き合う。

 だが彼は、彼女の心の拠り所がどこにあるのかを、見抜いた上であざ笑うように言った。

「ああ、ガディオ・ラスカットがいるから?」

「っ……まさか、ガディオさんも!?

 動揺を隠せないフラム。

 ネクトはその反応に満足したようで、更に見下すように笑い、言葉を続ける。

「出ていったみたいだねえ、慕ってくれる女と子供を置いて。たぶんエターナと一緒なんじゃないかな」

「そんなことありえない!」

「待ってお姉さん、僕じゃない。僕じゃあないんだ。だから睨まれたって困るよ。詳しい事情までは知らないけど、連れてったのは二十代ぐらいの女の人だったなぁ。恋人かな、それとも妹かなぁ?」

 それはガディオの死んだ妻――ティアに違いない。

 彼女のために彼は復讐を決意した、ならば彼女が生きていればその動機は根底から揺らぐ。

 ケレイナとハロムを置いてでも妻を選ぶ可能性は、十分に考えられる。

 人によってはガディオを薄情だとののしるかもしれないが、フラムには彼の気持ちも理解できた。

「さて、どうするフラムお姉さん。君は今、一人になってしまった。さらに、戦えない役立たず二人を守らなくちゃならない。できるかい? この前はたまたまうまくいったけど、前回戦ってたのはデインなんていうパパの力すら持ってない雑魚だ。同じ奇跡がそう何度も起きるはずもないよねぇ」

 フラムだって自分の実力ぐらいはわかっている。

 エターナとガディオが連れて行かれた先は、現在進行形で稼働している研究所だ。

 これまで戦ってきたのとは比べ物にならないほど、多くのオリジンコアが存在しているだろう。

 今のフラム一人だけで、勝てるはずがない。

 いいやネクロマンシーどころか、目の前にいる少年一人にだって。

 大切な人を守るためには、ネクトの誘いに乗るしかないのか――

「ふぅん……ここまで追い詰められてもまだ悩むんだ」

 ネクトは腕を組み、興味深そうに言った。

「そう簡単に決められるわけないでしょうが……!」

「悪い提案じゃないよ? 別に僕は組まなくたって構わないわけだし、うじうじ悩むんならこの話は無かったことにしていいけどね。ただいてくれれば都合がいい、それぐらいの話さ」

「それがマザーの思惑ってこと?」

「違うよ、僕個人の意思だ」

「マザーじゃなくて、一人で動いてるの? チームとは関係なく?」

「ああ、そこ言ってなかったね。チルドレンと組もうって言ってるわけじゃなく、と組まないかって提案してるんだよ。マザーやパパは何も言わないし、他のチルドレンの意図も関係ない。ほら、これでリスクは減っただろう? あとは首を縦に振るだけでいい。それだけで、君は一時的に強力な味方を手に入れるんだ。ノーリスクでね」

 ノーリスクなんて、そんなうまい話があるわけがない。

 フラムと手を組めば、ネクトにはなんらかの利益がもたらされるのだ。

 それはつまり、教会にとっての利益であり、フラムにとっての不利益。

 ミルキットは不安そうに服の裾を掴み、苦悩するフラムを見つめる。

 インクは終始、暗い表情でうつむいていた。

 彼女の場合、ネクトがやってきたことよりも、エターナが自分を置いて出ていってしまったことのほうがショックだったのかもしれない。

「沈黙は否定と同じだよ。まだ選べないって言うんなら、僕は一人で動かせてもらう」

「待って!」

 誘導されている――それがわかっていても、フラムは出ていこうとするネクトを止めるしかなかった。

「本当に、ネクロマンシーを潰すだけが目的なの? ミルキットやインクには手を出さない?」

「お姉さんならともかく、僕がその二人を殺すメリットが無い。そんな無駄に労力を割くぐらいなら、僕は別のことにカロリーを使うよ」

 確かにネクトは、二人には手を出さないだろう。

 その気になれば今だって殺せるはずだし、インクを救出したときだってそうだった。

 だがそれでも――信用できる相手かと言われれば答えは間違いなく〝ノー〟で、フラムがいくら悩んだって満足のいく正解が出ることなど無いのだ。

 妥協するしかない。

 力無き少女は今、それを選べる立場に無いのだから。

「さあ、改めて答えを聞かせてよお姉さん。僕と手を組むのか、組まないのか――」

 精神的優位に立つネクトは、明らかにフラムを見下しながらそう問いかける。

「私は……」

 それに対し彼女は、苦慮の末に『組む』という答えを出そうとする――そのときだった。

「ただいまー」

 気の抜けた、あまりに日常的な少女の声が聞こえてきたのは。

 玄関を抜けた彼女は、ひょっこりとダイニングに顔を出す。

 集まった四人の視線がそこに集中する。

 フラムやミルキット、インクはもちろんのこと、先ほどまで優越感に浸っていたネクトも凍ったように固まった。

「チルドレンがいる。うわあ、これどういう状況?」

 言葉の割に慌てた様子を見せずに、エターナが言った。

 むしろ慌てたのはフラムたちのほうだ。

「そ、そ、それは私が聞きたいですよっ! エターナさん、ダフィズに付いて行ったんじゃなかったんですか!?

「そうだよ! 昨日、ダフィズや老夫婦とこの家で会ってたはずじゃないか!」

 ネクトもフラムと一緒にエターナを問い詰める。

「ああ……気付いてたんだ、ごめん黙ってて。でもやめといた。墓参りして、あの二人との別れは済ませてるから。それより、この家で一緒に暮らしてるフラムやミルキット、そしてインクのほうが大事だと思った」

「エターナ……ううぅ……っ、エターナぁっ!」

 インクは声を震わせ、全力疾走でエターナの体に飛び込んだ。

 エターナは両腕で受け止めると、黒く柔らかな髪を優しく撫でた。

「この反応……もしかして、わたしがインクの治療を投げ出したと思われてた?」

「こんな書き置きがあったら、誰だって心配しますっ!」

 珍しく声を荒らげるミルキット。

「む、ミルキットに怒られるとは。申し訳ない。本当にすぐ帰ってくるつもりだったから、メモ一枚でいいかなと思って」

「一体、エターナさんはどこに行ってたんですか?」

「隣町まで。わたしの親代わりだった二人――キンダー・リンバウとクローディア・リンバウのお墓を見に行っていた」

「君はすでに蘇ったその二人と会ってるはずだ。そこに死体が無いことなんてわかりきってるじゃないか!」

「そう、確かに死体は無くなっていた。調べてみると、掘り返したような形跡が残っていた。しかも比較的新しい」

 エターナの表情がけわしくなる。

「つまり、あいつらはわたしを説得するために墓を暴いた。せっかく埋葬されて静かに眠りについていた二人を無理やり掘り起こして、怪しげな研究に利用した。死者へのぼうとく。その時点で、ダフィズ・シャルマスに対する信用は揺らいだ」

「く……思ったより――いや、思っていた通りに綺麗事で動くんだね、君たちは」

 想定外の事態に、一転してネクトは追い詰められつつあった。

「確かに綺麗事かもしれない。わたしはたぶん、自分で思うよりずっとロマンチストなんだと思う。でもそういうのも悪くない。人生を明るく過ごすためのスパイスになる」

「はっ……能天気で羨ましい限りだよ、まったく」

 そして彼は何かを諦めたように笑い、肩から力を抜いた。

 フラムはそんな彼をげんそうに見つめる。

「エターナさんが戻ってきた以上、もう説得は無駄だってわかってるよね」

「もちろん」

「だったら、ここに残ったって意味無いんじゃない?」

「確かに、お姉さん一人ならともかく、エターナ・リンバウまでいたんじゃ、今の僕では厳しいかもね」

 それでもネクトは姿を消さない。

 その気になれば、〝接続〟の能力で外に転移できるはずだというのに。

 いまいち考えの読めない彼の言葉を聞いて、インクの頭に一つの可能性が浮かぶ。

 ネクトの性格上、素直に認めないことはわかっていたが、それでも聞かずにはいられなかった。

「もしかしてだけど……ネクト、フラムを説得するためだけじゃなく、あたしに会いに来てたとか?」

「はぁ? そんなわけないじゃないか! どうして僕が、インクみたいな出来損ないに未練を抱かなくちゃならないんだい!」

「でもネクト、いつもとちょっと違うよ。さっきフラムと話してたときはイライラしてた」

「なかなか煮え切らない態度に、いらだってたんだろうね」

「違う、そういうイライラじゃなかった。たぶんフラムじゃなくて、別の誰かに対するものだったんだと思う。そして今は、少し寂しそうに聞こえる」

「はっ、インクはいつからカウンセラーになったんだか。どうして僕がそんな感情になるのさ。そこの魔女が戻ってくるまでは、絶対的優位に立ってたのに」

「……自分が捨てられるかもしれないと恐怖したから」

 ぼそりとエターナが言った。

 ネクトはキッ、と鋭い目つきで彼女をにらみつける。

「なんの根拠があってそんなことを――」

「マザーはインクを切り捨てた。愛想を尽かしただけにしては、あまりにあっさりすぎるとわたしは感じていた」

 インクを見放す直前まで、マザーは母親のように振る舞っていた。

 それが不要だと判断した途端、本性を現したかのように対応が変わった。

 その変貌っぷりをエターナは実際に見たわけではないが、インクから聞いて知っている。

「つまり、マザーがインクを手放したのは、母とか娘の話ではなく、旧世代の実験体が必要ではなくなったから」

 そう話しながらも、エターナは『わたしはそうは思わない』と言わんばかりに、インクを抱きしめる腕に力を込めた。

「だからなんだって言うのさ」

「教会の研究チームは三つもある、おそらくこれはお互いに競わせるため。そしてネクロマンシーは実際に死者を蘇らせ、完成間近。おそらくキマイラも順調に進んでいると思われる。しかし一方でチルドレンは、コアを埋め込んだ状態で八年も十年も育てる、非常に効率の悪い研究」

「でも実際、こうして僕らみたいな成功作が生まれてるじゃないか」

「だけど四人しかいない。しかも、個々の力はわたしやガディオと変わらない程度。魔族を攻め滅ぼす戦力としては心もとない」

「……で?」

 エターナの指摘に、さらに不機嫌になるネクト。

 じょくだと感じたのか、あるいは図星だったのか――

「わたしが思うに、螺旋の子供たちスパイラル・チルドレンの完成形は別にある。お前たちが第二世代だと言うのなら、これまでと違い作り出す手間のかからない、第三世代、第四世代が存在する。そしてそれが生まれた場合――インク同様、マザーは第二世代への興味を失い、不要になれば切り捨てる」

 ネクトは「はぁ」とため息をつくと、目を細め、黙り込んだ。

 そしてネクトは力無い笑みを浮かべると、両手で『やれやれ』とでも言いたげに両手を上げた。

「困っちゃうなあ、いくら想像力が豊かだからって、妄想だけでそんなぺらぺら語られたんじゃ。その話から、どうして僕が〝捨てられるかもしれない〟なんて恐怖しなくちゃならないんだい? 失敗作と違って力だってある、パパにも愛されているこの僕が!」

「強がっているようにしか聞こえない」

「知ったふうな口をきくなよ、君に何がわかるって言うんだ!」

「わかる。わたしも王国で行われた実験の被験者だったから」

「な……!?

 ネクトは言葉を失った。

 フラムやミルキットも目を見開いている。

 唯一、彼女の年齢を聞いていたインクだけはそこまで大きな反応を見せなかったが、しかし驚いていないわけではないようだ。

「どういうことです、エターナさんが実験の被験者だったって!」

「五十年前のこと。貧民街スラムで親の顔も知らずに育ったわたしは、実験のために連れ去られ、この家で暮らすことになった」

「ここが……実験施設だった?」

「施設というより、被験者である子供たちが暮らしていた場所。そして研究リーダーであり、わたしたちの面倒を見ていたのが、当時まだ二十代のリンバウ夫妻だった」

 それからエターナは、自らがここで経験した出来事を、かいつまんでフラムたちに語った。

 それは魔族に対抗するため、同じ魔族の力を持つ人間を生み出すための実験だったこと。

 王国では人体実験のノウハウが無かったため、雑な施術により次々と子供たちは命を失っていったこと。

 エターナという名は〝永遠〟が由来で、『少しでも長生きしてほしい』という願いを込め、母親代わりだったクローディアが付けてくれたこと。

 結局、実験に成功したのはエターナ一人だけで、彼女はそこで人より長い寿命と、高い魔力を手に入れたこと。

 だがあまりに非効率的な実験だったため計画は打ち切りになり、エターナは処分されそうになったこと。

 そして、キンダーとクローディアによって逃された彼女は、王都に戻ってくるまで、山の中で〝魔女〟として五十年以上生きてきたこと――

 ネクトも興味があったのか、彼女の話をじっと大人しく聞いていた。

「当時のわたしたちは、『この人に捨てられたら終わる』という思いから、必要以上に〝いい子〟として振る舞うようになっていた。けど実際のところ、キンダーとクローディアは優しかったからそんなことは無かった。でも、もし彼らがマザーと同じような人種だったなら――今のネクトのように、唯一の拠り所を失って絶望していたかもしれない。誰かに、たとえ敵だったとしても、助かる可能性があるのなら、すがっていたかもしれない」

 彼は何も答えない。

 ただじっと焦点の合わない目で壁を眺めながら、何かを考え込んでいる。

「ねえ、ネクト。さっき話を聞いてて一つ、気になることがあったんだけど――」

 フラムが彼に尋ねる。

「『マザーやパパは何も言わない』って言ってたよね。エターナさんの話を聞いてたから、マザーはわかる。第三世代に興味が移って話してくれないのかもしれない。けど、それとパパ――オリジンを一緒に語るっていうのは、もしかして……」

「パパは今日も騒がしいよ。ああ、でも確かに……お姉さんのところに来る前は、しんと静まり返ってたかな」

 投げやりに言うネクト。

 それは騒がしいだけであって、彼に語りかけているわけではない。

 つまりマザーだけでなく、オリジンもすでに第二世代のチルドレンを見捨てつつあるのだ。

「大切な人に見捨てられる怖さは、私もよくわかります」

「あーあ、やだなぁ。奴隷にまで同情されるなんて」

「同情なんて、そんなっ」

「この流れだと、インクも僕のことあわれんでるんでしょ? ははっ、ほんとやだやだ。フラムお姉さんを口先で操って、うまく利用してやるつもりだったのに、なんでこうなるかなぁ」

 彼が強がっているのは誰の目にも明らかで、それを自身も気付いているからこそ、さらに強がる。

 そんなネクトに向けて、インクは決して哀れんだりせず、真剣なトーンで語りかけた。

「ネクトはネクロマンシーを潰して、マザーに見直してほしいんだね」

「インク、それはあくまで第三世代なんてものが実在するなら、の仮定だからね」

「そういう動機なら、フラムやエターナ……力貸してくれるかもしれないよ?」

「はっ……あははっ、なんだよそれ、冗談だろ? はははっ、あははははははっ!」

 ネクトは片手で顔を覆い、大いに笑った。

 ゲラゲラと、これ以上におかしなことは無いとでも言うように。

「結局同じことじゃないか! しかもマザーは明確にお前たちの敵だってのに、力を貸すなんてそんなわけ――」

「それでいいよ、私は」

 フラムが言うと、ネクトは目を見開き、指と指の隙間から彼女を凝視する。

「何言ってんの……?」

「手を組むって言ってるの」

「さすがに頭おかしいよ、お姉さん。お人好しなんてはんちゅうを越えてる! こんなふざけた話があっていいわけがない!」

 怒りを通り越して、半分笑いながら彼はわめいたが、フラムは冷静なままだ。

「別にお人好しなわけじゃないよ。チルドレンとネクロマンシーが敵対してるっていう話は信用できると思うし、今の話でネクト自身の目的もはっきりした。手を組みたくなかったのは、その目的がわからなかったから。仮にそれが達成できて、マザーが第二世代を見直したとしても、私たちに直接の不利益があるわけじゃないよね」

「だとしてもっ!」

「それに私たちは、ネクロマンシーの本拠地の居場所を知らない。ガディオさんがどこに行ったのかもわからない。ネクトはその手がかりを持ってるんでしょ?」

「……目星ぐらいは、ついてるけど」

「なら私たちにメリットはある。利害は一致してる。もちろん、単純に味方になるわけじゃなくて、いずれは敵同士として殺しあうことになるんだろうけど、一時的に休戦して手を結ぶぐらいなら――」

 フラムはネクトの前に手を差し出す。

「私は本気で、それでいいと思った」

 答えは握手で――言葉は無くともそれを求められていることは、ネクトにもわかった。

「馬鹿じゃないのか、本当に。なんだよそれ……インクのときもそうだったけど、なんでこんな……こんな……っ!」

 ギリ――と歯ぎしりを鳴らす。

 憎しみか、怒りか、羨望か。

 彼自身にも区別のつかない想いが頭を満たし、正常な思考を阻害する。

 フラムの言葉通り、ネクロマンシーを相手に戦う間だけならば、手を組むデメリットはほぼ無い。

 だがネクトはこんな結末を求めてフラムに話を持ちかけたのではない。

 いやしかし――彼女たちがインクを救ったということを知った時点で、場合によってはこうなることも、頭の中にはあったのではないだろうか。

 ここ数日で状況は急激に変わり、インクの境遇が他人事ではなくなりつつある。

 その恐怖を少しでも遠ざけるために、フラムたちにある種の期待を寄せていたのではないだろうか。

(違う……)

 しかしネクトのプライドが、それを認めない。

(違う、違う、違うっ! 僕は……僕たちは、自分の意思でパパの力を使いこなせる特別な存在なんだぞ? なのに、こんな、まるで人間の子供みたいに助けを求めるなんて――)

 ネクトはまだ幼い。

 きょうを捨てて実利を取れるほど、まだ成熟していなかった。

「ねえネクト、私たちと一緒に……」

「そんなもの、認められるわけないだろっ! 接続しろコネクションッ!」

 少年の顔が渦巻く。

 彼は手のひらを握り、オリジンの力を使い、自らの座標を別の座標と〝繋げる〟ことで転移を発動させた。

「ネクトっ!?

「帰っちゃった……」

「彼には少し、刺激が強すぎる話だったのかもしれない」

「ちゃんと話ができそうな雰囲気だったのに、残念です」

 結局、ガディオの居場所もわからずじまいだ。

 まあ、別にそれだけのために、ネクトに手を差し伸べようと思ったわけではないのだが。

「というかフラム、さっきガディオがどうとか言ってたけど」

 エターナはガディオの妻のことも、ケレイナやハロムとの関係も知らない。

 本人のいないところで話すのもどうかとフラムは思ったが、事が事だけに話さないわけにはいかなかった。

「実は――」

 フラムが語る全てを聞いたエターナは、低いトーンで「そう……」と相づちをうつ。

「わたしがダフィズについていくのを選ばなかったのは、ある意味の薄情さなのかもしれない」

「そんなっ!」

 否定するフラムにエターナは首を振り、ゆっくりと椅子に腰掛けた。

「ふぅ……わたしと両親が一緒に過ごしたのは、せいぜい数年間だから。それから五十年以上会わずに、墓参りという形で別れも済ませた。一応、ある程度はけじめが付いてたんだと思う。でも――ガディオは違う。今も奥さんへの想いを抱いたまま、復讐をげようとしていた」

「確かに、ガディオさんが付いていくのは私も仕方ないことなのかな、と思います。それだけティアさんのことを愛しているってことでしょうし」

「ですが、このまま放っておくわけにも……」

「ネクトから研究所の場所だけでも聞けたらよかったのにねー」

「後の祭。言ってても仕方ない。わたしたちは自分の足で情報を稼ぐ」

「ですね。私はまずガディオさんの家に行ってみようと思います。ネクトから聞いた話だけじゃ、確実とは言えませんから」

「わたしが行ったほうがいい場所はある?」

「インクは外出できないですから、一緒にいてあげてください」

 エターナの言いつけを破って、インクは部屋の外にでてきたのだ。

 まだ心臓移植後間もない彼女の容態が急変することも考えられる。

「移植してから今日まで、起きうるリスクへの対処法は考えた。わたしが常に一緒なら、出歩いても問題ない」

「そうなのっ!?

「ただし、無茶は厳禁。まだ走ったりはできない」

 あえて強めの口調で言い聞かせるエターナ。

 インクは「うんうんっ」とうなずいていたが、意図が伝わっているか怪しいものである。

「というわけで、わたしたちも手伝える」

「そうですか……ならウェルシーさんから話を聞いてきてもらってもいいですか? もしかしたら、また新しい情報を手に入れているかもしれませんし。この時間ならたぶん、中央区にある新聞社にいると思います」

「リーチ・マンキャシーの妹……わかった」

 その後、集合場所を決めてから、四人は家を出た。


 ◇◇◇


 王都地下――複雑な水路を抜けた先には、不釣り合いな近代的な施設が存在する。

 かつてこの世界に存在した文明の痕跡、古代遺跡を利用して造られたそこは、チルドレンの新たな拠点であった。

「ねえマザー、マザーっ! 僕が悪いことをしたなら謝るからぁっ! だから返事をしてよぉ、ねえ! ねえ!」

 泣きそうな声で、螺旋の子供たちスパイラル・チルドレンのフウィスが扉を叩いている。

 ドンドン、ドンドン――込めた力は強くないものの、かれこれ二時間ほど続けているせいか、拳は血で汚れている。

「あの女たちを殺せなかったのが悪かったの? でも拠点のお引越しのときは頑張ったよ! 僕、マザーのお手伝いをたくさんしたよぉ!」

 気弱そうなフウィスは、他の子供よりも強くマザーに依存している。

 ガディオに以前の拠点を潰され、ここに移り住んでから、マザーは第二世代たちにほとんど興味を示さなくなった。

 その理由が、子供たちに語られることは一切ない。

 ゆえに、フウィスたちは不安でしょうがないのだ。

 インク同様、自分たちも見捨てられてしまうのではないか、と――

「ただいま、っと」

 フラムとの会話を終えたネクトが拠点に戻ってくる。

 空間接続により転移してきた彼を、壁にもたれて座るルークがにらみつけた。

「ネクト、てめえどこ行ってたんだよ」

「どこでもいいじゃないか」

「良くない。マザー、私たち捨てる。怖い。嫌だ。謝らないと」

 ボロボロのアンティークドールを抱いたはくはつの少女が言った。

「ミュート、謝ってどうにかなるなら、とっくにフウィスのあれで話は終わってるよ」

「てめえがマザーの言いつけを破って、勝手に外に出るからこうなったんじゃねえのか?」

「時系列がめちゃくちゃだよ。僕はこうなったから外に出たんだ」

「なんのために? まさかてめえ、インクと同じように……」

「まさか。パパの声も聞こえない愚かな人間どもと、話が通じるわけないだろ。同じ言葉を喋っているだけで、僕らは作りそのものが違うのさ」

「わかってるならいいんだがよぉ」

 何を考えているのかわからないミュートも、悪ぶっているルークも、外の世界を知らない彼らにとってはマザーが全てだ。

 その強い依存を危険だとも思わない。

 なぜならマザーは、第二世代の子供たちをそういう風に育ててきたから。

「マザーっ、お願いだよぉ! 僕、マザーの顔が見れなくて寂しくて死んじゃいそうなんだよぉ! 苦いお薬も飲むからっ、痛い針でたくさん穴をあけてもいいからっ! だからお願い、マザー、マザー!」

 絶えず声を出し続けたせいか、フウィスの声はれつつあった。

 だがそんな彼の想いがついにマザーに届く。

 いくら叩いても反応が無かった金属の扉は自動的に開き、中から彼が姿を現した。

「マザ……ぎゃ、ふっ!」

 そしてフウィスの頭を掴み、顔に膝蹴りを叩きこむ。

 吹き飛ばされるように彼は仰け反り、後ずさった。

 どうにか転ばずには済んだようだが、鼻血で口元はべっとりと汚れている。

「ぁ、ひぅ、マザー……なんで……」

「さっきから何時間も何時間も、うるさいのよこのクソガキぃッ!」

 今度は右の拳で頬を殴る。

「はぐっ……マザー……違う、僕はっ……!」

「言ったわよねぇ? 私、今とぉっても忙しいから、あなたたちの世話をしてる余裕は無いってぇっ!」

「聞いたけど、寂しくて……」

「そんな下らない理由で、私のすうこうな研究を邪魔するんじゃないわよぉおおっ!」

 フウィスは緑の髪を鷲掴みにされ、顔面を何度も壁に叩き付けられる。

「やっと! ようやく! 前に進めそうだって言うのにっ! なんなの!? あなたたちはぁっ、私の研究のために存在してるんじゃなかったのぉっ!? ねえっ、ねえっ、ねえねえねえぇっ!」

「あぶっ、ひぐ……っ」

 すでにフウィスの意識はもうろうとしており、失禁してズボンを濡らしていた。

 それでもお構いなくマザーは暴行を続ける。

 ネクトはそれを見て、恐怖に体を震わせていた。

(た、助けないと……けど、マザーは……マザーは……っ)

 絶対的な服従が、子供たちの体には染み付いている。

 だから彼は、外の人間に頼るしかなかったのだ。

 だが今、ここにチルドレン以外の人間はいない。

 ネクトにも、ルークにも、ミュートにも、マザーを止めることはできない。

「刺激がぁっ! あの英雄どものおかげでっ、脳に刺激が来たのよぉっ! ビビビって、まるで電流が走るみたいに! ひひぃっ! それがっ、それがそれがぁ、まだ続いているのっ! まるでヤクでもキメたみたいにぃ! まともな頭で、キちゃってんのよぉ、知的エクスタシーが! これはてんけいよ! 天啓なのにっ! あんたたちが邪魔したんなら無意味でしょうが! えぇ!?

「はひっ……ごめんな、ひゃ……ひゃぐっ」

「あぁ……はぁ……ふぅ……まったく、本当に、本当にしょうもない子供たち……私はあなたを愛してあげているのに、どうしてあなたたちは愛を理解してくれないのかしらぁ?」

「あいひて、まひゅ……ぼく、マザーのこと……っ」

「なら、静かにしていなさい。いいわね、フウィス。じゃないと私、今度こそあなたのことを嫌いになっちゃうわよ?」

「ひっ……ごめんなさい、ごめんなさいっ! お願いだから、僕いい子にするから嫌いにならないでぇっ! マザぁぁぁーっ!」

 部屋に戻っていく母の足にしがみつくフウィス。

 だがマザーは彼を邪魔そうに蹴飛ばすと、一瞥もせずに扉を閉めた。

 残されたフウィスは芋虫のように地面に縮こまると、「ううぅ」と痛みに呻く。

「フウィス……」

 手を差し伸べようと近づいたネクトは、しかしそうする前に足を止めた。

「う……ふうぅ……ふふ……ふくく……っ、ひ……ふふっ……」

 フウィスは苦しんでいたわけではなく――笑っていたのだ。

 頭がイカれたのではない。

「はあぁ……よかったぁ……マザー、まだ僕のこと嫌いになってなかったんだぁ……ははっ、マザー……この痛みは……愛だよぉ……」

 単純に、嬉しくて。

「よかったなフウィス」

「大丈夫。マザー、忙しい。すぐに戻る」

「いいんだ、これでも。構ってくれるだけでマザーは優しいよ。だって、言いつけを破った僕が悪いんだから! あははははっ!」

 それを誰もおかしなことだとは思わない。

 マザーのまっとうな愛情表現として、その暴力を受け入れる。

 どうしてそうまでして彼を信じられるのか。

 別にマザーは、これまで第二世代たちに積極的に暴力を振るってきたわけではない。

 急変したのは、この拠点に移って、部屋に閉じこもるようになってからだ。

 だというのに、なぜ彼らはへんぼうしたマザーを、絶対的な存在としてあがめるのか。

 そしてなぜ、ネクトは一人だけ、その価値観に違和感を覚えたのか。

(僕の頭がいいから? 他のチルドレンより大人びているから?)

 自分で言って、彼は首を振りすぐに否定した。

(違う……僕も、あいつらと変わらない。マザーの支配下にあるんだ。唯一、インクは失敗作として扱われていたからこそ、ああして外の世界に適応できただけで――)

 なったのではなく、させられた

 己の意思はそこになく、今の思考だって自我だと思わされているだけで、本当は全てマザーの手のひらの上なのではないだろうか。

『あなたはみんなを率いるお兄ちゃんになるのよ。賢い子だから、きっとみんな従ってくれるはずだわ』

 かつて、マザーがそんなことを言っていたのを思い出す。

 今の状況が彼の思惑通りだとしたら――フラムに助けを求めようとしたことも、気付いているのだろうか。

(僕がやっていることは無駄なのか? いや、でも……考え過ぎなのかもしれない。どうなんだ、僕は正しいのか? それとも、フウィスたちのほうが正しいのか?)

 フラムはネクトの価値観が『歪んでいる』と言った。

 けれどその歪みは、少なくともこのチルドレンという狭い空間の中では正しかったはずなのだ。

(本当は僕だって……マザーを信じたいのに。けれどインクは以前とは違った。明るくて、楽しそうに……マザーの手から、離れたことで……)

 八歳の子供としての本音。

 八歳の人間としての自我。

 相反する二つの想いに、ネクトは強く奥歯を噛み締め、迷い続ける。