「苦しいよ、ガーくん」

 太い両腕で抱きしめられたティアは、嬉しそうに微笑む。

「……ティア」

 ガディオは万感の想いをこめて、彼女の名前を呼んだ。

「ん、そんなに寂しそうに言わなくても、あたしはここにいるよ」

 彼女もまた、彼へのあふれんばかりの愛情を込めて答え、背中に腕を回した。

「ティア……ッ」

「んっへへ、シャイなガーくんからこんな熱烈なハグを受けるなんて、生き返ってみるもんだね」

 腕の中に、確かにその感触があった。

 これだけはっきりと実体が存在するのに、夢であるはずがない。

「でもそろそろ……ちょっと、本気で苦しくなってきたかも……ギブギブっ!」

 ぼふぼふ、とガディオの背中を叩くティア。

 我に返った彼は腕の力を緩め、今度はティアの肩を掴んで正面から顔を見る。

「ずいぶんとたくましくなったね。六年って言われてもピンと来なかったけど、ガーくんの顔を見たら嫌でもわかっちゃう」

「ティアは、変わらないな」

 言いながら、彼女のほんのり赤らんだ頬に手を近づける。

 その指先は震えていた。

 まるで、今にも崩れそうな砂像に触れるかのように。

 そして人差し指が当たると、指先に絹のようになめらかな感触が返ってきた。

 何度確かめても信じられないが、死んだはずのティアが、目の前に存在している。

「でも、このあったかさは変わってないね」

 ティアは頬に触れた大きな手に、自らの手のひらを重ねた。

 目を細め、彼女もまた、ガディオが自分の目の前にいることを確かめているようだ。

 その空気感が、他者には近寄りがたい、二人だけの世界を作り上げていた。

 ケレイナはそんな彼らの様子を、少し離れた場所から複雑な表情で見つめる。

 しばらくそれが続くと、ティアは名残惜しそうにゆっくりと手を離した。

「色々伝えたいこともあるし、中に入ろっか」

 彼女はくるりと振り返り、ケレイナに問いかける。

「あたしの部屋ってどうなってる?」

「あ、ええと……当時のまんまだよ、ちゃんと掃除もしてある」

「そっか、ありがとねケレイナ。じゃあ、あたしの部屋でお話しよ?」

 ガディオはティアに手を引かれ、家の中に入っていった。

 二人の背中を、ケレイナはただ見送ることしかできない。

 頭が理解を拒む。

 教会の実験すら知らない彼女は、その理由をすいさつすることすらできず、孤独に二人の後ろ姿を見送るしかなかった。


 ◇◇◇


 ある地方に、とても綺麗な実をつける木が群生していた。

 しかしその実には毒があり、食べれば、少しずつ少しずつ体は蝕まれていくことを、その地域に住むものは誰もが知っていた。

 だがある男は、友人との度胸試しをするために、その実を一つ食べてしまった。

 それで度胸は示され、男もひとまず腹を下すだけで済んだのだが、なぜか彼は毎日実を食べ続けた。

 周囲の人々が忠告しても男は食うのを止めようとはせず、結局は毒が原因で血を吐いて死んでしまったらしい。

 なぜ彼は、そうなるとわかっていたのに、摂取を控えられなかったのか。

 単純な話だ。

 その木の実は、非常に甘美な味で、彼はとりこになってしまったから。

 ガディオは、かつてロウから聞いたそんな話を思い出していた。

 当時のガディオは『馬鹿な男だ』と笑って流したが――さて、今の彼に、男を笑う権利などあるのだろうか。

「むーう、しっかしワイルドになっちゃったねえ、ガーくん」

 屋敷にあるティアの自室。

 彼女は、ソファに座る彼の膝の上に腰掛け、その顔にぺたぺた触れていた。

 以前から彼に甘えるときはいつもこの体勢だった。

 とはいえ、ここまで親密な関係になれたのは彼女が死ぬ一年ほど前のことで、そう長い期間ではなかったが。

「昔の細くて爽やかだったガーくんもいいけど、今のガーくんもこれはこれで素敵だね。面影は残しつつも、守られ甲斐のある立派な大人の男になったって感じ。さすがあたしの旦那様だっ」

「そうか?」

「うん、そーだよ、間違いない。あたしがそう思ったんだし」

 そう言って、厚い胸板にしなだれかかる。

 ガディオは自然と、彼女の背中に腕を回していた。

「あたしにとってはほんの一ヶ月前の出来事なのに、もう六年も経っちゃったんだね」

「屋敷は変わっていなかっただろう」

「うん、この部屋とか、びっくりするぐらいそのままだった。でも、王都の町並みとか、生きてた人たちとかは、みんな変わっちゃってる。ケレイナもだし、ハロムちゃん……だっけ。ソーマとの子供が、あんなに大きくなってるとは思わなかったな」

 ティアは寂しげに言った。

 空白の六年間は、もうどうあっても埋めることはできないのだ。

 そんな彼女を見て、ガディオは少しずつ警戒を緩めていく。

 彼女には感情がある、ぬくもりもある。

 これがティアでないと言うのなら、何を信じればいいのだ。

「それにあたしも……変わっちゃってるんだよね」

「生き返った、と言っていたな。何があったんだ?」

 本当は聞きたくなかった。

 だが、ありえないことが起きている。

 そして、ほぼ間違いなく教会の手によるものだということは、否定しようの無い事実である。

 ならば問いたださないわけにはいかない。

 そして場合によっては――自らの手で彼女を殺すことも、考えなくてはならない。

「あたしもよくわかんないんだけど、オリジンコアっていうのを、死んでたあたしの体に埋め込んだんだって」

 予想はしていたが、その名前が出てきてしまった。

 ガディオは拳を握りしめ、絞り出すような声で言った。

「やはり、そう……なのか」

「その口ぶりだと、ガーくんはオリジンコアのこと知ってるんだ。じゃあ説明は省いていいのかな。とにかく、その不思議な力を制御して、弱めて、あたしの体が化物にならないように調整できたから、やっと外出許可が出たの」

 それがティア自身の口から語られたことは、ガディオにとってかなり意外だった。

 教会の罠だとするのなら、都合の悪いことは隠すはず。

 いや、逆にきょの情報を堂々と明かすことで、彼の油断を誘おうとしているのだろうか。

 意図が読めず――ガディオのけんにしわが寄る。

 ティアはそんな眉間をじーっと見つめると、人差し指を伸ばし、触れ、しわをぐにぐにと弄った。

「まーた難しい顔してる。せっかく再会できたんだから、もっと笑って欲しいな」

「そうもいかない、オリジンコアは危険なものだ。俺たちのチームを壊滅させたあのモンスターだって、コアによって強化された化物だったんだぞ?」

「それもダフィズさんから聞いてる。当時はまだ制御が甘かった、って。だからって納得できることじゃないけど、こうして生き返った以上は何も言えなかった」

「ダフィズ・シャルマス……やはり、ネクロマンシーなんだな」

「それも知ってるんだね。眼鏡をかけてて、いつも白衣を着てる、ひょろっとした男の人だよ。その人自身も、死んじゃった奥さんを生き返らせたんだって」

 一を聞けば、十が返ってくる。

 この調子だと、研究所の居場所も聞けば答えそうなほどだ。

「なんで全部話すんだ、って顔してる。あたしがガーくんに隠しごとをする理由なんて無いでしょ? それに、ダフィズさんからも何も隠さないでいいって言われてるし」

「意味がわからない。どういうつもりなんだ……教会の連中は、何の目的があってティアを蘇らせて、わざわざ俺に会わせた?」

 ガディオはいらだっている様子だ。

 そんな彼を前にしても、ティアは落ち着いた様子で微笑みながら言葉を紡ぐ。

「他の研究チームがどうかはしらないけど、少なくともネクロマンシーの目的は――死者を蘇らせること、それだけだから。大切な人が死んで悲しんでる誰かがいるなら、救ってあげたい。ダフィズさん自身も同じ思いをしたから。本当に、それだけなんだと思うよ」

 ティアが、嘘をついているようには見えない。

 少なくとも、生前の彼女を知るガディオには、そう思えた。

 確かにオリジンコアは、制御さえできれば、今まで人類が諦めてきた奇跡を起こせるだけの力がある。

 その成果が、彼の目の前にいるティアなのだとしたら――

「……駄目だ、俺にはまだ信じられない」

 ガディオはそう言って、首を横に振った。

 そんな彼を見てティアは悲しそうな表情を見せたが、すぐに笑顔に戻る。

「一回で受け入れてもらうのは難しいだろう、ってダフィズさん言ってた。そりゃそうだよ、ガーくんだけじゃなく、ケレイナにとっても、六年も死んでたんだし。それでいきなり帰って来られても困っちゃうよね」

「すまない……俺だって、できることなら素直に喜びたいんだ」

「謝らないでよお。でも、また会ってくれるよね?」

「また? どこかに行ってしまうのか?」

「まだあたしの体は細かい調整が必要なんだって。気を抜くとオリジンに体を乗っ取られちゃうかもしれない、って。だから、あと二時間ぐらいしたら一旦研究所に帰らないと」

「そうか……」

 名残惜しい、ガディオはそう思ってしまう。

 どんなに自分に〝教会の罠だ〟と言い聞かせても、目の前にいる彼女は、確かに自分の死んだ妻であるティアなのだ。歓喜を抑えられない。

「ここで寂しそうな顔をしてくれるガーくんが、あたしは大好きですっ。そのうち調整が終わったら、ちゃんと一緒に暮らせるようになるって聞いてるから、それまで我慢しててね。あ、でも時間が来るまでは、こうしてくっついててもいい?」

「そこまでは拒まないさ」

「ふふ、よかった。ガーくんは相変わらず優しいね」

 穏やかな、夢のような時間が流れる。

 ガディオの胸に渦巻く不安は、まだ消えない。

 しかし彼女のぬくもりを感じるたびに、確かに、確実に薄れている。

 危険だ。だが、リスクの代償に得るものが、あまりに大きすぎる。

 浸れば浸るほど、ガディオは甘やかな沼から抜け出せなくなっていった。


 ◇◇◇


 ケレイナはガディオが落とした箱を、台所で開いた。

 中身は、二人分のケーキ。

 もちろん彼が自分のために買うはずもなく、誰のために用意されたものかなんて、考えるまでもない。

 下唇を噛む。

 悔しいのか、悲しいのか、ケレイナ自身にもよくわからなかった。

「ねえママ、あの人は誰なの?」

 いつの間にか隣にいたハロムが母に問いかけた。

「ガディオの奥さんさ」

「パパの、奥さん? ママがなるんじゃなかったの?」

 そんなことを言ったことはない。

 しかし、着実にその方向に進んでいる空気はあって、ハロムはもちろん、ケレイナだって期待というか――確信めいたものを抱き始めていた。

 すぐは無理でも、一年後……いや、二年後には、自分はガディオと結婚できるのではないか、と。

「本物の奥さんが戻ってきたんじゃ、あたしの出番はないよ」

「本物? ママは偽物だったの?」

「……っ」

 悪意の無いハロムの言葉が、ケレイナの胸に突き刺さる。

 言葉のチョイスが悪かった。それは本物や偽物という言葉で表せるものじゃない。

 ケレイナの想いだって、真実だったはずなのだから。

 しかし、二度目で、二番目だ。

 傷を舐め合う二人の、妥協案に過ぎない。

「ねえ、ハロムのパパは、あの人がいたらパパになってくれないの? だったら、ハロムあの人いらない!」

「こらハロム、そんなこと言ったら――」

「だってあの人、怖いよ! ママの方がずっと素敵だもん!」

「あぁ、もう、素敵とか言われたら怒るに怒れないでしょうがっ!」

 ケレイナはしゃがみ込むと、ハロムの頭を撫でながら言った。

「ティアはいい子なんだ。きっとハロムも、お話ししたら気にいるはずさ」

「ぜったいにムリ」

「やる前から決めつけちゃいけないよ、人ってのは……」

「ちがう、ちがうのママ、ハロムが怖いのは嫌いだからじゃないの」

 ハロムは嫌がっている――と言うよりは怯えた表情をしていた。

 不穏なものを感じたケレイナは、頭ごなしに否定せずに、彼女の言葉に耳を傾ける。

「あの人、からっぽなの」

 抽象的な言葉に、ケレイナは首をかしげる。

「空っぽ?」

「笑ってるけど笑ってない、楽しそうだけどぜんぜん楽しそうじゃない」

「んん? ごめんハロム、ママにもわかるように言ってくれないかな」

「……うまく言えない。わかんないから。でも、ハロムはそう思ったの!」

 子供の感覚というのは、大人には理解できないもの。

 単純にティアと相性が悪いのだろう――しかし実際に話せば、ちゃんと懐いてくれるはず。

 なぜなら、どこに行ったって子供に懐かれるのはいつもティアの方で、以前は今よりずっとガラの悪かったケレイナは、怯えられる側だったから。

 彼女はハロムの言葉を深く考えず、改めて頭を撫でると、

「とりあえず、ガディオが買ってきてくれたケーキでも食べる?」

 と笑いかけた。

 ハロムはまだ不安げな表情を浮かべていたが、食欲には抗えず、こくりと首を縦に振った。


 ◇◇◇


 ネクトと別れたフラムは、ミルキットを抱えたまま王都を駆け抜ける。

 衆人の視線を引こうが気にも留めず、ただひたすらに最短距離で目的地へ到着することだけを考えた。

 そのまま自宅に到着すると、勢いを緩めず家に飛び込み、大きな声を響かせる。

「エターナさん、大丈夫ですかっ!」

「……いきなりどうしたの?」

 そしてダイニングでくつろぐエターナを見つけ、ほっと胸を撫で下ろした。

「はあぁ……良かったです。さっき、ネクトが現れたんですよ。それでエターナさんに危機が迫ってるって……でも、無事みたいで安心しましたぁ……!」

 フラムはへなへなと崩れ落ちた。

 いくら体力が向上していても、人を抱えて全力疾走すればそれなりに体力は使う。

 ミルキットは洗面所からタオルを取ってきて、汗ばんだフラムに手渡した。

「チルドレンの? またどうして」

「それがですね、『ネクロマンシーを潰すために手を組もう』って言われたんです。チルドレンと他のチームは敵対してるから、って。もちろん断ったんですが。にしても……はぁ、まんまとネクトに騙されたみたいですね」

 室内を見回しても、争った形跡などは見られない。

 エターナに危機が迫っているというのは、ネクトがフラムをおちょくるために言った嘘だったのだろうか。

「会ったっていうのはどこで?」

「東区にあるサティルスの屋敷の近くです」

「またなんでそんなところに。今日はミルキットとデートしていたはず」

「ですからデートというわけではないので……」

 頬を赤らめ、控えめに否定するミルキット。

「それが、生き返ったサティルスと大通りで遭遇したんですよ! たぶんこの前ガディオさんから聞いた〝ネクロマンシー〟がやったんだと思います」

「そう、ネクロマンシーが……サティルスを……」

 目を伏せ、まるで落ち込んだような表情を浮かべるエターナ。

 思っていたのと違う反応に、フラムは首をかしげた。

「えっと……まずは一旦エターナさんと相談したほうがいいと思って帰ってきたんですが、どうしますか? 泳がせて後をつけることも考えたんですが、どうも教会は私たちの反応を見越した上で、あいつを蘇らせた気がするんです。だとすると、尾行されるリスクは織り込み済みですよね」

「確かに、そうかもしれない……」

 エターナの歯切れの悪い言い方に、ミルキットも首をかしげる。

「……」

 さらに彼女はそのまま黙り込んだかと思うと、ふいに立ち上がった。

「エターナさん?」

「考えたいことがある。少し外に出てくる」

「へ? えーっと……はい、わかりました、いってらっしゃい」

 暗い表情で家を出ていくエターナ。

 フラムとミルキットは玄関の扉が閉まる音を聞くと、今度は見つめ合って、同時に首をかしげた。

「エターナさんの様子、おかしかったですね」

「うん、ネクトとサティルスの話がそんなにショックだったのかな。それとも……私が気付いてないだけで、何か起きてたとか」

「実はさっきから気になってたんですが、棚にあるグラスの位置がいくつか変わってるんです」

 言われてフラムは棚を見たが、あまりにさいな変化で、見たところで彼女にはわからなかった。

「エターナさんとかインクが使ったわけじゃなく?」

「数は三つですから、二人で使ったにしては違和感があります」

「んー……誰かがここに来て、エターナさんがお茶を出したかもしれないってことか。インクに聞いてみよっか、二階でも音は聞こえるだろうし」

 二人は二階に移動する。

 インクはまだ部屋から出ることは許可されておらず、扉越しに話すことしかできない。

 フラムがドアをノックすると、中から「はーい」と気だるそうな声が聞こえてきた。

「ただいまインク」

「ただいまです」

「おかえりー! デートは楽しかったー?」

 エターナと似たようなことを言うインクに、がくっと崩れるフラム。

「だからデートじゃないっての……」

「あははっ、そうだったのー?」

 病み上がりとはいえ、扉越しとは思えないほどインクの声ははきはきしている。

 術後の経過はかなり順調のようだ。

「その話はいいから。ところで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「あ、ひょっとしてお客さんの話? それならあたしは誰が来たのかは知らないよー」

 それを聞いて、ミルキットは「やっぱり……」とつぶやく。

「それは仕方ないよね。ここからじゃ、せいぜい誰かが動いてる音ぐらいしか聞こえないはずだし……」

「ううん、話は聞こえるよ? あたし耳いいから。でもそのときは寝ちゃっててさ、ちょうど起きたのが話が終わって帰ろうとしてるタイミングだったの」

「えっと……じゃあ年齢とか、人数はわかるってこと?」

「大人の男の人が一人、あとおじいさんとおばあさんが一人ずつだったと思う」

「三人か……」

「グラスの数と一致しますね」

「おじいさんとおばあさんは、エターナとかなり親しそうだったよ」

 インクは心なしか寂しそうに言った。

 フラムは、王都にエターナの知人がいるという話を聞いたことが無かった。

 いや、それどころか彼女がどういう経緯で王都に呼ばれたのかも、何者なのかもはっきりとは知らない。

 外見は自分と同じぐらいだが、話してみると年上に思えて、魔法の腕も知識も明らかに十代のそれではない。

 他にもすでに失われたはずの薬草の扱いや医術に長けていて、知識量は学者をもりょうするほどだ。

「あたしに聞きに来たってことは、エターナはフラムたちにも話さなかったんだ」

「インクさんにも黙っていたんですか?」

「隠すなら堂々としておけばいいのに、かなり気まずそうにしてね。エターナ、隠し事は向いてないと思う」

 先ほどフラムと話したときと同じだ。

 エターナなりに葛藤していて、それはつまり――打ち明けるか否かで悩まなければならないような出来事が起きた、という意味でもある。

「本人に直接聞いたほうがいいんでしょうか……」

「いや、エターナさんは私たちに話さなくていいって判断したってことだよね。だったら、話してくれるのを待とう」

「フラムは優しいね」

「そういうんじゃなくて、単純に私よりエターナさんのほうが、ずっと頭がいいと思うから。きっとそれが正しいんだよ」

「だからそういうとこが優しいと思うんだけど」

「私もそう思います」

「ほ、褒めても何も出ないからね?」

 確かにフラムに出せるものはなかったが、恥じらう顔を見られただけで、ミルキットはお腹いっぱいだった。


 ◇◇◇


 家から出たエターナは、東区の路地を歩く。

『肉親の死を乗り越えて人は強くなると言います。ですが、死なないのなら、それに越したことはない。僕はそう思うんです』

 思い出すのは、さきほど家にやってきたとある男が語った言葉だ。

 彼――ダフィズ・シャルマスは、エターナの親代わりだったキンダーとクローディアを引き連れ現れた。

 少し前にインクに話したとおり、二人はとっくに死んでおり、墓参りだって済ませてある。

 つまり、サティルス同様にオリジンコアで蘇生されていたのだ。

『僕にはスージィという幼馴染がいました。内気で家に引きこもりがちな僕とは対照的に、彼女は非常に活発で活動的な女性でして、お互いに惹かれ合ったのは奇跡だったのかもしれません。僕と彼女は幼いうちに結婚の約束をして、自然と恋人同士になっていました。それは互いが大人になってからも変わらず、仕事で一人前になったら正式に結婚しよう――と、当時の僕達は、明るい未来を確信して止まなかったのです』

 誰だって、漠然とした不安を抱いて生きている。

 その大きさに差異はあれど、人は単純に幸福だけをおうできるほど脳天気になれる生き物ではない。

 むしろ、幸せになればなるほどに、それを喪失する恐怖と戦わねばならないのだ。

 手に入れなければよかった――そう悔いても、もう遅い。

 ダフィズが語る間、隣に座るクローディアは、母が娘にそうするように、エターナの頭を撫でていた。

 そしてキンダーはそれを微笑ましく見守る。

 長い間忘れていた感触が、存在すら見失っていた傷痕を埋めていく。

 幸福と同時に、また喪失の恐怖が生まれる。

『スージィは冒険者でした。槍使いとしての腕は確かで、若くしてAランクまで駆け上がり、人々の羨望を集めました。僕にとっても自慢の妻でした。しかしそれは同時に、周囲の嫉妬を集めることも意味していました』

 嫌な記憶を思い出してしまったのだろう、ダフィズの表情が曇る。

 彼はうつむき、左手の薬指にはめられた指輪を見つめた。

『そしてある日、彼女は一緒に依頼を受けた冒険者たちと遠征をして――無残な姿で戻ってきました。仲間に騙され、犯された挙げ句に、全身を切り刻まれて殺されたんです。その後、偶然にも近くを通りがかった冒険者がされた死体を回収し、僕のもとに送り届けてくれたんですよ』

 苦悶に歪んだ死に顔。

 思い出のペンダントを強く握り、傷が刻まれた手のひら。

 腐り、崩れ、異臭を放ちだす肉体。

 愛する人を失ってしまった彼にとっては、その腐臭ですらも愛おしかった。

『それから僕は、絶望のどん底で、スージィの死体とともに死んだような生活を送りました。そんな僕に希望を与えてくれたのが、オリジン教だったのです。すがるものを失った僕はずるずると宗教にのめり込んでいき、そして気づけば、オリジンコアの研究に携わるようになっていました』

 エターナから見たダフィズは、非常にさん臭く写っていた。

 教会は敵なのだから当然ではあるが――しかし、エターナには彼の語る話が嘘だとは思えない。

 内容、表情、声、その全てに真実ゆえの重みが宿っているように思えた。

『そこで研究をしていくうちに、僕は気づきました。この力があれば、死者を蘇らせられるのではないか、と。そして論文を書き上げ、枢機卿に提出すると――なんと、今後の教会を担う、チルドレンやキマイラと並ぶ大規模プロジェクトの一つとして採用されたんです。そうして生まれたのが、僕らのチーム、ネクロマンシーでした。目指すものは、死者の完全なる蘇生。オリジンの影響を受け異形と化すのではなく、元の人間としての人格や命を取り戻すための研究。オリジン教にのめりこんだ僕がこんなことを言うのは変な話ですが、神様や教会の都合なんて、本当にどうでもよかった。僕はただ単純に、スージィを蘇らせたいだけだったんですよ』

 だが彼の話をそう感じてしまうのは、エターナの精神状態が正常ではないからかもしれない。

 両親の温もりに包まれていると、色んなものがぼやけてしまうのだ。

 このまま身を任せてしまえば楽になれる――そういう優しくて甘い、危険な効力があった。

『おそらく僕と同じ願望を持つ人は、世の中にたくさんいると思います。そういう人たちを、救いたい。僕は心からそう願っています。ですから、教会と敵対しているエターナさんたちにも、その理念と言いますか……僕らの想いを理解していただきたい。前置きは長くなりましたが、今日ここを訪れたのは、そのお誘いをするためです』

 ――エターナは、なんのあてもなく東区を彷徨さまよっていたわけではない。

 はっきりとした目的地があった。

 そこは路地を抜けた先にある、馬車が一台通れる程度の、少し広めの通り。

 だが商店の類はほとんど無く、ろうきゅうした家屋がいくつも並ぶ、寂れた住宅街だ。

 もちろん人通りも少なく、誰にも見つからずに馬車に乗り込むには、うってつけの場所だった。

『明日の朝、この地図の場所にお迎えにあがります。そして我々の研究所を見てほしいのです。愛する人のいない世界――その地獄から救い出され、幸せに生きる人々の姿がそこにあります。それを見て、僕たちのやりたいことを、理念を理解してほしい』

 ダフィズは己の夢を熱く語った。

 実現しなければただの狂信者が語る妄想でしかない。

 しかしそこにはキンダーとクローディアがいて、生前と変わらぬ温かさをエターナに与えてくれる。

 だから、彼の言葉には説得力があって、強く心を揺さぶる。

「明日の朝……わたしは……」

 約束の場所に立ち、エターナは目を閉じる。

 ダフィズの提案に乗るということは、インクのみならず、フラムやミルキットを裏切るということだ。

 だが、死んだと思っていた両親にまた会える。

 今度こそ、普通の親子のように暮らせるかもしれない。

 それは――彼女が五十年以上夢見てきた日々だった。

 あえてダフィズについていくことで、研究所の所在地を知ることもできるかもしれない。

 危険な研究だと判断したら、そこで施設を破壊してもいい。

 それはインクたちを守ることにも繋がるのだから、決して裏切りだけとも言えないはず――

「……そんなの、ただの言い訳」

 エターナは首を振り、自ら甘えを捨てる。

「綺麗事抜きで、どちらを選ぶか。自分で決めて、自分で責任を取るしかない」

 誰のせいでもなく、誰のためでもない。

 彼女の自問自答は、空が黄昏たそがれの紫に染まるまで続いた。


 ◇◇◇


 すっかり日が暮れた頃、ガディオの屋敷の前に迎えの馬車が到着する。

 ティアが帰る時間がやってきてしまったようだ。

 彼女はケレイナに別れを告げると、「またすぐに来るから」と告げ、屋敷を出る。

 ガディオは彼女が馬車に乗るまで見送るつもりのようで、二人は手を繋いで門まで歩いた。

 そして彼は、ダフィズと初めて顔を合わせる。

「こんにちは、ガディオさん。僕は――」

「お前がダフィズ・シャルマスか」

「エターナさん同様にご存じでしたか、さすがに英雄と呼ばれるだけはありますね。その通りです、私がネクロマンシーの責任者であるダフィズといいます。よろしくお願いします」

 握手のために差し出された手。

 ガディオは無視してしまいたいところだったが、ティアがいる手前、冷たくあしらうこともできずしぶしぶ握る。

「今日は驚かせて申し訳ありませんでした。ですが可能な限り急ぎたかったのです」

「なんのために?」

「あなたがたがチルドレンと接触したことで、教会上層部が焦ることを恐れました。彼らの望みは、兵器としてのネクロマンシーの完成ですから」

 理にはかなっている。

 だが動機が無害すぎて、逆に胡散臭いとガディオは感じた。

 しかし抱く疑念も、ティアという存在ゆえに、さほど強くはない。

 甘い毒は、少しずつ、だが確実に彼の心に隙を作っている。

「率直に聞く。俺を罠にはめるつもりではないのか?」

「いいえ、断じてそのようなつもりはありません。同じく妻を失った者として、あなたにも理解していただきたかっただけです。愛する人を失った苦しみからは、愛する人を取り戻すことでしか救われないのだと」

 その言葉は――ティアによって心が満たされた今だからこそ、ガディオの胸に響いた。

 同時に、自分の弱い心に嫌悪感も抱く。

 あれほど教会を憎み、ふくしゅうを遂げてみせると言っていたくせに、ティアの顔を見ただけでこうも簡単に揺らいでしまうのだから。

 元よりその動機の根幹にあったものが蘇った妻の存在なので、仕方ないことではあるのだが。

「あなたがたが教会を敵対視しているのはわかります。事実、チルドレンとキマイラは兵器としてのオリジンコア運用を前提としていますから、教会上層部はいずれ必ず悪用しようとするはずです」

「自分は違うから見逃してくれ、と?」

「ええ。そしてそれは、あなたとティアさんが、二人で歩む人生が続くということでもあります」

「人質のつもりか」

「卑怯だと思われても構いません。ですが僕は、この研究で多くの人を救えると本気で思っているし、僕自身も一度は死んだ妻――スージィと共に生きることで救われ続けたいと思っているのです」

 ダフィズの根底にあるのは、『愛する妻と添い遂げたい』という自らの欲求である。

 それが、彼の言葉に説得力を持たせていた。

 少なくとも、彼は本気だ。

 面と向かって話してみて、ガディオにはそれがはっきりと理解できてしまった。

「今日はご挨拶だけです。しかしあなたにはぜひ、実際に施設を見て判断していただきたい」

「俺を研究所に連れて行くつもりか?」

「強制はしません。また明日、ティアさんを連れてここに来ます。それまでに答えを決めておいてください」

 一方的にそう告げると、ダフィズはティアとともに馬車に乗り込んだ。

「明日だと?」

「じゃあね、ガーくん」

「ティア、待ってくれそんな急にっ!」

 掴もうとしたガディオの手を、ティアはやんわりと拒んだ。

「予定の時間を過ぎちゃってるんだ。変になっちゃったとこ、ガーくんには見られたくないから」

 彼女は悲しげな表情を浮かべる。

 ネクロマンシーは完成しておらず、まだ蘇生は完全ではない。

 ガディオとて、顔が渦巻く妻の姿など見たくない。

 歯ぎしりしながら、伸ばした手を下ろす。

「僕としても、できるだけ長く夫婦の時間を過ごしてほしいとは思っています。そのために、あなたを誘っているのです。いい返事を期待しています」

 馬車に乗り込むティアとダフィズ。

 ガディオは何もできずに、離れていく馬車を眺めることしかできなかった。

「いい返事だと? そんなもの……っ!」

 選択権を委ねたようでいて、そのやり方はひどく身勝手だ。

「クソッ!」

 彼は力任せに塀に拳を叩きつける。

 ティアがそこにいるというのに、ガディオに断れるものか。

 しかし――ダフィズが憎むべき教会組織の一員であることもまた事実であり、彼の胸中では入り交じった愛憎が渦巻いている。

 屋敷に戻ったガディオが苦渋の表情で玄関を開くと、そこにはケレイナが立っていた。

「ティア、帰ったんだね」

「ああ、明日また来るそうだ」

「そっか……よかったじゃないか、ガディオ」

 彼女はできるかぎり笑って言ったつもりだった。

 だがその笑顔の裏では、消したくても消えない〝嫉妬〟と、ティアの帰還を喜ぶ友人としての感情がせめぎあっていた。