
サティルスの屋敷から脱出したフラムたちは、まず疲弊しているミルキットを休ませるため、近くのリーチの屋敷へと向かった。
そして客室を借りてミルキットをベッドに寝かせると、彼女はすぐに安心しきった顔で寝息をたてる。
借りた服に着替えたフラムはベッドの縁に座り、彼女の髪を撫で、その寝顔をじっと眺めていた。
しばらくそうしていると、リーチが慌てた様子で部屋に飛び込んでくる。
「フラムさん、サティルスを殺したって本当ですか!?」
ウェルシーから、さっき起きたことを聞いてきたらしい。
フラムは
「相当な外道だとは聞いていましたが、ミルキットさんの主だったとは。ですが彼女は教会と繋がっています、疑われたらまずいのでは?」
「死体は見つからない場所にあるので、しばらくは大丈夫だと思います」
「とりあえずサティルスの悪行の証拠もここにあるし、情報の出し方さえ間違えなければ、こっちの立場が悪くなることは無いんじゃないかなー」
サティルスが行方不明になっている今、得た情報を全て明るみにすれば、疑いはフラムやウェルシーに向く。
だが資料の中には、彼女が奴隷を拷問の末に殺していた証拠も含まれているのだ。
ウェルシーの言う通り、使い方さえ間違えなければ、『サティルスは死んでも仕方のない人間だった』と人々に思わせることは可能だろう。
教会との繋がりに関しても同様に――要するに、重要なのは情報を公開する量と、タイミングである。
「わかりました、そこはウェルシーに任せましょう」
リーチも似たようなことを考えていたのか、思ったよりあっさりと納得した。
その後、兄妹で部屋を出て外で話し合いを始めたようだ。
フラムはミルキットと二人きりになると、彼女の天使のような寝顔を見ながら、包帯の隙間から頬を指先で軽くつついた。
そうしているうちに、次第に彼女も眠気に襲われる。
まだ朝なのだが、起きた出来事が濃密すぎて疲れてしまったようだ。
眠気に抗う理由も無いので、ベッドに突っ伏したまま眠る。
二人が起きたのは三時間後のことで、リーチが東区教会から信頼できる修道女を呼んでくれたらしく、ミルキットの傷はほとんど癒えていた。
◇◇◇
エターナはさぞ不機嫌にしているだろう――そう想像していたフラムは、おそるおそる玄関を開ける。
するとそこには案の定、不機嫌な顔で壁にもたれる彼女の姿があった。
フラムとエターナの目が合う。
五体満足な二人を見るなり、エターナはほっと息を吐いた。
そしてフラムに近づくと、人差し指で額を突く。
「あいたっ」
「二人とも、起きたらどこにもいないから心配した」
唇を尖らせながら言うエターナ。
さらに彼女はフラムの首元に顔を近づけると、すんすんと鼻を鳴らす。
「……血の臭いがする。リーチの使者から連絡はあったけど、詳しく説明してほしい」
服は急いで洗ってもらったのだが、肌に染み付いていたのだろうか。
「ミルキットが前の主にさらわれてて、取り返しに行ってたんです」
「さらっと言ってるけど、とんでもない大事件だと思う」
「私もそう思います。でもまあ、見ての通り、無事に助けられたんで」
ミルキットが気まずそうに頭を下げると、エターナは「ふむ」と腕を組む。
「教会がらみ?」
真っ先に疑うのはそこだ。
だとすれば、救出したところで安心はできない。
次の襲撃がすぐにでも行われる可能性があるからだ。
「ミルキットがさらわれた件に関しては、関係ありません」
「だったらまあ……今回は傷も無いみたいだし、何も言わない。でも今後は、わたしのことも頼ってほしい」
あの時は、犯人を追いかけることで頭がいっぱいだった。
すぐにでも追いかけなければ、二度と助けられないような気がしていたのだ。
それに、エターナはまだ寝ていたし、インクを一人にすれば、そちらを狙われないとも限らない。
だが実際はエターナの言う通り、声をかけていたほうが早く解決しただろう。
彼女の操る水の魔法は、それほどまでに万能で強力なのだから。
「肝に銘じておきます」
「そうして欲しい。ところで、お昼ごはんはわたしが作ってみたんだけど、食べる?」
居間の方から、微かに香ってくるいい匂い。
フラムとミルキットのお腹が、返事代わりにぐぅと鳴った。
◇◇◇
その日の午後は、誰も家から外に出ようとはしなかった。
夕食も家にある物で作った。
エターナの作った昼食も十分おいしかったが、エターナはなぜか「やっぱりおいしい」と少し悔しそうである。
英雄に勝てたことに、ミルキットは珍しく誇らしげな表情だ。
食後、フラムは半ば強引に、ミルキットと一緒にお風呂に入った。
さすがに恥ずかしいのか、彼女にはやんわり遠慮されたのだが、
「じゃあ脱衣所で出てくるまで座ってるから」
と強めに言うフラムに根負けし、結局は折れることになった。
だが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいわけで――
「うわぁ、やっぱミルキットって肌が綺麗だよね。憧れちゃうなぁ」
と背中を流されながら言われたり、
「ミルキットの銀色の髪、本当に素敵。たまに『この子は天使か妖精なんじゃないか』って本気で思っちゃうことがあってさあ」
などと髪を触られながら言われると、もう顔は真っ赤である。
終いにはそう広くない湯船に二人で入り、肌が密着すると、のぼせなかったのが奇跡だと思えるほど体温は上昇していた。
そしてようやく、就寝時間がやってくる。
色違いでおそろいの寝間着を纏った二人は、包帯を外し、いつものように軽くじゃれあうと、それぞれのベッドに向かった。
部屋の明かりが消え、室内は暗闇に包まれる。
フラムはすぐに目を閉じたが、ミルキットはそのままじっとぼんやりと上を見ていた。
闇に目が慣れると、少しずつ天井が見えるようになる。
(――眠るのが、怖い)
率直に、そう思った。
今日はサティルスに会ってしまった、だから間違いなく昔の夢を見る。
きっと、前回よりもっと凄惨で、具体的で、生々しい悪夢を――
いっそこのまま眠らずに夜が過ぎるのを待ってしまおうか、などと考えていると、
「ねえ、ミルキット。こっちに来て、一緒に寝ない?」
フラムは布団を持ち上げ、ミルキットを誘った。
月明かりに照らされた主の笑顔に、胸がとくんと高鳴る。
「さ、さすがにそれは。シングルベッドですし、狭すぎると思います」
「くっつけば問題ないって」
先ほどの風呂場同様、誘い文句はいつもより強引だ。
「でも、どうして急にそんなことを……」
「ミルキット、寝る前になんだか寂しそうな顔してたでしょ? 本当は一人で寝るのが怖いんじゃないかと思って」
「……そんなことまで、見抜かれてしまうんですか」
「見抜くっていうか、私も同じ気持ちだったからね」
「ご主人様が?」
「寝てる間にミルキットがいなくなっちゃうんじゃないかと思って。でも、ぎゅーってしとけばその心配は無いでしょ?」
ほんの一瞬の出来事で、人は簡単にいなくなってしまう。
しかも二度もそれを経験したのだ。
次は寝ている間に消えてしまうかもしれない――そんな漠然とした不安が、無性に恐ろしくなることだってある。
「えっと……本当に、いいんですか?」
「むしろ私がお願いしたいぐらいです」
「それでは……お邪魔します、ね」
ミルキットは枕を持って移動すると、主の布団に潜り込む。
布団の中はすでにフラムの体温で暖かく、それに包まれると、まるで抱きしめられているようで心が落ち着いた。
嬉しさと恥ずかしさが半分ずつ。
安心はするのだが、胸が高鳴って、むしろ目が冴えてしまいそうだ。
「もうちょっと寄ったら?」
控えめすぎてベッドからずり落ちそうなミルキットの体を、フラムはぐいっと抱き寄せる。
「あ……」
「ふふ、ミルキットってばすっごいドキドキしてる。ハグぐらいはいつもしてるでしょー?」
「そう言ってますが、ご主人様だって……すごいですよ」
「そ、それは……ほら、ハグと一緒に寝るのじゃ事情が違うっていうか……ねえ?」
「ふふっ、私と同じなんですね、ご主人様も」
至近距離で見るミルキットの笑みは、天使を通り越してもはや女神だ。
拝んでしまいそうになる欲求をぐっと抑え込むも、心臓は正直で、さらにどくんどくんとうるさく高鳴る。
だがその鼓動も、心地よい。
夢への恐怖から逃れられるのは、主の腕に抱きしめられているときだけだ。
体温と脈動と匂いが、目をつぶっていてもあなたがそこにいると教えてくれるから、安心してまどろみに身を預けられる。
「あの、ご主人様」
「なあに?」
ミルキットはサティルスに襲われた時、『助けて』と願った。
主が自分を助けに来てくれることを、望んでしまった。
結果、フラムは自分を助けてくれたが――あの瞬間、奴隷と主という関係は、完全に壊れてしまったような気がした。
いや、元々フラムはミルキットのことを奴隷として扱っていなかった。
要するにそれは、奴隷と主以外の関係性を知らないミルキットの都合だったのである。
フラムとの間に存在するのがそれ以外の形になってしまったとき、どう接して良いのかわからなかった。
だから遠慮して、我慢して、自分の知る範囲に留まろうとしていたのだ。
テンプレートをなぞれば、最低限のコミュニケーションは取れたから。
しかし、もはやその建前すらも維持ができなくなっている。
自らの意思で、テリトリーの外に踏み出すときが来たのだ。
「えっと……もし、よかったら、なんですが」
遠慮がちに、緊張して、口ごもりながらも、
「明日からも……こうして、一緒のベッドで寝ても、いいでしょうか?」
彼女は〝わがまま〟を、フラムに告げた。
フラムはミルキットに顔を近づけると、こつんと額を触れ合わせ、にこっと笑いながら言った。
「私の方から言おうと思ってたんだけどな」
フラムはミルキットに対して嘘をつかない、そう無条件で信じられる。
だからその言葉は、ミルキットの胸の奥底まで染み込んだ。
そして感じる。
自分は今、大切な人と同じことを望んでいる――その喜びを。
「明日さ、一緒に服でも買いにいこっか。破られちゃったしね」
「はいっ。ご主人様も一緒に新しいのを買いましょう」
「ミルキットに選んで貰おうかなぁー」
「自信はありませんが……頑張って選んでみます」
「ふふふ、楽しみだなぁー。他にミルキットは行きたい場所とかない?」
「そうですね……じゃあ、美味しいものが食べたいです」
「美味しいものかぁ、それならちょっと奮発して、高めのレストランなんかどう?」
「高級レストランですか……」
「遠慮しなくていいんだよ? お財布の心配はいらないから」
「お財布というより、高級すぎると家で真似できなくなってしまうと思うんです」
「なるほど、そういうつもりだったのね」
「はい、ぜひとも自分の物にして、どこのお店に行くよりも、私の料理の方がおいしいって思ってもらえるようになりたいんです」
「んー、だったらとっくにそうなってるけどなー……」
二人はベッドで寄り添いながら、明日のお出かけの予定を立てていく。
結局、それが盛り上がりすぎてすっかり目が冴えてしまい、寝る時間がいつもより一時間ほど遅くなってしまった。
◇◇◇
翌日、二人の間に
ソーセージを口に運び、半分ほどを口に含み、パリッと
「今日、デートなの?」
「げほっ、ごほっ!」
ちょうどスープを飲み込もうとしていたフラムは、液体が気管に入り込み盛大にむせた。
慌ててミルキットが寄り添い、背中をさすりながらコップを手渡す。
フラムは水を一気に飲み干すと、ぜえはあと肩で呼吸をしながらエターナをにらみつけた。
「違いますから!」
「そういう雰囲気にしか見えない」
「何言ってるんですか、昨日破れた服を買いに行くだけですよ。ちょっと寄り道はしますけど」
「それを世間ではデー……」
「買い物と言います! 大体、私とミルキットが出かけてどうしてデートになるんです、おかしいじゃないですか。ねえ、ミルキット」
「はい、ご主人様と私はただ買い物に行くだけです」
二人はそう言いはったが、エターナは「それをデートって言うと思う……」と不満げだった。
もっとも、当の二人には本当にそんなつもりはない。
友人でもない、あくまでパートナー。
曖昧な関係性だが、しかし今の二人は、それに満足している。
強いて言うなら〝家族〟が近く、けれど断言するには二人の関係は熱しすぎていて。
「……よくわからない」
エターナがお手上げ状態になる程度には、微妙で紙一重な状態なのであった。
◇◇◇
そしてフラムとミルキットは町へ繰り出す。
二人が手を繋いで歩いていると、ミルキットはちらちらとフラムの頭あたりを見ている。
「なんかついてる?」
「そのヘアピン、使ってもらえてるんだな、と思いまして」
「ああこれ? もちろん使うよ、ミルキットからもらったものなんだしね」
先日、ミルキットが手作りして渡したものだ。
改めてフラムが付けているところを見ると、今さらながら『戦いの邪魔にならないだろうか』とか『ご主人様に使ってもらうにはファンシーにしすぎたかも』などとネガティブな考えが浮かんでしまう。
「ほんとかわいいよね、かなりのお気に入りだよ」
しかしフラムは上機嫌にそう話す。
だったら、素直に気に入ってもらえたことを喜ぶべきだ――とミルキットは自分に言い聞かせた。
そんなやり取りを交わしながら、二人が最初に目指したのは、以前ミルキットの給仕服を購入したあの洋服店である。
すでに店員に顔も覚えられており、金払いがいいおかげか、最初のように奴隷だからと言って嫌な顔をされることは無くなった。
フラムとミルキットは、あれがいい、これがいいと話し合いながら、特に気になるものがあると手にとって、試着室に持ち込む。
「おー……たまにはこういうのもいいよね」
「少し地味かな、と思いますが」
「地味というか、普通って感じ? でもミルキットが着ると何でも似合っちゃうからずるいと思うな」
「何でも、ということはありません。あんまり言われると、本気にしてしまいそうです」
ミルキットが最初に試着したのは、ベージュのドレスの上から厚手の白いエプロンを纏った、非常にシンプルな給仕服。
頭のキャップも、おしゃれと言うよりは、髪の毛が落ちないための機能性を重視していて、色気の類は一切無い。
ただ、これはこれで、生活感があるというか、家事をすることに特化していて、味がある。
「本当に、似合っていますか?」
じろじろと眺めるフラムの視線に、ミルキットは不安そうに尋ねた。
「いつものミルキットはさ、綺麗すぎてよそに取られちゃうんじゃないかって不安があるんだけど、その服を着てると、なんていうか……安心感がある、っていうかな。家庭的って言えばいいのかな」
その言葉を聞いて、改めてミルキットは鏡の方を向き、スカートの端をつまんだり、帽子の角度を調整したりして状態を確認する。
「ご主人様がそうおっしゃるなら、第一候補にしてみますね」
「うんうん、そうしよう!」
ひとまずキープということで、ミルキットは次の服に着替えた。
「そういえば、ミルキットって意外と、フリルとか多いのが好きだよね」
「ふりふりのドレスは、かわいいと思います」
「ってことは、さっきのやつ、あんまりお気に召さなかった?」
「そんなことはありません。私が選ぶといつも似たようなものになりがちですから、とても新鮮な気分で着られました」
話をしているうちに、衣装チェンジが完了。
カーテンが開かれる――と思いきや、ミルキットはなぜか顔だけ出してフラムの方を見た。
その顔は、首元まで真っ赤に染まっている。
「こ、これ、ご主人様が、選んだんですか?」
「うん、さっき話してた通り、フリルが多くて可愛いなーと思ったんだけど……何か問題でもあった?」
「いえ、その……と、とりあえず、見てください」
ゆっくりとカーテンが開き、その全貌が明らかになる。
「おおう……」
それを見た瞬間、フラムは思わず声をあげた。
上はまあ、予想通りフリルが多く可愛らしいのだが、問題は下である。
スカートが、とにかく短いのだ。
ギリギリ下着が見えないぐらいの長さしかなく、ミルキットの、最近肉付きがよくなってきた太ももがあらわになっている。
彼女は顔を赤くしながら、必死にスカートの
その仕草を見ていると、フラムの胸の鼓動はバクバクと高鳴る。
「ご、ごめんね、まさかそんなにスカートが短いとは思ってなくて」
「ご主人様が、こういうのが好きなら、えっと……家の中、だけなら、着てもいいですけど……」
非常に魅力的な提案だった。
しかし首を縦に振った瞬間、フラムは大事なものを失ってしまう気がしたので、ぐっとこらえた。
「い、いや、無理しなくていいよ。他の行こう、他の!」
「わかりましたっ」
ミルキットはサッとカーテンを閉め、胸に手を当てて「はあぁ」と大きく息を吐き出した。
恥ずかしいし、彼女の胸もうるさく鼓動していたが――
「……でもたまには、ああいうのも悪くないかもしれません」
フラムの真っ赤になった顔を思い出し、そんなことを考える。
それから数分後、再び新たな衣装がお披露目された。
今度は給仕服ではなく――純白のワンピースであった。
「これも、ご主人様が選んだんですよね」
「うん……」
フラムは、見惚れていた。
元から彼女はミルキットに対して清純なイメージを抱いていて、白いドレスなんかが似合うに違いないと思っていた。
だが、実際に着せてみると、まさかこうもぴったり合うとは。
「どこかのお嬢様みたい」
「言い過ぎですよ、ご主人様。こんなに包帯ぐるぐる巻きのお嬢様なんていませんから」
それすら魅力的に見えてしまうのは、間違いなくフラムが彼女を
それでも、仮に素顔を
「本当に、綺麗……」
思わずそうつぶやいてしまう。
今、目に映っている光景を切り抜いて、絵として残したい――柄にも無くそんなことを考える。
「あの……き、着替えますね」
あまりに熱のこもった視線が恥ずかしくて、耐えきれなくなったミルキットは、また姿を消してしまった。
そして元々着ていた給仕服に戻り、外に出てくる。
「どうしましょう、まだ選びますか?」
「最初の給仕服は買っていいんじゃないかな、と思うんだけど。確か値段も安かったよね?」
「はい、他の服に比べると」
ミルキットは値札を確認しながら言った。
ちなみに、最も高額なのは二番目のミニスカートの給仕服である。
「じゃあそれは決まりとして、あと二枚ぐらい欲しいかな」
「ご主人様は買われないんですか?」
「私はこのお店だと、あんまり着る服が無いと思う」
「たまには、違う雰囲気のご主人様を見てみたいです」
「……そう? だったらミルキットが私に似合いそうなやつ選んでくれる?」
「いいんですかっ?」
すると彼女は、実に楽しそうに、活き活きと服を選び始めた。
ここまでテンションの高いミルキットは珍しい。
「そんなに着せたかったんだ……」
どんなリクエストをされるのか、フラムは若干不安である。
そして一着だけ手渡されると、服を確認する間もなく背中を押され、試着室に入れられた。
カーテンの前でニコニコしながら主の着替えを待つミルキット。
カーテンの奥で、「えぇ……」と困惑しながら、仕方ないのでそれを着るフラム。
カーテンが開く。
そして姿を現した彼女は――いかにもミルキットが好みそうな、フリルだらけの給仕服を身に纏っていた。
「うわあぁ……」
頬に手を当てながら、感嘆の声を漏らすミルキット。
一方でフラムは、上着の裾を握りながら、顔を真っ赤にしてうつむいていた。

まさか給仕服を着るだけでこんなに羞恥心が刺激されるとは、いつも着させている彼女でも予想外だった。
「似合って、ない、よね……」
「そんなことありません! ご主人様、とっても可愛らしいです!」
ミルキットは熱弁する。
フラムはさらに真っ赤になり、今すぐにでもカーテンを閉めたい衝動に襲われていた……が、ぐっと我慢する。
これも、ミルキットのためなのだから。
「服に着られてる感じがしない?」
「完璧な着こなしだと思います」
「いかにも家事ができなさそうな雰囲気があると思う」
「そのギャップがいいんです!」
「なんか……ミルキット、いつもよりテンション高くない?」
「……あ」
指摘され、固まる。
「も、申し訳ありません。浮かれてしまって、つい……」
主に好きな服を着せられる機会など、そうそうあるわけではない。
いや、フラムの場合、頼まれれば何でも着るとは思うが、ミルキット側からそれを言い出すことは滅多に無いはず。
つまり、フラム自身が、『何でも着せていいよ!』と言わない限り、今のようなシチュエーションは実現しないのである。
「別の服は、また今度ね。ミルキットに喜んでもらえて嬉しいんだけど、そろそろ私が限界だから……」
「いえいえ、私のことなんて気にせずに、どうぞ!」
シャッ、とカーテンが閉まる。
そしてフラムは急いで服を着替え、いつものシャツとショートパンツの動きやすいスタイルに戻す。
最後に軽く念じると腰にベルトが巻かれ、鏡を見たフラムは一息ついた。
「ミルキットが喜ぶ顔は見たいけど、この格好のほうがはるかに落ち着くんだよねぇ……うーん、ジレンマだ」
フラムは試着室から出ると、さらに二着ほどミルキットの給仕服を選び購入した。
そして店を出て、高級レストランに向かうことにした。
◇◇◇
中央区の大通りは、相変わらず人でごった返している。
フラムはミルキットを雑踏から庇うように、手を繋ぎ少し前を歩く。
「それにしてもすごい人ですね……日に日に人が増えているような気がします」
「観光客や商人もどんどん増えてるみたいだね。馬車の往来も多くなって……ほら、馬車のせいで人混みが割れてるでしょ? あれで流れが詰まっちゃってるみたい」
一時期は馬車専用の通路を造る、という話もあったらしい。
だが、王国はそれよりも別のことにお熱になっているようで、いつの間にか立ち消えになっていた。
通りに限った話ではない。
インフラ整備や、施設の修繕、治安の維持――王都は発展しているようで、様々な問題を抱えている。
そしてその多くは解決されないまま放置され、少しずつ、民衆の不満は高まっていた。
「ミルキット、人酔いしてない?」
「平気です」
「よし、じゃあちょっと強引に前に進むから、手を離さないようにね」
人と人の間を押し開くように進み、前に進んでいく。
そしてどうにか、目的である高級飲食店までたどりついた。
高級ではあるが、ドレスコードで入店をお断りされるほどの店ではない。
もっとも、『奴隷だから』という理由で追い出される可能性はあるのだが――店員は頬の紋章を見ても表情一つ変えない。
さすがに教育が行き届いているようだ。
だが客の中には、フラムを見て露骨に嫌な顔をしたり、横を通っただけで足を引っ掛けようとする者もいた。
もちろん、一般人の脚力で今のフラムを転ばすことなどできず、蹴った側のほうが痛そうにしていたが。
二人が着席して少し待つと、ウェイトレスがメニューを持ってくる。
それを開いたミルキットは目をまん丸にして、フラムと記された値段を交互に見た。
「好きなのを選んでいいからね」
「そ、それでは……」
そうは言われても、ミルキットは高い料理を頼めるような図太い神経を持ち合わせていない。
かといって安いのを頼むと連れてきてくれたフラムに失礼なので、ほどほどに高い――要するに本当に食べたかったものを注文した。
次に、フラムはミルキットが頼んだものよりも高い料理を注文する。
そして出てきた料理の芸術作品のような盛り方に驚き、口に運んでは舌鼓を打ち、味を盗もうと眉間に
会計はそこそこの値段だったが、二人は値段以上の満足感を得て店を出た。
「ふうー、食った食ったぁー」
「とてもおいしかったですね、あれを家で再現するのはなかなか大変そうです」
「あんな味を楽しんだ上に、あとでもう一度ミルキットが作ってくれるなんて、一度で二度おいしい昼食だね」
「あまり期待しないでくださいね? さすがにプロの味には敵いませんから」
「何を言うんだいミルキットくん、何度だって言うけど君の作る料理は天下一品だよ」
「くん……?」
テンションが上がりすぎて、思わずフラムは妙な口調で喋ってしまう。
「あはは、次はどこ行こっか。まずは花の種でも見に行く?」
陽気なフラムの頭の中で、幸せなデートプランがぐるぐる回る。
アクセサリー店に行って先日のお返しを買ってもいいし、朝とは別のお店で雰囲気の違う服を着せ合うのもいい。
あとは市場を覗いて呪いの装備が出回っていないか探してみたり、台所用品を見たり、最後は今日の夕食の材料を買い込んでもいいかもしれない。
今日はサティルスの一件を少しでも頭から消し去るために、思いっきり楽しむつもりだった。
「ご主人様と一緒ならどこへでも。きっと、どこだって楽しいですから!」
ミルキットだってフラムほど表に出ないだけで、十分うかれていた。
今日はご主人様の気遣いに甘えて、小難しいことをうだうだと考えずに遊びたおすつもりだったのだ――少なくとも、その瞬間までは。
「え……?」
歩いていたミルキットはある方向を見たまま、ぴたりと足を止めた。
「……ん、どしたのミルキット。急に止まったりして」
手を繋いでいたので、当然フラムの足も止まる。
そしてミルキットと同じ方向を見て――彼女も同じように固まった。
ひしめき合う人々の波。
その隙間から、まるで一人だけ別の空間にでもいるように、やけにくっきりとその姿は見えた。
コサージュが並ぶ派手なドレスの上から、ファーの付いた赤いコートを羽織り、指先は鮮やかなネイルに彩られ、大きな宝石の付いた指輪をいくつも付けている。
髪は、様々な色が混ざりあったオパールヘア。
そして顔には、一度見たら忘れられない、けばけばしいほどの濃い化粧。
「な……ん、で?」
「おかしいです……だって、あの人は、ご主人様が殺したはずじゃ!」
否定したところで現実は変わらない。
そいつは確かに生きていて、幽霊でもなく自らの両足で歩き、喋り、笑っている。
「サティルス・フランソワーズ……!」
フラムがその名を呼ぶと、聞こえていたのか、はたまた偶然か、一瞬だけ二人の視線が交錯した。
白い歯を見せ笑うサティルス。
ぞくりと、フラムの背筋に悪寒が走った。