
キリル、ジーン、マリア、ライナス――四人になった勇者パーティは、それでも旅を続けていた。
キリルは相変わらず暗い表情で、言葉数は少ない。
それに引っ張られ、パーティ全体の空気は悪くなっていたのだが――今は少し事情が違う。
ふてくされていたジーンが、妙に上機嫌なのだ。
「ぼーっとするな、ライナス、マリア、キリル! 今日は絶好の進軍日和だぞ!」
「ったく、ジーンのやつ何があったんだか」
「やる気があるのはいいことです。わたくしたちも急ぎましょう、ライナスさんっ」
「あ、ああ……」
マリアも高揚しているようで、ライナスが話しかけると、いつも以上に
二人が調子を取り戻したのなら歓迎すべきなのだろう。
しかしライナスはあえて距離を取り、彼らを客観的に観察していた。
そして、薄氷のごとき〝危うさ〟を感じ取る。
苦悩を自力で打ち破ったのではなく、間違った方向に振り切れてしまったのではないか、と。
そんな時、前にいたマリアがライナスの方を振り向いた。
彼女は珍しく表情豊かに、不満そうに頬を膨らまし彼に近づく。
「わたくし、急ぎましょうって言いましたよね?」
「お、おう……そうだったな」
腕を絡め、胸を押し付けられると、さすがのライナスでもたじろぐ。
女性とのスキンシップは慣れているが、相手がマリアだと事情が違うのだ。
「難しい顔をして悩み事ですか?」
「マリアちゃんが上機嫌だったから、何かあったのかなって考えてたんだよ」
「大した理由ではありません。いつもより体の調子が良いだけです」
「なら、いいんだが」
おそらく彼女は、何かを隠している。
ライナスに話してくれないのは、利用価値が無いと思われているのか、信用されていないのか。
あるいは――巻き込みたくない、そう思ってくれているのか。
少し前まではマリアの笑顔を見ていれば、彼の悩みなど簡単に吹き飛んでいたのだが、今は彼女の表情を見るたびに不安が膨らむ。
(本当は、強引に連れ去って旅を止めさせるべきなのかもしれねえ。そして遠い場所で、二人で暮らせば……)
マリアは全力で拒むだろう。
だがどうしても、彼女が〝正しい〟と信じていることが、ライナスには信じられないのだ。
「……どうして、ライナスさんは」
真剣な表情で考え込む彼を見て、マリアの表情が曇る。
「ん?」
「いえ、なんでもありません。行きましょう、ライナスさんっ」
だがすぐに表情から影は消え去り、彼女は誤魔化すようにライナスと指を絡めた。
そして並んで歩く。
二人の間に、見えない
◇◇◇
魔族の領地を進んでいると、例のごとく妨害するためにツァイオンが襲い掛かってくる。
ここ数回ほど、キリルたちは彼一人に撃退され、撤退を繰り返していた。
「今のてめえらには熱がねえ。これぐらいで十分だ――フレアメテオライト!」
ツァイオンは巨大な火球を生み出す。
しかし、魔力を過剰消費し、魔法の威力を増大させる
手加減されるほど、勇者パーティは弱体化していたのだ。
唯一まともに戦えるライナスが、ツァイオンの射程外から弓を引く。
放たれる三本の矢。
それらはツァイオンに命中する前に散開し、それぞれ別の方向から彼に襲いかかった。
「てめえだけは熱量を失ってねえようだが、オレには届かねえよ!」
彼は
ただそれだけで、ライナスの放った矢は燃え尽きた。
決して甘い攻撃ではない。
それをいとも簡単に燃やしてしまう、ツァイオンの炎が異常なのである。
しかしライナスは手を緩めず、再び三本の矢を引き――今度は束ねて放つ。
シュゴオォッ! と、空を切る音が明らかに先ほどとは異なる。
「悪くない熱量だな。だがこの程度じゃなァッ!」
ツァイオンは同じように炎の矢を束ね、射出する。
直後、地上のジーンが彼に向かって魔法を放った。
「ブルーフレイム」
「オレに向かって火属性魔法だと? トチ狂ったのかよ!?」
まるで人魂のように、ゆらりと青い火玉がツァイオンに向かって飛んでいく。
あえて対処する必要性を感じないほど、弱い炎だった。
彼はそれを無視し、ライナスの矢に意識を向ける。
ファイアアローと矢がぶつかり、パァンと弾けた。
すると、粉々に砕け散った矢の破片が風の魔法を宿し、ツァイオンに迫る。
「やっぱただの矢じゃねえな!」
「テラーメッセンジャー。たとえ原形すらない木片になったとしても、この矢は死ぬまでお前を追い続ける」
ライナスは弓兵であると同時に、風属性魔法の使い手でもある。
本職の魔法使いよりも魔力で劣るものの、高い身体能力と組み合わせることにより、高い威力を発揮するのだ。
ツァイオンは空中で高速で旋回し、つきまとう矢を振り切ろうと試みた。
しかし距離は離れても、追尾は止まらない。
炎魔法で矢を破壊しても、さらに断片化され、数が増えるだけだった。
ジーンのブルーフレイムも同様に、ゆったりと彼を付け回す。
「しゃらくせえェッ!」
彼はそれら全てを引きつけると、
「ブレイズスフィアアァァッ!」
自らの周囲を超高温の球体で覆い、全てを焼き尽くす。
ライナスの矢は一瞬で灰となり消え失せた――が、ジーンのブルーフレイムに変化はない。
炎の中にあっても、青い火玉は同じ調子で追跡を続ける。
ツァイオンは舌打ちすると、自らそれに接近して手で握りつぶそうと試みた。
それがただの炎ならば、問題なく消えるはずだ。
しかし、青い炎は彼の腕に纏わりつき、体温を急速に奪っていく。
「なっ……炎じゃねえのか? 腕は動かねえ、じゃあこれは氷――いや、だったらブレイズスフィアで消えるはずだろ!?」
戸惑うツァイオンを見て、地上のジーンはにやりと笑う。
「ブルーフレイムは炎だ。だが同時に氷でもある。頭の悪い僕以外のサルどもにはわからないだろうけどね。ふふっ、ははははっ、あーっはっはっはっはっは! 僕はついにこの領域まで到達したんだよォ! そら次も行くぞ、メデューサウィンド!」
ジーンが手をかざす。
だが、景色に変わりはなく、魔法は何も発動していないように見える。
そんな時、ツァイオンの顔をそよ風が
チリッ……頬に何かが当たったような気がして、指で触れる。
すると、石が張り付いていた。
つまんで取ろうとすると、一緒に顔の皮まで引っ張られる。
「まさか……オレの肌が、石になってんのか!?」
言うまでもなく、原因はこの〝風〟だ。
ツァイオンは、猛スピードでその場から移動する。
「行ったぞ、ライナス」
ジーンがつぶやく。
するとまるでツァイオンの動きを読んでいたかのように矢が飛来し、彼の右肩に突き刺さった。
「ぐっ……! ち、ちくしょう、妙な魔法を使いやがって! プロメテ――」
ツァイオンは手加減をやめ、大規模魔法を発動しようとする。
だがマリアの魔法がそれを遮った。
「セイクリッドランス!」
光の
彼は体を傾け回避しようとしたが、避けきれずに右腕を貫き、ジュゥッと肉を焼いた。
「があぁっ! ぐっ、だが……まだまだァッ!」
彼の戦意は萎えていないが、マリアの魔法はまだ終わっていない。
「スパイラル」
光の槍が突き刺さったままの状態で、高速回転を始める。
「な、なんだ……回って……ぎっ、い、ぎっ……があぁぁぁああっ!」
ギュイイィィィィ――光のミキサーが、肉を巻き込み、筋をねじ切り、骨を砕いていく。
ツァイオンの腕は見るも無残な姿に変わり果て、最終的に千切れて飛んだ。
「はっ……あ、ぐ……てめ……えらぁ……!」
それでも意思は強く、情熱的に。
彼らをシートゥムの元にたどり着かせるわけにはいかない、その一心で戦意を維持する。
だが、ジーンとマリアはすでに次の魔法の準備を済ませており、ライナスも彼の眉間を狙っていた。
唯一キリルだけは、剣を握ったまま暗い表情で突っ立っているだけだが、彼女抜きでも殺しきれる。
「こんな……ところで、オレは……」
彼の脳裏に、シートゥムの泣き顔が浮かぶ。
死ぬことだけは――それだけは、避けなければならない。
「ちくしょう、オレはぁッ!」
悔しさをにじませながら、彼は地面に落ちた腕を
「エレメントバースト!」
「ジャッジメントストーム!」
そんなツァイオンに向けて、ジーンとマリアは容赦なく魔法を放つ。
それも、自分が持ちうる最高威力の物を。
エレメントバーストは、四属性を束ね、直線上に存在するあらゆる物体を破壊する威力だけに特化した魔法だ。
四属性が混じり合っているためか、放たれるのは白い閃光で、光属性魔法に見えなくもない。
ジャッジメントストームは、本来は相手に向かって巨大な光の剣を放つだけの〝ジャッジメント〟の応用魔法だ。
剣を高速回転させることで、周囲を巻き込む衝撃波を発生させ、より広い範囲の敵を浄化し、焼き尽くす。
ツァイオンはまずはジャッジメントストームを回避した。
完全には避けきれず、肩の肉がえぐられたが、どうせ最初から右腕はボロボロだ、なんの問題もない。
そしてすぐさま左腕をかざし、持ちうるありったけの魔力を注ぎ込んで、炎とエレメントバーストをぶつけあう。
威力の高さは見ればわかる。自分の魔力では打ち消すことはできない。
だから、受け流し、軌道を変える。
「ぐ……っ、どぉりゃぁぁああああッ!」
彼の全力――文字通り全てを注ぎ込むことでようやく光線は曲がり、遠く彼方へと飛んでいく。
光線は上空で雲と接触し、吹き飛ばし、曇天の空を晴天へと変えた。
ツァイオンはその威力に戦慄しながら、どうにか撤退に成功したのだった。
◇◇◇
城に戻ると、すぐさまツァイオンは自室に入り、床に倒れ込む。
「シートゥムに心配かける前に治さねえ……っ、と、なぁ。さすがに、はぁ……ふ、こんなだっせぇ姿は見せられねえ……!」
問題はどうやって人を呼ぶか、である。
まずは魔王城から脱出し、できるだけ人目につかないルートを歩き、知り合いに連絡を取らなければ。
床に横になった状態で、肩を上下させながら、ツァイオンは壁伝いに立ち上がった。
だがそこで、
「兄さん、戻ってるんですか?」
一番会いたくなかった人が、部屋を訪ねてきた。
「マジかよ……」
ツァイオンは再びがくっと倒れ込む。
このまま黙り込んで誤魔化せないかと一瞬だけ期待したが、どう考えても不可能だ。
なぜなら、彼とシートゥムは、勝手にお互いの部屋に出入りする間柄なのだから。
「声が聞こえました、いるんですよね。入りますよ」
無視されたからか、少し怒り気味にそう言うと、シートゥムは返事も待たずにドアをあける。
そして、倒れ込むツァイオンの姿を見て、「ひゃっ!?」と声をあげた。
「兄さん、どうしたんですかその怪我っ! まさか、勇者たちにやられて……!」
「……そういうこった。かっこわりぃ」
「なっ、もしかしてさっき黙ってたの、そんな理由だったんですか!? 今さらじゃないですか、兄さんがかっこ悪いことぐらい私は知ってます!」
「それはそれでショックなんだが……」
心に傷を負ったツァイオンだったが、肉体の傷はすぐさまシートゥムが回復魔法で癒やした。
千切れた腕も、拾ってきたおかげですぐに修復され、元通りに動くようになる。
特に彼女は回復魔法を得意としていて、よくツァイオンに『魔王っぽくない』とからかわれていた。
「ありがとな」
ツァイオンがシートゥムの目を見ながら礼を言うと、彼女の頬がぽっと赤く染まる。
「隠される方が嫌です。こういう時は頼ってください」
「かっこつけたい年頃なんだよ」
「いい年なんですから、もう卒業してくださいよ。ついでに襟を立てるのも」
「そりゃ無理だな、これはオレの――」
「魂、ですよね。言わなくてもわかってますから。まったく、それさえ無ければ、兄さんのこと手放しにかっこいいって思えるのに……」
シートゥムはぶつぶつと愚痴った。
内心、それはそれで、他の魔族からもモテるようになりそうで嫌だ――という気持ちもあるのだが、もちろん黙っておく。
「にしても、ここまでやられるなんて何があったんですか?」
彼女は立ち上がると、ぼふっとツァイオンのベッドに腰掛けた。
「わかんねえ。いきなり見たこともない魔法を使いやがったんだ、威力も熱さも前とは段違いだったぜ」
彼も床から立ち上がり、シートゥムの隣に座る。
「急に強くなるなんて。せっかく人数も減ってきて、このまま終わりそうだったのに……」
「寄せ集めの人間を
ツァイオンにぽんぽんと頭を撫でられると、シートゥムは彼に寄りかかる。
魔族は争いを好まない種族だ。
母の影響で
勇者たちが侵攻する前に、付近に住む魔族は北に退避させ、被害を最小限に抑えようとしたのだ。
魔王を信じる住民たちのほとんどは命令を受け入れたが、中には反対する者もいた。
そういった彼らの要望を叶える形で、三魔将は散発的に王国での破壊行為を行ってきたが、もちろんそんなことはしたくない、というのがシートゥムの本音である。
「しかし、ただの訓練だけで、いきなりああも強くなれるもんか?」
「もしかすると……彼らも、オリジンの力を」
「回転や接続、増殖――そのあたりに関係する魔法使ってきてたしな。なあシートゥム、本当に封印は緩んでねえのか?」
「封印術式が示された書物は、魔王しか触れることのできない場所に保管されてます。中身を知っているのは私とディーザだけです。だから、変わるはず、ないんです」
「王国の連中の様子がおかしくなったのは、確か五十年ぐらい前だったよな」
「はい、お母様の時代ですね。それまでは良好な関係を保っていましたから」
「あの人がミスするとは思えねえんだよな……どうなってんだか」
先代魔王リートゥス――シートゥムの母親でもある彼女は、三十年前に起きた人魔戦争の直後に病で命を落とした。
魔族としては早すぎる死である。
その時、彼女を
リートゥスは娘に声をかけたあと、ディーザの手を握り、小さく
その後、まだ幼かったシートゥムが魔王の役目を引き継ぎ、ディーザやツァイオン、ネイガスに支えられながら巫女として封印の管理を続けてきたが――なぜか人間はオリジンの力を手に入れてしまった。
別のオリジンが存在している可能性も考え、ネイガスを調査に向かわせているが、今のところは目ぼしい情報は手に入っていない。
「このまま勇者がこの城にたどり着けば、封印が解かれてしまいます」
「やっぱ、殺すしかねえよ」
「ですがそれでは、オリジンの思う壺です! 勇者を殺したとしても、さらなる憎しみが人間たちを突き動かし、対立は深まってしまいます!」
「すまねえ、浅はかだった」
「いえ……私の方こそ、感情的になってすみません。私が甘いから、兄さんは今日みたいに傷ついてるのに……」
彼女はそう言って、彼の体にさらに体重をかけ、密着する。
その重みを感じる度に、ツァイオンは強く決意するのだ。
何があっても絶対に、彼女を守らなければならない、と。
「彼らを止めるには、どうしたらいいんでしょうか……」
「あいつらを支援してる、教会や王国そのものを止めるしかねえよ」
「彼らは、もう私たちの話を聞いてくれません」
異変が始まった五十年前ならともかく、人魔戦争が起きた三十年前の時点で、すでに人間たちは魔族を悪だと思いこむようになっていた。
シートゥムが魔王の地位を引き継いだ時点で、すでに何もかもが手遅れだったのである。
「密書を送っても返答はなし。もちろん、会談の申し出など無視されています。魔族とのパイプがあった貴族はみな権力を失うか、
「教会や王国の権威を失墜させようにも、オレらだけじゃ難しい、か。味方に引き込める人間はいねえのか?」
「今の人間たちは、誰もが幼いころから〝魔族は悪い奴らだ〟と教え込まれた者ばかりです」
「じゃあほら、勇者のパーティからいなくなった連中とかどうよ?」
「えっと、ガディオさん、エターナさん……それからフラムさん、でしたっけ」
シートゥムは実際に顔を見たことはない。
ツァイオンやネイガスから話を聞いているだけである。
「話してみる価値はあるかもしれません。確か、ネイガスは遭遇したことがあったはずですよね?」
「ああ。でもあいつ、最近帰ってこねえよな」
「調査が難航しているのでしょう。彼女が戻ってきたら聞いてみましょう、試す価値はあるかもしれません」
「だな」
話が一段落すると、二人は黙り込む。
シートゥムはツァイオンの肩に頬をぴたりとくっつけた。
傷は癒えたが、残った血の臭いを嗅いでいると、不安でしょうがない。
「……どうしてみんな、戦おうとするんでしょう」
「通したい想いがあるんだろ、あいつらにも」
「私の想いは、戦いさえ起きなければ叶うんですが」
ツァイオンは、悲しげにつぶやくシートゥムの肩に腕を回す。
温もりを感じながら、彼女は『どうかこんな時間がずっと続きますように』と祈るのだった。
◇◇◇
ツァイオンを撃退し、転移石を予定通り設置した勇者一行。
彼らはキリルのリターンにより、王城地下の転移部屋へ戻った。
「今回はうまくいったな。どうだライナス、僕と祝杯でもあげないか?」
「いや、俺は用事がある」
「せっかくこの僕が誘ってやったというのにノリの悪いやつだ。まあいい、今は最高の気分だからな! ふははははははっ!」
高笑いを響かせながら出ていくジーン。
それを見送るキリルは、沈んでいる――というよりは、戸惑った様子だった。
一方でマリアは、彼の後ろ姿を見てなぜか満足げである。
「なあ、マリアちゃ……」
声をかけたライナスだったが、それより先に彼女は部屋をあとにする。
無視、というよりは声が届いていない様子だった。
彼は困った表情でその場に立ち尽くす。
「ライナスさん。あの二人、何かあったのかな」
黙っていたキリルも、さすがに聞かずにはいられなかったようだ。
「わっかんねえわ。ちょっと前から様子がおかしいのは確かなんだがな」
「私が役に立たないせいで……」
「気に病むなって、少しずつ調子を取り戻していけばいい。キリルが旅に必要なのはみんなわかってんだからさ」
「……うん」
ライナスの励ましも虚しく、キリルは暗い表情のまま外に出た。
そして彼女は、外の空気を吸うために、城のバルコニーへと向かう。
勇者ともなると、外を出歩くだけで人々に囲まれ、大騒ぎになる。
特にキリルは近づきやすいのか、よく声をかけられて、気分転換に外を散歩することすらできなかった。
そんな状況の積み重ねが、さらに彼女を追い詰めていく。
憂鬱な表情で、城下町の人々を見下ろすキリル。
その視線の先には、いつか訪れた、お菓子の店があった。
目を
『んんー! クリームも中のスポンジも果物も全部おいしいよね、さすが王都!』
『うん、おいしい。すごくおいしい』
『ふふふ、そんなに急いで食べたらすぐに無くなっちゃうよ?』
『二個目、食べるから。フラムはどうする?』
『じゃあ私も……二個目、行っちゃおうかな。えっへへ』
そんな話をしていると、あっという間に皿の上に載ったケーキは無くなった。
二皿目は、今度はお互いのメニューを交換して注文する。
『キリルちゃんがいてよかった』
店員が去った直後、フラムがキリルの方を見ながら言った。
『急にどうしたの?』
『私なんかが選ばれてさ、不安でいっぱいだったの。実際、すごい人ばっかりで、私は役立たずで。だから……きっと私、キリルちゃんがいなければ、とっくに逃げ出してたと思う』
『フラム……』
『キリルちゃんと出会えてよかった。心の底からそう思うんだ』
フラムははにかみながらそう言った。
彼女は、勝手に自分に救われた気になっているが、実際は逆だ。
その不安やプレッシャーは、フラム以上にキリルが感じていたもので、フラムがいなければとっくに潰れていた。
だから本当は、その時、素直に『ありがとう』を伝えておくべきだったのだろう。
でも、言えなかった。
言葉が喉で詰まって、どう言えばいいのか思いつかなくて。
キリルはあの時ほど、口下手な自分を呪ったことはない。
そして記憶は移り変わる。
次に思い出したのは、それからしばらく後の出来事だ。
『またお前のせいで一人傷ついたぞ。どう責任を取るつもりなんだい?』
『ご、ごめんなさい……』
地面に座らせられ、可哀想なほど
それを、キリルはジーンの
『君は、自分がどれだけゴミなのか理解していない! 謝って済むと思ってるのか!?』
『あぐ……』
胸ぐらを掴まれ、フラムは苦しげな声をあげる。
ジーンが彼女を責めるのは、決まって他の人間がいないときばかりだった。
つまり、この場でフラムが助けを求められるのはキリルだけで、彼女の視線が自分の方を向くのは当然のことで――同時に、助けられるのが自分だけだと理解していたはずなのに。
なのに――キリルは、目を背けた。見て見ぬふりをした。
勇者としてのプレッシャーに押しつぶされそうだとか、疲れが溜まっていて他人のことを考える余裕が無かったとか、ジーンが怖かったとか、言い訳ならいくつも思いつく。
だがそのどれもが、フラムを見捨てていい理由として充分とは言えないものだった。
そして結局――フラムはそのせいで追い詰められて、いなくなった。
二度と、戻ってくることは、無い。
あの幸せだった時間も、自分の心を支えてくれていた友達も。
もう、どこにも、存在しない。
自分で自分の首を絞めた、その結果である。
「キリルさん」
そんな彼女の名を、背後から近づいてきた誰かが優しい声で呼んだ。
「マリア……」
キリルが振り返ると、そこには聖女が立っていた。
悩める自分に、救いの手を差し伸べようと、慈悲に満ちた笑みを浮かべて。
マリアはキリルに近づき、その手を取る。
そして、黒い水晶体を握らせた。
「それは〝コア〟と呼ばれるものです」
「コア……?」
内側の螺旋をじっと見ていると、意識が吸い込まれそうだった。
寒気がして、これは良くないものだ、と本能が訴えてくる。
「ジーンさんもわたくしも、これを使うことでより強い力を手にしました」
その力を、キリルはつい最近、目の前で見せつけられた。
(あの力があれば……少しでもパーティに貢献できれば……泥沼から、抜け出すこともできるかもしれない。でも――)
使うだけで強くなれる――そんなに都合のいいものが、この世に存在するのだろうか。
「役に立ちたいんですよね?」
マリアの声はいつもどおりなのに、やけに高圧的に感じられた。

「でしたら使ってみてください、きっといい結果が出るはずです」
「本当に、使っても大丈夫なもの?」
「わたくしも使っていますし、教会の研究の成果ですから。信用してください」
マリアを信用していないわけではない。
キリルはコアを受け取ると、「ありがとう」と礼を告げて、肩にかけた袋にそれを入れた。
本当に用事はそれだけだったらしく、マリアは「どういたしまして」と返事をするとすぐに城の中に戻っていった。
◇◇◇
マリアが城内を歩いていると、白衣を纏った金髪の女が近づいてくる。
彼女は立ち止まり、眼鏡をくいっと持ち上げると、口角を吊り上げた。
「首尾はいかがでしたかぁ、聖女様」
「エキドナさん……ええ、予定通りキリルさんはコアを受け取りましたよ」
「それは良かったですわぁ。せっかくの研究成果、受け取ってもらわないと作り損ですからぁ、んふふっ」
泣きぼくろが特徴的な、艶めかしい女性の名はエキドナ・イペイラ。
教会内部での地位はマザーと同等――つまり、とある研究の責任者である。
「聖女様のコアはいかがですかぁ? 症状が出たりはしていませんかぁ?」
「今のところは。キマイラコアの評判は存じていますから、心配していません」
「んっふふふ、それはよかったぁ。〝チルドレン〟や〝ネクロマンシー〟に負けられませんからぁ。でも私ぃ、聖女様に何かあったらって不安だったんですよぉ? 生きた人間に使うのはレアケースですからぁ」
「ご心配いただきありがとうございます。それでは、わたくしは用事がありますので」
「あらぁ、引き止めてしまって申し訳ありませんわぁ。それでは、またぁ」
女性は
一人になったマリアは、頭に直接響いてくる声に意識を集中させた。
『わるくない』『あとすこし』『もういらないわ』『不安だ』『一刻も早く、復活を』
数多の声を、受信する。
「わかっていますわ、オリジン様」
聖女は微笑む。
『統一する』『接続しましょう』『いや殺せ』『星の意思を消すことが優先である』『次が誕生する可能性はどうする』『接続するべきである』『いいや殺せ、殺せ、殺せ』
頭に流れ込んでくる声は、コアを取り込んだことでより大きくなった。
本来はもっと統一された意思なのだが、特に最近はこうして意見が割れ、ずっと乱れている。
それもこれも――全ては、フラムのせいだ。
「まずはキリルさんを城に送り届けなければなりません」
全てはそれからでも遅くはない。
オリジンの封印を解き、マリアの目的を達するために――
「全ての生命を消し去るために」
彼女はぶつぶつとつぶやきながら、城の外を目指す。
「憎い、憎い、魔族が憎い。だから滅ぼさなければ」
誰も見ていないのなら、と本性をさらけ出す。
「憎い、憎い――」
ノイズが交じる。
首を振って、消し去る。
(忘れましょう)
そんな雑音は、邪魔になるだけだ。
(期待してはいけません)
信じたって、裏切られるだけだ。
「人間が、憎い。あらゆる命が、憎い。だから、滅ぼさなければ」
がりっ、と彼女は親指を噛んだ。
血が流れ出る。
憎悪は、胸に刻み込まれている。
彼女自身の存在価値となって、聖女の皮を被って、ただそれを果たすためだけに動き続けている。
裏切りを受け入れて、妥協して、全てはそれを果たすためだけに。
迷いはない。
この世界に未練など――何も無い(はず)なのだから。