あとがき


はじめまして、二水うなむです。

このたびは、「じゃない孔明転生記。軍師の師だといわれましても」をお手に取っていただき、ありがとうございます。

この作品の主人公である胡昭こしょう、字を孔明こうめいという人物は、正史三国志の魏志管寧かんねい伝にされています。三国志演義には登場しないため、知名度が高いとはいえないでしょう。

三国志は昔から多くの日本人に親しまれてきました。江戸時代、庶民は通俗三国志を読みふけり、関羽を題材とする歌舞伎に興じました。奈良時代の七六〇年に成立した藤氏家伝とうしかでんでは、蘇我入鹿そがのいるかの専横ぶりが董卓のようだったと批判されています。三国志演義が成立するのは一三〇〇年代ですから、それ以前から三国志は日本人に読まれていたようです。

陳寿ちんじゅが記した正史三国志は歴史書ですから、基本的には事実を記録したものと考えてよいでしょう。それから千年ほど後に、羅貫中らかんちゅうあらわしたのが小説三国志演義です。こちらは小説ですから、かなり脚色されていて、七分の実事に三分の虚構ともいわれています。

この三国志演義は空前の大ヒット作となりましたが、その魅力のすべてを羅貫中が独力でつくりあげた、とはいえません。彼は小説家であると同時に、編集者でもあったといえるでしょう。正史三国志はそれ自体すぐれた歴史書でしたが、歴史書だけに味気なさは否めません。そこに民間に伝わる説話を肉付けして、血沸き肉躍る小説三国志演義が誕生しました。

三国志の舞台は、統一帝国の崩壊から分裂へといたる激動の中国です。中国の大衆は三国志の世界を愛し、英雄たちの活躍に思いを馳せました。そこから長い歳月をかけて生みだされた数々の逸話や伝承が、三国志演義という大傑作へとつながったのです。

今でも三国志の輝きは褪せることなく、関連する作品がさまざまな形で世に出ています。そうした作品の作り手たちは、はじめに、ひとつの選択を迫られます。すなわち、正史と演義のどちらに立脚すればよいのか。

本作は正史に基づいた架空歴史小説です。前述したように、主人公の孔明先生が正史にのみ登場する人物ですから、正史の世界観をベースにするのはある意味当然かもしれません。ですが、架空歴史小説というのが重要なポイントです。つまり、なによりおもしろさを追求すべきなのです。三国志演義のおもしろい要素は積極的に取り入れるべきでしょうし、魅力的なIF展開も盛り込んでいくべきでしょう。

孔明先生は在野の道を選びましたが、主人公たる者、争乱に巻き込まれるのが宿命です。きっと平坦な道のりにはならないでしょう。その歩みのなかで、彼がどのような決断をして、どのように歴史を変えていくのか。孔明先生と仲間たちの旅路を、読者の皆様に楽しんでいただければ、作者としてこれほどうれしいことはありません。


二〇二四年四月吉日 二水うなむ