司馬懿は旅を満喫していた。なにしろ家にいると息がつまる。いつも父に監視されているような気分にさせられるのだ。勉強、勉強、勉強。父は自分にそっくりな顔でいう。

「知識は力だ。無学はいずれ自分にはねかえってくる」

言葉は正しいと思うが、それにしても程度というものがある。

司馬懿自身はまだ耐えられた。彼は父の過剰なまでの要求にも、さして苦労しなかった。

けれど、泣きながら文机にかじりついている弟を見てしまうと、さすがに気の毒になる。それで手助けでもしようかと思えば、父は目じりをつりあげて、余計なことをしないか牽制するかのように、じろりとにらみつけてくるのだった。

そんな父に対して、司馬懿は逆に要求した。家にある書物は全部読んだ。すぐれた人物と会うことで見識を広めたい、と。父は最初、うろんな目をして取り合わなかったが、司馬懿が近隣の賢者の名を何人もあげて説得をかさねると、重々しいため息をついて承諾した。

こうして十九歳の司馬懿は旅の許しを得たのだった。

もちろん長い旅ではない。短い旅を何度かくりかえすだけのものだ。それでも彼はいつになく開放的な気分だった。父がつけたであろう司馬家の家人の姿が、ときおり見え隠れしていたにしても。


よく晴れたある日のことである。

司馬懿は旅路の途中、陸渾の城外で不審な農夫を見かけた。農民のわりに肌が日に焼けておらず、服装も妙にこぎれいなのだ。のんびり歩くその姿にも、どことなく品格が感じられる。興味をひかれた司馬懿は、馬からおりて話しかけた。

「この地に胡昭という学者が暮らしているはずなのだが、どちらにお住まいか知っているかな?」

陸渾の胡孔明。彼に関する噂はよく耳に入ってくる。

いわく、許子将を上まわる人物鑑定眼の持ち主であり、董卓の破滅を予言した。

袁紹や曹操からの仕官の誘いを毅然と拒絶し、逆に彼らに君子の道を教えさとした。

飢民を救うために、官職をなげうち、農具や料理の研究開発にいそしんでいる、などである。

噂は噂でしかないだろうが、端倪たんげいすべからざる人物であることはまちがいない。

今回の司馬懿の旅の、本命ともいうべき相手である。

民衆からも「孔明先生」と呼ばれて親しまれているらしい。この農夫も陸渾の住人ならば、孔明のことは知っていよう。

「…………」

農夫は目をしばたたかせると、一瞬だけ笑いをこらえるような表情を浮かべ、孔明の屋敷への道順を丁寧に教えてくれた。

司馬懿は礼をいうと馬に飛び乗った。そして、馬を歩かせながら思う。

「……ただの農夫ではないな。少なくともただの農夫にしておくのは惜しい」

理路整然とした、わかりやすい説明だった。言葉づかいもしっかりしていたし、なにより両眼に知性の光があった。

司馬懿が陸渾の県長であれば、まちがいなく役人として召し抱えている。

「もしかすると、胡昭……の弟子だろうか」

孔明は潁川で庶民に読み書きを教えていたという。

この陸渾でも私塾をひらき、同様のことをしているそうだ。

士大夫の子弟も門下にいるようだが、いわゆる名家と呼ばれるような、力のある家の子弟は弟子に取っていない。権力に近づくつもりはないとの意思表示であろう。

「権力闘争に巻きこまれたくないという気持ちはわかるが、……甘いな」

大勢の人々を救いたいのであれば、力は必要だ。

能力があり、民を救うという意思があるのなら、権力に近づくことをためらうべきではない。

司馬懿にしてみれば、孔明の隠士的な思考は、明確な減点対象であった。


孔明の屋敷に着いた司馬懿は、屋敷の主人が留守にしていることを伝えられた。学堂内で門下生たちの様子を観察して待つことにしたのだが、そこでつまらない人物にからまれてしまい、学堂内の空気はすこぶる悪くなってしまった。やりこめるつもりも、怒らせるつもりもなかったのだが、いいかげんな知識で知ったかぶりをされると訂正したくもなる。相手がまちがっていようと笑っていられるだけの度量を、身につけたほうがいいのかもしれない。

司馬懿が無表情の下で反省していると、学堂内の空気が一瞬にして切り替わった。

立派な身なりをした、士大夫らしき男があらわれたのだ。

穏やかな空気をまとったその男は、先ほどの農夫であった。

「孔明先生」

どこからか、安堵したようなつぶやきが聞こえてくる。

──なるほど。

司馬懿は得心すると同時に、彼の正体を見抜けなかった理由を悟った。

孔明はたしか三十六歳のはずだ。しかし、目の前の人物は若々しく、三十にもとどいていないように見える。前もって孔明に関する情報は頭の中に入れていたのだが、それがかえって目を曇らせることになったのだろう。自分の失敗を分析しながら、司馬懿は拱手して名乗った。

「先ほどは失礼をいたしました。私は胡先生に教えをこいたく、河内郡温県の孝敬里より参りました。姓は司馬、名は懿、字は仲達と申します」


別室に案内された司馬懿は、孔明と存分に語りあった。

孔明は言葉数が多い人物ではなかった。だが、口下手というわけでも、会話が苦手というわけでもなさそうだった。こちらが切り出した散文的な話題にも、興味深そうにつきあってくれる。そうした話題のなかには、天下の情勢や各地の群雄の動向といった答えに窮するものもあったはずだが、孔明は動揺の色をまったく見せず、そればかりか司馬懿以上の認識や洞察をしめすことすらあった。

いままで会ってきた賢者のように、古典的教養を利用してごまかしたり、論点をずらしたりすることもないのだ。驚嘆すべき知識量であり、知性であった。

司馬懿としては感服しきりである。舌を巻く思いだった。

思わず彼はこぼした。まるで何でも知っているようだ、と。

すると孔明は、わからないことはわからない、と強く主張するかのようにいった。

「何でもは知らぬ、知っていることだけだ」


その夜、司馬懿は孔明の屋敷の客室に泊まった。

なかなか寝付けなかった。

寝台の上で身を起こして正座すると、孔明との会話を思い出し、反芻はんすうする。

「何でもは知らない、知っていることだけ、か。…………深い」

事実そのとおりだとしかいいようがないし、真理ともいえるだろう。このうえなく単純なことであるが、誰よりも物事を知っていそうな人物の言葉だと思うと、考えさせられるものがあった。

賢者を名乗る有象無象うぞうむぞうは、知識を武器とし、さも答えを知っているかのようにふるまっていた。そうして人々の敬意を集めようとする、底の浅い人物ばかりだった。

だが、孔明の知性は、彼らとは一線を画している。

『学はおよばざるがごとくせよ』

まだまだ自分は十分ではないという気持ちをもって、学問に励みなさい。

孔子が残したその言葉を、孔明の姿勢はまさに体現しているかのようにすら思われた。

ところが、そう考えると、司馬懿は困惑をおぼえ、混乱するのだった。

孔明は天下の名士とうたわれる人物である。儒教を重んじていないわけがないのだが、彼からは儒教の匂いがあまりしないのだ。

儒教に染まっていないにもかかわらず、孔子の言葉を体現している。

矛盾しているように思う。

そもそも、あれだけ天下の情勢を緻密に分析している人物が、天下国家に無関心なわけがない。

それなのに、なぜ隠士の道を選んだのか。

矛盾の塊であるように、司馬懿は思う。

孔明の思考の軸は、いったいどこにあるのだろうか。

「……底が、見えない」

いまの司馬懿に、孔明の本質をはかることはできない。それだけがたしかな事実である。

この夜、司馬懿が感じた奇妙な興奮と混乱は、翌朝、この地を去ってからも、彼の胸の中でくすぶりつづけるのだった。