閑話二 一番の崇拝者 その二
私が彼と初めて相対し、『大人として』言葉を交わしたとき、私は驚愕させられた。
『不気味な子供だ』、賞賛を通り越し、頭に浮かんだのは、ただその言葉だった。初めて、まだ少女ともいえたクリスさまに会った時も驚いたが、今回はその比ではなかった。正式に言葉を交わす前は、たかが三歳の子供、ソリス家の神童と呼ばれていても、優秀な若者なら私も王都で散々見てきた。最初はその程度にしか思っていなかった。だが、話をしてみるとどう考えてもおかしい。
私は意地悪をして、敢えて大人として彼に質問した。だが返ってくる返答の内容や考察力、それらの端々に、溢れんばかりの知性が垣間見えた。わざとたどたどしく喋っている姿に、私は悪い意味での、あざとささえ感じた。そして、彼が私を見る目は、何かおびえるような、異様なまでに気を遣っている素振りもあった。そんな三歳の子供など、今まで見たことがない。これが私とタクヒールさま、私が持てる最大限の敬意を払い、そして崇拝するお方であり、ソリス家の将来を担う方との出会いだった。
私は今、新興のソリス男爵家で、身に余るほどの待遇と領主一家からの信頼を得ている。
元はコーネル男爵領の下級官吏の息子として生まれ、父と同じ道を進むべく、いや、王都の官僚となる野心を抱き、王都の学園に入学し、そして大きな夢を実現すべく一歩を踏み出した。
学園には才気あふれる若者も多く、その中でも私は必死に学び、それなりの成績も残した。
だが、そこではじめて知った。私のような平民の身分では、どれだけ優秀な成績を納めても中央の官僚にはなれないこと、大貴族の官僚すらなれず、下っ端役人か、せいぜい下級貴族の官僚どまりであることを……。この王国では決して打ち破れない、身分の壁があることを思い知った。
卒業後はコーネル男爵領に戻り、ただ生活のためだけに、執事見習いとして仕え始めた。この時の私には、将来への興味も希望もなかった。だが男爵領では思いもよらぬ幸運に恵まれた。
「お前は実に愉快な、そして優秀な男だな」
少女といって差し支えない年の、長女クリス様の目に止まり、彼女の意向で半ば強引に専属従者となっていた。男勝りなだけでなく、内政面でも非常に優秀なクリス様は、『男に生まれていたら……』と周囲がため息を漏らすほど、男爵領の統治にはなくてはならない存在として、子供ながらに幅広く活躍していた。
クリスさまはその優秀さ故に欠点もあった。優秀であるために、仕える者に対してもつい、同等の感覚で仕事の成果を求めてしまうことだ。これまでも従者たちは、彼女に付いていけず、早々に音を上げてしまっていたらしい。そのため、彼女の専属従者となった私にも、普通の文官なら三日で音を上げてしまうほどの激務が舞い降りてきたが、元々、中央官僚志望だったことも幸いしたのか、私は与えられた任務を黙々とこなし、クリス様の期待を裏切ることは一度としてなかった。
「やはり私の目に狂いはなかったわ!」
上機嫌のクリス様からは、仕事面での信頼も高くなり、彼女の、打てば響くような明快で聡明な応答は、私にとっても非常に居心地が良いものだった。このままコーネル男爵領で内政に従事するのも悪くない、私はそう思い始めていた。
そんなある日、クリス様がソリス男爵家へ嫁ぐことが決まった。
相手は新興の弱小男爵、領境を接する隣領とはいえ、魔境に接した未開の地が多く辺鄙な領地であり、ハストブルグ辺境伯の強い意向がなければ、彼女が嫁ぐことすらなかったであろう。もちろんそんな場所に、従者として付いていく希望者も少ない中、私は真っ先に手を挙げた。
「もう、レイモンド、貴方も物好きね。損な性格しているわよ」
そうため息を吐いたクリスさまは、とても嬉しそうだった。
「ご一緒できるなら、私にとっては最大の喜びです。辺境に手を入れ、豊かにしましょう」
それは、私の本心の言葉だった。ソリス男爵がどんな方かは分からない。でもクリスさまなら、どんな男でもしっかり手綱を握り、御しえるはずだ。騎手がしっかりしていれば、たいていの暴れ馬ですら大人しく従う。そして彼女の才覚を以てすれば、たとえ新興の辺境地域、未開の領地開発すら刺激に溢れ、きっと楽しいだろう、そう思った。
実は私には誰にも話していない秘密がある。この国では非常に希少で、聞くところによると五千人に一人ともいわれる、魔法士の適性が私にはあるのだ。
私が王都でまだ学生のころ、とある貴族の息子と賭け事をして私は勝った。相手は身分を笠に着た嫌いな奴だった。勝ちの代償に、本来は彼が受ける予定だった、魔法士としての適性確認儀式を受けた。もちろん彼の支払いで。
その時私が受けたのは、出身地に縁のある地魔法士、気紛れで選んだ時空魔法士の確認だった。残念ながら、地魔法士の適性は無かった。無くて当然と思っていたので、残念とも思わなかったが、驚いたことに、時空魔法士として私には適性があった! それはあり得ない確率のものだ。
その偶然に驚愕した私だったが、手を尽くしてその事実を秘匿した。
私が使えた時空魔法は非常に特殊なものだったからだ。通常、時空魔法士は、空間収納と呼ばれる魔法を使い、自由に物を収納、取り出しできる能力を持つ。だが、時空魔法士に限らず、通常とは別の魔法が使える代わりに、本来あるべき能力が使えない者がいる。それが私だった。
私の魔法は、空間探査と呼ばれるもので、一定エリア内の、どこに誰がいるか、その相手が私にとって
この王国では魔法士は優遇されており、これで望む仕官も夢ではないかも知れない。
だがきっと、こんなスキルがあれば、従軍させられ斥候として最前線で使い潰されるか、貴族に囲われ政争の具にされるか、魔境にて魔物狩りを生業とする者の一員となるか、そんな未来しかないように思えた。どれも殺伐として、私が希望する内政とは全く縁がない仕事ばかりだ。
なので私は、魔法が使えることを秘匿し、この先、誰にも一切口外しない、そう心に誓った。
もちろん、コーネル男爵家に仕える時も、この事実を伏せたままお仕えした。この力が、将来の私に大きな転機をもたらすとは、この時は思ってもみなかった。
新興のソリス男爵家に移ると、色んな所で人手が足らなかった。私はクリスさまの推薦もあり、比較的重要な地位、内政官のひとりとしてエストの街で働くこととなった。活気ある新しい街は、多くの商人、移住してきた者、仕事を探しにやってきた者で溢れていた。私は自身の魔法スキルを活用し、信用の置ける者だけを選び、彼らを積極的に登用、配下として仕事に就かせていった。
彼らはみな、私の期待通り働いてくれたおかげで、私が担当した部門は、行政府の中でも突出した結果を残し始め、数年後になると、男爵からも私の働きぶりが高く評価されるようになった。
その結果、二十代にして家宰という大任までいただくことになり、男爵家の序列第三位として、領内の内政全般を統括するようになっていった。そのころになって二つの不思議なことに気付いた。
一つ目は私の時空魔法、空間探査能力の変化だった。
これまでは、私個人にとって、
二つ目はソリス男爵家の次男についてだ。
不気味な子供と思っていたタクヒールさまについて、あるとき驚くべきことに気が付いたのだ。タクヒールさまは、幼児と言っても差し支えない年齢にも拘らず、その知識と発想力には驚くべきものがあった。それは彼が三歳の時に気が付いていた。そのため私は、日々彼を注意深く観察していた。驚いたのは、タクヒールさまと関わった人間たちの色が、どんどん変わっていくのだ。
当初は男爵家に
私の中で、『不気味な子供』はもういない。非常に興味深い、そして、ソリス男爵家の今後を左右する存在になるかもしれない子供。私の中でごく自然に、その認識へと変化していた。
次に私は新たなる手を打った。
家宰として、日々発展する男爵領の内政全般を統括する立場は多忙を極めた。これではタクヒールさまを見守ることも、その動向を追うこともできない。そこで私は、本来なら長男のダレクさま付きとして確保していた、優秀なメイド見習いを、私の権限で、タクヒールさま付きに変えた。
そして彼女、アンには毎日、その日のタクヒールさまの様子を報告するよう義務付けた。
当初アンは、私の決定を恨めしく思ったかもしれない。跡継ぎとなる長男と、将来を閉ざされた次男では雲泥の差がある。だが私は、意気消沈する彼女を敢えて慰めなかった。これは彼女に対しても、私が与えた重要な試練、いや試験となっていたからだ。
彼女が私の目論見、本当の意図に気付けば合格だ。だが、気付かなければ別の者に代える。
「アン、誠心誠意努めれば、報われるときもあります。頑張りなさい」
ただそれだけを、私はアンに伝えた。
アンを専属に配してからは、まさに驚愕の毎日だった。タクヒールさまは、私も見たこともない道具を考案し、製作しようとしている。珍しいだけではない、それらがこの領地を救うかもしれない物なのだ。私はこの発表会があるとアンから聞き、急ぎダレンさまとクリスさまに面会し、参加したい旨を申し入れた。そして、その結果は予想通りのものだった。
私はクリスさまと協議し、彼の提案を実現すべく、行政府の権限を最大限に発揮して対応した。
その後もタクヒールさまの行動は、驚きに満ちていた。まるで何らかの危難を知り、それを必死で回避しようとしているかのようだった。そんな鬼気迫る様子が、アンの報告を通して見て取れた。事実、ここ数年間の彼の提案は、客観的に後から見れば、起こるべき危機に対して、事前に対策を行い、それを見事に回避している。
もしかして、彼は私と同じく、隠された何らかの魔法スキル、未来予知のようなスキルがあるのではないだろうか? いつのまにか私は、そんなことを思うに至っていた。たとえ今後、彼が未来の危険を予知できたとしても、周りの大人たちから見れば、たかが子供の発言、真剣に取り合ってもらえないこともあるだろう。そして私の空間探査と同様に、他人に見えないものを、根拠として示すことは難しいだろう。
その時から私は、自分の権限の及ぶ限り、最大の理解者として、タクヒールさまを陰日向に支えていこうと誓った。私が想像もできない新しい世界、輝かしいソリス男爵家の未来を、目の当たりにできるかもしれない。それが私の楽しみになった。
アンから受ける『今日のタクヒールさま』、と題した報告は私が毎日楽しみにしている日課だ。
当初は興味なさげに、淡々と報告してきたアンも、いつの間にか言葉に熱がこもり出した。
きっと彼女も私と同様に、彼の価値に気付いたようだ。これで彼女も晴れて合格だ。
ところがある日、彼女が予想外のことを言い出した。
私を超え、『タクヒールさまの一番の崇拝者になる』、そう言い切った時には少し面食らったが、私の人選は間違ってなかった、そう確信し嬉しかった。彼女は合格どころか、満点だといえよう。
私は彼女に、メイドや護衛に留まらず、筆頭従者としての任務を与え、その権限と予算を与え、タクヒールさまのために、自由に使うよう指示した。アンは大喜びで、私の抜擢に感謝し、以後も変わらない、タクヒールさまへの忠誠を誓ってくれた。
ちなみにだが、もちろん今後も、私は一番の崇拝者の座を、彼女に譲る気は全くない。
今も、そして、この先もずっと。