閑話一 一番の崇拝者 その一

私は当初、あまりにも無慈悲で、意外な命令に戸惑っていた。

私たちのようなメイド全てを取り仕切る、家宰のレイモンドさまから言い渡されたのは、想像もしていなかった指示だった。


「アン、今日より貴方は正式にソリス男爵家のメイドとなります。同時に、タクヒールさまの専属メイド兼護衛役として、以後、誠心誠意お仕えなさい」

てっきり私は、いずれ男爵家を継ぐ長男のダレクさまにお仕えするものと思っていた。それを目標に、これまでずっと厳しい訓練にも耐え抜いてきた。母からは将来は筆頭メイドとなるべく厳しく躾けられ、父からは主人の護衛として、また戦陣にもお供できるよう、毎日厳しい戦闘訓練も受けてきた。その甲斐あって、私は十五歳で達人と呼ばれる階位まで、剣の腕をあげることができた。

いずれ剣豪と呼ばれる父をも凌ぐ、そんなことを目標にしていた。

ところが、レイモンドさまの指示は、今まで私が目標にしてきたこと、それら全てが覆ってしまい、無駄となってしまう、そう思えてならない内容だった。何か私に、ご不興を買うような落ち度でもあったのだろうか? 絶望から立ち直ったあとも、日々そんなことばかり考えていた。


正直、私は今お仕えしているタクヒールさまが好きではない。

その最大の理由は、あの方の言動やお振舞いには、貴族の一員としての自覚が全くないことだ。ソリス家の神童と呼ばれているが、子供とは思えない、不気味なあざとささえ感じることもある。最初は何度も、子供だから仕方ないことだと自分に言い聞かせていた。

だが、あの子供に……、いやこれは失言だ、あのお方の傍に仕えて、日々の様子を見ていると、明らかに子供らしくない、十分に大人といって差し支えない、そんな振舞いが多々見られた。

見た目は五歳の子供。それは間違いない。でも行動や思考は明らかに五歳の子供ではない、十分に大人のするそれだと分かる。時折わざと、口調や態度を子供っぽく偽っている様子も、私から見れば見え透いた行動であり、逆に嫌悪感さえ覚えたくらいだった。


あの人は子供ではない、少なくとも中身は。そう考えを改めると、今度は嫌というほど貴族として自覚に欠けた行動が目に付く。それが表に出ない私の苛立ちとなり、いつも距離を置いて、慇懃いんぎん無礼に対応していたように思える。このまま放置すれば、私の評価まで下がってしまう。

これ以上、レイモンドさまからの評価を下げる訳にもいかなかった私は、方針を変えた。

私はこのお方、問題児の教育を任されているのだ。

「もう少し貴族としての立ち振る舞いを、どうかお考えください」

お仕えして早々に、この言葉を言うのは諦めた。その代わりに私は、いつの間にか淡々と冷たく諌言を言い放つようになっていった。

「このように気安く、まるで庶民の子供が接するように対されるとは、思ってもいないでしょう。なのであちらも、男爵家のご令息と畏まることもなく、気安くお相手してくれるのでしょうね」

もちろんこれも、私流の諌言だった。こういった意地悪な、そして無礼とも言える言い回ししかできなかったのは、目標を失った自分自身への苛立ちと、不気味な子供に対し、意図的に距離を取りたかったのだと思う。


だが、ふとある時、タクヒールさまに対する私の気持ちが微妙に変化した。彼は彼なりに、必死にエストール領の未来を考えているのではないだろうか? 男爵家の誰よりも……。

多くの本を読み、蓄えた叡智を、ソリス男爵家の未来に活用しようとしているのではないか? ふと、そんなことを思うようになった。

そう考えると、彼の突飛な行動も、その目的のための努力の一端だと理解できるようになった。

それからの私は、タクヒールさまを見る目に、偏見や卑屈な自己の思い込みは一切なくなった。


彼がよく訪れていた工房は、職人気質、言ってみれば仕事に対するプライドがとても高く、たとえ貴族、領主の子弟が相手だろうと、微塵も媚びることがない。私は最初、彼らの無礼な振る舞いに対し憤慨した。一瞬、この手にした剣で刺し、無礼な口を縫い付けてやろうと思ったぐらいだ。

その彼らが、タクヒールさまの貴族らしくない行動で、いつの間にか仲良く打ち解けて積極的に協力し始め、今ではタクヒールさまに最大の敬意を以て接している。

かたや私は個人的なことで拗ね、矮小な考えで、何の罪もない子供に当たっていたのだ。そんな私に対し、タクヒールさまは変わらず接してくれていた。本当に恥ずかしい。子供だったのは私だと気づかされた。そして、タクヒールさまの考える未来、その叡智に触れる機会が増えていった。


・今まで見たことのない、水車という物の開発で耕作地を増やし、小麦粉を大量生産する提案

・乾麺という、新しい携行保存食の開発や、大豊作を逆手に取った、義倉制度の提案

・天候の変化を先取りした提案で、男爵家は豊かになり、商人に対し常に優位に立っていること

・蕪という、誰も見向きもしなかった食材を事前に準備し、領地の窮地を救ったこと


試作段階では乾麺も蕪も全く美味しくなかった。ただその食材を廃棄することなく、文句ひとつ仰らず、毎日毎日、飽きることもなく我慢して食べ続けられていた。この地の未来を考えた上で。

これこそ、君主となられる方の器ではないか? 私はそう思い始めていた。ひとたびそう思うと私は、むしろ積極的に、あの方の奇行のお手伝いをしていたかもしれない。館の庭すべて、蕪畑にしてしまった時は、ご当主のダレンさまよりお叱りを受けたが、私は全く気にしなかった。誰にもタクヒールさまの邪魔はさせない。むしろ私にとってそれは、決して許せないことだった。


そして、タクヒールさまの予言通り訪れた大凶作。だが、エストール領はタクヒールさまのこれまでの対策で、びくともしなかった。いや、むしろ更に力を付けていったと言えるだろう。

一連の流れを知っている者がいれば、きっと震えが止まらなくなるだろう。全てが最初の一手から連動しているのだ。そして困窮した民には、分け隔てなく救いの手を差し伸べる難民施策、ただ施しを与えるだけではなく、自立の道もちゃんと考えられておられる。

この人こそこの地の領主、いやもっと大きな立場に立つべき器の方だと、私は確信した。


そして次は、誰もが思いも寄らなかった、敵国の脅威を予想したうえで、強力無比な新兵器の開発まで行われた。この方のお考えは、いつも私の想像の遥か上をいっている。どうやってこの脅威を察知し、どこからこの発想を得られたのだろうか?

そして私は気付いたのだ。十歳も年下で、まだ年端もいかない子供に対し、私は尊敬の念をいだき忠誠を誓っていることを。

「わが命にかけても、全身全霊を懸けてお護りいたします」

無意識に出た言葉であった。任務として与えられ、復唱するかの如く言う軽い言葉ではない。

私は誓った。タクヒールさまの一番の理解者となろう。この方が成そうとすることの助けになるよう、積極的に手を差し伸べようと。以前は目くじらを立てていた、貴族らしくない行動なんて、もうどうでもよくなっていた。それがあるからこそ、この領地は救われているのだ。

そんなことを理解せず、あの方の行動に目くじら立てる愚か者は、私が排除する。私はむしろ、この役割を期待されて家宰から抜擢されたのでは? そう思うようにすらなっていた。

タクヒールさまの専属になるに当たって、私には重要な任務がひとつ与えられていた。

『今日のタクヒールさまの行動』、についてレイモンドさまに報告することだ。

毎回、できる限り客観的な報告をと心掛けているが、最近は無意識に思いを込めて、熱く語ってしまうこともあるかもしれない。だがそれは、事実だから仕方のないことだ。

どれだけ忙しくても、毎日欠かさず報告を楽しみに聞く彼なら、きっと分かってくれるはずだ。

ある日、報告が終わったあと、レイモンドさまが意外なことを私に言ってこられた。

「アンはすっかり、タクヒールさまの二番目の崇拝者になりましたね」

何か咎められるのだろうか? もちろんそんなことは気にしないが、譲れない部分もあった。

「二番目ですか?」

彼は優しい笑顔を浮かべ、私の不満に答えてくれた。

「私は一番の座を、君に譲るつもりはありませんよ」

そう言ってレイモンドさまは胸を張り、優しい目で私を見つめた。

この時になって確信した。私が敢えて長男のダレクさまではなく、タクヒールさまの専属になった意図が、そして家宰のタクヒールさまへの思いが、今はっきりと。私は、この任務を与えてくださった、レイモンドさまにも改めて感謝し、深くお辞儀した。そして最後に、感謝の気持ちを込めて、私の気持ちをお伝えすることにした。

「私も一番である自信があります。そして、それをお譲りする気もございません。重大な任務をお任せいただいた、レイモンドさまには大変恐縮ではありますが……」