第三十話 歴史は繰り返す(カイル歴五〇三年 十歳)

洪水が収まった翌々日、レイモンドさんが各地に放った諜報員から、エストール領内外の被害状況が届き、俺達のもとに真の凶報がもたらされた。


「あくまでも現時点で、調査がまとまった範囲内での情報です。エストール領内に限って言えば、この規模の災害としては、非常に軽微な被害だったといえます」

「領内で被害を受けたのは、エール村のみかね?」

「人の住まう地域、農地の被害だけを見れば、今回被害を受けたのはエール村だけとなります」

「では、人の住まない場所、農地以外の場所はどうなっている?」

「差し当たり急ぎ復旧が必要な被害は、フランに通じる街道と橋、その一帯ですね」

「レイモンド、現状で不都合な点は何かしら?」

「現在、フランの町とは街道を利用した食料や鉱物の輸送ができません。ここは重要な街道ですが物流が完全に止まってしまうため、早急に修復工事を行うことが必要です。その他の地域では、堤が崩れて水に沈み、今なお通行不可能な場所はそれなりに有りますが、これらは当面後回しで構わないでしょう。クリスさまには、この対応を優先していただきたく思います」

「ところで近隣の被害はどうなっているの? レイモンドが把握している範囲で構わないわ」

「クリスさま、大前提として、あくまでも諜報の及ぶ範囲で得た情報という点はご容赦ください。ゴーマン子爵領でも、それなりの被害を受けた模様ですが、既に復旧作業に入っているようです。深刻なのはヒヨリミ子爵領です。下流域は甚大な被害を受けており、全容は掴めていませんが、領境に接する町は完全に水没したようで、近隣の村々も深刻な被害を受けているとのことです」

そう、今回の水害は、隣接する領地の方が格段に大きい被害を受けていた。

家宰が収集した被害情報は、俺の予想を遥かに超える痛ましいものだった。


◇エストール領

被災者 約一五〇名(死者行方不明者なし)

被災地 エール村(床上浸水、農地は全滅)

他被害 フラン方面の街道、橋(通行不能)


◇ゴーマン子爵領

被災者 推定約四〇〇名(人的被害は不明)

被災地 農村二か所(床上・床下浸水、農地も全滅または被害甚大と推定)

他被害 水車を用いた施設群(損壊多数)


◇ヒヨリミ子爵領

被災者 推定約二〇〇〇名(死者行方不明者多数)

被災地 町一か所と農村五か所(家屋全壊、死者行方不明者多数、農地被害多数)


「そんな……」

報告を聞いて俺は絶句して言葉も出なかった。

「ゴーマン子爵領では、事前に洪水対策を行っていたため、被害も小さく抑えられたようです。ただ、ヒヨリミ子爵領では何の対策も行われず……」

「サザンゲートの戦で三分の一の兵力を失ったばかりだ、余力もなかったのであろう」

父の返答はあえて好意的に表現した内容だったと思う。

実際は、我々の忠告にも聞く耳を持っていなかった。

少しでも真摯に受け取ってもらえていたら……、こちらがもう少し粘り強く警告していたら……、失われた命を少しでも救えていたかもしれない。

俺は後悔とともに激しく落ち込んだ。

第一回定例会議の時、妹のクリシアが何気なく言った一言、それが何度も頭を何度もよぎる。

『ねぇねぇ、もしどっちも水が溢れなかったら……、そのお水はどこに行くの?』

その言葉の意味すること、事の重大性に気付いていなかった。いや気付かない振りをしていた。

失われた命はもう帰ってこない。だが、これから失われる命は少しでも救いたい。

落ち込んでばかりじゃ駄目だ。俺は決心した。


「父上、母上、お願いがあります! 被災地対応のために編成していた災害救援部隊を、ヒヨリミ子爵領に派遣しましょう。被災した一人でも多くの人に、救いの手を差し伸べたく思います」

「うむ……、こればかりは相手のあることゆえ、何とも言えんが……」

父は少し弱気だった。まぁ、これまでがこれまでだし、相手は貴族として格上だ。

「貴方、こういう時こそ、私たちの在り様を見せるべきだと思います」

母が後押ししてくれた。

「タクヒールさまも配下の救援部隊を編成して、いつでも出られるよう準備を整えておいでです。供出できる救援物資の用意は、全て整っております」

レイモンドさんも後押ししてくれた。

「よし! 時間は貴重だ。タクヒールよ、救援部隊を率いてヒヨリミ領に向けて直ちに出発せよ! こちらからはヒヨリミ子爵に対し、災害援助の用意がある旨をしたため、直ちに早馬を送り出す。万が一、先方で拒絶されれば、手前のエールの村に留まって、予定していた救援活動を実施せよ。タクヒールは男爵家の名代として同行、護衛には兵士百五十名と双頭の鷹傭兵団を付ける」

心が定まれば、父の決断は早かった。

俺は会議終了後、事前に編成していた部隊と救援物資を伴い、直ちにエストを出立した。


救援に向かう途上でも、俺の表情は冴えなかった。今回の対応で自己嫌悪に陥っていたからだ。

「貴方はできる最善のことをされたのです。ヒヨリミ子爵領にも、事前に通告し対策を促しました。救われた多くの命のこと、いま苦しんでいる方に何ができるか、それだけをお考えください」

沈んでいる俺に、アンは優しく語り掛け、そっと抱きしめてくれた。

「一人でも多くの命を救うため、懸命に動かれています。おひとりで全て背負わないでください。人はみなそれぞれが、できる範囲のことしかできないのですよ」

そう慰めてくれたアンの言葉で、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。


今回の災害では、三つの領地で合計、一つの町と八つの村が被害を受けた。

前回の歴史でマーズの町と穀倉地帯に集中した災厄が、今回は他領に分散したとも考えられる。そう、本来は被害を受ける予定ではなかった地域に。

そういえば、サザンゲート殲滅戦でも、ソリス男爵軍が受ける被害は回避したものの、代わりにヒヨリミ子爵軍が全軍の三分の一を失うという、甚大な被害を受けていたはずだ……。

『歴史という名の悪意』は、俺が行った改変に対して、常に帳尻を合わせるため、その爪痕を残してくるのではないか?

本来は失われる予定ではなかった命に対する罪悪感、この先に俺が行う改変に対しても、歴史は等量の代償を要求してくるのではないだろうか……、俺はそんな恐怖をずっと感じていた。

今まで俺は、歴史からうまく逃げることだけを考えていたのかもしれない。

だが、いくら逃げても、歴史という名の悪意は、俺を追ってくる可能性があることに気付いた。

そのことに心を痛め、悩んでいた。

ここから先、もう逃げるだけでは済まない。正面から向き合い、戦って行かなければならないのだ。

アンのお陰で、改めてそう思い直し、覚悟を決めることができた。


ヒヨリミ子爵から正式に救援受諾の返答が来てからは、俺たちは移動の足を更に速めた。

「エラン、メアリー、サシャ、みんな、連日休みなしで辛いだろうけど、もう少し力を貸してね」

「勿論ですっ! せっかく力を与えていただいたのです。こんな時でもご恩に報いないと」

「もしかすると、私の町がそうなっていたかも知れません。なので他人事には思えなくて……」

「私も今回のことで初めて人の役に立てました。こんな私でも役に立てるのが嬉しいです!」

それぞれ三人から嬉しい返事があった。あともう少しだけ……、彼らの好意に甘えよう。

今回の救援部隊は、中核となる射的大会実行委員たち、受付所や難民救済時に活躍した人たち、そして、過去に難民として救済を受けた側の人たちで構成されていた。

「私たちは以前受けた、ご恩に報いる機会をいただいたのです。救われた感謝を、今度は自分たちが救援する側でお返ししたいです」

そんな声を上げて、彼らは真っ先に駆けつけてくれていた。

そういった訳で、救援部隊には俺が見知っている者も多く、気心も知れているため、彼らは俺の思いを知り、それを前提に動いてくれている。彼らには基本的な指示など必要なかった。しかも、炊き出しや救援活動に慣れ、指揮系統含め組織としての動きができ、非常にやりやすかった。


災害救援部隊の構成は、大きく三つの指揮系統に分かれている。


指揮系統  五〇名 実行委員メンバーや受付所などの直属部隊

実働部隊 一五〇名 以前に共に働いたスタッフや、過去に救済された元難民たち志願者

護衛部隊 一五〇名 傭兵団三〇名と常備軍兵士一二〇名


俺たちはオルグ川沿いに東へと移動したが、進むにつれて周りは洪水の爪痕を多く残していた。

ヒヨリミ領へ向かう途上、エストール領で唯一被害を受けたエールの村に差し掛かったとき……。

「人的被害がなかったとはいえ、多くの住居は倒壊し、畑は全滅している。アン、これではエール村の被害も無視できないんじゃないかな?」

「そうですね。数字を聞いただけでは、私もここまで酷いとは思っていませんでした……」

ここで俺はもう一つ決断した。

「クレア、申し訳ないけどお願いしていいかな? 指揮系統から十名、実働部隊から三十名、護衛部隊から三十名を預けるので、ここに留まり救援部隊を指揮してエールを救ってくれないかな? クレアなら安心して任せることができる。ここの被害も深刻だし、素通りするのは心が痛むからね」

「承知しました。そう仰っていただけて嬉しいです。受付所にも、エール出身の者もおりますし、私自身も、少しでも村の方々をお助けしたく思っていました」

正直、アンに次いで俺と長く行動を共にしてきたクレアは、俺の思いを十分に理解している。

そして、こういった場面では、彼女は遺憾なくその指揮能力を発揮するはずだ。

俺は安心してクレアに部隊の一部を預け、エールの対処を任せると、その先へと進んだ。


そして、派遣部隊が領境を越え、しばらく進むと景色が一変した。

「これほどとは……」

「酷い……」

救援部隊に所属するそれぞれの者たちが、被害の凄まじさに驚き、言葉を失った。

俺自身、かつて日本に居た際、映像を通じ色んな災害現場を見てきたが、現地の凄惨さは実際に目にするのと、映像で見るだけでは全く違っていた。

濁流に押し流された、かつては町だった泥濘の地、泥にまみれ飢餓で苦しむ人たち、まだ埋葬もままならない多くの遺体、行方知らずの身内を探し、呆然とあたりを彷徨い回る人々……。

正直、何も言葉にならなかった。

これから、少しでも彼らに救いの手を! 皆が共通してそんな思いを強くした。

俺たちは到着後、直ちに指揮所を設営し、物資を集積しつつ、炊き出しなどの準備にかかった。

そこでヒヨリミ子爵領家側、現地の救援活動を行っている、先方の家宰一行に合流した。

「この度はソリス男爵による、迅速なご支援、領主領民に代わって深く御礼申し上げます。皆様の受け入れと、こちらでの復旧作業を指揮しております、家宰のヒンデルと申します」

長年の苦労を重ねた深い皺が刻まれた、銀髪の壮年男性が丁寧に挨拶してきた。

「困った時はお互い様です。私は今回の派遣部隊を率いる、ソリス男爵家次男のタクヒールです。この度の水害、ソリス男爵に代わりお見舞い申し上げます」

第一印象だけだけど、これまで噂に聞いていたヒヨリミ子爵領の人間にしては印象が良かった。尊大で傲慢だけど白黒はっきりした、ある意味わかりやすいゴーマン子爵。表立って態度を明確にしないが、裏では何かを画策し、何を考えているか分からないヒヨリミ子爵。

どちらも領主を鑑として、家臣も似たり寄ったり。そんな話を聞いていたこともあったため、彼の丁寧な、そして表裏のない誠実な対応は意外だった。


もちろん、中にはすごく嫌な奴も居た。

先方の領主名代としてやって来た、ヒヨリミ子爵次男、ヒヨリミ・フォン・エロールだ。

前回の歴史では、六年後の疫病で亡くなった、父親と長男に代わり奴が次期当主となる。

「なんだ、蕪男爵の一族は、貴族でありながら幼い子供でも、領民と共に泥まみれで働くのか?」

第一声がこれだった。

「我らには到底真似のできない、まさに偉業というべきだな」

助けに来てもらって、それが言えること自体、違う意味でお前の偉業だよ!

そう思ったが、俺は黙っていた。


尊大で陰険な目つきのこの男、俺が会うのは初めてではない。もっともそれは前回の歴史でだ。彼とは幾度ともなく王都や戦場で出会い、そして良い印象は全く残っていない。

典型的な嫌な奴……、訂正、凄く嫌な奴だった。

力のある目上には媚びへつらい、力のないもの、身分が下の者には徹底的に尊大に振る舞う男。彼こそが、前回の歴史にて俺の破滅を導いた男であり、グリフォニア帝国に内通して、エストール領内にヴァイス軍団長の軍勢を招き入れる男だ。最後に俺が降伏したとき、奴はヴァイス軍団長の傍らで薄笑いを浮かべて俺を見下していた。あの時の奴の顔は、今でも決して忘れることはない。

会った瞬間、俺の中で奴への殺意が溢れ出た。


「ヒィッ!」

奴が短く悲鳴を上げたのは、もちろん俺の殺気に反応したわけではない。

ヴァイス団長やアンから、俺でも引いてしまうような本物の、凄い殺気が立ち上ったからだ。

「は、働きに期待するが、これに乗じて我が領民を勝手に懐柔することのないようになっ!」

捨て台詞だけ残して、逃げるように立ち去って行った。


多分……、いや絶対、今回の世界でも彼とはうまくやっていけないだろうと、一瞬で確信した。

これが、度し難く最も注意すべき危険な男。今後、俺と因縁の関係となる男との出会いだった。

この後、改変された歴史でも、俺と奴は何度も邂逅することになる。

紐付けられた運命だけでなく、全く新しい、歩みのなかで……。