第二十話 残された者たち(カイル歴五〇二年 九歳)

「それではこれより第一回定例会議を行います」

父と兄が出征して間もなく、留守番として残った俺は、ただ戦果を待っていたわけではない。

出征前に両親と相談して、次の災厄、前期五大災厄の最後の災厄に対する行動を始めていた。

『古い文献に大干ばつの数年後には、大雨と洪水の危険性が示唆されている』

という俺の話を前提に、対策を行う会議を立ち上げることに成功していた。


司会進行はレイモンドさん、会議の参加者として規定された者は、父と母と家宰、兄と俺の他、オブザーバーとして母付きの従者で、コーネル男爵家の分家の娘であるサラも参加している。

彼女は分家出身ではあるが、固有スキルとして血統魔法を発現させ、地魔法が行使できる。嫁ぎ先で母が活躍しやすいよう配慮し、コーネル男爵家の好意で、母の従者として派遣された彼女は、エストール領では母以外で唯一の地魔法士であり、貴重な戦力として母を助けてくれている。水車の導入による灌漑工事も、サラやコーネル男爵家が臨時に派遣してくれた、地魔法士たちの活躍があったからこそ、全てが順調に進んだと言っても過言ではない。

まだ父と兄が従軍中で不在だったが、できる準備は事前に進めておく、そんな目的で、彼らの不在中ではあるが会議を開催し、現状の議案について議論し、解決できるもの、策を講じることができるものは随時進めていくことになっている。


「文献などには記載がありませんが、過去マーズの町付近で大きな氾濫があったことは、周辺の村に住む古老より事例が確認できています。タクヒールさまの依頼で、聞き取りを行った結果、これが判明しましたこと報告いたします。引き続き、ここ数年の小規模氾濫など、目立った被害がないため、此方で認識できていない情報などがないか、調査を進めております」

レイモンドさんは、早速調査を進めた結果、今わかっている情報を共有してくれた。

それによると……、エストール領全体の共通事項として、ごく小規模な氾濫は毎年、何処かで発生しており、それらの被害は小さく、行政府では未確認だったらしい。これらのことを受け今後は、他の町や村にも細かく目を配り、調査を進めていくとのことだった。


マーズの町の状況については、十年から二十年に一度は洪水があるものの、ここ二十年は洪水もなく、その事実が忘れ去られつつある。更に、五十年から百年に一度、堤が決壊するほどの大洪水があることが、今回初めて分かったらしい。その場合、濁流が辺り一帯を飲み込み、甚大な被害をもたらすが、今や情報を知る老人もおらず、土地の言い伝えのみが残っているそうだ。それには、『大干ばつの後は、水の災いに注意せよ』そう伝えられているとのことだった。

幸いにも俺の知る歴史が、伝承によってその可能性を裏付けられることとなった。

「タクヒールさまも、この言い伝えを看過できない、そう思われたのですよね?」

「はい、レイモンドさん、古い歴史書のようなものに、そんな記述があったことを思い出して」

……これは半分嘘です。でも歴史書に書かれているのは嘘じゃない。未来の歴史だけど。

「地魔法士の確保は、既に弟に内諾を貰っています。今回の戦が終われば、堤の構築を行うため、地魔法士を派遣してもらえるでしょう」

母も既に動いてくれている。

「マーズの町とその周辺は、ソリス男爵家にとって最も重要な穀倉地帯です。伝承にある百年に一度の水害でここが沈めば、先の干ばつと比較にならないほど被害は甚大です」

レイモンドさんの言葉に、一同は無言でうなずく。


俺は知っている。五十年から百年に一度の規模の、甚大な洪水被害が来年にやってくることを。来年の夏、長雨と豪雨で増水したオルグ川の堤が決壊し、マーズの町は濁流に飲み込まれ、重要な穀倉地帯は洪水に押し流されて泥濘でいねいの底に沈む。

一夜にしてマーズの町に住む住民や、点在する農村では多くの命が奪われ、穀倉地帯は、その先数年は回復不可能と言われる規模の、大被害を受けることになる。

これを何とかしないと、今まで頑張って回避してきた全てのフラグ、それらが全部無駄になる。

まるでどこかのクイズ番組で、最後の一問が半端ない高配点のため、それまで頑張って積み上げた得点が、一気に逆転されてしまう。そんな気持ちにさせられるほどの危機感だった。

今回氾濫し洪水を起こすオルグ川は、西側の領境を縫うように流れ、マーズの町の手前までは、左岸はゴーマン子爵領、右岸はエストール領となっている。

だが、マーズの町の手前で流れは大きく逆L字形に蛇行し、ゴーマン領との境を離れて、両岸はエストール領となる。この逆L字にカーブした後に広がる流域、オルグ川の両岸に広がるのが、非常に豊かな穀倉地帯であり、ここの収穫が男爵領を支えているといっても過言ではない。

ここ十年、マーズの町は周りに広がる穀倉地帯の発展とともに、その集積地として栄えてきた。

そのためマーズは長い歴史のある町ではない。父と母がエストール領に来て、大規模な農地開拓が進むとともに、急速に発展した町だ。町の周辺は豊かな土壌に恵まれ、穀倉地帯として開発が急速に進み、それに伴いエストール領も豊かになり、マーズの町も発展してきた。


低地のため水路も引きやすく、前回の歴史では、干ばつ被害も少なかったことが、逆にエストール領内での農地としての依存度を高め、それが災いして洪水によるダメージを致命的なまでに大きくしていた。これは正に皮肉としか言いようがない。

干ばつ時に着目されて依存度が高まり、開発されたものが、洪水で全てを失ったのだから。

前回の歴史では、この一帯が当時の男爵領の全収穫量のおよそ三分の一、それだけ担っていた地域だったため、洪水では計り知れないダメージを受けていた。

幸い、今回の世界では、水車の活用、灌漑水路の充実などで、他の地域の干ばつ被害も少なく、低地に比べれば洪水被害の危険性も小さいと思える、比較的安全な土地や、水路のなかった地域の開墾も進んでいる。結果、前回の歴史と比べると、このマーズの町一帯の新規開拓は、前回ほど進んでいなかった。今はソリス男爵領の全収穫量の、恐らく五分の一程度を担っているに過ぎない。

ただそれでも、エストール領内で最も大きく、かつ重要な穀倉地帯であることには変わりない。

更に今は、穀物の集積地としてだけでなく、オルグ川から引いた水路に設置された、動力水車を活用した製粉所の拠点にもなっている。そのため、町が洪水で沈んだ際の被害は、前回の歴史より格段に大きなものとなり、その点は新しい火種となっている。

「レイモンドが今進めている対応はどんな感じ?」

「はい、昨今の小氾濫は、全てオルグ川に繋がる水路から発生しております。そのため、現時点で水路周辺の氾濫対策と、オルグ川を結ぶ水門の強化を進めております」

それだけでなく、彼の予定している対策は盛り沢山だった。

製粉所の移設は不可能だが、集積所を高台に移築しており、全地域で、水車に伴う水門や水路などを見直し、洪水対策として、堤の建設や土嚢の準備と集積を並行して行っているらしい。

「堤の建設はクリス様のお力をお借りして、大規模な工事と強化を軍が戻り次第進めます。ただ、こればかりはどこまで実施すれば有効か、予算面と規模、安全の保障は手探り状態です」

「レイモンドさん、もし洪水が起こったとして、隣のゴーマン子爵領が受ける影響は?」

俺はいつも気になるお隣さん事情を確認した。

「マーズより上流のゴーマン子爵領、川の向こう岸は延々と続く丘になっております。そのため、天然の堤があるので、あちらに水が溢れることは、通常ならまずありません」

「じゃあ、堤のせいで向こうが水浸しになった、そう文句を言われることはないんだよね?」

「タクヒールさまの仰る通りです。ですが……」

俺の質問にレイモンドさんは苦笑しながら続けた。

「ただ、マーズの町より上流、オルグ川が領境となっている流域ですが……、川から新たに水路を引き、ゴーマン子爵側が何箇所かで水車を設置しているようです」

「ええっ!」

散々文句を言っていた割に、勝手に真似しているやんっ!

こちらは特許料でも貰いたいわ、ホンマ!

レイモンドさんの予想外の発言に、思わずニシダの口調で大きな声を上げそうになった。

「三年前の大干ばつのあと、揚水水車や動力水車を独自に作り、水路を建設し設置しているようなのですが……、まぁ、故障も多いようで稼働率は低いそうです」

そうだろうなぁ。

歯車の基本知識も知らないで、見様見真似で作ったとしても、そう簡単に上手く行く訳もない。俺も詳しい訳ではないが、ラノベ知識に加え試行錯誤を繰り返し、そして最後はプロの、ゲルド親方、カールさんの知恵も借りて生み出した、技術の結晶だし。

「というか、それなら上流のゴーマン子爵領で氾濫が起こることも……」

「十分あります」

レイモンドさんが再び苦笑した。

「水車で使用する水路を引くため、わざわざ堤を切っている地点もありますので……」

うん……、まぁ先方で何かあっても、これって自業自得だよね? 俺はそう思い始めていた。

「ねぇねぇ、もしどっちも水が溢れなかったら……、そのお水はどこに行くの?」

傍らで遊んでいた、妹のクリシアが会話に割ってはいった。

たまたま今回は母にくっついて来て、会議中は大人しくしていると約束の上、横で遊んでいたのだけど……、俺は彼女の指摘に愕然とした。

オルグ川はマーズの町を過ぎると、エストの街をはじめ、領内に点在する農村の脇を通り、その後はエストール領を抜けて、ヒヨリミ子爵領に流れていく。

「……」

実際に洪水が起こる場所を知っているだけに、溢れなかった場合、他の地域へどう影響するか、それは、すっかり頭の中から飛んでいた。色んなケースを想定し、これらの可能性を考えずにいた訳ではないが、自分自身のどこかで意識したくなかったのかもしれない。

堤を強化する場所、めちゃくちゃ増えるし……、俺は嫌な汗が背中を流れるのを感じた。

「その他の流域についても、調査は進めております。堤の強化が必要な場所、水路や水門を見直す場所の候補は既にまとめております」

さすがレイモンドさん、今回も赤点生徒をしっかり裏でフォローしてくれている。

「派遣してもらう地魔法士の増員が必要ですね……」

母は大きくため息をついて、のけ反りながら言った。

依頼するコーネル男爵家への負担も増えるし、そもそも魔法士派遣や領民で行う工事についてもタダではない。場所が増えれば増えるほど、費用はどんどん天井知らずに上がっていく。

取り敢えず、今回の会議では対外的に警告を発することが決まった。


ひとつ、ゴーマン、ヒヨリミ子爵に対し、洪水の恐れを通達すること。

ひとつ、情報源は古い文献なので、信頼性は不明と含みおくこと。

ひとつ、ソリス男爵家では念の為、堤や水路を強化すると表明しておくこと。

ひとつ、コーネル男爵家に、工事のための地魔法士を増員して派遣依頼を行うこと。


この四点を決定事項として追加し、会議は終了した。このような定例会議は、父と兄の帰還後も継続して開催され、翌年の夏に向けて対策は進められていくことになる。

次の災厄、エストール領を襲う大洪水に対する対策は、まだ始まったばかりだった。