第十九話 血塗られた大地④ 凱歌(カイル歴五〇二年 九歳)
勝利を決定づけるために送り出した最強の槍、二千騎もの鉄騎兵団の壊滅に、ゴート辺境伯軍は酷く動揺した。
「一体何が起こっている! 何故こんなことに……、あり得ない!」
ゴート辺境伯は絶叫しながらも、現実を受け止めることができずにいた。
前線に取り残されつつあった、敵の最右翼の小集団。
それは、彼の誇る二千騎もの鉄騎兵団に蹂躙され、抵抗する間もなく踏み潰されるはずだった。だが、蹂躙する側の鉄騎兵団が、瞬く間に一蹴され、その後も無残に戦力を削られ続けて、今は僅かばかりの騎馬がこちらに向かって壊走している。全滅と言ってもいいほどの被害、目の前で起こっている想像すらできなかった惨状に、彼の思考は硬直し、ただ呆然とするばかりだった。
◇◇◇ (カイル王国陣営)
一方、カイル王国側では、この戦況の変化を確実に読み取り、行動に移した将たちがいた。
「この機を逃すな! 勝機デアル。一気に奴らを押し返せ!」
「今じゃっ! 目の前で呆けておる奴らを押し返し、包囲の両翼を閉じるのじゃ!」
「敵の脅威は既に失われた。次は我らが攻勢に転じ、敵を半包囲する。急げよ!」
ハストブルグ辺境伯の陣営で、同時に、それぞれの軍を率いる三名の主将から檄が飛んでいた。
味方のヒヨリミ子爵軍の潰走で、半包囲の危機にあり守勢に徹していたゴーマン子爵軍が。
敵軍と睨み合い、右翼の救援にも動くに動けなかった、ハストブルグ辺境伯直属の兵士たちが。
左翼側で敵と睨み合い、鉄騎兵団の動きを警戒して動けなかった、キリアス子爵軍が。
これを機に、戦場全体の戦局が一気に傾きだした。
◇◇◇ (ゴート辺境伯陣営)
「て、て、撤退だぁ! 本陣を守りつつ国境線を越え領内まで撤退っ!」
ゴート辺境伯は、戦局の変化に慌てて撤退を始めた。
鉄騎兵団が潰走したため、突出した侵攻軍左翼は逆撃を受け孤立し、防戦一方になりつつある。同時に、敵左翼のキリアス子爵軍が行動を始め、ゴート辺境伯軍を半包囲する動きに出たからだ。敵右翼を叩くため突出し、散々に打ちのめしてきたゴート辺境伯左翼軍は、戦場の変化に取り残され、退路を見いだせずに次々と討ち取られていく。
キリアス子爵軍によって半包囲された、ゴート辺境伯軍の右翼と中央軍は、慌てて撤退する過程で縦に長く伸びきった戦列を分断され、混乱しながら大きく数を減らして潰走している。そして、ゴート辺境伯軍は、各所で戦線が崩壊して大きな被害を出しながら、国境に向けて潰走を始めた。
もはや戦いの
◇◇◇ (カイル王国陣営)
追撃戦に移行するため、丘を下り移動しつつあったソリス男爵軍に、ハストブルグ辺境伯からの使者が訪れた。
「ソリス男爵軍、コーネル男爵軍は追撃に及ばず、後衛を固め戦果を確保されたし」
この伝令の言葉に、ダレンは辺境伯の意図を図りかねた。
「ヴァイス団長、どういうことだと思う?」
「我々は既に十分過ぎるほど武功を立てました。残敵を掃討する役は他に、ということでしょう」
納得したダレンは使者に向き直った。
「了解した。各隊の武運をお祈り申し上げる」
そう返事をしたソリス男爵は、一旦追撃戦に移行しつつあった味方を再集結させた。
そして、コーネル男爵軍とともに、丘の陣地を離れ、国境へと通じる街道沿いに再布陣し、戦域を確保して、捕虜の捕縛や、ゴート辺境伯軍が遺棄していった物資や軍馬を確保していった。
一方、ハストブルグ辺境伯が率いる追撃軍は、潰走するゴート辺境伯軍の背後を叩き、国境まで追い散らしたあと、勝利の凱歌を上げた。
ゴート辺境伯の軍勢は、今回の戦いで率いた七千余名のうち、半数以上の四千余名の兵士を失い惨敗、最強の精鋭部隊であった鉄騎兵団は、九割の死傷者を出して壊滅した。
こうして、タクヒールの知る前回の歴史では、四割の兵力を失ったはずのソリス男爵軍は、損害らしい損害もなく、ほぼ完璧な勝利で戦いを終え、新しい未来が紡ぎだされることとなった。
ソリス男爵軍と共に追撃戦から外れたコーネル男爵が、街道沿いへの再布陣が終わると、ソリス男爵の陣幕を訪れていた。
「それにしても、此度の戦、義兄上の見事な戦い振り、誠に感服いたしました」
コーネル男爵家は、地魔法に特化した家柄であり、その特性上、裏方の陣地構築や防壁設置などの役割を命じられることが多く、戦場での華々しい武勲に恵まれることがなかった。
そのため彼は、今回目の当たりにしたソリス男爵軍の活躍に心を躍らせていた。
「いやいや、此度はヴァイス団長が事前に策を講じ、適切な時期に適切な指示を進言してくれたことの結果、それに尽きます」
ソリス男爵がヴァイスを立てると、
「いえいえ、今回の作戦が採れたのも、優秀な地魔法士達が、こちらの意図通りに陣地を構築し、塹壕や罠など騎馬の突進を防ぐ仕掛けを作れたからです。また弓箭兵への助力もいただきました。今回の勝利は、コーネル男爵軍があってこそ、と考えています」
ヴァイスは、コーネル男爵に対して、感謝と敬意を以て礼を述べた。
「私も同意見だ。感謝の気持ちだけでなく辺境伯には、そのことを強く報告したいと考えている」
ソリス男爵も謝意を伝えた。
「ありがとうございます。その言葉だけで充分です。いつも戦場では武勲に恵まれなかった、我が兵たちも浮かばれます」
若きコーネル男爵は、嬉しそうに答えた。
「それにしても、あの弓矢と活用方法、驚きを隠せませんよ」
コーネル男爵の話が、エストールボウに及んだ時、ソリス男爵の表情は微妙なものに変った。
「弓と射撃方法について、くれぐれも内密にお願いしたい。これらは我が領内でも秘匿しており、もし他の方々と組んで布陣していた場合、これの使用を控えることも検討していたぐらいです」
「ご信頼にはお応えさせていただきます。ただ兵器については今後ご是非相談させてくださいね」
コーネル男爵も、エストールボウには並々ならぬ興味を持っているようだった。
国境線の残敵を掃討した後、ハストブルグ辺境伯は全軍と共に戻って来た。
こうして後に、サザンゲート殲滅戦と言われた戦いは、カイル王国側の大勝利で終結した。
ハストブルグ辺境伯からは、一旦全軍をサザンゲートの砦に戻し、負傷者の治療と今回の戦功について評価し、改めて戦勝を慰労する旨の通達がなされた。
損害の殆どないソリス男爵軍とコーネル男爵軍は、戦場と街道を整備した後に、サザンゲートの砦に凱旋するよう命を受けていた。後始末、といえば損な役回りに見えるが、遺棄された武具、軍馬などを回収し、配分に優先権を与える旨が、命令に補足されていた。
その他の物資は一旦集約し、主将たる辺境伯に預けたあと、各軍に再分配されると通達された。
戦場で遺棄された敵軍の遺体は、きちんと埋葬しないと疫病の原因や、魔物をおびき寄せる要因ともなるため、街道の保全は直ちに行われ、死者たちは丁重に葬られた。
サザンゲート平原を通る街道の脇には、塚が建立され、花が飾られた。
全ての後処理が終わり、ソリス・コーネル両男爵がサザンゲート砦に帰還したのち、戦功評価が発表された。
戦功第一 ソリス男爵
ゴート鉄騎兵団二千騎を殲滅し、今回の勝利を導いたこと
戦功第二 コーネル男爵
巧みな陣地構築により鉄騎兵団殲滅に大きく貢献したこと
戦功第三 キリアス子爵
機を見た攻勢により、今回の勝利を決定づけたこと
数日後には、エストの街にも早馬で勝利の情報がもたらされた。
「戦場よりご報告いたします。ハストブルグ辺境伯軍の大勝利です、帝国軍は壊走しました。ソリス男爵軍の活躍によりゴート辺境伯鉄騎兵団は壊滅し、ご長男ダレク様は初陣ながら戦功を上げられ、勝利に大きく貢献されました。男爵軍の将兵は、一部の負傷者を除き全員が健在です! ソリス男爵は戦功第一の栄誉を賜り、男爵軍は今後、王都に凱旋し論功行賞を受けたのち帰領される模様! 繰り返します、我らの大勝利です!」
「ああっ! ダレクは無事なんですね。良かった、本当に良かった」
クリスは涙を流して喜び、息子の無事を何度も確認していた。
「母上……、父上のことは全く忘れているようですが……、後で知ったら拗ねますよ。きっと」
タクヒールは母の様子を見て、小さくそう呟いたといわれる。周りに聞こえないように……。
「おみやげ……、沢山買ってきてくれるの?」
まだ幼いクリシアは、父や兄の無事より、自身のお土産が最も心配な様子であったらしい。
この一報はエストの街にもたらされ、男爵家はもちろんのこと、領民たちも歓喜に沸いた。
特に従軍した兵士の家族、恋人、関係者は胸を撫でおろし、祝杯は至る所で交わされ、この時ばかりは、領内に酒と食事が振舞われ、男爵領では全ての町、村でお祭り騒ぎとなった。
前期五大災厄の四番目を無事回避できたことで、喜びと安堵のため息を漏らしたタクヒールは、この勝利と引き換えに訪れる、歴史の修正力という名の悪意を、まだ知る由もなかった。