第十七話 血塗られた大地② 秘策(カイル歴五〇二年 九歳)

グリフォニア帝国側の本陣に立つゴート辺境伯は、傲然と胸を反らし敵陣を見つめていた。

「ふん、カイル王国の奴ら、こちらの予想通り布陣しおったな。我らが何故、これみよがしに軍を進めつつも、敢えて丘を取らせたか、そんなことも理解できぬ奴らとはな」

「カイル王国の奴らは、守ることしか頭にないようですね。だからいつも競って守備に有利な丘に固執し、我先に押さえたがりますからな」

参謀の追従に、ゴート辺境伯は満足げに頷いた。

「では、予定通り、我が正面軍と右翼軍は牽制を、そして左翼軍で敵右翼をもぎ取るとしようか。鉄騎兵団は後方で待機し、機を見て戦線参加し敵右翼を踏み潰す」

ゴート辺境伯が右手を高々と上げる。

「前へっ!」

各指揮官の号令で、ゴート辺境伯の軍勢が進軍を開始した。

◇◇◇ (カイル王国軍陣営)

戦場の小高い丘の上で、敵軍の動向を落ち着いて眺めている者たちがいた。

「やはりそう来ましたね。ソリス男爵軍全軍に遠距離射撃の準備をお願いします。狙撃位置は所定の番号に従い対応し、各位は号令があるまで待機するようお伝えください」

ヴァイスは予想通りの展開に笑みを浮かべ、ダレンに戦闘準備を依頼した。


戦いが始まり、戦場でのゴート辺境伯軍の動きは明らかだった。

左翼側に布陣するキリアス子爵軍に対し、矢の射程ギリギリまで進出し、停止して睨みあう。

中央側のハストブルグ辺境伯軍にも、前面を圧迫するように布陣したのち、停止して睨みあう。

この二方面は、それ以上進軍することはなく、逆撃の体制を取りつつ守備を固めただけだった。

帝国の左翼軍のみ、敵右翼に展開するヒヨリミ子爵軍、ゴーマン子爵軍に対して、猛烈な攻勢を開始し始めた。敵最右翼に布陣する小勢など、まるで無視したかのように。


ゴート辺境伯の思惑は単純だが、戦理に適ったものだった。

まとまった集団戦力として警戒すべきは、ハストブルグ辺境伯軍とキリアス子爵軍のみ。それらに対しては無理な攻勢を行わず、ただ牽制し、全力で敵右翼に攻撃を集中すればよい。敵右翼の集団は烏合の衆だと看破したうえで、そこに対し主力をぶつけ、数で圧倒しつつ各個撃破する。戦線が崩れたところで、左回りで敵側背に鉄騎兵団を投入し、敵右翼の息を完全に止める。

その時は、先ずは最も左手の低い丘に陣取る、敵最右翼の小集団を踏み潰す。そうすればカイル王国軍は雪崩を打って崩れ、戦線は完全に崩壊するだろう。

「ふふっ、想定通り敵軍は動いておりますね。奴らは包囲される危機と思わず、我らの右翼側から各個撃破し、主将を直接衝く算段でしょう」

ヴァイスは味方が不利な状況に陥りつつあるのを見ても、動揺することはなかった。

「主力と思われる敵約二千、ゴーマン子爵軍、ヒヨリミ子爵軍の陣を猛攻しております」

丘の一番上に立ち、戦場を見つめていたダレンとヴァイスの二人は、兵の報告を受けずとも戦場の推移はよく見えていた。敵に比べ数でも劣り、それぞれの子爵軍の士気は低い。

特に、自軍の倍近い敵兵により正面から攻勢を受けたヒヨリミ子爵軍は、早々に崩れだし、狼狽しながらじりじりと後退しつつある。

ゴーマン子爵軍は奮戦しているが、ヒヨリミ子爵が後退すると自軍が敵に半包囲されてしまう。

「ヒヨリミめっ、不甲斐ない奴デアル!」

舌打ちしながら、追随して徐々に後退する旨を指示していた。

ハストブルグ辺境伯率いる中央軍とキリアス子爵以下の左翼軍は、目の前に対峙する敵兵を警戒し、動けずにいる。何より、最も警戒すべきゴート辺境伯の鉄騎兵団が、敵陣後方で待機しているため、迂闊に救援に向かうことができないでいる。

「ヒヨリミ子爵軍、崩壊しつつあります!」

「続いてゴーマン子爵軍も後退中っ!」

味方の危機、事態の急変を告げる兵たちの報告が、二人に対し矢継ぎ早に入ってくる。

「団長、そろそろかね?」

「はい、頃合いでしょう」

ダレンとヴァイスには、この短いやりとりで十分だった。

◇◇◇ (グリフォニア帝国陣営)

ゴート辺境伯は、自ら描いた作戦通りに進行する戦場の推移に、満足気に戦場を見回した。

「はははっ、見ろ! あの無様な狼狽ぶりをっ。そろそろあ奴らに引導を渡してやるとしようぞ。鉄騎兵っ! 敵右翼を叩き潰して後背に回り込み、辺境伯めの首を私の所に持ってくるのだっ! 先ずは孤立した、敵最右翼の小勢を踏み潰せっ!」

ゴート辺境伯より、鉄騎兵団に対し、敵軍を蹂躙する命令が発せられた。

これにより、出番を待ち後方に待機していた鉄騎兵団は、敵右翼に向かい動き始めた。鉄騎兵二千騎にかかれば、たった六百程度の小勢、ただ踏み潰されるだけの存在でしかない。突撃の指示で、大地を揺るがす馬蹄の音を響かせ、最強と称される彼らの突進が開始された。

鉄騎兵団の投入により、戦場は最終局面を迎えるかに思われ、この時点でゴート辺境伯は自軍の勝利を確信していた。二千騎もの重装騎馬隊の突進を、まともに受け止められる者などいない。

彼らの突進は巨大な鉄の槍となって、丘の上の小勢をいとも簡単に踏みつぶし、今崩れている二つの軍勢の中央を引き裂き、ハストブルグ辺境伯の本陣を抉っていくだろう。

これから狩る獲物を前にして、鉄騎兵たちは精神を高揚させ、雄叫びを上げながら突進する様子を見て、ゴート辺境伯も本陣から同じように雄叫びを上げていた。この先の勝利に心を躍らせて。

◇◇◇ (カイル王国軍陣営)

突進してくる鉄騎兵との距離はまだかなりあるものの、大地を揺るがす馬蹄の音と、二千騎が猛然と突き進んでくる様子を前に、ソリス男爵軍の多くの兵が息を呑み、一様に死を覚悟していた。

彼らが逃げ出したい気持ちから、僅かばかりの差でなんとか踏み留まれたのは、この丘の守将であるソリス男爵、双頭の鷹傭兵団長、この二人が悠然と敵に身を晒し、落ち着いていたからだ。

彼らに死を告げるべく迫る馬蹄の響きは、更に大きく、刻々と近づきつつある。

「各自矢の装填を確認、射撃準備のまま防壁の内側に伏せよ。合図があるまで決っして出るな!」

ダレンの号令に、兵士たちは一斉に防壁の内側に隠れた。

この時点で防壁の上に身を晒しているのは僅か三人だけだった。

「私の合図で敵集団の先頭目掛けてお願いします。なーに、落ち着いてやればこの戦、勝てます」

ヴァイスの言葉に、緊張で固まっていた少年は、なんとか笑顔を作り頷いてみせた。

ほどなくして、突進してくる敵の騎馬を睨んでいたヴァイスが、冷静に声を発する。

「右、二番方向、今ですっ!」

戦場の一角に、突如として現れた目も眩む閃光は、その一帯をまばゆい光で包み込み、疾走する鉄騎兵団は、先頭集団からその光の中に包みこまれた。

タクヒールが考案した秘策が、いまここで放たれていた。

◇◇◇ (グリフォニア帝国陣営)

獲物に向かって雄叫びを上げ突進していた彼らは、突然現れた目も眩む光に包まれ、乗馬とともに一瞬盲目となった。全力で疾走する馬が盲目になる、それは突然平衡感覚を失うことに等しい。

騎馬は次々と激しく転倒し、後続を巻き込んでいく。後に続く騎馬も、転倒した人馬に足を取られ転倒、更に後続を巻き込むことになった。彼らは視界を奪われ、何が起こったかも分からず、ある者は落馬し全身を痛打して戦闘不能に、ある者は後続の騎馬に蹴り飛ばされ、ある者は馬蹄に踏みつぶされて絶命した。重装備の鎧は、敵の攻撃から命を守るためのものだが、転倒した際には逆に命取りとなった。彼らは自身で起き上がることもできず、身動きができないまま、味方の騎馬の馬蹄に踏み潰されていった。

「止まれっ! 来るなぁっ!」

「た、た、助けてくれっ!」

「誰か! 起こしてくれっ!」

戦場は馬のいななきと、人の絶叫が混じった、地獄絵図と化した。

あたり一帯は、言葉に表せない断末魔の声で溢れた。


全力で疾走する騎馬はすぐには止まれない。

予想外の事態にも拘らず、幸運にもなんとか愛馬を御し、転倒を回避した者たちにとっても、悲劇は同様に襲ってきた。全力で疾走していたため、騎馬は停止するまでの数秒間でも、かなりの距離を進んでいる。その先に用意されていたものは、本来、目が見えていれば十分に避けることが可能な、そして、何の問題もない程度の、小さな段差、浅い塹壕、穴などの罠の数々だった。

これはヴァイスが地魔法士に依頼し、ソリス男爵の陣地付近に事前に仕掛けていたものだった。

最初の光で転倒を回避した者たちも、数秒後には先に転倒した者たちと同じ運命が待っていた。彼らは後続も少なく、味方の馬蹄に踏み潰される者こそ少なかったが、騎馬が激しく転倒したあおりを受け、彼ら自身も大地に叩きつけられて、次々と戦闘不能になっていった。

一瞬だが、盲目となっていた彼らは、まともに受け身すら取ることができず、ただ訳も分からず激しく大地と抱擁することになったのだから……。

この一瞬の出来事で、ゴート辺境伯が擁する最精鋭部隊、鉄騎兵団の三分の一以上が命を落とすか、戦闘不能となってしまった。


ここで戦局は、大きな転換期を迎えた。

だが、それでもまだ鉄騎兵団はその三分の二、千騎以上の戦力を有していたが、ヴァイスを始め、ソリス男爵軍の秘策は、まだ始まったばかりである。

ソリス男爵家長男ダレク、後に剣聖、光の剣士と呼ばれた彼の初陣は、味方にとっては輝かしい戦果として、敵にとっては刃を交えることなく、無念に散った怨嗟の対象として、華々しく飾られることとなった。