差し出されるお菓子を食べながら見上げた空は、少し曇っていた。


 休憩をした後にテーブルなどを片付けて元の場所に戻る。

 少し回復したからか、騎士達の表情は少し明るい。

「このまま次の魔物、ラージクロコダイルの討伐に向かう」

 ディザークの言葉に「おお……!」とリドアニアの騎士達がどよめいた。

 その中から「本当に今日中に終わってしまうのでは?」「さすが真聖女様、守護聖騎士様!」という声が広がると、皆誇らしげな表情をした。

「だが、皆には今一度伝えておく! 勝手な動きはしないように! 魔物討伐に参加したいというなら、我々の指示に従ってくれ。先ほどのように勝手に動かれると状況が悪化してしまう!」

 ディザークの言葉にリドアニアの騎士達が気まずそうに少し肩を落とした。

 そうして、次の魔物であるラージクロコダイルのいる場所へと向かった。強い魔物には縄張りがあるそうで、そういった魔物同士は互いの生活圏にあまり入ることがないのだとか。

 また沼地を歩くのは骨が折れた。

 しかし、次の場所は意外と近かった。

 先行していた偵察部隊がラージクロコダイルと鉢合わせしてしまったらしい。

 足の速い者が戻って来て報告をしてくれたので、わたし達もエーベルスさんに指揮を頼み、近衞騎士やリドアニアの騎士達に周辺の警戒をお願いして、ヴェイン様の浮遊魔法でラージクロコダイルのいる場所へ急いだ。

「少数なら浮遊魔法で高速移動は出来るが、かなり荒っぽいぞ」

 と前もってヴェイン様に言われたが、飛び始めた瞬間にその意味を理解した。

 馬車に乗っていた時のふわふわとした優しい感覚とは違い、まるで高所から落下しているかのような速度で目的の方向に向かって風を切り裂いて進む。

 ブゴルルル、と重低音のいびきのような大きな音が前方から響く。

 一瞬、それがラージクロコダイルの鳴き声だと分からなかった。

 ただ、その重低音が響くとその周囲にいた偵察部隊の騎士達が膝をついた。

「『威圧の咆哮』だ! 気を付けろ!」

 ゼニス君が叫び、ラージクロコダイルがその巨体に似合わぬ素早さで尻尾を振る。

「障壁魔法!」

 とっさに手を伸ばして言えたのはそれだけだった。

 見える範囲にいる騎士達を障壁魔法で包む。

 バチィイインと派手な音を立てて尻尾が障壁魔法にぶつかった。

「うっ……!」

 見た目通りの重さと衝撃に、魔力が急速に消費されていく。

 ウィニス様が伸ばした手から風の刃が放たれラージクロコダイルを襲ったものの、その硬質なうろこに全て弾かれる。

「皆、下がれ!」

 ディザークの声に騎士達がよろけながらも立ち上がる。

 空中を駆ける速度が落ちて、わたし達がラージクロコダイルに近づくと、その大きさに圧倒された。

 真っ黒な体にギョロリとした爬虫類特有の目は赤く、爪や牙はまるで剣のように鋭い。その巨体は大型のトラックよりも大きく、視界に収まりきらないほどだ。

 ワニの魔物と聞いたけれど、わたしの知っているワニよりも背中などがとげとげしく、見える前足はとても太い。

 それに加え、ワニを見上げているというこの状況の違和感がすごい。あまりに大きすぎて、これと戦うという実感が湧かなかった。

 わたし達が地面に下り立つと、代わりにヴェイン様が浮遊魔法で一気に騎士達を後方へ送る。

 それを見たラージクロコダイルの口がグワッと開いた。

 先ほどと同じくブゴルルル、といびきのような鳴き声が響く。

 距離が近いせいか鼓膜がビリビリと震える。

「っ……!」

「う、っ」

 リーゼさんとノーラさんが、騎士達と同じく膝をつく。

「大丈夫!?

 急いで障壁魔法を張って振り向けば、二人の顔色が少し悪い。

「『威圧の咆哮』は己より魔力量の低い者の動きを一定時間止める効果がある!」

 ディザークの言葉通り、リーゼさんもノーラさんも動けないようだ。

 逆に言えば、わたし、ディザーク、ヴェイン様、ゼニス君、ウィニス様はラージクロコダイルよりも魔力量が多いということでもある。体は大きいが、戦えない相手ではない。

 ラージクロコダイルがまた尻尾を振り回そうとしたものの、ヴェイン様が闇魔法の蔦でその尻尾や手足を拘束したため、動けなくなったラージクロコダイルが怒りの咆哮を上げた。

「燃えろ!」

 ゼニス君が放った火魔法がラージクロコダイルを襲う。

 蔦に絡まれてあまり動けないはずなのに、ラージクロコダイルが暴れると地震が起きているかのように地面が揺れる。思わずよろけたわたしをディザークが支えてくれた。

「やったか!?

 ……そういう言い方はフラグだよゼニス君!

 ラージクロコダイルの頭上に水球が現れ、火を消してしまう。

 どうやら水属性も持っているらしい。水生動物だからだろうか。

 ブチブチブチ、と闇魔法の蔦が千切れていく。

 かなり力も強いようだ。

 先ほどよりも大きな咆哮を上げながらこちらへ突進して来た。

 とっさにウィニス様と二人で障壁魔法を展開する。

 三重に張った障壁魔法の一つが砕けたものの、二つ目にぶつかり、ラージクロコダイルがまた怒りの咆哮を上げ、障壁に嚙みついた。

 大きな口の中がよく見える。鋭い牙が並んでいる。口の中は柔らかく、攻撃を弾くようなことはなさそうだった。

「うるさいな〜!」

 ウィニス様が詠唱を行い、強い風魔法を放つと、ラージクロコダイルが後ろにひっくり返った。

 腹部が見え、そこにディザークが土属性の魔法で鋭い石つぶてを当てたけれど、薄そうな腹部の皮ですら全く傷付かなかった。体の外側から攻撃を通すのは難しそうだ。

 遅れて到着した騎士達がエーベルスさんの指示の下、ラージクロコダイルに攻撃魔法を放つ。

 今度はさすがに突っ込んでいくなんてことはないようだ。

「外は硬いけど、口の中は普通だよ! 作戦通りもう一回口を開かせよう!」

 周囲を騎士達に囲まれ一瞬怯んではいたが、すぐに体勢を立て直したラージクロコダイルは怒った様子で唸る。けれどわたし達の攻撃を警戒してか僅かに後退し、そして突然背を向けた。

「え?」

 バッシャバッシャと泥水を跳ねさせながらラージクロコダイルがこの場から離れようとする。

「って、逃すと思ったかーっ!!

 ラージクロコダイルの進行方向にコの字形の障壁魔法を張る。

 それにぶつかったラージクロコダイルが障壁に突進したり、爪を立てたりしたが、逃げられないと分かるとこちらに頭を向けた。その上にわたしは特大サイズの氷の塊を生み出し、ラージクロコダイルの頭に打ちつけるように落とす。

「あれで逃げるってどういうこと!? っていうか魔物でも逃げたりするの!?

「落ち着け、サヤ。戦闘に集中しろ!」

「してるよ!」

 ラージクロコダイルの頭に落ちた氷を砕き、鋭い槍のようになった氷柱つららを再度落とす。

 しかし、よほど硬い鱗のようで、当たると氷のほうが砕けてしまう。

 今度はラージクロコダイルが咆哮を上げる。すると空中に水の槍がいくつも生まれた。

「させるかよ!」

 降ってくる水の槍をゼニス君の炎の槍が打ち消し、辺り一体が水蒸気に包まれる。

 続いてウィニス様の風魔法がそれを吹き飛ばした。

「ディザーク、土魔法で槍を、ウィニス様はそれを風魔法で押し出して! 口以外の弱点は多分、目だよ!」

「ああ、分かった!」

「は〜い!」

 ディザークが生み出した複数の土の槍にウィニス様が風をまとわせる。

 いくつもの土の槍がものすごい速さでラージクロコダイルに向かって放たれていくけれど、大きく太い尻尾に半数以上を砕かれてしまう。それでも残ったいくつかは体まで届き、そのうちの一本がラージクロコダイルの片目に突き刺さる。

 グギャァアアァァッと叫んだラージクロコダイルがこちらへ突進し、また障壁に嚙みついた。

 騎士達がラージクロコダイルの手足を魔法が付与された剣で四方から斬りつける。

 鱗は硬いが、四つ足のいくつかに剣が刺さり、動きが鈍くなる。

 わたしは魔法の詠唱を行い、直径二メートルほどの丸い障壁をラージクロコダイルの口内に張り、その中に濃く練った魔力を大量に注ぎ込んだ。

 魔力はエネルギーであり、魔法に触れるとその魔法を増強させる。

 ラージクロコダイルがわたしの作った障壁玉を口にくわえる。

「ディザーク、ゼニス君は炎の槍を! ウィニス様とヴェイン様は風の槍を作って両方を合わせて! ウィニス様は風の槍を放ったら防御用障壁魔法の追加!」

 全員が返事をして、指示通り動き出す。

 ディザークとゼニス君が二人がかりで炎の槍を作り、そこにウィニス様とヴェイン様が風魔法を加えてより速く、より燃え盛る槍を形成する。ウィニス様はすぐにわたし達を覆う障壁魔法の強化に回る。

「全員、風魔法で槍を障壁魔法に当てて!!

 障壁玉を嚙み砕こうとしているラージクロコダイルに向けて、全員の風魔法で炎の槍を撃ち込んだ。炎の槍が障壁玉に当たり、少し強度を弱めてあった障壁にピシリとヒビが入る。

 次の瞬間、障壁玉の中で赤と黄色が鮮やかに混ざり合い、爆発した。

 爆風と衝撃でビリビリと空気が震え、血肉の赤と鱗の黒が派手に弾け、わたし達を守る障壁にベチャリとこびりつく。ラージクロコダイルの体長は半分ほどになっていた。

「……グロテスク注意……」

 海外のホラー映画とかは平気なのでグロテスクは問題ないけれど、臭いはさすがにちょっときつい。濃い鉄のような生臭さと、水生の生き物特有の濡れた土のような臭いに思わず口元を押さえた。

 障壁のおかげでまだマシだが、解除したらもっと臭いがするかもしれない。

 ウィニス様が風魔法で辺りに溜まった臭いを吹き飛ばしてくれる。

 周囲の臭いが落ち着いてくる頃には、辺りに散らばった血肉や鱗が灰のように崩れていき、素材と魔石が残される。それをゼニス君、リーゼさんとノーラさんが拾いに行く。

 リドアニアの騎士達も今回はきちんと戦いに参加できたからか、嬉しそうな歓声を上げた。

 障壁魔法を解除すると、横からウィニス様に抱き着かれた。

「あはは、すごい爆発だったね〜。濃くした魔力に火魔法を触れさせて、口の中で大爆発を起こさせるなんて面白〜い! あんな方法、この世界の人間には思いつかないよ〜!」

 ……まあ、わたしが考えた方法じゃないし。

 元の世界の有名な某ゾンビホラーゲームで昔見た方法である。

 それには魔法なんてなかったけれど、口の中で大爆発を起こすのは同じだ。

 体全体が鱗で覆われているなら、鱗のない口の中、もしくは体内から爆発させれば死ぬだろう。濃い魔力を吞み込ませて、魔力過剰摂取で殺すことも考えたけれど、魔物は魔力を取り込むとより強くなるらしく、それで殺せるかどうか分からなかった。だからこちらを選んだのだ。

 想像以上にグロテスクだったけれど、効果は抜群だ。

 素材と魔石を回収して戻って来たゼニス君達からそれらを受け取り、収納魔法へ入れる。

「やっぱり異世界人って面白いね〜」

 べったりくっついてくるウィニス様だったけれど、ディザークがわたしから引き剝がす。

「聖女ウィニス、少々距離が近すぎる」

「もしかして嫉妬〜? 当代の守護聖騎士様は可愛いね〜」

「うんうん、ディザークってかっこいいけど可愛いんだよね」

「そこは同意しなくていい」

 ウィニス様から引き剝がしたくせに、自分はわたしの両肩に手を添えたままなところが可愛い。

 ゼニス君がわたしの横に立つと耳打ちしてきた。

「気を付けろよ。気に入られるとしつこいぞ」

 ……それは何となく分かる気がする。

「とりあえず、戻ろう。エーベルスさん達が心配してるだろうし」

「……そうだな、まだあと一匹残っている」

 ディザークの言葉に現実に引き戻される。

 ……ヒルはやっぱり嫌だなあ。

 後方に下げておいた偵察部隊に治癒魔法をかけ、帰り道はまたヴェイン様の浮遊魔法で飛んで戻る。偵察部隊の人達が最初は悲鳴を上げていた。落下する時の浮遊感そっくりなので、その気持ちはよく分かる。

 わたし達が戻るとエーベルスさんがすぐに近づいて来た。

「ディザーク様、真聖女様、大丈夫ですか? すごい音と空気の揺れがありましたが……」

「問題ない。サヤの作戦で大きな爆発を起こしただけだ」

「ああ、なるほど」

 何故かエーベルスさんはあっさり納得した。

 ジトーッと見たわたしにエーベルスさんがニコリと微笑む。

「真聖女様の魔法は荒っぽいですからね」

 ……確かにそうだけど。

 当たり前のように納得されると、それはそれで何か引っ掛かる。

「エーベルスさん、わたしに冷たくないですか?」

「胸に手を当てて考えてみてください」

「……」

 言われた通り、胸に手を当てて考えてみる。

 エーベルスさんの機嫌を損ねるようなことはしていないと思う。

 そもそも、普段からあまり関わらないので何かやらかしなんて……。

「……あ、もしかして鎧の頭をダメにしたことですか?」

 正直、心当たりがあるとしたらそれくらいである。

 以前のワイバーンとの戦いで、兜を溶かしてワイバーンに吞み込ませたのだけれど、そのせいでエーベルスさんは兜を失った。帰り道で兜がなくて落ち着かない、とぼやいていたのは聞いていたが。

「この鎧は私がディザーク様の右腕となった時にいただいたもので、兜もこれと揃いのものでした」

「……大切な兜をダメにしてしまってごめんなさい……」

 それは悪いことをしてしまった。

 主人であるディザークから貰った特別なものなら、大切だっただろう。

「まあ、新しい兜をディザーク様より贈っていただきましたが」

 エーベルスさんがわたしに対して距離を置く理由の一つはそれなのだろう。

 わたしだって緊急事態だったとしても、自分の大事にしていたものを壊されて失ったらショックだし、その相手に色々と思うだろうし、態度が素っ気なくなるのも頷けた。

「……次からはそういう戦い方はしないようにします」

「そうしてくださると嬉しいです。とはいえ、あの状況で討伐方法を選んでいる余裕はありませんでしたから、仕方がないと私も理解はしています。……こちらこそ、大人気ない対応をしてしまい、申し訳ありません」

「いえ! それは全面的にわたしが悪いので……」

 ポンとわたしの頭の上にディザークの手が乗った。

「それくらいにしておけ。謝り合っていては終わらない」

 ディザークの言葉にエーベルスさんが頷いた。

「そうですね。私もワイバーン討伐に貢献できたので、悪いことばかりではありませんでした」

 エーベルスさんが先ほどより柔らかい笑みを浮かべてくれたので、わたしも微笑んだ。

 ……もうあの方法は使わないけどね。

 ワイバーンと戦って、ゼニス君とも戦って、無力化の仕方はもう覚えたから。


 それから、最後の魔物・ワイドリーチのいる場所に向かう。

 沼地を歩くことには慣れてきたものの、疲労もかなり溜まっている。

 治癒魔法をかけているので体は元気だけれど、精神的な疲労はそれでは取れない。

「もうすぐワイドリーチの目撃場所に着く」

 ディザークの言葉に身を引き締めた。

 ……嫌だけどやるしかない。

 ワイドリーチは生き物が地面を歩く時の振動や音を頼りに襲ってくる。大勢が集まっているところを襲われる危険性が高いから、リドアニアの騎士達も慎重に歩いている。

 そこから更に少し歩いたところで、ディザークが立ち止まった。

 手で止まるように制され、立ち止まると、地面が揺れる。

 ……地震?

 ディザークが近くに落ちていた枝を拾い、放り投げた。

 それがボチャンと泥地に落ちた数秒後、そこが盛り上がり、ドパァアァッと泥が飛び散って大きな何かが地中から飛び出して来た。

「ワイドリーチだ」

 ヴェイン様が声量を落として言う。

 ヒルの魔物ワイドリーチは真っ黒だった。ぬめりと艶のある体は見るからにブヨブヨとした質感で、恐らく頭部だろう部分の先はほとんど口だった。丸く開かれた口には小さなノコギリ状の歯が並んでいて、パクパクと口を開閉している。池の鯉がエサを欲しがる仕草に似ていると思った。

 目のような部分はなく、筒のような体型だが、とにかく大きい。ラージクロコダイルに負けず劣らずといった大きさだ。普通のヒルなら嚙まれても少し血を吸われる程度だが、ここまで大きいと血を吸うというより、そのまま丸吞みにされてしまうだろう。

 ワイドリーチはそのまま土の中へと潜っていった。

 どうやら尻尾に向かって体は細くなっていくようだ。

 泥の中をワイドリーチが移動すると、盛り上がる。

「サヤ」

「うん」

 ディザークに小声で名前を呼ばれて頷き返す。

 詠唱を行い、氷魔法で周辺の沼地を一気に凍らせる。

 すると、慌てた様子でワイドリーチが地面を砕いて出て来た。

 冷たいのは苦手なのか、凍った沼地の上でワイドリーチがうねっている。

 ……うう、気持ち悪っ……!!

 凍ったおかげで足場が硬くなり、リドアニアの騎士達がワイドリーチに駆け寄り剣を突き立てていく。

 黒板を爪で引っかいた時のような耳障りな音が響いた。ワイドリーチの鳴き声らしい。

 風魔法でその体を切り裂いている騎士もいる。地面に潜れないと戦えない魔物なのかもしれない。

 次に障壁魔法でワイドリーチの周囲に箱を作り、天井部分だけを開ける。

「ウィニス様、障壁魔法の追加をお願い!」

「は〜い」

 箱型の障壁魔法が三重になる。

 ワイドリーチが箱型の障壁の中でうごめいていた。

 気持ち悪いけれど、ワイドリーチは一番討伐しやすいかもしれない。

「ディザーク、ウィニス様、風の刃で切り裂いちゃって!」

「ああ!」

「行くよ〜」

 二人が魔法の詠唱を行い、頭上から大量の風の刃を箱型の障壁の中に降らせる。

 ワイドリーチは柔らかそうなその見た目通り、降り注ぐ風の刃で傷付くと、そこから体の色によく似た黒い体液がどろりと出てくる。その体液には毒があるらしい。沼地でこの黒い体液が広がったら、色の判別がしにくく、気付かないうちに毒に触れてしまったということもありそうだ。

「ディザーク、ゼニス君、一緒に火魔法で焼き尽くすよ!」

「やっと出番か!」

 ゼニス君が楽しそうに言い、詠唱を始める。

 わたしとディザークも詠唱を行い、三人で合わせて箱型の障壁の中に高熱の炎を生み出した。

 炎の中ワイドリーチが暴れ、障壁にぶつかり、魔力が消費されていく。

「リーゼさん!」

「失礼いたします!」

 名前を呼ぶとリーゼさんがわたしの口に小瓶を突っ込んだ。

 相変わらず美味しくないが、魔力回復薬を飲めば、一瞬で体に魔力が満たされる。

 更に障壁を張り、強度を上げてゼニス君に声をかける。

「ゼニス君、全力でよろしく!」

「いいぜ、耐えてみせろよ!」

 ゼニスくんが詠唱を行う。長い詠唱だ。

 そして、ゼニス君が障壁に向かって手を伸ばした。

 ゴウッと障壁の上部から炎が空に向かって噴き上がる。

 その炎は紫や白に染まっており、離れていても感じる熱量からも相当な高温だと分かる。

 障壁魔法を使っていても周囲の沼地の水が沸騰し、蒸気が上がっていた。

 燃え上がった炎は十数秒ほどで消え、障壁の中にはほとんど何も残らなかった。

「あ、もしかして素材とかまで消えちゃった!?

「いや、ワイドリーチは素材がない。回収できるのは魔石だけだ」

 ディザークが指差した先で、焦げた塊が灰になり、やがて魔石だけが残る。

 障壁魔法を解除したものの、周囲の沼地はまだ熱そうで、もう一度氷魔法で周囲を凍らせて温度を下げてから回収した。

 これでブロンテラ、ラージクロコダイル、ワイドリーチ、指定された三匹の魔物全ての討伐が完了した。結構大変だったが一日で何とか終えることが出来て良かった。

 エーベルスさんやリドアニアの騎士達と共に来た道を戻って近くの村へ帰ることにした。討伐も大変だったが、帰り道に沼地を歩いて戻るほうがしんどかった。もう沼地には来たくない。

 村で一泊して、翌日、わたし達は首都に帰ったのだった。


 首都に戻る途中、立ち寄った街で一日暇が出来た。

 ディザークが近くの湖に用があるそうで、ゼニス君を連れて出かけて行った。

 街を見て回っても良かったのだけれど、護衛にヴェイン様だけでなく、近衞騎士も複数名つけなければならず目立ってしまうのであまり楽しめないだろう。

 部屋でだらだらしていたら、扉がノックされた。

 ノーラさんが「ウィニス様がお越しになられました」と言うので、会うことにした。

「口うるさい聖騎士様がいないって聞いたから来ちゃった」

 ウィニス様は小さな袋を持っていて、それをノーラさんに渡す。

「これ、街で買って来たクッキーだから、出してもらえる〜?」

「かしこまりました」

 それから、ヴェイン様の収納魔法から出したティーセットが用意され、クッキーも綺麗なお皿に並べられて出された。出されてすぐにウィニス様が一枚食べる。

「うん、美味しい〜」

 どうぞ、と促されてわたしも食べる。

 シンプルなクッキーだけど、ミルクとバター、砂糖を使っているようでしっかりと甘く、やや固めに焼かれていてサクサクとした食感もいい。香ばしい小麦とバターの味が口いっぱいに広がった。

「人間の生にも飽きてたけど、サヤがいるならもう少しこの人生を楽しんでみようかな〜。長生きしていれば、その分、サヤの面白い魔法を見られるかもしれないし?」

「そんな適当な……」

「あたしにとっては大事なことなの。寿命が長いからこそ『楽しみ』がないとね〜」

 ウィニス様がサクサクとクッキーを食べている。

「そうそう! 聞きたいことがあって、ラージクロコダイルの時に障壁に濃い魔力を入れていたよね〜? あんな濃い魔力、どうやって出したの?」

「どうもこうも、魔力を練っただけだけど……」

「『魔力を練る?』」

 ウィニス様がクッキーをかじりながら小首を傾げた。

 実際にやってみせたほうが良さそうだ。

「水飴って知ってる? 水にたっぷりの砂糖を入れて加熱した、砂糖水? 砂糖液? っていうのかな。粘り気があって、こう、二本の棒につけてグルグル練ってると固くなっていくの」

 指の先に魔力を込めて、二本の指を向かい合わせ、少し重ねるようにしてグルグルと回す。

 実際は空気を含ませて固めるのだが、わたしの場合は空気の代わりにより魔力を注いで濃くするイメージである。練ることで濃さが均一になり、より質の高い魔力になる……のだと思う。

 そう説明しながらも、自分でもよく分かっていないのだなあと感じた。

 するとウィニス様が納得したように言う。

「人間は魔法を使う時に『詠唱』『魔力操作』『想像力』の手順が必要で、それを考えて行動しないと出来ないけれど、あたし達ドラゴンはそういうことはなくて、直感で使えるの。サヤはきっとあたし達に近いんだね」

「そうなのかなあ」

 まあ、確かに初めて魔法を試した時は詠唱を使ったけれど、頭で考えたわけじゃない。

 ただ『こんなふうに使えたらいいな』と考えたら魔法を使えた。

「それにしても『魔力を練る』ってすごい発想だよ。これを他の人間が習得したら、きっと、人間の使える魔法の幅は今よりもっと広がるね〜」

「何で?」

「質の良い魔力は効率がいいんだ〜。たとえばだけど、クッキー二枚の魔力が必要な魔法があったとして、普通は魔力を二枚分使うよね? でも、質の良い濃い魔力は同じ大きさや厚みでも砂糖やバターがたっぷり使われていて、一枚で普通のクッキー二枚分の魔力だったとしたら、一枚でその魔法が使えるわけ。これまで五枚分の魔法しか使えなかった人が、少しずつ魔力を練って濃くしたら、自分の枚数より大きな魔法でも使えるようになるでしょ〜?」

「あ、そっか」

 練った分はある程度なら溜めておけるし、魔石などに入れておけば、濃い魔力を自分の容量以上に使うことが出来る。そして、魔石なら使う時に自分の体に負荷がかかりにくいだろう。

「そんなの考えたこともなかったよ」

「サヤは魔法の強度を上げるために使ってるからね〜。実際、魔法の威力はすごいし。人間って魔法の使い方とかめんどくさ〜って思ってたけど、サヤを見てたら、まだまだ魔法にも可能性があるって分かったし? 人間なりの魔法の使い方を探究してみるのも面白そう」

 そう言ったウィニス様は楽しそうだった。

「一兄とゼニスがサヤのそばにいるの、分かる〜」

「面白いから?」

「うん、すごく興味深いよ〜。育ってきた環境が違うから、考え方も違うんだろうね〜」

 文字通り住む世界が違っていたから、わたしはこの世界の人々とは色々違うんだろう。

 この世界の魔法の常識とか、使い方とか、教えてもらってもまだまだよく分かっていなくて、この世界の人々から見れば『変わった使い方をする』になるのだと思う。

「ねえ、サヤ、他にはどんな魔法を使うの? ワイバーンを討伐したって聞いたけど、どうやって討伐したの? その時のことも詳しく知りたいな〜」

 とウィニス様が言うので、わたしはワイバーン討伐の話をすることにした。

 ウィニス様は魔法の話が好きらしく、討伐に使った魔法について説明すると沢山質問をされて、納得するまで色々と話した。目を輝かせて話しているウィニス様は可愛かった。

 そんなウィニス様を窓辺からヴェイン様が微笑ましそうに眺めている。

 結局、ディザークとゼニス君が帰って来るまでわたし達は魔法の話で盛り上がった。

「いいな〜、あたしももっとサヤと一緒にいたいな〜」

 なんて言ってウィニス様がくっついて来て、ディザークが帰ってくるまでそのままだった。


* * * * *


「湖にいる魔物の素材が欲しいって、どの魔物狙いなんだ?」

 馬車の中で、今回同行を頼んだゼニスに問われ、ディザークは車窓から顔を上げた。

「シルヴァレーンだ」

「ああ、あの魚のヤツか」

 シルヴァレーンとはかなり大型の魚の魔物である。全体的にややくすんだ銀色で、鋭い歯を持ち、獰猛で、肉食だ。素材として鱗や歯、ヒレなどが得られるが、鱗は過熱加工をすると透き通った美しい色合いになるため、かなり人気が高い。

 けれども人が四、五名で手を広げても足りるかどうかというほど大きい上に、水の中を自在に動き回ってそのまま攻撃してくることもあり、なかなか討伐が難しい魔物でもある。

「あいつのヒレ裏の鱗、すっげー綺麗だって聞いたことあるぜ」

「ああ、それを手に入れるために討伐する」

 以前、サヤが言っていたが、どうやら肌が弱くて金属が苦手らしい。

 魔物素材はどうかと問われると謎ではあるが、シルヴァレーンの鱗……特に横ヒレの裏にある逆鱗と呼ばれる鱗は装飾品として好まれるので、サヤが使っても恐らく大丈夫だと思う。

「サヤに贈り物をしたくてな。だが、私的なもののために騎士を動かすわけにはいかない。そもそも、婚約者への贈り物を他人任せにしたくはない」

「なるほどな」

 頭の後ろで両手を組み、馬車の座席にゼニスが寝転んだ。

「オレには分かんねーけど、婚約ってのは『つがいになる約束をする』ってことだろ?」

 婚約について関心があるのか、それとも別の何かなのかは不明だが、珍しくゼニスに問われた。

「そうだ」

「ディザークはサヤが強くて、負けたから番になるのか?」

 予想外の言葉に、ディザークは目を瞬かせてしまった。

「いや、そういうわけではないが……まあ、確かにサヤの強さや性格に惹かれたという面はある。だが、俺が負けたからサヤと婚約をしたという話ではない」

 そこから、サヤとのこれまでについて大まかにゼニスに説明をした。

 思えば、サヤについてきちんとゼニスに話したことはなかった。

 異世界から召喚された人間であること、しかし魔力が感じられず役立たずだと思われドゥニエ王国での扱いが酷かったこと、ディザークの婚約者として連れ出したこと、ヴェインに気に入られて『愛し子』と可愛がられていること。

 その後のドゥニエ王国との事件なども説明すると、ゼニスは呆れた顔をした。

「アイツ、結構苦労してるんだな」

 それについては同意する他ない。

 帝国も召喚の際に魔法士を派遣したので、サヤに関してはこちらにも非はある。

 だからこそ、ディザークとしてもサヤが幸せに暮らせるように尽力したいと考えている。

「最初は『三食昼寝付き』でのんびり暮らすつもりだったようだ」

「はあ? サヤが? 無理だろ。何でも首突っ込みたがるし、何かと問題ごとに巻き込まれるし、あれでお人好しなところもあるし、落ち着きねーし、あれだけ力があれば周りが黙ってないんじゃないか?」

 褒めているのか貶しているのか微妙なゼニスの言葉にディザークは苦笑してしまう。

 ……実際、その通りだ。

 サヤに聖女としての能力があると判明してからは聖女の仕事をして、魔物討伐にも参加して、精霊界に行って真の聖女となって今度は各国の魔物討伐と、常に何かしら問題を解決している。

 今のサヤは『のんびりと暮らしたい』などと言っても、それが叶う立場ではなくなってしまった。

「サヤは優しいから、時々心配になる」

「どこがだよ!? アイツにされたこと、オレは忘れてねーからな! お前も一兄も、あんまりアイツを甘やかすなよ! ……ったく、ドラゴンをいじめるようなヤツが優しいとか笑えないっての」

 顔を顰めたゼニスは心底不満そうな声だった。

 ゼニスはサヤに負けたことがあり、ずっとそれを気にしているらしい。

「ゼニスはサヤが苦手か?」

 と問うと、何とも表現しがたい変な顔をされた。

「……別に苦手でも嫌いでもねーけど……アイツはオレより強いだろ? ドラゴンは誇り高い生き物なんだぞ。本来は誰にも頭を下げたり、膝をついたりしない。でも、自分よりも強い相手に負けたら服従する。そういう性質があるんだ」

「そうなのか」

 言われてみれば、ゼニスはあれこれ自己主張するものの、サヤに言い返されたり怒られたりするのは苦手そうな雰囲気がある。それはサヤのほうが強者だと認めているから、強く出られないということか。

「オレは負けた。それは認めるし、サヤが強いのも認める。まあ、アイツみたいにオレに文句を言ってくる人間なんて今までいなかったから、面白いし、今の生活も封印されていた時に比べれば悪くねーよ」

 フンッと体を座席の背もたれのほうに向け、ゼニスはそれ以上何も言わなかった。

 それが照れ隠しであることはディザークでも察しがついた。


 そうして、目的地の湖に到着する。

 御者の騎士は馬車で待機させ、ディザークとゼニスは湖に向かった。

 大きな湖は周囲を森で囲まれ、美しく、青々とした湖面が広がっている。

「水中にいるシルヴァレーンと戦うって難しくねーか?」

 横に立ったゼニスが言う。

「ああ、水上の戦いというわけにはいかんな」

「オレの火魔法で湖の水を熱湯に変えるとか?」

「絶対にやめろ」

 ゼニスはサヤのことをあれこれ言うが、ディザークからすれば似た者同士である。

 この湖は近隣の村や街の者が魚を獲る場所であり、ここの水を生活のために利用している者もいるだろう。

 もし熱湯にして生き物が死に絶えてしまったら取り返しのつかないことになる。

 ……悪気があっての発言ではないのは理解できるが……。

 ゼニスはやはりドラゴンで、人間とは考え方が違うのだと再認識した。

「じゃあどーすんだ?」

 見上げてくるゼニスにディザークは考える。

 湖全体に何か手を加えることは出来ない。

 湖面を凍らせ探し回るとしても手間と時間がかかる上に、ディザークもゼニスも水系統の魔法が苦手なので人が歩けるほど厚みを持たせて凍らせるのは厳しい。

 ……そうかと言って、釣りでは獲れるかどうか分からない。

「魔物と言っても魚だ。網で獲るのはどうだ?」

 ここは下手に余計なことはせず、一般的な手法を取るべきだ。

「網? 持ってきてんのか?」

「いや、ない。だが、ゼニスと俺とで闇属性の蔦を使えば出来るだろう」

 ゼニスは元よりドラゴンなので全属性が使えるし、ディザークも聖印のおかげでそれなりに全属性の魔法が扱えるようになっている。精霊界から戻ってきて以降、様々な魔法の練習もしてきた。

 今回はその成果を確かめるのに丁度いい機会であった。

「あ~、あれな」

 ゼニスが封印から目覚め、ヴィレンツァ王国で暴れていた時にサヤが使った魔法だ。

「網を水の中に通し、シルヴァレーンがいたら陸地に出す。いなければ、戻す」

「分かりやすくていいな」

 二人で頷き合い、ディザークは詠唱を行う。

 そしてゼニスと共に二人がかりで闇属性の蔦を生み出す。

 サヤが作り出すほどの強度はないものの、水中を軽くさらうくらいなら何とかなりそうだ。

「じゃあ行くぜ!」

「ああ」

 息を合わせて網を湖に広げて落とす。

 魔法の網なので、普通の網と違ってある程度は自由に動かせる。

 感覚に意識を集中させていると、網に何か大きなものが引っかかる気配を感じた。

「上げるぞ!」

「おう!」

 網を引き上げると水面の下に大きな銀色が見えた。シルヴァレーンだろう。

 網が湖面まで来たところで、シルヴァレーンが暴れ、勢い良くこちらに飛びかかってきた。

 巨大な魚が開けた口には鋭い歯が棘のように密集しているのが見えた。

「うわっ!?

 飛びかかってくるとは思っていなかったのだろうゼニスが声を上げ、手を向けた。

 瞬間、シルヴァレーンが炎に包まれ、頭上を通り抜けると鈍い音を立てながら地面に落ちる。

「ゼニス……」

 シルヴァレーンは焼け焦げ、姿が空気に溶けて消え、素材が残る。

 鱗も歯もヒレも焦げていて、鱗は熱が通ってしまったからか色が変化していた。逆鱗は熱を加えながらでないと形を変えることが出来ず、一度色が変化してしまったものはそれ以上手を加えられなくなる。これではもう使い道はない。

「わ、悪かったって! あ、これはオレが貰うからさ、もう一匹か二匹捕まえればいいだろっ?」

「まあ、それもそうだな」

 ゼニスが素材を回収する。

「シルヴァレーンの鱗は熱が通るとこんなに綺麗なんだな!」

 宝石好きなゼニスから見ても、ガラスのように透明感のある銀の鱗は美しいらしい。気に入ったのかいそいそと収納魔法に放り込んでいる。

 ディザークは全属性の魔法を使えるようになったものの、収納魔法は習得できなかった。

 自分の元々持つ属性は威力が強くなったり、より上位の魔法が扱えるようになったりしたが、属性のなかったものは多少扱える程度で、収納魔法のような上位の魔法までは無理らしい。

「とりあえず、もう一度やろうぜ」

 というゼニスの言葉に頷き、また二人で網を作る。

 そして何度かに分けて水中を探っていると、先ほどと同じ感覚があった。

 ゼニスを見れば頷き返される。

 網を引き上げつつ、風魔法の詠唱をする。

 水面に現れたシルヴァレーンが暴れる前に、風の刃を放ち、横ヒレの直前で頭を落とす。

 それでも網の上でビチビチと数秒暴れていたが、すぐに体が消えて素材だけが残された。

 網を地上まで引っ張り、素材を回収する。

 まだ鈍い銀色の鱗なのは熱が通っていない証である。

 ……歯やヒレは持ち帰って残しておくとするか。

 シルヴァレーンの歯やヒレは薬の材料となるし、ヒレは酒に浸けても美味いと聞いたことがある。

 確か、シルヴァレーンのヒレ酒は高級品で、兄上が好きだったはずだ。

「どうだ? 今度は素材、採れたか?」

「ああ。だが、加工が失敗した時のために、出来ればもう一匹分は欲しいところだ」

「いいぜ、付き合ってやるよ」

 それから、また網で水中をさらい、三匹目のシルヴァレーンを討伐したのだった。

 ……一匹分のヒレは兄上に渡すとしよう。

 もう一匹分もヒレ酒は造っておこう。

 サヤの生まれた国では法律で二十歳まで飲酒が禁止らしく、夜会ではジュースを飲んでいる。

 そのうち、サヤが二十歳になって酒を飲みたいと言った時に、最初は美味いものを飲ませてやりたいし、ディザークもヒレ酒には少し興味があった。

「ヒレと歯はいらねーな」

 ゼニスも酒は飲まないようなので、持っていても意味がないだろう。

「ヒレは酒に浸けると美味い酒になるそうだ。ヴェインに渡してみたらどうだ?」

「あ~、一兄は酒好きだしな」

「たまには互いに兄孝行でもしよう」

 ディザークの言葉にゼニスは「まあ、どうせ持ってても邪魔なだけだしな!」と顔を背けて言ったが、その横顔は機嫌が良さそうだった。

 ゼニスは兄であるヴェインを慕っていて、仲も良いので、兄の喜ぶ顔が見たいのだろう。

 鼻歌交じりに馬車に戻るゼニスを追って、ディザークも歩き出した。


* * * * *


 ディザークは、帰ってくるとすぐにわたしの様子を見に来てくれた。が、わたしにまとわりつくウィニス様を目撃してわたしから引き剝がし、部屋から追い出すと呆れた顔で小さく溜め息を吐いた。

「まったく……」

 どうやらディザークはウィニス様があまり好きではないらしい。

「もしかしてウィニス様のこと、ちょっと苦手?」

「……サヤは俺の婚約者だ」

 好きとか嫌いとかいう話ではなく、嫉妬してくれていたらしい。

 ソファーの、わたしの横を叩く。

「そうだね、婚約者で恋人はディザークだけだよ。ところで、用事は済んだ?」

 わたしの横に腰かけたディザークに問えば、頷き返される。

「ああ」

「湖に何の用だったの?」

「少し欲しい素材があってな。魔物を何匹か討伐してきた」

 ディザークは軍人でもあるからか体力がある。

 わたしは今回の魔物討伐で結構疲れてしまったけれど、ディザークもエーベルスさんも、討伐に参加した騎士達もみんなそれほど疲れた様子はなく、首都への帰還を喜んでいるようだ。

「欲しい素材は手に入った? というか、ディザークの立場なら買うことも出来るんじゃない?」

 皇弟殿下だし、聖騎士様だし、わざわざ自ら討伐に行かなくても手に入る気がするが。

「これだけは自分で討伐して手に入れる必要があるんだ」

「そうなんだ?」

 何に使うのか気になったけれど、ディザークがそれ以上は言わなかったので、わたしには関係のないことなのだろう。いちいち訊くのは何だか鬱陶しいかもしれないから、やめておこう。

「湖、綺麗だった?」

「ああ、それに思ったよりも大きかった」

「明日はさすがに見に行く余裕はないよね」

「出立した後に湖の横を通る。その時に馬車から見えるだろう」

 肩を抱き寄せられてディザークに寄りかかる。

 この街に来る途中、湖について一言も聞かなかった。

 恐らく、ここに来るまでの道で湖のそばを通らなかったのだ。

 それでもディザークが『湖が見える』と言うのなら、多分、見える道を通ってくれるということなのだと思う。分かりにくいけれど、こういう気遣いをしてくれるところが好きだ。

「ありがとう、ディザーク」

「急に何だ」

 ディザークが不思議そうに言うので、わたしはギュッと抱き着いた。

「何でもない! 言いたかっただけ!」

 ふ、と微笑んだディザークが抱き締め返してくれる。

 その表情はとても優しくて、わたしの好きなものだった。

「そうか」

 近づくディザークの顔にそっと目を閉じた。


* * * * *


「真聖女様、守護聖騎士様、よくぞご無事で!」

 首都に戻ると議長達に出迎えられた。

 魔物討伐を一日で終わらせたいと伝えてあったし、早馬で帰還を伝えていたはずなのだけれど、何故か大袈裟な反応と出迎えを受けて驚いた。

 それからすぐに魔物討伐の報告を行い、出立前と同じ客室に案内される。

「今夜は盛大な夜会を開きましょう」

 と言っていたので、今夜はそれに出ることになるだろう。

 ディザークは討伐の詳細を説明するために議会室に行っている。

 わたしも行こうかと訊いたけれど、ディザークは首を横に振った。

「俺だけで十分だ。それより、少し休め。早ければ明日か明後日には次の国に発つ」

「分かった。早めに魔物討伐は終わらせたいし、ちょっと休ませてもらうね」

 ディザークの手がわたしの頰に触れ、軽く撫でてから離れると部屋を出て行った。

 荷物の片付けなどをリーゼさんとノーラさんに任せて、ベッドに寝転がる。

 泥だらけになってしまった服は処分するそうだ。

 それについて宮殿の使用人達に「わたくしどもが処分いたしましょうか?」と訊かれたけれど、何故かリーゼさんとノーラさんが断固として断っていた。服は持ち帰るらしい。理由を訊いても教えてくれなかった。

 ……まあいいや……。

 パーティーまで、とりあえず今は休んでおこう。


* * * * *


 サヤにつけている侍女の報告に、ディザークは溜め息を吐いた。

「絶対にサヤのものは、一つたりとも残すな」

 それに侍女が心得た様子で頭を下げ、部屋を出て行く。

 リドアニア連合国はこの大陸に数ある国の中でも、聖人や聖女に対する崇拝が強い場所だ。聖人や聖女の言葉は全て通り、その地位は最上位。聖女ウィニスが面倒くさがりな性格だからこそ何も起こらずに済んでいるが、過去には聖人や聖女が国政に関わることも珍しくなかった。

 そして、神殿に『真の聖女』と認められたサヤは、リドアニア連合国では神に近しい存在と思われている可能性がある。

 そのことについてはそれぞれの国色というものもあるだろうし、敬虔な信徒であることも構わないけれど、信仰心も過ぎれば問題となる。

 この場合、サヤの使ったものや忘れていったものなどが売買されるかもしれないという点だ。自分の使用したものを使って崇められるのはさすがに嫌だろう。

 思わず溜め息を吐けば、腹心のアルノーに声をかけられた。

「ディザーク様、そろそろ夜会の準備をされたほうがよろしいですよ」

「もうそんな時間か」

 とはいえ、マントを着けるだけなのでそれほど手間はないが。

 ソファーから立ち上がれば、アルノーがディザークにマントを着け始める。

「お前も来るか?」

「いえ、私は特に活躍もしておりませんので」

「そうか。まあ、俺達もそう長くはいないだろう」

 前回の夜会でも、あまりの煌びやかさと賑やかさにサヤは辟易してしまったようで『明日は早いので』と言い訳をつけて早めに退出した。ディザークもリドアニア連合国の夜会には初めて出席したが、華やかすぎて少し落ち着かなかった。

 ディザークの肩にマントを着け終えたアルノーが下がる。

「行ってらっしゃいませ」

「ああ」

 そうして部屋を出て、隣室の扉を叩く。

 中から双子の侍女の片方が出て来て、ディザークを見ると部屋に通した。

 サヤは聖女の装いだが『真の聖女』であるからか、普通の聖女のものよりやや華やかだ。

「あ、もう時間?」

 立ち上がったサヤにディザークは歩み寄った。

「ああ、もうすぐ迎えが来る」

「わたし、基本的にパーティーって苦手だなあ」

「だろうな」

 サヤは夜会や茶会などがあると、その後はぐったりしていることが多い。

 奉仕活動でも疲れた様子を見せるものの、そういう時とは少し違うらしい。

 嫌なら欠席することも出来る。だが、サヤはそうしない。

「明日の朝にはここを発つ」

「次の国のオースフェン王国には聖人も聖女もいないんだよね? ……大丈夫かなあ」

「何がだ?」

「ドゥニエ王国の件があったからさ、また何かあったら嫌だなあって思って」

「さすがに何もないだろう。今、帝国と事を構えても利点はない」

 帝国の次に大きな国とはいえ、帝国のほうが国力もあり、軍事面においても強い。

 両国が戦争となれば周辺国も被害を受けるため、戦争が起きそうになっても各国が仲裁に入るだろうし、どちらが勝っても周辺国の脅威になる。共倒れにならない限り、戦争は悪手だ。

「そうだよね」

 サヤがホッとした様子で頷いた。

 そんな話をしていると部屋の扉が叩かれ、侍女が出る。案内役の使用人が来たようだ。

 差し出した腕にサヤの手が添えられる。

 サヤが口元に手を添えたので屈んで顔を近づければ、サヤが囁いた。

「サッと行って、パッと終わらせちゃおう」

 これから夜会に出る主役の言葉とは思えず、ついディザークは笑ってしまった。

「この国の者達には悪いが、そうしよう」

 ヴェインも護衛としてついて来る。

 部屋を出て、使用人の案内で宮殿の中を歩く。

 煌びやか、華やかと言えば聞こえはいいが、あまりディザークの好みではない。

 元より芸術にさほど興味がないこともあって実用的なほうが好きだ。

 舞踏の間に着けば、扉の左右にいたこの国の騎士達が背筋を伸ばす。

 サヤを見れば頷き返されたので、騎士達に視線を向けると、扉が開かれる。

 サヤとディザークの入場を告げる声と共に舞踏の間へ足を踏み入れた。

 以前は集まる視線に少し体を強張らせていたサヤだけれど、今はもう慣れたのか普段通りにしている。恐らく内心で『派手だなあ』などと思っているのだろう。

 最近、何となくサヤの思考が分かるようになってきた。ただし、それは普段の生活面でのことで、魔物との戦闘では何を考えているかいまだに理解できないこともある。

 入場するとすぐに議長の男が近づいて来る。

「真聖女様、守護聖騎士様、この度は魔物討伐、まことにありがとうございます。あの沼地は商人達も通ることの多い場所なのですが、あのように恐ろしい魔物がおり、我々も討伐できず非常に困っておりました。お二方のおかげで魔物がいなくなり、今後、この首都を含めた近隣の街や村はより発展することでしょう。全てお二方のご助力の賜物で──……」

「はいは〜い、話が長いよ〜」

 議長の挨拶を遮るように聖女ウィニスが割って入った。

「あたしもだけど、サヤ達も疲れてるんだからあんまり引き止めないほうがいいよ〜?」

「……そうですね、わたくしとしたことが失礼をいたしました。真聖女様、守護聖騎士様、どうぞごゆっくりお楽しみください」

 聖女ウィニスの言葉に議長が離れて行く。

 議長が早々に挨拶を切り上げたことで、他の議員達の挨拶も手短に済んだ。

 ……まあ、聖女ウィニスがサヤに張りついているからだろうが。

 議員達の挨拶が終わったのでサヤを壁際の椅子に座らせる。

「疲れていないか?」

「大丈夫……って言いたいところだけど、ちょっと疲れたかも」

 椅子のそばに立ったディザークにサヤが寄りかかってくる。

 鎧は硬いだろうに、寄りかかったまま動かない。

 集まる視線からサヤを隠すように立つ。

 ヴェインも横に立ち、周囲の視線を遮った。

「夜会って疲れるよね〜」

 サヤの隣に座る聖女ウィニスがのんびりと言う。

 どうやらサヤのことを相当気に入ったらしく、討伐遠征中はよくサヤに話しかけていた。

「討伐についてはあたしがみんなに話しておくから、早めに戻ってもいいんじゃない?」

「うーん、でも、もう少しだけここにいようかな。せっかく開いてもらったのに挨拶だけしてすぐ戻るのは申し訳ないし……」

「ふ〜ん? サヤは真面目だね〜」

 肘掛けに頰杖をついた聖女ウィニスが、サヤを見てニヤリと笑みを浮かべた。

 サヤはこちらに寄りかかって目を閉じているので、気付いていない。

「ところでさ、あたしも帝国に行っていい?」

 まるで少し散歩に行きたいとでも言うかのような軽さで聖女ウィニスが訊いてくる。

「え?」

 サヤが目を開けて体を起こし、聖女ウィニスに振り向いた。

 ざわりと周囲がざわめいた。

 多少離れていても、こちらの声に聞き耳を立てていたのだろう。

 このような場ではよくあることだが、少し不愉快だった。

「……聖女ウィニス、冗談はよせ」

「冗談じゃないよ〜。色々考えたんだけど、このままサヤと離れちゃったら魔法の話も出来ないし、もっとサヤの魔法を見たいし、帝国に行きたいな〜って思って」

 その表情からして本気で言っているようだ。

 サヤも驚いた表情で聖女ウィニスを見ている。

「いやいや、無理でしょ!? ウィニス様がいなくなったら、この国の聖障儀の魔力充塡とか、奉仕活動とか、色々困ることもあるのに──……」

「聖障儀の魔力充塡は、ほら、サヤがドゥニエ王国の聖障儀に魔力を注いでるみたいに転移門で運んでもらえば良くないかな〜? 奉仕活動も別に絶対にやらなきゃいけないことじゃないし?」

「それはダメだと思う」

 即答するサヤに思わずディザークも頷いた。

 リドアニア連合国の聖女が帝国に来たら、両国の間であつれきが生まれかねない。

 ただでさえ『真の聖女』がいるのに、他国から聖女を奪ったと非難されるし、聖女ウィニスが自ら望んだことだとしてもリドアニア連合国の民は確実に反対する。議会でも却下されるだろう。

 聖女ウィニスは「ええ〜?」と軽い反応をしているが、このままでは国際問題に発展する以上断るしかない。

「残念だが、聖女ウィニスを帝国に招くことは出来ない」

「どうしても?」

「ああ、どの国でも聖人や聖女の存在は大きいものだ。我が国には既に二人の聖女がいる。これ以上、聖女が増えることを帝国は望んでいない」

「そっか〜」

 バタバタと慌ただしい足音がして、議長が駆け寄って来る。

「ウィニス様……!」

 それに聖女ウィニスが頰杖をやめて顔を上げた。

「あ、丁度いいところに来てくれた〜。ねえねえ、あたし帝国に行ってもいい?」

「いけません!!

「ええ〜?」

「このリドアニアの民がどれほどウィニス様を慕っていることか……! ウィニス様を失った我が国は火が消えた薪も同然です! 皆が温かな心と豊かさを持つのはウィニス様がいらっしゃるからで──……」

 議長が必死に説得しているのを、聖女ウィニスはつまらなそうに眺めている。

 その様子からして、今までに何度も同じような話をされているのだろう。

 本気で聖女ウィニスが帝国に来たいと言えば、拒むことは難しく、リドアニア連合国も従うしかないのだろう。だが、その選択は聖女ウィニス以外、誰も喜ばない結果となる。

 サヤもそれを理解しているのか、聖女ウィニスに声をかけた。

「ウィニス様、聖女には責任があるとわたしは思うよ」

「それ以外の道を選びたくても選べなかったのに?」

 聖女ウィニスの言葉にサヤは少し考える仕草をする。

 しかし、顔を上げると頷いた。

「わたしには帝国に行く道しかなかったし、聖女になるしかなかったけど、それでも最終的には自分で決めたことだった。ウィニス様は色々としがらみがあるのかもしれない。でも、その代わりに聖女として受けてきた恩恵もあったはず」

「そうだね〜、あたしも結構好き勝手してるしね〜」

「聖女だからこそ、言っていい『わがまま』とダメな『わがまま』はあるんじゃないかな」

 聖女ウィニスがジッとサヤを見る。

 サヤもその目を見つめ返し、しばしの後、聖女ウィニスは楽しげに笑った。

「あはは、全くもってその通りだね〜」

 そう言って立ち上がる。

「じゃあ、たまに帝国に遊びに行くのは? それならどう〜?」

「……都度皆の採決を取る必要はありますが、可能かと」

 議長も、それなら、と譲歩したのだろう。

 ディザークは聖女ウィニスから向けられた視線に小さく息を吐いた。

「俺の一存では決められん。皇帝に訊く必要がある」

「訊いてはくれるんだ〜?」

「一応な」

 ……だが、恐らく兄上は受け入れるだろう。

 帝国に移ることは許可できないが、たまに来る程度ならばドゥニエ王国の聖女と同じだ。国同士での諍いも起こらないだろう。

「じゃあ訊いておいて〜」

 ポン、と腕を軽く叩かれる。

 そうして、ふらふらと歩き出す聖女ウィニスを慌てて議長が追いかけて行った。

 サヤを見れば、目が合った。

「……何か、すごく疲れちゃった」

「……そうだな」

 先ほどの騒ぎでこのままだとより人々が集まってくるだろう。

 近くの議員に声をかけて、サヤとヴェインを連れて早めに退出することにした。

 サヤを部屋まで送り届けたものの、引き止められた。

「ディザーク、少し話せる?」

「ああ、構わない。俺も話をしようと思っていた」

 サヤの部屋に入れば侍女達とゼニスがいた。

 扉を閉めると即座にヴェインが防音魔法を展開させる。

「妹がすまない。どうも、昔からあれは気紛れすぎるところがあってな……」

 さすがのヴェインも先ほどのことはまずいと感じたようだ。

 サヤと共にソファーに座れば、向かいにヴェインが腰掛ける。ゼニスも窓辺から立ち上がって、ヴェインが座るソファーの背もたれに寄りかかった。

「何かあったのか?」

「うむ、聖女ウィニスが突然『帝国に行きたい』と言い出してな」

「はあっ? ったく、相変わらずアイツは自分勝手だよなー」

 呆れた顔をするゼニスに、サヤが物言いたげな目を向けた。

 宝石を盗んだ人間は悪だが、それで無関係の国を滅ぼしかけたゼニスもなかなかに自分勝手だ。それに今でも好き勝手しているところはあるので他人のことは言えないだろう。

「何だよ?」

「ゼニス君も結構、自分勝手だと思うけどね」

 サヤの言葉にぐっ、とゼニスは言葉を吞み込む。

「それはともかく、一応本人も考え直したので問題はない」

「まあ、自分勝手なところはあるけど、アレで直感だけは鋭いしな。言ってみたけど、まずいって感じたからすぐに諦めたんだろーぜ」

「そうだといいんだが……」

 つい、溜め息が漏れてしまう。

 サヤがそっと手を重ねてきたので、大丈夫だと、その手を握り返す。

「サヤがしっかり言ってくれたおかげだな」

「うーん、ああ言ったけどさ、本当のところは『皇帝陛下は簡単に国を捨てるような人を国の要となる聖女として迎え入れたりしなさそうだったから』ってことなんだけどね」

 サヤの言う通り、兄は帝国を大事に思っていて、国のために動く人だ。

 争いの火種となる聖女ウィニスを簡単には受け入れないだろう。

「確かに、兄上ならば断る」

「そう、でも皇帝陛下が断ったら『聖女の意思を拒絶した』って言われかねないし、同じ聖女同士ならそういうのはないから。言い方は悪いけど、聖人とか聖女の中ならわたしのほうが立場は上だから、多少きついことを言っても大丈夫だし。……ちょっと言いすぎちゃったけど」

 聖女ウィニスは孤児院について話していた。

 彼女が聖女になることで孤児院に金が回っているのかもしれない。

 もしも聖女ウィニスがこの国を離れたら、孤児院はどうなるか分からない。

 ……人質のようなものか。

 ああいうことを言うくらいには、この国での聖女という立場が嫌なのだろう。

「多分、ウィニス様は息苦しいんだよ」

「息苦しい?」

 ディザークは首を傾げた。

「うん。聖女として崇められて、献身を求められて、みんなの思う『聖女様』でいなくちゃいけないのってつらいんじゃないかな。……その、ディザークは生まれた時から皇族だけど、みんなの期待が重く感じることってなかった?」

 サヤの言葉に幼い頃のことを思い出す。

 教師達から兄や姉と比べられ、二人よりも劣っていたディザークはそれがつらかった。

 しかも教師達は常々『皇族は国の顔なのだから優秀でなければならない』と言い、それは事実であったが、当時のディザークにとっては二人と比べられる度にみじめな気持ちになった。

「……あった」

「ウィニス様もそうなのかも。この国って聖女様とかをすごく崇めるんでしょ? それってかなり重いんじゃない? もしわたしがこの国の聖女にされそうになったら逃げてるよ」

 同じ『聖女』であるサヤがそう言うなら、そうなのかもしれない。

「明日、出立の時にチョビ髭さんに言ってみるよ」

 一瞬、耳を疑った。

 ……一体誰のことだ?

「チョビ……何だって?」

「チョビ髭さん、議長のおじさんのこと。鼻の下にちょびっと髭が生えてるから、チョビ髭。わたしの生まれた国にはない名前ばかりだから、この世界の人の名前ってなかなか覚えられないんだよね」

 思わず噴き出しそうになるのを堪え、口元を隠して顔を背ける。

 それで笑い声は抑えられたものの体が震えることまでは止められなかった。

 ……サヤはたまにこういうふうに人を笑わせてくる。

 本人に自覚はないようで小首を傾げているが、普段は全く動じない様子の侍女達も珍しく笑いを堪えているようだった。

 ややあって笑いが落ち着いたところで顔を戻す。

「……ゼニーニョ=エルゲール殿のことか?」

 議長と言えば、その人物しかいないだろう。

 確かに、サヤの言う通り鼻の下に少し髭を生やしていた。

 また笑いが込み上げそうになるのを咳払いで誤魔化した。

「あー、多分その人?」

「お前も大概、適当だな」

 だが、サヤのおかげで室内の暗かった空気はなくなっていた。


* * * * *


 ウィニス・グレイスは薄暗い部屋の中、窓辺に座って夜空を見上げていた。

 一度目の人間の生は楽しかった。

 どこかの国の小さな部族に生まれ、自由で、立場にも縛られなくて、誰とも結婚はしなかったけれど、村を守る戦士として生きた。毎日好きなことをして過ごせたし、どこまでも広い空の下、青々とした森の中を駆け回って過ごす日々は昨日のことのように思い出せる。

 寿命で死んだ後、色々な生き物に生まれ変わった。

 猫、馬、鳥、植物になったこともあった。どの生もそれなりに楽しかった。

 だから、また人間の生に戻って来たのだけれど、今生はこれまでで最悪だった。

 孤児院に捨てられた子供として生を受けたものの、魔力量の多さと聖属性持ちということから、十歳になる頃には『聖女候補』と言われて孤児院から大きな神殿に移され、十二歳になれば『聖女』にされて宮殿に閉じ込められた。

 誰もが『ここが聖女様の新しいお住まいです』と言うが、孤児院で小さな子供達と身を寄せ合い、駆け回っていた頃のほうが温かくて楽しかったと思う。

 明るい笑い声も、誰かと身を寄せ合う温もりも、寝る前に優しく「おやすみなさい」と声をかけてくれる人もいない。常に周囲に人はいるのに誰とも近づけない。この国の聖女は孤独だ。

 それもあって、少し羨ましかったのだ。

 婚約者がいて、兄や弟に囲まれて、神殿から『真の聖女』と認められたサヤが孤独ではないことが。自分よりも孤独なはずなのに、孤独ではなかったから、その違いを感じて胸が苦しくなった。

 これまでの『面倒くさい』とか『寒い』とか、そういうものと似ているけれど違う感情。

 もっとモヤモヤしていて、苦しくて、サヤと魔法の話をするのは楽しいのに、時々サヤのことを突き飛ばしたくなるような、そんな衝動が込み上げてくる。

 ……人間って難しいな〜……。

 でも、サヤに真正面から『わがまま』だと言われた時、否定できなかった。

 確かにこの道しかなかったかもしれないが、自分はそれを受け入れた。

 本気を出せば逃げられたし、孤児院の人々や子供達のことだって、自分が聖女になれなかったとしても暮らしがそれ以上悪くなることはなかっただろう。

 ただ、それが嫌だったのだ。

 孤児院での暮らしは余裕もなく、生きるだけで苦労する。

 それを身をもって知っているからこそ、孤児院の暮らしを良くしたかった。

 ……情が移っちゃったんだよね〜。

 帝国に行くというのも本気ではなかったけれど、他国に行けば何かから解放されるかもしれないという漠然とした期待が心のどこかにあった。

 この国から少しでも離れれば、息苦しさを消せるのでは。

 もう何年も聖女として過ごしている中で息苦しさは当たり前になってしまったが、年々と体のだるさは重くなっていく。

 医者は『健康です』と言う。だが、体が重い。気分が落ちる。

 サヤと過ごす時間は楽しいけれど、苦しい時もあって、しかしそんな変化自体が久しぶりでやっぱり楽しかったのだ。

「……嫌われちゃったかな〜……」

 身勝手だと分かっているが、そうだとしたら少し寂しい。

 ……寂しい? ドラゴンのあたしが?

 驚きのあまり笑ってしまった。

「あはは! あははははは!」

 ……そっか、そうなんだ。

 不思議とその言葉はしっくりくる。

 見上げた月が静かに輝いている。

 ……あたし、寂しかったんだ。


* * * * *


 翌日、出立の準備を整えるとわたし達は転移門の広間に集まった。

 何故か部屋を出る前にリーゼさんとノーラさんが何度も忘れ物がないか確認をした上で、室内を軽くだが清掃していた。ヴィレンツァ王国ではそんなことはしていなかったのに。

 ……まあ、でも綺麗にしておいて嫌がられることはないよね。

 そんなことを考えていると議長に話しかけられた。

「真聖女様、守護聖騎士様、昨夜はお疲れの中で夜会に出席していただき、ありがとうございました」

 チョビ髭の議長を見て、ディザークの口元が一瞬引き結ばれたけれど、すぐに何事もなかった様子で返事をする。

「こちらこそ、祝いの夜会であったのに先に退出してしまってすまなかった」

「いえいえ、お二方の無事なお姿を見て、皆も安堵しておりました。……こちらは、心ばかりのお礼ですが……」

 と議長の横から議員の一人が華やかな箱を差し出した。

 ディザークが首を横に振る。

「ありがたい申し出だが神殿に寄付してほしい。我々は精霊王様の導きに従い、世界のために魔物を討伐しているが、それは人々のためだ。貴国には討伐部隊を出してもらった。リドアニア連合国の信仰心は十分伝わっている」

「かしこまりました。こちらは神殿に寄付いたします」

「特に聖女ウィニスのいた孤児院への配分には気を回してくれ。彼女は今回の討伐で奮闘した」

 議長の後ろにいたウィニス様が目を丸くする。

 ……ディザークのこういう気遣いが出来るとこ、本当好き。

 わたしもそれに頷いて、付け加える。

「そうです、ウィニス様のおかげで魔物討伐はスムーズ……えっと、予定通りに出来ました」

「共に戦った者として、彼女の貢献に感謝を」

「ありがとうございます、ウィニス様」

 わたし達がそう声をかければ、ウィニス様は何故かばつが悪そうな顔をした。

 昨夜のことを気にしているのだろうか。

「それから議長様、ウィニス様に自由な時間を作ってあげてください。わたしも聖女なので分かるのですが、聖人や聖女という立場や責任を重く、苦しく感じることがあります。そういう時、少しでも今の状況から離れられる場所や時間があれば、心を落ち着けることが出来ます」

 ウィニス様が驚いた様子でパッとこちらを見る。

「わたしも、ウィニス様も、人間です。心が揺らぐこともあります」

「しかし、聖女様は我らの光で──……」

「信仰心と期待を押しつけるのは違います。こうあるべき、こうでなければいけない、というのはあなた方の期待であり、聖女がどうあるかは聖女自身が考えるべきことです。……わたしでも、もしそのような状況であれば他国に行ってみたいと思いますよ」

 わたしの言葉に議長達がハッと息を吞んだ。

 ウィニス様だけなら『わがまま』と取られるだろうけれど、他の聖女もそうだと言えば、それは『わがまま』などではなく考えなければいけない『課題』となる。それに、わたしもウィニス様の状況を知っていますよ、という警告とも取れる。

 聖女を失いたくなければ、もっと聖女の扱いには気を配るべきだ。

 ウィニス様は孤児院の件があるから簡単には国を出て行かないかもしれないが、他国が孤児院ごと受け入れると言えば、すぐにでも出て行きかねない。

「は……はいっ、真聖女様のお言葉、しかと胸に刻みます」

「皆様でよく考えてくださいね」

 少しだけ魔力を出しながら圧を与えると議長達が何度も頷いた。

 ウィニス様が近づいて来たので、その手を取る。

「ここでこうして会えたのも何かの縁だよ。ウィニス様、たまに帝国に遊びに来てね。帝国に移るのは難しいけど、遊びに来るくらいならきっと大丈夫だから」

 ウィニス様の綺麗な黄緑色の瞳が見開かれ、そして煌めいた。

「……うん」

 うつむくウィニス様は小さく見えた。

「それから、嫌なことはもっと嫌って言っていいと思う」

「うん……そうする」

「わたしにはディザークがいてくれたから良かったけど……聖女って孤独になりやすそうだから気を付けてね。そうだ、手紙を送ってもいいかな?」

 ウィニス様が嬉しそうに笑った。

「あたしも手紙、書くから」

「うん、楽しみにしてるね」

 ウィニス様にギュッと抱き締められた。

「ありがとう、サヤ」

 それが何に対してのお礼なのか分からないが、抱き締め返す。

「どういたしまして、ウィニス様」

「ウィニスでいいよ〜」

「分かったよ、ウィニス」

 体を離すとウィニスはもういつもの眠そうな表情に戻っていた。

 だけど、もう小さくは見えなかった。

「サヤ、そろそろ時間になる」

 ディザークの言葉に頷いた。

「議長様、皆様、今回はお世話になりました。ウィニスも、またね」

 議長達が礼を執る。

「真聖女様、守護聖騎士様、次の魔物討伐もどうかご無事で」

「我ら一同、お二方の無事をお祈り申し上げます」

 そんな中、ウィニスだけは今まで通りだった。

「またね〜。魔物討伐、頑張って〜」

 その軽い調子にわたしも笑顔で頷いた。

「うん、頑張るよ。皆様も、ありがとうございます」

「時間だ。……では、世話になったこと、感謝する」

 ディザークに促されて転移門に向かう。

 門を潜る寸前、ウィニスがこちらに手を振ったので、わたしも振り返す。

 ……ウィニスも頑張ってね。

 人間に転生したからか、ウィニスは人間味の強いドラゴンだった。


 転移門で移動した先、オースフェン王国でも王族だろう人に出迎えられる。

「真聖女様、守護聖騎士様、ようこそお越しくださった」

 ゼニス君よりもやや暗い赤い髪を後頭部の低い位置で一つにまとめ、切れ長の紫の瞳をした、自信に満ちあふれた様子の青年が先頭に立つ。

 周囲の人々はわたし達に礼を執ったが、その青年だけは異なり、礼を執ることはなかった。

「私はオースフェン王国の王太子、リーシエル=アル・オースフィオルムだ」

 ……何だか、この国でも一波乱ありそうだなあ。

 眉根を寄せるディザークと王太子の間に火花が散ったように見えたのは、多分気のせいである。