……これ、生き物の腐った臭いだ。

 それに気付くと余計に吐き気を強く感じた。

 だが、誰もが吐き戻すのをこらえていた。

 それでもリドアニアの騎士達からは怯えたような空気を感じた。

 そんな中、その恐怖を打ち消すためかブロンテラを囲んでいたリドアニアの騎士達が突然、雄叫びを上げた。

「うぉおおおおっ!!

 周囲を警戒するようディザークが伝えていたはずなのに、彼らはブロンテラに向かって駆け出した。

「あっ!?

 止める間もなくリドアニアの騎士達が前に出てしまう。

「っ、俺達も行くぞ!」

 ディザークの言葉に全員が頷き、騎士達を追って駆け出した。

 わたし達が近づけば、二枚の葉が開き、中の複数の蕾も花開く。

 赤ピンク色の蕾は開くと淡い赤ピンク混じりの白色で可愛らしい──……ただし、その花は人の頭を余裕で吞み込んでしまいそうなほどに大きく、本来ならば雌しべや雄しべがあるはずの中央には凶悪そうな鋭い牙が丸く並び、生き物の口のような構造になっていた。しかも、うねうねと根が泥の中から這い出てくる。植物と動物の中間のような魔物だった。

 この肉食植物系魔物ブロンテラの一番厄介な点は、その葉にある。

 ブロンテラが大きな葉を団扇うちわのように動かし始めたため、急いでわたしとウィニス様とで詠唱を行い、障壁魔法でブロンテラを包み込む。

 障壁魔法の内側の空気に大量の埃みたいなものが舞い散っている。

 葉に生えている産毛のようなものは、実は全て毒針で、風に乗せてそれを空気中に散らし近くにいる生き物を攻撃する。この毒針はとても細かく、生き物が空気を吸うと一緒に体内に入ってしまい、内側から毒に冒されて呼吸困難になる。

 タチが悪いことに、これで死ぬことはないそうだ。

 ただ、体の内側から蝕む激痛と毒による麻痺で動けなくなり、そうなるとブロンテラは弱った獲物を悠々と捕まえて食べることが出来る。満足するまで食べたら骨や体の一部を吐き出し、周囲に捨てる。そうして残った骨や肉の匂いを嗅ぎつけた他の獲物が近づくのを、静かに待つのだ。

 オギャァアアァッとブロンテラが赤ん坊の泣き声のような咆哮を上げる。その不協和音は鳥肌が立つほど不快で耳障りなものだった。

 わたし達より前にいたリドアニア騎士の何名かが悲鳴を上げて、その場にうずくまってしまう。あの叫びは近くで聞いてしまうと良くないのかもしれない。

 障壁魔法に入りきらずに飛び出した根の部分が暴れ、泥が四方八方に飛び散る。

 そのうちのいくつかがこちらへ向かって鋭く襲いかかる。

「そうはさせねーよ! おい、ウィニス!」

「はいはい、あれね!」

 ゼニス君とウィニス様が短く詠唱を行うと、風と火の竜巻がゴウッと吹き荒れる。

「ちょ、ストップ! 騎士達を巻き込んじゃう!!

 わたしの言葉に二人は顔を見合わせると慌てて魔法を消した。

「わ、悪い……!!

「ごめ〜んっ」

 幸い前方にいた騎士達に怪我はなく、ブロンテラは炎に包まれた根をすぐに地面の泥に押しつけて消火を始める。

 ……植物のくせに頭いい!

「リーゼさん、ノーラさん、騎士達の避難をお願い!」

 二人に障壁魔法をかけると「かしこまりました!」と即座に動き出す。

 泥の間から別の根が飛び出した。

 しかし、その根は一瞬で輪切りにされバラバラになる。

「風だって使えないことはないんだよね〜」

 葉に風を当てるのはまずいものの、それ以外の部位に風魔法を使用するのは問題ない。

 スパパパパッとウィニス様の風魔法が複数本の根を切り刻み、そこをゼニス君が高温の炎で体液ごと焼き尽くす。ゼニス君の青っぽい炎は泥に押しつけても消えず、毒のある体液を染み出させる前に蒸発させることで周囲の汚染を防いでいた。かなり高温らしく離れていても熱を感じる。

 その隙にリーゼさんとノーラさんが先走ったリドアニアの騎士達を後方に退避させる。

「ディザーク、ゼニス君!」

「ああ」

「行くぜ!」

 三人で火属性の魔法の詠唱を行う。

 その間、暴れる根をヴェイン様が闇属性の蔦で押さえてくれる。

 ブロンテラも闇属性持ちなので長くは保たないが、十分だ。

 障壁魔法の内部に強烈な炎魔法を展開させる。

「燃え尽きろ!!

 ゴウッと生き物の唸り声のような音を立てて、障壁魔法の内部で灼熱の炎が爆発する。

 わたしとウィニス様、二人で張った障壁でなければ炎が噴き出していたかもしれない。

 中で爆発する炎を抑え込むだけで額から汗が落ちる。

 また、赤ん坊の泣き声のような不協和音が辺りに長く響き渡った。

 吐き気と不快感、熱さ、魔力が抜けていく感覚に体が強張る。

 ふわりと後ろから長い腕がわたしを抱き締め、伸ばした両手の右に、わたしよりも大きな手が重ねられる。見なくてもディザークだと分かる。泥の中で足を踏ん張った。

「ゼニス君、もう一発!」

「おう!」

 ゼニス君が詠唱を行い、炎の色が赤や黄色から、緑や青色へと変わる。

「全部消し炭にしてやる!」

 障壁魔法の内側が煤けて黒くなってしまうほどに炎は激しさを増し、やがて不快な咆哮が聞こえなくなる。

「ウィニス様、障壁お願い!」

「は〜い」

 障壁の維持をウィニス様に任せ、詠唱を行って氷魔法を展開する。

 それで障壁ごと覆い尽くせばジュワァアアァッと触れたところから水になり、一瞬で蒸発していくが、魔力を練ってより濃い魔力で硬度と強い冷気を持つ氷を形成して障壁全てを凍らせた。

「討伐完了!」

 そう言いながら、最後に障壁魔法を解除すれば、氷ごとブロンテラの燃え残りが空気に溶けて消えて、その場所にポチャリと素材と魔石が落ちた。ゼニス君がそれを取りに行く。

「ブロンテラの毒液と牙、あと魔石拾ったぜ!」

 ゼニス君が拾った小瓶を掲げる。

 ……あ、毒液は瓶に入ってるんだ?

 相変わらず、そういうところは何だかゲームっぽいような感じがした。

 戻って来たゼニス君がそれをわたしへ差し出したので、受け取って収納魔法に放り込んだ。

 収納魔法は魔力量に応じて、異空間に物を入れておけるスペースを作る魔法だ。一度作れば、好きな時に好きな場所で、物の出し入れが出来る。ただし生き物を入れると死んでしまうのだとか。

「拾って来てくれてありがとう、ゼニス君」

 これで一匹目の魔物を討伐できた。

 ……でも、ちょっとしんどいかも。

 わたしとディザーク、ゼニス君、三人で使った火魔法の威力は相当なもので、ウィニス様と二人で張った障壁魔法がギリギリ耐えてくれたから良かったが、わたし一人の障壁魔法だけではきっと無理だった。

 ディザークが土魔法で周囲の泥を動かして生き物の骨などを地中深くに埋め、ウィニス様が風魔法で空気を入れ替えるとようやく吐き気が落ち着いた。

 そうして、ディザークが戻って来たエーベルスさんや騎士達に各自休憩を取るように指示を出す。

「……さて、二人とも」

 ゼニス君とウィニス様を振り返れば、二人はビクリと肩を震わせた。

「前方に騎士達がいるのにあんな危険な魔法を使うなんて、何を考えているのかな?」

 ニコリと笑えば、ゼニス君がしゃきっと背筋を伸ばす。

 ウィニス様が「あ、あはは……」と視線を逸らした。

「ほら、あれだよ、ちょっと勢いがついちゃっただけというか~」

「それでリドアニアの騎士達が怪我をしたらどうするんですか!? 二人とも反省しなさい!!

 わたしが怒ると二人が地面に両膝をつけ、正座のように座る。

 既に泥まみれだから今更汚れも気にならないのだろう。

「悪かったって、あれでも一応騎士達には当たらないよう調整してたし……」

「言い訳しない! 飛び火したら死ぬ可能性だってあるんだからね!?

「ご、ごめん……」

「え、えっと、やりすぎました……ごめんね?」

 ゼニス君とウィニス様が並んで肩を落とす。

「分かればよろしい」

 ふう、と息を吐いていると、控えていたリーゼさんとノーラさんが近づいて来て、どこからともなく椅子とテーブル、そしてお茶の用意を始めた。

 ……え、ここ沼地だよね? というか……。

「それどこから持って来たの?」

「我の収納魔法に入れておいたのだ。侍女達が我にしか出来ぬ、どうしても我にしか頼めぬことだと言うのでな。まあ、このような場所ではゆっくりするのも難しいが」

 なんて言いながらヴェイン様が四つある椅子の一つに腰掛けた。

 リーゼさんが椅子を引く。

「さあ、サヤ様もお座りください」

 と勧められて椅子に座った。わたしの左右にヴェイン様とディザークが座り、正面にウィニス様が座る。ゼニス君はヴェイン様の椅子に寄りかかっている。

 テーブルの上には紅茶が用意されて、リーゼさんとノーラさんが、お菓子を持ってわたしに差し出してくる。

「サヤ様、どうぞ」

「あーん、します」

「色々理解が追いつかないんだけど、どういう状況!?

 あはは、とウィニス様が笑い声を上げた。

「サヤ、モテモテだね。羨ましい〜」

 ヴェイン様とディザークは普通に紅茶を飲んでいる。

 とりあえず、左右から差し出されているお菓子を一つずつ食べる。

 リーゼさんはマカロン、ノーラさんはクッキーだ。どちらも美味しい。

「って、いやいや、沼地で何でお茶会!?

「サヤが魔力を消費した後に補給が出来たほうがいいという話をしていた」

「うむ。まあ、サヤの魔力が枯渇することはないだろうが、体内の魔力量が減ると体調を崩すこともある。消費した分の魔力は補給しておくに限る」

 わたしの疑問にディザークとヴェイン様が答えてくれた。

 ……確かにちょっと疲れていたけど……。

 他の近衞騎士やリドアニアの兵士達は立って休憩しているのに、わたし達だけ悠々と座ってお茶をしながら休憩するなんていかがなものか。

「サヤ様、お疲れを癒やしてお元気な姿でいるのも聖女様の役目でございます」

「聖女様が疲れた様子もなく、魔物を討伐したと分かれば、皆の士気も上がります」

 リーゼさんとノーラさんがそう諭してくるけど、紅茶を飲みながら考えてしまう。

「そういうものなの?」

「解釈次第だが、間違ってはいない」

 ディザークの曖昧な言葉に少し呆れた。

 ……まあ、いっか。英気を養うと思って食べておこう。

 この後にはワニとヒルの魔物とも戦うので精神的にもきちんと覚悟を決めておくべきだろうけど……やっぱり少し憂鬱だ。特に昼の魔物のことを思うと。

 虫系の生き物だけはどうしても苦手意識を克服できない。

 あと、さっきから気になっていたけど、何でリーゼさんとノーラさんにずっと食べさせてもらっているんだろうか。