ある晴れた日、月ヶ原城にて月ヶ原家の若である義晴の声が響く。

「宗助が怪我をしたぁ!?

三九郎さんくろうから宗助の近況の報告を受けていたのだが宗助が怪我をしたという報告に思わず声をあげてしまい、その声の大きさに三九郎は耳を押さえた。

「若、声が大きいですよ……作品を作る際に手を切っただけとの事なのですが傷が深く、また切った場所がよろしくなく多く血を流したので手がしびれたと」

「それの何が切っただけだ……かなりの怪我じゃないか」

「えぇ、村では騒動になっていましたよ……どうやったのか体中を血だらけにした宗助の姿に太郎は泣きながら宗助を抱えて山を下り村へ連行、その姿を見たおゆきは悲鳴をあげ、村の者も宗助の怪我に大騒ぎ」

義晴はその様子がすぐに浮かびまゆんだ。

容易たやすく想像ができた、太郎とおゆきが特に顔面蒼白になる中でけろりとした顔をした宗助の顔が。

「で、そのあとにお前が事態を収拾し、手当したのだろう」

「そうです」

「全くあいつは……今は村にいるのだな? 流石さすがに手のこともあるし何か作ろうとしていないよな?」

「……おゆきに怒られていたので大丈夫かと」

義晴は右手を額に当てて天を仰いだ。

三九郎はその気持ちはわかるとうなずく中で見舞いにいかれるのかと聞けば首を横に振った。

「流石に戦が近いから駄目だ」

「でしょうな」

「三九郎、宗助に文を出すから切り傷に効く薬を用意してくれ」

「……え? でも文字は、あぁ、そうでした……宗助は文字の読み書きできましたね」

三九郎がそう言えば、義晴はあぁと言いながらため息をついた。

宗助と出会ってからも、宗助が楚那村そなむらに来るまでの経緯を調査しているが何も出ない、だが文字を読めて、少々のくせはあるが文字も書ける。

これは教育を受けることができる程に富がある家の出である証なのに、そのような家を調べても〝天野〟の家名は一つも出なかった。

未だに楚那村には怪我していたところを保護された以前の情報がないので少なくとも一つ二つ国を越えた程の国の生まれではないのだろうかと考えていた。

「とにかく今は戦優先だから会いにはいけない、だが文を書くから薬が用意できれば渡してきてくれ」

「御意」

「効果のいいものを頼む」

早速筆をる義晴に三九郎は一度頭を下げてから部屋を出た。

すらすらと筆を動かす義晴はかちゃりという音を聞くと、そばに置いている刀のつばでた。

「心配か?」

ガチャガチャと音をたてる鍔。

「次の戦が終われば様子を見に行くさ……それまで辛抱してくれ」

刃龍じんりゅうの鍔をいたわりつつもふところにいる星海宗助ほしうみそうすけにも同じく撫でてやればじんわりと暖かくなるのを感じ、相変わらず父親思いな作品達だと思いながら再度筆を執る。

怪我の具合はどうか? 無理をしていないか? 怪我の一報に大変驚き、また三九郎に薬を作ってもらったからこれで治せといった文を書く……またこれから冷えることや、また飯を抜いていないだろうな? 食には気を付けないといけないという文を書いたところで義晴は筆を止めてぐしゃりと紙を丸めると後ろに捨ててから眉を揉んだ。


「……俺は宗助の母親か?」


前半はいいとして後半の内容は時期領主として駄目だろうしふさわしくない、しかも俺はなぜこんな母親染みた文を書いている? と自問自答して一度大きく深呼吸をすると新しい紙を用意して再び筆を動かした。

その文は、薬ができた後、義晴の文を取りに来た三九郎が発見して確認の為に読み、義晴様は宗助の母親か? と同じことを一瞬考えたが義晴の印象的に残すのはよくないと彼が密かに燃やしておいた。


翌日、三九郎は宗助に薬と手紙を届けたと報告した後に懐から小さな包みを出して義晴に渡した。

「なんだこれは?」

「宗助から義晴様の分の根付ねつけとのことです」

宗助からだと伝えれば義晴はすぐさま包みを開けた。

その早さに三九郎は宗助への信頼か、もしくは宗助の人畜無害な性格故なのかと、ははっと乾いた笑いが出るが包みを開けた義晴の目は大きく見開かれ輝いた。

「なんと見事な……!」

ころりと義晴の手の中で転がるのは木で作られた根付。

太くたくましい足、ふさりとしているだろうたてがみ、天に向かい吠える姿。

小さくも勇ましい姿をした獅子の姿がそこにあった。

今にも吠える声が聞こえてきそうな精巧な作りの獅子に、義晴は一目で気に入ったと腰に付けた。

そんな姿に三九郎は気に入ったようでと声をかければ、気に入るに決まっていると腰に付けた根付を見せびらかすように義晴は見せた。

「まさか宗助が俺に自らくれるとは思わなかったからな、それより見ろ! この勇ましい獅子を!」

「俺は先に見ていますよ。……で、宗助は怪我もあまり深くないからか手が動くようになると家に戻って残りの根付を作っているようです」

「なにっ、あやつめ……まぁ今度怪我をしたら俺が直々に説教するさ、これの礼は何がいいだろうか」

いいものをもらったのだから褒美ほうびをやらねばなと言えば、三九郎はまず片付けるものを片付けましょうとたしなめるように告げる。

何故なら戦は三日後なのだから緊張感を持たねばならない。たとえ月ヶ原が強くても。

「わかっているさ、だが帰ってからの楽しみがないとな」

「……戦が終われば宗助の褒美を考えるのを楽しみにすればよいでしょう、恐らくその根付も普通ではないのですから」

「くははっ、お前も言うようになったな……だがそれも楽しみだ」

根付を指で撫でて義晴はこの根付は一体何をしてくれるのかと笑みを作った。

それに同意だと根付の近くで刃龍がガタガタと動き、鍔の龍は目を細めて笑うのであった。

三日後の月ヶ原の本陣にて、相手の陣が見える小高い丘の上で、義晴は獅子の根付を手の中で転がしながら穏やかな笑みを浮かべていた。

〝この戦が終われば見舞いに行く〟、〝獅子の根付の褒美をやる〟、それが今の義晴にとっての楽しみだ。

他の者からすると小さく呆れられるだろう楽しみだが、義晴にとっては大きな楽しみだからこそこの戦に必ず勝利するためにも呼吸を整える。

そんな義晴に三九郎は呆れた顔で声をかけた。

「若、それをこんなところにまで持ってきたのですか」

「お守りだ、なんとなく持っていたほうがいい気がしてな」

戦の日、義晴は懐に星海宗助だけではなくあの根付も入れていた。

自室に置いていこうとしたのだが何故か持っていくべきだと思い兄弟である星海宗助と一緒にさせたのである。

三九郎にはお守りということにしておいた根付を懐にしまえば戦の始まりの法螺貝ほらがいの音が響く。その音に義晴の顔は先ほどまでの穏やかな顔が一変して刃のような鋭く冷たい目をした武将の顔に変わった。

これは決して宗助に見せることはない戦の時の義晴であり、武将である月ヶ原義晴の顔だ。

三九郎は戦の姿勢に入った事に安堵あんどしつつ義晴の馬廻衆うままわりしゅうとしての役割を全うするためにいつでも敵が来てもいいように構えておく。


今回の敵軍であり総大将の煤木山惣元すすきやまそうげんは腐れ縁で交友があったのだがある日を境に幾度も月ヶ原家に対して喧嘩けんかを売ってきては逃げ帰り、そしてまた清条の地を狙いやってくる、しかも総大将に義晴を指名してくる。

義晴からすると無視して相手にしなくていいのだが、この煤木山惣元の無茶苦茶な行いを義晴の親父である月ヶ原義虎が息子の義晴に戦の経験を積ませる事になるからと見逃し、戦に行ってこいと命じたのである。

なので、義晴がこんな戦に応じているのは親父の厚意あっての事なのだが、戦に応じるのをいいことに何度も鬱陶うっとうしいくらいに挑んでくるやつという認識なのだ。

だが、何度も戦に応じ、その度に義晴が勝っているのは軍の強さもあるが何より、義晴自身の軍略が優れているからだといつも思い知っているはずなのに……煤木山惣元は義晴が年下であるからかめている。

それを理解している義晴はもう、あいつが心折れるまでやってやろうと開き直ってはいたのだが……流石にしつこいと思っていた。


「今回で終わってほしい、流石に何度もあいつの顔を見るのはいた」

「もう手で数えられる数は超えてますな」

「あぁ、しつこい……まるで阿久多牟之あくたむしのようだ」※ゴキブリの昔の呼び名。

「流石に失礼ですよ」

あんな雑魚ざこの顔よりも楚那村で宗助や太郎とおゆきの顔を見ながらお茶をするほうがいい。宗助の茶は美味うまいしなぁと義晴は愚痴を言いつつも、軍を指揮し敵を減らしていく中で近くに何かの気配を感じ振り向いた。

「若?」

「……いや、なんでもない」

気のせいだろうと思い前を向き直すがやはり気配を感じてゆっくりと後ろを向けば……そこには義晴をゆうに超えた大きさの赤い毛をした獅子がいた。

義晴はその大きさに息をのんでいれば三九郎も異変に気付き後ろを向き、獅子が義晴と三九郎の目の前にいることに苦無くない咄嗟とっさに構えて驚いたが……すぐに義晴を見た。

「若、これは恐らく……」

「宗助の根付か……こんなときに出てきたとは……」

二人は獅子のいる原因に気付き安堵の息を吐きつつも、義晴が根付を出せば獅子はくるる……と嬉しそうにのどを鳴らした。

この反応に間違いなさそうだと義晴はやれやれと首を振りながらも腰にいる刃龍をこづく。

「刃龍、お前の弟が出てきたぞ」

刃龍はがちゃりと音を立てるだけで何もしない。当の獅子は義晴の匂いをふんふんといでおり三九郎は戦の戦況を見つつも獅子に今は戻れと告げるが獅子は三九郎の言葉に首をかしげるだけであった。

周りの月ヶ原の兵達も人の大きさを超える獅子に気付き悲鳴を上げている中で重鎮達が集まってくる。

それどころか向こうの軍も獅子に気付き、何だあの獅子は! と騒ぎになっているのが見えた。

「ここは危ないから今は根付に戻っていろ、遊んでほしいなら後で遊んでやる」

……ずいっと顔を義晴に近づける獅子。

義晴から戻れと言われて不満があるのか獅子は義晴の顔を近くで見たかと思えば肩にがぶりとみついた。

三九郎は主が突然獅子に噛まれた事と今まで人に危害を加えたことがない宗助の作品が人を噛んだことへの驚きからひゅっと息をのんだ。

他の家臣達も突然現れた獅子に義晴が噛まれたと悲鳴を上げるが、義晴が噛まれていない側の腕を伸ばして静止させた。

「鎧を着ている、それに甘噛みだから無事だ、武器をさげろ」

鎧を着ており、尚且つ獅子は本気で噛んでいないと告げる義晴に家臣達は獅子へとむけていた刃を下げるが獅子はそのまま義晴を上に放り投げると自身の背に乗せてしまう。

「今は遊んでやれぬと言っているだろ、って、ちょ、こら待て!!

義晴は宗助の作った物に悪意はないと信じているからか、獅子が子供のように遊びたいのだと考えて優しく諭すように言うが獅子は不機嫌そうにうなりながら走りだした。


義晴は馬に乗る要領で体勢を整え、三九郎が慌てて後を追うが獅子の足は速い。

まるで風のように走る獅子の毛をつかむ義晴だが、獅子のふさふさとした毛で緩和されているからか、揺れで上下に体が動く振動の衝撃はほとんどない。

大変乗り心地がいい獅子にここが戦場でなければ思いっきり駆けていただろう。

だが今は戦場で戦の真っ只中、しかも獅子は煤木山のいる方へ走り出していることに気付き義晴が止めようとするが獅子は走りながら咆哮ほうこうしており、その咆哮を聞いた煤木山の兵士達は腰が抜けて地面に這いつくばりながらも蜘蛛くもの子が散るように獅子に通り道を作る。

中には煤木山の大名達も紛れており、煤木山の兵が獅子に恐怖して逃げていた。

「お前、まさか……」

その光景に義晴はこの赤い獅子がやろうとしていることに気付き、腰から刃龍を抜くと掲げ、煤木山惣元のいる敵の本陣へ刃先を向けた。

その顔は戦で見せることはない楽しげな笑みを浮かべていた。

「皆の者!! この獅子に続けぇ! 我らで道を切り開く!!


義晴の掛け声に月ヶ原の兵士達は獅子が味方であると気づいて後を追うように走る。

足軽は獅子の勢いに負けぬと敵へ飛びかかり、馬にのる者は獅子の開けた道を広げていく。

獅子を中心として煤木山の陣形は崩れ、本陣へ走る獅子に怯えて兵士は逃げる。

中には矢をうち獅子を狙う兵もいたが獅子は矢をかわしながら走り、時には果敢にも軍勢を飛び越えていった。

赤い毛並みが美しくたなびき、勇ましく吠える獅子の上にはいつもは冷静に指揮している義晴が今は血気盛んな顔で心底楽しいと高笑いをしながら刀を振り上げていた。

そんな一人と一頭が迫る光景に煤木山惣元は情けなく悲鳴を上げていたのであった。

何故なら人をゆうに超える大きさの獅子が唸りながら、義晴が刀を手にしながら高笑いして本陣へ迫ってきているのだから。

この煤木山惣元が義晴を舐めていたのは年齢が下であることや月ヶ原家よりも煤木山家の方が古い家であったこと、そして義晴の父が特に煤木山家に対して何もしなかったから惣元は完全に調子に乗った。何より聡明で武にも長け、見目もいい義晴が気に食わなかったのだ。

何度も義晴に喧嘩を売るように戦をしかけたが、それに対しても義晴が特に何も言わなかったのもある。

いつもすました顔の義晴に家臣にからもうやめておけと窘められても、あのすました顔が気に食わなくて何度も戦をしていたのだが……まさかこんな形ですました顔以外を見る羽目になるとは、怖い思いをする羽目になるとは思わなかったのだ。

逃げようと背を向ければ獅子が低い声で吠える。

まるで逃げるなと怒っているようだと感じ惣元は足が震えてうまく動かなくなり、地面に尻をついてしまう。

それは他の家臣も同じであり、一部はまるでだから言ったのにと言わんばかりの顔で怯えていた。

なんとか這ってでも逃げようと考えたがその時には獅子は本陣の幕を軽々と飛び越えて煤木山惣元の目の前に降り立った。

「ひぃっ!?

「よぉ、煤木山、いや惣元……何度も何度も来やがるから俺が直々に来てやったぞ」

獅子から降りた義晴の目はぎらぎらとしており、獅子に乗って戦場を駆けていた興奮がまだ抜けていないのか笑みを浮かべていた。

その後ろでは獅子が見下ろしており、近くにきたことで獅子の大きさがわかり惣元は震え上がる。

「よ、義晴! なんなのだ! その大きいのは!!

「俺の獅子だ、かわいいだろう?」

「化けものだ! そんなに大きい獅子いるわけない!!

義晴は確かにと笑いつつも後ろ手で獅子のあごを撫でてやれば心地いいと手に擦り寄りながらゴロゴロと喉を鳴らしている獅子に目を細めた。

獅子は喉を鳴らしつつも目は煤木山惣元を見ており何かしようものならすぐに飛び掛かるだろう。

「いい加減終わろうか、何度も何度も来やがって」

「な、貴様っ」

「そんなわけで、降伏してもう攻めませんって誓うなら帰してやる」

「誰が」

怒鳴りかけた惣元の目の前にドスンと音を立てて獅子の丸太のような太い足が地面をつく。軽く地面が揺れた気がして惣元が顔を青くすると獅子の目は瞳孔どうこうが細くなりにやりと笑うように鋭い牙を見せた。

そんな獅子に怖気づき言葉を飲む惣元に義晴はくいっと親指で獅子を指さして告げる。

「いやなら今からこいつと追いかけっこだ、お前が食われたら負けな」

「無理だろう!!

義晴達の後ろにて追いついた三九郎含め何人かの家臣達は義晴の提案にドン引きしていた。

とんでもない無茶を申されておる、でも自分達も惣元に対してはいい加減しつこいとは思っていたのでその鬱憤うっぷんは晴れてほしいという思いから黙っていた。

対して煤木山の軍の大名達はそれを察してどうかお命だけはと頭を下げている。

「じゃあ追いかけっこだ、十数えたらこいつは追いかけるぞ」

「おい義晴ふざけるな!」

「いーち……、にー……」

本当に数えだした義晴に煤木山惣元はこいつやりやがったと叫ぶが隣にいる獅子が姿勢を低くして煤木山惣元を見ており、まさに今から獲物に飛び掛かろうとする姿に悲鳴を上げた。

「ひぃぃぃっ、わかった! 降伏する! だからそいつは下げてくれ!」

「本当だな? もしまた来たら……わかるな?」

「書状も出す!! これでいいだろう!!

義晴はなら勘弁してやると獅子の背を優しく叩けば獅子は体を起こして義晴の手に甘えるように擦り寄った。

そんな獅子に義晴は穏やかに笑って撫でていた。

「お前、いつの間にそんな獅子を手懐てなずけたのだ……」

「手懐けるか……というよりは俺の物だからだな」

「……意味が分からぬ」

煤木山惣元は此度こたびの戦にて月ヶ原に降伏したと全軍に伝えて終えよと部下に指示を出しながらも獅子を撫でる義晴を見て雰囲気が変わったことに気付いた。

「義晴、お前いい人でもできたか?」

「あ? いないぞ」

「そうなのか? 随分と前に会った時に比べると丸くなったと思ってなぁ……いい人ができて変わったのかと思ったのだが」

義晴は鼻で笑い否定しつつも、頭に浮かんだ宗助の姿と腰と懐にある三つの物に違う意味でだがいい縁は結んだなと零した。

義晴の視界の端で獅子が惣元の影当たりの地面をかりかりと爪で穴を掘るようにいているが遊んでいるのだろうと思い、放っておいた。

「そうか、いい人……とは少し違うのかもしれないが出会えたか」

「……いきなりなんだ、昔みたいにおせっかいな事を言って」

「ん? ……そうだな、昔みたいに、か」


惣元は幼い頃は表情が分かりにくかった義晴に対して頻繁ひんぱんに話しかけにいっていたのを思い出した。

なんだか昔のようだという義晴に、いつからこのように気さくに話しかけていなかったのだろうかとしみじみ思った。

獅子は地面を掻く遊びに飽きたのか、惣元の足元から離れるのを二人で見つつも、義晴は惣元に問いかける。

「それより、お前はなんであんなにしつこかったんだ」

「言い方…………そうだな、俺は」

お前が気に食わなくてと言いかけた惣元はふとなんで気に食わないのだったかと考え口をつぐんだ。

見た目もいいし、文武両道とかだった気がするが……そこまで固執するようなことであったか? と。

「どうした? 下らんことなら殴るぞ」

「いや、恐らく下らん理由なのだが…………」

「おい」

「私はお前が気に食わなかったのだが……顔が良くて強いお前が気に食わない、はずだったのだが…………なんでそんなことでやけにお前に執着したのだ?」

「……は?」

義晴は何を言っているのだ、こいつは? という顔をするが惣元の真面目な顔を見て本気でそう言っていると気づいた。

ある日を境にやけに突っかかってきた惣元を義晴は何かあったか程度に思っていたのだが今を思えば突然のことだったと思い出す。

「お前の顔がいいのは昔から知っているし、お前が小生意気な位に頭がいいのも知っていたのに」

「なぁ、喧嘩売っているのか?」

「あの沢野木殿が剣の指南をしておるならば、お前が強いのも当たり前だ……だというのになぜそれが気に食わなくなる?」

おかしいだろう? と義晴に問いかけ、首を傾げて本気で考え込む惣元と怪訝けげんな顔で見る義晴だったが、二人の後ろでどたんばたんと大きな音が聞こえて何事だと見れば、獅子が何かを手に地面に転がり暴れており、三九郎や他の家臣達が遠くから声をかけてなだめている姿だった。

「おい、どうした?」

「何かあったのか? 獅子に誰かが悪戯いたずらしたのか?」

それなら悪戯した悪い子は早く出てきなさい、という惣元に義晴は絶対に出ないだろ、母親みたいな事を言うな、とつっこみをいれた。その光景に三九郎はなんだか懐かしい光景だなと一人思う。

こんな風に少しずれた発言をする惣元によく義晴が冷静に訂正したりしていたなと思いつつも獅子が突然黒いものにじゃれついたかと思えばこうなったと報告する。

義晴は獅子が持つものを確認しようとするが地面に仰向けになりながら、獅子が黒い毛の生えた何かを手で弾いて遊んでいるとしか分からず、ねずみでもいじめているのかと判断して、とにかく綺麗な毛が汚れるのが嫌なのでやめさせようと近づく。


《クチオシイ……! アァ、クチオシイ……! アトモウスコシ、ダッタノニ……!!

しゃがれた、耳に不快な声が聞こえて義晴は足を止めた。


惣元が突如、ウッと頭が痛そうにうめき、眉間みけんしわを寄せて痛みに耐えている。

獅子は弾くのを一度やめて黒い毛玉を潰すように前足で挟むと黒い毛玉から聞くに堪えない悲鳴があがる。

《グアアアアアア……! イマワシイ! コンナ〝ドウグ〟ニヤラレルナンテ……!!

《ダレダ、ダレガコンナモノヲ、スグニケサネバ、ハヤクコロサネバ、コロサ》

黒い何かがそう言った瞬間に獅子は黒い何かを鋭い牙で切り裂いた。黒い何かは言葉を途切らせながら霧散し、ちりになると獅子はふんっと、大きく鼻を鳴らした。

何かは分からないが簡単に、無残に殺した獅子をこれは怒ったからだなと義晴は冷静に見て、惣元は頭の痛みが消えると、何かすっきりとした気分になっていた。

頭の中がさわやかな風が通り抜けたような爽快そうかいな気分だった。

先程まではまるで薄暗い霧の中を彷徨さまようような、少し不快になる温度のぬるま湯に沈められているような、どこか意識がはっきりとしない気分だったと気づき、あの黒い何かが消えてからすっきりとした気分になったのであれが原因だったのかと確証はないけども惣元はそう思った。


「今のは一体なんだ、……生き物だったのか?」

「わからない、が……あまり生き物で遊ぶな、いいな?」

獅子はナーンと猫のような声を出すと起き上がり前のめりになって尻をあげ、体を伸ばした。

図体は大きいが行動は子猫のようだなと義晴は思いつつも砂を払ってやるが、普通の獅子ではないからか砂等ついておらず綺麗なままなのでとりあえず撫でておいた。

惣元はそれを見つつも義晴に声をかけた。先程の黒い何かは今は置いておき、領主として優先順位が高いものをやらねばならないのだ。

「義晴、協定と人員の名簿はいつ送ればいい? 流石に今の領主達は優秀だからあまり変えたくないのだが……」

「は? ……本当に降伏するのかよ、それは煤木山がうちの傘下さんかになるってことであり、領主の権限を渡すってことだぞ」

「あぁ、そのつもりだ。よろしく頼む、今後の統治やその後の処遇については明日にでも話し合うか?」

今までしつこいくらい来て、降伏なんざするものかと啖呵たんかきって逃げ出していた惣元であったのに今回はすんなりと受け入れている姿に月ヶ原軍も煤木山軍も驚きを隠せずにいるが二人はその驚きを無視して今後について話し合っている。

「……急にいさぎよくなりましたね、惣元様」

「そうだな、まるでき物がおちたようだ……昔の惣元様のようだし、やはり悪いものに取り憑かれていたのかもしれない」

「だが、昔のように月ヶ原と仲良くなるのならわしはうれしいですなぁ」

和気藹々あいあいと昔に戻ったようだと話す煤木山に何度も何度もしつこくされた月ヶ原は少し複雑だったが彼らも上の者の命令には逆らえないのでとりあえずは戦の回数は減るだろうと一息つくことにした。


その様子を眺めていた獅子はにんまり笑い、そんな獅子に義晴の腰にある龍は鍔の中で目を細めて笑っていた。


こうして月ヶ原のある日の戦は終わり、悩みの種だった事が一つ消えたのであった。

城に帰った義晴は煤木山の領土の統治の内政はそのままにして煤木山家を傘下に置くことだけにした。

そして今回の立て役者である獅子に赤い毛から〝深緋こきあけ〟と名付けた。

この深緋は義晴の部屋を寝床にし、夜になると義晴の寝首を掻きに来た者を捕らえたりして義晴の身辺警護もしていることから義晴はこの活躍に深緋をさらに気に入り重宝するのだった。

またこの戦以降、義晴はこの深緋に乗って戦場を走り回るために〝清条の朱獅子あかじし〟という異名を付けられてしまうこととなる。


後日、戦の後始末が終わった義晴は沢山の褒美を背にして宗助の元を訪れて、良い根付をくれたことへの歓喜の感情から宗助の体を赤子のように高く抱え上げてくるくると回し、目を回す宗助に三九郎が見かねて助けに入るのであった。

この喜びを宗助は大袈裟おおげさだが根付を気に入ったからであろうと思っているのだが、義晴にとってはおさな馴染なじみの惣元との仲を戻した事の喜びもあるとは知らない。