第八章 花簪 四季姫 桜吹雪

夏も終わり秋に入ったある日、俺の家に新しい人がやってきた。

それは村長に連れられてやってきた商人で以前に鏡を贈った隣村の村長の娘さんがいる店から来たらしい。恐らく村長が連れてきたのなら怪しい人ではないのだろう。

太郎とおゆきが俺の後ろで心配そうに見る中でその商人は明るく声をかけてきた。

「今日はお会いしていただきありがとうございます! 私常和の花衣屋から来ました邦吾ほうごといいます!」

話し方が関西弁訛りのその人はにこにこと俺を見ながら話していたが……狐顔で雰囲気がこう、少々胡散くさい。

後ろの二人もそう思ってるのかむっとしている気配がする。

「「胡散くさい」」

あ、正直に言ったや。二人とも素直だからなぁ。

俺も思わず頷いてしまい村長がコラァ!! と怒るが邦吾さんは慣れてるのか苦笑していた。

「よく言われます……でも正面から私にいうた子初めてだぁ……」

「すみません……」

「「ごめんなさい」」

「気にしてないよ」

笑顔でこちらを許した邦吾さんは村長にこの子ら素直で良い子ですねぇとのんびりとした口調で話す。

……もしかしていい人? と思っている中で村長が今日来た用件を教えてくれた。

「宗助、前から簪を売り物用に作っとっただろう? その話を世間話でしたら隣村の村長からあの鏡の娘さんに話がいったそうでな、是非花衣屋にお前の簪を卸してほしいそうだ」

「お咲の姐さんのあの鏡を作ったお人の簪となると大旦那様は是非店に置きたいと……一応私が確認も兼ねてお願いに参った、という次第です」

確かに前から売り物に出来るかもと簪は作っていたし、いいところがあれば教えてほしいと頼んではいたが……。

まさかこんなに早く、しかも話を聞く限りその店は中々の繁盛する店とは嬉しいが俺の簪が売れるかどうか……しかも一部の簪は遊んだのもあって、派手なのもあるんだよなぁ。

そう俺が悩んでいると後ろにいた太郎がそっと覗き込んできた。

「どうした宗助? 前々から売ってくれそうな店を探していたなら今邦吾さんに見てもらったほうがいいのではないのか? かなり量はあったのだろ?」

「確かに売り物用は結構あるが……その派手な簪があってなぁ」

「派手?」

派手と聞き邦吾さんは少し首を傾げる。

実は遊びで派手な簪も作ってしまったと伝えると邦吾さんは細い目を爛々と輝かせ楽しそうに笑った。

「そいつは是非見たいですねぇ、宗助さんの遊んだもの……きっとすごいものでしょうから」

「期待されると困るんですけど……」

「宗助ちゃん私も気になるわ」

「俺も」

邦吾さんだけではなく太郎とおゆきのお願いに俺はまぁ売れるかどうかは邦吾さんの判断だしととりあえず作った簪を持ってくることにした。

俺は種類毎に箱に入れた簪の箱を邦吾さんの前に出すとその多さから驚かれるが、俺は気にせずまずは一本、箱から取り出した。

「これは……なんと美しいっ!」

シンプルな玉簪は蜻蛉玉で様々な模様の種類を作り、房簪には花をモチーフにしたものを多く作った。

平打ち簪は蝶や花、猫等のシルエットを透かし彫りで表現した。

またこれらに現代風に飾りの玉や房をつなげ、揺れると華やかになるものもある。

おゆきからもわぁっと歓声があがるので見た目はいいらしい。

「この玉簪はまるで夜明けの空のようで、これは黄昏の空! この房簪はなんと美しい藤の花なのでしょう! この猫の簪も可愛いらしい……!! それにこの華やかな簪! これは見たことない趣向のものですが揺れる音が心地良く髪に映えること間違いない!!

「やっぱり宗助ちゃんのつくる簪はかわいいわね!」

「おゆきはどの簪が好きなんだ?」

興奮するように簪を見比べ、手に取る邦吾さんの隣で太郎がふとおゆきに聞く。……ほほう? それは是非聞きたいな。いつかのために用意しないといけない。

おゆきはニコニコと今自身の頭につけている以前あげた簪を指さした。

「これが一番好きよ」

雪月花を布でつまみ細工で作ったもので白く美しいがシンプルなものだ。

おゆきは相当気に入っているのかここに遊びに来るときはいつもつけてくる。

そうかおゆきはそういうのが好きか、なるほどな。おい村長ニヤニヤするんじゃねぇ。

あ、そうだ。いい機会だから聞いてみよう。

「そうだ邦吾さん」

「あぁ、これもすばらし……あ、は、すみません、なんでしょう?」

「この玉簪もう少し華やかにしたほうがいいですか? すこし単調な気がして……」

「え、これで!? ……いえ、このままでいいでしょう! さらに飾りを追加してしまうと少し値段が上がってしまうのです……この玉簪ならば庶民的で使い勝手がよく、低くめの値段で売ることが出来るので需要は高いかと……あ、他のが売れないって言ってるんじゃないですよ!?

そうか確かに飾りが多いと値段が少しあがってしまう……どうせなら多くの人につけてほしいし、この玉簪も房等の飾りをあまりつけないほうが色んな着物に合うかもしれないな。

プロの意見は素直に聞くべきだ。

「ならこのままにして……これが二本足とくし型になります」

俺がこの二種類の簪の蓋を開ければ邦吾さんとおゆきはまた歓声をあげた。

村長と太郎はパチパチと目を瞬かせている。

「これまたすごい!」

「素敵! すごくかわいい!」

二本足の簪は華やかな大輪の花を咲かせたものが多く、これで飾ると髪もかなり華やかになるだろうがそこまで主張しすぎないものにしている。

櫛型は木製で蒔絵まきえ風なもので統一した。本当は現代のようにコーム型も作りたかったが材料的に難しい、作れることは作れるが鉄で作るので頭が重くなってしまいつける娘が可哀想だ。

……さて問題のあれを出すか。

「あぁすごい! これは姐さんが気合入れて売り出すぞ!! こんなに華やかな簪、町の娘達は欲しがるにちがいない! この櫛型は武家の娘だけでなく奥方も殺到するやつだ!」

「……で、これがその……派手なやつで」

「これは豊作すぎる……こほん、その箱のものですか?」

売り物用の簪の箱とは別に少し小分けにした箱がある。

そうこの中に俺が遊びで作った派手なのが入っているのだ。

いざ、と全員俺が手にした一つの箱に視線が集中する。

俺がその中の一つを開けようとした瞬間にドタドタと大きな音が近づき戸が吹き飛ぶのではないかと思うほど勢いよく開いた。

「宗助!!

「間に合ったか!」

戸を開けたのはいつもの義晴様で後ろには三九郎さんがいた。

驚いて動かない俺に義晴様は距離を詰め、肩をつかむ。

「宗助! 商人と相談をするときに何故俺を呼ばない! 無暗に作品を卸してないよな! 契約はしてないか!? 変な店のものではないよなぁ!?

「よ、義晴様……!? なぜ、ここに……」

村長をギッと睨む義晴様は俺の肩をつかんだまま噛みつくように村長に答えた。

そもそもアンタは俺の保護者か? 保護者は村長なんだが。……いや、最近は義晴様のほうが保護者っぽいかもしれない。健康に口を出すという意味では。

「部下の忍びから連絡が来てな! 宗助が作ったものを商人が見に来ていると!」

「急いで駆け付けたというわけだ……間に合って良かった」

三九郎さんは先ほど見た簪の箱を見て、おぉこれはすごいと感嘆の声をあげながら太郎達の横に座り楽し気に眺め始めた。

……あの義晴様は放置ですか? これは俺が相手をしろってこと?

そんな義晴様は俺の横にバッチリとおり、三九郎さん同様に多くの簪に目を輝かせるがすぐに見定めるように邦吾さんを見ていた。

邦吾さんは何が起きたのか分からないのかキョロキョロとしていたがすぐに理解したのかなんとも言えない顔でこちらを見ている。

「宗助さんすごい人に好かれてますなぁ……」

「ははは……本当に」

「で? こいつ信用できるのか? 胡散くさいぞ」

「……この人も同じ性質の人やったかぁ」

力抜けるわぁ……と狐顔がフニャと先ほどより柔らかくなる。

多分邦吾さんは商人モードに入っていたのか関西弁の訛りはあれど方言を消していたみたいだが、この空気に商人モードを壊されたのか恐らく素はこのフニャリとした顔で方言も出る人なのだろう。

先ほどから素なのか訛りが出ているし。

「あ、すいません生まれの喋りでてしまいました」

「いえ、元々訛りもあったので気にしてないですよ」

「おや! 私の生まれの話し言葉をご存じで?」

「堺の地方の話し方ですよね? 昔の知り合いですが堺の人がいたからわかりますよ」

邦吾さんは一瞬キョトンとしたが、ならば久しぶりにこっちで話しますわと嬉しそうに笑った。

生まれの事を知る人がいるのが嬉しいんだろうな。

そういえば昔、いつか旅行した時に旅先で話せるようになりたいとオランダのことを勉強して、大学で留学に来ていたオランダ人のアントンに聞きに行ったらオランダ語を話せたこともだが国の事を色々知ってくれようとしてることが嬉しいとそこから仲良くなったんだっけ……。

オランダも案内してくれたしアントンの実家にホームステイしたんだよなぁ……もう会えないけどどうしているか。船関係の仕事に就きたいって言っていたなぁ。

「もういいか? 宗助も何考えているか知らないが戻ってこい」

「あ、すいません」

「ほんまおもろい人やなぁ宗助さん」

クスクス笑う邦吾さんに義晴様がジトッとした目で見てる。

多分まだ怪しんでいるのだろうか……。

「心配せんでも私らはこのお人の作品をしっかりとしたお値段で売りますよ」

「……お前、その法被はっぴは花衣屋のものだな」

「小春姫様には目をかけてもらっています、また新作見に来てくださいとお伝えいただけると嬉しいです」

「俺に言伝を頼むと? 中々いい度胸だな」

「いえ、小春姫様からもし店のものが月ヶ原義晴様にどこかで会って、その時店に新作やらが出る時期だったら言伝を頼んででも必ず伝えさせるようにと依頼を受けてるんです」

「あいつめ……」

小春姫? と首を傾げていれば太郎がそっと義晴様の従妹にあたる方だと教えてくれた。

義晴曰く中々の食わせ者で城の家臣達全員で束になっても敵わぬほど将棋の腕がいいらしい。

なるほど智将タイプな姫様か。しかも義晴様を足に使うくらいの胆の据わったお方らしい。

「まぁ、花衣屋なら心配はいらないか……」

「おや、よろしいので?」

「噂もそうだが、元々候補の中にあったからな」

……何の候補?

俺の考え等お見通しなのか俺の頭を鷲掴みぐりぐりと回される。首がとれそうだ、やめてほしい。

「お前の品の卸先だ、信頼出来る店を紹介するつもりだった」

「宗助さんは本当に義晴様に好かれてるんですなぁ」

ふふふと笑った邦吾さんは柔らかく笑っていた顔を先ほどの商人の顔に戻した。

「さて宗助さん、そろそろあなたが派手いうたやつ、見せてくれまへん? さっきから気になって気になって」

「あ、すみません! ……どうぞ」


俺は箱の一つを開ける。

そこには白い布で出来た大輪の桜が幾度にも重なり咲く花簪が入っていた。

持ち上げれば簪についている同じ色の紐と玉飾りが揺れる。

少し季節は違うが春につければとても目立ち桜も美しいだろう。

「こいつは……なんて美しい桜や」

「季節外れですけどね」

「いや、そんなん関係ないほどに綺麗な桜です……これをつけて外歩けばみんな振り返りますわ」

「大げさだなぁ……」

そんなことない! と邦吾さんはいう中で俺は次の箱を開ける。

こちらも同じく布で出来た大輪に咲いた向日葵ひまわりの花簪だ。

特に飾りはつけずシンプルだが向日葵自体が派手なのでいらないのだ。

俺は続けて残りの二つも箱から出した。

一つは竜胆の花簪。

布で出来た四輪の花が咲いているがぎゅうぎゅうに詰めたような咲き方ではなく少し間を空けて咲く竜胆の花達は薄紫色で美しく、少し葉もついており、垂れている同色の二本の紐もいいアクセントになったと俺は思う。

一つは梅の花簪。

こちらも布で、つまみ細工でつくられた小さな梅は赤と白の花が咲く。ひしめくように咲いているが互いを崩さず支えるようになっている。

鹿子かのこの絞りの長い紐の飾りが揺れると美しいだろう。

この花達でわかるだろうが俺は四季の花で簪を作ったのだ。

しかしどうせ四季の花を作るならもっと派手にしようと遊んでしまい、この時代の簪にしてはすごく派手なものになってしまったのだった。

え? 秋の花は秋桜だろって? この時代の日本には秋桜は咲いてないみたいだからな。

売りに出すのならこの時代にも咲いている竜胆にしたのさ。他のも庭に咲いていた花を手本にした。村には梅もあるし、桜もある、今は枯れたが向日葵もあったんだからそこを見本にしたんだ。

この派手な簪達に邦吾さんは唖然としてるのか何も言わず、こちらを見ている。

やはり売り物にならないか……。

と思っていたのだが、正気を取り戻した邦吾さんは是非店に卸してください! と頭を下げ、俺と契約を結ぶことになった。

ちなみに契約は破格で簪の売り上げの半分をもらうのだが俺はお金をあまり使わない、なので俺が欲しい原材料や資材を支払われる分のお金から用意をしてもらうことにした。

例えば百万の売り上げがあり、五十万が俺に入る、その五十万から俺が希望する木材を用意してもらい、用意された木材と余ったお金を俺はもらうのだ。

正直俺はこうして貰えるとすごく有難い、何故なら山でとれるものにも限界があるのだ。

例えば布等の既製品はほぼ手に入らない、今回は前に義晴様からもらった布を使って作ったものだしな。

他にも気候的に手に入らないものもあるので是非お願いしたい。

とりあえず売れ行きを見るため一度簪と契約した書簡を持ち帰るそうなのだが、先に店への納品代をいただいた、のだが……。

「え、多くないですか……」

「いいえ! 正当な値段です!!

だって三貫はおかしいでしょ! 一貫=約十五万くらいの値段だからね!?

簪の数が約五十本くらいでも多すぎなのはわかるからな!

なんでそんなことを知ってるか? 生前の死んだ婆ちゃんが時代劇好きで教えてくれたし、昔のお金を集めてたから見せてもらったのを覚えてるんだ。

「いや間違えていないぞ宗助、お前の作品ならそれくらい値がつく」

「あぁ、それにお前が派手といったやつ……恐らく後々値段が吊り上がるだろうからそいつ逆に得してるんだからな」

「そんなわけないでしょう」

ないないと手を横に振っていれば全員がはぁと大きく息をついた。

なんだ、もしかして簪って高いのか?

「この人いつもこんなんです?」

「……あぁ」

「月ヶ原様苦労されていたんですねぇ……」

あ? なんだ? なんかコソコソ話してる……。

太郎がほら茶を片付けようなぁというので片付けるけど……なんだろう、なんかあるのだろうか?


この数日後、沢山の人を連れて邦吾さんはまた家に訪れ、契約通りに俺の売り上げから引いて用意したらしい作品のもとになる布やら木材、鉱石、あと引いた分の残ったお金(といってもかなり多い)を持ってきた。そして完売しました! また作品を作りましたら是非御贔屓に! と嬉しそうに言ったのだった。

そういえば邦吾さんの隣にいた美人さんの頭にあの桜の簪があったけど、よく似合ってたなぁ。

邦吾さんの言う通り綺麗なものに季節外れなんて関係なかったや。勉強になった。

邦吾は堺の生まれで、この清条国には、両親が死んでしまい親戚が清条国にいたことからやってきた。

そして子供の時から花衣屋で世話になっていた邦吾はそのまま店に奉公として働くが目利きが良く愛想のいい邦吾を大旦那は気に入り重宝し、そこそこいい仕事も任されるほどの信頼を得ていた。


そんな邦吾は、次男に嫁いだ元農民のお咲を最初は可哀想にと思いながら傍観して見ていたのだが、ある日突然中身が変わったかのように美しくなり始め、この店一番の稼ぎ頭にまで上り詰めた。そんなお咲に驚きながらも彼は心から尊敬の念を抱いていた。

己の力で美しさも人の信頼も名誉も手に入れた言わば誰もが憧れる女であるお咲。

それを見ていたからこそであり、元々この店の大旦那に恩義を感じていた彼は、自分はこんないい人達の傍で働けることがすごく幸せなのだと感じていた。

しかし、彼の幸せはこれだけじゃなかったのだ。自分はなんて恵まれた人間なのだと後に己は語る。

尊敬し姐さんと呼び慕うお咲の持つ鏡。この鏡を持ってからお咲は自分を変えることが出来たというほど美しい。その不思議な鏡を作った人が、最近作った簪を売ってくれる店を探しているとお咲の父親から情報が入ったのだ。

お咲と大旦那、次男の菊太郎はその情報に喜んで飛びついた。

是非うちに置きたい! とお咲はすでに信頼しているのか、手鏡を手に嬉しそうにする。そんな中で大旦那もお咲の鏡の美しさや不思議な力を知っているためにわくわくとした表情でお咲の父から聞いた話を邦吾にした。

その際に邦吾に鏡の作者、天野宗助に是非花衣屋に納品をしてくれないかと依頼することと、事前にその簪がどのようなものか見てくるように頼んだ。

邦吾はこれは面白いことになったと快諾し天野宗助の住む村へ行くと、天野宗助に会う前にお咲の父に伝手を頼み、楚那村の村長に挨拶をすることとなるのだが……。


「なんやこの村、普通の村やない……」

まず畑が彼の知る中で大きくもないのに豊作で、家の構造が他所の農民の家とは全く違う。

そして農民なのに何人かが根付をつけているのだが、その根付はどこかの職人が作ったのだろう。精巧で美しい造形であった。

金持ちの村? いや、それやったら農民なんてしてないはずだと邦吾はすぐに考えを打ち切って今は村長に会いに行くべきだと足を進めた。

楚那村の村長、虎八須に挨拶し、用件はすでにお咲の父親から伝わっていたためすぐに話は理解してもらえたのだが……。

うーむと唸られてしまい邦吾はどうしたのか聞けば答えづらそうに彼は口を開いた。

「心配事があってなぁ」

「心配事?」

「宗助の作品は何かが起きるんだよ、お前さんの店に嫁いだお咲ちゃんにやった鏡もなんかしただろ?」

「えぇ、そのおかげでお咲の姐さんは店一番の稼ぎ頭です」

「……あの月ヶ原義晴様が宗助の作品にご執心でなぁ、恐らく持ち主の所在の管理はされるぞ」

「え」

月ヶ原義晴様って、あの月ヶ原義晴様のことかと邦吾が確認すれば虎八須は宗助の作ったある刀にかのお方が魅入られたらしくその刀を献上して以降もよくこの村に来るらしい。

そして天野宗助の作った作品をいつも楽しみにしているという。

「だから恐らくアンタの店に月ヶ原義晴様の監視が入っちまうぜ」

「……それはもうすでに行われているのではないですかねぇ、小春姫様が花衣屋のご常連になられていますので」

「あぁ、鏡の時点でか……」

邦吾は一応これも検討材料に入れないと、と頭の片隅に置いておくことにし早速用件のある天野宗助の元へ行くこととなった。

山道を登ることに邦吾は驚いたが意外と苦もなく登れた道であったため今日以降来た時に荷物を持っていても登れそうだと判断する。

登った後に見えた一軒家に驚くが内装の構造や日用品は邦吾も見たことのないものばかりであった。

本当にここに住んでいるのは人なのだろうか。そんなことを思うほどに邦吾にとってこの家は不思議な家であった。が、すぐにその考えは変わる。

「えと……、はじめまして、天野宗助です」

実際に会った天野宗助は邦吾の想像よりも小さく、大変若い普通な青年であった。

村長曰くどうやら戦の世を嫌って山に籠っているとは聞いたがこんな若者が山に籠ってしまうなんて余程の目に遭ったのだろうと考えたが、自分は商人であると思考を切り替えた。


その後、商談はうまくいきそうだと邦吾は安心し問題は簪の出来と実際に簪を見せてもらったのだが。

派手なのもあると不安そうにしているがまずは出来次第で一度店にて検討をと考えていた。

しかし宗助が簪の箱を開けた瞬間、邦吾はこの考えを一瞬で遥か彼方に放り投げた。

目に入るのは美しい簪。単調なものでも美しい色合いと美しい絵。

透かし彫りも可愛らしいものもあれば艶やかなものまであり、房簪も己の店で並んだことのない飾りや色に目を奪われた。

何より見たことのない飾りの使い方。

玉の飾りが連なり、鎖や紐でつながれた先には玉や花の飾りが揺れる。

これをつけた女の髪は美しく華やかになり、男だけでなく女の視線をも奪うだろう。

これは必ず店に持ち帰らねばならない。

検討等という時間などない。すぐに店に並べねばならぬと彼の中の長年鍛えられた商人の勘と経験は激しく彼を突き動かしていた。

この時点ですぐに商談をまとめよう、言い値を出すと決めていた邦吾に宗助は単調な簪にもう少し飾りを増やすべきかと問うた。

これには邦吾は驚いた。ここまで素晴らしいものを作りながらもこちらに意見を聞こうという姿勢があり、より良くしようとしていると。

腕のある職人は誇りがあり、店が出す要望を聞かぬ時があるのだがこの素晴らしい腕の職人は聞いてくれるのかと。

邦吾はすぐに相談された簪を手に取るが首を横に振り、このままでいいと言った。

飾りを増やす分値段が上がるのもあるがこの美しい簪を自分の感性で壊すなんてしたくなかったのだ。

宗助は納得すると次の箱から簪を取り出す。これも素晴らしい出来と美しさに邦吾はこんないいものを見れるなんて来てよかったと思っていた。

そしてこの職人の作品に魅入られた月ヶ原義晴に同意してしまう。これは一度魅入られたら抜け出せないだろうと。

その後にその月ヶ原義晴が乱入してくることに驚いたり、生まれ故郷の堺を知っているらしいという少しうれしい話題が出たが、邦吾はそれよりも宗助が遊んで派手にしてしまったという簪を見たかった。

あの素晴らしい出来の簪達を差し置いて派手と称したものはどんな作品なのだろうか。

ワクワクと心待ちにする中で宗助がついに件の箱の一つを開けた。


箱を宗助が開けた瞬間、邦吾は桜の匂いと花弁に包まれた。

ハッと一瞬気を失うような感覚になり辺りを見回せば、前にあるのは箱に入った桜の簪。

その美しさに思わず邦吾の呼吸が止まる。

布で出来ているのにまるで本物の桜のような錯覚に陥ったが、宗助が持ち上げたことでさらりと簪から垂れる飾り紐が揺れ、カランと玉同士が打つ音に現実に引き戻された。

「こいつは……なんて美しい桜なんや」

ようやく絞りだしたその声は宗助の耳に入っており、季節外れだというがそんなこと全く関係のないほどに美しかった。

何故なら己が今、この桜に魅入られているのだから。

そして次々と箱から出される花簪。

箱から出るたびに模られた花の匂いと花弁が邦吾を包みこむ、邦吾はふと周りをみれば周りも魅入られているのか声も出せずただただ簪を見ていた。

そんな中だった。また桜の匂いと花弁に包まれ、桜の花びらが集まったと思えばそこから白魚のような手が現れ、邦吾の頬を撫でた。

《妹達をちゃんといい人に売って頂戴ね?》

桜の中から現れた桜の美しい着物を着たとても美しい黒髪の女は優しく邦吾の頬を撫でると正に桜のように小さく美しい微笑みを浮かべ消えていった。

暫く呆けてしまったが邦吾は意識を取り戻した後に宗助と契約を結び、簪を全て持って店に戻ったのであった。


「若、よかったのですか?」

「あぁ、あの簪はあの店に行きたがっていたみたいだしな……しかし、なんで宗助はあれが見えないのか……すごい光景だったな」

邦吾はあの桜の黒髪の女しか見えてなかったが、二人の目にはあの場には多くの女がおり、全員が宗助を囲んでいたのが見えていた。

しかもそれぞれが様々な美しさを持つ美女だ。

「まるで宗助が遊郭ゆうかくの女に囲まれはべらせているようでしたね、恐らく簪だとは思いますが……あいつと腕を組んだり背に寄りかかっていたり、髪を撫でつけているのもいましたねぇ……」

「しかも全員が別嬪とくれば、並みの男なら大喜びしそうな光景ではあったな……」

まさにハーレムの状態であったが宗助は全く見えなかったようで動じず邦吾に応対していた。

しかし周りにいた美女達はそれを気にせず、宗助の傍にいれるのが嬉しいのか彼に甘えるように顔や体に触れたり、笑顔で彼の顔を覗き込んでいたりしていた。その中で宗助の傍にいながらもじっと邦吾を見ていた四人がいたのである。

この四人は特に美しく、別格と言わざるを得ないほどであった。

「特に美しかったあの四人は恐らく……」

「最後の花簪達だな、間違いなく」

それぞれが模られた花の着物を着ていたこともそうだが圧倒的な存在感と振る舞い、座っているだけでそこらの男どころか女も近づけぬほどの美しさが宗助の傍にいたのである。

その中で桜の服を着た美女は邦吾を気に入ったのか顔に触れていたので、そこで義晴はこの簪達はこの男に任せることにしたのである。

しかしこの花簪だけは必ず後の所有者を特定しておかないといけないと判断したのではあるが。

「今回は何をしてくれるのか楽しみだ」

天野宗助と会談した後にすぐさま店へ興奮しながら戻ってきた邦吾の姿に大旦那だけでなく店の者は皆驚いたが、彼が持ち帰った簪を見せれば納得するように頷き、契約に持ち込んだ彼を褒めて労わった。

すぐに簪を売る場所を作り売り出せば……簪はすぐさま常和の話題となった。

簪が美しいのもあるが何よりもこの花簪四つの異様な美しさが話題になったのだった。

だが全員が魅了されたのにも拘らず何故か皆、自分は相応しくないと手に取るのをやめ、眺めているだけであったという。

そのため買い物をした後、客達は花簪の前に立ち止まり暫く見ると満足して帰るばかりであった。

そんな美しい花簪達を大旦那は少し困った顔をしながら見ていた。

なぜならこの簪達のおかげで客が増え売り上げが上がって嬉しいのだが、商店なので商品は早く売れてほしいという思いもあった。

「美しすぎるのも罪ってやつなのかねぇ」

「他の簪はすぐに売れましたが……この簪は中々手が出ないみたいですね」

「値段も他のより高いというのもあるが……この簪にはどこか不思議な魅力があるんだよ……もしかしてつけるべき人を選んでいるのかな?」

ふうむと腕を組んで考える大旦那に邦吾はまさかと返そうとするが宗助の家にて見せてもらった際に現れた幻の女、邦吾はあの桜の簪の化身と思っている女はいい人に売ってほしいと頼んできたことから一応買われることを望んでいたようだと思い出した。

「多分簪もいい人に選んでほしいんですよ」

「……そうだね、お咲の鏡を作った人の簪だ、いい人に巡りあいもしかしたらお咲のようにいい縁をもたらせてくれるのかもね」

「そうだといいですね」


邦吾は暇な時間が出来るとあの桜の美しい化身を思い出していた。

黒髪で白魚のような美しい肌と正に桜のような色の瑞々みずみずしい唇、瞳は黒色だが優しい眼差しとその眼差しによく合う優しい顔と声。そして桜が描かれた桃色の美しい着物。

そんな美しい女に頬を撫でられ、恐らく他の簪の事だろう妹と女自身を任されたのだ。

その姿を、時を思い出すと邦吾は思わず長く一息を吐いてしまう。

そして思い出す度にまた会えないだろうかと思い耽るほどに、あの化身は美しかったのである。

そんな姿を店の者は勿論気づいており、心配そうに見ていたのであった。

「(邦吾の奴どこかのお嬢さんに惚れたのか?)」

「(みたいだなぁ……)」

「(でもあの感じだと恐らく高嶺の花な方なのかしら……あんなため息つくなんて)」

「(そいつは……あいつも言えんだろうなぁ……)」

「(しばらく見守りましょう、あの子の中で恋が消えるまで)」

そして何故か失恋確定のような扱いで哀れまれていたのであった。

元々邦吾は行動派の人間であり、仲良くしたい相手にはすぐ話しかけるし、行きたい場所にはさっさと行く性格の人間なのだ。そんな邦吾が溜息をつき思うだけの相手。

それは彼が手が届かないほどの娘なのだろうと。

応援しようにもその相手が何処の誰か分からないということもあったが店の者は皆邦吾の恋の行方を気にしながらも穏やかに解決されることを祈った。


店に簪を出して十日目。

常連の一人である月ヶ原家の姫、小春姫が来店された。

事前に来店の知らせを受けていたので店側は大混乱にならないように開店時間を調整し、お咲は迎えるため余裕を持って店先へ対応に出た。

お咲が出て少しするとお忍びとはいえ姫のため護衛、従者、牛車を引き連れて小春姫が店の前に現れた。

小春姫は出迎えたのが彼女のお気に入りであるお咲とわかると笑みを浮かべた。

「お咲、また来ましたよ」

「小春姫様! いらっしゃいませ」

「えぇ……して噂の簪はどこに?」

「こちらへ」

お咲が花簪の前に案内すると小春姫はお供と共にしばし立ち止まり、簪に魅入る。

そしてハッと我に返ると楽しげに笑った。

「これはすごい、なんて美しい簪でしょうか」

「はい、私達もあの美しさはいつ見ても慣れぬほどに美しいのです」

「……しかし、私はあの簪達には相応しくないようですね」

「え、小春姫様でも!?

「えぇ、……でもあの向日葵の簪を頂けないかしら」

向日葵の簪を指して小春姫は楽し気に微笑んだ。

突然のお買い上げにお咲はすぐに持ち帰りの準備をさせるが先程自分は相応しくないと言ったのに何故と考える。その考えを読んでいた小春姫はふふっと小さく笑う。

「私がつけるのではないのです。実はこの向日葵の簪を見たときに黄奈姫きなひめの顔を思い浮かべました……」

「黄奈姫……隣国、汐永国せきえいこくに嫁がれたという姫君の名ですね……」

「えぇ、昔から親交がありましてね、近くに来てくれて嬉しいのですが……最近は嫁いだせいなのか誰かに遠慮するように大人しく……しかし、本当はあの子はとても明るくこの向日葵のように笑う子なのです」

小春姫は箱に入れられた向日葵の簪を上から覗き込む。

そして祈るように声をかけた。それは心から友を思う気持ち。

「不思議な美しさをもつ簪さん、どうかあの子をあなたのような明るくかわいい笑顔に戻して頂戴」

そう声をかけた時、店の中にふわりと向日葵の香りが広がった。

まるで向日葵の簪が返事をして芳香を放ったように。

「姫様、きっとこの簪は黄奈姫様を笑顔にしてくれますわ」

「えぇ、今私もそう思ったわ……この簪はあの子を向日葵のように戻してくれると」

そうして小春姫は向日葵の簪の入った箱を大事に抱え、店を出たのであった。

「義晴があの職人を傍におく理由が少しわかったわ」

そう言葉を残して。

残る簪はあと三つ。

大輪の向日葵がなくなった棚は少し寂しいがそれでも簪は見劣りせず美しくそこにあった。

「売れましたね」

「売れたな」

もしかしたら全て近々売れるのでは? と顔を見合わせる大旦那とお咲の勘は見事に的中する。


小春姫が向日葵の簪をお買い上げした翌日、ある国の若い侍が竜胆の簪を買っていった。仕事でこの国を訪れたらしいその侍は簪を土産にするらしい。

誰に贈るのかと店の者が聞けば妻に贈るのだと。この簪を見た時、妻の髪によく似合うと思ったと照れながら侍は答えたという。


そしてその日の閉店前に梅の簪が売れた。

買ったのはこの店の近くにて店を営む酒屋の大旦那。

誰にやるのかと大旦那に聞けば、店に嫁いできた息子の嫁にやるのだという。

器量がよく可愛らしいのに自分に自信がないそうで、息子も醜いと言って苛めていることでさらに自信を無くしていることを不憫ふびんに思っており、お咲のようにとはいかないが彼女に変わってほしいと願って買ったのだと。


そして残るは……桜の簪。

「一日で売れましたね」

「あぁ、残りは桜のみ……なんか寂しいなぁ」

「でも親父、それでも桜は綺麗だな」

「うん、確かに綺麗だ……この調子で明日に売れるといいが……」


その翌日……少々うるさい、いや大変煩い客が来た。

どこの町にも少々厄介なものはいるだろうがこの常和の町にも一人はいるものだ。

「えぇーーー!! もう人気の簪無いの!?

「はい……売り切れまして……あとはあの桜のみでございます」

「なにそれーー!」

甲高い声で騒ぐ女の名前はお紗江。

この町にて一番大きく古い店の娘であるためにこの辺りではだれも逆らえず、そのため何をしても許されると、とんでもない我儘娘として育ったのだ。顔は普通なのだが派手な着物と厚化粧をいつもして、己は美しいと日々周囲に自慢するように話していた。

お供に連れているその妹の名前はお澪。

姉とは反対に謙虚で気弱だが優しく、薄化粧に無地の着物でありながらも美しく、儚げな美人であった。彼女は姉に逆らえず苛められていることで有名である。

何故なら店を継ぐのは姉……正しくは姉の夫だが、姉が店では店主の次に偉く次女であるお澪は嫁入りすることで役に立つと常日頃父と姉に言われ育ったのであるからだ。

「桜って……季節外れじゃない! それに売れ残りなんていやよ!」

「姉様、そんなこというのは……」

「うるさい! あんたは黙ってなさい!」

咎めようとしたお澪をお紗江は鋭い音を立ててお澪の頬を叩いた。

店内の女性は悲鳴をあげ、買い物に来ていた親子の親が子供に見せないように視界をふさぐ等騒ぎになっていることに気付き、お澪は赤く腫れた頬を気にせずすぐに起き上がりすいません、すいませんと謝る。

それは姉に対して、そして迷惑をかけてしまっている店と買い物に来ている客たちに対して。

「ふん! ……まぁいいわ! なら反物を見せなさい!」

「……はい、わかりました」

店の者が反物を揃える合間にお紗江は店のものを見て回る。

お澪は腫れた頬をそのままにお紗江の傍に立っていた。まるで側仕えのように。

これは彼女達にとってはいつもの光景だった。


しかし今日は違った。

一人の男がお澪に駆け寄った。

「お嬢さんこれ使って冷やしてください」

お澪がその男のほうを見れば花衣屋の前掛けをかけた狐顔の若い男……邦吾が手拭いを差し出していた。

実は邦吾はこの二人のことを名前は知っていたものの会ったのは初めてだった。

が、お澪に対して行われた仕打ちを初めて目にし、邦吾は腫れた顔のお澪を見た瞬間に彼女をこのまま放ってはいけない、彼女をすぐに助けるのだと自身の心の奥から声がして、邦吾はお澪に頬を冷やしてくれと水につけた手拭いを渡したのである。

店の者は邦吾の行動に驚いたが、その中で大旦那はすぐに邦吾がこの二人とは客として今まで会ったことはなかったと思い出し、優しく接する邦吾に感心しながらも少し離れた場所からその様子を見ていた。

彼の長年の商人の勘なのかわからないが何かいいことが起こると不思議な予感がした彼は邦吾の動向を眺めていたというわけである。

お澪は初めて親切にされ固まる中で、お紗江はニヤリと笑い邦吾の手から手拭いを奪うとわざわざお澪の頬に投げた。

手拭いが顔に当たり、小さく悲鳴を上げて倒れるお澪にお紗江は腹を抱えて大笑い。辺りが静まり返り、お紗江をどのような目で見ているのかも分からずに。

「こんなのでこけるとかお澪よわすぎ~! やっぱあんた暇つぶしにいいわぁ~!」

反物が用意されるまでの暇つぶしに自分の妹を虐げたのだ。

この所業に流石にこたえたのか涙を流し震えるお澪を見てお紗江はさらに声を大きくして笑う。

まさに悪辣。まさに非道。

誰もがこの女殴ってやろうかと睨むが、殴れば彼女の父親が黙っていないため殴れない。一度注意したものが過去にいたがその者は彼女の父親の手によって路頭に迷い姿を消したのだ。

全員が怒りを耐える中、邦吾はお澪に手を差し伸べて立ち上がらせると、彼女に断りを入れて着物の裾についた土を払った。

お澪は男性に手を差しだされることもこのように優しくされることもなかったために突然起きた初めてのことに頬を赤くし、オロオロとしていた。そんなお澪に邦吾は思わず可愛らしい反応だと噴き出して笑ってしまう。

そんな笑った邦吾を間近で見たお澪は自分が笑われたことだけは理解し、恥ずかしさから手で赤くなった顔を隠してしまったがその仕草にさらに邦吾は笑いが込み上げ、必死に笑いを耐えようとするが肩を震わせてしまう。

それをすぐに察知したお澪は笑うのをやめてほしいと視界に入った邦吾の腹を慌ててパシパシと軽い音を立てながらはたいていた。

その抗議は邦吾には全く効いていないために邦吾はさらに込み上げてくる笑いを耐えるためにさらに体を震わせ、最終的にはお澪が抗議しようと顔を上げ目が合い、二人は顔を互いに見ると小さく噴き出し、笑っていた。

殺伐とした空気の中で二人は何故か互いに柔らかく温かいものが胸の中に流れ込むのを感じ、初めて会うはずなのに傍にいて心地いいと思いあっていたのだ。まるで長い間共に道を歩んだような安心感を二人は互いに抱いていた。

二人の突然の甘い空気に周囲は驚くが、ピリピリとした空気が和らいだため思わず笑みを浮かべながら二人を見守っていた。

……この事が起きた元凶以外は。

それはこの甘い空気に不快感を隠すこともなく顔に出していた。

お紗江はこの性格から男どころか女も寄り付かない、それなのに妹がいつものようにいじめた後に初めて出会った見ず知らずの男に優しくされ、楽しげにじゃれあっているのだ。彼女はお澪に起きた恋の気配が気に入らず、ぶち壊してやるとその顔を歪めて笑う。

「何あんた、そいつ好きなの?」

「……女性を土で汚したままにするわけにはいきませんから」

邦吾の返答が気に食わなかったお紗江は鼻息を荒くしながらお澪を睨みつける。

「お澪もいい気になってんじゃないわよ、ちょっと優しくされたからって……あんたなんて嫁に行くしか能がない役立たずなんだから! 自由に恋愛なんて出来るはずないのよ? あんたはどっかの死にそうな爺に嫁がせて遺産を継がせる予定なんだから! 勿論その遺産はうちのものだからね? いい? あんたは私達の店のために一生を尽くすのよ? わかった? ってあんたに拒否する権利は無かったわね!! あははははははっ!!

顔を醜く歪めて笑い、聞いてもないのにベラベラと話し出すお紗江、お澪はそのことを初めて聞かされたのか白かった顔がさらに青くなり様々な感情が湧き上がるが耐えるように唇を噛み、拳を握る。

そんな姿に邦吾は思わず体が動き彼女を後ろに庇った。

「……へぇ、そいつ庇うの? あたしに逆らうの? このあたしに?」

「こんなこと聞いて放っておくわけ無いやろ、人としてあかんわ」

邦吾はなぜここまでお澪を庇うのかはわからない。

名前を知っている程度の存在であったのに、なぜここまで心惹かれるのかさえも。

それでもこのままでは彼女は涙を流し、絶望の中で一生を生きることになる。それだけは嫌だった。

己の人生を棒に振ってもいい、彼女を助けたい。邦吾は不思議な使命感で動いていた。

「へぇ、じゃああんたをつぶしてあげる……その前にお澪はお仕置きしなきゃね、私を不快にさせたんだもの」

「っ、やめて姉様! この人は関係ない! この人に手を出さないで!」

「聞いてなかった? 私を不快にさせただけで死刑よ、さぁまずはあんたの地味顔を私が綺麗にしてやるわ」

ニタリと笑って近くにいた店の者が持っていた反物巻き棒を奪い、お澪へ一歩踏み出したお紗江。

お澪はお紗江がしようとしていることに気づき、頭を抱え自分を守るようにしゃがむと同時に気づいた邦吾が咄嗟に守るように彼女の細い体に覆い被さった。


棒を振り上げたお紗江に誰もが二人が殴られるとそう思った時、桜の香りが彼らを包んだ。


《それ以上は見過ごせないわ》

邦吾は聞いたことのある声に顔を上げれば……店中に桜の花弁が舞っていた。

美しい桜に店中の人間が見惚れる中であの声が響く。

《まぁなんて醜い心、そんなに心が醜いと姿も醜くなってしまうわよ》

「だ、誰よ!! 何なのこの花、邪魔なのよ!!

桜の花弁は邦吾達を優しく包む、邦吾の目には花弁の中から現れ、お澪の肩に優しく手を乗せて微笑むあの黒髪の女が映っていた。

女はニコリと邦吾に微笑むとお澪の髪を手で優しくいた。

《健気で、不条理に耐えた可愛い子、私があなたを桜の如く咲き誇らせましょう》

女はそういうと桜の花弁へ姿を変えてお澪を包んだ。

その時、邦吾は見ていた、お澪の姿が変わっていくのを。


お澪の髪が独りでに結われ、あの桜の花簪が差されると薄汚れた無地の着物が綺麗な淡い桃色に色づき桜が咲いた。

赤く腫れた頬は治り、薄化粧だったお澪の顔は白雪のような美しい肌となり、桜が咲いたように頬が、唇が、桜色で彩られる。

血色が悪く白かった爪も桜色に塗られ、履いていたボロボロの花下駄は桃色の可愛らしいものに姿を変えた。


桜の花弁が晴れるとそこには正に桜を身に纏う美しい女がおり、周りは突然現れた美女といなくなったお澪が同一人物だとは分からなかったが、邦吾はそこにいるのはお澪であると知っていた。

そして身近にいたからこそお紗江もすぐに桜を身に纏う女がお澪だと分かったのだった。

「な、なによその姿!!? なんでいきなりそんな綺麗な着物を着てるのよ!!

「え? ……え、なに、これ……」

お紗江に言われ自分の着物が変わっていることに気づくお澪は何が起きたのか分からず辺りを見回せば自分に視線が集まっているのを理解し、大勢の人の目に慣れていない彼女は思わず目の前にいた邦吾の体に引っ付いて隠れてしまう。

隠れられた邦吾は彼女が胸に飛び込むように引っ付いたことでふわりと桜が香り胸を大きく高鳴らせ固まっていたが、遠くで離れて事をみていた大旦那が早くお澪を守れと身振りで指示を出したのが見え、邦吾は彼女を抱きしめ体で隠しながらお紗江から距離をとった。

お紗江はその様子にさらに激昂し、怒りで言葉が出ないのか理解出来ぬ言語と罵声であろう声を店に響かせながら地団駄を踏んでいた。

顔を歪めていたせいなのか塗り固められていた化粧が剥がれるのを知らずに醜くお澪を罵るお紗江は持っていた棒を振り回し始めた。

店の中で暴れるお紗江に流石にまずいと店の者が止めようとするが持っている棒により彼女に近寄れない。

誰かこの女を止めてくれと誰もがそう思ったとき、ある二人の男が店に入ってきた。

「おやおや、これはひどいですなぁ」

「お紗江……!! お前は何をしているのだ!!

「お、お父様……なんでここに!?

お紗江に怒声をあげる男はお紗江とお澪の父……苧環おだまき屋の店主だった。

父親が店に入ってきたことでお紗江は動きを止める。すぐさま近くにいた奉公の娘が棒を取り上げて逃げた。

お紗江は鬼の形相で逃げた女の奉公を睨むが女はすでに別の店の者に匿われ、店の奥へ消えていったのだった。

「返しなさいよ!!

「あの棒で何をする気だったのかな?」

苧環屋の店主と一緒に店に入ってきた男は棒を返せと喚くお紗江に優しく尋ねる。

男は身なりのいい服と刀を持っているため侍のようだと判断するお紗江だが、ここで一番偉いのは父で、娘である自分のほうがこの侍より偉いとすぐに相手を見下すような目で、侍を見てお紗江はまたも歪んだ笑みを作り邦吾に守られているお澪を指さした。

「何ってあそこにいる妹にお仕置きするのよ! 私を不快にさせたのだから当然じゃない! 勿論あいつを守っている男にも制裁はくわえるわ!」

「何故君を不快にさせただけでお仕置きなんだい? それに彼は彼女を君から守っているだけじゃないか」

「は? あいつは苧環屋のために老い先が短そうな爺に嫁がせて遺された金をうちに持って帰らせるだけの道具よ? 爺以外にも嫁がせて他の店と交渉させるためだけのただの道具が私を不快にさせるなんてダメに決まっているじゃない!」

お紗江は息を荒げ、ベラベラと話す度に苧環屋の店主の顔が青くなるのを知らず、お澪が如何に自分に従順であるべきか、自分が如何に偉いかを語る。

語る度に話を聞いた男の目が冷たくなるのを知らず。

その後、満足げに語ったお紗江に苧環屋の店主はようやく正気を取り戻し、彼女を殴り飛ばす。

「この、大馬鹿ものめが!!

「お、おお父様!? なん、なんなのですか!? 私を殴るなんてひどいわ!」

「この恥さらしめ……! はっ、瑠璃助るりのすけ様! これは娘が勝手に言っているだけですので!!

「でも父様、いつも、むぐぐぐ!!!」

大慌てで取り繕うように笑い、お紗江の口をふさぐ苧環屋の店主だが瑠璃助と呼ばれた男は真冬の雪の日よりも冷たい目で苧環屋の店主とお紗江の親子を見ていた。

「姫様と若から依頼されて調べていたが、ここまでひどいものだったとは……苧環屋、お前の店には今後一切我が藩はものを頼むことはないだろう……花衣屋、話があるのだがいいか?」

「……奥の間に案内します、菊太郎案内をしなさい」

突然のことに大旦那は慌てず冷静に対処する。その姿に瑠璃助と呼ばれた男は感心するように頷き魂が抜けたように座り込む苧環屋の店主を尻目に店の中へ足を進める……そして邦吾の腕の中から事を見ていたお澪へ顔を向けた。

「あぁ、その前に……そこのお嬢さん、確かお澪さんか……君は苧環屋の娘ではないよ」

この瑠璃助の言葉に苧環屋の顔は蒼白に染まった。

「……え?」

「そこの苧環屋はある店の娘だった君の美しさに幼い頃に目をつけて無理やり娘として攫ったんだよ……確か木崎屋という店の娘として生まれたはずさ」

これは最近分かったのだけどね、と告げた彼は菊太郎に連れられ店の奥へ姿を消した。

突然の真実に唖然としたまま残されたお澪や邦吾を放って。

ようやく話を理解した大旦那は涙を流しながら顔を手で覆いしゃがみこむ。手の間から零れる声には悲しみと怒りがこもっていた。

「お、大旦那様!?

「あぁ、なんてことだ……! あいつら、こんなこと黙って死ぬなんて……!! あぁ畜生……畜生め!」


邦吾は以前、木崎屋の店主とは酒飲み仲間で大変親しい仲であったのだと大旦那から聞いたことを思い出した。

店が違えども親友のように仲良く、共に店を繁盛させようと切磋琢磨しあった友は突然娘が亡くなったことで絶望し夫婦で心中したのだと、その時は涙を枯らすまで泣いたのだと悲しげに語る大旦那の姿を。

しかし、真実は違った。

娘は死んだのではなく奪われたのだ。この苧環屋に。

しかもその娘が悲惨な目にあっていた、大旦那は友の娘を道具のように扱ったのだという事実に底知れぬ怒りが込み上げた。

そして友が娘を奪われるという悲劇を知らず、失った友が絶望にいた時に助けられなかった己に怒りと悲しみが込みあげたのだ。

友を死なせ、その娘を虐げた苧環屋へ怒りにより、まるで鬼のような顔となった大旦那の視線の先には魂が抜けたように地面に膝をつき、顔面が青どころか白くなった苧環屋の姿があった。

「あぁ、終わった……もう終わった……」

「と、父様? なぜそんな」

「瑠璃助様はこの国の財政を任されたお方……そんなお方に見放されてしまったら店はもうやっていけない……お紗江、お前はなんてことをしてくれたのだ……!!

お紗江は顔を真っ青にするがもう遅い、取りつくろうにも大衆の目の前で見放されただけでなく罪が明らかになったのだから。

しかし、ただでは転ばないのがお紗江だった。守られたお澪を見て最後の抵抗で道連れにしようと口を開くがその前にまた桜が香り、桜の花弁が彼女を包んだ。

《まだやろうというの? なんてしつこいのかしら……二人の目出度き門出を邪魔はさせないわ》

桜吹雪が突如お紗江を襲う、とても目を開けられず立っていられないほどの量の桜吹雪は苧環屋の店主もろとも店の外まで吹き飛ばした。

《お引き取りを、二度とこの二人に近寄らないで頂戴》


店の外にまで吹き飛ばされた二人は店前の大きな通りに転がった。

突然店から転がり出てきた二人に周りが好奇の目で見ている中、起き上がった二人に近づく者がいた。

それはこの店の看板娘であり花衣屋一番の売り上げをたたき出す女商人のお咲であった。

実はお咲は所用で店を離れていたのだが丁度店に戻ってきた所だった。

「あら苧環屋さんのお二人ではございませんか、どうしたのですこんな店先で転がって?」

何も知らぬお咲は店の中から突然二人が転がるように出てきたのを見たために何があったのかと聞いたのだがそれを聞いたお紗江は掴みかかろうと彼女に手を伸ばした。

お紗江はお咲が農民の生まれでありながらも商人として成功しただけでなく美しく評判のいい彼女を妬ましく思っていた。

そんな彼女が今、目の前にいる。

先ほどのお澪は邦吾という店の男と変な桜の花弁に守られていたが今のお咲は丸腰で誰も守るものはいないとお紗江は思ったこと、そして父の威厳が無くなり彼女のプライドが粉々に壊れて正常な判断が出来なかったことから、お紗江はお咲だけでも傷つけてやろうとしたのだ。

しかしお紗江の手がお咲に届く直前にとてつもない寒気を全身で感じお紗江の動きは止まった。

その原因はお紗江の目には映っていた。

《お咲に手を出すな、下種げすが》

お咲を後ろから抱きしめるように立つ、葵の柄が入った十二単を纏った濡れ羽色の髪の美しい女がお紗江をじっと見ていたのだ。

動くなと目で語るその女はすぅっと指先をお紗江に向けると何かを断ち切るように横に動かしたのであった。

するとお咲の後ろから男達が現れた。男達はこの地域の治安を守る同心達で騒ぎを聞きつけやってきたのであった。彼らが来たことで店先の騒がしさに気づいた大旦那が店から出てきた。

「お咲さん! 何があった!?

「おや、お咲お帰り……あんたらまだいたのか」

店の前にいまだ転がる苧環屋の店主とお咲につかみかかろうとした様子のお紗江の姿を見た大旦那は冷たく二人に言い放った。

これにはお咲だけでなく同心も驚いたが大旦那はお咲を傍に寄せると中に入るように押した。

「お父様この方は苧環屋さんですよ? そんなこといって……」

「私の友人の娘を攫い、虐待したやつにそんな口をきけるかい……お咲、お澪という妹分が増えるよ、挨拶してきなさい」

「え、攫いってそれに妹分とは何のことです!? 一体何があったのですか!?

いいからいいからと店の中へお咲を押し込んだ後、大旦那は呆気にとられる同心達に詳しくすべてを話すと、彼らを店先から引き離したのであった。

店の中は荒れており状況が全く分からないお咲に奉公人達が報告した。

この騒動のことを。そして、苧環屋の二人が追い出されたあとに大旦那はお澪をこの店で引き取ると決めたのだと。

亡き友人の残した娘を今度こそ守りたいと話す大旦那に邦吾だけでなく店の者も反対しなかった。

お澪はそういうわけにはいかないと断ろうとしたが大旦那はならばと代替案を提案した。

「なら邦吾の嫁さんとしてここで働けばいいだろう」

「え!?

「は、ちょ、お、大旦那ぁ!?

まさかの提案にお澪だけでなく勿論邦吾も驚くが店の経理担当はいい案だと声高らかに笑い、流石大旦那様と店の奉公人達は騒ぐ。そんな彼らを見ていた店の中にまだいたお客達までも賛同の拍手を鳴らした。

実は大旦那と店の者は邦吾の恋する高嶺の花の思い人はお澪だと勘違いしていた。

先程の騒動の際に邦吾がお澪を守ろうとする姿から邦吾がどこかでお澪と会い惚れていたが苧環屋の娘であった故に伝えられなかったのだろうと。しかも二人の雰囲気が中々にいい。

これは邦吾の恋を叶える絶好の機会だと大変無理矢理であるが二人をくっつけようとしたという訳なのである。

「なんだ邦吾、お澪ちゃんを嫁にするのは嫌とでも言うのか?」

「嫌なわけやない!! 大変綺麗で自分にもったいないくらいです! ……あ」

「ならばよし、お澪ちゃんもいいだろう?」

思わず言ってしまった邦吾はめられた! と怒りやら驚きで体がプルプルと震えるが大旦那と邦吾の発言に顔を真っ赤に染め両手で頬を隠すお澪が視界に入った瞬間に怒りは風船から空気が抜けるように消える。

実際に邦吾は髪に桜を咲かせた美しいお澪に見惚れた、いやすでに惚れていたのであったのだから。

立ち尽くす邦吾にお澪は恥ずかしそうにしながらも頭を下げた。

「ふ、不束者ですがよろしくお願い致します……」

この後、花衣屋は歓喜の声に沸いた。

店の奥に案内された瑠璃助は聞こえてくる声に楽しげに微笑むが、相手をしている菊太郎は早く親父来いと祈っていたという。


その三日後、苧環屋はこの事件が大きく広まり信用を無くしただけでなく月ヶ原家から見放されたことで店を畳むこととなり、ある夜に逃げるように常和から消えたのであった。

その後彼らを知るものは誰もいない。


そして桜の簪を頭につけ、元気になったお澪が笑顔で花衣屋にいた。

儚げ美人と呼ばれたお澪は、今は桜美人と呼ばれ花衣屋の看板娘の一人としてお咲の補佐として働いている。彼女もまた自分を拾ってくれた店と大旦那、そして愛する旦那のためにお咲の下で勉強し、元気に働くのであった。

そんなお澪の頭には大旦那とお咲から祝いの品として彼女に贈られた桜が誇るようにいつも咲いていたという。

邦吾はせめて簪の代金を払おうとしたが大旦那は一切受け取らんと頑なに拒んだどころか二人の婚姻の儀も花衣屋でやると費用から道具まで全て用意したため、今後も店に貢献することで大旦那、もとい花衣屋にこの恩を返していこうと心に決めたのであった。


そして数日後、二人は他の奉公人達と一緒に売り上げの一部と色んな品を持って簪の制作者、天野宗助の元を訪れたのであった。

きょとんとした彼に邦吾は今の幸せを表すような笑顔でこう言った。

「おかげさまで簪は大繫盛で完売しました! また作品を作りましたら是非花衣屋を御贔屓に!」

瑠璃助は花衣屋を出た後、義晴の部屋にて部屋の主義晴、小春姫、三九郎と共にいた。

花衣屋で起きた事を話す瑠璃助にご苦労と言葉をかけると義晴は眉間を指で揉み、小春姫はふぅと一息ついた。

「なるほどやはり苧環屋の話は本当であったのか……」

「はい、お澪嬢はどうやら他の店等のものと婚姻させてその資産等を奪わせるために攫ったと……またお咲さんにも手を出そうとしたと調べにてわかりました」

くずだわ……はぁ、お咲もそんな店に狙われるなんて……また様子を見に行ってあげなきゃ……」

「いや、それお前がそのお咲に会いたいだけだろ」

小春姫は片手を頬に添え、憂うように息を吐く様子に義晴がジトッとした目で見ても、どこ吹く風である。

三九郎は小春姫がお咲の事をそんなに気に入っていたのかと内心驚くが、彼女は自分が気に入ったものを愛でたり、可愛がる性質の人間であったことを思い出し小春姫の愛でる対象に入ったのかと納得した。

瑠璃助はそんな二人のやり取りも慣れているので意に介さずある書簡を取り出した。

それはある国から送られた書簡であるが内容は〝苧環屋の行った誘拐並びに脅迫について〟の情報がまとめられたもので、これが本当なのか調査してほしいというものであった。

その書簡を見た義晴は目を細め、ニヤリと楽しげに笑う。それに小春姫も同様の笑みを浮かべた。

「あいつの作る物は本当に何をするかわからないなぁ、まさかこんなことになろうとは」

「私もあれは見ましたがそんな力があるなんて……確かに面白いですわね、あなたのお気に入りの職人の作る物は」

義晴は花の香りがする書簡を手に取ると傍に置かれた刃龍に見せるように床に立てた。

「お前の妹だろ、これをやったのは」

義晴が問われた鍔の龍に目を向ければ、おかしそうに目を細めてカタカタと音をさせて刀を揺らしていた。

同時刻、翡汪国ひおうこくのある屋敷にて、ある女は頭に竜胆の簪をつけていた。

紫の着物を着たその女は夫である男と仲睦まじそうな様子で縁側にて茶を楽しんでいた。

《私をここに導いた邦吾殿……その奥方様となるお方の悪縁は私のやり方で消させていただいたわ、これで恩義は返しましたよ》

二人の後ろで竜胆色の髪の美しい女は空に向けて微笑んだ。

《私はしっかりと働いたので、あとはよろしくお願いしますね、桜姉様》

彼女は満足気に微笑んだ。

その顔は凛とした美しい顔であったが、残念ながら誰にも見られることはなかった。