そのころ、トージョーは偽装身分をコロコロと変え、世界中を転々としていた。
ここ、アメリカ・サウスカロライナ州の田舎町に移ってきたのは一週間前。今回の偽装身分は、妻に先立たれ、ⅤRワークで勤めながら田舎暮らしをする保険会社員。流行りの生活スタイルなので、地元民は警戒も馴れ合いもせず、チップを多めに払う隻眼の東洋人を迎えた。
畑仕事や牧場に興味を持った男という設定なので、恰好もジーンズにチェック柄の長袖シャツとそれらしくし、野球帽をかぶっている。昼間は偽装身分に従って草や牛と向き合っていたおかげで、インナーシャツは汗ばみ、ワーカーブーツも汚れていた。
しかし、この郊外のダイナーに唯一いるウェイトレスと店長は、嫌な顔をしなかった。ウェイトレスはリンクデバイスでメールをチェックし、店長はメジャー・リーグに夢中だ。ほかに客はいない。このダイナーは、朝と昼こそ一次産業従事者やトラック運転手で賑わうが、かれらは夜になれば街のパブへ行くか、自宅で家族と共に過ごす。
だから、ここの隅のボックス席はトージョーにとって絶好の夕食の場であった。
……なぜか、ミドルスクールに登校していただけなのに、ミディスカートとデニムシャツを泥だらけにした十三歳の小娘を説教する場としても、絶好だった。
「……いったい、どういう理由でそうなった、マーリア? 上級生と喧嘩なんて」
トージョーが訊くと、マーリアは噛みついていたステーキから視線をあげる。その目の下にも、ヒリヒリと痛そうな擦り傷があった。
喧嘩相手の男子は、ヒリヒリでは済まないだろう。鼻を折った。示談金や諸々の処理を行わなければ、この町と仮の身分からオサラバするハメになる。
マーリアと暮らして半年。彼女の奇行で偽装身分が崩壊したのは、これまでで六度。
そろそろ、口うるさい大人となる時がきたらしい。トージョーは身を乗り出した。
「いいか? 暴力に頼るな。喧嘩なんかしても物事は改善しないし、百害あって一利──」
切り分けたステーキを口に放りながら、マーリアがジッと見てくる。その碧眼に含みがないことは承知しているが、トージョーは居心地が悪くなり、咳払いした。
「……まあ、おまえに暴力を教えたのはわたしだし、利益がまったくないわけでもない。それで食っているのは、事実だ」
トージョーはビールをちびちび飲むと、ふたたび説教の意欲を装填した。
「しかし、肝心なのは使い方だ。おまえには十分な訓練をつけたはずだ。相手が先に仕掛けてきたそうだが、鼻を折らずとも、もっと穏やかに──」
ステーキを食べ終えたマーリアが、つぎは三段重ねパンケーキを標的にする。そのあいだも、トージョーから目を離さない。
トージョーは帽子を取って黒髪を撫であげてから、かぶり直した。
「……たしかに、その訓練で、いちど攻撃を始めたら相手の無力化を確信するまで徹底しろと教えたのは、わたしだ」
トージョーはウェイトレスに頼んで、ビールから安物ウィスキーに切り替える。
それから、八〇〇メートル先の目標を狙撃する時みたいに呼吸と思考を整えた。
「よし、わかった。新たな教えだ、マーリア。いいか? この世には表と裏、二つの世界がある。裏は、我々の世界。だが、その理屈を表に持ちこんではならない。そのうえで問おう。ミドルスクールは、表か? それとも裏か? 答えは──」
パンケーキの一枚を丸ごとパクリと食べながらも、マーリアが見ている。
トージョーは沈黙すると、うなだれるようにうなずいた。
「……ああ、そうだな。わたしは小学校中退だ。ミドルスクールの事情など知らない」
ついに説教の弾薬が尽き、トージョーは片手で頭を支えた。
らしくもなく、トージョーは内心で愚痴を並べた。だから言ったのだ。自分は子育てに適した人物ではない。自分が教えられるのは、せいぜい殺しだけだ。
トージョーの悩みを、いったいどう解釈したのか、マーリアが残り一・五枚となったパンケーキの皿をこちらに差し出してくる。
トージョーはその皿を押し返すと、ひとつ、矛盾点に気付いた。
「マーリア、喧嘩相手は一人だったな? なぜ、苦戦した?」
この半年で、トージョーはマーリアをだいぶ鍛えた。素手で並の電賊を殺せるほどに。その点だけは、自信をもって言える。
そんな彼女を、ただの中学生が、ここまでボロボロにできるものか?
「……? 無傷で勝利しましたが」
「なら、その傷と服の汚れはなんだ?」
「これは別件です。通学中に不明勢力に追跡されていたので、森で撒きました」
「なに? 不明勢力とは──」
『チーフ』
突然、チーム間通信〈ウルラート〉が起動し、〈テイルズ〉の副官マイクと繋がった。
「マイク、スイスの仕事のことか? 悪いが、いまは──」
『そちらのことです。電子監視網にかかっていた不穏情報に、急変が起きました』
「不穏情報?」
『他州のバイカーギャングが、その周辺に進出し、足がかりとして羽振りの良さそうなアジア人からカネを奪おうとしていた。これは三日前から把握してました』
「それで?」
『そのギャングは、お嬢を誘拐する計画を立てていた。実行は来月。その下準備として、通学路の地形や行動パターンを調べていたから、シッター1と2がそろそろ処分しようとしていたんですが……えー、今朝、連中の調査班二名が膝や肘を骨折。その片方が親分の弟で、連中は計画を早めました。シッターたちによると、襲撃開始時刻は──』
「……一分以内だな」
『シッターたちが急行していますが、時間を稼げますか?』
トージョーは外から近づいてくる無数の甲高いエンジン音を聞きつつ、嘆息した。
──もっと、会話が必要だな。しかしマーリアは三倍速でパンケーキの残りを口にかっこむと、リュックを背負い、動く用意を完了させた。こういうことだけは、以心伝心だ。
ままならぬものだ。トージョーはそう思うと、通信で訊いた。
「確認だが、ヤツらはマーリアを攫おうとしたのか?」
『はい、チーフ』
「わかった。掃除屋──いや、リヴィオに直接伝えろ。ここの偽装身分は放棄する」
ダイナーの前方駐車場に十数台のバイクを停め、タトゥーをこれでもかと入れた男たちが降りる。そのうちの三人が、小さなダイナーの入口に向かってくるのが窓から見えた。
男たちは驚くウェイトレスをレジのほうへ押しやり、視線で店長を竦めさせると、テーブルとカウンター席の間の通路を一列になって歩いてくる。トージョーは困惑顔で席を立つと、禿頭にバンダナを巻いた先頭の巨漢を落ち着かせようと両手を軽く前に出した。
「てめえが──」
その両手が俊敏に禿頭を捕らえ、横のカウンターの角へ叩きつけた。
物静かな男から撃発した突然の破壊。そのショックを後続が飲み込む前に、トージョーはバンダナを血に染める巨漢を二番目の男に押し付け、床に倒した。トージョーの膂力と巨漢の体重に押し潰された二番目の男が呻きながらもジャケットの中に右手を突っ込もうとするが、トージョーはその手首を掴んで折り、ついでに巨漢の後頭部で顔面を砕いた。
「後ろ腰だ」
三人目の男はもたつきつつ、四十五口径拳銃を抜いていた。その銃口がトージョーを捉える前に、小さな手がかれのシャツをめくり、腰から大型リボルバーを引き抜いた。
爆発的な銃声と一緒に散弾が放たれ、屈んでいるトージョーの頭上を抜けて、三人目の額を抉る。そいつが大の字に倒れるのを見届けると、トージョーは二人目の男のジャケットの中から九ミリ拳銃を奪い、一人目と二人目の重なった頭にブーツの底を振り下ろした。
それから三人目の四十五口径も拾いつつ、いまの銃声で闘争心と憶測を飛び交わせている駐車場の気配を探り、最後に奥で震えている店長とウェイトレスへ言った。
「監視カメラのログを消して、警察には怖くてよく覚えていないと言い続けろ。そうすれば従業員をもう十人は雇えるし、きみは、数年はアルバイトせずに済む。しなければ、また、わたしと会うことになる」
外の声を聞く限り、相手はこちらが出てくるのを待ち伏せる気らしい。店長たちの判断力が戻ってくるのを待っていれば包囲網が固くなる。トージョーは自分のリュックからそこそこ分厚い封筒を出すと、店長へ投げた。
店長はおそるおそる茶封筒の中を見て、それから激しく何度もうなずいた。
「よし。奥で伏せていろ」
「……ごちそうさまでした」
片手にリボルバー、もう片手に年代物の消火器を持ったマーリアがペコリと頭を下げる。
そして、マーリアが消火器を窓に投げて割り、駐車場に並ぶバイク群の前へ転がした。
トージョーは九ミリ拳銃でその消火器を撃った。消火器から噴出した煙がヘッドライトの光を反射させ、キラキラと輝く。スモークの中からすぐさま無数の応射が店内に飛び込んできて、店長たちに悲鳴をあげさせたが、トージョーとマーリアは裏口から出ると、ダイナーを回りこんで駐車場の横の茂みについていた。
駐車場の端には、ピックアップトラックを停めてある。その左右には、すでにこれを自分たちの物だと考えているらしい男二人が、銃撃に参加もせず品定めしていた。
マーリアがこちらに背を向けている方の首に散弾をぶち込み、トージョーはスライディングでトラックに接近する。そして車体下を通し、逆側面で驚いている男のつま先を九ミリ弾で撃ち、倒れてきたところでさらに頭を二発撃った。
「乗れ!」
ドアを開けると、マーリアが獣みたいに運転席に飛び乗り、エンジンをかける。そのあいだ、トージョーはボンネットの上に二挺を乗せるようにして九ミリと四十五口径を両手で撃ちまくり、ギャングたちをバイクの陰にひっこめた。
両方の弾が尽きた瞬間、ピックアップトラックが動き出した。トージョーは二挺拳銃を捨てて車に乗ると、マーリアと運転を替わり、駐車場から道路に出る。
男たちはまだ乱射しているが、いずれ防弾車両だと気付き、ご自慢のバイクで追跡してくるだろう。トージョーは通信〈ウルラート〉を起動した。
「トージョーからシッター1、シッター2へ。包囲を突破した」
『位置は確認してます。そこから二・五キロ先の山道でチョークポイントを設定できます』
「いや、まて。マイク、追加情報はあるか?」
『ⅤRテスラプネで、ラーチャーたちが〝お友達〟を見つけ、お話しました。敵数は四十四人。約五キロ先の靴工場を拠点にしているそうです。重火器も保有しています』
「了解。──シッター、待ち伏せはいい。ここを脱出し、あとは〈ウルヴズ〉に任せる」
銃声も止んだ。ギャングたちはこちらの力量に混乱し、意思決定か連絡に問題を起こしたらしい。まだ追跡の気配はない。振り切れるだろう。
「銃を返せ。まだ自分のものを持つ時期ではない」
静かな山沿いの道で運転しながら右手を差し出すと、リボルバーが渡される。それを後ろ腰に戻すと、それきり、車内は沈黙に満たされた。
「バカにされたのです」
「……なんの話だ?」
音楽でもつけようかとしたら、マーリアがリュックを抱きながらポツリと言った。
「学校の、喧嘩の理由。おまえのパパは、機械の目のサイボーグ野郎と。ですから、わたしは矜持を守った。ファミリーの掟に則って」
トージョーは口を開き、閉じる。
そして前を見たまま、左目を擦り、やがてリボルバーを抜き直して、マーリアへ渡した。
銃を手に小首を傾げながらこちらを見るマーリアを無視し、通信する。
「シッター1、2へ。最寄りの〈ウルヴズ〉武器庫はわかるな。四人分の装備を用意しろ。ドローン、擲弾銃。拠点破壊に必要ならなんでも出せ。申請はわたしがする」
『繰り返してください、チーフ。四人分ですか?』
「四人分だ。〈ウルヴズ〉は待たん。今夜、処理する。──マイク、その靴工場の座標と警備体制をよこせ。我々の襲撃に合わせ、VRSNS側で攻撃できるように待機しろ」
マイクの笑声混じりの応答を最後に〈ウルラート〉が切れると、こんどは、リンクデバイスがメールの着信音を鳴らした。
──よう、兄弟。今日はまた一段と楽しそうだな?──
トージョーはむっつりしながら、片手で返信メールを作成する。
──なにがだ? いつもの火曜日だろう?──
送信すると、野球帽を頭から毟るように外して後部席へ放った。