エピローグ あなたを運命の下に



 七月末。VRSNSにも夏の気配が訪れていた。

 ホンコン第三エリアの繁華街は、証券取引所の隣に占い屋があるような無節操さで、こんとんとした活気がある。人も、観光客とVRワーキングのサラリーマンが混ざりあっていた。

 その中に、小柄な人物が混ざっていた。薄手パーカーのフードをかぶっていて、黒のマフラーで鼻まで覆っている。ゆいいつ露出している黒いそうぼうはとても真剣だった。

 その目が、通りに連なる軒の向こうに、超高層ビルを捉える。

 ナオトは、シークレット・ウィンドウで通信を開く。すると、手元の端末に指を踊らせる寿ことぶきカンナが映し出された。

「チーム間通信〈ウルラート〉チェック。部長、ビルを目視しました」

『全感度良好。オーケーよ。一ヵ月ぶりのVRSNSはどう?』

「う、うーん。とくに、なにも感じないですね」

『ほんと? わたしなんか、ずうっとVRSNS中毒の発作が起きそうだったわ』

 この一ヵ月間。秘匿のためにログインを〈ウルヴズ〉から禁じられていたが、さして苦ではなかった。というより、地獄の訓練・勉強漬けで、思い出す暇もなかった。

『あと、くん。カンナでいいわよ。もう部活じゃないんだから。わたしたちは──』

「〈ルーターズ〉」

 ナオトとカンナは、二人して微笑ほほえむ。

 この一ヵ月。〈ウルヴズ〉の現実本拠で鍛えられた二人は、立派なグリッチャー組織の卵となっていた。だれも殺さず、だれにも殺されず、人を助ける組織。

 今日、それがかえる時だ。

「ところで、カンナさん。今日の任務を終えたら日本に帰るんですよね? ……おれたちがゆく不明になってるニュース見ましたけど、平気ですかね?」

『もちろん。準備は整ってるわ。……といっても、けっこうな数の偽装を継続しなければいけないけどね』

 カンナは凝った首を回す。

『わたしたちの行方不明だけでなく、あの事件の痕跡はたくさんあるから。ナオトくんのクラスメイトのマイコは、あの日のことを夢だと思っているらしいけど、それが悪夢になって遠い病院に入院することになったし、それに──』

「マーリアもいなくなった」

『……ええ。だから、えっと、そのへんは、〈ウルヴズ〉と口裏を合わせなきゃダメね』

 ナオトは口元を隠している黒マフラーに触れる。

 マーリア。その名は、いつまでっても胸をえぐった。

 彼女は社会に戻った。電賊の関係者が会ってはダメだ。探してはいけない。

 この一ヵ月で、何百回、この呪文を唱えたことか。

『日野くん、集中して。今日は〈ルーターズ〉の一歩目。〈ウルヴズ〉も、わたしたちを値踏みしている』

 ナオトをしつするように、カンナは強い口調で言う。

『今回の対象はグリッチャー化したばかり。混乱し、攻撃的になっていて、電賊〈オセロメー〉のメンバーを傷つけた。ヤツらが報復するまえに説得しなきゃ、殺されるわ』

 そして説得が失敗して戦いになれば、自分が対象に殺されかねない。

 生きるか死ぬかの、くらい世界。

 しかし自分次第でだれもが死なず、そして自分は、なんでもできるグリッチャーだ。

「そうですね。わかりました」

『ええ。それじゃ、わたしは監視に回る。そっちも隠れて監視できるところを探して。〈ウルヴズ〉の情報によれば、対象はいつも正面の高層ビル屋上にログインするけど、そのまえに知り合いに見つかって大騒ぎになったら目も当てられないわ』

「あはは。そこまで不運じゃないと思いますけど、了解です」

 しかし、そのときのナオトは甘く見ていた。VRSNSを。

 かれは通りで、ゆいいつ、高層ビルを監視できる位置のリード店舗を探し当てた。飲食店系で、通りに面した席で窓から見張っていれば、対象のログイン光柱を見逃さないだろう。ナオトは店の入口でリード表を出し、長居ができる飲食店を条件に検索し、こうを読み取ったリード機能が一番上に表示した店をクリックする。

 選ばれたレトロなカフェのドアをくぐると、店員BOTが挨拶してきた。

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

 店内は木製の家具と内装で統一され、席は二十以上あるものの、客はいない。店員もBOTだけ。静かで清潔。当然だが、ナオト好みだ。

 しかし、ビルを監視できそうな角度にある四人テーブルに、ひとりだけ客が座っているのを見て、眉をひそめた。まいった。知らない人と、それも大人の女性と相席するの?

 そんな嘆きは、一瞬で吹っ飛んだ。ナオトは店の真ん中で棒立ちになった。

 ──これは、なんだ? 〈ウルヴズ〉の試練か、それともトージョーの策謀か?

 ちがうと、すぐに気付いた。

 かれは、彼女から勇気をもらった。だれかを助けられるだけの。

 彼女は、かれから学んだ。正しい人という、本来、彼女があるべき姿を。

 だから、二人は同じことをしにきた。混乱したグリッチャーを助けようとしにきた。

 そして、その目的と、かつて一緒に遊んだ記録から、リード機能が最適な店へと導いたのだ。理解したときには、ナオトは足早にそちらへ向かっていた。

 その足音に女性──いや、長身の少女が気付き、臨戦態勢に入る。グリッチャー・モードへ移行しつつ、金のポニーテールをひるがえして素早く立ちあがった。

 ナオトはポーチ窓から大型リボルバーを抜いた彼女の手をつかむと、思いきり引き寄せ、抱き締めた。恥ずかし気もなく、彼女の肩に顔をうずめた。

「ナオト?」

 震えた、れいな声が降ってくる。彼女はリボルバーを床に落とすと、幻ではないかと恐れるような手つきで、両腕をナオトの背に回した。

「あなたが、なぜ、ここに」

 ──もういい。だれかが契約違反だのと文句を言ったり、彼女を狙ったりしてきたら、おれが蹴っ飛ばしてやる。おれは、なんでもできるグリッチャーだ。

 彼女は、とても寂しがっていた。背に回された手の震えでわかる。ナオトも寂しかった。

 だから、もう手放さない。絶対に、悲しませない。

「運命だよ、マーリア……」



 トージョーは現実のアメリカ、昼のロサンゼルスにいた。

 一人ではない。BMWの後部席に座り、運転は任せている。ふだんは他人にハンドルを握らせないが、一ヵ月前に仮想切断された左腕をギプスで固め、アームスリングで胸前にっている。リンクデバイスも、右手に巻いていた。

 それに、隣に座っている黒髪の子供を監視しなければならなかった。

 その日系の子供は、旧式のVRヘッドセット・ゴーグルで幸せな夢の中にいた。

 車がビル群を抜けていく間、トージョーは後部席の端末で日本のニュースを閲覧していた。高校生が一ヵ月前にゆく不明となってから、いまだ発見されていないというニュースだ。

 ──なんとか、まにあったか。

「通信です」

 運転手が立体ウィンドウをよこしてくる。トージョーは横の子供を見てからアクセスすると、秘匿通信ウィンドウに映されたのは、フォルナーラだった。

 初めて会ったとき、まん丸の目で自分を見上げていた赤ん坊は、いま、リヴィオのデスクに両肘をつき、美貌と威厳がこもった笑みを浮かべていた。

「フォルナーラ。いまは、〈テイルズ〉の残党狩りの最中のはずだが」

『もうガキじゃないんだ。優先順位というものくらい理解している。おまえの踊りにだって、見事に調子を合わせただろう?』

「踊りとは?」

『とぼけるなよ。今回の騒動は、だれが見ても、わたしとおまえの政権争いだ。おまえの狙いはそこだった。だがな、わたしはより深く物事を見通している。おまえがしたこと、しようとしていること、すべてお見通しだ』

 フォルナーラは笑みをしまうと、真剣な表情となった。

おやを殺したのは、おまえだな?』

「……情報が古いな。わたしは一年前から知っていた」

『最初からわかっていたさ。犯人はソロだった。偉大な男を一人でれるヤツが、この世にどれだけいる? ──だが、勘違いするなよ。おまえは親父に勝ったわけじゃない』

「どういう意味だ?」

 フォルナーラが画面端に手を伸ばし、ひとつの写真立てを手元に引き寄せる。

 こちらからは死角だったが、それがなんの写真ではあるかはよく知っていた。

『親父は、クロエ社との契約を後悔していた。しかし〈安全器〉とやらを仕込まれた〈おおかみの血〉を投与したファミリーを人質にされ、ヤツらの駒とされた』

「ちがう、リヴィオはクロエ社と同調していた。認めたくない気持ちはわかるが──」

『〝頭の巡りが悪いな〟、?』

 リヴィオのこえをされ、トージョーは口をつぐむ。

 フォルナーラは、勝ち誇るように左手首のリンクデバイスを掲げてみせた。

『わたしが〈おおかみの血〉を投与してない理由は? おやの遺言だ。だからクロエ社はわたしを脅せず、おまえと親密になるしかなかった。射界に、関係者どもが出向くしかなかった』

「だが……あの夜、リヴィオはわたしを〈安全器〉で脅した。殺そうとしたんだぞ」

『そんなことだろうと思った。しかしクロエ社が、親父に〈安全器〉の権限を与えるはずないだろう? 狼の頭領を、ヤツらがそこまで信用するはずない』

 トージョーはぜんとした。

 言葉がでない。口を開くが、舌が乾くばかりだ。

『親父は、権力にかれた演技をしてたんだよ。その裏でクロエ社への反撃を考えてたが、まにあわなかった。ライフシェル社をおまえに襲わせたとき、親父もクロエ社にだまされていたんだ。そこが親父の限界だった。善良な研究者たちを、テロ被害者たちを、おまえに殺させてしまったことが』

「……だから、わたしの弾丸を待った。そのトリガーが、マリアンジェラ殺害命令か」

『そうだ。親父は、おまえがマーリアを殺せないとわかってた。そして自分を殺したあと、おまえが〈ウルヴズ〉の存続を目的とすることもわかっていた。今日、こんな風にな』

 トージョーは天井を仰ぐ。まさか、死んだあとも振り回されていたとは。

 ──道具みようりに尽きるじゃないか。なあ、兄弟?

 視線を戻すと、フォルナーラは微笑ほほえんでいた。すこしだけ、寂しげに。

『親父とプラチド。ファミリーの闇を知る者は消えた。リヴィオ・ピアッツェラは偉大な男、そして電賊のルールであり続ける。残るはクロエ社だけ。……行くのだろう?』

 トージョーは隣のVRゴーグルをつけた子供を確認してから、うなずく。

「ああ。そのためのR・O・O・Tであり、あの内紛だ。準備は整っている」

『たった一人、傷を抱えてか』

 フォルナーラは意味深な笑みを浮かべ……ようとしたが、すぐに眉間に力を込め、浮かびあがろうとするめいっ子の表情と戦っていた。

『生きて戻れ、とは言えんのだろうな』

 トージョーは鼻先で笑う。やっと、反撃の機会が訪れたらしい。

「いいかげん、我々の稼業がどういうものかわかってもいいころだろう。フォーラ?」

 すると、フォルナーラは持ち前の負けん気を出し、ボスらしい態度に戻る。

 少なくとも、上辺だけは。その成長が、トージョーはうれしかった。

『ミスは許さん。対象は、あと三時間で日本行きの便に乗る。それでクロエ社にバレるだろう。チャンスは一度きり。かならず成功させろ。〈安全器〉の権限を破壊するんだ』

「承知しました、ボス」

 二人はしばらく見つめ合ってから、通信を切った。

 やがて車が目的地に着き、降りた運転手が後部ドアを開きに回った。

「着きましたよ、チーフ」

 もじゃもじゃ頭とひげの中で笑う男──〈テイルズ〉副官マイク。

「気分はどうだ、マイク」

「気分? 脳みそをぐちゃぐちゃにされて、そいつが、親身になって治療してくれていた先生たちの仕業だと知った気分ですかね? おまけに信じていた指揮官に、計略のために使い潰された。ようするに、クソみたいな気分です」

 マイクは笑うが、両目はよどみ、ひどくまが浮かんでいる。いまにも自殺しそうな形相だ。

「……クロエ社のセラピーはもう諦めろ。あれは洗脳だ。それと、自分も責めるな。アレオッティ研究チーム殺害や、いままでの汚れ仕事は、すべてクロエ社とわたしの責任だ。すべてを忘れて生きろ。おまえたちなら、〈ウルヴズ〉をかわすのも楽だろう」

「べつにおれは後悔しちゃいない。くされクロエ社に操られていても、あちこちで悪党をするのは楽しかった。チーフがどう思おうがね。だから──」

 マイクがリンクデバイスをいじる。

 すると、トージョーのデバイスでもチーム間通信〈ウルラート〉が起動した。

『チーム・ガンドック1。所定位置についた』

『ガンドック2、いつでもいける』

『ラーチャー4、5、6、7。治療室で待機。セキュリティ・ルームまで五〇メートル』

「……〈テイルズ〉? なぜ、ここに?」

〈安全器〉で脳をやられ、セラピーという洗脳でクロエ社のかいらいとされ、悪に染められ、世界を傷つけ、ついにはトージョーにすら裏切られた男たち。

「命令ですよ、チーフ。ボス──フォルナーラと、先代からの」

 マイクが代表し、肩をすくめながら言う。

「むかし、先代が言った。世界が壊れた気分になったときは、チーフに続け。すこしはマシな死に場所をくれるってね。そしてこないだ、その娘が作戦をくれたわけです」

「自殺行為だ。クロエ社が〈安全器〉の出力を上げれば、おまえたちは即死するぞ」

「おれは死んでる。覚えのない戦争犯罪を問われ、事務屋どもに軍服を奪われたときに。ほかの連中も似たようなモンだ。──でも、チーフと先代がまた命をくれた。だから行く」

 そこでマイクが顔をしかめ、訂正した。

「いや、おっさん共のためってのは張り合いに欠ける。だから……そう、お嬢のために」

 通信〈ウルラート〉で苦笑が続き、『お嬢のために』と唱和されていく。

 そのとき、停車に気付いたらしい。車内の子供がVRゴーグルを外して「ミスター?」と呼んだ。マイクはその子供に微笑ほほえんでから、後部ドアを閉めた。

「お嬢にも〈安全器〉はあるが、アンタは恥を知る男だ。口が裂けても自分が親をった子供のためなんて言えないでしょ? だから代わりに言った。ほら、おれたちが必要だ」

 トージョーはうんざりし、首を振った。

 ──まったく、VRSNSは恐ろしい。

 ちた先、その闇の奥底でも、これほど強固なつながりを作るとは。

「……各員。わたしの合図を待て。マイクはパッケージを離脱させたのち、戻ってこい」

 暴力の匂いに、マイクは濁った両目をギラギラさせて運転席へ戻る。後部席では少女がなにか言おうとしていたが、マイクは彼女を〝見せつける〟と、車を反転発進させた。

 目前には、ガラス壁と栄光にきらめくクロエ・アンド・カンパニー本社。

 そこへ向かいながら、トージョーは車内に残した少女とよく似る少年を思い出していた。

 R・O・O・Tは、いつか世界に変革をもたらす。すべてを一新する。

 そのとき、かれの根は腐るか、大樹の支えとなるか。

 ……賭けるなら、後者だ。自分が地獄へ落とした少女を、かれは救った。これはとても大きな力だ。もっとも、少年も、マーリアの影響を大いに受けてしまったが。

 そして、ふと考えた。リヴィオが苦悩を自分に吐露していたら、あの二人のように支え合っていたら、別の結果になっていたのではと。『気味が悪いぜ、兄弟』。そんな声が聞こえた気がした。同意見だった。

 ──おれは、偉大な男の名刀。

 ──そしてつか、厄介な娘を持つ父だった男だ。

 クロエ本社前までくると、二人の警備員を連れた役員の男が出迎えにきた。

「〈ウルヴズ〉で内紛が起き、日本のニュースで学生のゆく不明事件が流れた。つまり、きみは目的のものを手に入れたと思っていいのかね?」

「商談は、わたしの〈安全器〉を抜いてからだ。下手なはよせ。VRSNSの裏市場を掌握するカードが消し飛ぶぞ」

 役員の男が怪物と遭遇したような顔をして、上の人間と無音通信を始める。

「……わかった、ともかく入りたまえ。人の目がある。我々は善良な企業であり、きみのような人間とは縁遠い存在でありつづけたいんだ。わかるだろう?」

 トージョーはうなずくと、クロエ本社へと入っていく。

 ──リヴィオも、おれも、存分に楽しんだ。クロエ社も同じならいいのだが。

 これから、罪人たちが等しく責任を取る時間なのだから。



 VRSNSを介して、とあるニュースが世界を駆け巡った。

 大企業クロエ・アンド・カンパニー本社で襲撃事件が発生。会長を含む、役員三名、研究者八名が死亡。サーバールームなどが爆発したため、正確な死傷者数はいまだ不明。

 犯人たちは警備員と銃撃戦になり、全員、その場で死亡が確認された。