十五章 始まりと終わりの昼夜



 悲しくて、苦しくて、痛くて、不安で、混乱している。でも、自分は勝った。

 ナオトは、山林の斜面にある墓地の、二つの白い十字架を眺めて、そう確信した。

 長いあいだ墓参者がいなかったらしい。しかも心ない人に蹴られたらしく、十字架の端が折れている。だが十字架も墓石も、最近、だれかに磨かれ、綺麗な花も供えられていた。

 ナオトは仮想負傷を負った身体からだを、まつづえとカンナに支えてもらいながら、それを──マーリアの両親であるアレオッティ夫妻の墓を見下ろしていた。

 すこし先に、だれかがきたらしい。かれらの善心と愛を知る者が。

「……入れ違い、ね。残念ね、くん。最後にお話したかったでしょ?」

「はい。でも、元気ならそれでいいです」

 ナオトたちは振り返り、山裾にある港町と、その向こうに広がる青々とした海を眺めた。

 ここは、現実のイタリア。

 ナオトとカンナは、〈ウルヴズ〉に身柄を抑えられていた。アーロンは仲間だったが、一時的なものだ。〈ウルヴズ〉もR・O・O・Tを狙っていた。それは変わらなかった。

 だからトージョーが敗北すると、現実の本拠に連れてこられたのだ。

 ナオトはもう一人前のグリッチャーだ。抵抗手段はいくらでも思い浮かぶ。

 しかし抵抗しないかわりに、〝契約〟をかわした。

「終わったかね?」

 石畳と芝生を踏み、しお頭の知的そうな男性がやってきた。

「我々は約束を守った。これが、その証明になるといいのだが──」

「あのねー、アタシも手伝ったんだよー。ねー、フィルマンさーん?」

 フィルマンという男性の後ろから、少女がぴょこんと顔を出し、ナオトとカンナをらせる。あの愛らしく暴力的な女の子──リンカだ。

 包帯を巻かれた左腕はだらりと下げられているが、やはりらんまんの笑顔を咲かせていた。

「……おい、リンカ。外で待っていろといったはずだ」

「だって護衛だしー、いつ〈テイルズ〉とトージョーさんが湧くかわかんないしー」

 フィルマンとリンカの言い合いの隙間をどうにか見つけ、ナオトはいた。

「あ、あの、その、マーリアは?」

「んー、そーだねー、向かった空港と時間からして──ぐむっ」

 フィルマンが、すばやくリンカの口を手で抑える。

「我々はきみの望みをかなえた。お嬢は〈ウルヴズ〉から抜けた。あとのことは、わたしたちも知らない。この世には、知らないほうがいい情報もある」

「……そうね。そのとおりだわ」

 カンナがどこか痛そうな顔で言い、ナオトもうなずいた。

 マーリアは二度と人を殺さないと誓ったが、これまでのかたきたちが彼女の〈ウルヴズ〉脱退を知れば、どうなるか。だれも行き先を知らないほうが安全だ。

「お嬢の件は片付いた。こんどは、きみたちが約束を守る番だ」

「わかってるわ」

 ナオトの身をまつづえに任せ、カンナがずいと前に出る。

「わたしたちは、新規のグリッチャー組織になる。組織名は〈ルーターズ〉」

「そのとおり。おれたち〈ウルヴズ・ファミリー〉の下請けだ」

「下請け? バカ言わないで。業界では伝説の暗殺者の反乱を退けたことになってるけど、実際のあなたたちは弱り切ってる。トージョーと〈テイルズ〉を喪失。一発逆転のR・O・O・Tは? プランターのくんしか扱えないわ」

 フィルマンが口をつぐみ、リンカも「お姉さん、なんか、すっごーい」と目を丸くする。ナオトもその勢いにすこし引いたが、ここは、ハッキリさせなければならない所だ。

「おれたち〈ルーターズ〉は電賊じゃない。世界には、おれやマーリアみたいに、グリッチャーとなって裏社会に巻き込まれてる人たちがいる。それを助けるのが目的です。──だれも殺さず、だれも死なせずに」

 それが、ナオトの答えだった。生き死にの世界なんて大嫌いだ。しかし、知ってしまった。世界の裏側で、悲しみ苦しんでいる人がいることを。

 そして、自分次第では、その人たちを、誰一人死なせることなく救えると。

 その可能性を無視して生きるには、VRSNSに覆われた地球は狭すぎる。

「……ああ。ボスも承知だ。きみたちの活動は他電賊のグリッチャー・リクルートの妨害になる。だから、きみたち向けの情報を送るし、資産も提供する。いま、ミドウ市でパイプ役のアーロンがきみたちの拠点構築をしている。来月には完成するだろう」

「ええー、アーロンさん、日本に残るのー? いいなー、アタシもいきたいー」

 フィルマンはリンカの顔を手で押しのけつつ、ナオトとカンナを見回す。

「だから〈ルーターズ〉稼働は一ヵ月後。それまで、二人にはここで訓練を受けてもらう」

「い、一ヵ月、ですか? ええと、学校とかに連絡は──」

「なしだ。〈ウルヴズ〉と〈ルーターズ〉の関係は漏らしたくない。もちろん、きみたちの失踪はゆく不明事件となるが……そちらで処理するように。闇に生きるのもいい。完璧な偽装工作を行い、学生に戻るのもいい。──そこは、オペレーターの腕次第だな」

「……やってやろうじゃない。完璧なうそを作って、学校に戻ってやるわ」

 ──なんだか、フィルマンさんって勝気な女性に慣れている気がするなぁ。

 しかし、ナオトもカンナと同意見だった。学校に戻って、勉強して、クラスメイトとお話したい。少し前までは遠い夢だったもの。一度は手にしたそれを、諦める気はない。

「ねーねー、お話、終わった? もう行かなーい? アタシ、喉乾いたー」

「……リンカ、一分ほど黙っていてくれないか?」

「けどさー、ほんとにトージョーさんがきたら、いまのアタシじゃ守りきれないよー?」

「その心配はない。〈テイルズ〉もトージョーも、二度と現れることはない」

「「えっ?」」

 ナオトとカンナが首をかしげ、リンカもきょとんとする。

 フィルマンは、少年少女に肩をすくめてみせた。

「ボス・フォルナーラがそう言ったのだ」

「……きっと、その理由も知らないほうがいい情報なんでしょうね」

み込みが早いな。おそらく、そのとおりだ。じつは、おれも知らされていない」

 トージョーは消えるまえに言った。目的があると。しかしボス・フォルナーラは襲撃の恐れはないと言う。かれは、死んだのか?

 それにどうして、R・O・O・T奪取と並行してクロエ社役員を殺していた?

 ……たぶん、これも知るべきではない情報なのだろう。

「我々は、伝説の暗殺者に裏切られたが、それを退けた。先代亡きあとも、そのきようじと力は健在だと業界に示せた。そしてきみたちは、お嬢をこの業界から救い、〈ルーターズ〉を創設したことで、我々との敵対も避けた。大団円だな」

 フィルマンのいうとおりだ。自分は勝った。そして電賊にならず、マーリアも電賊を抜けた。それだけわかっていれば、いいのだ。

「……しかし、ほんとうに〈ウルヴズ〉に入らないのか? これはオフレコだが、〈ルーターズ〉の価値が思ったほどでなかった場合、ボスは容赦なくきみたちを切るぞ?」

「はい。だって、マーリアを脱退させたのに、そのおれが入ったら変じゃないですか」

 フィルマンは難しい顔をしたが、ナオトの微苦笑を見ると、説得を諦めた。

「さーさー、お話終わった? なら、もう行こ? アタシ、おなかいてきたー」

 ついにリンカが、上司であろうフィルマンと、まつづえをつくナオト、運動神経がよろしくないカンナを一列にし、三人が転びそうな力でグイグイと押して園外の車へ向かう。

 ──自分の行く末を想像すると、怖くないといえばうそになる。

 しかしナオトは、どこかで新たな人生を歩む少女をおもうと、すこしだけ勇気が湧いた。



  一年前



 リヴィオ・ピアッツェラは、午前三時なのに、館の書斎でウィスキーをあおっていた。

 静かな夜だった。L・O・S・Tに〝安らぎ〟をわれたくせに、ティレニア海のしおさいにひとり耳を傾けている様は、とても心地よさそうだ。

 その酔眼が、潮風に揺れるカーテンへと向けられる。

「入ってこいよ、兄弟。一杯やらないか?」

 テラスの闇から人影が現れる。衣装の上下から戦術ベストまで真っ黒だ。目立つのは、たまにセンサーを起動させて赤く光る左の機械眼と、黒髪に混ざりはじめた白髪くらいか。

 だが、ここまでおんみつ用意する必要はなかった。館の各種ディテクターの配置は熟知しているし、今夜、護衛や使用人だけでなく、家族も出払っていることも調査済みだ。

 だから、右手に握るサプレッサー付き拳銃いつちようだけで足りる仕事だった。

「……おれがくるのをわかっていたのか?」

「待ちくたびれたくらいだぜ。だから、ほら、人払いまで済ませてる」

「ああ、遅すぎた。もっとはやく、こうするべきだった」

 拳銃を向けると、リヴィオは面倒くさそうにグラスを置いて両手をあげる。

 その余裕が、暗殺者の勘にさわった。トージョーの警戒に気付き、リヴィオはわらう。

「あいかわらず頭の巡りが悪いな、兄弟。おれが、なにも手を打っていないと思ってきたのか? おまえの変化に気付かなかったとでも?」

「変わったのはおまえだ、リヴィオ」

 暗殺者の口から、怒りと悲しみに熱せられた声が漏れる。

「クロエ社と裏取引を始めてから、おまえは変わった。資金援助を受け、〈おおかみの血〉をもらい、魂を売った。いまのおまえはクロエ社の駒だ。おれになにをさせた? マリアンジェラを──子供を、どうして殺させようとした?」

「だから、おまえは道具なんだよ、兄弟」

 酷薄な笑みを浮かべるリヴィオ。

「ライフシェル社の研究はアメリカ政府との共同だったからな。先に開発されれば、テロ被害者の命がこうかつな役人どもの手に落ちる。だが、クロエ社なら、迅速に治療薬を配信できる……こんなチャチなうそで動いてくれた。──ああ、すべてが嘘じゃなかったな。ちょっとしたトラブルで、治療薬の配信が予定より二年ばかり遅れただけだ」

「その二年で、何人が犠牲になったと思っている?」

「そのおかげで、〈ウルヴズ〉がどれほどの力を得たと思う!」

 デスクに両手をたたきつけ、リヴィオがわめき散らす。

「いつまでエセ倫理にしがみ付いてる、兄弟! いずれガキ共も下の毛が生えそろい、おまえのマトになる! お嬢だってそうだ! おれたちはマフィアで、慈善団体じゃないんだぞ! おまえも、薄汚い殺し屋でヒーローなんかじゃない!」

「夢はどうした。きようじのあるマフィアという夢は?」

「……ああ、認めるよ。おれも手放したくなかったさ。でも、現実は? これだ」

 リヴィオは疲れた笑みと両手を広げる。高級に着飾っているが、目は激情と無力感の間を行き来し、その下には青黒いクマが浮かんでいる。その全身から無数の操り糸が伸びているのをトージョーは幻視し、悲しみのままに、拳銃を持つ右手を下ろした。

 いまのリヴィオの姿こそ、〈ウルヴズ〉の正体だった。

 ──世界的犯罪組織に勝った理由は? 慈善団体援助会のときに出会った大企業クロエ・アンド・カンパニーから裏で金銭支援を受け、それを元手に敵の市場を奪ったからだ。

 ──グリッチャーたちが連合を組み、襲いかかったときは? クロエ社が体内ナノマシン治療を軍事転用するための試作アプリ〈狼の血〉を供給したからだ。

 そう。ファミリーにも秘密だが、リヴィオにはクロエ社という後ろ盾がある。

 その値段は、リヴィオの夢だった。

 リヴィオは鼻息を漏らすと、のろのろと両手をあげ直した。

「VRSNSは時を加速させた。マフィアは腐るのが必然なら、おれが腐るのも当然か。でも、かわりに力を得た。おまえもプラチドも知らない、絶対的な力──〈安全器〉だよ」

「……〈安全器〉?」

「おれとクロエ社が、おきてだけで〈ウルヴズ〉を縛れると考えるとでも? おまえたちが投与した〈おおかみの血〉には、〈安全器〉が仕込んである。発動すると、致死性のストレス障害を起こす。つまり、おれはボタン一つで裏切者を殺せるわけだ」

「では、〈テイルズ〉に移動した者たちは……」

「運がいい連中だよ。VRSNSで治療法を探し、なんとかクロエ社にたどり着いた。そして自分たちを呪った相手だと知らずにセラピー──洗脳を受け、ヤツらの犬になった。まるで売人にすがる中毒者だ。……だがな、兄弟。おまえは危険だ。ここで始末する」

 トージョーは内心で己を罵った。会話のあいだ、リヴィオは手を何回も動かした。左手首にリンクデバイスを巻いた手を。そして、いま、自分は拳銃を下ろしている。

 偉大なる男が笑顔で、伝説の暗殺者がぶつちようづらで、デスクを挟んでにらみ合う。

「……懐かしいな、ええ? あのときの続きだよ、覚えてるか?」

「ああ。そしておまえは、また負ける。あのときもおれのほうが速かった」

「そいつはどうかな?」

 リヴィオがシークレット・ウィンドウを操作し、トージョーは腰だめに二発撃った。

 二つの弾丸がリヴィオに当たり、椅子を巻き込むようにデスク裏へ倒す。トージョーは右手で拳銃を構えたまま、左手で頭を抑えた。

 ──〈安全器〉とやらの効果か? ひどい吐き気と悪寒だ。拳銃を持つ右手が震えた。

 しかし、肉体は暗殺者の仕事を覚えていた。中腰になって反撃に備えつつ、目前に拳銃を持ちあげ、デスクを回りこむ。そして、先の二連速射の結果を確認した。

 リヴィオは一発目で右肺を、二発目で喉元を撃ち抜かれていた。シルクシャツに赤い染みが広がり、口からは血と細い息が漏れている。

 ここが病院でも、まず助からない傷だ。だが意識はあった。

「マジ、かよ、兄弟? 現役のときより、速くなったんじゃ、ねえか……?」

「おまえがふとりすぎたんだ。肉体も、魂も」

 あの〈安全器〉とやらは、まにあわなかったらしい。この吐き気は天然のストレスだ。

 とどめを刺そうと眉間を狙うと、その眉間が左右にぶれた。

「頭は、よせ。フォーラに、おれのグリッチャー・アプリを、移してやりたい。あいつ、グリッチャーのお嬢に、いつも嫉妬、してたからさ」

「二分は苦しむぞ。心臓を撃つか?」

「いや、いい。おまえの言葉、エントロピーだ。自由と、責任の、エントロピー……」

 リヴィオがせて血を吐く。その血が呼吸を封じ、溺死の苦しみに喉をきはじめた。トージョーは身体からだを横にして血を吐かせようとしたが、リヴィオはそれも拒否した。

 リヴィオはもがき、苦しみ、四肢を突っ張り、けいれんし、やがて、さいの息を漏らした。

 電賊界の伝説であり、兄弟だった男は死んだ。腐りきり、苦しみきって死んだ。

 それを確認すると、トージョーはかゆくもない首裏を掻き、発する言葉もないのに口を開閉させた。あてどもなく、あたりを見回した。

 その目が、デスクの据置端末を捉えた。困窮したリヴィオとクロエ社を結んだものだ。

 トージョーは拳銃でその端末を撃った。連射した。

 そのうち腹で暴れていたものが、怒号となって吐き出された。

 おおかみとおえだった。兄弟を探す声だった。だが応えはない。ヤツは責任を取った。

 それなら、自分の責任は? 自分はなんだ? 弾切れの拳銃を下ろし、考える。

 ──おれは道具だ。ヤツの夢をかなえるやいばだ。

 トージョーはリヴィオの死体からリンクデバイスを外すと、懐へ入れる。

 リヴィオは、次のボスにフォルナーラを推していた。しかしクロエ社は若い彼女を飛び越し、自分とプラチドに交渉するだろう。そして最終的に、どちらかをボスに据える。

 ……ここで死ぬつもりだったが、まだ仕事が残っているらしい。

 偉大なる男の夢を叶えること。そして、責任を果たすこと。

 いつぴきおおかみは、破壊と死体を残して闇に消えた。暗い暗い、闇の中へと。