十三章 若木と少女



 ──分析完了。〈理解〉に成功。転送待機中──



 少女は、施設でもらったリンクデバイスでVRSNSにログインしていた。

 あのテロから二年。自分の名は検閲されたことで、〝消された少女〟という都市伝説のような存在となった。それもすぐ、時間と新たな事件に埋もれ、消えゆくだろう。

 しかし、両親が死んだことも、世界中の人々に恨まれた傷も、消えはしない。

 両親が〈蛇殺し〉ではなく自分を選んだせいで、多くの命がうしなわれた事実も。

 少女は、VRSNSとグリッチャー・アプリに没頭した。この世界には殴ってもかまわない連中が大勢いた。少女はそいつらを痛めつけた。そうやって現実を忘れようとした。

 その日も、聞きなれたアナウンスが響く中、ビルのはざで詐欺師をめった打ちにしていた。だが、その日は特別だった。

 二年で培われた勘が、気絶した詐欺師に蹴りを与えようとする彼女を振り返らせた。

「そいつも殺さないのか?」

 小道の数メートル先に、だれかが立っていた。スーツ姿の男? 暗くて容貌をつかめない。しかし男の左目は、暗がりの中でも赤く輝いていた。

「いつもそうだ。痛めつけるが殺さない。それがあだとなった。おまえがみついた者の中に中規模の電賊関係者がいた。だから、こうしてわたしに居場所が知られることとなった。……もっとも、その半端さの理由はわかっているがな」

 電賊? 知ったことか。少女はどうもううなり声をあげた。

 男が近づいてくる。そして顔がわかる距離になると、彼女はポーチ窓から、かつて倒した悪党から奪った仮想拳銃を抜き、男の黒い右目と機械の左目のあいだを狙った。

「おまえは、あのときの……!」

「やはり見ていたか。そう、わたしはおまえの両親を殺した男──」

 銃声がとどろく。の距離は五メートル。素人でも当てられる距離だ。

 しかし弾丸は男の肩をかすめ、ビル壁に当たって火花を散らしただけだった。

「おまえにわたしは殺せない。殺せない理由があるからだ」

 少女は撃つ。しかしいくら撃っても、男には当たらず、弾丸は壁や床をぐだけ。

 両手で握り直し、呼吸を整えて狙い直す。これなら外さない。かたきを討てる。さあ!

「なん、で……」

 撃とうとする。しかし人差し指は、頑として彼女の意思を──人殺しを拒んでいた。

「それは記憶という呪縛」

 男は諭すように言う。

「おまえの両親はいい教育をしたな。だが、その優しさと正しさが、いま、おまえを殺す」

 男はポーチ窓から大型リボルバーを抜くと、少女に向ける。

 殺される。父と母を殺した男に。かたきを討てる武器が手元にあるというのに。

 しかし、その時はこなかった。男は銃を構えたまま、何度も銃把を握り直していた。

 やがて──。

「……くそっ」

 バンバン。銃声が、少女の鼓膜と肩を震わせた。どこを撃たれた?

 少女がそれを確かめる前に、上から自動小銃を持った女が降ってきて、そばのアスファルトに落ちて全身の骨を砕いた。しかしその前に、眉間への二連射が命を奪っていた。

 とたん、ビル上から弾丸が地上へと降り注いだ。

「こい、ムカン・ササガニ!」

 赤い粒子が少女を取り巻いたかと思うと、それは大きな赤いとなる。蜘蛛は二本の脚で少女を捕まえると、卵を運ぶように腹下に抱いた。

 その外殻と周囲のアスファルトに弾丸が降り注ぎ、火花の畑ができる。その中を、男はカットシステムの紫電を発しながらも駆け、少女を抱く蜘蛛と共に横手のビルの裏口ドアを体当たりで開き、従業員通路へ飛びこんだ。

 蜘蛛に放され、少女は両手を床につける。

「なにが……」

「おまえが敵対した電賊どもだ。……これほど接近を許すとは、わたしもなまったな」

 男は倒れながらもドアを蹴りつけて閉じると、蜘蛛がそれに向かってえる。すると、ドアが勝手にロックされた。直後、外から恐ろしい力で殴られ、金属ドアがへこんだ。

「グリッチャーまで出してきたか。しかも多い」

 男の声にぜんめいが混じっている。見れば、背広の右肩が血に染まり、リボルバーを握る右手からも血の筋が滴っていた。

 男は、ドアと少女のあいだでれのリボルバーを彷徨さまよわせていた。

 やがて、憎々しげな顔でリボルバーをドアに向けた。

「よく聞け。おまえの選択肢は二つだ。親の仇も取れず、だれにも必要とされず、ここで死ぬか。それとも、新たな自分を作りあげるかだ」

 両親の仇の誘いに乗ることが、唯一の道? 皮肉だった。

 あだちを阻むのも、男の言葉に乗る理由も、自殺しない理由も、すべて同じものだった。

 ──生きてという、両親がのこした願いだ。

「わ、わたしは、どうすればいい?」

「忘れるんだ。おまえを縛る記憶を。その魂をむしばむ記憶を砕き、武器に打ち直す──」

 男はすばやく反転して連射する。散弾はビル内の通路角から現れた武装集団の先頭の頭を破裂させ、残り三人を角の後ろへ下がらせた。

 弾が尽きた瞬間、がその角へと走り、三つの絶叫を上げさせた。

 そのあいだに男はリロードを行おうとしたが、背後で、ロックしたドアがぶち破られた。

 男はリボルバーを捨て、殺到してくる悪漢と多様な怪物たちにナイフを構える。

 その横を、深紅の獣が過ぎ去った。

 獣は右前足に持つ緑大剣で巨人を真っ二つにし、鋭い緑爪で女を引き裂き、突き出した尾で男二人を串刺しにする。そしてかぶとかぶった頭部が大口を開け、衝撃波を吐いて生者と死者を向かいのビル壁ごとちりにした。

 男は肩の銃創を抑えつつ、喉を反らせてほうこうする、そして、れきと血肉の塊を無感動に眺める少女を見た。

「……それが、おまえの応えなのだな?」

 振り返る少女の顔から、感情は消えていた。記憶から解き放たれていた。

 両親との思い出も、その死にざまも、託されたおもいも失い、彼女は新たな生を得ていた。

 死を顧みないという生を。



 同型のリボルバーが咆哮を重ね、工場の大気を震わせる。

 二人はけんせい射を放ちつつ、横へ走る。ナオトはフロア中央にあった貨物箱の、トージョーは端で充電停止していた運搬ロボの陰に滑りこんだ。まるで鏡写しだ。

「その動き、マーリアのものをトレースしたのか? ──ならば」

 突然、トージョーの身を隠していた運搬ロボが、折り畳んでいた鳥形四足を立てた。

「【成長の青クーシタ・ブル】ウィルスコード〈制御からの脱却・オーバード〉」

 人工筋肉と金属フレーム製の雄牛みたいなロボが突進をはじめる。ナオトは狙いをつけて撃つと、散弾はロボの右前足に当たり、薄い関節部カバーを破って巨体を傾かせた。

「やった! ……うそ、やってない!」

 運搬ロボは、高度バランサーで踏みこたえた。そして、逃げるナオトを猛追してくる。

 しかし活路を見つけた。頭上のキャットウォークへ続く、簡素なメンテ用階段。ナオトはそこを駆けあがる。その中腹に届いたところで、運搬ロボが大跳躍してきた。

 左前足をナオトのすぐ後ろの階段にぶつけ、ロボは転げ落ちていく。チンケな階段をひしゃぐには十分な威力で、ナオトはバキバキと壊れゆく階段を必死にのぼった。

 そしてキャットウォークにダイブしたとき、階段が崩壊した。下ではジャンプと落下で重傷を負った運搬ロボが横倒しになり、死にかけの虫みたいに足を動かしていた。

「あ、危なかった。──アーロンさん、仮想兵器の発信を止める方法は!」

(こいつは大がかりな計画だ。グリッチャーの力だけじゃ無理だから……きっと、その工場の仮想サーバーに実行させる気なんだろう。だが、きみにはハックできない)

「なら、どうやって──」

 バシュッという空気音が聞こえると、そばの欄干に青いかぎづめが引っ掛かった。細いワイヤーがつながっている。それがムカン・ササガニの鉤爪だと気付いた瞬間、手首部ワイヤーを巻きながらトージョーがひしようしてきて、ナオトの顔を膝蹴りで打った。

 カットシステムの火花に目を塞がれながら逆の欄干に背をたたきつけられつつも、ナオトはリボルバーを撃とうとし──手をひっこめる。トージョーの背にしがみつくササガニが四本腕をかすませ、逃げ遅れたリボルバーの銃身をバラバラにした。

 L・O・S・T……それなら!

「R・O・O・T!」

 突き出した左腕から白光の根がトージョーへと稲妻のように走り──。

「具体化解除」

 すり抜けた。白光の根になぶられながら、トージョーはあきれていた。

 その顔が急激に引き締まり、リボルバーを持ちあげようとする。

 白光に紛れて突撃していたナオトがナイフを振るう。赤熱刃は一歩下がったトージョーの鼻先をかすめるだけだったが、続く回し蹴りで、かれのリボルバーを欄干の向こうへ蹴り飛ばす。さらにナオトは突きを繰り出すが、同型ナイフに受け流された。

「マーリアにナイフ・ワークを教えたのはわたしだ。……そして、時間切れらしいぞ」

 ──管理者系コード〈理解〉失敗。再使用まで二十四時間以上──

 L・O・S・Tを封殺している光の根が消滅すると、入れ替わりにトージョーの背で赤霧が湧き、おおムカン・ササガニが再臨、背中に再接続される。

「〈証明の渦・クアドラプル〉」

 四本の蜘蛛脚が胸前で畳まれ、一斉解放。放たれた四重衝撃波がキャットウォークを無数の鉄片へと変えていった。

 ナオトはコード発動寸前に欄干を飛び超え、下界へ落下していた。

 床まで十メートルほど。消耗したカットシステムでも耐えられるだろう。しかし着地点へ、正面から運搬ロボがばくしんしてきていた。さきほどとは別機体。また乗っ取ったのだ!

 宙のナオトの胸に運搬ロボの突進が激突。カットシステムがぜる音にボキリという音が重なり、吹っ飛んだナオトは最奥区画の強化ガラス壁を背中でかち割った。



「くそっ!」

 運転席でアーロンがハンドルをたたいた。

 チーム間通信アプリ〈ウルラート〉がナオトのダメージを査定中だが、結果が出るより早く、後部席で眠るナオトが目や口から血を噴いてカンナに悲鳴をあげさせた。

「あ、アーロン! くんが、血が……!」

「治療手順を送信する! それに従ってくれ!」

 カンナがデバイスを操作する。必死だが、個人にできる治療などたかが知れている。

 自分がログインするしかない。アーロンはどこか身を隠せる所はないか探し……。

 正面の十字路左から、進路を塞ぐようにSUVが飛び出してきた。〈テイルズ〉だ。

「姿勢を低くしろ!」

 横滑り防止システムを止めてハンドルを切り、ワゴンを横回転させる。アクセルとブレーキを交互に踏むと、SUVと横腹を見せあう形でワゴンは停止した。

 アーロンはサブ・マシンガンをひっつかみ、サイド・ウィンドウ越しに連射する。しかしSUVの窓に白い亀裂が走るだけ。防弾仕様だ。こんどは短射で、こちらに面している前輪後輪をパンクさせた。たまらず、SUVは応射も戦闘員も吐き出すことなくバックをはじめる。そのうちにワゴンを旋回させ、SUVの鼻先を通り抜けた。

 捕捉された。自分がログインするという手はもう使えない。それに、さっきからボスや幹部に通信しているのだが、なぜか、だれにもつながらない。つまるところ──。

「ドン詰まりだな、こんちきしょう……!」



 銃声。マシンのほうこう。コードのさくれつおん。悲鳴。

 マーリアは監督室の隅で両膝を抱き、座っていた。そんなマーリアに目もくれず、みんなが戦っている。真正面でお座りしている剣士のそうぼうを除いて。

「……あるじの元へ行くべきでは? かれがトージョーに勝てるとは思えません」

 リオニは黙っている。対話機能がないから当然だ。自分にあきれ、後ろの壁に頭を当てた。

 ──なにをしているんだか。なにをしている? なにをすればいい?

 自分を評価してくれる組織を失った。両親のかたきふくしゆうしんを燃やすための感情は、とうの昔にてた。消された少女。まさに、いまの自分にふさわしい名だ。

『ほんとにそう思ってる?』

 子供っぽく、小生意気そうな声が、耳に滑り込んできた。リオニが、しやべったのだ。

『ほんとにそう思ってる? あなた、ふてくされてるだけよ』

「……リオニ? いや、ちがう。あなたは何者ですか?」

『マリアンジェラ・アレオッティ』

 リオニ・アラディコは口端を広げ、笑みらしいものを形作る。

『この声、覚えてるでしょ。パパたちにメッセージを作るとき、何回も撮り直したもん』

「覚えているわけがない。わたしは記憶をL・O・S・Tした。失ったのです」

うそよ。パパたちの言葉、覚えてるよね? ……思い出させてもらったって方が正しい?』

 ──嘘はいけないよ。男女の優しい声が脳裏をよぎる。

「ちがう。だって──」

『だって、あなたは、パパとママがどれだけわたしを愛してくれたか覚えてる』

 リオニが歩み寄ってくる。マーリアはポーチ窓からすばやく予備拳銃を抜いた。

「あと一歩でも近づけば殺す!」

『あら。なにをしていいかわかんないのに、わたしを殺すことはできるの?』

「あたりまえだ! えられないから忘れたんだ! 世界中の憎悪より、この先、二度とあの人たちに会えないという事実が、わたしにとって脅威だったんだ!」

『ふーん。でも、忘れてない? L・O・S・Tは倒しても、時間で復元しちゃうよ?』

 んだくれマイルズをからかったときと同じ調子でリオニは笑う。マーリアは拳銃をくるりと回すと、自分の右耳下に銃口を当てた。

『うん、それが正解。でも撃てる? あの保護施設で、なんど試したっけ?』

 見ていろ、悪魔め。マーリアは人差し指に力を込める。

 引き金は重く、キキキと鳴きながら静かに動いていった。

「……お願い、やめて」

 熱いしずくほおを伝う。自殺するには特異な覚悟が要る。マーリアにはそれがなかった。

『ダメだよ。それがパパとママの願いだから。生きて、正しい子になってほしいと』

「わたしにはなれない。正しいかどうか、わたしを評価してくれる人は、もういない」

 リオニが近づいてくる。マーリアは拳銃を右手ごと落とし、首を振るしかできなかった。

『そうだね。でも、また振り返らせることはできる』

 かぶとかぶった頭が、マーリアの胸にこつんと当たる。

『わたしは世界の憎まれっ子。それが一人でも助けられたら、すごいことじゃない?』

 一人。自分を破滅させ、再生させた少年……。

 リオニが光の粒子となって、マーリアに吸い込まれていく。幸せな記憶と喪失感があふれてくる。その総和が、これまでの行いを責め立てる。悲しみが、マーリアを襲った。


 ──全行程完了。管理者系コード〈理解〉を終了──