十章 壁を超える時



 ──分析率九一パーセント──



 親子が身を潜めている合同研究室は、VRSNS上で会議や共同研究するための部屋だった。なので長方形の部屋には長期ログイン用ポッドが八つある。

 だが、ほかに機能はない。逃げ道もない。

 両親はログイン・ポッドをすべて調べたが、それが終わっても表情は暗かった。

「ダメだ。ネットワークから切断されてる。予備電源で起動はできるが、意味がない」

「ドアは壊したのよ、あなた。時間は稼げるわ」

「しかし、救援は間に合わない。こんなドア、すぐに……」

 父と母は意見を出し合っている。しかしその顔と声色から絶望感は隠せていない。少女はそれを見守っていた。この事態が、どれほど娘にショックを与えているか不安になったのだろう。父が少女になにか言おうとし、固まった。その目がどんどん大きくなっていく。

 父は技術者用ロッカーからバールを出すと、マイルズが入ったポッドの蓋へつっこんだ。

「まだ手はある。カナダ支部はマイルズが会議に現れないことを不審に思う。ぼくたちに連絡するが、それも通じず、マズいことが起きていると気付く」

「けれど、それで軍が確認にくるころには、とっくに──」

「ヤツらはマリアンジェラを知らないんだ。そしてポッドは、災害に耐えられる設計だ」

 母はしばしぼうぜんとしていた。次第に、その顔に喜びが広がっていった。

「……リンクデバイスを与えるのは中学生からという教育方針は、正解だったわね?」

「ああ。きみはいつもれいそうめいで、正しい」

 母は防災キャビネットに向かい、緊急グッズを出していく。どうしたのかと少女が混乱しているうちに、父がポッドをこじ開け、母は防災袋と酸素マスクを持ってきた。

「おいで、天使ちゃん」

 父に手招きされ、カプセルに向かう。ポッドの中はかつぷくのいいマイルズが眠っていたが、いつもの赤ら顔は土色になり、起きる気配はなかった。

「このマスクを着けて、マイルズおじさんの下に隠れるんだ。そのあと蓋を閉める。いいかい? なにがあっても、声を出してはダメだよ。かくれんぼだ。得意だろ?」

「やだ」

 少女は母から緊急グッズを受け取りながらも首を振る。

「あなた、わたしたちの子なのよ? 賢いわ。さいの言葉がうそなんて、わたしもいや」

「……そうだね」

 父は脇へどくと、母は涙を袖でこすってから、少女を見つめた。

「悪い人たちがここにくる。見つかればあなたも危ない。だからここに隠れて」

「パパと、ママは?」

「戦うわ。大切なもののために」

 ドカンと、部屋の金属ドアが震えた。父はそちらをいちべつすると、ショットガンを背に回して少女を抱きあげる。そして母がマイルズの大きな胴体を持ちあげているうちに、少女をポッドへ入れた。少女は、ほとんどマイルズの巨体に隠れる形に収まった。

 両親は同じ微笑を浮かべ、それぞれ少女のりようほおに片手を添えた。

「愛してるよ、マリアンジェラ。かならず、生き残るんだ」

「わたしたちは人を助けることができなかった。だから、あなたが正しいことをして──」

 ふたたびドアが震えた。言葉途中だったが、かれらの微笑とてのひらの温かさには、人一人が与えられる限りの愛情が込められていた。

 少女は母に酸素マスクをつけられ、父がポッドの蓋を閉じる。マスクの中は自分の息遣いに満たされるが、その音と厚い蓋越しでも、いとしい人たちの声が聞こえた。

『あの子の痕跡を消さなきゃな。しかし、どうやって──』

『簡単よ。このポッドには非常用酸素タンクがあるでしょ? 電源用バッテリーには水素。整備ロッカーにはアセチレンも。ほかになにか必要だというの?』

『……きみとは一度も夫婦ケンカをしたことがなかったね。正解だったみたいだ』

『ええ。あなたはいつも賢くて、正しいわ』

 マイルズの下で身をよじらせて蓋の窓から見ると、二人はポッドから外した箱を積んだり、液体を床にぶちまけたりしていた。作業を終えると、両親は部屋の中央で抱き合った。

『規模は抑えたつもりだが……あの子はだいじょうぶかな?』

『平気よ。あなたの計算も、あの子の未来も。きっと乗り越え、正しい子になる』

『そうだね。ぼくたちの子なのだから』

 三度目の衝撃で、金属ドアがついに倒れた。

 同時に父がショットガンを山積みにした箱へ撃つと、視界が炎で満たされた。



 VRSNS・ライトネットの山林にある〈ウルヴズ・ファミリー〉の巣。その広い支配人室で、いつかのように、マーリアは長テーブルに座るフォルナーラに謁見していた。

 まえと違うのは、アーロンが隣にいないこと。かわりにトージョーが横に立っていた。

 おかげで、空気はより固くなっていた。最悪の事態も予想しているのか、フォルナーラは背後に直弟子リンカを控えさせている。

 マーリアは腹部の刺し傷を気にしていた。縫合はしたから、しのげるだろう。

 自分の〝価値〟を示すまでは。

 ボス・フォルナーラが、おつくうそうにいてくる。

「まだ猶予はあるのに招集を要請し、しかも対象がいない。どういう訳だ、マーリア?」

「〈テイルズ〉側で問題を確認しました。ボス・フォルナーラ」

(口を閉じていろ、マーリア。わたしに任せるんだ)

 トージョーが代わりに応えつつ、無音通信でマーリアにくぎを刺す。

「マーリアの過去を知る一般人が、彼女を見つけた。そして不意を突かれ、負傷しました」

「【六・二〇】から六年。恨みに賞味期限はないということか。……で、続行可能か?」

「もちろんです」

「わたしには、そうは見えんがな」

 鼻で笑うボスは、衣装のドレス越しでも腹部の傷を見抜いているらしい。

「たしかに順調とは言えない。ですが理由があります。──アーロン・トーレスです」

 マーリアはトージョーへ目をやる。ボスも片眉をあげていた。

「あなたには報告したはず。あれが裏切者であり、〝敵〟と通じている可能性があります。……そして、〈無二の規範〉の一味である可能性も」

 周囲がざわつく。あの気さくな大男が、裏切者? テロリスト?

 疑っているのは、ボスも同じらしい。

「……ああ、メールにそんなことが書いてあったな。しかし突飛すぎる。根拠は?」

 トージョーはボスや幹部へデータ送信する。マーリアも見たかったが、送られることはなく、腹の傷をさするしかなかった。配られた根拠にはかなりの信頼度があることは、周囲のざわめきでわかった。トージョーは、それを追い風とした。

「状況は困難に陥った。その原因が、内通者──あなたの父が招き入れたものだったとすれば、責任の所在はどこにあるでしょうか?」

「ふん。おやの墓を暴いて、首でもねるか?」

「ボスの座を継いだからには、その責任も継いでいただきたい」

 メンバーたちの顔色から、さっと血の気がせる。フィルマンが批判しようとするが、フォルナーラは右手で制した。そのあいだも、視線でトージョーを刺していた。

「なるほど。で、わたしになにを求める? まなの助命か? それとも自分のか?」

「こんなミスは二度と犯したくない。ですから、ファミリーをあげて調査を行いたい」

「つまり、つぎはアーロンを追うと?」

「無視はできないでしょう。内通者がひとりとは限りません」

「やっと意見が一致した。──そう、内通者はひとりとは限らない」

 フォルナーラは褐色の顔に交戦的な笑みを広げ、トージョーは右目を細める。

 にらみ合う二人。おおかみの女王と、伝説の狼が一戦を交えたら、どちらにつけばいいのか。長テーブルに座る上位幹部たちを含め、だれもが計算しているようだった。分裂の予兆だ。

「ボス・フォルナーラ」

 マーリアの声が、ピリピリした空気に響く。

 全員の視線が集まるなか、マーリアはリラックスしていた。

「わたしは、仕事の続行は不可能だと判断します」

 トージョーが厳しい視線で黙らせようとしてくるが、マーリアは無視した。

 ボスはテーブル上に片肘をつき、マーリアを見据える。

「まだ猶予はあるし、原因が原因だ。特別にバックアップ要員を送ってもいいが?」

「戦力の問題ではありません。わたしはナオトを気絶させましたが、連れ去れなかった」

「……負傷のせいか?」

(黙っていろ、マーリア)

「いいえ。わたしは、ナオトに死んでほしくなかったのです」

 ざわつきが増し、フォルナーラも目をしばたたく。トージョーは下唇の端をんでいた。

「えー、それって、どーゆーこと? おかしくなーい?」

 リンカだけは告白の衝撃を受け流し、きょとんとした顔で疑問を口にした。

「マーリィは〝死者へのおもい〟をなくしたはずじゃん。なんでー?」

「さあ? ナオトを殺せない。ナオトだけではないかも。わたしにも、わかりません」

「……これもR・O・O・Tの影響か?」

 フォルナーラはマーリアを観察していたが、彼女の無表情に変化らしい変化が起きないとわかると、一笑してからトージョーの方を向いた。

「ともあれ。これで問題はひとつ片付いたな、トージョー?」

 トージョーは口をつぐむ。かれの努力を無にすることになったが、マーリアは後悔していなかった。自分で手に入れた〝価値〟を曲げたくなかったのだ。

 たとえ自分の師が、首を絞めんばかりににらむような〝価値〟でも。



 ナオトの意識はいたり消えたりしていた。それを五度ほど繰り返していると、頭のかすみが晴れてきた。どこかのリビングに敷かれたマットレスに寝かされていた。

「目が覚めた? くん、平気?」

「部長……?」

「ここはわたしのアパート。いまは休んで。安全だから。……とにかく、いまは」

 私服姿のカンナがナオトの額に手を当てて熱をはかると、キッチンの方へ消えていく。

 ……どうして部長の部屋に? なにがあった? 思い出せず、ナオトはヒントを探すと、本棚の上にある置時計が午後八時半を差していることに気付いた。

 時間。とても大事なものだった気がする。──思い出した。

「マーリア!」

 ナオトは毛布を退けて起きあがるが、激しくむせた。あわてて戻ってきたカンナがコップを渡し、麻酔でカラカラにされた喉にお茶を流しこんでいく。

「おちついて。彼女からメールがあったの。無事よ。彼女を刺したマイコって子も、ベッドで寝てる。さっき起きかけたけど、鎮静剤を飲ませたから、しばらく平気」

 マーリアからメール? マイコがここにいる? 混乱が眩暈めまいをよぶ。カンナはナオトをゆっくり立たせ、ダイニングテーブルの椅子に座らせる。そのとき、自分が女子カラーの学校ジャージ姿になっていることに気付いた。

 カンナはナオトが自分のかつこうを眺めているのを見て、むりやり笑った。

「ごめんね。びしょれだったから、勝手に着替えさせてもらったわ」

「それより、なにがあったか教えてください」

 カンナは吐息を漏らし、向かいの椅子に座った。

「六時ごろ、マーリアから秘匿通信がきたの。ナオトともう一人を失神させた。こちらの店の者を足として送るが、店は安全ではない。そちらで保護してくれってね」

「マーリアは?」

「仕事を終えてくるって。それと、あなたにこれをと」

 カンナがリンクデバイスを起動し、ファイルを転送してくる。

 中身は、偽造パスポート業者の名簿と、移動経路、逃走時の注意点。各国のターミナルの貸しロッカーにある装備と現金……。電賊から逃げるための、すべてだ。

「マーリア、いえ、マリアンジェラの願いは、あなたの生。わなではないわ。だって──」

「おれが、捕まってないから。契約の猶予時間が、過ぎても」

 ナオトはファイルのリストを──マーリアのおもいを眺め、目と鼻に力を込めた。

 マーリアは自分を拉致できた。だが、しなかった。生かそうと決めたのだ。

「……マリアンジェラっていうのは、マーリアの本名ですか?」

「そうよ。正確には、昔の名前ね」

 カンナが立体ウィンドウを展開する。

 そこに表示されたのは、ライフシェル社という企業名と、白衣姿の二人の男女。

 どこかマーリアの面影がある二人。ナオトは、その顔に覚えがあった。

「……ライフシェル社。【六・二〇】で使われたナノマシン・ウィルス〈ヴァイパー〉のアンチソフト開発をアメリカ政府と共同研究していた企業。そのプロジェクトの責任者が、アレオッティ夫妻。マーリアの両親で、体内ナノマシン・ソフトの天才よ」

 やはり最近の夢は、夢ではなかった。

 マーリアがL・O・S・T化した記憶を、追体験していたのだ。

「世界中の〈ヴァイパー〉被害者やその家族にとって、二人は希望だった。そして実際に、【六・二〇】からわずか数ヵ月後に試作データを作った。けれど公開前に──」

「研究所が〈無二の規範〉に襲撃されて、失った。マーリアの両親も」

「……全滅、だったそうよ。彼女を除いて。でも、彼女の地獄はそこから」

 カンナは苦々しげに言う。

 その顔には、どこか自分を責めるような雰囲気があった。

「各国は彼女の悲劇と生還劇を、世論の対テロ戦争誘導の材料として使うために公表した。それは過ちだった。……テロ被害者やその遺族の恨みは、彼女へ向いたの」

「どうして? 悪いのはテロリストなのに」

「不幸をだれかのせいにしたかったのよ。そして恨むにはテロリストみたいな曖昧なものではなく、もっと具体的なものがいい。それと……ええ、わたしみたいな詮索屋のせいよ」

 自己嫌悪を抑えるように、カンナは自分の側頭部の髪をつかむ。

「アレオッティ家はイタリア貴族で、マーリアの祖父は有名実業家。そのせいで、いろんな陰謀論が飛び交った。両親はマーリアを助けるために試作データを──世界中の被害者を見捨てたとか。あの事件は仕組まれたもので、試作データを持って逃亡し、アリバイ作りに娘を置いてったとか。……実際、彼女の祖父は〈ウルヴズ〉の財務に関わっていたらしいわ。研究所を〈ウルヴズ〉が守っていたのも、その縁。だから余計に、世間の妄想の歯止めが利かなくなった」

「……マーリアのご両親が、試作データより彼女を選んだのは、ほんとうだった」

「ええ。きっと、そうなのね」

 カンナはいちど深呼吸すると、マイコが眠っている部屋のほうを見た。

「マーリアの祖父が自殺して、国々もマズいと思ったのでしょうね。人類史で最も大きな検閲を敷いた。彼女の名前は、ネット上やあらゆる追悼行事、ニュースから消えたわ」

「だから〝消された少女〟。そして、さんは〈ヴァイパー〉の被害者遺族……」

 だれかを恨まなければえられないときがある。ナオトも、それは知っている。

 ナオトの両親は、飲酒運転の車に衝突されて死んだ。そのとき相手ドライバーも死んだが、生きていたら、ナオトもふくしゆうを考えただろう。両親を愛していたから。

「そのあと、マーリアは保護施設を抜け出した。重度ストレス障害を抱え、自力で動ける状態じゃなかったから、警察は誘拐事件として捜査したけど、見つからなかった」

「真相はグリッチャーとなったことで、動けるようになっていた」

「ええ。その前後に〈ウルヴズ〉と出会い、殺し屋となったのね。……ネット上で作られたマリアンジェラではなく、実物の自分を見てくれるファミリーのために」

 それが、マーリアの人生だ。彼女も両親を愛していた。だが、永遠の別れが、その愛の強さだけ強烈な束縛となった。だから、彼女はL・O・S・T化したのだ。

 自分を取り巻く無力感と、世界の憎悪の中でも動けるようになるために。

 しかし、いまはちがう。マーリアはマリアンジェラに戻りつつある。

 ナオトはR・O・O・Tを握った左手を──マーリアと出会うきっかけになった手を開閉させ、目を閉じて思考の深みにいく。闇の中で、剣士がうなっていた。

「部長、羽場さんをお願いします。マーリアは、彼女のことも事件にしたくないと思う」

「それはいいけど、一人で逃げられる?」

「おれは逃げません。マーリアを探す。あのケガです。きっと、まだミドウ市にいる」

「ちょっとまって、くん! 彼女を探そうとすれば、逃げる時間がなくなるわ!」

 玄関へ向かい、自分の靴を履こうとするナオトを、カンナが追いかけてくる。

「マーリアは、自分がおれを殺せないと知った。彼女は、そのことを〈ウルヴズ〉に自白する。そして、みずから処刑台に立ちます。急がなきゃ」

 ナオトは弱った人の心が読める。だから、マーリアは予想どおりに動く。絶対に。

 しかしカンナが回りこみ、玄関ドアを背中で抑えた。

「日野くんが逃げないでマーリアを探すっていうなら、どこにもいかせない」

「マーリアと話をしなきゃダメなんです。殺されちゃう」

「あなたもよ! マーリアは、あなたに生きてほしいと願った! わたしもよ! ……わたしには、あなたを巻きこんだ責任がある。だから、絶対に死なせない」

「部長はなにも悪くない。だから、お願いです」

 ナオトとカンナはにらみ合う。

 緊張した空気の中で、ナオトのデバイスから通知音が響いた。

 長いテキストだった。ナオトはカンナとそれを読んでいき、やがて目を見張った。

 それは計画で、〝契約〟だった。

 カンナは脱力し、後ろにした玄関ドアにトンと後頭部を当てる。

「……いくんでしょ?」

「はい」

 カンナに、もう止める気はない。彼女だってマーリアを助けたい。ナオトのために憎まれ役を演じていたに過ぎない。そこに計画が現れたとなれば、止める気力など残らない。

「なら、約束して。かならず戻ってきて。……マーリアと一緒に」

 ナオトはうなずくと、左手首のリンクデバイスを右手で強く握りしめた。

 ある男が言った。自分は変わらなければならないと。

 そして、なんでもできるグリッチャーだと。