八章 壁は崩れて



 今日の昼休みも、マーリアはナオトの隣にきていた。もう恒例と認識されたのか、隣席のふみアヤは自席を彼女に譲り、別の場所でともだちと話していた。

 ……ほんとうは、部室でカンナにこれまでのことを報告したかったのだが、彼女は昨日から病欠らしい。アーロンが言ったのだから、事実だろう。

 ということで、今日もマーリアと一緒に過ごしていた。

 そのマーリアは、食後の茎ワカメをくわえつつ、デバイスでホログラムの猫を表示していた。ボサボサ毛の目が据わった猫。マーリアが手を伸ばすと、パンチで拒絶を示していた。

「さすが【アウトロー・キャッツ】の五連勝景品。この攻撃性なら、【コラプト】を付与すれば立派な仮想兵器になると思うのですが、どうでしょうか、ナオト? ……ナオト?」

「へいっ? あ、なに?」

 やっと気付いて、ナオトは展開していたウィンドウから目を離す。

「食事もとらず、ずいぶん熱心に読んでましたね。新聞記事……ふむ。四十年前の、日本の未解決殺人事件。トージョーの過去ですか」

「えっと、その」

「責めはしません。〝釣り〟は空振りだった。かれの能力を疑うのも当然です」

 そういうわけではないが、マーリアはVRペットの猫をからかいながら続けた。

「ですが、かれは特別です。電賊がカタギを襲わない話はしましたね? 我々だけでなく、有能な電賊はドラッグや人身売買、善人を狙った仕事をやりません。なぜなら、初代ボス・リヴィオがトージョーを使い、電賊業界にそういうルールを作らせたからです」

「業界全体に? どうやって?」

「電賊という単語が生まれたのは〈ウルヴズ〉結成後。リヴィオはそういうなりわいの連中と自分たちが同一視されることを危惧し、トージョーに徹底して殺させたのです。……捜査機関との全面対決を避けるため。そして、自分たちのイメージが汚されないために」

「で、でも、それって、世界中の犯罪組織とケンカになったんじゃ……」

「はい。しかしリヴィオには計画があり、トージョーには力があった。かれは感情もなく罪人の首を切り落とす〝断頭台〟。多くの電賊がかれと敵対するリスクと安全をてんびんにかけ、後者を選んだ。トージョーは、電賊業界を監視するマシンになったのです」

「マシン?」

「暗殺者になるまえの記憶をすべてL・O・S・Tした結果でしょう」

 マシン。ナオトは違和感を覚えた。かれの仕事ぶりを知る者たちには、そう映るのかもしれない。だが、納得できなかった。

 それとも、この違和感もトージョーのR・O・O・Tを得るための策略なのか?

「むっ」

 秘匿通信があったらしい。マーリアは何度かうなずくと、猫のホログラムを消した。

「ナオト、早退しましょう」

「へいっ? なに、急に……」

「アーロンがターゲットの〝敵〟二名を捕捉しました」

 VRSNSは、この世のあらゆる速度を加速させる。

 それは、ナオトの猶予時間も同様だった。



 女子みたいな男子と、異国の美人が机をくっつけて、仲むつまじくおしやべりしている。気にするクラスメイトは減ってきたが、ふみアヤにとってはちょっと迷惑な話だった。

 ──だって、の隣の席、わたしのだしさー。

 おかげで、昼休み中は席に戻れない。なので学食から戻ってくると、マーリアが自分の席に戻るまで、クラスメイトのマイコとその親友の会話に混ざって時間を潰していた。

「いやー、今日も肩を寄せ合ってますねー。人の席でさー」

「やだ、アヤ、嫉妬してんの? まさか日野のこと狙ってた?」

 マイコの親友が驚いたので、いやいやと首を振ってみせる。

「むしろ安心したわ。日野って無口だったからさー。ちょっと心配してたもん」

「あー、たしかにねー。でもさ、アタシはすこし残念だわ」

「は?」

「日野を女装させたら超おもしろそうじゃん。マーリアに引けとらない美少女を作れる自信ある。そういう意味だと、アタシは狙ってた」

「……性癖ゆがみすぎじゃない? あんたに彼氏できない理由、わかったわー」

「いや、絶対に日野を着せ替えするの楽しいって。ねえ、マイコ?」

 羽場マイコは反応せず、弁当にも手をつけずにナオトとマーリアを眺めていた。

「ねえ、マイコ? 聞いてる?」

「……うん。楽しそうだよね、二人とも」

 ぼうっとした声を漏らすときも、ナオトたちから視線を離さない。アヤは首をかしげた。いつも昼休みは必ずネイルを直しているのに、今日は顔もすっぴんだ。そういえば、ここのところ、ずっと化粧をしていない気がする。アヤは彼女の親友にささやいた。

「マイコ、どったの? こないだもいきなり泣いてたけど……」

「それがわかんないの。あのとき、日野になにか言われてからこんな感じ……」

「えっ? まさか、マイコ、日野のこと好きだったんじゃ……」

 アヤの予想に、親友も顔を青くする。だとしたら、失恋の傷を二人してえぐりまくっていたことになる。身を縮めていると、ナオトとマーリアが二人して教室を出ていった。

「あっ、席あいた。それじゃ、またー」

「ちょっ、アヤ。薄情者。この空気、どうしてくれんの……!」

 アヤはさっさと自分の席に戻っていく。その途中で、両手を組んた。

 ──マイコがをねぇ。ほんとに? だって、マイコは押しが強いし、もしそうだったら、とっくの昔にアプローチを仕掛けていたはずだ。

 それに、マイコはナオトではなく、マーリアを見ていた気がする。

 まあ、他人の恋だ。関わらぬが吉。

 しかしナオトには忠告したほうがいいだろう。アヤはあれこれとセリフを考えたが、肝心のナオトは午後の授業に戻ってこなかった。マーリアもだった。



 二人で早退すると待っていた高級車に拾われ、すぐにあのレストランへと到着した。

「入ってくれ、はやく」

 VIPルームに着くなり、アーロンにかされた。いつもの愛想はない。二人を立体ウィンドウを無数展開させたテーブルに招くと、挨拶も抜きに言った。

「ターゲットを見つけた。VRテスラプネ・ラトビア特別エリア。こいつらだ」

 引き寄せられた映像は、VRSNSの街頭カメラに映る二人。厚いコートを着ているが、体格からして両方とも成人男性だろう。どちらもフードで顔を隠していた。

 マーリアが首をかしげる。

「根拠は? 映像に映っているということは、グリッチャー・モードですらありません」

「おれは最初の接触のとき、やつらの体格と歩容を覚えていた。これらは立派な生体認証だ。それを照合ソフトに加えて検索をかけ続けていたんだよ。一致率は七八%」

「……接触する価値のある数値ですね。素性については?」

「不明だが、このタイミングで無意味なログインはしないだろう。会議か、はたまた──」

「わたしたちを誘うわなか」

 ナオトは、二二%の確率に懸けたかった。しかし、そこまで幸運でもないだろう。

 この二人は〝敵〟だ。それでも逃げ道を求めた。

「あのぅ、アーロンさん。トージョーさんは、なんて言ってますか?」

「……あの人には報告していない」

 これには、マーリアも眉を八の字にした。

「なぜ? そもそも〝敵〟の捜索はトージョーと〈テイルズ〉の役割だったはずです」

「言われたことをするだけなら、BOTで十分だ。でも、おれは人間だ」

 反発はもっともだと、アーロンは大きな肩を上下させる。

「あの人は現時点での接触に反対する。プロだからな。だが、危険要素の穴埋めをしている間にヤツらがいなくなったら? また見つけられるか祈るか? おれは、祈らない」

「ですが──」

「お嬢、執行猶予のことは忘れていないだろうな? おまえには時間がないんだよ」

 マーリアが、ぐっと口を引き結ぶ。

 執行猶予? 首をひねるナオトに、アーロンがためいき交じりに教えてくれた。

「お嬢は〈ウルヴズ〉から死刑宣告を受けている。R・O・O・T回収失敗の罪でな」

「し、死刑……? 仲間なのに?」

「二週間の猶予がついたけどな。しかし、そいつも、いまではあと半分ちょいしかない」

 ナオトはがくぜんとマーリアを見るが、彼女はごとのようにうなずくだけ。

「それを回避するには、ヤツらの情報を手に入れるか、始末するしかない。安心してくれ。成功してもトージョーさんが決めたとおり、二十四時間は行動を控える。契約は絶対だ」

「ちがっ、そ、そうじゃなくて──」

「ああ、わかってる。きみの心配はそこじゃない。だが、いまはこれしか道がない。その道すら、一秒後に閉ざされるか、一時間後に閉ざされるか、だれにもわからない」

 ナオトは唇をみしめ、もういちどターゲットの画像を見る。

 マーリアも画像を見ていたが、三秒後に言った。

「いきます。ナオト、現場ではわたしの指示に従ってください。──アーロン?」

「〝敵〟の監視を続行。緊急時に備えて、エリア内にセーフハウスも用意しておく」

 返事に満足し、マーリアはログインのためにソファへ向かう。ナオトはその背とアーロンの顔を交互に見たあと、迷子を恐れる子供のように、マーリアについていった。



 ラトビアの街は中世の面影を強く残していて、その美しさは世界屈指といわれている。

 そんな街が、一年中、雪化粧をしていたら?

 このラトビア特別エリアは、ラトビア政府そのものが監修しているエリアだ。常に冬のラトビアを再現し続けており、石畳の上にも三角屋根の上にも分厚い雪が積もっている。人気は高く、現地時刻が午後六時になっても、世界中からユーザーが集まっていた。

 ただ、すごく寒い。気温はマイナス十五度で、いまも雪が舞っている。『寒冷・注意!』と表示が出たのでナオトは冬衣装にチェンジしたが、それでも足りなかった。

 と、横からマーリアが衣装データをくれた。厚手コートに厚底ブーツだ。すぐにそちらへと衣装チェンジして、お礼を言おうとしたが、ニット帽やファー付きコートに黒い長マフラーの防寒用衣装にチェンジしたマーリアは、通信に集中していた。

「チーム間通信〈ウルラート〉チェック」

『音声、視覚、聴覚、バイタル情報、権限、すべての共有を確認。ターゲットを街頭カメラで捕捉。十一時方向三〇〇メートル先を北西に移動中。ピン打ちする』

 現実側でアーロンが言うと、人だかりと雪の向こうにポンと赤い矢印が出現した。

「ピンを確認。追跡開始します」

『軍隊上がりらしいな。追跡防止を怠っていない。行動まで五〇メートルは維持しろ』

 マーリアはナオトの手を引き、サクサクと雪を踏みながら広場を歩きはじめた。

 路地に出て、マーリアが好きそうなハチミツ菓子店の前を横切っても、彼女は目もくれない。歩道を歩く人々の向こうに映っている矢印を注視している。

 人殺しをマークしている場所へと。

 つないだナオトの手が震え、はじめてマーリアの視線をターゲットから離させた。

「どうしました、ナオト」

「う、ううん。平気」

「平気ではなさそうですね。寒いのですか? 不調なら言ってください。いまのわたしたちは仲間なのですから」

 マーリアは自分の襟元から黒の長マフラーを外すと、ナオトの首に優しく巻いた。

 いまは仲間、か。ナオトは巻かれたマフラーをいじりつつ、いた。

「マーリアは、その、殺──戦いが怖くない?」

「はい。ただ仕事をして、わたしの〝価値〟を評価してもらいたい。それだけです」

「価値?」

「わたしにも怖いものはある。不当な評価を下され、反論の機会も与えられないこと。正しい評価の上でゴミ扱いならいい。でも、評価以前の存在におとしめられるのは怖いです」

 自分の弱みを語るとは意外だった。

 きっと、ナオトを勇気付けたいのだろう。……仲間だから。

「だからマーリアは、自分を処刑しようとしてるファミリーのために戦うの?」

「はい。あなたも死が怖いのなら、回避するために最善を尽くすべきです。それが──」

『ターゲットが街頭カメラのない路地裏に入った。十一時方向だ』

 マーリアが会話をめると、道端に寄り、近くの食堂のメニュー表を見る素振りをした。

「その路地裏にリード店舗はありますか? 入られたら面倒です」

『いや。金持ち用の大型サロンを、L字でVRアパートが囲んでいるだけだ。出口側の街頭カメラにアクセスしてるが、まだ出てこないな。そこでなにか……』

 スポンという小さな音が北風に乗って耳に届き、マーリアは目を鋭くした。

「減音器の銃声を確認」

『くそっ、まずい! ここでの仕事を終えたんだ! ログアウトしちまうぞ!』

「向かいます。──ナオト、グリッチャー・モードへ移行して。急ぎましょう」

 マーリアが走る。ナオトも急がないといけないのはわかっていた。

 だが、靴裏は雪にへばりついたかのように動いてくれなかった。

 振り返るマーリア。自分の顔から恐怖心を読み取り、侮蔑をぶつけるだろうとさらに身を固くしたが、ほおに当てられたのは、手袋を外したマーリアの右手だった。

「ナオト、もうひとつ助言を。イン・ボッカ・アル・ルーポ、です」

「え? ええと、おおかみの口へ?」

 翻訳ソフトを使うナオトへ、マーリアは頬から離した手で銃声があった方を差した。

「恐怖から逃げる道は、危険の中。勇気をもって飛びこみ、成功をつかんでください」

 恐怖。ナオトは口の中でも何度も繰り返すと、顔をあげた。

「モード移行……したよ。うん」

 マーリアもうなずくと、二人で〝敵〟が待つ路地裏へと急ぐ。グリッチャー・モードになったため、雪風が顔を刺すリアルさが増したが、ナオトは彼女に続いて走った。

 恐怖を現実にしないために、死の恐怖へと。



 L字の通りは薄暗かった。街灯もなく、光源は横にそびえたつ七階建てサロンの窓からこぼれる明かりと、それを乱反射させる積雪だけ。壁となっているVRアパートは所有者のほとんどがログアウト中らしく、どの窓もカーテンが閉まっている。

 その僅かな明かりが、雪上に大の字で倒れる男と、それを見下ろす一つの人影を照らしていた。人影の手には、サプレッサー付きの自動拳銃が握られていた。

 ……人を殺したんだ。ナオトはマーリアとサロンの角に隠れながら人影を眺め、生唾をんだ。男は白人で、三十代ほど。地味なコート越しでも鍛えられた肉体だとわかる。そして、たったいま殺した男を無感動なへきがんで見下ろしていた。

 一方、死体のほうは暴力と無縁そうだった。太った身体からだをウールコートで覆った五〇がらみ。顔をゆがめたまま、背中から広がる血潮と共に凍り付くのを待っていた。

 マーリアは男を観察しつつ、大型リボルバーを右手に持ちながら小声で通信を開いた。

「アーロン、顔が割れました」

 マーリアは口頭で人相を伝えていく。しかし返ってきたのは、アーロンのうなり声だった。

『ダメだな、ヒットしない』

「L・O・S・Tも顔も割れたのに?」

『腕利きグリッチャーには二タイプいる。勇名を武器にするか、徹底的に隠すか。ヤツは後者なんだろう。だが、死体の方はグリッチャーじゃないな。顔識別をかけてみる』

 アーロンの調査を待っているあいだに、男が通信を開いた。

「こちらラーチャー1、始末した」

『了解。死体を処理したら、すぐにログアウトしろ』

 通信ウィンドウから返ってきたのは、機械音声。これでは性別すらわからない。

「だが、どういうことです? おれはかれを知っている。承認を得ているんですか?」

『そいつもおまえを知っていた。この先、我々の過去を知る者が少ないほどいいのは、双方同じ。おまえも、六年前のことを忘れてはいまい』

「あなたのいう〝我々のこの先〟というのにも、いささか不安があるのですがね」

『もうひとつの作戦のことか?』

「R・O・O・Tを〝プランター〟に吸わせたのはいい。だが、早急に回収しなければ。あれさえあれば〈ウルヴズ〉なんてどうでもよくなる。命令してくれれば、すぐに──」

『いちどに一つずつだ。あれはプランターにしか扱えないし、現時点で接触できるプランターは一人しかおらず、替えがない。ほかに質問は? なければ死体を処理して撤収だ』

「……了解」

 ラーチャー1とかいう男が通信を切った瞬間、マーリアが動いた。

「動かないでください」

 角から出たマーリアがラーチャー1にリボルバーを向ける。振り返ったラーチャー1は目を丸くしたが、その視線はマーリアではなく、こそこそ出てきたナオトへ注がれていた。

「プランター? なぜ、ここに?」

 ──プランター。やっぱり、おれのことか。

 現状を、まったく脅威だと思っていないらしい。男の驚き顔に、じわじわと笑みが広がっていき、やっとリボルバーを構えるマーリアへと視線を移した。

「まさか、我々の宿題が二つそろってやってくるとはな」

「二つ? わたしのことですか? あなたたちは何者ですか?」

「答える理由がないよ、〝埋葬屋〟」

「では、わたしが理由を作ってあげましょう」

 マーリアが男の右膝を撃とうとしたとき、ナオトは悪寒がして、本能的に上を見た。

 すると、サロン屋上から身を伸ばし、音もなく大口を開いて自分たちをまるみにしようとしている、黄金りんに紫斑を散らした大蛇と目が合った。

「マーリア!」

 ナオトが抱きつくように彼女を押し倒すと、暴発した散弾がラーチャー1のほおかすめてアパートのレンガ壁を破裂させ、二人の上をヘビの大あごが過ぎ去っていった。

 マーリアはナオトの懐から転がり出てしつしや姿勢を取るが、ラーチャー1の足元で緑のこうぼうが発生。それはすぐ数千のりよくし青胴のトンボ群L・O・S・Tとなると、地面からラーチャー1をかっさらい、一筋の流れとなって夜空へと逃げていった。

 舌打ちしたマーリアが次の脅威を狙うが、大蛇もサロン屋上へと戻っていった。

「アーロン、〝敵〟を逃がしました。これから追いますが、追加情報は?」

『死体の身元が割れた。ニック・オズワルド。クロエ・アンド・カンパニーの役員だ』

「クロエ社? なら〝敵〟は……」

 マーリアが息をむ。ナオトですら、その続きが読めた。

 大手メンタルケア企業クロエ社は【六・二〇】における人類の救済者だ。

 それに恨みを持っている組織は、ひとつしか思い浮かばない。

「ナオト、あなたはリオニでトンボを追跡してください。わたしは蛇を」

「お、おれだけで? そんな……」

「急いで!」

 初めて聞くマーリアの大声に跳びあがり、ナオトは剣士リオニ・アラディコを具体化して背に乗る。そのときには、マーリアはサロン入口のほうへ駆け出していた。

 マーリアは、平気だ。しかし〝敵〟を逃がせば平気ではない。処刑される。ナオトは黒マフラーを鼻まで上げて雪から顔を守ると、リオニを駆って夜空のトンボ群を目指した。



 上流階級用の高級サロンは、マーリアに有利だった。戦闘服である黒ドレスに衣装チェンジしても、興味をかない。彼女は七階まで吹き抜けになった円形ホールと、シャンデリアと赤いカーペットの間で商談している人々たちを見回した。

「アーロン、〝敵〟の居所は?」

『ヤツらは仕事をした。それなら移動せず、その場でログアウトするんじゃないか?』

 それなら屋上だ。マーリアはエレベーターに乗ると、ボタンを押した。

 動き出したエレベーター内で、右手にリボルバー、左手にナイフを構える。

「死体は処理せず放置されている。〝死臭〟を〝クリーナー〟が嗅ぎつけるまで猶予は?」

『約十五分。騒げばさらに時間が削れる。そのあとのログアウトは骨だぞ』

「了解。ナオトにも伝えてください。……行動します」

 ──ブースト・アプリ〈おおかみの血〉を実行──

 ドアが開いた瞬間、流れ込んできた【自由の黄ジヤーロ・リベルタ】コードの火炎そうと、雪が積もった屋上床の隙間をスライディングで滑りつつ、リボルバーを二連速射する。

 散弾は炎を吐いていた黄金大蛇の下あごに当たり、ショックで火炎の方向を上にした。

「なるほど、ヤツのご自慢だけある」

 炎を収める大蛇の下方に、男がいた。服装は初遭遇時と同様のコンバットスーツだが、今回は顔を隠していない。三十代ほどのアジア系だった。

 背後で焼けたエレベーターが落下し、一階でごうおんと悲鳴を起こしたが、マーリアは視線と照準を男から動かさずに立ちあがった。

「……短い付き合いになるでしょうが、なんと呼べばいいでしょう?」

「おまえの部下を殺した男。同じものを狙うかたき。でなければ、ラーチャー2と呼べばいい」

「では、ラーチャー2。きたいことがあります」

 そっけない言葉に、マーリアも同じくらいの低温度で返す。

「あなたたちは何者ですか? R・O・O・Tを狙い、クロエ社を攻撃する理由は?」

「そちらこそ。どうしてここにいる、〝埋葬屋〟?」

「おたがい知りたいことだらけのようですね。情報交換の契約でもしますか?」

 男は苦笑すると、左手を後ろへやり、ドロップ・ポータルを形成していく。

「あとで調べればいいだけだ。ここは退かせてもらう。──シェ・ワン」

 大蛇シェ・ワンがよこぎに火炎を吐き、炎とけた雪による高熱蒸気の壁を作る。

 あの熱量ならカットシステム三割ほどでしのげる。マーリアは炎の壁に突撃した。

 紫電を散らしながら炎壁を突破すると、ラーチャー2がこちらに背を向けてドロップ・ポータルに入ろうとしているところだった。シェ・ワンが自律反撃を行うより早く、マーリアが赤熱させたナイフをラーチャー2の後ろ腰へと送りこむ。

 ガチン。ナイフの切っ先が欠けた。そう感じた瞬間、マーリアは後方へ跳ぼうとしたが、ラーチャー2が背面越しに伸ばした右手にチョーカーをつかまれた。

 コンバットスーツの腰部には、にびいろに輝く金属板が発生していた。

 それが水銀の泉のように湧きだし、ラーチャー2の全身を覆っていく。

「おれごとやれ、シェ・ワン」

 シェ・ワンが頭をもたげ、【自由の黄ジヤーロ・リベルタ】〈荒れる均衡〉による炎の滝を二人へ落とす。

 それを浴びる寸前、マーリアはチョーカーをナイフで切り払い、後ろへ転がった。

 炎が積雪の床に落ち、赤と白の熱波となって広がる。マーリアはさらに下がり、隅に設置されている天使像に背中をぶつけた。

 火と白煙の中から歩いてくるラーチャー2は、厚い金属よろいまとっていた。フルフェイスのヘルメットに、はちゆうるいうろこを連想させる鈍色のボディアーマー。両肩や腰の両サイド、そして四肢に沿うように、単純で機械的なパイプ状装置が取り付けられている。

 あれは衣装チェンジ……ではない。

「……【自由の黄】によるクリエイト系コード〈火難の護符・アーマード〉ですか」

 融点が高い金属を基礎とした耐火複合材をクリエイトするコード。普通は単純なシェルターを創造するものだが、それに追加指示アーマードを加えてよろいとしていた。

「さすがの反応速度だな。ほんとうにおおかみみたいだ」

 ちがう。単に、アジア系とわかったことで奇手を好む事前予想に説得力が増し、ドロップ・ポータルが突撃を誘うためのわなではと警戒していただけだ。

 しかしかわせた。あのよろいの重量は百キロ近いはず。〈火難の護符〉で安全を確保しつつ、L・O・S・Tで攻撃してくるスタイルだろう。

 鈍重な相手なら、やりようはある。マーリアがそう判断したとき、ラーチャー2が腰を落とし、右腕を引いた。その後ろでは、大蛇シェ・ワンが夜空を仰いでいた。

 地鳴りのような音は、重装鎧の各所につけられたパイプ状装置から。吸排気口か砲口かと考えていたのだが、そのどちらでもないと気付くと、マーリアはぴくと眉を動かした。

「コード〈憤怒の発散〉」

 ラーチャー2が唱えた瞬間、爆裂音がとどろいた。

 各所のパイプ状装置内にめられた熱量コードが解放され、熱された空気がパイプ口から噴射される。そこから生まれるスラストは、重装鎧の男の姿をかすませた。

「っ!」

 間合いに迫るラーチャー2が引いていた右腕、そこのパイプ状装置──スラスターが後方に炎を放って二段目加速を行い、鉄拳を繰り出してくる。横へ転がるマーリアの顔面数ミリ横を抜けた拳は後ろの天使像に直撃し、粉々に砕いた。

「これも躱すか。いやはや」

 ラーチャー2が振り返る。マーリアの心拍数が運動・思考に悪影響を及ぼす一六〇に届きかけ、〈おおかみの血〉が戦闘最適値へと戻していく。だが、額に汗が流れるのを感じた。

 ──こいつは、L・O・S・Tを支援・強化に回す自己戦闘タイプのグリッチャーだ。

 作戦変更。マーリアは地獄の門みたいに縁に火がついたエレベーター口へと駆けた。



 ラトビアを楽しむ人々の頭上で、人知れず、死闘が行われていた。

 りよくし青胴のトンボ群が、りゆうのように夜の雨空を泳いでいる。

 リオニ・アラディコが三階建てビルの看板を蹴り、トンボの激流と空中交錯。緑剣いつせんで数十匹を潰すが、サーファーのようにトンボの流れに乗る男は捉えられない。リオニは悔しげにうなりつつ、向かいの三角屋根に爪を立てて着地した。

 ナオトはリオニの背にしがみつくので精一杯だった。リオニの自律戦闘に任せきりだ。

『おちつけ。相手も動きを止めなきゃログアウトできない。まだ探り合いの段階だ』

 アーロンは言うが、状況はマズい方に転がっていた。四合ほど接触したが、いちどに倒すトンボは百にも届いていない。まだ数千匹いるし、すれ違うたびに、リオニの毛皮の下では切り傷が増え、血がにじんでいた。

『リオニの負傷度に気を配れ。L・O・S・Tには自動修復機能があるが、リオニのそれは平均値。倒れれば半日は使えない。そうなれば〝敵〟を逃し──』

「マーリアが、処刑される」

 その一言の事実が、リオニをうならせる。それに応じるように、逃走を基本としていたラーチャー1に変化があった。トンボ群を旋回させ、こちらに先頭を向けてきたのだ。

『戦闘の本格化を確認! リオニと〝敵〟の予測保有コードを転送する!』

 チーム間通信アプリ〈ウルラート〉を経由し、大量の文章が送られてくる。

『コードや命令は思考だけでも実行できるが、口頭で叫べ! より明確に行える!』

 ナオトは受け取った情報の山から、現状に最も適したコードを大急ぎで探し、叫んだ。

「【力の赤ポテレ・ロツサ】、〈証明の渦〉!」

 リオニが大口から指向性衝撃波を放つ。暴力的な波動はトンボの先陣たちを百匹ほど砕き、雪と破片を混ぜた。だが本隊は? 先陣の裏できりのように陣形を鋭くし、損害を最小限に抑えていた。上に乗るラーチャー1も、盾として正面展開していたトンボの残骸が風で飛んでいくと、無傷の姿を現わした。

 リオニがトンボ群へと自動で跳躍追撃する。群の先端を越し、その中ほどに立つラーチャー1へ緑大剣の腹を振り下ろそうとして──。

 右から風切り音。さきの情報内容を思い出し、ナオトは悲鳴じみた声をあげた。

「防御して!」

 リオニが攻撃を中断して緑大剣を右へ掲げる。すると鋼鉄の雨が鉄板をたたくような音が剣上で連続し、その多重衝撃でリオニは左に吹き飛ばされた。

 落ちゆくリオニに捕まりながらも、ナオトは邪魔者の正体を見た。景色が僅かにゆがんでいる。にらんでいると、一筋のトンボの流れが景色からにじむように姿を現わした。

 転送されてきた敵データにあった、【成長の青クーシタ・ブル】視界かくらんコード〈秘する賢者〉。それを、あらかじめ本体から切り離していた別動隊に付与していたらしい。

 衝撃に翻弄されたリオニがそばにあった教会のステンドグラスを割り、信徒席を砕きながら転がり、祈っていた人たちの悲鳴を置き去りにして門を破って外の露店広場に飛び出した。ナオトも背から放り出され、屋台をぶっ壊して店主と客を驚かせた。

 カットシステム七割減で済んだ。だが、広場に悲鳴や混乱が広がるまで五秒もなかった。

 ナオトはソーセージや木片を払い、あたりを見回す。人々は逃げたり集まったりとパニックだ。近くにいた女性は、湯気が昇る紙コップを片手に、ぼうぜんとナオトを見ていた。

 ──かれらは遊んでいる。おれは闘っている。

 謎の高揚が背筋をピンと張らせ、マフラーの下で、口が微笑を描いていく。

『くそっ。【成長の青】の視界攪乱コード〈秘する賢者〉を【信頼の緑フイドーチヤ・ヴエルテ】コード〈隔てなき血肉〉で一群のトンボどもに共有させてる。メインとサブの同時実行。達人だな』

 アーロンの無音通信が聞こえる。顔は見えないが、額の汗を拭う様が想像できる声色だ。

『やはり一人じゃダメだ。マーリアと合流するんだ』

「いや、だんだん、わかってきました」

『わかってない! このエリアはもうすぐ封鎖される。さっきの未処理の死体が〝死臭〟──緊急信号を出してる! やがて、それを検知した運営が〝クリーナー〟を送り出す!』

「クリーナー?」

『運営の仮想兵BOT。一体一体は弱いが無限に送られる! きみが死ぬまでな。だから、はやくマーリアと合流しろ! こいつは見逃していい!』

「いや、あっちには、見逃す気なんかなさそうです」

『なに?』

 ナオトは横へ転がり、さらに転がる。その軌道を追うようにボスボスと雪柱が立った。透明化したトンボが飛んできているのだ。見えないが、相手の思惑を読めばかわせる。

「相手は逃げる気なんてなかった。おれをここで無力化する気です!」

『くそっ、分断作戦か……』

 ナオトは駆け寄ってきたリオニに飛び乗ると、翻訳アプリ越しに大声をあげた。

「道を開けてっ!」

 人々が飛び退くと、リオニは広場をジグザグに走った。耳元を透明トンボが飛び回る音が聞こえたが、ナオトはかまわずエリア地図へアクセスした。

 ここはダメだ。強力なコードを使えば人を巻き込んでしまうし、相手はそれを気にしない。だが、地図内は建物でぎちぎちだ。それにひらけていると、トンボ群に乗るラーチャー1を捉えるのは厳しい。やはり、勝つのは不可能なのか?

 ──いいや、不可能なもんか。自分もグリッチャーだ。さっきの人たちの顔を見ただろう? 未知なる恐怖を見る目を。おれは恐怖で、〝力〟なんだ。

 考えろ。すべての状況と、互いの力、心の裏まで盗み見ろ。打倒するために。

「リオニ、そこを右へ!」

 リオニを広場南東の路地へ走らせ、正面に現れた二階建て建物を飛び越させる。

 そして、だだっ広い平面に着地し、爪でひっかきながら止まった。

 やっぱりだ。エリアを二分にしている大川は、厚い氷に覆われていた。川幅は百メートルほどで、岸には中世の倉庫をモチーフにした大型データ保管所が並んでいるだけ。

 上空からラーチャー1が追ってくるのも予想どおり。相手はナオトを知っている。つまり、素人だと考えている。ほとんど無防備な追跡だ。

 しかし、ナオトはやっつける方法をもう見つけていた。

「コード〈力のしるし〉!」

 リオニが緑大剣を夜空のトンボ群に突き付け、雪に彩られたドリル状衝撃波を解き放った。らせんじよう衝撃波コード〈力の標〉がトンボ群の最後列を削り切る。

 リオニは緑大剣を振るい、そこから伸びる竜巻のやりをラーチャー1へ寄せていった。

「やめろっ!」

 そのごうおんを裂いてラーチャー1の悲鳴が聞こえた。無数の風切り音も。群れから百数十匹のトンボを切り離し、透明化して飛ばしてきている。それも、読みどおり!

「おねがい、R・O・O・T!」

 ナオトはリオニの上で左腕を掲げると、幾筋もの純白の光がほとばしり、襲ってきた透明トンボたちをすべて捕捉。トンボたちは、光の根と共にナオトの左腕へと吸収されていった。

 ──〈理解〉成功。ウィッチズ・エッジの三%を抽出。再使用まで二十四時間以上──

 トンボ群は余裕をもって竜巻やりかわしているが、ラーチャー1はまた声を張りあげた。

「いますぐコードを止めろ!」

 その理由は、単純な力学。作用、そして反作用。

 衝撃波を放てば、同量の衝撃波が逆方向へ発生する。ふつうは衝撃消滅や軽減コードを組みこみ、マクロ化して運用するが、ナオトはそれをやらなかった。

 だからリオニの足元で厚い氷が砕け、ナオトと共に凍った川の中へと消えた。



 ラーチャー1はトンボ群を低空に寄せると、氷上に降り立ち、そばの大穴を見下ろした。

 水温は一℃~五℃ほど。現実なら命を奪う温度だ。仮想世界でもカットシステムを削り、すぐに命も削り取る。いまごろ気絶しているか、パニックで上下感覚を失っているだろう。

 それでもラーチャー1は、少年が水面を突き破ってくるのを願った。

 三〇秒、待った。少年は浮かんでこない。

『こちらテスラプネ社。まことに勝手ながら、五分後に、エリアの緊急メンテナンスを開始します。サービスをご利用中のお客さまはただちに中断し、移動かログアウトを──』

「くそぉ!」

 わめき声が、エリア内アナウンスと重なる。ラーチャー1は右手の底で側頭部を何度もたたいた。いますぐ治療が必要なストレス値だ。だが、ダメだ。自分は失敗した。

 ──それで、どんな顔で受診しにいく?

 だから決意した。ウィッチズ・エッジは水中で使えない。自分が飛びこんで探し、必要ならせい措置をする。しかしコートを脱ぎ捨てたとき、穴の水面から何かが浮かんできた。

 少年のブーツの片方だ。くつひもは、ほどけている。

 ラーチャー1は目を閉じると、トンボ群を八方へ分散させる。

 一分後、引きった笑みを浮かべて対岸のほうを見た。

「さすがだよ、プランター……」



 寒いではなく痛い。服や髪が吸った水は凍り、全身を刺している。裸足はだしの指は感覚がない。残っていたカットシステムは、水に落ちて一〇秒足らずで停止した。

 だが、ナオトはやり遂げた。対岸までリオニと潜行し、氷を砕かせて静かに水上へあがった。そして最寄りの倉庫の窓を割って、中に隠れたのだ。

 さきほどのアナウンスのせいか、体育館ほどの倉庫にはだれもいなかった。アーチ型の高い天井にまで届きそうな棚に、各段に陳列される木製ボックス。そこへアクセスするための移動ばし。古風な倉庫だ。ナオトはその奥の木箱の間に三角座りした。

 アーロンが深部体温だの凍傷だの叫んでいるが、凍死寸前なのは自覚している。リオニが身震いで氷粒を飛ばすと、ナオトを包むように温めてくれるが、それでも歯が鳴った。

 だが、まだログアウトはしない。

 コートやブーツは水中で脱ぐしかなく、持ってこれたのは黒マフラーだけ。絞って振り回すとすぐ乾いたが、これだけでは大した防寒にならない。

 しかし、ナオトはマフラーを首に巻き、また鼻まであげた。

 いまは勇気が要る。マフラーから、マーリアの勇敢さを分けてもらおうとしたのだ。

 ここまで計画どおり。氷が割れるのもだ。だから、パニックもショック死も避けられた。

 そして耳を澄まし、計画を続行した。あの人は自分よりはるかに強く、失敗を自分で許すことができない。偽装を見破り、かならず、ナオトを見つけるはずだ。

 壁のリード広告の音楽に、ノイズ音のような羽音がかぶさってきた。──ほらきた。

 ナオトが割った窓から、数百匹のトンボ群が入ってきた。倉庫中に分散し、棚のあいだを飛び回りながらナオトを探している。

 ナオトは歯をみしめて震えを止め、ラーチャー1が現れるのを待った。

 しかし、奇妙なものを見つけた。一匹のトンボだ。ナオトが隠れている場所の向かい側の棚にあるボックス上に留まっている。見つかったとナオトとリオニは身構えるが、トンボは攻撃してくることなく、ただ、一人と一頭を眺めているだけだった。

 コードの準備? 増援待ち? 答えは、無音通信と小さな音で届けられた。

(伏せろ、L・O・S・T観測射撃だ!)

 パスンという音が、劇的な破壊をもたらした。超音速大口径弾が倉庫外壁を砕き、横手の木箱四つを貫通し、リオニの首に直撃して飛沫しぶきを散らせた。よろめくリオニの右肩にもう一発が撃ち込まれ、横倒しにする。

 三発目で攻撃を学習したリオニが、倒れながらも尾を振るい、弾丸をはじき飛ばした。

(リオニ・アラディコ、パフォーマンス六九%低下!)

 ナオトはリオニの首筋の銃創を身体からだで覆うようにして身を低くした。これは計画外だ。

 ──L・O・S・T観測射撃? トンボと視覚を共有して、外から撃ってきたんだ!

 リオニがやられた。L・O・S・Tを奪うコード〈理解〉は? 再使用まで二十四時間以上? そんなに待ってくれるもんか! 自分も撃たれてしまう!

 平気だと、ナオトは自分を落ち着かせようとした。壁越しに見えても、弾丸は物を貫くたびに角度や威力を変える。でなければ、初弾はリオニの急所に当たっていた。

 あの人が、そんな危なっかしい攻撃を自分に向けるはずがない。そのはずだ……。

「いや、まったく。これで素人とは、大したものだよ。プランター」

 棚に挟まれた廊下の角から、ラーチャー1が現れた。背後に無数のトンボをホバリングさせ、右手には、全長二メートルはありそうなライフルを引きずっている。

 だが、ナオトに使う気はないらしく、ラーチャー1はライフルを横へ放り捨てた。

 ナオトは心の中で拳を天に突きあげ、リオニから離れて立ちあがった。

「いいか、少年。いちどしか言わないぞ。わたしと共にこい。悪いようにはしない」

「答えは、これだっ!」

 ナオトは右手を振りあげ、オーバースローのように振り下ろす。すると具体化したトンボ群──R・O・O・Tで奪ったウィッチズ・エッジ百数十匹が特攻していった。

「L・O・S・Tを奪う力。恐ろしいが……群体型なら戦えないこともないな」

 ラーチャー1の前でウィッチズ・エッジ本隊がプロペラみたいに高速回転を始めると、三%の反逆者たちは次々と巻きこまれて粉砕していった。

 ──L・O・S・Tウィッチズ・エッジ、応答なし。復旧まで二〇時間以上──

 とんでもない防御で、とんでもない威力だ。触れば、即死だろう。

 だからこそ、ラーチャー1はトンボの矢を追って走るナオトを見てきようがくした。

「リオニ、【信頼の緑フイドーチヤ・ヴエルテ】〈反感でん〉!」

 後方で倒れたままリオニが口を開き、たけびを緑の風にしてナオトを包む。

 トンボ群のプロペラの向こうで、ラーチャー1が身をこわばらせていた。

 ──マーリアの分析によれば、この人はリアリスト。

 そして己より組織を……つまりはR・O・O・T回収命令を優先する。

 ゆえに、の腕力を転写した少年が突撃してきても、防御を解除するしかなかった。

 かれは、絶対にナオトを殺してはならないからだ。

 その弱みと霧散するトンボ群の隙を突き、ナオトは勢いに任せて右肩を腹にぶち当てた。カットシステムが激しい光をきらめかせるが、停止には至らなかった。

 ラーチャー1は膝蹴りでナオトの口元を突きあげ、両肩をつかむと、軸足を支点に横回転して横の木箱へ投げる。ナオトは頭から木箱へ突っ込み、中身のデータ・パッドと木片、そして額から血を散らして、木箱を砕いて一つ横の廊下へと転がった。

 ラーチャー1が拳銃を抜き、棚向こうでつんいになっているナオトの背骨を狙う。

 額が痛い。口が痛い。指先が痛い。頭が痛い。それでも、コードは切らさない!

「【力の赤ポテレ・ロツサ】〈証明の渦・ナロウ〉!」

 ハッとしたラーチャー1が自身のいる通路奥を見るが、遅い。横倒しになったリオニが放つ衝撃波をもろに浴びた。追加コード・ナロウによって収束させた衝撃波は左右の棚を揺らしもしないが、効果範囲内のトンボも床もじんとし、ラーチャー1も吹っ飛ばした。

 ナオトは一時ぼうぜんとしたが、効果範囲外のトンボたちが消えていくと、気付いた。

 勝ったのだ。悪党をやっつけた。ナオトは寒さも痛みも忘れて跳び起きた。

「うぉおああああああっ! あああああああっ!」

 勝利の叫びをあげると冷え切った肺が抗議して激しくむせ、冷静さが戻ってきた。

 ──威力はセーブした。死んではいない、はず。

 情報を聞き出さないと。ナオトは棚をくぐって元の廊下に戻ると、献身的な剣士が肩を撃たれた右前足を持ち上げつつ、三本足でひょこひょこついてきてくれた。

「……眠れないんだ」

 床材だったちりの向こうで、声がした。生きている。あんと警戒が一緒にやってきて、ナオトは落ちていたライフルを拾った。撃ち方なんか知らないが、脅しにはなる。

 塵の中を抜けていくと、ラーチャー1がいた。衣装ごと肌が裂け、全身を真っ赤に染めながら、そばの壁にあるリード広告にすがりついていた。

 声を漏らしているが、通信ではないらしい。リード広告に血の手形を付け、もうろうつぶやいている。ナオトのリード機能ではペットのCMが流れているが、ラーチャー1には、どんなCMが──望みが見えているんだ?

「不安なんだ。みんなの足を引っ張ることが。そうなることを考えると、眠れなくなる。けど、役立たずになるのも嫌だ。みんなから離れたくない。怖いことばかりだ……」

 ナオトの心が熱を失い、ライフルを持っている力もせて銃口が床に当たる。

 その音でラーチャー1が振り返り、壁に背を預けて座りこんだ。

「プランター。きみの勝ちだ。わたしは……わたしは、失敗した」

「あなたたちは、何者なんですか?」

「ダメだ、ダメなんだ。教えられない。これ以上、みんなのお荷物にはなれない」

 ラーチャー1は力なく首を振る。

「けれど、きみが知らなくてはならないことなら、言う。……ああ、そのとおりだ。疲れているだけなんだろうな。ちょっと眠れば、だいじょうぶだ」

 意識が不安定なのか、ラーチャー1はうわ言を交え、頭を振ってから続けた。

「いいか、わたしの相棒は〝埋葬屋〟を殺すつもりだ」

「なんっ……す、すぐやめるように伝えて!」

「むりだ。だが、ヤツは我々の方針から逸脱している。だから、きみが止めろ。──さあ、急げ。でないと、わたしの後始末に巻き込まれるぞ」

 後始末? 眉をひそめる前に、パチンと小気味のよい金属音が二つ鳴った。

 コロコロと、ラーチャー1の両手から拳ほどの鉄球が床に転がる。

『グレネード! 退避しろ!』

「今夜は、ゆっくり眠れそうだ……」

 仰天し、ライフルを捨ててナオトは走る。手負いのリオニを具体化解除し、壁際通路を走り抜け、窓を体当たりで割って外に積もっていた雪にダイブした。

 刹那、倉庫が震動し、窓という窓からガラスと白煙、爆風が噴き出した。

 ──管理者系コード〈理解〉失敗。保持L・O・S・Tウィッチズ・エッジを削除──

 爆音が収まると、ナオトは窓から白煙を噴く倉庫を顧みた。

「どうして? お、おれ、殺す気なんか……」

『……情報を抜く手段は、沢山ある。お嬢と同じさ。【信頼の緑フイドーチヤ・ヴエルテ】がそれを許さなかった』

「マーリアと、同じ?」

『ああ。だから、自分を責めるな』

 アーロンはそう言うが、胸に刺さる罪悪感は消えない。

 それと一緒に、疑問がついてきた。いま、コード〈理解〉で奪い取ったトンボ──ウィッチズ・エッジを、R・O・O・Tは削除した。意図的にだ。なぜだ?

 L・O・S・Tを奪うだけが、R・O・O・Tの機能ではないのか?

『こちらテスラプネ社。このエリアは、三分後に緊急メンテナンスをおこないます──』



 ──ナオトのカットシステム停止。負傷、中度──

 サロンの廊下を駆けつつ、マーリアは〈ウルラート〉の報告を聞いて悪態を漏らした。

 それを追うのは、L・O・S・Tの大蛇シェ・ワン。巨体の動きを制限できるかと室内に戻ってみたが、黄金の大蛇はなめらかに、そして激烈に追跡してきた。

 その頭にねられる寸前、彼女はエレベータードアの隙間に欠けたナイフを刺し、テコの力で開く。そして、シャフト内へ身を投げた。

 右手でエレベーターワイヤーをつかみ、落下速度を緩めていると、頭上で金属音が響いた。マーリアは上を見て、すぐにシャフトの壁を蹴ってワイヤーの揺れを大きくする。そのからを、ドアだった金属板がかすめ、はるか下でごうおんを立てた。

 シャフト内の暗闇が、赤く照らされる。ドアが外れた頭上の入口からシェ・ワンが顔をのぞかせ、こちらをにらみながら大口から炎をこぼしていた。──ここだ。

 マーリアは左手で後ろ腰に差したリボルバーを抜き、連発した。口内をズタズタにされたシェ・ワンがもだえ、火の代わりに紫色の光を吐きはじめる。高速復元コード〈許容できぬ修復〉だ。そのうちにマーリアはワイヤーを滑り降り、一階の玄関ホールへ戻った。

 サロンには、だれも残っていなかった。マーリアはロビーを歩きつつ、無音通信を開く。

「アーロン、ナオトの状況は?」

『あちらの敵は死亡した。自爆したよ。でも、かれは無事だ』

 吐息が漏れる。だれかの無事を聞いてこれほど安心したのは、初めてかもしれない。

 しかし、自殺か。情報は抜けなかったが、それでも一人をれたわけだ。相手がどこの組織だろうと、腕利きを失ったのなら何かしらの変化があるだろう。

「今日はここまでですね。ナオトをログアウトさせてください。わたしも続きます」

『急げよ、お嬢。エリア封鎖までもう時間がない。クリーナーに埋めつくされるぞ』

 ホール中央でドロップ・ポータルを起動しようとしたとき、爆発音が聞こえ、マーリアは前方へ身を投げた。瞬間、二階エントランスから重装よろいを着たラーチャー2が各所スラスターから火を噴きつつ落下してきて、大理石の床板を四散させた。

 ラーチャー2は床のクレーター中央部から右拳を抜きつつ、マーリアとたいする。

「もう帰るのか?」

「はい。あなたの仲間をめたようなので。いちど退かせてもらいます」

「ほう? おおかみの姫さまも、あんがい臆病なんだな」

「……この局面でまだ戦おうとするとは。あなたは、わたしと因縁があるのでしょうか?」

「おいおい。この世には、おまえと因縁のない人間のほうが少ないじゃないか」

 ラーチャー2が、ヘルメット越しでもわかる強烈なちようしようを浮かべる。

「人類の汚点。奇跡と陰謀の子。そして〝消された少女〟──」

 マーリアのリボルバーがえた。

 全弾子がラーチャー2の頭を捉えたが、コード〈火難の護符〉のヘルメット表面で火花を散らすだけ。しかし銃撃は陽動。マーリアは体術で挑みかかっていた。

「ふん。〈ウルヴズ〉の代名詞、ブースト・アプリ〈狼の血〉か」

 マーリアの両手が男の首にはしる。あとは組みついて背後に回り、大きくひねれば、カットシステムごとけいついけいどうみやくを破壊できる。鎧など無意味だ。

 だが、その両手は空を切った。ラーチャー2はコード〈火難の護符〉を解除してコンバットスーツ姿に戻り、軽やかなフットワークで一歩下がったのだ。

「でもな、おまえだけが特別ってわけじゃないんだよ」

 レッグホルスターから抜かれ、腰だめで放たれた拳銃の弾丸を腹部に三発くらった。防弾ドレス越しだが、カットシステムが一割ほど減じた。マーリアは拳銃を蹴り飛ばすが、お返しに鋭い貫き手を喉にもらい、みぎほおを肘で打たれ、続く回し蹴りを右側頭部に受けた。

 しくじった。この男は格闘の達人だ。しかも〈狼の血〉と同等かそれ以上のブースト・アプリを使っている。マーリアは掌底で胸を突き、バックステップで距離を伸ばして──。

「具体化、シェ・ワン」

 格闘よりも、さらに危険な間合いになってしまった。周囲に金の粒子が漂いはじめたかと思うと、一瞬でマーリアを中心にとぐろを巻く大蛇となり、彼女を絞った。

 シェ・ワンは弱点の口を開かない。堅実に、このまま絞め殺す気らしい。

 バリバリと音を立てるカットシステムが、限界に近づいてきた。



 ──マーリア、カットシステム危険域──

〈ウルラート〉からそんな警告が届き、ナオトをろうばいさせた。

「あ、アーロンさん。マーリアが!」

『こちらでも把握している。だが、いまはログアウトしろ。お嬢を信じるんだ』

「けど──」

『けど、はない! 戦闘中に一キロほど離れてしまったし、きみは負傷している上に脳はコード連発で熱暴走寸前! 切り札のリオニは? ボロボロだ!』

 反論はできなかった。コードを超処理した頭と、額と唇の裂傷、凍傷になりはじめた手足が競うように痛みを訴えている。

 考えろ、ナオト。考えろ! 一キロ先のマーリアを救う手立てを。

 しかし、いくらリオニの保有コードを見返しても、それができるものはなかった。

「もうっ。なにが、なんでもできるグリッチャーだよ! なにもできないじゃんか!」

『緊急メンテナンスまで一分。五十九、五十八、五十七……』

「うるさいっ! 静かにしてよ!」

 ナオトはアナウンスに怒鳴り返す。走っても間に合わない。マーリアのところへ行く前にエリアが封鎖され、運営からグリッチャーを狩るクリーナーとやらを送られる。

『お嬢は、きみにログアウトしろと言った。勝手に動いたら、それはチームじゃない』

 ナオトは唇をみ、ドロップ・ポータルを作った。そうだ。もう、素人にしては大戦果をあげている。だが、まだ届いていない。満足していない。

「でも、どうすれば……あ?」

 ナオトはドロップ・ポータルを眺め、そして目をしばたたいた。



 ラーチャー2は、大蛇シェ・ワンに縛られたマーリアが圧死するのを、じっと待っていた。エリア封鎖アナウンスが流れているというのに、じつに退屈そうだった。

「失敗したな、え? こんな挑発に乗るとは。両親の死より、世界から憎悪を浴びた記憶をL・O・S・T化すべきだったんじゃないか?」

「わたしを、知っているのですか?」

「さあな。でも、ウチも一枚岩じゃない。おまえに手を出さないという方針だが、おれは反対派だ。【安定の紫スタビレ・ヴイオーラ】のせいさ。危険に敏感なんだよ。おまえはトラブルの元で、死ぬべきだ。──べつにいいだろ? どうせ、一度は世界中から死を望まれた身だ」

「……あなたたちは〈無二の規範〉?」

 かつて【六・二〇】を起こし、世界中で死のソフト〈ヴァイパー〉をき散らし、せんめつされたテロリストたち。しかし、ラーチャー2は鼻で笑うだけ。

 とにかく、マーリアは納得していた。ターゲット一名は撃破できたし、さきほど〈ウルラート〉がナオトのログアウトを報告してきた。R・O・O・Tは、無事だ。

 無様な末路と少しの成果。〈ウルヴズ〉はマーリアをそう評価するだろう。

 ──それでいい。それが、わたしの〝価値〟だ。この手でつかみ取ったわたしだ。

(お嬢、反撃を準備しろ!)

 アーロンの無音通信。続いて、青い輝きが眼球を刺した。

 二階の屋内エントランスに青光の柱が生まれ、アバターを形作ろうとしていた。マーリアは、その光がどんな人物を描くかわかり、ほおを引きらせた。

「ログイン奇襲だと?」

 ラーチャー2も困惑していた。仲間に現場を観測させ、合流や位置指定で有利な場所にログインするテクニックだ。強力だが、ログインから戦闘態勢移行完了まで三秒は隙だらけになる。仮想戦闘を知る者にとって、殺すのに十分すぎる時間だ。

 だから、普通は一気に大軍を送り、それなりの被害を前提に運用される。

 かれはそれを知らない。素人だから。

 ラーチャー2がポーチ窓からライフルを抜くが、それが少女なのか少年なのか曖昧な容貌の子供だとわかると、射撃をちゆうちよした。それが、ナオトに三秒をもたらした。

「具体化リオニ・アラディコ! 【信頼の緑フイドーチヤ・ヴエルテ】、〈反感でん〉!」

 相当な激戦だったらしく、ナオト同様に具体化されたリオニも血まみれだった。しかし剣士は忠実にあるじの意向を実行し、ほうこうをあげた。

 マーリアのアバターを緑霧が包み、リオニの身体性能を転写する。

「うぅぅううああああっ!」

 マーリアは両腕で、自分を縛るシェ・ワンの胴を押し広げる。そうしてできた隙間から転がるように大蛇の懐から抜け出すと、突撃を開始した。

 ラーチャー2がマーリアに反応して身をひるがえすが、この距離では不利だと判断してライフルを捨てた。〈反感伝播〉状態でも、こいつと格闘はマズい。マーリアはポーチ窓に手をつっこみつつ、突撃軌道を斜めに変えて迎撃の拳をかわし、男の横を通り過ぎた。

 ラーチャー2の身体からだが後ろへガクンと傾き、マーリアの疾走がピタと止まる。

 カットシステムを輝かせるラーチャー2の首には、細い金属ワイヤーが絡まっていた。その両端につながっているのは、マーリアの両手にある円筒グリップ。絞殺ワイヤーだ。

 マーリアはグリップを交差させ、るラーチャー2を丸めた背に乗せるようにして首を絞めていく。〈反感でん〉のおかげでカットシステムは一瞬で破砕し、ワイヤーが首の肉を破り、気道を封じる。思考力もせたらしく、大蛇の姿が四散した。

 しかし男はタフだった。生存本能の怒号をあげて強烈な肘打ちで脇腹を打ち、こちらのカットシステムも止めた。ろつこつに鈍痛が広がるが、マーリアはワイヤーを緩めない。

 ──こいつは、ここで殺す。

 頭上を、巨大な影が覆った。

 ナオトを乗せたリオニが、首と右肩の銃創から血をきながら飛び降りてきた。負傷した右前足を酷使し、大剣を振り下ろす。緑大剣はマーリアとラーチャー2の間を過ぎてワイヤーを断ち、二人は離れるように転がった。重傷のリオニも床上を転がると、動作限界がきたのか霧散し、背上のナオトが放り出された。

 マーリアは姿勢を整えつつ、ラーチャー2が血まみれの喉を抑えてあえいでいるのを確認する。あれなら二分は動けないだろう。

 その二分を、床でひざまずき、額の傷を押さえている少年を叱ることに使った。

「なにをしているのですかっ!」

「殺しちゃダメだよ!」

 ナオトも立ちあがり、怒鳴り返す。顔は傷だらけで、震える両手には、低体温症の兆候が出ている。しかしすさまじい形相だった。

「情報を抜きたいのはわたしも同じです。ですが、時間がないのです!」

「そうじゃない! 殺したら……その、人は死んじゃうんだよ!」

「意味がわかるように言ってください! あなたは、いま、正気ですか!」

「マーリアこそ、いま、冷静なのっ?」

 マーリアは怒声をあげるが、ナオトも言い返してくる。

 混乱が怒りに変わり、よりきつく詰問しようとしたとき、ひだりほおに熱を感じた。

 マーリアはナオトへタックルし、床に押し倒す。その上を、炎の帯が駆け抜けていった。

「ふざけろ、クソガキどもが!」

 ラーチャー2は三〇秒で復帰し、横に黄金大蛇を再具体化していた。喉の傷は血が止まりつつある。【安定の紫スタビレ・ヴイオーラ】コード〈平穏のとばり〉でダメージ出力を軽減したのだ。

【安定の紫】カラーを放置するという初歩的ミスに、マーリアは自分を殺したくなった。

 マズい。同じ手はもう通用しないし、リオニもさきの落下で応答なしとなった。

 しかしその懸念は、すぐに別のものへと切り替わった。

 ラーチャー2は背後の玄関へと後ずさりしつつ、ゆがんだ笑みを浮かべる。

「R・O・O・T? 〝消された少女〟? 知るか! おれは生きる、おまえらを──」

 ようやく、ラーチャー2はナオトとマーリアの視線が自分ではなく、そのさらに後ろへ向けられていることに気付いたらしい。肩越しに背後をり……。

 通り面のガラス壁に、べったりと張り付く無数の人影を目撃した。

 衣装もない、真っ白なマネキンのようなBOTだった。ぎょろりとした金色の眼球もガラスそのもの。プラスチック感がある固い表皮では、表情も作れないだろう。

 表情など、いらないのだ。かれらは、ただその目でグリッチャーを捕捉し、右手に持った粗製マシンガンで死ぬまで弾丸をたたき込むだけの存在なのだから。

 運営の対グリッチャー仮想兵BOT、通称クリーナー。

 ガラス壁越しにマシンガンが掃射されるが、ラーチャー2はすぐ〈火難の護符・アーマード〉による重装よろいを創造して弾丸をはじきつつ、シェ・ワンの尾を横いつせんさせる。それでクリーナー三十体が千切れ飛んだが、後方から新たなクリーナーが押し寄せてきた。

『グリッチャー、発見。グリッチャー、発見。修正します』

 数百数千の同じ声と銃声に、ラーチャー2の絶叫とシェ・ワンのほうこうが潰される。

 そのうちにマーリアはナオトに肩を貸し、裏口へと走っていた。



 マーリアは、エリア封鎖をやり過ごしたことがある。だからコツはつかんでいた。

 運営のセンサーがフォーカスされているから、封鎖解除までログアウトはできない。L・O・S・Tも同様だ。息を潜め、封鎖解除を待つしかない。

 封鎖時間は長くて一〇分前後。VRSNSでは、二十四時間、商取引が行われている。だから郊外のエリア封鎖でも、秒単位でカネと信用が失われていく。

 VR企業は、グリッチャーと戦いながら、ライバル企業とも戦っているのだ。

 逆に言えば、この一〇分に全力を注いでくる。

 エリアは、不気味なクリーナーであふれかえっていた。ゆっくりと行進し、僅かな路地にも枝分かれして、マスターキーで怪しい施設すべてに侵入していった。

 しかしマーリアは見つからないと踏んでいた。彼女はナオトを連れ、VRアパートの一室に身を隠していた。ログイン前にアーロンが用意したセーフハウスだ。距離も戦闘域から遠いし、実在する一般ユーザー名義で買っているので、バレることはない。

 だが、そのワンルームにはなにもなかった。暖炉とシャワーはあったが、使えない。電気や水道はもちろんのこと、温度変化も監視されている。

 だから凍えるナオトを手当する手段は少なかった。現実負傷や仮想負傷を負ったままログインすれば、その傷はアバターに反映される。両手を始めとして、目の下や口元、膝の擦り傷からも凍傷が始まっていた。しかし、マーリアには応急キットで患部を覆い、彼女の防寒コートを広げて、身を寄せ合って座ることしかできなかった。

「ログアウトしろと、言ったはずですが」

「ログアウト、したよ」

「ええ、一度は。……くつとわかっていて言うのは、感心しません」

 ナオトは歯をがちがち鳴らしながらも笑う。顔が青白い。冬のラトビアとはいえ、なにをすればこんなに凍えるのか。壮絶な戦いを超えてきたのだろう。

 ──そして、かれは自分を助けにきたのだ。

ちやをしましたね。次からは言うことを聞いて──ああ、そうですか」

 マーリアは寄りかかるように首を傾け、ナオトの冷たいほおに自分の頬を当てる。

「〝敵〟は撃破した。共同戦線は終了し、わたしたちは、もうチームではないのですね」

 ナオトは船をこぐようにうなずく。

 それきり、室内は風が窓をたたく音だけとなった。

『──捜索時間終了。ロールバック措置を行い、エリア封鎖解除を実行』

 数分後。そんなアナウンスが聞こえると、マーリアはぽつりと言った。

「ログアウトしましょう。……あなたの脳は、無事でないと困ります」

 共同戦線の目標は果たされ、契約は終了した。つぎのターゲットはナオトだ。

 しかしマーリアは、冷たいナオトの手を両手で温めながら、離したくないと思った。ナオトも、動かすだけで痛むはずなのに、手を握り返してくれた。

 ……妙な気分だ。自分の中でマズいことが起きている。アーロンに診断を頼むべきだ。

 しかし現実世界に戻ると、アーロンは消えていた。