六章 平時にて伸びゆくものこそ



 リヴィオ・ピアッツェラは、電賊で得た利益を地元や慈善団体に還元していた。

 だからティレニア海を一望できる館でパーティがあると、ファミリーの幹部や取引先だけでなく、世界中の有力者やセレブ、慈善団体代表たちが集まり、庭はおおにぎわいになる。

 しかしその日の主役は、いつもと違って一人娘のフォルナーラではなかった。

『十三歳おめでとう、お嬢!』

 大人たちがグラスを掲げて唱え、幹部のエスコートで一人の少女が庭にやってきた。

 着飾った少女は盛大な祝福を受けていたが、ボンヤリしていた。彼女はいつもそうだ。一年前に拾われ、この館に住み始めたが、笑ったところを見たことがない。

 ……お嬢、マーリア。えあるピアッツェラ家に拾われた、世界一幸福な孤児のくせに。

『また動画を撮っているのか? フォーラ』

 冷たい男の声に振り返ると、左目が機械眼の日系人の無表情が映像に収まった。

『あー、そうだよ、。今日もわたしはカメラマンだ』

『おまえも我々の稼業がどういうものか、わかってもいいころだろうに』

 怒っているのか、あきれているのか。ピアッツェラ家と家族同然に過ごしているのに、この男の内面は見透かせない。左目を失ってから、一層にわからなくなった。

『わははっ。固いことをいうな、兄弟! おれが撮るように頼んだんだ』

 そこへスーツを着た肥満体の男がマーリアを連れてきて、トージョーは眉をひそめた。

『だろうな、リヴィオ。動画が漏れたら〈ウルヴズ〉は一網打尽だと、いつ理解する?』

『いつか、おれの人生は映画になる。資料を残してやらなきゃ制作陣が困るだろ』

『しかし、この数年で何キロ太った? 主演も体形造りに難儀するな』

『最近の映像技術を知らんな? 映画をて、い物を食って、人生を楽しめ!』

 リヴィオはスーツを膨らませる太鼓腹をたたき、大笑いする。

 グリッチャーを〝電賊〟というルールで闇に拘束し、裏社会から尊敬と畏れを集めたリヴィオ。トージョーはかれの剣であり、兄弟分だった。

 そのせいか、リヴィオはトージョーの無表情から、感情をなんなく読み取った。

『不機嫌そうだな、兄弟。わかってるさ。プラチドにおまえの後任が務まるか危惧しているんだろ? ああ、務まらない。〈テイルズ〉の手綱を操れるとも思ってない。だから〈テイルズ〉はおまえに預けたまま、ヤツには別方面で連中との取引をさせる』

『……それで? わたしの空いた予定に、つぎはどんな厄介事を詰める気だ?』

『ほら見ろ、通じ合った。これこそ兄弟のきずなだ!』

 リヴィオは開き直り、横でぼけっとしているマーリアの頭をポンと叩く。

 そして、肉が余った顔を引き締めた。

『〝あの計画〟には欠点がある。お嬢は強力だが、バレちゃ切り札にならん。いつまでも館に置くわけにはいかんし、どこかに預けたら? 警備やらの用意で、やっぱり目立つ』

『では、どうする?』

『簡単な話じゃないか、兄弟。おれたちは何者だ? 世界をあざむく電賊さまだ』

『……つまり、マーリアをファミリーに入れると。バカなことを』

『ショックを受けるにゃまだ早い。お嬢にはきちんと働いてもらう。特別扱いはしない。でなきゃ偽装の意味がない。かといって、現場で死なれても困る。そこで──』

『ダメだ』

 やはり兄弟分らしい。こんどはトージョーが先を読み、大きく首を振った。

『わたしに鍛えろという気だろう? なんのために訓練シムを軍から盗んだ』

『訓練シムは一緒にメシを食わないし、授業参観にもいけないじゃないか』

 フォルナーラは驚いた。

 トージョーがぜんとし、口をパクパクさせるなんて、見たことがなかったからだ。

『……育てろというのか? わたしに、マーリアを?』

『ビビるなよ、兄弟。いつか子供をこさえたときの予行練習だと思えばいい』

『わたしに家庭を持つ気はない』

『なら、なおさらだ! 子を持つことも、人生の大きな楽しみだ。経験しておけ』

 リヴィオはフォルナーラも抱き寄せ、両手で少女たちの頭をきながら笑った。

 トージョーは冷たい無表情を取り戻すと、ジッとマーリアを眺めている。

 そのうつろな両目をしばらく眺めたあと、諦念気味に言った。

『……親子げんになったとき、さぞかし血生臭いものになるだろうな』

『よしよし、これで憂いはなくなったな!』

『だが、わたしの〈テイルズ〉には入れない。基準を満たしたら、他の下へ移せ。──プラチドはきているな? 今後の話を詰めたい』

 リヴィオはうなずくと、フォルナーラの方を向いた。

『フォーラ、お嬢を頼む。この子はファミリーに、そして、トージョーの娘になる。つまりはー……おまえの従妹いとこか? ややこしいから妹でいい。よろしくな、お姉ちゃん?』

 そうして二人はマーリアを残し、人混みの中へ去っていく。

 フォルナーラはその背中を見送ってから、ぼーっとこちらを見ている少女をにらんだ。

 父の決定だ。全うしよう。それにこの一年間、共に暮らしてわかったことがある。

 こいつはグリッチャーで人間性がない。ひとつの悪癖にさえ注意しておけば……。

『ん? マーリア、どこにいった?』

 数秒の思考時間のあいだに、マーリアの姿は消えていた。あたりを見回しても、大人が集まる広い庭は見通しが悪く、見つからない。

 ──妹分だと? ふざけるな。いつか自分がボスになったら、この手で殺してやる。

 だが偉大なるリヴィオの娘として、今日のところは、マーリアを探しにいった。



 夜の館。フォルナーラは執務室で──去年まで父の部屋だった場所で、ホームビデオをていた。ときおり、父の背を見て、自分がだれの娘であるかを思い出すのが癖だった。

「クソ妹め……」

 しかし今夜の鑑賞は、彼女をいらたせるだけ。原因はそれだけではない。横に展開しているメール画面へと視線を移すが、今日も、他電賊から連絡はなかった。

 おおかみの縄張りが荒らされたのだ。他電賊が争って『自分たちではない』と釈明をよこして当然なのに、一通もこない。リヴィオが殺されたことで、なめられているのだろう。

 ──いいさ。父は無数の危難を越えてきた。自分も超えられる。

「ボスー、お客さんですよー」

 唐突にドアが開かれ、直弟子の少女リンカがぴょこんと顔を出す。

 それから、フォルナーラが機敏に構えた拳銃を見てほおを膨らませた。

「ちょっと、ひどいー。最後まで面倒みてくださいよー。拾った者の責任ですよー」

「だからおれはノックしろと言ったんだ、リンカ」

 続いてしお頭のフランス人男性が現れたころには、フォルナーラは銃をしまっていた。

「フィルマンか、入れ。リンカは警備に戻るんだ」

 次席幹部フィルマンは、リンカが去っていく出口を肩越しに眺める。

「警備が不安なら、家を変えては? 去年、先代はまさにこの部屋で何者かに──」

「わたしは逃げんし、お説教をしにきたのか、後見人? 報告しにきたのではなく?」

 フィルマンは口を閉じ、促されて席につく。フォルナーラが棚からウィスキーを出し、二つのグラスに注いで手渡すと、それをあおってから言った。

「プラチドの後任としてルイージャが本部帳簿の引継ぎ作業を始めましたが、問題を見つけました。彼女が言うには、計算が合わないのです」

 電賊〈ウルヴズ〉は、小さな国だ。ボスや幹部でも、カネのすべては把握できない。

 全容を知る者など、担当者以外にいないだろう。

「支出が多いなら話は単純。ですが、収入が多いのです。すべての契約、運営しているセキュリティや違法レート賭博場などを合わせても、三倍はある」

 ──予想より、露見が早かったな。

 あの日、プラチドを処分して正解だった。フォルナーラは満足感を沈黙で隠した。

「これは重大な問題です。R・O・O・Tといい、プラチドが独断でどんな橋を渡っていたか。……それに掃除屋によると、ヤツの遺体からリンクデバイスが消えていたそうです」

「デバイスが?」

「はい、ボス。プラチドは現実住居を転々としていたのに、先を越されたのです。こないだの襲撃のこともある。調べるべきです。……その、内部を」

「その必要はない。──リンカ」

 声を放つと、リンカがまたドアから顔を出した。

「おまえ、マーリアとトージョーを殺せるか?」

 フィルマンがぎょっとするが、リンカは頭上を眺めながらもう考えはじめていた。

「んー、マーリィはともかく、トージョーさんのL・O・S・Tはめんどいなぁ。でも現実だと、おたがい〈おおかみの血〉がありますもんねー。いちおう、試してきますかー?」

「まだだ。ただ、シミュレートしていろ」

 リンカがふたたび去ると、フィルマンの顔付きが後見人モードになっていた。

「相談役をどう思っているかは承知していますが、裏切者だという証拠はありません」

「だから準備にとどめている。証拠があれば、いまから自分で殺しにいってるさ」

「ですから、それを調べるために──」

「もう下がれ。収入が減るのなら、それこそ準備しなければならんだろう?」

 フィルマンはフォルナーラをジッとにらんだあと、一気に干したグラスを置いて立ちあがる。その去り際に、ひとつ言い残した。

「おれはあなたに仕えますが、ちる様を見守る気はないから言います。恐怖ばかりでは先代のきようじおきてを守れない。……お嬢を処刑しようとしたときも、かなりマズかった」

「……わかっているさ」

 フォルナーラはほおづえをつき、デスクの端にある写真立てを見る。暗いそうぼうの日系人男性と、そんな男と肩を組み、明るく笑うイタリア人の若者の写真だ。

 誇りと掟。それがリヴィオの全てで、狼を狼たらしめているものだ。

 フォルナーラもグラスを一気にあおると、アルコールが喉から胃を焼いた。



 ──分析率四〇パーセント──

 少女は、この研究所が大好きだった。

 原始の森と高い防壁に囲まれた研究所は、まるで秘密基地だ。白衣の人たちが動き回る研究室に、マイルズおじさんがいつもお酒をんでいるロッジ風の休憩室。ベンおじさんが特製パフェを作ってくれる大食堂に、様々な花が咲く庭園。敷地の端には警備員詰所があったが、近づくなと言われていたし、警備員も研究所に近寄ることはなかったので顔を合わせたことはない。だが、いつか忍びこもうと考えていた。

 総勢百人を超える人々がこの研究所内に住み、働いていた。人類を救うために。

 そんな英雄たちを、両親が率いている。少女はそれが誇らしかった。



 今朝、ナオトは目覚まし機能より早く起きた。ほとんど眠れなかったのだ。

 リビングのソファで眠っている、少女のせいで。ジャージ姿で、樹上で安らぐひようみたいに寝ている。各電気系統が自動起動しても、静かな寝息を立てていた。

『──アメリカの大手メンタルケア会社クロエ・アンド・カンパニーの研究員、ニコール・ベランガー氏が、今日未明、自宅で死亡しているところを発見されました』

 自動起動したリビングのテレビから、国際ニュースが流れはじめる。

『遺体に外傷はないものの、クロエ社は【六・二〇】テロ事件のウィルス・アプリ〈ヴァイパー〉の治療薬を開発した企業であり、この一ヵ月で六名の同社関係者が死亡していることから、警察はテロリスト〈無二の規範〉残党関与の可能性も発表しています。これについて、会長であるカレン・スナイダー氏がコメントを出しました』

 画面が切り替わり、枯れ木に高級スーツをかぶせたような老人が映された。

『これが報復だとしても、クロエ社は屈しません。あの〈ヴァイパー〉の治療薬に、多くの者が挑戦し、卑劣な手で殺された。しかし、わが社はそのときも──』

 外傷のない死。仮想負傷か? テロリストにもグリッチャーがいるのか?

 そしてその力で、世界を救った人たちを殺しているとしたら……。

 怖くなり、ナオトはテレビを切った。それに、自分はテロよりも身近な危険を抱えている身だ。だからまず、その危機から守ってくれる人を起こそうとした。

「マーリア? もうすぐ七時だよ? 朝だよー?」

 呼びかけても起きない。ナオトは悩んでいると、ふと、ある考えが頭をよぎった。

 ──ここのところ、変な夢を見る。あれは、マーリアの記憶ではないだろうか?

 ありえる、と思う。ナオトは彼女のL・O・S・T──記憶を奪ったのだから。

 だとすると悲しくなった。こないだは絶望に染まっていたが、昨夜の夢は希望にあふれていた。そんな記憶を失おうと彼女に決意させたのは、なんだったのだろう?

 我知らず、左手がれいな金髪へ優しく伸びていき──。

 パチッとへきがんが開いた。そして金髪が視界を覆ったかと思ったら世界が逆転した。マーリアはナオトの左腕に手足を絡ませると、かれを巻き込むように前宙したのだ。

 気付けば、ナオトはうつ伏せに倒れ、左腕をじあげるマーリアにのしかかられていた。

「……むっ? ナオトでしたか。どうしました?」

「どうしたもこうしたも、左腕が折れる寸前なんだけど!」

「体内ナノマシン・アプリ〈おおかみの血〉が緊急起動したようですね。能力向上アプリであり、〈ウルヴズ〉全員がインストールしています。ですから、我々は戦闘において──」

「説明のまえに、腕を離して!」

 ほんとうに、この人に安全を任せていいのだろうか。そう疑わざるをえなかった。



「ええと、〝敵〟から身を守るってことだけど。具体的にはどうすればいいの?」

「トージョーの言ったとおり。日本の治安を利用する。つまり日常をキープします」

「日常を?」

「〝敵〟も後ろ暗い組織でしょう。我々と同じく人目は避けたいはずですし、大騒ぎになるのもイヤなはず。日本の治安の中では、行動をかなり制限できます」

 ということで、二人はふつうに登校し、授業を受けた。

 やがて午前最後の授業である美術の班課題メンバーが自由ではなく席順で決まって終わり、ナオトがホッとしていると、マーリアがやってきて、空いている隣席についた。

 ──うーん、クラス中の視線を集めている。トージョーさんの、彼女を学校に潜入させる計画は破綻している気がする。もっと言えば、自分の誘拐とは別の意図を感じる。

 当のマーリアは、そんなことなど気にせず昼食のパンの封を開けているが。

「さて。〝敵〟を追う上で、重要なことを説明します。まずグリッチャーの真価たるL・O・S・Tから。あれはただの仮想兵器のように見えますが、じつは──」

「あ、知ってる。記憶と感情の一部を失うことで作る、仮想兵器なんだよね」

 ナオトは、ミッチェルから教わったことを思い出していく。

「それで、人格を維持するために増幅させた精神的欲求に従った力を使って……あれ?」

 マーリアは目を閉じ、もそもそとパンをほおっている。なにかまちがえたか?

 いや、不機嫌になっている気がする。……ひょっとして、説明したかった?

「合ってます。では、つぎ。グリッチャー戦は情報戦。我々は〝敵〟のことをなにもわかっていませんが、じつは、すでに〝敵〟の行動・思考パターンを知る手がかりが──」

「L・O・S・Tの見た目だよね? あっ……」

 つい口にしてしまった。しまったと思ったときには、ジッと横目でにらまれていた。

「ええとー、蛇やトンボの見た目から、どんな情報を得られるのかなー?」

「ふむ。いいでしょう」

 機嫌を直したマーリアが、黄金大蛇とりよくし青胴のトンボのイラストを表示させる。

「L・O・S・Tのフレームは、クラフト時に失った〝記憶〟と〝感情〟を象徴しています。逆に言えば、姿が表すものを省くと、相手の性格がわかる。ようは引き算ですね」

「ふむふむ」

「蛇のほうは、タイリクシュウダがモチーフでしょう。主に中国に生息していますが、あの国でも蛇は神聖の象徴。なので蛇使いが中国系であった場合、逆に、神をも恐れぬ邪悪なからめ手を好むはず。メインカラーが【自由の黄ジヤーロ・リベルタ】であるのも、この説を補強しています」

「ま、マーリアは蛇に詳しいんだなぁ」

「ネットで調べました。それに、ただ飼っていたペットの可能性もありますが」

「へいっ?」

 聞き捨てならない一言をポイと言い捨て、マーリアは次にトンボを指さす。

「そしてこのトンボですが、該当する形状の実物はいません。しかし鋭い尾とやいばはねからして、西欧の〝魔女の針〟や〝ドラゴン〟──悪の伝承がモチーフでしょう」

「なら、トンボの人は逆にいい人?」

「いえ。おそらく、夢や迷信を捨てたリアリスト。曖昧な情報・状況に惑わず、いかなるときでも合理的判断を下す人物ですね」

「……もしくは、ネットでもヒットしない、珍しいトンボがモチーフとか?」

 マーリアがうなずく。結局、情報不足か。だからこそ、自分たちが調べるわけだが。

 しかしナオトはおにぎりをほおりつつ、別のことを考えていた。この二名は、感情を捨てた。神聖、夢。それらにつながる記憶は、とても大切な気がする。そして──。

「当ててみましょうか? わたしのリオニ・アラディコについて考えてますね?」

「あ、いや、わっ、と」

 ナオトは落としそうになったおにぎりをあわててキャッチする。

「かまいません。いまはあなたの武器ですから、仕様を知っておくべきでしょう。あれはわたしの家の紋章がモチーフ。つまり、わたしは家族の記憶を失っています」

「じゃあ、マーリアは、家族がいまなにをしてるか知らないの?」

「いえ。記憶は失いましたが、記録を調べました。わたしはモナコで生まれ、両親の海外転勤についていった先でかれらを亡くした。そして十二歳まで保護施設にいました。その後、グリッチャーとなり、トージョーによって〈ウルヴズ〉に招かれたようです」

「……ごめん」

「ふむ。まだグリッチャーを理解していない様子。この話題で、わたしはストレスを感じません。家族の記憶のアクセス路である〝死者へのおもい〟という感情も失ったのですから」

 マーリアは、自分の過去を遠い国の事件のように語っている。ミッチェルの忠告は正しかった。肉親の死すら悲しまない少女に、ナオトの命を惜しむ理由はあるか?

 油断できない。自戒しつつ、コンビニサラダにフォークを刺そうとしたとき、サラダとのあいだにぬっとマーリアが顔をねじこませ、こちらを見上げてナオトを驚かせた。

「おわあっ! なに!」

「わたしを嫌悪しているのではと、確認を」

「いや、確認の仕方! ああ、もう。髪にドレッシングが!」

 ナオトは紙製おしぼりを取り、ドレッシングがついてしまった金のおくれ毛を拭く。

 されるがままに髪を拭かれつつ、マーリアはうなずいていた。

「嫌悪しているわけではないようですね。安心しました」

「嫌悪っていうか、怖いだけ」

「ならいいです」

 怖がられるのはいいのに、嫌悪されるのは嫌? やはり、奇妙な感性だ。

「ところで、ナオト。忙しくなるまえに、あなたの右腕と肩を処置すべきですね」

「えっ?」

「右利きなのに左手に頼っているでしょう。ミッチェル戦での仮想負傷ですか」

 ──ミッチェルさんにではなく、マーリアの爆弾にやられたんだけど。

 本人は、そんなことはもう忘れているようだが。

「う、うん。治し方は教わったけど……うまくできてないのかな。まだ痛みが引かないや」

「それならば、わたしの独自技法を伝授しましょう」

 マーリアは席を立つと、教室ロッカー側の空きスペースにナオトを呼ぶ。どうやら、治すのが目的ではなく、自分の技法を披露したいようだ。……でも、ここで?

 しかし右腕と肩が痛いのは事実。ナオトは従った。

「仮想負傷は主に脳、体内ナノマシン、自律神経の混乱によるもの。ということで、自律神経を整えます。そうすれば、ほかの二つも正常化されます」

「ええと、薬とか、お医者さん用のアプリとか使う? なんか、こわいよ」

「人体を甘く見過ぎです。ヨガです。ヨガで整えます。さあ、わたしのを」

 ヨガ? 首をかしげようとする前に、マーリアはその場で胡坐あぐらをかいた。

「ちょっ、マーリア! スカート! いま、スカート!」

「……? たしかにヨガウェアのほうが快適ですが、買うのは今度にしましょう。さあ」

 クラスのどよめきをフォローするすべはない。さっさと終わらせるしか。

 ナオトはになり、マーリアの隣で胡坐をかいた。

「まず基本を。ログイン中は身動きしませんから、我々のような若者にも腰痛のリスクはあります。なので、こうあおけになったあと、両膝を抱えるように……」

「ダメ! それはいい! 絶対に、飛ばして!」

「美容効果もあります。先代の言葉にも、〝だれがなにをのたまおうが、美形は正義〟と──」

「いいから! そうだ。おれだけやるから、マーリアはサポートしてよ」

 残念そうなマーリアと、遠くで首を伸ばしていた男子たち。

 ──どうして美容は大事と言うのに、異性の視線に抵抗がないのかなぁ。

 マーリアの心理というしんえんとらわれつつも、言われるがままに土下座みたいな姿勢をとって、両腕と背、頭を前へ伸ばしていると……。

「ナオト、リラックスしてください。もっと上体を伸ばせるはずです」

「ええと、これが限界なんだけど……」

「意外と身体からだが固いのですね。では、さっそくサポートしましょう」

 マーリアがナオトの真正面に座ると、足裏でかれの膝を抑え、両手首をつかんでむりやり上体を引っ張ってきた。あの、怪力でだ。

「痛い、痛い、痛いっ!」

「リラックスしていれば、痛くないはずですが」

「物理的に限界! 身長差! っていうか、これ、どこで教わったの!」

「参考動画はましたが、ほぼ独学です」

「だよね! すぐわかった!」

 しかも、正面に座るマーリアは足を伸ばしているわけで、ナオトはそっちのほうへ頭を伸ばしているわけで。女の子の感触と香りは、想像以上に柔らかいとわかったわけで……。

 痛みと恥ずかしさでクラクラする。その間も、マーリアはポーズを変えさせ、ナオトの身体をひねってみたり、関節を破壊しようとしたりしていた。

 クラスメイトたちも「イジメ?」「ご褒美?」と、混乱と羨望を混ぜたささやきを交わすばかりだったが、ひとりの救世主が、おっかなびっくり近づいてきた。

「あ、あの、マーリアさん?」

 演劇部のなんミキ。ナオトと似て、万事控え目なクラスメイトだ。

 マーリアはナオトをじ曲げる作業を中断し、彼女へ向いた。

「南波ミキ? どうしました?」

 ミキは両手の指先をこすりつつ、うつむきながらボソボソと言う。

「あ、あの……さっきの美術の班課題だけど、ごめん。そっちの資料集め係と、わたしの買い出し係、交換してもらえるかな? 部活の用意が詰まってることを忘れてて……」

 ようやく解放されたナオトは息を整えつつ、思い出していた。

 班課題──ジオラマ制作だ。テーマはオリジナルの自然公園。施設と周辺環境の構想と現物化は、これからの社会に重要なスキルになる。ジオラマ作りは、ハイテクとローテクを駆使して、みんなで協力してそれを磨くにはうってつけらしい。

 しかし、その係決めで、ミキはハズレを引いたようだ。買い出し係だけは、現実の足を動かさなければならない。かわいそうに、とナオトが思っていると、

「いやです」

 ほかの班員全てにいてきたであろう頼みを、マーリアは一蹴した。

「あなたは一度それを了承した。いまさら自分のミスで全体を乱すのは勝手すぎます」

「あ、それは、その……そうだね。ごめん」

 ミキは唇をかみしめ、力ない足取りで戻っていった。

「さて、ナオト。続きを──どうしました?」

「……嫌悪していないけど、おれ、怒ってる」

 振り返ったマーリアは、ナオトが半目でにらんでいるのを見て小首をかしげた。

「マーリア、帰宅部なんだから代わってあげなよ」

「ですが、人に甘えて安易にミスを解決しようとする者を、わたしは好みません」

「南波さん、忘れてたわけじゃないよ」

 ナオトには、ミキの心がわかった。係決めのときに、自分の事情を言えないまま、貧乏クジを引くハメになったのだ。なミキが、部の予定を忘れるはずがない。

「自分の意見を言えない人もいるよ。おれみたいにさ。……代わってあげなよ。すごく困ってたし。それに、学校に適応するってのは、そういうことじゃない?」

「と、いうと?」

「たくさんの人が同じ場所にいるんだから。困ってたら、助けるべきだよ」

「協力の対価は?」

ともだちになったら、そんなの関係ないよ。──じゃあ、おれ、部長と会ってくるから」

 ナオトは服のほこりを払って立ちあがる。ミキを探したが、もう教室にいない。「なに、痴話げん?」「三角関係?」と、いぶかしむ見物人たちだけだ。

 ……放課後にでも買い出しリストを聞いて、自班分のついでに買ってきてあげよう。

 ためいきをつきながら首を振ると、肩と腕の痛みが和らいでいた。



「はー、なるほど。それで〈ウルヴズ〉と協力することになったわけね」

 部室の会議机を挟み、カンナはなんともいえない顔でほおづえをついていた。

「や、やっぱり、マズかったですかね?」

「……いえ。正解だと思うわ。昨夜、アーロンからわたしに連絡があったの」

「アーロンさんから?」

「わたしのセキュリティを強化するためにね。そのとき教えられたわ。電賊にとって契約とは〝誓い〟なの。規模に関係なくね。もし破ったなんて話が漏れれば、〈ウルヴズ〉は信用を失い、今後のビジネスに悪影響が出る。だから、裏切られることはないわ」

「そうですか。よかった……」

「けれど、その〝敵〟を追い払ったあと、〈ウルヴズ〉に対抗するための計画はあるの?」

 硬直するナオト。そうよねぇ、とカンナは吐息を漏らしながらうつむいた。

 しかし彼女は肩を震わせると、クツクツと笑い始めた。

 何事かといぶかっていると、顔をあげたカンナは満面に情熱を広げていた。

「これはチャンスよ! 協力中はマーリアがくっついているんでしょ? 彼女から〈ウルヴズ〉の弱点を引き出すの! 成功したら、有利な契約を持ち出せるわ!」

 カンナは壁の大型スクリーンを起動させ、これまでの部活動記録──VRSNSの陰謀論や都市伝説の記録を展開させていく。

「腕が鳴るわ。これこそ運命! わたしは、このときのために活動してきたのよ!」

 ……全開だ。カンナも〈ウルヴズ〉に素性を知られているのに、むしろこの状況を楽しんでいる節がある。自分より、はるかにグリッチャーの適性がある気がする。

 と、ナオトは重要なことを思い出した。

「あの、部長。おれたちとR・O・O・Tを引き合わせた、あのメールの送り主は?」

「ああ、これね。もちろん調べてるけれど……」

 カンナは受信BOXからメールを開き、スクリーンに拡大表示させる。

 ──このビルにいけ。おまえが望んでいたものが手に入るだろう──

「これ、差出人はグリッチャーよね。ミッチェルのアプリにも秘匿通信があったし」

「グリッチャー……。おれたちが関わったのは〈ウルヴズ〉と〝敵〟だけですけど」

「別の組織かも。おまえたち、じゃなく、おまえってのも気になるわ。相手はVR文検部のことも調べたはず。これは、VRSNS調査担当であるくんへのメッセージよ」

「あっ! アーロンさんが言ってました! R・O・O・Tはほかの人が触ってもなにも起きなかったけど、おれは触っただけでインストールしちゃったって!」

「……くんは、R・O・O・Tをインストールできる特別な〝なにか〟を持ってたのね。そしてこのメールの送り主は、それを知っていて、あなたをあそこへ導いた」

「いったい、だれが、なんの目的で……」

 それはわからないと、カンナは肩をすくめる。

「でも、この人の最終目的が日野くんにR・O・O・Tをインストールさせることでないのはたしかね。そして〈ウルヴズ〉や〝敵〟が、あの場で日野くんを殺さないと確信してた。……わたしたちは、いまのところ、この人が敷いたレールを走ってることになる」

 ナオトはメール・テキストを凝視した。電賊より気味が悪い。送り主は、あの日、あの場にいた全員の行動を把握し、その上で目的を達成したことになる。

 不安になっていると、カンナのデバイスがピピッと音を鳴らした。なにかの通知音らしい。カンナが難しそうな顔で新ウィンドウをにらんでいた。

「ど、どうしたんですか?」

「うん……。ミッチェルの傍受アプリを使って、学園中のフォーラムを見張っていたの。〝マーリア〟っていう単語に反応するように設定してね」

「彼女に、なにかあったのですか?」

「ケガをして保健室に運ばれたみたい。──あ、ちょっと、日野くん!」

「おれ、見てきます! 〝敵〟がきたのかもしれない!」

「いや、これはそういうのじゃ──」

 ナオトはもう部室から駆け出していた。〝敵〟は時間も場所も選ばないのか?

 そんな連中に、自分が向かってなにができる? むしろ〝敵〟は歓迎するだろう。

 それでもナオトは、保健室まで全力で走った。



 ナオトは健脚なほうだ。全力で廊下を走れば、先生の注意も追いつけない。

 そして数十秒で二階の保健室に到着すると、息を切らしつつ、困惑することとなった。

「ええと、これ、どういうこと?」

「さあ……?」

 保健室の椅子に座っていたマーリアが小首をかしげる。元気そうだ。ただ、右の二の腕に包帯を巻いていて、壁際では演劇部らしい先輩たちが彼女に平謝りしていた。

 中年女性の保健の先生が、ナオトを見ると言った。

「クラスの子が迎えにきたのね? ほんとうは病院にいってほしいんだけど、嫌ならそれでいいわ。ガラス片は取ったし、眩暈めまいもないようだから、もう戻りなさい」

「ほんとに、ごめん。ポロヴェロージさん。窓はもちろん、治療費もおれたちが払うから」

「いえ、気にせず。──それではナオト、いきましょう」

 マーリアは上着とカーディガンを着直してから、ナオトと廊下へと出た。

「ね、ねえ。おれ、マーリアが大ケガをしたって聞いて飛んできたんだけど……」

「とどめを刺すためにですか?」

「いやいや」

「残念ながら、たいしたケガではありません。三針程度の傷でしょうか」

「さ、三針! なにがあったの? それに、窓って?」

「わたしはナオトを参考に、学校に適応しようとしていた。それを実践したのです」

 マーリアは歩きながら、ことの経緯を説明していく。

 あのあと、マーリアは班課題の役割を交換してあげようと、演劇部の部室で昼練中のなんミキを尋ねた。そこまではよかった。ミキは大喜びだったらしい。

 その直後。劇で使う銃声のテストが背後で行われた。マーリアは反射的に遮蔽物を求め、体当たりで窓を割ってベランダに逃げた。そのとき、ガラスで腕を切ったそうだ。

「……ええと、演劇部の人の反応は?」

「わたしが音に驚いて、窓にぶつかったと思っているようでした」

 ナオトは色々とホッとした。マーリアが電賊だとバレていないことも、ケガがたいしたものではないことも。クラスメイトとの交流に、前向きになったことも。

「でもさ、ほんとに病院にいかなくていいの?」

「この程度なら医師用体内ナノマシン・アプリで傷跡もなく治りますし、脳の自己診断も済ませました。それに今日は予定があります。病院へいく時間などありません」

 予定? 視線でくと、マーリアは二つのウィンドウを出した。

 ひとつは箇条書きのメモ。もうひとつは『五千円』と表示されたウォレット。

「ミキにかわり、買い出しへいきます」

 とてつもなく得意げだ。しかしその表情は、すぐさま疑問に覆われた。

「ところでナオト。ジオラマの材料はどこで買えるのですか?」



 ミドウ市には大型ショッピングモールがあり、だいたいのものはここでそろう。

 規模は周辺でも最大で、今日も人の大河を作っている。ミドウ市は海外転勤してきた社員やその家族も多く、マーリアの肌や髪色が目立つことはなかった。

「さて。買い出しリストですが……発泡スチロールに木材、紙粘土、砂、塗料など。ふむ、いくつか店を回らなければならないようですね」

「プラモデル屋とかいけば、ぜんぶ揃うんじゃないかな?」

「それでは役目の半分も全うしていません。発泡スチロールなら食料品店などから譲ってもらえるでしょう。そうして浮かせた費用で、ほかの材料を良質にできます」

 マーリアの精神属性は【力の赤ポテレ・ロツサ】と【信頼の緑フイドーチヤ・ヴエルテ】。自己の能力を示したい、つながりを強くしたいという考えは、状況次第で〈ウルヴズ〉以外にも発揮されるらしい。

「なるほどなぁ。だけど、発泡スチロールって妥協していい材料なの?」

「さあ? わたしもジオラマなんて作ったことはありませんから」

「うん。……うんっ?」

「では行きましょう」

 そして行動を始めた。まず果実店へ向かい、発泡スチロールを分けてもらったが、マーリアは廃棄品の木箱にも目をつけると、工具を借り、その場で二班分の木板に変えた。

「若いのに、リサイクルとは偉いねぇ」

「その場にあるものを利用する考えは、あらゆる物事に通用します」

 パートのオバさんからもらったジュースを口にしながら、マーリアは言う。それで気に入られ、パン屋の店長がジオラマ作りに一家言あると教えてもらった。

うそだろ? 高校生がジオラマ? ……すまん。オジさん、泣きそうになった。近頃の子は興味を持っても、VRSNSと3Dプリンターで済ませてしまうだろ?」

「テクノロジーに依存ばかりしていれば、本質を見失う危険があります」

 感動したパン屋の店長が二人を事務室へ誘い、ノウハウを教えてくれた。テクニックや注意点を詳しく語った上で、同好会のアドレスと、紙袋いっぱいのパンを土産にくれた。

「兄ちゃん。……兄ちゃんだよな?」

「へ、へいっ?」

 その別れ際、店長が小声でナオトだけを呼び止めた。

「あの子の熱意は本物だ。だが、ジオラマは多くを犠牲にする。理解できないだろうし、ケンカの種にもなるだろう。でもな、どうか寛大な心で許してやってくれ」

 謎の熱い願いに当惑しつつもうなずき、マーリアを追った。恋人と思われた? ナオトは笑った。たしかに、彼女はナオトを大事におもっている。正しくは、ナオトの脳を。

 追いつくと、マーリアはクレープ屋でひとつ頼んでいた。

「どうしたのですか? なにか話していたようですが」

「うーん。へんな勘違いをされたみたい」

 マーリアは深く追及せず、一瞬で食べ終えたクレープの紙袋をゴミ箱に捨てる。

「では。店長のアドバイスにしたがい、買い物を続けましょう」

「う、うん。ところでマーリア。さっきもらった、たくさんのパンは?」

「食べ終えましたが」

「それで、いま、クレープを?」

「……? ああ、これは自費です。任されたカネに手を出すのは、三流以下です」

「そういうことじゃなくて、いや、いいや……」

 そのとき、マーリアのデバイスに着信があり、彼女はすこし話すとすぐ切った。

「ミキからでした。わたしのケガのことで、やはり買い出しは自分がやると言っていましたが、もう始めていると報告しました」

なんさんから?」

「はい。お礼に、おいしいドーナツをおごってくれるそうです。対価はありましたね」

 対価とは友情か、それともドーナツか。こうとしたが、やめておいた。



 二人の女子──ではなく、男子と女子が、エスカレーターに乗っていく。途中で男子が、金髪の女子にハンカチを貸し、口のカスタードを拭かせていた。

 そんな二人を追う者が一人。寿ことぶきカンナだ。彼女は、ナオトを見守っていた。

「でも、これ、完全にデートの尾行よね……」

 二人との間に一定距離と人垣を置きつつ、嘆息する。しかしすぐに気持ちを改めた。

 自分がナオトを巻きこんだ。守る義務がある。カンナの見立てでは、マーリアこそ最大脅威だ。契約の抜け道をいだした瞬間、彼女はその場でナオトを拉致するだろう。

 それにもうひとつ、漠然とした懸念があった。

 ……むかし、どこかでマーリアを見た気がするのだ。思い出せないし、当然、電賊だから素性は割れない。しかし、その既視感が、悪い予感をき立てた。

 萎えてきた心を奮起させ、エスカレーターをあがっていく二人を追おうとすると──。

「おっと、ストップ。エスカレーターは、追跡者にとって不利なところだ」

 とつぜん、前に巨体が立ちはだかった。似合わぬインテリがねをかけた大男だ。

「……あなた、〈ウルヴズ〉のアーロン? どうしてここに?」

「買い物にきたら、偶然、知った顔をみかけてね」

 偶然? カンナは冷笑し、辺りをうかがう。悲鳴をあげたら、事情を聞くより先に、世間は彼女の味方をしてくれる。いびつな話だが、利用しない手はない。相手は電賊だ。

 カンナの意図を察したらしく、アーロンは降参と両手をあげた。

「ああ、そうだ。偶然じゃない。じつは、きみに契約をもちかけにきたんだ」

「契約ですって?」

 アーロンがポケットをあさると、平凡なメモリ・スティックを取り出した。

「これには、この世から消された少女の過去が記録されてる。とても忌まわしい、過去だ」

「マーリアのこと? あなた、仲間の情報を売る気なの?」

「仲間、仲間ってのは難しいよな。とくに、電賊なんて商売をしてたら余計にさ」

「……それで、マーリアの弱点になりうる情報の対価は?」

「全てのはじまり」

 カンナは警戒した。なにを欲しているかはわかった。だが、どうしてそんなものに興味を持つ? かれらは、最終的にナオトの脳を奪えればそれでいいはずなのに。

「これはおれ個人の契約だ。いずれマズいことになるが、おれはそれにまりたくない。めば、きみも逃がせる。いい印象を持ってもらいたいから、秘蔵の品を持ってきた」

「……どうして、わたしに?」

「きみには優しさと好奇心がある。それらは、おれの助けになる」

「あなたは、なにをしようとしてるの? なにを知ってるの?」

「いまは教えられないが、そもそも、この問答できみの返事は変わるのかい? きみは危険を自覚しているのに、こうして、好奇心を抑えられていないじゃないか?」

 かれのいうとおりだ。カンナの心は、すでにメモリ・スティックに注がれていた。

「契約のルールは、だれにも言わないこと。……そのときがくるまでな」

 十秒後。カンナはメモリ・スティックを手に立ち尽くし、かれは人混みに消えていた。



 買い物を片づけると、マーリアがモール内の喫茶店へ寄ろうと言った。ナオトは疲れていたし、けっこうな荷物になったし、OKと答えた。しかし……。

「混んでるね……。あっちの和風喫茶のほうはいてたけど」

「いえ、ここにしましょう。──ほら、奥に席が空いています」

 マーリアは洋風喫茶へ入ると、忙しさで目を回している店員の案内で、奥にある六人がけテーブルについた。

 混んでいるのに、二人で六人がけを使うのはすこし落ち着かない。そう思いながら椅子に腰かけると、なぜか、マーリアは対面の壁際ソファではなく、隣に座ってきた。

 なんだろう? イタリアの文化? 気になったが、とりあえずチョコシフォンケーキとカフェオレを胃に収めていくと、眠気が出るほど気分が良くなった。

 ──そういえば、同級生とお茶なんて、初めてではなかろうか。

としの近い人と、こういう時間を過ごすのはあまり経験がありません」

 マーリアも同じことを思っていたらしい。アップルパイにフォークを刺しながら言った。

「〈ウルヴズ〉には、おれたちくらいの歳の人は少ないの?」

「一人だけ。ボスの直弟子です。そしてわたしの師トージョーは、ボスに敵視されている。ですから、殺し合いはともかく、食事を共にする絵は想像できません」

「……おれは、そういう関係が想像できないや」

「しかしトージョーと暮らしていた時期は、いつも、こうやって一緒に食べていました」

 あの恐ろしげなせきがんの男が、喫茶店でケーキ? そちらのほうが想像できない。

「最初は自炊していたのですが、わたしがクッキーを焼こうとしてねぐらを爆発させて以降、外食やファスト・フードのみにすると二人で取り決めたのです」

「爆発? 火事じゃなく、爆発? クッキーで?」

「当時のトージョーも似た反応をしていましたね。そういうわけで、二度とキッチンに立たないと誓わされたわけです。ですが、かわりに、こういう感覚が磨かれました」

「こういう感覚って?」

「さきほど我々を追っている者がいました。詳細はつかめませんでしたが、いまは引き上げている。〝敵〟だとすると、監視員を下げたということは、つぎは攻撃チームがきます」

「ええっ……!

「静かに、自然に。ここの入口は後方の一ヵ所だけ。くるならあそこでしょう」

 驚き振り返ろうとするナオトを、マーリアはさりげなく正面へ引っ張り戻す。

「電子監視もされているでしょうが、この店のカメラは入口の一台だけで、ここは死角。入口を見張り、現れたらカウンターで迎撃・尋問します」

「で、でもでも、後ろを向いたまま、どうやって見張るの?」

「スプーンやグラス、金属の手すりに映る鏡像を利用しています……むっ」

「あらぁ、今日は混んでるわねぇー」

「申しわけありません、お客さま。ただいま満席でして……」

「えー、ここのケーキ好きなのにぃ──あら? あれ、さっきの女の子たちかしら?」

 ナオトは、声で来店してきた三名の素性がわかった。さっきの青果店のオバさんだ。彼女たちは「ともだちがいるから」と言って入店すると、ナオトたちの向かいに座った。

「ほら、あの子たちだわ。相席いいかしら? ──あっ、お姉さん、お願いしまーす」

 是非を返す間もなく、三人のオバさんは店員に注文していく。圧力がすごい。

 ナオトはマーリアをチラと見て、あえいだ。

 ──ちがうから。オバさんたちは絶対に攻撃チームじゃないから。さりげなくテーブルナイフを袖に入れないで! それで何をする気なの!

 他人の前で耳打ちやリンクデバイスをいじって通信するのは無礼だ。ここは身を張って、オバさんたちが脅威ではないとマーリアに伝えるしかない。

「あっ、あ、あの! さっきは色々とありがとうございました! 助かりました!」

「あー、いーのいーの。廃棄品だし。……でも最近多いねぇ。店長、悩んでたわよー」

「ドローンを使う話もしてたわよ。クビになるまえに、パイロット資格取ろうかしらねー」

「……ドローン?」

 マーリアの眉がピクと動く。ナオトはテレパシーを送ろうとした。宅配ドローンだと思うよ。マーリアが思ってるようなモノとは、すこしちがうと思うよ!

「それより、お姉さんたちがウチでバイトするのは? 看板娘が二人もいたら大繁盛よー」

「それこそ、わたしら全員お役御免じゃなーい」

 三人がけらけら笑う。マーリアは、その三つの喉をいつせんできないかと考えているようだ。

 マズい。完全に、思考が殺し屋に切り替わっている。

「あっ、そうそう。お姉さんたちは良い子だからあげようと思ったのに、忘れてたわ。うちの主人が岩手出身で、たくさん送られてきてねぇ……」

 そう言って、一人がバッグをごそごそと探りはじめる。機関銃や爆弾が出てくるのではとマーリアの目がいよいよ細くなり、ナオトはいよいよ顔色を青くした。

「だけど、外国の子の口に合うかし──」

 へきがんがカッと見開かれ、ナオトが止める間もなく、両手をオバさんへ伸ばした。

 オバさんが! と身をこわばらせるナオトだが、オバさんは無事だった。

 ただ丸くした目で、バッグから出したビニール袋をしっかと握るマーリアを眺めていた。

「こ、これは、茎ワカメ……!」

「あら、知ってるの? 海外で有名なのかしらぁ」

「もちろんです。天下の日本食でありながら、有志制作の【ゲテモノを除くVRSNSで味・食感を正確表現できていない珍味百選】に選ばれ続けている謎の食べ物……」

「そのままでもいけるけど、つくだににしてもいいし、ウチはしたでして塩を抜いてるわねぇ」

「ツクダニ? シタユデ? 詳しくおねがいします」

 とりあえず、危機は脱したらしい。ただ、気になることがあった。

 ──今夜、ウチのアパート、爆発しないよね?



 アパートに戻ったころには夜になっていた。

 そのあいだも注意を払っていたが、結局、〝敵〟は現れなかった。モールの追跡者も、痴漢かなにかだったのだろう、という結論に落ち着いた。

 一安心し、ナオトは先にお風呂を使わせてもらった。

 湯にかりながら、ナオトは今日のことを思い出して微笑ほほえんでいた。

 身体からだも神経も疲れ切ったが、なんだか楽しかった。

 とくによかったのは、マーリアとなんミキがともだちになったことだ。人の交友関係を心配できる身分ではないことは承知している。だが、理屈抜きでうれしいことだってある。

 そのせいか、つい長風呂になってしまった。風呂からあがり、着替えていると──。

 ガンガンガン!

 リビングから鉄の殴打音が聞こえ、驚いたナオトはバスルームを飛び出る。

 そして、工具でテーブルやベッドを分解しているマーリアを目撃した。

 マーリアは茎ワカメをポリポリかじりつつ、テーブルだった木板とベッドマットとを重ね、一つの防壁にしていた。

「モールでは無事でしたが、そろそろ対策しておくべきです。──そちらを持って」

「た、対策? っていうか……」

 ──家具の大半は備え付けで、壊したら弁償しなきゃダメなんだけど!

 すでに手遅れだと悟り、ナオトは防壁の片端を持った。マーリアはそれを玄関通路に設置すると、つぎにベランダ戸や窓のブラインドにアルミホイルと木板を貼っていく。

「急場では、これが限界。しかしアパートのセキュリティとわたしのデバイスをつなぎましたから、〝敵〟の接近も検知できます。迎撃から撤退くらいは可能でしょう」

 マーリアは腰に手を当て、ナオトは達観気味に、ゾンビ終末物のシェルターみたいな有様となったリビングを見回す。

「あとは……室内の障害物を増やし、ざんごう化するだけです」

 まだじゆうりんしたりないのか、そしてハマったのか、マーリアは新たな茎ワカメをくわえると、ノコギリを手に壁際の棚へと向かう。しかし、その手前で止まった。

 どうしたのかと寄ると、彼女は棚に飾ってあった写真立てを手に取り、じっと見つめていた。映っているのは、遊園地を背景にした小さな子と、それを挟んで笑う平凡な男女だ。

「これは?」

「あっ、おれのお父さんとお母さん。ええと、でも、その……」

 下手に濁すと、あとで打ち明けたときが面倒になる。ナオトはしかたなく告白した。

「……亡くなった。二人とも」

「それは六年前の【六・二〇】で?」

「【六・二〇】?」

 とつぜん世界同時テロの話を持ち出され、ナオトはきょとんとする。

 マーリアも、自分で何を言っているのかと驚いている様子だった。

「いえ、十年前に交通事故で亡くなったのでしたね。あなたの経歴は覚えてきたはずなのに……ナオト、なぜ笑っているのですか? わたしも記憶を違えることくらいあります」

「あっ、ごめん、そうじゃないんだ」

 ほんとうに死に関心がないらしい。また笑ってしまい、マーリアをより不機嫌にさせた。

「ちがうんだ。うれしくてさ。あ、いや、お父さんたちの死が嬉しいわけじゃなくて……」

「では、なんですか」

 マーリアは腰を据えて聞こうとソファに座る。

 あらがいがたいけんまくだったので、ナオトも向かいに座り、すこしずつしやべった。

「ええと、まえも言ったけど、おれ、ともだち、いないんだ。同級生には一人もいない」

「それと両親の死に、なんの関係が?」

「親がいないってわかるとさ、ちょっと距離を置かれるんだ。気遣ってくれてるんだろうけど、線を引かれてた。自分で超えなきゃいけない線なのは、わかってたけど……」

 いつだって、線の向こうはとても魅力的だった。だが、自分がそこに混ざって、明るいとは言えない家庭を知られたとき、その活気に影をもたらしたら?

 それが怖かった。そうして、気づけば人と話すこと自体が怖くなっていた。

「だから、マーリアがその線を無視してくれたことがうれしかった。それだけ」

 ──いまも、茎ワカメをポリポリみながら聞いてるわけだし。

 マーリアはワカメをくわえながら、ゆっくりいてきた。

「……ひとつ、質問が。あなたは両親が好きでしたか?」

「大好きだったよ。すっごく。いまも大好きだ」

「その死の記憶はつらくないのですか? 忘れたくないですか?」

 冷えたへきがんが、ナオトを見つめる。

「あなたは記憶をL・O・S・T化できる。両親の記憶と死をL・O・S・Tすれば、無関心になれる。場所も時間もわきまえない、あの無遠慮な苦痛と縁を断てます」

 無遠慮な苦痛。それがなにか、すぐわかった。だれもいない家に帰ってきたとき。ベッドで毛布をかぶったとき。前触れもなくやってくる、心を引き絞る苦痛だ。

「昔のわたしも同じ苦痛を味わっていたようです。見るにえない姿の記録でした。あなたも、両親の記憶に悪影響を与えられているなら、L・O・S・T化すべきでしょう」

 事実だろう。忘れれば、きっと自分から線を超えられる。精神的五大欲求の増幅は、そう怖くない。人格が変わる? 結構。いまよりひどいことにはならないはずだ。

 それでも、なぜか嫌だった。それが顔に出たらしく、マーリアが眉をひそめた。

「どうしてためらうのですか? その苦痛に名残惜しさでも?」

「いや、ちがうよ。でも……」

「でも?」

 マーリアはやけに粘着質だった。理由は理解できた。だが、語ることは避けた。

 どうも、マーリアも決して強いばかりではないようだから。

「……ええと、疑問なんだけど。L・O・S・Tを作ったら、おれ、心が強くなるよね」

「はい。そして心が強くなれば、あらゆる能力も向上するでしょう」

「それさ、おれに勧めていいの? だって、マーリア、〝敵〟をどうにかしたあとは、おれを捕まえるんでしょ? そのとき、おれが強くなってたらマズくない?」

 どうやら、そこまで考えが行き渡っていなかったらしい。

 ポリポリポリ……と、茎ワカメを噛む音だけが延々と響いた。



 夜十時。さて寝ようとしたとき、ベッドが解体されたことを思い出した。

 ソファはマーリアが使っているし、どうしようかと悩んでいると……。

「寝る支度をします。手伝ってください」

 学校ジャージに着替えたマーリアは、なぜか押し入れに詰めていた毛布類をいっぱいに抱え、それをナオトに半分持たせてから、キッチンのほうへ向かった。

「キッチンは迎撃に最適です。外から射線が通らず、可燃物も包丁もありますから」

 言いながら床に毛布やキルトなどで獣の寝床みたいなものを作り、ブーツと緊急用品が入った登山バッグ、そしてナオトのスニーカーをその横に置いた。

「あの、マーリア? おれは、どこに寝れば?」

「ここで。無論、わたしもここで。──では、おやすみなさい」

 マーリアは毛布を集め、丸くなる。と思えば、もう寝息を立てていた。

 ナオトも毛布をかぶり、睡魔を待つあいだ、さっきの話を思い出していた。

 マーリアは、両親の記憶のL・O・S・T化を勧めてきた。しつようなほど。

 あれは、自分のためだ。

 両親とその死の記憶をL・O・S・T化したことが、誤りではなかったと信じたいのだ。彼女の中では、いまも疑問がくすぶっている。自身が気づけないほど、小さな火だが。

 ……やっぱり、簡単に忘れていいものじゃないよね?

 それが、苦痛の呼び水になった。両親との何気ない会話、叱られたこと、言い返したこと。平凡だが満たされていたころの記憶が、痛みに変わっていく。

 鼻がしびれ、目をきつく閉じる。救いを求めて手を動かすと、温かい指先に触れた。

 なにかの生理的反射か、その長い指は、ナオトの手を優しく包んでくれた。

 そのおかげだろうか。苦痛が胸の奥へ戻っていくのが早く、ナオトは眠りにつけた。

 いずれこの手に殺されるかもしれない。そんな事実も忘れて。



 これは、情報社会の危険性。その中でも最悪のケースだった。だから強烈な情報規制が行われた。その効力はすさまじく、たった六年前の事なのに、カンナも覚えていなかった。

 そうして、目まぐるしく生まれる新事件に埋もれていった。

 人間がここまでみにくくなれることを、時間と、国々、そしてVR企業が抹消したのだ。

 ひとりの少女と共に。

 自宅アパートで、カンナはひとり泣いていた。オフラインにした据置端末でアーロンから渡されたメモリ・スティックの中身を見て、自己嫌悪に打ちのめされていた。

 この惨劇を生んだ卑劣な人たちと、自分が同質という事実に打ちのめされていた。

 リンクデバイスに秘匿通信の着信があった。非通知だが、カンナはすぐ通話に出た。

「……見たわ。これは、マーリアの、この過去は、真実なのね?」

『きみなら見抜けるとわかっていた』

 相手はアーロンだ。優しげな言葉だが、いまのカンナには皮肉にしか聞こえない。

 マーリアの過去は、人類の本性を暴いた。貧富も国籍も人種も超越した、グロテスクなまでに純粋で、だからこそ隠し通さなければならない人間の本性を。

「あなたは、わたしになにをさせたいの?」

『時がきたら、契約を思い出してくれ。きみを救えるのはおれだけだ』

「だれから救うの? 救うのはわたしだけ? くんを見殺しになんかしないわ!」

 カンナは声を荒げるが、答えはない。しばらくして、通信が切れていることに気付いた。

 アーロンの行動は〈ウルヴズ〉から逸脱している。組織を出し抜いて、独自にR・O・O・Tを得る気かも。だとしたら、危険要素が追加されたことになる。

 調べなくてはならない。だが、手がかりはマーリアの過去だけ。

 ……わたしには責任がある。カンナは、その過去を調べはじめた。

 その責任感も、かつてマーリアを地獄に落とした人の業の言い訳に過ぎないと知りつつ。



 レストランのVIP室で通信を終えると、アーロンはクツクツと笑った。

 自分の目は正しかった。カンナは、もしもの時に使える。

 そしてデスクに表示したテキストは、〝もしも〟が高確率で起きることを示していた。

「このビルにいけ。おまえが望んでいたものが手に入るだろう、ね……」

 ナオトをマーリアたち、そしてR・O・O・Tと引き合わせたメールだ。調査してみたが、送り主はわからない。高度な偽装手続きが行われている。

 当然だなと腕を組むと、ドアがノックされた。廊下のカメラ映像を出すと、扉前にいるのは従業員。しかしアーロンは拳銃を右手に取り、後ろに隠しながらドアを少し開けた。

「なんだい? お嬢さまならともだちのところだぞ?」

「いえ。本社から、警備担当のトーレスさまへお届けものです」

 従業員は小箱をアーロンに渡すと、会釈して去った。アーロンはその背にぎこちなさがないことを確認すると、ドアを施錠してから小箱を開けた。

「……さーて、プラチド。あんたがどんなヘマをのこしたか、見てみようじゃないか」

 小箱の中身は、リンクデバイス。ファミリーでも、鋭い者は気付きはじめているだろう。臆病者のプラチドが、突如、あんな大冒険に出たという不可解さに。

 その理由に至る唯一の道は、自分の手にある。自分が持っている限り、だれも真実を消せず、また、届かない。まだツキが残っている証拠だ。

 アーロンはまたニヤつき、さっそくデバイスの解析にかかった。