五章
翌日、一年二組内で、マーリア周辺にエアポケットが形成されていた。
美人は、それだけで威圧感がある。それに彼女は身なりが良かった。ブランド物のカーディガンに、高級車の送迎。リンクデバイスは超高級カスタム品。クラスメイトたちは、封建時代の貴族と同席した農民の気分を味わい、目を合わせることも恐れた。
マーリアは、クラスで孤高の人となっていた。
「うへぇ、なんで
「つっても大した額じゃねえだろ。なに投資家ぶってんだよ」
「損益評価マイナス六〇〇円よ! 六〇〇円でなにができるか知ってんのか、
昼休みの教室は、いつも明るい。しかし、今日はその陽気さもどこかむりやりに感じた。全員が、教室内の異物を忘れようと努めているようだった。
その異物──マーリア本人に、チラチラと向けられる視線を気にしている様子はない。堂々としている。堂々と、教室の真反対である窓際席のナオトを見つめていた。
怖い。ナオトはパンをモソモソ食べているが、味がしない。
まさか、ここで襲ってこないよね? と、マーリアを見て、あれと小首をかしげた。
マーリアが、中央付近の空席に移動していたのだ。ナオトはあわてて視線を外した。
──え? ほんとうに襲う気? こんなに人がいるのに?
いや、電賊を常識で推し量れるか? カンナによれば、マーリアは無数の書類を偽造し、適切な人に適切なカネを握らせて、ナオトと同じクラスになったそうな。
電賊は、現実でもそれほど自由に振舞えるのだ。
ナオトは恐々とまた横を見ると、視界が
それがマーリアの
「ぴっ……!」
ナオトは横っ飛びし、後頭部を窓枠に打ち付けて椅子から転げ落ちた。
頭が痛い。右腕と肩が痛い。みんなの視線が痛い。なにより、心臓が痛い。
混乱していると、綺麗な手がさし伸ばされた。
「平気ですか? あなたの脳は無事でなければ困るのですが」
「え、あ、う」
「まだ襲いませんから安心を。それより目立っています。注目は、グリッチャーの敵です」
その顔とカーディガンで言う? と思うが、手を取ると、マーリアは起こしてくれた。
「ええと、それで、ポロヴェロージさん?」
「マーリアでいいです。わたしもナオトと呼びます」
「じゃ、じゃあマーリア。まだ襲わないって言ったけど、どうしておれを見てたの?」
「観察です。昨夜、師に怒られました。プロならば、まず環境に適応しろと。しかし……」
マーリアは教室内を見回すと、クラスメイトたちが順繰りに視線を
「これは適応とかけ離れている。──ナオト、どうすれば学校に適応できますか?」
「えっと、どうしておれに
「わたしと接点があるのはナオトくらいです。さあ、教えてください」
「お、おれも
「ですね。……しかし、友人がいない。孤独でも学校生活が可能なのですね」
「ええとー、その、もうすこし言葉を選んでくれたらうれしい、かな?」
他人と行動する必要はない。そう考える人もいる。だが、ナオトは友達がほしい。
孤独に納得できていない自分も、学校に適応できていないのだろう。
いやいや、自己嫌悪に陥っている場合ではない。マーリアと距離を取らなければ。だが、どうやって? ナオトが考えながらメロンパンの封を切っていると……。
キュウウウウウウウウゥ。
真横から、盛大な腹の虫が聞こえた。ついつい目が向かってしまい……。
「いや、だから近いって! 怖いって!」
ふたたびマーリアの
「……そういえば、ずっとおれを観察してたけど、お昼ごはん食べないの?」
「日本は給食制だと聞いていたので、用意しませんでした」
「しょ、小・中学校のほとんどはそうだけど……一階に学食と購買があるよ?」
「仕事用口座に対応していませんでした。新たな口座を用意して送金手続きしましたが、完了は午後四時。やはり、すこしは現金を持っておくべきですね」
「でも電賊でしょ? 購買も食堂も、三大VRトークンになら対応してるよ?」
「よくある勘違いですね。一流の電賊はVRトークンを使いません。なぜなら──」
ふたたびキュウゥゥゥゥという長い音が鳴り、説明を遮る。
口を閉じ、ナオトのメロンパンをジッと眺めるマーリア。
この人は、自分の命を狙っている。重々承知しているが、
「……食べる?」
「いただきます」
マーリアはすんなりパンを受け取ると、上品かつ高速にメロンパンを胃に収める。パンが消えると、マーリアは、ナオトの机にあるコンビニ袋を見つめた。
「ええとー、まだ三つくらいあるから、食べていいよ?」
「では遠慮なく。お返しは資金移送が完了したら、かならず」
「いや、気にしなくていいよ」
「たしかに。いずれ、あなたを殺すのですから、その必要はないですね。……ああ、言い忘れていました。放課後、わたしのアジトへ来てください。ミドウ市内にあります」
「えっ、やだ。拒否権は?」
マーリアは菓子パンを
「状況は急迫しているようです。断ればこの
「で、でもでも、昨日は──」
「事情が変わったのでしょう。ですから、もし、また邪魔する者がいれば……」
マーリアは制服ブレザーの左脇に右手をつっこみ、カチリと金属音を鳴らす。
仮想世界で何度か聞いた音。拳銃の撃鉄を起こす音だ。
「わかった。いくよ……」
「結構。ところで、まだパンはありますか?」
「……おれ、現金あるから購買で買ってきなよ。逃げないよ。逃げれないのは、知ってる」
そうしてマーリアは五百円玉を握りしめ、軽やかに教室を出ていった。
まいった。ナオトが頭を抱えていると、ふと、周りの目が気になった。
みんな、女王に
そしてその勘違いは、正解からそれほど遠いというわけでもなかった。
──ごめん、ミッチェルさん。色々教えてくれたのに、時間、稼げませんでした。
放課後。マーリアと学園の駐車場で待っている間にそんな
「ま、マーリア? 注目は、グリッチャーの敵なんじゃ……すっごく目立ってる気が……」
「我々の組織には【
組織──イタリア系マフィア〈ウルヴズ〉か。だが横断歩道を渡る小学生たちの前で止まり、「かっこいー」と歓声を浴びるのは、あまりマフィアらしくない気がする。
そんなこんなでオフィス街に出ると、一角にある高級レストランの駐車場に停車した。
「ここは我々のフロント企業のひとつ。わたしのいまの偽装身分は、ここの本社役員の娘なのです。店の者はみなカタギですから、安心してください」
待っていた従業員が車のドアを開け、足元にブランド物ハイヒールを置く。マーリアがそれに履き替えて店へ歩いていく途中、従業員は
──ほんとうに、〝お嬢〟みたいだなぁ。
「お客さま、お召し物は?」
「へい? え、あ、いいです、平気です!」
ナオトは車から降り、マーリアを追う。ここまで来たら、流れに身を任せるのみだ。
さすがVR企業が結集して作ったミドウ市の高級レストラン。広い店内では、紳士淑女がすごい規模の商談を世間話に交えていた。ナオトは完全に場違いだったが、マーリアは当然のような顔で二階奥にあるVIP室へと向かった。
「戻りました」
VIP室は、高級ホテル然とした部屋だった。しかしダイニングテーブルには料理の代わりに無数の立体ウィンドウが展開され、
「おー、きたか。薬を打ってないってことは、きちんと説得できたってことだな?」
「「説得?」」
マーリアとナオトが小首を
「お嬢から聞かなかったのか? 事情が変わって、きみを守らなきゃならなくなったって」
「おれを、守る? どうして? これから、おれの脳を奪うんじゃ……」
「まて、まった。聞いてないんだな? なら、どうしてここへきたんだ?」
「それは、マーリアが、従わなきゃ拳銃を使うって……」
アーロンが
「拳銃を使うとは言っていません。プロらしく環境適応中ですから」
「うそ! 撃鉄を起こしてみせたじゃん! もし邪魔者がいるなら、とも言った!」
「邪魔者がいたら……そう、穏便に対応するつもりでした」
アーロンは
「……トージョーさん、お嬢ならうまくやるって言ってましたよね?」
『とにかく、かれはきた。重要なのはそこだ、アーロン』
通信ウィンドウに映っていたのは四、五十代ほどの日系人男性。厳格そうな男で、葉状の
『わたしはトージョー。〈ウルヴズ・ファミリー〉の相談役であり、マーリアの師匠だ』
「おれはアーロンだ。いちど会ったな? あのときは、悪かった。R・O・O・Tはほかの人が触れても何も起きなかったのに、まさか、きみがインストールしちまうとは……」
そうだ、あなたのアイコンタクトのせいでこんな目に遭ったのだ! と、声を張りあげる勇気はない。
「あのぅ、それで、おれを呼んだわけは? ええと、脳を奪う以外に」
『我々はまだきみを
「……だが、きみとおれたちを襲った〝敵〟はちがう。おれたちの見立てでは、すでに現実の回収チームをミドウ市に送りこんでいる」
敵。ミッチェルを雇った人たちか。
ナオトは
「あの襲撃で亡くなってしまった皆さんの
アーロンとトージョーが通信越しに顔を見合わせる。それから、二人
「変な子だな、きみは。自分の命を狙っている連中の死を悼むなんて」
『我々は悪党だ。ああいう死も覚悟していただろうし、していなかった者は、愚か者だ』
「で、でも──」
「話を戻しましょう」
ソファに腰かけたマーリアが、ボウルに入ったカットフルーツを
「〝敵〟はR・O・O・T回収準備を終えている。一方、〈ウルヴズ〉はその
弟子の説明を、師匠トージョーが引き継ぐ。
『告白すれば、我々は行き詰っている。準備完了まできみを野放しにしたら、確実に先を越される。かといって、いま拉致したら? きみは隙を見て逃げようとするし、なにより、あのリオニを操るグリッチャーだ。我々にとって、最悪の二面戦争となる』
──そりゃあ、逃げたいけれど、抵抗する勇気なんてどこにもないですよ?
というのは、黙っていたほうがいいらしい。ナオトは口にチャックして続きを聞いた。
『ミドウ市にいる〈ウルヴズ〉はこの二人だけ。規模不明の〝敵〟に対応するなど不可能だ。……だが、グリッチャーが三人でチームを組めば、話は変わってくる』
三人? ナオトはマーリアを見て、つぎに
「お、おれ? おれが戦うんですか? むりですよ!」
「
アーロンはウィンドウ群から二つを取り、ナオトへ放る。表示されていたのは黄金
「なにも〝敵〟を殺せとは言わない。この蛇とトンボのL・O・S・Tを操る敵グリッチャーを見つけ、どこのだれだか調べるのを手伝ってくれればいい」
『〝敵〟の情報を得たら、〈ウルヴズ〉が
「あの、でも、そのあとは?」
『何事も流動的だからな。うかつな言葉は吐けない。しかし、ひとつ断言しよう。この共闘が成功すれば、おたがい、頭痛の種がひとつ消える』
一見、救いに感じた。しかし、いま、かれらがナオトを捕らえられていないのは〝敵〟がいるからでは? それを追い出したら、
とはいえ、ナオトが一人でいたら、すぐ〝敵〟に殺される。それは明白だ。
悩むナオトを見かねたのか、トージョーが機械的に付け足した。
『……これは〝契約〟であり、いままでのは、わたしたちの要求だ。つまり、きみにも要求する権利がある。しかし、
要求。ナオトはハッとした。
「あの! でしたら、部長──じゃなく
『彼女は最初から保護対象にある。きみの弱点だ。彼女が〝敵〟の手に落ちれば、きみは従わざるをえなくなる。我々電賊は使わない手だが、〝敵〟もそうとは限らない』
だから、それは要求にならないと言う。ずいぶん紳士的だ。電賊にとって〝契約〟とは、神聖なものなのだろう。しかし、どうする? 自分の助命は、当然、拒否される。
──いや、助命? それだ。
「あのぅ、一昨日、仮想世界で襲ってきた人たちは……?」
「流れ者どもか? ボス・フォルナーラ──うちのトップがおかんむりでね、もうほとんど始末したから平気だ。あとは、グリッチャー・ミッチェルだけだが」
「で、でしたら、ミッチェルさんを追うのをやめてくれませんか?」
無言。アーロンが
代表して疑問を口にしたのは、マーリアだった。
「……あなたとミッチェルには、過去になにか
「いや、あれが初対面だけど。ほんとは、襲撃してきた人全員を助けたかったけど……」
「意味不明です」
「おれが原因で、これ以上、だれにも死んでほしくないんだ」
「あんな小物のために貴重なカードを切るのですか?」
立ちあがり、詰め寄ってくるマーリア。
その顔には、なぜか
「わからないのですか? この要求次第で、あなたの価値が──」
『……いいだろう。ボス・フォルナーラも、きみの信頼を得るためなら納得するはずだ』
マーリアがトージョーの映像へ振り返る。その隣では、アーロンもうなずいていた。
「一苦労ですがね。がんばって
「まってください、二人とも。変に思わないのですか?」
事を進めていくトージョーとアーロンに、マーリアは語気を荒くする。
「この要求は不審です。〝敵〟、あるいは〈レッド・ソー〉と関係している可能性が──」
『いや、妥当だ。ボスを納得させるのは困難だが、ミッチェル程度に状況を左右されるとは思えない。契約の釣り合いは取れている』
「わたしが言っているのは、かれの思惑です。どうしてミッチェルを──」
「それが〝普通〟なんだよ、お嬢」
すでに報告書の作成をはじめつつ、アーロンがしみじみ言った。
「普通なんだ。極めて
「……稀で、普通? ますます混乱します」
マーリアは答えを求めてナオトを見るが、衝動的な提案だったのだ。うまく言葉にできず、首を振るしかない。それで、マーリアはもっと不機嫌になった。
ナオトはマーリアから距離を取りつつ、トージョーへ
「と、ところで、守ってくれるって、このお店に
『いや。〝敵〟も裏の者なら、ここが〈ウルヴズ〉の店だと知っている。副次的被害を考慮せず、むしろ大胆な攻撃をしかけてくるだろう。防御構築の時間も人員もない』
これは闇で
『
護衛。自然と、視線がアーロンへ向く。あの
「ええっ? マーリア?」
「わたしでは不満ですか? 現実戦闘でも、アーロンに引けを取りませんが」
アーロンは苦笑いするが否定せず、トージョーもうなずいた。
『〝敵〟の捜索に関してはわたしに任せてくれ。手がかりを
マーリアの腕は疑っていない。懸念はそこではないのだ。
一日中張り付くとは、つまり……。
「では、わたしはナオトのアパートへいきます。アーロン、このアジトは任せました」
──ああ、やっぱりそういうことなんだ。
『よし。これから〝敵〟の対処が完了するまで、きみたち三人はチームだ』
トージョーが
「〈ウルラート〉。うちのチーム用通信アプリだ。高速秘匿連絡にバイタル確認、合流ログイン、高度代理入力などができる。ま、フレンド登録みたいなものだね」
ポンと、承諾と拒否のパネルが表示される。
逃げる潮時は逸した。ナオトは力なく承諾を押すと、項目に自分の名が追加された。
『よし。〝敵〟の対処を終えたら、
宣言が終わると、マーリアは隅に置いてあった大きな登山バッグを背負った。
「ではナオト。しばらくのあいだ、よろしくお願いします」
契約を終えると、トージョーは席を立ち、近くの窓から差しこむ陽光に
『……これでナオトくんの安全は確保され、〝敵〟グリッチャー二名の情報収集の
開きっぱなしの通信ウィンドウからアーロンの声が届き、トージョーは振り返る。
「ボスに、
『もちろん。ナオトくんはR・O・O・Tを使い、自身の目的──自分もお嬢も、ミッチェルすらも生かすことを成功させた。並のグリッチャーがやろうとしたら、だれかが死んでます。R・O・O・Tを差し引いても、才能がありますよ、かれには』
「そして、マーリアに与えられた使命はR・O・O・Tの回収。それはR・O・O・Tが入った脳でも、R・O・O・Tを操る新メンバーでも、同じことだ」
先日の襲撃は、奇貨だった。
ナオトは実力を証明した。電賊も、すべてを自由に扱えるわけではない。〈ウルヴズ〉でもだ。グリッチャーを捕らえ、国外へ連れ出し、生きた脳を取り出す? かなりのコストがかかるだろう。しかし、そのグリッチャーが、ボス
この最高の結果へ至る障害は、たったひとつ──。
『で、どう〈ウルヴズ〉に誘うんです? あれはカネで釣れる子ではないでしょう』
「人は変わる。グリッチャーですら。この共同戦線で、かれは様々なことを目にするだろう。心変わりするのに、十分なものを」
『なるほど? それと同時に、かれを守るお嬢も、日常で様々なものを見るわけだ。……学校に転入させたのは正解でしたね』
画面に映るアーロンは、口端を持ちあげていた。
「結果的に、と言いたそうだな?」
『対象監視だけならもっと良い手がいくらでもあった。──理由は〝これ〟ですか?』
アーロンが自分の左目を指差す。
いま、マーリアを補佐できるのはかれだけだ。打ち明けてもいいだろう。
「……おまえの想像どおりだ。学校生活体験も、その一環だ」
『償い、ですか?』
「そんな大層なものではない。ただ、自分の責任を果たしたいだけだ」
──六年前。トージョーがまだ次席幹部で、セキュリティ事業を任されていた頃。
かれは、ある護衛契約を結んだ。依頼人は、最高の護衛を必死で探していた。
必死で当然。かれらは、あの【六・二〇】で使用された猛毒アプリ〈ヴァイパー〉のアンチソフト開発を担当するライフシェル社のチームだったのだから。
だから、最高の警備を求めた。現実・仮想両面の攻撃を防げる者たち──電賊を。
そうしてトージョーは〈テイルズ〉を指揮し、研究施設を守ることになった。
そして、失敗した。大失敗だった。
最大のミスは、人事記録にない者の生存に気付かぬまま撤退したことだ。チーム責任者の夫妻が、職場に娘を招いていることをトージョーも〈テイルズ〉も知らなかったのだ。
ひどいミスだった。二年後、別企業がアンチソフトを開発し、〈無二の規範〉も
心をボロボロにした彼女を見つけ、グリッチャーになっていると知ると、過酷な人生に屈しない力と電賊という人生を与えたが、これは責任と呼べない。
「わたしはマーリアを社会へ戻す。L・O・S・Tを奪われたのは、いい機会だ」
『そして対象──いや、ナオトくんが、いい子だというのも』
トージョーも同意する。ナオトは純粋な子だ。
そばにいれば、おのずとマーリアが失ったものに影響を与えるだろう。
『……たしかに、これほどの仕事をやり遂げれば、ボスも脱退を許可するしかない。監視はつくでしょうが、お嬢は普通の生活ってやつを送れる』
マーリアを気に入っているアーロンにとって、これほど
しかし、かれの顔は曇っていた。
『でも、お嬢が社会に戻ったら、入れ替わりに、初めて
二人は黙考する。
やがて計算不能だと理解し、アーロンは首を振った。
『じゃあ、おれは
アーロンは別れを告げ、通信を切る。
一息つく間もなく、こんどは来客があった。下部組織〈テイルズ〉の副官マイクだ。
「チーフ、獲物から送金を確認しました。
マイクの報告を聞きながら、トージョーは別の考えを巡らせていた。
「……マーリアの方で、急ぐ必要が出てきた。動ける人数は?」
「〈テイルズ〉四〇名中、十二名が治療中です」
「負傷したのか? いや──」
トージョーは言葉を切ると、繊細なガラス細工を扱うような慎重さで
「難しいと思うが、全員、万全の状態で動けるようにしてもらいたい。可能か?」
「もちろんです。すぐ準備に入ります」
マイクは溌剌と一礼し、部屋を出ていく。
室内に静けさが戻ると、トージョーは右目を閉じ、左の義眼の光も落とした。
「R・O・O・T、か……」
あれがなにか、トージョーも知らない。だが、なにを起こすかは知っている。
昔、だれかがブレイン・イノセンス・エンジンという技術をぽとりと落とし、VRSNSという新世界を構築して人々を結んだ。そして【六・二〇】が起きた。
つぎに、だれかがグリッチャー・アプリをぽとりと落として、不特定多数の人間に力を与えた。そして、電賊業界という闇を作りあげた。
そして今回、だれかがR・O・O・Tという新技術をぽとりと落とした。
これはまだ波紋に過ぎない。だが、すぐ大津波に変わる。
「やはり、事を起こすのは今しかないな。……そうだろう、兄弟?」
──そして、いまこそ、マーリアを元の世界に戻す頃合いだ。