四章 隙を逃さず
──分析率二〇%──
目を閉じる。聞こえる。
──あいつよ。あの事件の唯一の生存者。
耳を塞ぐ。記憶から声が
──おまえが通報していれば、あんなことにならなかったのに。
現実から逃げ、仮想世界に没頭する。
──どうしてあなたが生きて、わたしの旦那が死ぬの? 真の研究者なら、わが子よりも優先するものがあったのでは? そのために沢山のおカネをもらっていたはずでしょ?
少女には居場所がなかった。理不尽な憎悪と、怒りと、興味に包囲されていた。
そんな声の中にいるうちに、自分がいなければ無数の命が助かったとわかった。
憎もうとした。自分を選んだ両親を。しかし邪魔が入った。三人で囲んだ誕生日ケーキに刺さったロウソクの
だから、少女はL・O・S・Tした。
この先、もう二度とあの二人とお話できないという事実を。
昨日のことは夢ではなかった。それは、右腕と右肩のビリビリした痛みが教えてくれた。
もちろん、傷はない。出血もない。しかしVRSNSで切り傷を負った右腕にはミミズ腫れが浮かび、痛みと熱を発している。背中も同じだろう。
とっても痛い。それでもナオトは患部を湿布で隠して、登校した。
デバイスに、カンナから五十四回もの着信履歴があったのだ。
──当然だよね、連絡しなかったもんね。心配するに決まってるよね?
ということで、ナオトは昼休みになると全速力で部室に向かった。
「ぶ、部長、昨日は連絡もせずごめんなさいっ!」
ドアを開けるなり平謝りするが、カンナは長テーブルに片肘をついて顔を支え、正面に表示させた立体ウィンドウを
やっぱり、怒っている? しかしカンナはナオトに気付くと、自嘲気味に笑った。
「あっ、
「いえ、部長のせいじゃ──って、あれ? 部長、昨日のこと知っている? どうして?」
「かれから聞いたから」
かれ? カンナは立体ウィンドウを指してみせる。通信アプリを起動しているそれには、金髪をワイルドなオールバックにした不愛想な青年が映っていた。
「あ、あなたは、昨日の……!」
『ミッチェル・ライドン。目標に命を救われたフリー・グリッチャーだよ、くそったれ』
そう吐き捨てるミッチェルは、全身に包帯を巻いていた。
「ケガ、したんですか?」
『昨日の仮想負傷だよ。おまえも食らってたろ』
「仮想、負傷」
『ダメージ出力の結果。ほんとにケガしてるわけじゃねえが、脳と神経とナノマシンがケガしたと〝思い込んでる〟からな。普通の手当やアプリで情報修正しなきゃならねえ』
しかし、なぜカンナに連絡してきたのだろう? 彼女まで巻き込む気か?
ナオトの恐怖を
「かれは
「で、でもでも、どうして部長に連絡を? 巻き込まれたりしたら……」
「日野くんは電賊にマークされてるから。それに、えーと、ほかに親しい人がその、ね?」
──うん。そうですね。おれ、
『まだ協力するとは言ってないぜ? おれが質問して、それに納得してからだ』
ミッチェルは包帯だらけの
それから、険のある目でナオトを見据えた。
『正直に言え。おまえは、
「え? えっと、電賊は、悪い人です。けど悪いことは、きちんと裁判を──」
『ハッ! グリッチャーはだれにも裁けねえ。世界経済の大半はVRSNSに依存してるから、公的に
ミッチェルは闇で生きる者だ。そんな人を
ナオトは諦めて肩を落とし、告白した。
「わかんないです。人が死ぬのはダメだ。そう思ったら、あのライオンが出てきて……」
自分を狙う殺し屋を助けるなんてバカらしい。そう思う人が大多数だろう。
しかし、ミッチェルは
『……くそっ、貸しひとつだ』
それから、力なく言った。
『教えてやるよ。てめーがどんな力を得て、どんな連中に追われてるかをな』
ミッチェルは立体ウィンドウ映像からホログラム体へ変わると、棚の上に腰かけた。
『グリッチャーを説明するまえにだ。……まさか、警察に通報してねーだろうな?』
「してないわよ。電賊にマークされているってのに」
『電賊なんか関係ねーよ。グリッチャーは存在が罪だ。該当する罪状なんてねーけどな』
「罪状にはない罪、ですか? どういうこと?」
ナオトが首を
『VRSNSでは無休で金融取引が行われているし、三大VRトークン自体、安全資産だ』
「安全資産?」
「多くの人から価値を信用されているおカネよ」
と、カンナが横から教えてくれる。それから、不安げにミッチェルを見上げた。
「でも、その〝人と信用〟の両方をVRSNSで破壊できるのが──」
『おれらグリッチャー。だからVR企業とあそこに投資してる機関は、裏で暗殺したり賞金を懸けてる。警察に保護されたところで、どこぞのヒットマンに居所が伝わるだけだ』
警察は頼れない。逃げる場所もない。
青くなっていくナオトの顔を見て、ミッチェルはくすくす笑った。
『わかったらしいな。頼れるのは自分自身と……こいつだけだ』
ホログラム・ミッチェルが右腕を横に伸ばすと、紫の帯状光が発生し、かれの右腕から首へスカーフのように巻きつきながら巨大ムカデの姿を形作っていく。
『こいつはL・O・S・T。記憶と感情を食って作られる、グリッチャーの仮想兵器だ』
「記憶と、感情を食べる?」
『L・O・S・Tを作れば、材料にした記憶と、その記憶のアクセス路である一部の感情を失う。だけど人間の精神はなにから作られてるよ? 大筋は記憶の蓄積だ。それを意図的に
「つまり、グリッチャーはみんな人格破綻者であると?」
ムカデを眺めながらカンナが問うと、ミッチェルは曖昧に笑った。
『グリッチャーには、その破綻を取り繕うシステムがある。人間は五つの精神的欲求を動力源としてるそうだが、そのうちの二つを膨らませて、人格の欠損部を埋めるんだ』
精神の五大欲求。
ミッチェルは五指を広げて、それを一つずつ折り曲げていく。
『他人や自分に認められたい【
「L・O・S・Tの、あの不思議な力……〝コード〟になる」
ミッチェルはうなずくと、各カラー・コードの特徴を
【力の赤】は破壊と衝撃を
『つっても、この精神欲求の増大は人格をかろうじて取り繕ってるだけだ。むしろ欲求に振り回されてるヤツのが多い。正気のヤツなんていやしねえ』
「まさに〝壊れた者〟ね。そんな連中が相手だなんて。しかも素性すらわからない……」
『おれを雇ったヤツは知らねえが、電賊のほうはよく知ってるぜ』
ミッチェルはL・O・S・Tを消すと、苦虫を
『〈ウルヴズ・ファミリー〉。イタリア系マフィアをモチーフにした巨大組織。
「……ええと、グリッチャーの発端は、イタリアってことですか?」
『正確には、グリッチャー同士の闘いの発祥地だ。グリッチャーのカラーやL・O・S・Tの構造は、ぜんぶ、あそこの初代ボス・リヴィオが見つけてルール付けたんだよ。そのリヴィオがグリッチャー同士の戦争を引き起こし、勝ち抜き、作ったのが〈ウルヴズ〉。そうさ、ヤツらが世界で最初の電賊だ。あれとやり合うなら、軍隊が要る』
「軍隊って、いくらなんでもおおげさな──」
『六年前のテロ、【六・二〇】』
カンナの
『あれに使われた〈ヴァイパー〉の治療を研究していたライフシェル社の施設は、ヤツらが警備してた。ヤツらは現実の
絶句するナオトとカンナ。負けたとはいえ、人類にとって重要なプロジェクトの護衛に選ばれるほど、強力な戦闘集団ということだ。
『ついでにナオト、てめーを狙ってるマーリアは、グリッチャー基準でもイカレだ。……デバイスでL・O・S・Tを呼び出してみろ。あいつからパクったやつだ』
ナオトは困惑しながらもリンクデバイスを
──意思検知──
ホログラム機能が起動し、机上に
『L・O・S・Tのフレーム、名前、カラーも、自分じゃ決められねえ。アプリが
「リオニ・アラディコ。ええと翻訳して──イタリア語で、紋章、獅子?」
『ああ。きっと、その物騒なライオンは、ヤツの家系紋章がモチーフなんだろうよ』
「それが、どうして彼女が……ええと、イカレっていう理由に?」
『ヤツは家族を
目的と組織のためなら、殺しも死も
カンナは、重たそうに額を手で抑えていた。
「……それで、対策は?」
『現実戦に持ちこまねえことだな。VRSNSならL・O・S・Tでやりあえる。仮想世界で
「なるほど? この情報提供も、徹底して自分のためってわけね」
『おれはグリッチャーだぜ。なんでも、やりたいようにするだけだ』
カンナの
それから、二つのデータ・ファイルをナオトとカンナへ投げた。
『電賊のスターター・キット。基本アプリ一式だ。健闘を祈るぜ。──じゃあな』
「あ、まって、まってください!」
通信を切ろうとするミッチェルを、ナオトはあわてて引き止める。
「あの、おれがインストールしちゃった、R・O・O・Tってなんですか?」
『さーな。おれはてめーを無力化しろと依頼されただけだ。だが、みんながそれを狙ってる。それほどの力があるってこった。せいぜいうまく使え』
通信が切れると、宙に浮いた二つのファイルだけが残された。
カンナは、それを注意深く眺めていた。
「……先の説明もそうだけど、このアプリ、信用していいのかしら?」
「たぶん、いいと思います」
ナオトは左手を掲げ、リンクデバイスでファイルを受信・保存する。秘匿通信アプリ、探査アプリ、自動ハッキングアプリなど。たしかに役立ちそうだ。
「どうして信じられるの?」
「昨日、あの人はほんとに怖がってて、悔しがってました。【
ナオトは弱った人の心を読むことに
さらに、マーリアから奪った──机上で
電賊に脳を狙われ、しかもグリッチャーであることがバレたら大企業に暗殺される身となってしまったが、悲観するのはまだ早い。これらは強力な武器だ。
現実で攻撃されたらどれも無力だが、その回避にもちょっと自信がある。
人を避けることだけは、きっと、だれよりも得意だからだ。
午後の授業が始まると、ナオトは教科書ウィンドウの前にシークレット・ウィンドウを重ね、昨夜のコミュニティ・ゾーンを調べていた。
なにも出てこない。あんな大騒動だったのに、どこのニュースサイトにもない。
……おれ、この先どうなっちゃうのかなぁ。
記事を閉じると、いつも騒がしい教室が静まり返っていることに気づいた。
なにごと? 教室を見渡すと、生徒たちは驚き固まっている。
そして教卓では、担任のミドリ先生が申し訳なさそうにしていた。
「──それでですね。手続きに不具合があって、こうして午後にご紹介することになってしまったのです。ごめんなさい、午前からずっと待っていたのでしょう?」
「問題ありません、ミドリ先生」
ミドリに促され、横に立っていた少女が前に出る。
彼女は静かな
「本日から転校してきた、マーリア・ポロヴェロージです。よろしくおねがいします」
簡素な自己紹介を済ませると、転入生はミドリ先生の指示で、ナオトと真逆の廊下側最奥の空席へと歩いていく。クラスメイトたちは一声もあげず、それを目で追った。
男子も女子も夢心地だ。ナオトにいたっては、魂を飛ばしていた。
──いや、いつか現実でも遭遇するのは覚悟していたけれど、早すぎない?
──しかもクラスメイトって、逃げようがなくない?
人を避けること。ナオト最大の特技が、たった一日で破られた。
夢でありますように。何度か目を閉じて祈ったが、いくら
「……ねえ。マーリアって子、どこから来たの?」
「イタリアらしいけど」
「親、VR企業の社長とかかな。朝、リムジンで送られているのを見たって人がいた」
放課後。今日の帰宅部たちのお
その隙に、ナオトはこっそり、かつ、迅速に一階玄関へと走った。
──びっくりした! びっくりした! まさか転校してくるなんて!
逃げなければ。しかし、どこに? 家で鍵をかけ、ベッドで丸くなるしかない。
そんなひどい計画すらも、
教室にいるはずのマーリアが、玄関口の検査レーザーの向こうから歩いてきたからだ。
「ええええっ、なんで! どうして! 分身できるの!」
「分身はできません。人目が
「おれたちの教室、四階だけど!」
「はい。ですから、途中で三階と二階の手すりを
そうだった。この人は、アプリ〈
「この時間の玄関ホールは、いつも一〇分ほどだれも通らないことは調査済みです」
マーリアが鞄から取り出したものを突き付けられ、ナオトは
拳銃だ。四角ばった銃身先には、四つの銃口があった。
「じ、銃! ここ現実で、日本なのに!」
「正確には四連装無線式ショックガン。撃たれても死にはしません。……おそらく」
「おそらく!」
「はい、たまに死にます。それでは困るので、抵抗せずついてきてください」
照星越しに、
ここは素直に従って、あとで機を見て逃げるしか……。
「ストップ、
マーリアのほうへ進もうとする足を、後ろから響く声が止めた。
振り返ると、息を切らしたカンナがいた。マーリアは軽く首をかしげる。
「……
「あなたこそ、日野くんが断ったらどうするつもり?」
「これで気絶させ、回収します。必要なら、あなたも。仕事の障害ですから」
「人間二人を運ぶのは大変よ? 校庭には運動部の目もある。それを、どう
「もちろん。完璧な方法を考え、いま部下に用意させています。プロですから」
「詳しい説明をおねがい。完璧だとわかれば、わたしたちも諦めがつくわ」
「いいでしょう。まず気絶させたあと、救急車を調達した部下が身柄を……むっ」
着信があったらしい。マーリアは
その後、拳銃を学校
「救急車の確保には六週間ほどかかるそうです。今日は諦めます。──それでは」
「へいっ?」
マーリアは金髪とカーディガンを
それを見送っていると、横でカンナがポツリと言った。
「やっぱり」
「え、な、なにがです?」
「さっき、ミッチェルのアプリで電賊用情報交換サイトに入ったの。彼女、有名人だったわ。〈ウルヴズ〉の
「こ、殺し屋?」
「ええ。おそろしく強く、おそろしい速さで襲い……おそろしい勢いでコケるそうよ」
コケるのか。失礼かもしれないが、ナオトはついつい納得してしまった。
ブダペストのアパートで、トージョーはテーブルに並べた拳銃やナイフを点検していた。仕事の大半は率いている下部組織〈テイルズ〉に任せているが、長年の癖は抜けない。
それにこうしていると、いまにも粋な
トージョーは応える。『おまえこそ。いつも現場で弾が尽きただの、出口はどこだのと
頭を振り、意識を過去から現代に戻す。こちらの仕事は順調だ。
では、もうひとつの仕事は? ちょうど、アーロンから連絡があった。
『どうもです。えーと、確認ですが、お嬢を学校に潜入させるプラン、平気ですか?』
「正体不明の〝敵〟のこともあるから、対象に張り付かねばならん。最善ではないが最悪のプランでもないし、マーリアはすでに
自信をもって言うが、アーロンは
「……なにか、あったのか?」
『ええと、お嬢が対象の確保に動きました。それで……あー、失敗しました』
「確保だと? 環境に溶け込むまえにか?」
『隙を逃さないっていう癖が出たんでしょう。それで、銃で対象を脅して……』
「銃? 聞き違いか? 銃と言ったか?」
『非殺傷系ですが、まあ、銃ですね。……日本で。それも、校内で』
トージョーは右目を閉じ、左の機械眼の光も消す。
一〇秒ほど沈黙したあと、脳を再起動させ、むりやり話題を変えた。
「──ところで、昨夜の襲撃の件だが」
『ボスが激怒してますよ。さいわい、あの日の客は小物ばかりで損失自体は軽微ですが』
さいわい、という言葉を強調するアーロン。
トージョーも気になったが、二人はそちらを棚上げし、目下の問題を取りあげた。
「ヤツらの狙いはR・O・O・Tだった。〝敵〟が外注したものだろう。つまり……」
『〝敵〟は、すでに対象の現実体を回収する用意ができている。一方、こちらで現地──ミドウ市にいるのはおれとお嬢だけで、まだ誘拐の準備すらできてない』
「しかも、我々は用意を一から組まなければならない」
『【悪辣な者からだけ、より悪辣に奪え】。非人道売買に手を出さないという〈ウルヴズ〉が作った業界のルールが、今回は〈ウルヴズ〉の首を締めてる。おれたちはその手のコネに弱い。あの仕事ぶりといい、〝敵〟は電賊じゃないかもしれませんね』
さすがマーリアの不足を補ってきた男だけあって、アーロンは
『方針を変えるべき、ですね。もしかしたら、昨日の襲撃は〝
「同感だ。……それと、マーリアに世間を見ろと伝えろ。これは、最優先事項だ」
トージョーは通信を終えると、武器の手入れに戻ろうとする。
しかしその手は、額へ向かってしまった。
「常識というものを、もっと重点的に教えるべきだったか……?」