三章 影にて芽吹く



 ナオトは、帰宅してすぐVRSNSライトネット・ロサンゼルス第五エリアにログインした。現地時刻・午前〇時のロス、それも仮想世界なら、それはそれはにぎやかなものを想像したが、夜空には一発の花火もないし、美麗な遊覧船も泳いでいない。

 しかし、寂しくはない。無数のネオンや街灯、窓の明かりで雑多にきらめいている。広告はホログラムではなく、壁に貼られた紙ポスター。道路では古めかしい車が濃い煙を吐き、人も各々派手な服装を選んでいるが、妙な共通感があった。

 それは、〝コミュニティ・ゾーン〟だからだ。同士が集まって土地を借り、テーマに沿って運営している場所で、ここは一九七〇年代アメリカを再現しているゾーンなのだ。

 ──自発的には一生こないゾーンだったろうなぁ。ログイン駅前でパンクな集団がたむろしているのを見てそんな感想を抱きつつ、ナオトはタクシーに乗った。

 そう。自身にメールを送った直後に届いた匿名メールの指示で、ナオトはここへ来たのだ。カンナの読みどおり、自分は電賊に監視されていたらしい。

 恐怖すると同時に、ふと思った。自分を電賊と引き合わせたメールも、匿名だった。

 となると、あれもどこかの電賊が送ったメールなのか? なにが目的で?

くん、日野くん? だいじょうぶ?』

 タクシーの後部席に揺られていると、通信でカンナの心配声が送られてきた。

『やっぱり、わたしも一緒にログインしたほうがいいわね。すこし待ってて』

「へ、平気ですってば! あっ、通信は切りますね。へんに疑われたらマズいですし」

 そう言って通話を切るが、すこしも平気ではない。おどおどと目が動き、車窓の向こうに、このゾーンで唯一輝いている立体広告を街灯上で見つけた。公式運営広告だ。

 ──あらゆる壁を超えて、あなたを運命の下に、か。

 超えてはならない壁もあると思うが、超えてしまったからには仕方ない。

 それが運命ならばと意を決し、ナオトは前に見えてきた高層ビルをにらんだ。



 百年前にもエレベーターがあったとは驚きだ。

 ナオトは電賊に指定された高層ビルのエレベーター内でそんなことを考えていたが、ペントハウスがある屋上につくと、さらに面食らうハメになった。床の大半がプールで、その上に石造りの道が張り巡らされている。陽気なディスコナンバーが歌われる中、そこを上品な客や、麗しい女性たちが行き交っている。なにかのパーティのただなからしい。

 入口近くの人にジロジロと見られるし、屈強なガードマンたちもいるが、ナオトは恐れより赤面してしまう。そのうちに「あらまぁ」と声をかけられてしまった。

 振り返ると、従業員らしいれいな大人の女性が薄く微笑ほほえんでいた。

 下着みたいなかつこうをした女性が、だ。

可愛かわいい子。ウチの新人……じゃないわね。なら、お客さんね。どこの子かしら」

「え、あ、う」

「ま、ここに入れたのなら招待をもらったんでしょ? わたしは男しか取らないけど、あなたならいいわ。すごい体験をさせてあげる。ここには魔法がかけられているのよ」

 女性はナオトの手を取ると、どこかへいざなおうとプール上の道を歩きはじめる。

「──待ってください。その客は、わたしの待ち人です」

 その女性を、りんとした声が止めた。一緒に振り返ると、背後にいた人物を見て女性はきょとんとし、ナオトはギョッとした。

 黒ドレスをまとう、金のポニーテールの美女。〝お嬢〟と呼ばれていた電賊だ。

「あらあら、今夜はいけない子がよく紛れる日ね。あなたは?」

おおかみ。そしてそれは、狩りの獲物です」

「……上の人ね。残念、可愛い子だったから」

 女性はナオトの手をするりと離すと、れんびんの視線を残して去っていく。

 残されたナオトは、プール上の歩道で、ひとり電賊のお嬢と向き合うこととなり──。

「うわぁ!」

 いつのまにか、どでかいリボルバーを向けられていて、すぐさま両手をあげた。

 その反応に、お嬢は小首とポニーテールをかしげる。

「なにを? このゾーンは我々の縄張りであり、主催者は下部組織。客も税理士や銀行家など外部協力者だけ。環境利用は不可能です。はやく手札を切るべきでは?」

「えっと、おれ、話をしにきただけなんだけど……」

 黒眉をひそめるお嬢。その困惑顔で、彼女が自分とそうとしが違わないとわかった。

「その、R・O・O・Tだっけ? やっぱり見当たらないし、でも、専門家にしか見つけられない領域にあるかもだから、そっちで調べてもらって、お別れしたいなーって」

 いつ弾丸が飛んでくるかわからない恐怖で、過剰な早口になる。

 お嬢は理解したらしいが、まだ疑っている様子だった。

「あなたは、どうして、あの日、あのホテルに?」

「おれ、VRSNSの怪奇現象を追ってて。こないだ、匿名メールがきて……ほかのビルのリード表に、そのメールにあった位置指定子を打ったら、あそこへ勝手に……」

「つまり、巻き込まれただけと。……では、不幸としかいいようがありませんね」

 そしてカチリと親指で撃鉄を起こし、ナオトを仰天させた。

「これから、あなたは重度の仮想負傷を負い、現実で病院に運ばれる。のちに、わたしが肉体を回収しにいきます」

「ちょっとまって! 回収って、おれ、返すつもりなんだけど!」

「……下手に抵抗されて致命打を与えては困りますし、いいでしょう。説明します」

 教えてくれるのはありがたいが、そのあいだも、銃口は動かなかった。

「あなたはR・O・O・Tを持っている。あれは〝グリッチャー〟と同質の物のようです」

「ぐ、グリッチャー?」

「我々のようにVRSNSを破壊できる者。またその力。とても重いアプリで、デバイスではなく、より大容量の記憶媒体に保存されます。R・O・O・Tも同じなのでしょう」

「その、大容量の記憶媒体って?」

 お嬢は左手の指で、自分の側頭部をとんとんとたたいてみせる。

 それが意味するところは、つまり……。

「……まさか、おれの脳にR・O・O・Tが?」

 お嬢がこくりとうなずく。

 ああ、神さま。涙目で夜空を仰ぐナオトを慰めるように、お嬢は言った。

「平気です。脳を取り出し、データを抽出する方法はあります。グリッチャー・アプリはそうやって他者へ継承できますから、R・O・O・Tも可能でしょう」

「脳を取り出すの? その手術を受ける人が、死んじゃう確率は?」

「……? 脳をまるごと無くして、人間は生きていられないでしょう?」

 なにを当然なことを、とばかりに返された。これはヤバい。

 顔を真っ青にするナオトだが、お嬢は背後のエレベーターのほうを見ていた。

「……これがあなたの手札ですか?」

「へいっ?」

「ちがうようですね。つまり、あのときの〝敵〟ですか」

 お嬢が謎の言葉をつぶやいた瞬間。

 エレベーターが開かれるなり、光とさくれつおんが飛び出してきた。



 ナオトはお嬢にパーカーのフードをつかまれると、一緒に歩道横のプールへ落とされた。

 水を飲んでしまい、眼前に『呼吸異常・注意』の警告が現れる。

 その警告越しに、続々と人が水中に落ちてきて赤い霧を広げていった。

 あわてて水面から顔を出すと、上も地獄だった。エレベーターから出てきた十数人の武装した男たちが、両手をあげる客や、床をう者を撃ちながら屋上に展開している。

 VRSNSで人が死ぬというのは事実だ。腹を撃たれてうめく男性の顔を見て、ナオトは確信した。襲撃者の一人がその頭に銃口をあて、びしゃりと中身を飛び散らせた。

 泣くか吐くかで迷うナオト。一方、すぐ横の水面から顔を出したお嬢は冷静だった。

「統一性のない武装。寄せ集めですね。グリッチャーすら……いや──」

 ドカンと重い発砲音がした。襲撃者の一人が胸のあたりから紫電を散らしつつよろめき、二度目の発砲音で胴の前面をピンク色の霧に変えて吹っ飛んだ。

「だれのシマを荒らしてると思ってんのかしらねぇ!」

 さっきの女性だ。手に持ったショットガンをまたぶっぱなすと、襲撃者たちがひるんだ。

 それを反撃の狼煙のろしとし、初撃を回避していたガードマンたちも銃を抜くが……。

「具体化、イモータル・ピート」

 紫色の帯が宙をはしり、石像の陰にいたガードマンの首に巻きついた。帯の左右に無数の赤い針状脚がついていて、首を縛られたガードマンが驚き、銃を落とす。

 悪態が悲鳴に変わり、ガードマンは遮蔽物の陰から引きずりだされた。

「よーう、おおかみの手下ども。ここに〝埋葬屋〟がいるって聞いたんだが?」

 襲撃者の集団の中から、一人の青年が悠々と歩いてきた。

 ロゴシャツに、前を全開にしたジャケット。ジーンズに両手をつっこみ、オールバックにした金髪。若く、悪党というより〝不良〟という言葉のほうがしっくりする風貌だ。

 その青年の背後では先ほどのガードマンが立っており、あの長い帯──紫色外殻と赤い脚を持った巨大ムカデにぐるぐる巻きにされていた。

 それを見て、ガードマンも女性もがくぜんとする。

 しかしお嬢はプールからい出ると、れた髪を直しながら青年とたいした。

「電賊〈レッド・ソー〉のグリッチャー、ミッチェル」

「おっと、そこにいたか。我がいとしのライバル、マーリアちゃん」

 襲撃者側とガードマン側の双方が銃撃をめ、お嬢──マーリアという名らしい──が立ちあがる。血まみれの床にも人質のガードマンにも目もくれず、マーリアがいた。

「あなたは、一年前に殺したと思っていました」

「はん。仕事が雑だぜ、埋葬屋」

「仕事は〈レッド・ソー〉の壊滅でしたから。あなたの生死など気にしていませんでした」

 ミッチェルがこめかみをひくつかせる。かれの後ろで紫ムカデも怒り、バキバキとガードマンの全身を締め折っていくが、どちらも視線を動かさない。

 怒りを制御しようとせきばらいするミッチェルに、死体を捨てたムカデが這い上がっていく。

「さみしいね。こっちはひどい目に遭ったってのに。七ヵ月のリハビリはきつかったよ」

「目的はふくしゆうですか? 滅んだ〈レッド・ソー〉のために、おおかみの縄張りを侵すとは」

「いんや。〈レッド・ソー〉なんてどうでもいい。おまえもオマケだ。おれは──」

 マーリアの右腕がひらめき、大型リボルバーが火を噴く。

 放たれた散弾は、ミッチェルに巻きつくムカデの紫色外殻にはじかれていた。

「そうこなくちゃな! 【安定の紫スタビレ・ヴイオーラ】〈定義強制・ムーヴ〉!」

 ムカデが夜空に向かってハサミ状の大あごを開き、金切り声を放つ。

 その顎を起点に衝撃のない爆発のようなものが広がり、その場にいる全員をなぶった。

「まだだ! 〈定義強制・コミュニケーション〉!」

 ふたたび無音の爆発。そしてさらに三度目の爆発をムカデが行おうとするが、マーリアがリボルバーを連射し、ムカデの頭部に火花を散らして妨害した。

「〈定義強──〉、ちきしょ、撃てっ、撃て!」

 ミッチェルは仲間をしつするが、ガードマンも態勢を立て直す時間を得ていた。

 銃撃戦が再開すると、マーリアはナオトをプールから引っ張りあげ、裏手階段へ走った。



 階段からビルを出ると、外では通行人たちが銃声が響くビル屋上を不思議そうに見上げていた。その間を縫い、マーリアは近くにめてあったオープンカーの運転席に乗った。

「乗ってください。早く」

 ずっと銃口を向けられているのだから、従うしかない。ナオトが助手席に乗ると、マーリアはウッドパネルのキーを回して発進した。その急加速が、ナオトの臨界点だった。

「ねえ、ねえ、ちょっと! いったい、なにが起きてるの! 教えてよ!」

「封印系コードをらいました。もしものために、足を用意していて正解でしたね」

「んん? いや、それじゃなくて! さっき人が……死んだんだよね、撃たれた人たち」

「おおかたは。それより襲撃者です」

 マーリアは風にポニーテールを泳がせつつ、さらっと言う。

「あれは雇われ者です。あの日、R・O・O・Tを奪い合った〝敵〟が依頼人でしょう」

「じゃあ、狙いは……おれ?」

「はい。移動系と通信系を封印したのは、あなたを逃がさないため。……しかし〈ウルヴズ・ファミリー〉のシマがまた襲われるとは。我々は影響力を落としている。なるほど、R・O・O・Tは必須ですね」

「あ、あのぅ……もしかして、いまから、おれ、撃つ?」

「いえ。仮想負傷による無力化は繊細な作業ですから。それよりも──あそこがいいです」

 急カーブしたオープンカーが十字路の歩道に乗りあげ、近くの法律事務所へシャッターとガラスドアを砕いて侵入。年代物のデスクや書類をぶちまけてまった。

「で、電賊の、駐車の仕方って……」

 シートベルトとカットシステムがなければ、おおしていたと思う。

 マーリアは車から降り、すでに無人の所内の奥にあるデスクをあさりはじめていた。

「相手はかならず追跡してきます。なので、急いで仲間に連絡しなければなりません」

「え? でもでも、通信はできないんじゃ?」

 マーリアが手招きしてナオトを呼ぶ。

 彼女が見下ろす所長デスクには、ダイヤル式電話があった。

「……これ、使えるの?」

「VRSNSは巨大シミュレーター。インフラがあり、当然、これも立派な通信機です」

「それは知ってるけど。おれ、こんな古い電話、教科書でしか見たことないよ」

「平気です。こうして受話器を取ってから、正面のダイヤルを回して、戻して……」

 指でダイヤルを動かし、戻す。それから、指が宙を彷徨さまよい、やがてあごに添えられた。

「この数字の上にある三つのアルファベットは? アンダーバーは、どこですか?」

「いや、おれに聞かれても……」

 沈黙。マーリアは、チンと受話器を置いた。

「計画を変更します。封印効果が切れるまで距離を──」

 黒ドレスのスリットからスレンダーな足がひるがえり、ヒールがナオトの頭上を、引き締まった太ももが眼前をぎる。

 上段蹴りはナオトの背に忍び寄っていた巨大ムカデの顔面に直撃。ムカデが退き、入口を破壊したオープンカーの上に立つ青年──ミッチェルの右腕へと戻っていった。

「おいおい、埋葬屋。逃げるなんてらしくないぜ。自慢の猫ちゃんはどうしたよ?」

 ミッチェルはわらっている。マーリアがなにかトラブルを抱えていて、それを知っているのだ。だが、彼女はナオトを壁際へ押すと、左手でポーチ窓から幅広ナイフを抜いた。

「仲間を置いてきたのは過ちでしたね。あなた程度なら、これで十分です」

「なら、やってみろよなぁ!」

 ミッチェルの右腕から、ムカデが一気にマーリアへ伸びる。彼女はムカデの頭に発砲するも、勢いをつけたムカデは止まらない。

 その大あごに細首を挟み切られる寸前、彼女の左手でナイフが赤熱した。

 やいばが、真っ赤な弧を描く。マーリアとすれ違ったムカデが後方に着地すると、長い身体からだをのたうたせる。その顎肢の一本が斬り飛ばされ、断面から蒸気を噴いていた。

「対ドローン溶断ナイフか。さすがおおかみのお姫さま、いいモン持ってんな!」

 ムカデが足払いのように尾を旋回させる。デスク群が木っ端のように舞い飛ぶが、マーリアはジャンプでかわしていた。

 同時にリボルバーを捨てた右手で、魔法使いが呪文の印を結ぶように五指をひらめかせる。

 着地と同時に、左手の赤熱ナイフをミッチェルへとうてき。ムカデがつむじ風のようにあるじの元へ戻り、紫外殻でその赤刃をはじいた。

「さすがだぜ。〈狼の血〉を差し引いても、おまえはつええ」

「あなたのほうは、やはり大したことありませんね。メインカラー【安定の紫スタビレ・ヴイオーラ】のグリッチャーは防御偏重になりがち。残念なほど典型的です」

 ミッチェルは激しく言い返そうとするが、何かに気付き、顔を引きらせた。

 ナオトもそれを見て仰天した。しゆりゆうだんだ。マーリアがリボルバーを捨てたとき、高速展開したポーチ窓から出して放っていたらしい。それが、オープンカーの下に転がっていく。

「うわわ……わぁっ!」

 驚くナオトにマーリアが体当たりし、手近なデスクを倒して盾としつつ抱き寄せる。

「──記録の底に埋まりなさい」

 爆音がとどろいた。衝撃が事務所を揺さぶり、車を天井まで突きあげる。跳ね回る壁や家具の破片がナオトのパーカーをかっ切り、カットシステムの電気を散らせた。

 浮いた車がズンと着地した音を最後に、静寂が訪れた。

 ──お、終わった? ナオトが顔をあげようとすると、右肩と右腕にビリっと痛みが走り、悲鳴をあげた。右腕を見て、さらに悲鳴をあげた。

 破れたパーカーの袖が真っ赤だ。右腕に切り傷が走り、ダラダラ血を流していたのだ。

「わっ、わっ、わっ……」

 慌てふためくナオト。そこへマーリアがやってきて、傷を確かめた。

「ふむ。余波なら、グリッチャー・モードの異常強化カットシステムで耐えられると思ったのですが。そういえば、あなたはモード移行してませんでしたね。軽傷でよかったです」

「け、軽傷なの、これ? すっごい血が出てるけど!」

「はい。背中に刺さっている破片も、右肩甲骨で止まってます。だいじょうぶでしょう」

「……ん? おれの背中、いま、なんか刺さってるの? 取って、いますぐ取って!」

「抜けば出血量が増えます。わたしたちは、あなたに死なれると困るのです」

 死。その言葉がナオトをハッとさせた。

「あ、あの男の人は?」

 マーリアは車を包む炎と黒煙に遮られた入口を見ると、ひとつうなずいた。

「かれの【安定の紫スタビレ・ヴイオーラ】カラーに、あの威力を防げるものはありません。死にましたね」

 死んだ。あの男が。人殺しだった。ナオトたちも殺そうとしていた。

 だが、いまのいままでしやべっていた人が、目の前で死んだ……。

 ナオトは右腕を抑えつつ火と煙が渦巻く入口を眺めていると、その中に紫の光を認めた。

 次の瞬間、煙を貫いて現れたムカデが、長胴でマーリアの首を縛り宙へと持ちあげた。

「おらぁ! 【力の赤ポテレ・ロツサ】の慣性変更防御は、てめーの専売特許じゃねーぞ!」

 続いて出てきたミッチェルは、ボロボロだった。衣装は所々が破け、無数の傷や火傷やけどのぞいている。しかし怒りの形相で、ムカデでりあげたマーリアをにらみつけていた。

「なめやがって! おれはグリッチャーだぞ! 認めさせてやる! てめーを殺してな!」

「【安定の紫】に、サブカラーが【力の赤】とは、難儀な組み合わせですね……」

 マーリアの首とムカデの足のあいだで、カットシステムのスパーク光が激しくなる。

 殺しあっている。人と人が。なにをすればいいのか、ナオトにはわからない。

 しかし、なにかしなければならないのは明白だと思った。

 ──意思検知──

 頭の奥で声が響いた。通信ではない。さきほど封印されたはずだ。

 ──保持L・O・S・T自動具体化のため、グリッチャー・モードへ移行──

 赤い光が、ナオトの頭上に出現した。赤光は急速に輪郭を作り、筋肉と毛皮の質感を持っていく。しかし〝それ〟は自分の肉体が完成するのを待たず、右前足に握った緑大剣でマーリアを拘束しているムカデを両断し、彼女を床に着地させた。

「これは……」

 マーリアとミッチェルがぼうぜんとしているあいだに、具体化が完了。

 緑の大剣とかぶとで武装した赤毛のが、ミッチェルへと突撃した。

「ふ、復元コード〈許容されぬ修復・デュアル〉!」

 真っ二つにされたムカデの上半分と下半分の断面が紫色に輝き、超高速で再生していく。

 一秒後には二匹の新品ムカデとなり、前後からライオンを挟撃した。

 ──危機検知。指向性衝撃波コード〈証明の渦・デュアル〉を自動実行──

 本能的に、ナオトは頭を両腕で覆う。マーリアも床に伏せていた。

 ライオンは尾と剣で二重横円を描き、前後に爆裂を放つ。衝撃波は二匹のムカデをバラバラにし、入口を塞いでいた車の残骸と炎、そしてミッチェルも外へぶっ飛ばした。

 全てをぎ払うと、ライオンがナオトへ近づいてくる。腕の血の匂いに誘われたように。

「わ、わ、わ、わ」

 ナオトは尻もちをついたまま下がるが、ライオンは歩を緩めない。そして剣の間合いにナオトを収め、さらにそうの間合いに収め、その凶悪な顔が眼前に迫り──。

 ザラリと、舌でナオトのほおめあげた。

「え、あ、う、お……?」

 ナオトはされるがままに緑かぶとかぶった頭を胸にこすりつけられ……甘えられた。

 真っ赤な毛皮。緑の宝石製らしい剣と兜、尾と爪牙。

 これ──いや、彼女には見覚えがある。

「きみって、マーリアさんのVRペットだよね? どうして、助けてくれたの?」

 対話機能はないらしく、ライオンはゴロゴロと喉を鳴らすばかり。

 かわりに、さっきの機械音声が答えてくれた。

 ──動作確認完了。メインカラー【赤】、サブカラー【緑】。個体名……──

「リオニ・アラディコ」

 マーリアのかすれ声と、頭の中の機械音声が重なった。



 マーリアは立ちあがると、ナオトに甘えているを当惑顔で眺めていた。

「R・O・O・Tは、L・O・S・Tを消すのではなく、奪うアプリ? ならば──」

 外からうめき声。マーリアは言葉を切り、ポーチ窓から小さな拳銃を出した。

「……さきに、残った仕事を片づけましょう」

 そして衝撃波で火が消えた入口から事務所を出ると、十字路のど真ん中で力なく倒れ、血の唾を垂らしているミッチェルのところで止まった。

 マーリアは拳銃でその顔面を狙う。それを、ミッチェルは恨めしげに見上げた。

「どういう、ことだ? どうしてリオニ・アラディコを、あのガキが、操ってる?」

「なるほど。あなたは、捨て駒というわけですか」

「ンだと……?」

「あなたの雇い主も、R・O・O・Tの詳細を知らないのでしょう。だから、流れ者のあなたを情報収集に使ったわけです。捨て駒なら、尋問の価値すらありませんね」

 ミッチェルは銃口をにらむ。その顔に広がるのは怒り、そして、恐怖。

「だ、ダメだよ!」

 外に出てきたナオトが叫ぶと、あか──リオニ・アラディコの姿がかすんだ。

 マーリアとミッチェルの間に入ったリオニが、マーリアが発射した弾丸を大剣の腹で跳ね返す。マーリアは目を丸くしつつも距離を取り、拳銃をナオトへ向けた。

 そのときには、跳ね戻ったリオニがナオトを射線から守っていた。

 いまのうちにと、ミッチェルがよろめきながら逃げていく。マーリアはそちらへ銃口を巡らせようするも、リオニがうなり声でけんせいした。

「わかりません。わたしを助け、ミッチェルを守る。あなたの目的はなんですか?」

「え、う、その、えっと?」

「……混乱によるL・O・S・Tの暴走、のようですね」

 マーリアはひとり納得すると、拳銃を下げた。

「そのL・O・S・Tのスペックは、わたしが誰よりも知っている。今夜は目的を達成できないようです。引き上げます。……あなたが許してくれれば、ですが」

「うん、許す、許すよ! けどさ、この……L・O・S・T? ライオンさん、なに?」

「リオニ・アラディコ。わたしが失った記憶と感情であり、わたしの分身」

 それが、ナオトをさらに混乱させる。しかしマーリアは補足せず、くうに掲げた左手から青い渦を出現させた。初めて会った日にも見せた、あの門だ。

「封印は消えたようですね。あなたも去った方がいいでしょう。ですが、いまのあなたはグリッチャー・モード。ドロップ・ポータルでしかログアウトできないので、注意を」

 そうして、マーリアは青渦門へ入ると、それと共に姿を消した。

 グリッチャー。VRSNSに破壊をもたらす者。……自分が?

 そして、電賊に脳を狙われている。交渉の余地など、最初からなかったのだ。

 傷をかばいながら立ち尽くすナオトをおもんぱかるように、リオニがほおめてくる。その太い首を左手でいてやりながら、にぶい頭で最優先で知らなければならないことを導きだした。

「ね、ねえ。ドロップ・ポータルって、知ってる?」

 リオニは、クワァとあくびをするのみ。

 ──意思検知。ドロップ・ポータル・プロトコルを開始。構築完了まで一二〇秒──

 頭の中の機会音声がふくいんをもたらした。きっとR・O・O・Tの機能だろう。

 脳に宿った謎のアプリに、謎のライオン、謎の刺客。謎だらけだ。

 渦門ができると、ナオトは現実の自宅へ無事帰還し、疲労のままに眠りこけた。

 起きたら、電賊だのR・O・O・Tだのが、すべて悪い夢だったのだと願って。