二章 二極日常



 ──分析率一〇パーセント──

 深い森の中で、少女は芝生にすわりこんでいた。

 周囲を覆う木々の色からして、季節は秋だろう。しかし少女は冬の極寒にさらされているように震え、彼女を囲んでいた軍服姿の一人が、毛布をかぶせた。

 その大柄な兵士が優しい声をかけるが、少女は応えず、一点だけを見つめていた。

 視線の先には、大きな施設があった。森の中には似合わない、先進的施設だ。

 それが、ごうごうと燃えていた。ドアも窓も、地獄とつながったかのように炎を吐いていた。

 少女にとって、この世でもっとも大事なものたちを抱きながら。

 少女は保護された。たった一人だけ。その結果が、これだ。

 ──どうしてあなただけ生きているの? なぜ、なにもしなかったの? あなたが動いていれば。あなたがいなければ。あなたのせいで。あなたのせいで──

 ほんの小さな女の子に、世界中から、無数の言語でえんが集まる。苦痛だった。

 だから、女の子は〝L・O・S・T〟した。この苦痛の根源を。



 左手首に巻いたリンクデバイスが、目覚ましアラームをわめかせる。

 ナオトは毛布を頭にかぶせるが、アラームと同期したブラインドが自動展開して朝日を部屋に招き、起動したテレビがニュースを流し始めたところで、根負けした。

 ベッドからい出て、ぼやけた目でアパート三階の平凡な寝室を見回す。

 窓に目をやると、VRSNSとは大違いの、静かで清潔な住宅街。そしてその向こうには、海沿いに、三大VR企業の支社や研究施設が並んでいる。

 景色を眺めていると、寝ぼけ頭が復帰してきた。そうだ。ここのエイセイ学園に進学するとき、多くの生徒と同様に、一人暮らしをはじめたのだ。

 目が覚めるとキッチンへ向かい、牛乳とシリアルを入れた皿を手に食卓につき、昨夜のことを考えた。ホテルが爆発したあと、ナオトは大急ぎでログアウトしたのだが、カンナの助言に従って、警察にも運営のテスラプネ社にも通報しなかった。

 VRSNSは監視社会ではないという、運営の主張は真実だった。電賊たちは銃撃戦をしながらあのホテルまできたらしいが、テスラプネ社は目撃情報提供をお願いしている。

 だが、それも効果はないだろうとカンナは言った。電賊の一部は対カメラ機能をまとっているので、目撃者が撮った映像も解析不能らしい。

 だけど電賊かぁと、ナオトはシリアルをほおりながら思う。あの接触は、VR文検部の活動を躍進させるだろう。だから昨夜は最高の夜だった……とは喜べない。

 ナオトは、あの〝お嬢〟という電賊から大事なデータを奪ってしまったらしい。デバイスのどこにもないが、とにかく、彼女はナオトが奪ったと考えている。

 しばらくログインは避けるか。いや、VR文検部で実際的に活動しているのはカンナとナオトだけ。ナオト抜きとなると、活動が遅れるだろう。カンナを困らせたくない。

 ところで、遅れるといえば……。

「あっ、遅刻する!」



 ──ああ、現実にもファスト・トラベルがあればなぁ。

 アパートから飛び出て一〇分弱。ようやく同じ学生服の集団に追い付き、遅刻の心配がなくなると、ナオトは今時っ子らしい不満を感じた。

 街路樹が青々ときらめく六月。生徒たちは、丘上にあるエイセイ学園へ続く坂を上っていた。ナオトは街を一望できるここの景色が好きで、最初は登校が楽しみだった。

 ミドウ市は、最新の臨海学園都市として再開発された街だ。

 主な出資者は、三大VR企業。

 オフィスビルに、先進技術である通信系の各研究所や学校機関、そして静かな住宅街が調和した街並み。未来の明るさを感じさせる光景だ。

 しかし、感動したのは一ヵ月だけ。飽きたら、丘上に学校を建てた者への恨みしかない。ほかの生徒たちも、苦行の慰みにリンクデバイスで立体ウィンドウを展開していた。

「ほら、見て! VRライトネットの音楽祭でバイトしたとき、『ご苦労様』ってケリーが握手してくれたの! この画像みてよ! グラミー賞のケリーだよ!」

「VRトライアーチに出してる店に注文きてる! 座布団は海外受けすると思ってたぜ!」

 朝も早よから、立体ウィンドウを見て興奮する学生たち。

 ナオトはそんな生徒たちと坂をのぼり、エイセイ学園に着いた。そして高等部校舎へ入り、玄関でシャワー状検査センサーを抜け、四階の一年二組へ向かった。

「あうっ」

 そして、さっそく問題にぶち当たった。

 窓際最後尾にあるナオトの席に、クラスの男子が座っていたのだ。日当たりも風もいいので、よくまり場になる。いまも男女六名が集まり、明るく騒いでいた。

 ──どいてほしいな。お話に水を差したら悪いかな。でもでも、もうすぐ一限目が始まるし。しかし、とても楽しそうだ。なんの話をしてるんだろう?

 集団の外でうろちょろしていると、女子の一人がナオトを発見し、かれの席に座っているサッカー部の男子──クラスの中心的存在であるとうどうヒカルの肩をつついた。

「ん? おう、ナオト。悪いな、席借りてたわ」

「あ、うん。いいよ……」

「いや、よくねーだろ。つーかさ、どけよ、くらいは言えって。気付かねえよ」

 ヒカルは笑いながら席を立ち、ナオトの頭をポンとたたこうとする。部活で鍛えられた男らしい手が近付くと殴られるのではと恐怖し、ナオトは「ぴっ」と珍妙な声を出した。

 そのリアクションに一同は目を丸くし、それから大笑いした。

「おまえ、ほんとに子犬みてーだな。もっと鍛えろよ。ジム紹介してやろっか? VRSNSのほうでもやってるんだぜ、おれが通ってるとこ。けっこう効果あるんだ」

「えっと、その、ごめん……」

「おーい、そこー。もう授業はじまるぞー、なにしてんだー」

 一限目の先生の登場で、一同は自分の席へ戻っていく。ナオトはホッとしつつも、内心、ミスったかと思った。ジムを紹介してもらえば、ヒカルとともだちになれたかもしれない。いやいや、ヒカルの邪魔をしたらマズいし、そもそもジムには人が沢山いるだろう。

 ナオトは、人が怖い。授業中も私語なんてしない。むろん休み時間もだ。

 はたから見ると、ストイックな勉学少年。クラスメイトも邪魔しては悪いとあまり声をかけず、だからナオトも、また勉強に集中するしかない。

 それがナオトの青春だ。今日も隣席の女子・ふみアヤとの「ね、いま何ページ?」「……五十二ページ」という会話だけで午前が終わってしまった。

「よっしゃ! おい、メシ食ったらバスケしにいこうぜ! 体育館が空いてなかったら、VRSNSの方でよ。いい場所みっけたんだよ」

 終業の鐘がなるなり、ヒカルがみんなを誘うが、美術担当で担任の若い女性教師がそれに待ったをかけた。

とうどうくん、席に戻ってください」

「なんスか、ミドリ先生。今日は居眠りしてなかったっスよ、おれ」

「そうではなく。皆さんも着席してください。今日は六月二十日。もうすぐ──」

『……六年前の今日、十二時。世界各地で悲惨なテロが起きました』

 ミドリ先生が生徒たちをなだめていると、校内放送が流れた。

『犠牲となられた三万二九七一名の方々へ追悼の意を表し、一分間のもくとうを』

 厳かな言葉の後に放送器は沈黙し、クラスメイトたちもしぶしぶ目をつむった。

 今日は【六・二〇】か。ナオトも、理不尽な暴力に遭った人たちへと祈りをささげた。

【六・二〇】。六年前、反テクノロジー・テロ集団〈無二の規範〉が世界中で同時攻撃を行った大事件だ。日本も、攻撃対象だった。

 しかし銃器がメインのテロだったし、日本は島国だ。犠牲者は八十三人。他国の被害と比べれば軽微といっていい。それでもナオトは、精一杯、祈った。

 もくとうが終わり、ミドリ先生が一礼してから出ていくと、クラスに騒がしさが戻った。

「しかしよー。〈無二の規範〉だったか? 反テクノロジー・テロリストのくせに攻撃手段はハイテクの塊だったんだろ? ええと……──

「〈ヴァイパー〉っていう、体内ナノマシン用ウィルスが込められた銃弾だよ」

 ヒカルが机に腰かけてパンをかじっていると、ともだちが怪談めいた口調で言う。

「それを食らうと、体内ナノマシンに直結して〈ヴァイパー〉をインストールさせまくってく。これがエグくてさ。……悪魔がくんだよ」

「悪魔ぁ?」

「脳がストレス物質を出し続けるようにして、ひどい神経症にするんだ。ナノマシンを除去してもダメ。細胞自体に〈ヴァイパー〉の設計図が刻まれて、ほかの細胞やマシンにコピーしてくから。患者の映像をみたけどヤバかったよ。ゲッソリして、ブツブツ独り言を言い続けてさ。致死率九〇パーで、平均二年から五年、死ぬまでずっと──って!」

「メシ時にグロい話をしてんじゃねえよ!」

「おまえがいてきたんだろ!」

 ヒカルと友人のやり取りに、クラスメイトたちがケラケラ笑う。

「……んで? その〈ヴァイパー〉ってのは、まだ使われてんのか?」

「いや。あのテロから二年後にクロエ社ってとこがアンチソフトを作ったから」

 そんな会話の外で、ナオトは昼食をひとりで食べていた。それが済むと、そろそろと教室の外へ向かう。昼休みは、いつも部室で過ごすことにしていた。

 しかし教室出口の前で止まった。どうするべきか、悩んだ。

 ──言うべきかな? おれしか気付いていないようだし、気付いた者の責任だろう。

 ナオトはきびすを返すと、ギャルっぽい女子二人が座っているほうへ向かった。

「ねえー、帰りにモール寄ってかない? いい感じのカフェができたんだってー」

「んー、ごめん。アタシ、今日はパス」

「ええー。なんでー? あっ、まさか彼氏できた? ちょっと、紹介しなさいよー」

「ちがうってば。ちょっ、首しめんな」

「キィィィ、隠すなよー。ずるいー。──ん、? どしたの? 先生から連絡?」

 友達の首を絞めつつ、ナオトに気付いた女子のひとりがきょとんとする。

 ナオトはそちらではなく、首を絞められているほうの女子を見た。マイコ。友達が多く、早くもメイクがなんたるかを理解した子だ。しかしいつもらんまんなマイコだが、首を絞められていることもあってか、今日は血色が悪く、ナオトを見る両目も陰っていた。

「……黙祷。あれ、平気、だから」

 ナオトのボソボソ声に、首を締めているほうの子が小首をかしげる。

 しかしマイコは、目を大きくしていた。

「きちんとやった人も、いる。おれもだし……さんも。だから、届いてると思う」

 対人ゲージが満タンだ。ナオトはそれだけ言い切ると、その場を後にした。

、なんの話を……ちょっと、マイコ、どしたの? なんで泣いてるの? マイコ!」

 チラと見ると、マイコは両袖で顔を覆っていた。ともだちろうばいしながらその背をさすっている。何事かとクラスメイトも集まってきたときには、ナオトは教室から抜け出していた。

 ──ぜんぜん、うまくいかなかった。言葉が、いや、勇気が足りない。圧倒的に。

 こんなことで、自分が直面している問題を解決できるのだろうか?



 電賊のはじまりは十八年前。ストリートで育ち、裏組織の下っ端だった若い男だ。

 どこの国にもいる小悪党だが、かれは大きな野望を抱いていた。

 それは自分のマフィアを作ること。だが、ただのマフィアではない。

 はるか昔に廃れた存在──義と野心を抱くイタリア・マフィアだ。

 だれもが鼻で笑う野望だった。だが男には鋭い目があった。そしてVRSNSのリリース時にグリッチャー・アプリを得たことで、男は夢を実現できると確信した。

 VRSNSのアングラ・ルールもない当時、グリッチャーは理不尽に災いをく悪霊でしかなかった。しかし、男は世界で初めてグリッチャー同士の殺し合いをやった。

 グリッチャーたちは恐れた。恐れは疑いとなり、疑いは新たな戦いとなった。VRSNSの裏でグリッチャーたちは無数の戦いを繰り広げ、死んでいった。

 男は勝ち抜いた。男の頭には計画があり、その手には名刀があったからだ。

 そうして半年後には、夢の組織を完成させた。五年後には大組織となっていた。

 そのあとも、試練の連続だった。だれもが絶望するような試練だ。

 しかし、男はいつだってそれを乗り越えてきた。

 ──非人道売買によって圧倒的財力を得た犯罪組織を向こうに回した? 新興組織で後ろ盾も作らない男は、十分な軍資金をどこからか調達してきた。

 ──グリッチャーたちが徒党を組み、数倍の数で襲ってきた? 男は〈おおかみの血〉という超高度能力向上アプリを持ってくると、ファミリーたちにインストールさせて撃退した。

 男は、そうやって不可能を可能にしてきた。つねに備えが──計画があったからだ。

 集まって抵抗しなければ殺される。よそのグリッチャーたちも次々と対抗組織を作ったが、やはり男を恐れ、その怒りを買わないように、かれに倣って義を通した。

 これが、電賊という新たな犯罪組織カテゴリとなった。

 男──リヴィオ・ピアッツェラは、無秩序なグリッチャーたちに〝電賊〟というルールを敷き、VRSNSの闇の中に封じ込めたのだ。

 偉大な男だった。去年、ついに暗殺されたが、その義と伝説は、いまも闇で生きている。

 ぎきようの悪〈ウルヴズ・ファミリー〉の初代ボスは、そういう男だった。



 現在でも〈ウルヴズ・ファミリー〉は大組織だ。構成員は千弱。下部組織や外部協力者を入れれば万に届く。活動内容はみかじめ料や詐欺など古典的なものから、VRSNSを利用した機密データ窃盗、逆に敵性電賊に対する警備など。

 クスリや人身売買などはやらない。リヴィオが死んでも、それは変わらない。

 かれらの本拠は、VRライトネット・アメリカ西海岸第四エリアの山上に建つ高級ホテルのモデル。その最奥にある、広く壮麗な支配人室で会議が行われていた。

 壁際にはスーツ姿のメンバーが並び、宙のウィンドウは下位幹部たちとつながっている。

 そして奥の三日月型長テーブルで仮想食事を楽しんでいるのは、ファミリーを直接運営する席次十番までの上級幹部たち。その後ろの壁には、大きな肖像画が飾られていた。

 肉付きのいい首にブラックネクタイを巻き、ダブルスーツを着た禿とくとうの中年。

 偉大なるリヴィオ・ピアッツェラの絵は、陽気な笑顔で〈ウルヴズ〉を見守っていた。

 そんな部屋の中央に、マーリアとアーロンは立たされていた。

「……VRSNSは時代を変えた。わたしたちをも変えた」

 長テーブルの中央に女王のごとく身を据えた女性が言う。実際、女王だった。

 日焼けした肌を深紅のドレスで包み、金黒が混ざる長髪を垂らしてたいのポワレをフォークで突いている美女。彼女こそ、リヴィオの一人娘であり二代目ボスだ。

「それはいいさ。必要なら公用語を英語にするし、くされフランス料理も食う。そのオマケでついてきたフランス人を次席幹部に据えねばならんのなら、辛抱する」

「お言葉ですが、ボス・フォルナーラ。あなたが作るパッツァより上だと確信してます」

「くそっ。覚えていろよ、フィルマン?」

 上級幹部たちがどっと笑う。……末席に座る、一人を除いて。

 フォルナーラがワイングラスを傾けながら、そちらを見て片眉をあげた。

「おい、プラチド? 食べてないじゃないか。ここはVRSNS。それ以上は太らんぞ?」

「いえ……」

「まあいい。本題の前に片づけることがある。昨夜のVRテスラプネの事件だ。どこのバカが人前で第三次大戦をはじめたかと思ったら、なんと、プラチドの部下じゃないか」

「ボス・フォルナーラ、わたしは──」

「プラチド。ボスたるわたしが、いま、しやべっているのだが?」

 プラチドは汗まみれの顔をうつむかせる。ほかの上級幹部たちもグラスを置いた。

「VRSNSで時代のスピードがあがった。チャンスもクソも、いまは弾丸より速く飛び交っている。だからな、プラチド。帳簿係のおまえが、なんの連絡もなく越権し、チャンスに飛びついたことをわたしは責めない」

「ありがとうございます……」

「しかし、わたしたちはファミリーだ。いかに時代が変わろうと、あるものを守らなければ、ただのゴロツキになる。おやもよく言ったものだ。──それは、おきてきようじだよ」

 プラチドの顔が、見る見る青くなっていく。

 その顔を、フォルナーラは横目でいていた。

おおかみななじよう。【秘密を守れ】は言わずもがな、【ファミリーに死を下せるのはボスだけ】は? おまえはクソをつかみ、貴重なグリッチャーの若造を死なせた」

「ですが、ボス。本件は、その、先代──お父上からの取引先で……」

「なあ、プラチド。おまえはファミリー創設前からの親父の仲間で、わたしとも古い仲だ。ガキのころは、毎年、年末におまえが持ってくるプレゼントが楽しみだったよ」

「その、光栄です、ボ──」

 ボスはポーチ窓から片手でサブ・マシンガンを抜き、プラチドへ連射した。五発でカットシステムが停止し、残り二十五発が顔面を割って、プラチドをテーブル裏に倒した。

 現実でも倒れたことだろう。永遠に。

「だれか現実の死体を処理してこい。リンカは、死臭が出る前にそのゴミを片づけろ」

 ボスの背後には、一人の少女が控えていた。マーリアと同い年で、黒髪をサイドテールにした日系人少女──ボスの直弟子であり護衛のリンカだ。あどけない顔でドレスを着ているものだから、ゴスロリファッションのように浮いている。

 浮いているのは、かつこうだけではない。この修羅場のなか、彼女はとても楽しそうに、手元の立体ウィンドウで世界面白動画集を鑑賞していた。

「おい、リンカ?」

「へあっ? はい、ボス、どうしましたー? あらま、プラチドさん死んでるー」

 映像から顔をあげたリンカが目をパチクリさせる。

 いまにも次の処刑が行われそうな態度だが、フォルナーラはためいきいただけだった。

「……そこの電子ゴミをさっさと片づけろ」

「はいなー」

 リンカはウィンドウを閉じ、右手から黄光を放ちはじめる。そしてプラチドが倒れたところでかがむと、テーブル裏からバキボキと生理的に嫌な音が響きはじめた。

「さて。やっと本題だ」

 死体が砕ける音を無視し、フォルナーラはマーリアたちへ目をる。アーロンは汗でズレるがねを直したそうだが、ボスの眼光は指の一本も動くことを許していない。

 ボスを継いで一年。フォルナーラは、支配欲の味を覚えた節がある。

「マーリア、おまえが現場リーダーだったな。大騒動を起こし、メンバー一名死亡。R・O・O・Tとやらを奪い損ねたばかりか、L・O・S・Tまで失ったそうだが」

「はい、ボス。一時的な封印かと思いましたが、いまだリオニ・アラディコの応答はありません。まちがいなく、わたしのL・O・S・Tは消されました」

「L・O・S・Tを無力化する力、R・O・O・T……」

 フォルナーラはサブ・マシンガンをテーブルに放り、細いあごに手をあてる。

「L・O・S・Tの保存域は脳だ。つまりR・O・O・Tは、VRSNSを経由して他者の脳をハックしたと? 興味深いが……まずは目下の問題だ」

 この流れはマズいと、アーロンが勇気を振り絞って口を挟んだ。

「ボス。ご存じのとおり、お……マーリアは、先代が目にかけていた──」

「知ってるさ。おやも古株どもも、お嬢、お嬢、と可愛かわいがっていたし、わたしも妹のようにおもってきた。……もっとも、姉妹の仲がいいとは限らんが」

 アーロンを沈黙させると、フォルナーラが視線をマーリアへ戻す。

おきては掟だ。追放するにもおまえは〈ウルヴズ〉を知り過ぎている。意見は?」

「ありません。ボス・フォルナーラ」

「よろしい。──リンカ」

 もうプラチドを〝い終えた〟らしい。テーブルの縁からぴょこりとリンカが顔を出すと、テーブルを回ってマーリアのほうに寄ってきた。

「ねっ、マーリィは記憶と一緒に〝死者へのおもい〟をL・O・S・Tしたんだよね? やっぱ、自分が死ぬのも気になんない?」

「はい。ただプロとして、責任を果たしたいだけです」

「へー。アタシは残念だよー。組織じゃ、としが近いのはマーリィだけだったからさー」

 場違いな笑い声をあげるが、だれもリンカをとがめない。彼女には〝恐怖心〟がないのだ。

 ボスすら怖くない。友を殺すことも。──ゆえに、自分は確実にここで死ぬ。

 この三年間。たくさんの命を記録の底に埋めてきた。自分もそれに加わる日がきたのだ。

 惜しむ人も、喜ぶ人もいるだろう。しかしいつか忘れ去られ、思い出されることもなくなる。そうやって、記録の底へ埋もれていく。それだけだ。

 重要なのは、死ではない。自分がどんな評価を受け、〝価値〟を与えられたかだ。

 自分はしくじった。だから殺される。その真っ当な流れが、とても心地よかった。

「やれ」

 ボスの命令で、リンカが笑顔のまま、マーリアの顔へ黄色こうぼうを宿した左手を向ける。

 そしてリンカのL・O・S・Tが具体化し、マーリアの命を断とうとしたとき、

『R・O・O・Tについて報告があります。ボス・フォルナーラ』

 鋼の沈黙を、低くゆっくりとした男の声が破った。

 ボスが音源をると、〝相談役〟という文字だけが表示された通信ウィンドウだった。

「おい。わたしが、いつ、おまえの意見を求めた? 相談役トージョー?」

『知っておくべきです、ボス。この件の核心である、R・O・O・Tについてですから』

 フォルナーラは眉尻をけいれんさせる。いらっているサインだ。上級幹部たちにも緊張が走るが、トージョーは意に介さず続けた。

『今回の依頼は奇妙でした。敵性グリッチャーとの接触に、一般人であったジム・ウォルシュが仮想兵器で武装した警護チームを雇っていたことです』

「……なにが言いたい?」

『あの依頼自体が、我々に対するわなだったのでは、ということです』

「おい、ずいぶんと調べているじゃないか。トージョー」

 権威を踏みにじられているような顔をしていたボスが、一転、ニヤリと笑った。

「おまえにはハンガリーの仕事を任せていたはずだが。……目的はお飾りの相談役から、たったいま空いた上級幹部への返り咲きか?」

『わたしの願いは、マーリアの運用法の変更です』

「ははは。〝断頭台〟と恐れられたおまえも、直弟子は可愛かわいいらしい」

 ボスはちようしようを浴びせたあと、真剣な顔で両肘をテーブルについた。

「……わたしを納得させるだけの言い分は、用意してあるのだろうな?」

『ひとつ質問が。R・O・O・Tです。あのアプリをどうお考えで?』

「むろん、回収する」

 フォルナーラはきっぱりと答えた。

「電賊は悪辣な者しか狙わない。R・O・O・Tがグリッチャー・アプリの亜種という予想が正しければ、あの少女はもうグリッチャーだ。……そしてグリッチャーは、みな、悪辣な者と定義される。だからまず、少女の身元を──」

『ナオト・ヒノ。日本の、あのミドウ市に住む高校一年生。それと少女ではなく少年です』

 フォルナーラの眉間に複雑なしわが浮かぶ。

 トージョーは、すでにあの子供の素性を調べあげていたらしい。

「ごくろう、手間がひとつ省けたな。さっそく回収チームを編成しよう」

『危険です。またわなまる恐れがある。そして我々の想像以上にことは重大です。なぜなら、R・O・O・T分析を委託されていたアドリンクス社が蒸発したからです』

「蒸発、とは?」

『言葉どおり。今朝、あそこの現実本社が爆発しました。生存者なし。地元警察は反VRSNS派のテロと見ていますが、未解決事件となるでしょう』

 カツカツと、フォルナーラの指がテーブルをたたく。

 彼女は自尊心と自制心の折り合いをつけると、口を開いた。

「……普通なら避けるべき厄介事だな。だが、おまえには計画があると?」

『なにかが起きている。しかし我々にそれを知るすべはなく、R・O・O・T自体も危険だ。グリッチャーが無力化されるたび、このような会議を開かなければならない』

「もういい。わかった。おまえが口を開くたび、わたしが無能に思われる」

 フォルナーラはうんざりしながら片手を振る。

 それから、リンカにこうぼうを向けられているマーリアをにらみつけた。

「すでにL・O・S・Tを失ったグリッチャーを回収に送る。もし罠でも、損害は処分が決まったメンバー一人で、少なからず情報が保証される。そういうことだろう?」

『グリッチャーは〈ウルヴズ〉でも重要資産。これ以上の被害は受け入れがたいはずです』

 フォルナーラは大きな胸の下で腕を組み、鼻息を漏らす。

 深い沈黙のあと、言った。

「いいだろう。だが、失敗時は一つではなく、二つの罰で秩序を保つ。──トージョー、たとえおやの兄弟分だろうが、つぎはないぞ?」

『承知しております』

 フォルナーラは立ちあがると、その場にいる全員と、各通信ウィンドウをへいげいした。

おおかみどもよ、改めて知れ。親父は後ろ盾も作らず〈ウルヴズ〉を興した」

 ボスの声が響くと、全員が背筋を伸ばす。

 その様子を、リヴィオ・ピアッツェラの肖像画が静かに見下ろしていた。

「わたしはおやの後ろから見てきた。この十八年で、ファミリーに降りかかった無数の危機を。そしていまは〝六年前の大失態〟と、去年の親父の暗殺だ。我々は、ふたたび危機に直面している。──それでもだ。親父はいつもきようじを手放さず、切り抜けてきた」

 ボスの声色に熱が宿り、掲げた手を握りしめる。

「親父は言った。電賊もグリッチャーも獣に過ぎないと。ゆえに、我々はつねにらう側で──おおかみでなけれならない。狼は群れる。群れにおきてが必須。そしてその掟が、我々に矜持をもたらしてくれる」

 電賊はVRSNSに巣くう獣。食うか、食われるか。各電賊が、複雑な食物連鎖の中にいる。その荒野で狼を率いる女王が、マーリアを見据えた。

「マーリア、おまえに執行猶予を与える。アーロンと共にR・O・O・Tを回収しろ。それと、ウィリアムを殺した〝敵〟二名も見つけ、報復のために個人と組織の情報か、ヤツらの首を取ってこい。期限はいまから二週間とする」

「了解です」

「L・O・S・Tを失う危険がある。人的補充はしてやれないが、マフィアらしく振舞えるくらいの支援はしてやる。【矜持を忘れるな】の掟だ。バックアップはトージョーだ。いまの仕事と並行など無理だ、なんて弱音は聞きたくないぞ?」

『はい。わたしが管理している下部組織〈テイルズ〉を使おうと思います』

「〈テイルズ〉……あの問題児どもか。くびひもは短くしておけよ? ──以上だ」

 そうしてボスが解散を促すと、〈ウルヴズ〉面々はホッとしながらログアウトしていく。アーロンにいたっては胸前で十字を切っていた。

「むー、えこひいきだー。マーリィ、ずるーい」

 リンカはほおを膨らませつつも、マーリアへ突き付けていた手を降ろす。

 どうやら、自分にはまだチャンスが残っているらしい。

「……死の記録に、埋まり損ねたようです」

 こぼれた吐息には、わずかに無念の響きがあった。



 校舎二階にあるVR文化検証部の部室は、元は資料室でとても狭い。長テーブルを中央において、左右にパイプ椅子を六つ並べたら、もうスペースはギリギリ。

 それでも、ナオトにとって学校でゆいいつ心落ちつく空間だった。

くん、ごめんね。わたしがあんなメールを調査しようと言ったばかりに……」

「いえ、部長! おれも部員なんですから、活動に参加するのは当然です」

 テーブル向こうで、寿ことぶきカンナが後輩に深々と頭を下げる。そのさまは、一学年の差はこれほどかと思わせるほどの大人っぽさがある。

 その行動力と度胸は、容貌と真逆だが。

「部員……ね。くんを入部させたときは、誘拐だったわけだけど。あのときは部活と認められるために、なんとか人を集めなきゃって切羽詰まってたし」

 カンナはうっすら笑い、ナオトも苦笑する。

 四月の部活勧誘合戦時。活気にされてオロオロしていたナオトは、とつぜんカンナにひっつかまれた。数分後、入部していた。誘拐以外の何物でもない。

 だが、そのおかげで、カンナという会話ができる人を得られた。カンナはナオトの臆病さを刺激しないので、持ち前のさを発揮し、部活に貢献できている。

 ……その結果が、昨夜の大事件なわけだが。カンナの顔からも笑みが消えていた。

「だけど、まさか電賊に目をつけられるとはね。最悪、最悪だわ……」

「やっぱり、おれ、危ないんですか?」

「とてもね。──だって、一部の電賊はVRSNS内で人を殺せるのよ?」

 危うく「そんなバカなぁ」と言いそうになり、ナオトは口を閉じる。

 ……ダメだ、疑いを感づかれた。カンナはがねの奥で目をギラリと輝かせていた。

「ほんとうよ。説明するには、まず、どうやってVRSNSが人間に五感を出力しているか説明しなきゃならないんだけど……」

「ええとー。VRSNSのエンジン──ブレイン・イノセンス・エンジンが、リンクデバイスと体内ナノマシンを経由して脳に情報を出力してるから、ですよね」

「そう。正体不明の天才が解放して、すべてのVR企業が採用したエンジン。仮想世界で歩けば前に進むのも、クッキーが甘いのも、これのおかげ」

 なんてこともない常識。

 しかし、それを語るカンナの声は重苦しかった。

「でも、なぜ、これがブレイン・イノセンス・エンジンって呼ばれているか知ってる?」

「え? いいえ」

「量子コンピューターとワープ通信の普及で、人類はばくだいな情報処理力と転送速度を手に入れ、仮想世界を作った。でも、そこにエンジンを組むのは人間よ? 人間の五感すべてをだます世界を作るのに何年かかる? 十年? 百年? ほんとは、もっとかかるはずよ。けれど、さいわいにもゼロから世界を作った先人がいた。……神さまよ」

 かみさま? ナオトはぽかんとする。

「エンジンの開発者は、神のカンニングをしたの。既存のメモリ媒体から〝世界〟のデータを抽出し、エンジンに組み込んでいった。このカンペ用メモリ媒体こそ──」

「ブレイン。人間の脳……?」

 カンナは机にあった消しゴムを親指で真上にはじき、落ちてきたところをキャッチする。

「リンゴは落ちる。ニュートンじゃなくても知ってるわ。リンゴの味もね。開発者は、無数の脳からそういう記憶を抽出・統合してエンジンの基礎を作ったの。もちろんうわさに過ぎないけど、開発速度を考えると、このくらいのちやがなきゃ不可能だと思わない?」

「で、でも、なんか、危ない感じがします」

「ええ。その作業で沢山の人が死んだそうよ。だからエンジンには〝死〟のデータがある。味や音のように出力できる。運営が制御してるけど、それを突破できるのが──」

「運営のセーフティを破れる、一部の電賊。おれが、遭遇した人たち……」

 陰謀論とは笑えない。実物を見てしまったのだから。それに、VRSNSが肉体へ影響を与えるのは常識。リハビリやスポーツの練習に取り入れられている理由がそれだ。

 しかし、その影響が〝死〟だったら?

「じゃ、じゃあ部長には申し訳ないですけど、おれがしばらくログインしなければ……」

 カンナは首を振ると、立体ウィンドウをナオトへ放る。海外の記事だ。

 翻訳ソフトにかけると、ドラッグ、銃撃、暗殺と、物騒な単語ばかりが出てきた。

「電賊被害にあったポーランド麻薬王の暗殺事件。そいつは電賊に賞金をかけてたけど、自宅で射殺されたの。電賊は、現実でも人を殺す。あらゆるネットワークはVRSNSと結ばれてるから、ヤツらは相手の警備や予定を盗み見できる。仕事は簡単だったはずよ」

 ナオトはためいきすらつけず、ぜんとしていた。

「警察に通報したら、かえって電賊を刺激しかねない。──でも、解決策はあるわ」

 あげられたカンナの顔は、ナオトを巻きこんだ責任感に引き締められていた。

「奪ってしまったものを返すの。抵抗せず、協力することを示すのよ。わたしが知ってる限りだと、電賊は余計な殺人や一般人の殺しを禁じているそうだから」

「うん、うん! 抵抗なんか絶対しません!」

 激しくうなずくナオト。だが、すぐこのプランの問題に気付いた。

「あのぅ。電賊と、どうやって連絡を取るんですか? それに、おれが奪ったことになってるアプリ、どこのフォルダを探してもないんですけど……」

「アプリは電賊に調べさせたほうがいいわ。連絡手段は──ちょっとデバイス貸して?」

 ナオトはデバイスを巻いた左腕を差し出し、他者操作を許可する。するとカンナはメール・ウィンドウを開き、指を踊らせはじめた。

「これでいいはずよ。……電賊が、噂どおりの怪物ならね」



 電賊〈ウルヴズ・ファミリー〉の仮想会議を終えたあと。

 マーリアが目覚めた場所はブダペストのアパート。そのリビングにあるソファだった。

 彼女は起きるなりキッチンにあった紙袋を開け、菓子パン・レーテシュをかじりはじめた。普通は砂糖煮リンゴをパイ生地で包むのだが、これは、かわりにイワシの激辛いためを詰めている。伝統に対する挑戦ともいえる商品だったが……そう悪くない。

 二個目を食べ終え、三個目を紙袋から出したとき、両手にしびれが走った。昨夜の仮想負傷のせいだ。専門病院で治療するのが一番だが、この状況では高望みだろう。

 痺れは軽度。パフォーマンスに影響なし。紙袋を抱えてソファに戻ると、もうひとつのソファでログインしていたアーロンがパチっと目を開くなり叫び声をあげた。

「ああっ、くそ! 危うくパンツを汚すところだった!」

 アーロンはペットボトルの水をごくごく飲み、一息つく。

 そして、こんどはがっくりとうなだれた。

「まいったな。まさか、ボスがお嬢まで処刑しようとするとは……」

「──彼女がボスを継いで一年。ファミリーは揺らいでいる。隙を見せたくないのだろう」

 そういってリビングに入ってきたのは、四、五十代ほどの日系人男性だった。

 長身大柄で、着ている背広はブランド品。その左目は硬質な機械眼で、がん周囲は葉状の火傷やけどあとがあり、機械眼アシスト・モノクルで失われた左視覚を補っていた。

 電賊〈ウルヴズ・ファミリー〉の相談役トージョー。

 相談役といえば偉そうだが、ボスはかれに意見を求めないし、求められなければファミリーを動かせない。実際、閑職だ。下部組織も、一つしか任されていない。

 ……もっとも、その下部組織は、〈ウルヴズ〉の中でも特別な存在なのだが。

「彼女はわたしの力をごうとマーリアを殺したがっている。現実でわたしの〈テイルズ〉が保護していなければ、会議結果を問わず、暗殺者を差し向けられていたかもな。いや、まだ油断はできないな。──マイク?」

『まだ周囲に動きはありません』

 トージョーが通信ウィンドウを出すと、無骨な男が映された。もじゃもじゃの髪とひげの、戦闘服姿。〝現代版ヴァイキング〟といった風貌か。〈テイルズ〉副官のマイクだ。

「わかった。警戒を続行しろ。本部の者も侮れんぞ」

『了解。子守を続行します、チーフ』

 マイクは鼻先で笑い、通信を切る。アーロンが「頼りになるね、戦争ジャンキーども」と不快げに言うが、それは〈テイルズ〉をとても正確に表した言葉だった。

 総員四〇名と、下部組織でも小規模。しかし全員が猛獣であり、現場指揮官たるトージョーを〝チーフ〟と呼んでいるほど、根っからの軍人──特殊部隊だ。

 戦い続ければ、心を壊す。そして、この業界では壊れれば壊れるほど強くなる。トージョーの下でしか働かないと公言しても、ボスが処分を惜しむほど強くなる。

 ファミリー内で敬遠されているが、腕は本物。アーロンも嫌っているが、かれらの下がもっとも安全であることは否定できないだろう。

「あらためて礼を言わせてください、トージョーさん」

「気にするな。わたしも、直弟子を見せしめに使わせるつもりはない」

 トージョーはマーリアの師。両親の死と、突然送られてきたグリッチャー・メールに混乱していたマーリアを〈ウルヴズ〉へ招き、第二の人生を教えてくれた人物だ。その記憶はL・O・S・Tしてしまったが、二年ほど共に暮らした記憶はある。

 だから善人である……とは、言わないが。

「トージョー、その袖の血はどうしたのですか?」

「仕事だ。〈テイルズ〉はここの護衛に回していたからな。わたしが現場に出た」

 トージョーは高級シャツの右袖口についた赤染みを眺める。

「先週に汚い機密を盗んだ企業から、身代金交渉を現実で行おうと提案があってな。案の定、かれらはわたしを殺そうとした。だから、プロとして対応したまでだ」

 マーリアは獲物の不運に同情した。相手が特に悪かった。トージョーは左目と次席幹部の座を失うまで、名うてのグリッチャーであり、暗殺者であった男だ。

 そして初代ボス──リヴィオの兄弟分であり、かれの名刀だった。

 黒髪に白が混ざりはじめ、閑職に回されても、その腕は衰えていないらしい。

「だが、これでここの仕事の長期化が決定したな。おろそかにすれば、これ幸いとボスはわたしを強く責めるだろう。そちらの支援には時間がかかりそうだ」

 フォルナーラはトージョーを嫌っている。〝六年前の大失態〟のあとも人望を保っているこの男を担ぎ、ボスに据えようとする者が現れないか警戒している。だから、その直弟子のマーリアも嫌っている。対抗心から、同年代のリンカを鍛えているくらいには。

 しかし……トージョーの支援は遅れる。ハードだが、二人でR・O・O・Tと〝敵〟に対処する線で考えるべきだろう。アーロンの顔にも、絶望感がにじんでいた。

「……どうするよ? おれたちだけで。ウィリアムも死んじまったし」

「どうもこうもありません。プロとして動き、わたしの〝価値〟を示すだけです」

 トージョーは機械眼と生の目をマーリアに向ける。マーリアはその視線の意味を探ろうとしたが、読み取るまえに、かれは視線を外した。

 アーロンも首を振ると、リンクデバイスから大量の立体ウィンドウを出現させた。

「とにかく、まずR・O・O・Tだ。身元は割れた。あとは接触手段だが……」

「その心配はいらん。対象──ナオト・ヒノは、電賊をよく理解しているらしい」

「どういう意味でしょうか?」

「さきほど対象がメールを送信した。送り先は自分のアドレス。監視に気付いているのだろう。R・O・O・Tについて、VRSNSで話そうという内容だ。時刻と場所は、こちらが指定していいとのこと。……慣れているな」

「へぇ、そいつはまた。気弱な女の子にも見えたが、案外、ガッツがあるらしい」

 アーロンは感心したように腕を組むが、その顔は疑念に包まれていた。

「一杯わされたかな? かれが〝敵〟の一派だったら? こんどこそ、おれたちを消す」

「うむ。素性を洗いなおす必要があるな。もしかしたら──」

 トージョーとアーロンが議論しているあいだ、レーテシュを食べ終えたマーリアは手を払い、メモ・ウィンドウを作っていた。

「トージョー、この支度をおねがいします」

 それが完成すると、マーリアはトージョーへ投げる。メモを眺めるトージョーの機械眼が、見間違いではと、瞳孔部を赤く点滅させたり、かすかな駆動音を鳴らしていた。

「……今夜、実行する気なのか?」

「いずれ日本へ行かなければなりませんが、いま無力化しておけば、あとが楽になります」

「ちょ、ちょっとまて、お嬢」

 き込むように、アーロンが割って入ってくる。

「対象が〝敵〟と結ばれてる可能性が出てきたんだ。もっと調査して──」

「むしろ〝敵〟と対象が仲間でなかった場合、先を越される危険があります」

「……隙を見つけたら、迷わず食らいつく、か」

 トージョーはそうつぶやくと、重々しくうなずいた。

「手配しよう。電賊として、プロとして、己の価値を示せ」

 言われるまでもない。それしか、マーリアは生き方を知らないのだから。