「日本人、のようですね。あなたが〝運び屋〟ですか?」

「えっ? あっ!」

 アプリを介さないりゆうちような日本語で、ナオトはやっと意識を戻した。しかしVRSNS世代だけあってほぼ毎日ログインしているが、電賊と関わったことなどない。

「い、いや、ちがうと思うけど……」

「それでは、あなたは何者──」

「お嬢!」

 アーロンが叫びながら床に飛びこみ、女性もバッと後ろへ跳ぶ。

 刹那、女性とナオトのあいだを緑と青の風が駆け抜け、旋回し、フロア中に広がった。

「わあ!」

 ナオトは悲鳴をあげた。トンボの大群だ。青の外殻も、緑のはねも鉱物で作られている。

 あんなもの、うかつにつかめばケガをする。実際──。

「カットシステムの停止を確認」

 トンボの翅がかすめたらしく、女性の右手の甲がザックリ切れていた。血を流している。痛くないのか? 頭上で散開したトンボ群を見上げるその横顔からは、わからない。

 女性は一瞬だけ視線をナオトの足元へ走らせる。そこには、あのカードが落ちていた。

 アーロンがその場でかがみつつ声を飛ばしてくる。

「お嬢。これじゃドロップ・ポータルを作れないぞ──って、おい、なにしてる!」

 女性はひらりとカウンターを跳び越えて広場に出ると、警告を無視して指を振るう。

 すると、彼女のかたわらに、一瞬で赤いが現れた。

 ペットBOTにしては、いかつい。やりのような緑の宝石尾を掲げ、長い右手に大きな剣を握り、かぶとかぶった頭を振ってトンボたちをへいげいする様は、王女を守る騎士みたいだ。

「あちらも、もう捨て駒は尽きたでしょう。全力でいきます」

「ダメだ、お嬢。カットシステム停止は引き際だ。電賊の基本だろ?」

 アーロンが低い声で言う。

 かれがにらむ玄関には、いつの間にか、ガスマスクを着けた二人の男が立っていた。

「ここに運び屋はいない。おれたちがR・O・O・Tを持ってる意味はない。ヤツらに渡すべきだ。戦う理由がないんだ。──なあ、あんたたちも同意見だよな?」

 アーロンはガスマスクたちへ言うが、反発したのは女性だった。

「R・O・O・Tには我々の将来がかかっていると聞きました。渡すわけにはいきません」

「お嬢……」

 アーロンは女性を直視できないと目をらす。ちがう。かれはナオトを見ていた。それから視線で床の金属カードを差し、最後にガスマスクたちを示した。アイコンタクトだ。

 ──そのカードを、あいつらへ投げてくれ。そうすれば助かる。そう伝えていた。

 犯罪者を助ける理由なんて、どこにある?

 そんな疑問は湧かなかった。女性もアーロンもケガをしている。凶器めいたトンボたちが頭上で飛び回っている。暴力は嫌いだ。たとえ、仮想世界でも。

 ガスマスクたちが一歩を踏み出し、トンボたちも羽音を強くする。その瞬間、ナオトは床の金属カードに飛びついた。左手で握り、ガスマスクたちへ投げようと振りかぶり……。

 ──器を検出──

 頭の中で、機械音声が恐ろしい速度で流れた。

 ──シンクロ完了。最適化を完了。ブレイン・イノセンス・エンジン励起システム、グリッチャー・アプリケーションのインストール完了──

 ──R・O・O・T稼働テスト開始。管理者系コード〈理解〉実行──

「わっ!」

 ナオトの左腕から純白が生まれ、波打ち、爆発的にあふれた。

 まるで光でできた木の根だ。左腕から解き放たれた白光は無数に枝分かれしながらフロア内を駆け巡り、貪欲ともいえる速度で伸びていく。

 頭上のトンボたちは、その根から逃れるようにフッと消えた。

「いったい、こんどはなんだ!」

 驚き転がるアーロンを、光根が包む。しかし根たちはアーロンをお気に召さなかったのか、すぐにかれから離れた。その根がつぎに食欲を向けたのは、金髪の女性。

「リオニ、コード〈証明の渦〉」

 女性が命じると、は光根へ右手の大剣をいつせんやいばは強烈な剣風を呼んだが、それが砕いたのは天井だった。光根の後ろにあった、天井をだ。

「衝撃波コードをすり抜けた……?」

 女性が眉をひそめた瞬間、根たちは雌獅子を包んで真っ白なボールにした。獣の怒号がとどろくが、根はお構いなしで、獅子をつかんだままナオトの左腕へと戻ってきた。

 ──テスト完了。プログラムを終了──

 そしてナオトのアバターの左手に染みこむように根は消えた。あの捕らえた雌獅子ごと。

 ナオトはぜんとしていた。握っていたはずのカードがない。あの雌獅子の姿もない。

 伏せていたアーロンはすばやく左右をうかがい、危険がないと悟ると立ちあがった。

「お嬢、ケガは!」

「問題ありません。どうやらあの光は、アバターには無害なしろものだったようです」

 アーロンはホッとすると、入口をうかがう。あのガスマスクたちも消えていた。

「敵も引き上げたらしいな。なんだかわからんが、助かった……」

「はい。それでは、つぎの問題に取りかかりましょう」

 獣の尾に似た金髪をひるがえし、女性はへきがんをナオトへ向けた。



 女性が荒れ果てたフロア内を見回し、床に転がっていたティーカップを見つけると、左手で拾いあげる。そして、その陶器のカップを握り潰した。

「……非破壊設定の突破と痛覚。【コラプト】は残っているようですね」

 陶器の欠片かけらと、それで切れたてのひらから流れる血を見つめ、女性はごとのように言う。その奇行に、ナオトだけではなくアーロンも困惑していた。

「お、お嬢。なにしてるんだ?」

「確認作業です。わたしはグリッチャーのままらしいですが、リオニ・アラディコの応答がありません。察するに、あの光に封印された──いえ、消されたようです」

「L・O・S・Tを、消された?」

 アーロンが目をしばたたく。それから、りあげた頭をでた。

「くそっ、敵が退いたのも納得だ。L・O・S・Tの削除だと。なんて力だ……」

「で、あればこそ。返してもらいましょう」

 女性は横にポーチ窓を出すと、傷付いた右手を突っ込む。

 引き抜かれた右手には大きな拳銃が握られていて、すばやくナオトを狙った。

「R・O・O・Tを渡さなければ、まず右肩を撃ちます。あなたが返すまで撃ち続ける。それでも返さなければ……手間はかかりますが、記録に埋めることになるでしょう」

 拳銃? 撃たれたら痛い? しかし、ここは仮想世界だし……。

「よせ、お嬢!」

 バカン! ナオトの前にあったカウンターの端がぜ、木片の霧となる。

 とっさに女性の手をつかんで狙いをらせたアーロンが、早口でまくしたてた。

「第一のおきてを忘れたか! 【悪辣な者からだけ、より悪辣に奪え】だ! カタギを殺したら運営、いや、世界中の警察機関が本腰をあげる! そのまえにボスがおまえを殺す!」

「L・O・S・Tを無力化する人物を、カタギと言えるでしょうか?」

「それは、まあ、そうなんだが……」

『あなたたちは、電賊よね?』

 会話の間を突き、通信アプリ音声を広域化させてカンナがいた。

『映像越しだと、あなたたちの姿がぼやけてよく見えない。うわさどおりね』

「……わお。おれたちに詳しいんだな、お姉ちゃん」

『電賊が一般人を傷つけないことも知ってるわ。通報すれば、運営が対応にくることも』

 女性はズイと前に出て、通信ウィンドウに映るカンナと相対する。

「あなたの情報は正しい。電賊は一般人を傷つけません。必要がなければ。ですが、彼女が拾ったものを返してくれなければ、それは必要な作業になります」

 ──おれ、男です。そんな訂正など、女性のへきがんは求めていなかった。

「あのぅ、おれ、返しますよ。でも、あのカード、消えちゃって……」

「あれはデータを具体化したものです。名はR・O・O・T。なにかの拍子で、あなたのデバイスに入ってしまったのでしょう。探して、具体化してください」

 ナオトはあわててウィンドウを開き、自分のデバイスに保存されているデータを探る。この手の操作は苦手だが、努力してすべての保存先を検索した結果──。

「……えっと、ないです」

 アーロンがげんな顔をする。女性のほうは……カチリと、拳銃の撃鉄を起こした。

「いや、ほんとうにないんです! ダウンロード履歴にも、ほら!」

 ナオトはウィンドウを公開閲覧モードにし、反転させて二人に見せる。

 電賊二人は、顔を寄せ合ってウィンドウを眺めた。

「たしかに見当たりませんね。アーロン、どういうことでしょうか」

「……R・O・O・Tは、グリッチャー・アプリの亜種かもしれない。デバイスや記録に残らないのも同じだし、さっきの光からは、L・O・S・Tに近いものを感じた」

「つまりR・O・O・Tの保存先は、彼女の……?」

 やがて電賊二人でためいきを重ねてから、アーロンが言った。

「いまは何もできないな。帰ろう。そのお姉ちゃんが通報しなくても、もうすぐここはエリア封鎖される。……ウィリアムの埋葬もあるしな。ドロップ・ポータル機能は?」

 女性は左手をくうに向けると、てのひらを中心に青い渦が発生した。あれは、門だ。

 渦門はぐにゃぐにゃ安定しようともがき、やがてえん型で固定化した。

「こちらも問題ありませんね。アーロン、いきましょう」

「オーケー。……災難だな、嬢ちゃん」

 アーロンはナオトに会釈をしてドロップ・ポータルなる渦へ入り、そのきよを消す。

 女性もそれに続こうとしたが、くるりとナオトへ振り返った。

 れいな碧眼。静かだが、その青色には強い感情が秘められていた。

「かならず取り返しにきます。わたしに、チャンスが残っていればですが」

「え、あ、うん?」

「もうひとつ。アーロンから伝言が。あと二〇秒で、あの車を証拠隠滅のため爆破する、なので大急ぎで逃げろ、だそうです。──それでは」

 爆破! 重大なことをさらりと言い残して、女性は入った渦の門ごと消えた。

 ビルから飛びでたナオトの背後で、爆炎がホテル一階フロアを焼き尽くした。