一章
深夜〇時二〇分になっても、この世界は眠らない。長方形や曲刀形の高層ビル群を、無数の照明と立体ウィンドウ広告が
そんなビル通りの端に、一台のオープンカーが
その後部席に、マーリアはいた。
彼女は、
「なあ、なあ、なあ。いったい、いつまで待つんだ、これよぉ?」
人の流動を観察していると、助手席の軽薄そうな青年──ウィリアムが騒ぎはじめた。
「素行を改めろ、ウィリアム。おまえはもうチンピラじゃないんだ」
苦言を飛ばすのは、運転席の巨漢──アフリカ系のアーロン。
かれらはマーリアと同じ〝組織〟の構成員であり、彼女のチームだった。
アーロンは
「獲物が入った店には三時間の制限がある。長くても、あと二十分で出てくるさ」
「二十分! 退屈で死んじまう」
「お嬢を見習え。静かにしてるだろ。おまえも、彼女からプロ意識ってやつを──」
「待ち飽きました」
「「……なんだって?」」
ウィリアムとアーロンが後部席に振り返る。
「本件は急ぎの仕事ということで招集されたのです。時間の浪費は避けたい」
「あー、マーリア? おれも退屈だが、べつに、計画を変更したいわけじゃないぜ?」
「早く動けば、それだけ猶予を得られます」
「まて、お嬢。──わかった。せめて、上から許可をもらってからにしよう!」
アーロンが秘匿通信を開いた立体ウィンドウをマーリアへ放る。するとウィンドウに中年男──直属上司であるプラチドが表示された。組織で十番目に偉い幹部は、高級スーツで絞った肥満体を椅子に収め、険のある目をしていた。
「上級幹部プラチド。仕事を早める許可をください」
『それでうまくいくのか? これの依頼人は、我々の将来を左右するほどの大物だぞ』
助手席から、ウィリアムがヌッと顔をウィンドウに突き出してくる。
「えー、ベッドから
『口を慎め、チンピラ
「はいはい、チンピラですとも。でも〝ぶっ壊れた〟チンピラってことをお忘れなく」
プラチドがウィリアムをねめつけるが、かれは
やがて、プラチドは『情報は正しい』と不機嫌そうに語り始めた。
『……先日、生体アプリ系企業アドリンクス社で、分析を依頼されたアプリが盗まれた。犯人は同社社員ジム・ウォルシュ。アプリ名はR・O・O・T。衝動的犯行だったのだろう。R・O・O・Tは、個人用の記憶媒体に収まらないほど大きなデータだった。だからジムはそれを抱えたまま〝その世界〟をさまよっているが、買い手が見つからない』
「ですが、わたしたちは買い手を見つけられた」
『期限つきでな。四十五分後、依頼人が一キロ先の廃ホテルに〝運び屋〟を用意する』
「わかりました。計画が滞りなく進んでもギリギリです。行動に移る許可を」
『方法は任せる。だが、もういちど言うが、この一件には我々の未来がかかっている』
「はい。しかし二つ、質問の許可を」
プラチドは不快そうにマーリアを見てから、
「まずひとつ。対象は〝こちら側〟の人間ではないのですね」
『ああ。調べによると、同業との接点もない』
「では、もうひとつ。わたしたちは帳簿係です。組織の潜在的負債を査定し、〝削減〟するのが仕事なのに、なぜ、泥棒から泥棒を?」
『……それは高度な話で、下っ端の知るところではない。──以上だ』
通信が切られると、ウィリアムはヘッドレストに後頭部をぶつけた。
「ちぇっ。なーんか隠してるぜ、あのケツの穴野郎。賭けてもいい」
「おい、ウィリアム。
「あれに指図される一生なら、掟に殺されるほうがマシだ。な、マーリア?」
「いえ、プラチドは正しい。アーロン、移動用意を。ウィリアムはわたしと共に」
マーリアはテキパキと指示する。チームで最優秀なのは
つまるところ、マーリアたちの仕事とは犯罪だった。
ウィリアムと車を降りると、マーリアは道行く大柄な男性にぶつかった。しかし両者ともよろけもせず、あいだに『強接触・注意』というウィンドウが表示されただけ。マーリアは男性と黙礼で別れると、目前の一〇階建てビルでエレベーターに乗った。
すると、階層ボタン前にウィンドウが現れる。店舗表だが、二五〇を超えている。ビルに収まりきらない数の店は、チレチコやトルティーヤなどファスト・フード店ばかりだ。
「リード施設ですか」
過去の行動から
ウィリアムが手動で店名を打つと、エレベーターは七階へ上がりはじめた。
「さて、マーリア。ここは大人の店だ。こんなカッコじゃマズい。仕事着になろうぜ?」
うなずき、マーリアは立体ウィンドウを開いて衣装項目から『黒服』をクリックする。
すると、
「おい、また衣装を変えたのか? こんどはだれの贈り物だ、着せ替え人形ちゃん?」
「ルイージャから。ブリトリャーニン製ですし、機能もデザインも気に入りました」
「マフィアの若奥様って感じ。……おれはどうよ?」
紫のシャツと白スーツ姿を見せびらかすウィリアムを眺め、マーリアは小首を
「結婚詐欺師でしょうか。もしくは詐欺セミナーの講師」
「ま、悪かない。おれたちゃ
「マフィアですから」
七階に到着すると、廊下の先にある
「なんだよ。おれ、十六だぞ! どうして入れないんだよ!」
「あー、ここシドニーエリアだもん。ウチらの国のエリア行こうぜ。それか別の」
「ちぇっ! 知り合いに見つかったらどうすんだよ!」
一人が
「……年齢制限ですか。わたしは通れませんね。モードを切り替えましょう」
二人はもういちど立体ウィンドウを開き、【グリッチャー】というコマンドを押す。
途端、重力が強くなった気がした。
正確には、よりリアルに感じられるようになった。五感が鋭くなり、樫扉の隙間から漏れるアルコールの匂いも嗅げるし、遮音壁越しの
「モード移行完了。行きましょう」
「確認だが、マジでいくのか? このモードになっちまったから、もうファスト・トラベルはできないし、ログアウトにも一手間いる。トラブったら駆け足で逃げるしかないぜ?」
「……イン・ボッカ・アル・ルーポ」
イタリア語の
「
「冒険をためらわぬ者が栄光を
マーリアは手を伸ばすと、年齢認証をするりと抜け、樫扉を押し開いた。
二〇七〇年現在から、二十年前のこと。
量子コンピューターと神経リンクデバイス、それらと脳を無線通信させる体内ナノマシンの普及がほぼ完了したことで、世界は〝新たな世界〟を構築した。
それがVRSNS。
個人、国家、企業。あらゆるモノがこのフロンティアに、夢とカネを抱えて飛びこんだ。現在は三つの大型VRSNSが有名で、人類の過半がいずれかを利用している。
VRSNSは、過去のオンライン・サービスすべてを包括・吸収した。
あらゆるものがVRSNSと
魅力の基盤は、かつて匿名技術者が公開した〝ブレイン・イノセンス・エンジン〟。
物理現象を完璧に表現するだけではなく、人間の五感をリアルに
VR企業はこのエンジンを各々でアップグレードし、成功した。その将来性と信用度は、発行されているVRトークンが安全資産とされていることからもわかる。
しかし、なにごとにもイレギュラーは現れる。
それが、電賊。VRSNSの暗がりで活動する次世代マフィア。
かれらは闇で
目的の店内では不調和なライトと音楽の中で、あられもない
マーリアはそれらを無視し、奥の席で背を向けている男を閲覧モード越しに見ていた。プライベート・レベルを最大にして、完全非公開設定にしている男だ。
「おろかな。SNSが基礎であるこの世界で、完全非公開はむしろ目立ちます」
ジムは四人テーブルで、ひとり
それがまちがいだと知ったのは、向かいのシートにマーリアたちが座ったときだろう。
驚いたジムはグラスジョッキを落としたが、床に落ちたそれは割れなかった。
「おい、気ぃつけろよ。ここが現実だったら店員に文句を言われるところだぜ?」
「両手をテーブルに置いてください。ログアウトも、ファスト・トラベルもなしです」
「あ、あんたたち、警察か? それともアドリンクス社の法務部か?」
命令されるがまま両手をテーブルにつけながら、ジムがおどおどと
マーリアはジムが落としたジョッキを拾いつつ、首を横に振った。
「あなたと同類項の犯罪者。ですが、あなたより悪辣な悪党です」
「……電賊、なのか?」
「はい。もっとも、特別な電賊ですが」
「目的はR・O・O・Tか? おまえたちに、あれは渡さない」
「なるほど。では、わたしたちがどう〝特別〟か見てから再考してもらいます」
唐突に、マーリアはジョッキをテーブル角に打ちつけて割った。その音に客も従業員も振り返らない。大音量のBGMが流れているせいもあるだろう。
しかし一番の理由は、食器が割れる音など〝ありえない〟からだ。
だから、それを見たジムは目玉を落としそうなほどショックを受けていた。
「非破壊設定オブジェクトの破損。……そう、わたしたちはセーフティを破れる。制限、権限、カメラなども。【コラプト】という機能ですが──こういう使い方も可能です」
マーリアは割れたガラス片をひとつ取ると、その切っ先を、ジムがテーブルにつけている左手の甲に当てた。するとパリパリと電気音がガラス片の先で鳴りはじめた。
ジムの手の上に透明な膜が形成され、ガラスとの接触を阻んでいたのだ。
「過剰出力カットシステム。痛覚を脳に送らせないためのセーフティですね」
「やめろ。おまえたちがなにを言ったところで──」
──ブースト・アプリ〈
マーリアがガラス片に体重を乗せると、カットシステムの抵抗を示す電光が強くなる。
ついに、カットシステムがバリンと割れた。ガラス片はジムの
「【コラプト】はこれも破り、同期緊急ログアウト機能も
「くそぉ! くそっくそっくそっ……!」
「さらに我々の〝力の本領〟は【コラプト】ではなく、そして死に方も様々です」
歯を食いしばるジムに、マーリアが淡々と追い打ちをかけていく。
「それでは、やり直しましょう。──R・O・O・Tは?」
「……内ポケット。上着の内ポケット。右だ」
マーリアがジムの懐を探ると、金属カードが出てきた。具体化したデータ・パッドだ。デバイスに送ろうとしたが、空き容量不足で
マーリアがガラス片を抜いて投げ捨てると、ジムは血まみれの左手を抱きしめた。
「これで済むと思うなよ、電賊ども……」
「いいえ、済みました。それでは」
「その力に代償がないと思ってるなら見当違いだと言ってるんだ、〝グリッチャー〟」
席を立ったマーリアとウィリアムが、丸くした目を合わせる。
この特別な力を操る者の名を──世界的に安全が認められているVRSNSの、隠された
「おまえたちは病気だ。その力の代償に気づいてないなら、先は短いぞ」
「代償、ですか? 〝力の本領〟を作った時点で支払いましたが」
「おまえたちはなにもわかっていない! いずれ後戻りできなくなる!」
「戻る過去を〝失った〟からグリッチャーです。あなたも知っているのでは?」
「そうだ。一部の〝過去〟と〝感情〟を支払うことで、無敵になったと勘違いしてる!」
叫ぶジムの目が左右に動くのを、マーリアは見逃さなかった。無音通信か。店内を見回すと、五人の男がこちらを盗み見しながら
(なあ、マーリアよぉ。ちょっと空気おかしくねえか? もしかしたら──)
突如、ジムが床に転がると同時に男たちが動いた。〝ポーチ窓〟という、デバイスに物を収納できるウィンドウから細長い金属を抜き、その鉄筒先端を二人へ向けた。
「おーい、VRSNSでマシンガンだと? カタギじゃなかったのかよ」
「正確には仮想兵器。どこかのクリエイト系グリッチャーが創った、【コラプト】を宿す武器です。おそらく実銃のイスラエル製アサルト・ライフルの──」
マーリアの説明を、五つの銃声が切り裂いた。
驚いた客たちが次々とログアウトしていく。ここがVRSNSだということも忘れ、足をもつらせながら出口に走る者もいた。男たちはそんな客を
仮想世界でもだ。カットシステムもこれほどの火力を受ければ停止し、自動ログアウト機能が働く。だが仮想兵器の【コラプト】がそれを阻むだけでなく、マーリアたちのグリッチャー・アプリ自体が、自動ログアウトという自衛セーフティをも拒否してしまう。
そして五体を砕かれた情報が脳へ出力され、重要臓器を動かす自律神経が止まり、死ぬ。
空撃ちの音がするころには、着弾点付近に白煙と熱のスクリーンが広がっていた。
音響機器も壊れ、踊り子BOTだけが設定された
「──設計図をデータ化して落としこんだだけの、粗悪品ですね」
煙の中で、赤い輝きが生じた。
「安心してください。歴史では
爆発的な突風が、煙と店のテーブルを打ち払う。
煙から現れたマーリアたちに傷ひとつなく、悠然と、男たちを見つめかえしていた。
なんの感動もない顔で。足元に、一頭の獣を
「わたしが記録に埋めてあげます。だれも振り返らないほど、深く静かな記録の底に」
その獣は、炎のような赤毛を
この赤と緑に彩られた獣こそ、グリッチャーが保有するもう一つの力。名は──。
「L・O・S・T……」
ジムが
「コードだ。【
しかし、護衛チームはわけがわからないという顔を
「リオニ・アラディコ、コード〈証明の渦〉を」
獅子剣士リオニ・アラディコが大剣を
こちらにも【コラプト】が宿っている。攻撃を受けた男は激痛にのたうっていた。
残った護衛チームがあわてて予備弾倉をライフルに突き刺そうとするが……。
「具体化、ボガード・フーァル」
ウィリアムの命令で横に現れたのは、
「【
怪人が両腕の十指を広げると、
ブレイン・イノセンス・エンジンによる、過酷なまでのリアリティだ。
──VRSNSという『経済』を揺るがすために秘匿されているが、十数年前から世界中の不特定アカウントに宛先不明のメールが送られている。
メールに添えられているのは、〝グリッチャー〟というVRSNS用アプリ。
それを受け取った者たちは【コラプト】により、あらゆるセーフティを突破する。
しかし【コラプト】が破壊するのは、セーフティだけ。
この〝力の本領〟は、ブレイン・イノセンス・エンジンの物理法則をも破壊する。
仮想兵器が壊れ、護衛チームは両手をあげる。ジムも、寒さと恐怖でへたりこんでいた。
「メインカラーが【
Link to Operate Special Terminator──通称L・O・S・T。
L・O・S・Tの能力は〝カラー〟と〝コード〟と呼ばれて体系化されており、マーリアのリオニ・アラディコのメインカラーは【力の赤】。他者を圧倒する色であり、中でも衝撃の発生・増幅・減少・偏向・遅延を愛用している。一方、ボガード・フーァルは【自由の黄】によるクリエイトと、熱量法則の変質を得意としている。
まさしく〝グリッチ〟といえる力だ。
マーリアはドレスについた氷粒を払うと、
「なぜ、一介の研究者で泥棒に過ぎないあなたが、そこまでグリッチャーに詳しいのでしょう? 我々は、世界的に隠蔽されている存在のはずですが」
リオニが
しかしマーリアが左手で先のデータ・パッドを振ってみせると、その顔に生気が戻った。
「このR・O・O・Tとやらは、グリッチャー関係のアプリなのですか?」
ジムがデータ・パッドに飛びつこうとするが、マーリアは左手を引き、かわりに右手を差しだす。そこにはポーチ窓から抜かれた大型リボルバー拳銃があり、散弾対応の大きな銃口でジムの額を押し戻していた。ジムは観念し、うなずいた。
「……そうだ。それはグリッチャー関連のアプリだ」
「はっ! なーにが一般人だ。おもっくそ〝こっち側〟の人間じゃねえか、あのデブ」
ジムは、
「これは治療薬なんだ、グリッチャー。おまえたちは病気だ。このままでは──」
マーリアはジムを無視して立ちあがり、出口に向かっていた。ジムがグリッチャーのことを知っている奇妙さについては、ほかのメンバーが調べるだろう。
自分の役目は、あと三〇分でこれを運び屋に届けること。
──そうして、わたしはまたひとつ〝価値〟を示せる。唇が、僅かに笑みを作った。
その笑みが、一瞬で消えた。頭の中で危険感知の針が振れたのだ。それもかなり大きく。
「……なあ、ジムおじさん。もう一つ教えてくれねえか」
同じく表情を厳しくしたウィリアムが、うなだれているジムに
「あんたがアプリをパクったアドリンクス社は、グリッチャーを抱えてるのかい?」
「い、いいや。一人もいない。パイプもない。だがR・O・O・Tは──」
「つまりこれは同業ですね。……きます」
ジムの後ろで、下から突き上げるような爆発が発生する。
そうしてできた床穴から、緑と青の霧が噴出した。
ノイズ音をまき散らしながら現れたのは、トンボだった。青色の胴はイトトンボに似るが、より細く針のように鋭い。緑色の
L・O・S・T。小さなL・O・S・Tの大群だ。マーリアは眉をひそめた。
「群体型L・O・S・T。メインカラーは【
トンボは穴から
マーリアにも群がってきたが、リオニが緑尾を
「……どこのグリッチャーでしょうか。目的は、このR・O・O・Tでしょうが」
「さーな、とにかく逃げるぜ!」
ウィリアムの命令で、ボガードは手中に
二人を乗せたリオニは
電賊はハッカーというより、現代技術に適合したマフィアと言っていい。
だから電賊同士は衝突する。だから、どこの電賊もグリッチャーを常に求めている。
「【
七階の高さからマーリアたちを乗せたリオニが落ちていき、音も衝撃もなく歩道に着地する。すると例のマスタングが横づけし、運転席からアーロンが
「おいおい、お嬢! こりゃなんの騒ぎだ!」
「同業とバッティングです。急いで出してください。おそらく追ってきます」
「例のお宝は?」
「もちろん、ここに。急いで引き渡しポイントへ向かいましょう」
リオニの具体化を解除して後部席に飛びこむと、マスタングは急発進した。
このマスタングにはハッキングコードを施している。運営の規制速度を破ってマシン本来の力を発揮する旧車は、大通りのスーパーカーたちを次々と追い越していった。
華やかな通りをぶっ飛ばしつつ、アーロンはズレた
「同業とバッティングだと言ったな? どこのファミリーだ!」
「さあ? しかし、このエリアは我々〈ウルヴズ〉の縄張りのはずですが」
「業界の力学も知らない素人か? そうは思えんがな!」
「まーまー、旦那。物事のいい面を見ようぜ。とりあえず、時間にはまにあいそうだ」
ウィリアムは後部席で立ちあがると、後ろを向いて微苦笑した。
「……悪い面は、これからグリッチャー戦になることくらいか?」
三台のセダンが追ってきていた。各車に四人が乗っていて、全員が黒の戦闘スーツとフルフェイス・ガスマスクを装備している。セダン三台との距離は、着実に縮んでいた。
「全員、〈
マーリアが言ったとき、セダンのリアドアからライフルを持った男が上体を出した。
ウィリアムがボガードを後部席に具体化する。壁となった悪鬼の胸に弾が激突すると、透明の破片が散った。獣毛と皮膚の間に氷膜を作り、異種多層装甲としていたのだ。
銃声に通行人たちが悲鳴をあげ、道路の車も走路を乱す。ウィリアムも悪態をついた。
「また仮想兵器だが、こんどは高級品だぜ! タフなボガードでも長くはもたねえ!」
「しかし初手が銃撃とは。相手は、全員がグリッチャーというわけではないようですね」
「冷静に分析してる場合か、マーリア! このままじゃ──うおっ!」
ボガードの脇を抜けた弾丸が耳元を
対処法は、
マーリアは再具体化したリオニの背に乗り、目を閉じていた。
「……【
リオニが喉を反らして
「L・O・S・Tの身体能力の一部をアバターへ転写完了。──いきます」
そして、リオニが突撃開始。跳躍してセダンのエンジンに緑大剣を
その一台と並走していたセダンの射手がリオニ上のマーリア本人を狙おうとするが、そのときには、猛獣の背に彼女の姿がなかった。
カツンと、ボンネットをヒールの底が叩く。マーリアだ。運転手はすぐさま振り落とそうとし、助手席の射手も窓ごと撃ち抜こうとするが……。
──ブースト・アプリ〈
これが、大電賊〈ウルヴズ・ファミリー〉の特長であり、他電賊との差だ。
風に粘りを感じた。〈狼の血〉は各種脳内物質を調整して認識・反射速度を向上させ、体内ナノマシンに構築させた通信網で神経伝達を加速・補完する。
そうやって、〈ウルヴズ〉メンバーに狼を宿らせる。
マーリアは両腕を広げ、指先を踊らせてポーチ窓を左右に高速展開。出現した二つのウィンドウから左手で幅広のナイフ、右手で大型リボルバー拳銃を抜いた。
助手席の射手は、車内で長物を構えるのに苦戦中だ。マーリアは足元のボンネットにナイフを刺した。L・O・S・Tの筋力を転写するコード〈反感伝播〉のおかげでナイフは楽々と金属板を貫き、彼女の身を固定。そして右手のリボルバーで射手を狙い──。
「……死の記録がまた一粒」
相棒の死に気を取られた運転手が、視線を前に戻す。
かれが
相手のライフルが高級品なら、このリボルバーは超高級品だ。あらゆる部品がリアルの工程を
ふたたびの二連速射で、セダンがよろけた。マーリアはボンネットからナイフを抜き、横へ身を投げる。それを、追走してきたリオニが背で受けとめた。
運転手を失ったセダンが道路を外れて街灯に激突。傾く街灯上には運営の公式立体広告が浮かび、『あらゆる壁を超えて、あなたを運命の下に』という文句を輝かせていた。
──そして運命は、いつも無慈悲だ。血まみれの、あのセダンのように。
「さて。これで、残すは一台。ふつうなら全滅以上と判断する被害ですが……」
顧みると、最後のセダンのルーフ上に、一人の男が立っていた。
風貌はほかの敵と同じだが、武器を持っていない。空の右手でリオニを指している。
マーリアはそいつへリボルバーをぶっ放すが、遠すぎた。散弾の一部がコンバットスーツの肩を
男の指先から黄色の
「グリッチャー。なるほど、いままでのは準構成員。ここから本番ですか」
黄光が具体化を開始。一瞬後には地を
速い。稲妻のように這い、リオニの後方につくと大
大蛇の頭が急上昇し、空駆けるリオニを追う。
「慣性変更コード〈屈服させる闘志〉」
リオニが前方にカーブ状の慣性変更フィールドを描き、身を投じる。すると速度を維持したまま軌道を曲げ、ビル壁側面に着地。そのまま緑爪を食い込ませ壁を駆けた。
ふたたび獲物を逃した大蛇の口端から、火の粉が漏れはじめた。コードの予兆だ。
マーリアも攻撃的コードを命じようとしたが、鋭い頭痛がそれを拒んだ。
コードは脳を使って実行している。連続使用すれば、脳がオーバーヒートして死ぬ。
そのとき、蛇の左半面に冷気球が直撃。左目が凍結する激痛に、大蛇がのたうった。
マスタングから、黄金悪鬼ボガード・フーァルが左手の冷気球も投げる。大蛇は身を
「クールダウンに入ります。L・O・S・Tおよび〈
マーリアはリオニを消滅させ、ウィリアムに受け止められて座席下へ放られる。
「よーし、ちょい休んどけ。だが、相手さんもやり手だ。逃げながらじゃ厳しい相手だぜ」
「しかし足を止めれば、騒ぎに気づいた運営から〝クリーナー〟が送られます」
「その心配も、おれたちが生きてればこそだがな!」
ふたたび迫る大蛇の顎から、【
「なめんな、蛇野郎!」
ボガードが両手から同カラーコードの冷気の奔流を放つ。分子運動の活性コードと停滞コードが激突し、混乱したブレイン・イノセンス・エンジンが景色を僅かに
打ち勝ったのはボガードだった。炎は熱を完全に奪われ、霧散していった。
ウィリアムの勝利の笑みが、引き
「ハッ。【
ウィリアムの失笑が、羽音に潰される。光学的迷彩を解いたトンボの奔流がボガードの肉体を削って黄の粒子に変えつつ、背後のウィリアムをも襲う。
やがてボガードが消滅し、後部席下にいたマーリアの眼前にウィリアムが落ちてきた。
その上半身は、きれいさっぱり無くなっていた。
「ウィリアムが死亡」
「くそぉっ!」
アーロンがアクセルを踏みつけるが、トンボ群がマスタングを包み、方々から
八つ裂きまで数秒。だが、すこしはクールダウンできた。マーリアは断面から血を噴くウィリアムの下半身を押しのけて立つと、そばにリオニを再具体化する。
荒れ狂うトンボたちの中、
「〈力の
二重
トンボの大半は消した。追撃に入ろうとしたとき、マスタングがぐらぐら揺れ、主従ともに倒れそうになる。ギアが
「くそっ、くそっ、くそっ! ぶっ壊れた!」
「……ですが、タイヤは回っていますね。ハンドルをまっすぐ固定してください」
「なに? お嬢、いったいなにを──」
リオニが右手の大剣を消滅させると、四肢の緑爪をマスタングの縁に食い込ませ、頭を後方へ向ける。その様はまるで大砲──いや、ロケットエンジンのようだった。
「指向性衝撃波コード〈証明の渦〉」
リオニの
アーロンの悲鳴から察するに、ブレーキは期待できそうにないが。
遠雷のような音が連続し、歓声みたいな人々の大声が遠くに聞こえる。
花火かな?
なんていったって、この世界は、毎日がお祭りなのだから。
ナオトはVRテスラプネ・シドニーエリア・第三地区のVR商店街をひとり歩いていた。雑貨店や服飾店の
オーストラリア時間に合わせてある夜の商店街は、目が
だからナオトは、目が
しかし、あるものが、その足を止めた。数十人が囲む壁端の広告映像だ。ペット特集のCMで、猫が優雅に木登りして、散歩して、孤独に飽きたら飼い主の膝で眠っている。
広告を囲む全員が猫派、ではない。リード広告だ。みな、それぞれ違うCMが見えているはずだ。ナオトの場合、まえにペットを調べたことをリード機能が記憶していたらしい。
……猫、欲しかったな。借りているアパートがペット禁止で、VRホームも持っていない事実に気付いて諦めたが、たとえVRペットでも寂しさを和らげてくれただろう。
ナオトは嘆息しながらフードを
「ねっ、ねっ、キミ?」
「ぴっ……!」
急に翻訳ソフト越しに声をかけられ、ナオトは肩を跳ねあげた。
正面にいたのは、五人組の男女。二十歳前後か。健康上の理由によって、アバターは現実の姿から変更できない────たとえば、足を長くしたアバターで動き回ると脳が本来の歩幅を忘れ、現実で転んでしまう──ので、美男美女ばかりではないが、二ヵ月まえに高校生になったばかりのナオトには、みんな大人の気風を
声をかけてきた先頭の女性は、ナオトの驚きように驚いた様子で、それから噴き出した。
「ごめん、脅かしちゃった? 怪しい人じゃないよ。わたしら、デザイナーの卵でね。いま、アジア系のモデルを探してるのよ。それでー……」
女性はナオトをジッと見つめる。閲覧モードでナオトの情報を調べようとしているのだろうが、あいにく完全非公開にしている。諦め、女性が
「ええと、きみ、男の子? 女の子?」
「男、です」
すると、五人全員が驚き声を
性別をまちがえられるのは、高校生になっても変わらなかった。そして──。
「おねがい、わたしらのモデルになって! こんどアバター衣装の大会用に出展するんだけど、きみにすごい創作意欲を感じるの。まずはフレンド登録を……」
ドォンとまた遠くで音がして、女性がうっとうしそうにアーケードを見上げた。
「もう、うるさいな! VR映画の撮影? あっ、ごめん。それで──あれ? あの子は?」
「あ? いねえぞ? どこいった?」
「ふつーに、怪しい勧誘だと思われちゃったんじゃなーい? しかたないけどさー」
「ちょ、ちょっと、みんな本気で探して! 逃げた魚はでかいわよ!」
女性の一喝で四人は散っていく。その死角からナオトは人混みに逃げ、最寄りのリード店舗へ向かう。そして店前に出たリード表の最上段の名を、見もせずクリックして入った。
リード機能が選んだのは、アマチュア服飾屋だった。地味なジーンズやシャツなど、仮想世界の面白さを反映していない衣装ばかり扱っている。客も年配の男性数人だけだ。
振り返れば、自動ドアの向こうで、先の女性たちがまだナオトを探していた。しかしオシャレな彼女たちのリード表に、この店は出てこないだろう。
ナオトはリード機能に感謝し、同時に皮肉を覚えた。
リード機能は
──性別をまちがわれるのは、高校生になっても変わらない。
──そしてVRSNS内でも、人が怖いのは変わらない。
「直さなきゃダメ、だよね? いつかは。うーん……」
近くのリード広告が、大手メンタルケア企業クロエ・アンド・カンパニーのCMを流していたが、ナオトは無視した。かれの場合、治療が必要なほど重大なものではない。
純粋に、怖がりなのだ。とくに明るい人たちは怖い。舌と頭が固まってしまう。
情けないが、改めるのは今日ではない。ナオトは商店街を出ると、進学してから出会った中で、ゆいいつ、まともに話せる人から送られたメモを展開した。
ナオトが所属するVR文化検証部の部長・
VR文化検証部──通称・VR文検部──は、いわゆるオカルト研究部。VRSNSの怪談や都市伝説を調べ、考察している。本音を言うと、興味はない。しかし、せっかく知り合えたカンナが熱中している活動だ。できる限り手伝いたかった。
──人間より、仮想世界をさまようオバケとお
なので、目的の多目的ビルを前にしても、ナオトは冷静に通信アプリを
「部長、ナオトです。ビルに着きました」
『よかった、無事についたのね』
通信ウィンドウに映るのは、ふわふわの黒髪を肩に垂らしている女子。いかにも良家のお姉さんだが、
「VRSNSを歩くだけですよ、部長。無事も危険もありませんって」
『でも
「あうっ」
ナオトが胸を押さえると、カンナは嘆息した。
『ごめんね、日野くん。やっぱり、わたしがログインするべきだったわ』
「へ、平気ですよ! おれは部長みたいに情報収集なんてできませんけど、VRSNS側での確認作業くらいならできますし。ささっ、調査を始めましょう」
カンナはうなずくと、キリリと表情を引き締めた。
『……先日、VR文検部に匿名メールが送られてきたわ。内容はこう。〝今日の日本時間午後八時、そのビルでおまえが探しているものが見つかるだろう〟ってね』
「部長が探しているものって、どれだろ。データ化した幽霊に、電賊、運営のユーザー行動監視システム……あっ、高度自我をもって研究所から逃げ出したAIも」
もちろん、どれも発見には至っていない。カンナは軽く肩をすくめた。
『わからない。その施設もクリーンよ。一二〇の企業が入っている、ただのVRオフィスビル。とりあえず、入ってみて。……視覚リンクをお願いしていい?』
自分の視点をカンナと同期させてからビルに入ると、ホールでは笑顔の受付嬢がいてギョッとしたが、すぐにBOTだとわかり、ホッとしながら声をかけた。
「あの、約束があるんですけど。名前は
「各社にアクセス。──アポイントはありません。お
「へっ、あ、いいです。すみません……」
受付から離れると、カンナが言った。
『アポイントなし、か。うーん、メールの送り主は、対面したいわけじゃなさそうね』
「どうしましょう……?」
『メールには位置指定子も添えてあったわ。リード表の。ビルでリード表があるのは……』
「エレベーター、ですかね」
『ええ。注意して、日野くん。いつもどおり、ログアウトと通報の準備も常に』
ナオトはホール奥のエレベーターへ向かうが、そこまで警戒していなかった。
この二ヵ月、様々な活動をしてきたが、ノーヒット。カンナは不服だろうが、調査のおかげで風評被害が払拭されたと、現場のVR商業組合からお礼を言われたこともある。
──メールの人も、ビル関係者では? なにか
さて。オバケに会えるか? もし、いたら、どこかに自分の両親のオバケもいるのか?
そんなことを考えていると、ふと、異常に気付いた。
「……あれ? 部長、このエレベーター、動いてないです」
『閉じ込められたってこと? 故障か、指定子が合ってなかったのかしら』
「どうでしょう。でも、ログアウトかファスト・トラベルかすれば簡単に出られ──」
突然、エレベーターがガクンと震えた。階層ボタン前のリード表の文字は劇薬を浴びた線虫のように
『ターゲット捕捉。【
機械音声が聞こえたあと、エレベーターが猛然と急落下を始めた。
「うわっ、うわわわわわっ!」
ナオトは壁にへばりつく。エレベーターは速度をあげ、ずっとずっと落ち続けている。
平気だ。仮想世界でケガはしない。ナオトは目を
いったい、あの位置指定子は自分をどこへリードするのかと思いながら。
エレベーターが止まったショックで
「なに、なにが……?」
辺りは薄暗かった。そして、いまさらだが……変だった。ここは、どこかのホテルの一階らしい。しかし人はおらず、宙の
そうなのだ。あれだけ落ちたのに、ここは一階なのだ。
『
「あ、部長。はい。でも、ここ、どこでしょう?」
『いま位置検索したわ。……ねえ、さっき、ファスト・トラベルした?』
「いいえ。そんな余裕ありませんでしたけど……」
だが、ここはさっきと別の建物だ。振り返ると、エレベーターは照明と同じく電源切れで沈黙している。変だ。一部のアクセシビリティ機能を除き、VRSNSの事象はブレイン・イノセンス・エンジンの物理法則に
『そこは、さっきのビルから二キロ離れた、ホテルの〝モデル〟──設計図よ。現実側でホテルが完成したら、このモデルもVRSNSで利用する……はずだったけど、モデル施工段階で強度問題が発覚して、計画は中止になったそうなの』
「はぁ、だから人がいないんですね……」
『というより、いてはならないわ。VRSNSにも不動産はあるわ。このホテルは売物なのよ。つまり日野くんは……いま、不法侵入中。正確にはハッキング中よ』
「えええっ! お、おれ、エレベーターに乗っただけなんですけど!」
『平気。きちんとログも取ってる。けど、せっかくだから調べてみましょう』
そうはいっても人はいない。もちろん、オバケも。あてどもなくフロントを抜けてカフェエリアへ向かい、埃が積もったカーペット床に足跡を残していくと……。
「んん……?」
ナオトは小動物みたいに臆病だ。だからだろう。五感も、小動物なみに鋭い。
その耳が異変を捉えたのだ。商店街で聞いた花火の音。あれが近付いてきている。
T字路に面した横のガラス壁が、カッとライトに照らされた。
車だ。ボロボロのオープンカーが、おそろしい速度で向かってきている。パンクしているらしく、タイヤから火と煙を噴き出していた。ブレーキの気配は、ない。
「わ、わ、わわわわわっ!」
本能的に奥へ走り、カフェのカウンター上を転がるようにして裏へ隠れた数秒後。
オープンカーがガラス壁を破って侵入。赤熱したタイヤでカーペットに火の
静かになると、ナオトはカウンターの縁から、そっと無残なカフェを
食べ物ではないのだ。建物も家具も非破壊設定のはず。いったい……。
『
「あ、部長。えっと、その、車が、つっこんできて……」
壁に半ば埋まっている車は、ここまでどんな目に遭ったのか、傷だらけ穴だらけだ。
「ホテルも車も、ボロボロです」
『かろうじて映像を確認できた。これは……すぐログアウトして。これは犯罪現場よ!』
犯罪? ナオトが首をかしげたとき、オープンカーで動きがあった。
運転席から
「くそっ、カットシステムが止まった。──おい、お嬢、無事か!」
後部席から、長身の女性が立ちあがる。奇妙な衣装だった。立派な黒ドレスだが、山火事現場を通り、そのあと荒波を泳いできたような有様だ。しかも血の海だ。
「カットシステム八七%減。アーロン、そちらの負傷度は?」
「かすり傷だ。……ウィリアムに比べればな」
悲痛な顔をするアーロンという大男にひとつうなずくと、金髪の美女はホテルを見回す。
その
『はやくログアウトして、日野くん。そいつらは電賊よ!』
──電賊? VRSNSの無法者にして、情報社会の大敵?
だが、ナオトは動けなかった。魅了されていた。こちらへくる女性の姿に。
だから女性が破れて垂れさがるショールを引きちぎり、何のためらいもなく、しなやかな四肢や腰を
女性が間近で止まると、一枚の金属カードを差し出してきた。