予想外
冬期休暇が明けて、一ヶ月が過ぎた頃。
まだ地面に雪が残る肌寒い朝、いつものように屋敷まで迎えに来て下さったアーサー様の表情は少しだけ暗くて。理由を尋ねたところ、返ってきた答えは予想外のものだった。
「……我が国の第四王子であるディラン殿下も一緒に、ティナヴィア王国へ留学することになってしまったんだ」
「えっ」
昨晩、彼が王家主催の晩餐会に招待されているとは聞いていたけれど、まさかそんな話になっていたなんて。思わず驚きの声が漏れた。
「俺も一緒なら安心だと陛下に言われてしまっては、流石に断ることなど出来なくて」
「わたし、お邪魔なのでは……」
「そんなことはないよ。婚約者も一緒だと伝えてあるし、殿下もアリスに会うのを楽しみだと言っていたから」
旅行気分で来て欲しいと言ったのに、気を遣わせることになってしまってすまない、とアーサー様は申し訳なさそうに瞳を伏せた。
……第四王子であるディラン様は確かわたし達よりも二つ年下で、何度か姿を見たことがあるけれど、林檎のような赤い髪が印象的な、活発で明るい雰囲気の方だった。
「卒業後、すぐに隣国へ向かうことになる。留学期間は当初の予定よりも伸びるし、滞在先はあちらの王宮になると思う」
「お、王宮……」
なんだか話のスケールがあまりにも大きくなっていて、わたしは軽く目眩がしていた。第四王子と公爵家長男と、わたし。明らかに一人だけ浮いている。その上何ヶ月も王宮に滞在するなんて、ぐっすり眠れる日が来るとは思えなかった。
「……嫌に、なった?」
「い、いえ! 驚いてしまっただけです」
その不安が顔に出てしまっていたのだろう。
アーサー様はわたしの手を握ると、縋るような視線をこちらへ向けた。
「こんなことになっても、嫌なら行くのをやめていいと言ってあげられなくてごめん。何ヶ月も君と離れていたくないんだ。なるべく、大変な思いをさせないようにするから」
「アーサー様……」
間違いなく彼の方がわたしよりも大変だというのに、気を遣わせてしまって申し訳なくなる。彼の手をそっと握り返すと、笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。少し緊張や不安はありますが、アーサー様と一緒に行きたい気持ちは変わっていません」
「良かった。必ず時間を作るから、二人で観光もしよう」
「はい、楽しみにしていますね」
わたしのその言葉に、アーサー様は今日初めての笑顔を見せてくれたのだった。
◇◇◇
「おかえり、アリス」
「お父様、只今帰りました。……お客様ですか?」
ディラン殿下の話を聞いてから、一週間後。学園から帰宅して広間へと入ると、お父様と向かい合って座る見知らぬ男性の姿があった。焦げ茶色の髪と目をした柔らかな雰囲気のその男性は、わたしを見るなり嬉しそうに目を細めた。
「初めまして、アリスちゃん。君の父の幼馴染で、親友のロナルドだ。よろしくね」
こちらこそ、と挨拶をするとすぐにお父様に隣に座るよう促された。何故わたしがこの場に、と不思議に思いつつもメイドに鞄を預けソファに腰を下ろす。
「私はティナヴィア王国に住んでいて、君が我が国に留学に来ると聞いてやって来たんだ。頼みたい事があって」
「頼みたい事、ですか?」
ロナルド様は少し表情を曇らせた後、続けた。
「……私には君よりも一つ歳下の娘がいるんだが、アカデミーで公爵家の方に粗相をしてしまってからというもの、浮いてしまっているようなんだ。友人も皆離れていったようで……。それでも家族の私達の前では笑顔を作って、何も言ってはくれなくてね」
「そんな……」
「君さえ良ければティナヴィア王国に滞在中、我が家に遊びに来てくれないだろうか? 娘のエマと会って、話し相手になって貰えたら嬉しい。他国の令嬢の君なら、何のしがらみもなく友人になって貰えると思ったんだ」
そうしてロナルド様は、どうか頼むと悲痛な表情で頭を下げた。娘のためにこうして他国まで来て、わたしのような若い娘に頭を下げているその心情を思うと、胸が痛んだ。
社交界では、たった一度のミスが命取りになる。公爵家の方に目をつけられてしまったのなら、尚更だ。エマ様から離れて行ったご友人達の気持ちも、分からなくはない。彼女と一緒にいて目をつけられてしまっては、家族に迷惑をかけることだってあるのだから。
「ロナルド様、お顔を上げてください。わたしでよければ、是非エマ様とお友達になりたいです。初めて行く場所に、友人がいるのは心強いですから」
「本当かい? ありがとう……! もちろん我が家を滞在先にしてもらっても構わないんだ」
正直、かなり有難い申し出で。王宮で数ヶ月過ごすと思うと、息が詰まりそうだった。それにロナルド様のお屋敷でお世話になれば、エマ様ともより仲良くなれるに違いない。
かと言って、わたし一人で決めることなど出来ない。アーサー様に確認をとってから返事をすることにした。
「ありがとうございます。宜しければ、もっとエマ様のことを教えて頂けませんか?」
「ああ、もちろんだよ」
そうして嬉しそうにエマ様のことを話すロナルド様を見て、少しでも彼らの力になれたらいいなと、心から思った。
翌日、わたしは早速アーサー様にロナルド様の話をし、王宮で暮らすのは落ち着かないこと、出来るのなら彼の屋敷に滞在したいことを正直に伝えた。
「少し調査をして大丈夫そうであれば、構わないよ」
「調査、ですか?」
「うん。君の父上の友人だから大丈夫だと思うけれど、何ヶ月もアリスが暮らすんだ。一応ね」
それでアーサー様が安心出来るのならと、わたしは頷く。
「エマ嬢に、兄弟は?」
「居ないはずです、一人娘だと聞きました」
「それなら良かった。アリスが同年代の男性と一緒に暮らすなんて、流石に許せそうにない」
アーサー様は、困ったような笑顔を浮かべた。そう思って貰えるのは、なんだか嬉しい。
「エマ様は王立のアカデミーに通っているそうで、わたしもそこの短期留学生として通ってもいいでしょうか?」
「もちろん。アリスには好きなことをして欲しいからね」
「ありがとうございます!」
アカデミーでは年齢は関係なく、学びたいものを数ヶ月単位で学ぶことが出来るらしい。アーサー様とディラン殿下は、王宮内にある専門機関で勉学に励むと聞いている。
──留学まで、あと三ヶ月。
不安や緊張もあるけれど、まだ見ぬ他国での生活や友人への期待に胸を膨らませていたわたしは、ティナヴィア王国で波瀾万丈な学園生活を送ることになるなんて、この時はまだ知る由もなかった。