届かない笑顔を追いかけて

「……アーサー様、もう寝ましたか?」

「まだ起きているよ」

おやすみという言葉を交わし、明かりを小さくしてから三十分程経っただろうか。慣れない場所のせいか、瞳を閉じて羊の数を数えてみても、全く眠れる気配はなくて。

もしかしたらアーサー様も、という期待を抱いて囁くような声で尋ねてみたのだ。眠っている彼を起こしてしまったらという不安もあり、返ってきた答えに安堵した。

お世辞にも柔らかいとは言えないこのベッドは、セミダブルサイズであまり大きくはない。寝返りを打てばぴったりとくっついてしまいそうな距離が恥ずかしくて、わたしは彼に背を向けるような体勢で横になっている。

「まだしばらく、眠れなさそうですか?」

何気なくそんなことを聞いてみると、背中越しにアーサー様がくすりと笑った気配がした。

「好きな女性と同じベッドの上にいて、すぐに寝付く事が出来る男がいるのなら会ってみたいな」

「…………!」

その言葉に、一気に顔に熱が集まっていく。改めてこの状況を意識してしまい、わたしは指先ひとつ動かせない程に固まってしまっていた。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

「す、すみません……!」

「こっちを向いて欲しいな。アリスの可愛い顔が見たい」

とてつもなく恥ずかしいけれど、そんな風にお願いされて嫌だなんて言えるはずがない。

ゆっくりと反対側を向くと、柔らかく微笑むアーサー様と目が合った。今まで以上に早鐘を打ち続ける心臓の音が、彼にまで聞こえてしまわないかと心配になる。

それからは、ぽつりぽつりとお互い他愛のない話をしていたけれど。話題が留学の話に移ったところで、不意にアーサー様は「もうすぐ卒業か」と呟いた。

……この休みが明けた後は、最後の試験と卒業パーティがあるだけだ。あっという間に卒業式を迎えることになるのだろう。登下校中や昼休みに彼と過ごしていた時間がもうすぐ無くなってしまうと思うと、とても寂しい。

そもそも、アーサー様と再会してからまだ一年も経っていないというのが信じられない。そう思える程に、彼と過ごした日々はとても充実したものだった。

「アーサー様にとって、どんな五年間でしたか?」

「俺の学園生活はアリスが全てだったよ」

「えっ?」

わたしと彼が一緒に過ごしたのは、五年間のうちのたった数ヶ月だ。だからこそ不思議に思っていると、アーサー様はそっと右手でわたしの頬に触れた。

「毎日、君を探してたんだ」

ひどく切ないその声色と手つきに、胸が締め付けられる。

「一目だけでも姿を見たくて、登校時間を変えてみたり、意味もなく廊下に出てみたりした。馬鹿みたいだろう」

「そんなこと、ありません」

「君の笑顔を見れた日には、どんな事でもできる気がした」

初めて聞くその事実に、わたしは驚きを隠せなかった。当時のわたしがその話を聞いたとしても、そんな馬鹿なと笑い飛ばして絶対に信じなかっただろう。

「二年くらい前かな、廊下ですれ違い様にノアが君とぶつかったことがあった。アリスはすぐにすみませんと謝って、それに対してノアもごめんね、と返したんだ。たったそれだけでも、君と言葉を交わしたノアが羨ましくて、しばらく八つ当たりをしてしまったよ」

「ふふ、理不尽すぎます」

訳もわからずに八つ当たりされて戸惑うノア様を想像し、申し訳ないけれど思わず笑ってしまう。

そんなにも彼が自分を想ってくれていたことを改めて知り、わたしは嬉しさで身体中が満たされていくのを感じていた。

「アリスは、いつ俺のことを知ったの?」

「お名前は前から知っていましたけど、お顔と一致したのは入学してすぐです」

公爵家の長男である彼の名前や評判は、社交の場でもよく耳にしていた。学園で初めてその姿を見た時には、あまりの美しい姿に見とれてしまったことを思い出す。

学園内で彼を見かけた時には、あんな完璧な人が好きになる女性はどんな人なのだろう、と想像したこともあった。

……まさかそれが自分だなんて、思いもしなかったけれど。

「ずっと、素敵な方だなと思っていました」

「本当に? 当時の俺に教えてあげたいよ」

当時のわたしにとっても、彼は遠い雲の上の存在で。

だからこそ、今こうして一緒に居られること自体が奇跡みたいなものだった。

「ねえ、アリス」

「なんですか?」

「抱きしめてもいいだろうか」

突然のその言葉に動揺しながらもこくりと頷けば、そっと抱きしめられた。

彼の腕の中は、とても安心する。優しい温もりと大好きな匂いに包まれながら、わたしはいつの間にか眠りについていたのだった。

◇◇◇

アーサー様と共に一夜を過ごした翌日は、前日と打って変わって快晴で。無事に王都へと戻ることができた。

そして数日後の冬期休暇の最終日、わたしはリリーに誘われ彼女の好きな俳優が出ている舞台を見に行き、王立図書館などが入っている施設のカフェでお茶をしていた。

冬期休暇で会えなかった分たっぷりとお喋りをし、そろそろ帰ろうかと会計を済ませ、出口へと向かう。その途中で、不意にカランと音を立てて、リリーの髪飾りがわたしの目の前に転がった。

すぐに拾おうと、屈んだ時だった。

「邪魔だ、退け」

頭上から、吐き捨てるような冷たい声が降ってきて。驚いて顔を上げれば、ひどく冷たい金色の瞳と目が合った。