グレイ・ゴールディング
「……酷い、です」
グレイ様からの告白を聞いて、一番にわたしの口から出てきたのはそんな言葉だった。
彼がわたしとの婚約をずっと望んでいたことや、わたしへと向けるその視線から、その気持ちには何となく気づき始めてはいた。それでもこうしてはっきりと言葉にされると、戸惑いを隠せない。
散々人を傷つけておいて、今更好きだなんて言う彼は自分勝手だ。
そんな告白など、聞きたくなかった。
「っ色んなことも、我慢して、」
「アリス」
「わたしは本当に、辛かったのに……」
「……本当に、すまなかった」
何をするにも罵倒され、まともに友人も作れず、年頃の令嬢らしいお洒落をすることすら許されない。そんな辛い思いばかりをしてきた過去の自分が、あまりにも可哀想で。思わず泣いてしまいそうになるのを必死に堪える。
今更反省して謝られたところで、許す事などできるはずもない。けれど彼も、それを十分に理解しているようだった。
しばらく沈黙が続いた後、口を開いたのはグレイ様だった。
「アリスが病院で目覚めた後、俺が居てくれてよかったと、言ってくれただろう」
「……はい」
「その言葉を聞いた時、目の前の霧が全て晴れたような気分になった。きっと、ずっと誰かに言って欲しかった言葉だった」
わたしのあの何気ない一言が、彼にとってはそれほどに意味のあるものだなんて、思いもしなかった。そんな言葉に救われてしまう彼は、どれほど追い詰められていたのだろう。
「俺はもう、それだけで生きていける」
両親から愛されて育ったわたしには、彼の気持ちは分からない。けれどきっと、想像もつかないほどに悲しくて寂しくて、孤独だったに違いない。
──グレイ様が、嫌いだ。誰よりも嫌いだった。
けれどそんな言葉だけでは片付けられないほどに、目の前の彼は可哀想な人だった。
「半年後、成人したら俺はあの家を出る」
「えっ?」
「知人の元で平民として雇ってもらうことになっている。今後、アリスに会うことも無いだろう。それまでの期間も、社交の場にはもう顔を出さない」
「そんな……」
「ゴールディング家は、もう長くない。どちらにせよ家を出た後には、奴らの悪事を明るみに出すつもりだ」
彼がそんなことを考えていたなんて、全く知らなかった。家族も地位も捨て平民として生きていくなど、想像もつかないほどに辛く大変なことだろう。
それでも目の前の彼は、本気のようだった。
「アリスは、本当に優しいな」
「グレイ、様?」
「今日は来てくれてありがとう。最後に会えて嬉しかった」
そう言うと、彼はテーブルの上に多すぎるお金を置いて立ち上がった。本当にこれで、彼に会うのは最後なのだろうか。なんだか、現実味がなかった。
そのまま店を出ていく彼に対してかける言葉が見つからず、わたしはその背中を見つめることしか出来ない。彼は、一度も振り返ることはなかった。
……グレイ様との関わりが無くなるなんて、少し前のわたしならば飛び跳ねて喜んだに違いない。それなのに、今は心の中にぽっかりと穴が空いてしまったようだった。
思い返せばわたしの記憶の中には、いつも彼がいて。
誰よりもわたしの一番近くに居たのも、グレイ様だった。
『アリスと、ずっと一緒にいれたらいいのに』
記憶の中の彼は、笑っている時ですらどこか寂しそうで。わたしの顔を見る度に、いつもほっとしたような表情を浮かべていたのを思い出す。
この胸の中にある感情が一体何なのか、今のわたしには分からなかった。
◇◇◇
「すみません、お待たせしました」
グレイ様が出ていったあと、わたしはしばらくそこに一人座ったままだった。やがて冷えた紅茶をひと口だけ飲むと、アーサー様が待ってくれている馬車へと戻った。
「このままアリスの家へ送って大丈夫だろうか」
「少しだけ、遠回りしてもらえませんか」
「君がそうしたいのなら、いくらでも」
アーサー様は、そんなわたしに何も聞かなかった。ただ、何も言わずに隣でわたしの手を握ってくれている。それが何よりも心地よくて、甘えてしまう。
「……辛いことがあったとしても、最後には必ずその分幸せなことがあるのだと、お祖母様はいつも言っていたんです」
突然そんな話を始めたわたしを、アーサー様は穏やかな顔で見つめ、黙って聞いてくれていた。
「けれどこの十年間は辛いことの方が多くて、どうしてわたしばかりこんな目にあうんだろうと、ずっと思っていました」
「………………」
「でも、わかったんです」
お祖母様が言っていたことが、間違いではないかと思った日もあった。それほどに、長くて苦しい十年間だった。
けれど、今は違う。
「全部、アーサー様に会うためだったんですね」
「アリス、」
「わたしは今、本当に幸せですから」
そう言ったわたしをアーサー様はやさしく引き寄せ、そっと抱きしめてくれた。その温かさに包まれながら、瞳を閉じる。
「……これからは、もっと幸せにするよ」
そんな優しい彼の腕の中で、わたしは過去の自分が報われていくような、そんな気がしていた。