こぼれ落ちる

「コーヒーと、紅茶を一つずつ」

「かしこまりました」

店員の女性は彼の顔を見ると少しだけ顔を赤らめ、ぺこりと頭を下げるとオーダー表片手に厨房へと入っていく。

わたしは今、グレイ様と二人静かなカフェにいた。グレイ様とこんな風に向かい合って話す日がくるなんて、思いもしなかった。

……彼から手紙が届いたあと、アーサー様とも相談した結果、カフェという人目がある場所で会うことにしたのだ。彼は今も、店の近くで待ってくれている。

グレイ様が何故会いたいと言い出したのかは分からないけれど、わたしとしては改めてお礼を言い、彼の怪我の具合を知りたかった。

やがて目の前に置かれた紅茶を一口飲むと、わたしは口を開いた。

「お身体の方はどうですか?」

「問題ない。腕の怪我は良くなったのか」

「はい、お蔭様で。ほとんど完治しました」

「それなら、よかった」

目の前の彼は、その雰囲気も話し方も何もかもが、信じられないくらいに穏やかだった。

わたしが知っている彼は、触れたら怪我をしそうなくらいに刺々しくて、一緒にいるだけで息が詰まりそうだったのに。まるで人が変わったようで、戸惑ってしまう。

赤黒く腫れていた頬も元通りになり、彼は美しい顔でまっすぐにわたしを見ていた。

「お花も、ありがとうございました」

「ああ」

「どうして、あのお花を?」

「昔から好きだっただろう」

やはりわたしが好きだったのを覚えていて、わざわざ送ってくれたらしい。本当に、何もかもがグレイ様らしくないと思ってしまう。

「覚えていて下さったなんて、思いもしませんでした」

「全部、覚えている」

「えっ?」

「アリスとの事は、何ひとつ忘れてなんかいない」

……何と反応したらいいのか、わからなかった。まるで初対面の人と話している様な気分だった。

「初めて会った日を、覚えているだろうか」

「……覚えています、けど」

突然の質問に驚きつつも、その日のことは記憶にあった。

──確かわたし達が六歳の時だ。今日はお友達が出来るわよ、とお母様に連れられて向かったのがゴールディング家だった。

大きなキラキラとしたお屋敷の中にいた、キラキラした綺麗な男の子。それがグレイ様だった。

こんなに素敵な子とお友達になれるなんて、と嬉しかったのを覚えている。

『はじめまして、グレイ様! アリスと申します』

『……アリス?』

『はい、よろしくお願いします』

手を差し出せば、彼は温かな手でそっと握り返してくれて、胸が弾んだ。

それからは家族ぐるみの交流が多くなり、彼とはよく会うようになった。その頃のグレイ様は誰よりもわたしに優しくて、だんだんと大切な存在になっていった。

グレイ様に会う日には、いつもよりも身だしなみを気にして、ドキドキしながら会いに行った。子供ながらに、恋のようなものをしていたのかもしれないと、今になって思う。

……けれどそんなある日、突然彼は変わってしまったのだ。

それから十年以上、わたしは彼から酷い扱いを受け続けるうちに、彼が誰よりも嫌いになっていた。そして誰よりも嫌われていると思っていた、のに。

「太陽みたいだと思った」

「……え、」

「眩しくて温かくて、俺の欲しかったものそのものだった。家族の中に居場所は無くても、傍にアリスさえ居てくれれば幸せになれると思った」

驚いて顔を上げれば、視線が絡んだ。燃えるようなその赤い瞳から、目が離せなくなる。

「過去にしてきたことを、許して貰えるとは思っていない。今更、こんなことを言うのも迷惑だというのもわかっている」

「……グレイ、様?」

「それでも、最後に伝えたいと思ったんだ」

彼の予期せぬ言葉に戸惑い、頭の中が真っ白になっていたけれど、最後という言葉に心臓が嫌な音を立てた。そんなわたしを見透かしてか、彼は困ったように眉を下げ、微笑んだ。見たことがないくらい、ひどく優しい表情だった。

──どうして今更、そんな顔をするのだろう。

そして彼は、まっすぐにわたしの目を見て言ったのだ。

「初めて見た時から、ずっと好きだった」と。