まっすぐに

「アリス、そこ間違ってるよ」

「ありがとうございます、ここが本当に苦手で」

あれから一週間。腕の傷もほぼ治り、わたしは明日自宅に戻ることになっている。自分から言い出したものの、寂しい気持ちでいっぱいだった。

これからはまた、アーサー様と会えるのは学園への行き帰りと昼休みだけになる。一緒に朝食を食べたり、寝るまでゆっくり話をしたり。そんないつの間にか当たり前のように思えていた日常が、特別なものだったことに今になって気づく。

そして最終日の今日は、二人で紅葉を見に行くはずだった。けれど生憎の雨で、わたしはアーサー様に休学中の勉強を教えて貰いながら過ごしていた。彼の部屋で隣に座り、分からない所を聞きながら問題を解いていく。

アーサー様の教え方は、とても分かりやすい。彼は学園の中でも片手に入るほどの上位の成績だ。本当に彼は何でもそつが無い。もちろんそれが才能によるものだけでなく、人知れず積み重ねられた努力があるからだということもわかっていた。

わたしはと言えば真面目に勉強をしてきたおかげで、全体では上の下くらいの成績だった。数学だけはかなり苦手で、今日も数学を中心に教えてもらっている。

アーサー様はわたしが質問をする時以外は、隣で本を読んでいた。何気なくすぐ隣を見れば、真剣な顔で文字を追う姿がすぐそこにあって。あまりにも綺麗な横顔に、つい見とれてしまう。

──アーサー様の横顔をじっくりと見る機会というのは、あまり無かったかもしれない。

そしてそれは、いつも彼が真っ直ぐにわたしの方を向いてくれているからだと気が付いた。舞台を見に行った時ですら、こちらを向いているくらいなのだ。思い出して、思わず笑顔になる。

長い睫毛に、すっとした高い鼻、薄い綺麗な形の唇。ため息が漏れてしまいそうなくらいに、その顔は美しく整っていた。

「……そんなに見つめられると、少し照れるな」

気が付けば長時間見つめてしまっていて、わたしはすぐに謝ると慌てて視線を教科書へと戻した。

そして今度は、わたしが視線を感じる番で。彼はそっと本を閉じると頬杖をつき、わたしの方をじっと見つめていた。

「俺の顔、そんなに見て楽しい?」

「……き、綺麗だな、と思いまして」

「嬉しいな、もっと見ていいよ」

なんて言う彼の方を見られるはずもなく。わたしはひたすら頭に入ってくるはずもない数式を、見つめることしかできない。

「アリスは本当に可愛いね。少し、休憩にしようか」

「はい、すみません……」

やがて落ち着いたわたしは、先程から気になっていたことを尋ねてみた。

「いま読んでいる本は、どんな内容なんですか?」

「これは隣国のティナヴィア王国についての本だよ。代々、グリンデルバルド家の跡取りは学園を卒業後、短期間留学することになっているから」

「ということは、アーサー様も行かれるんですね」

「ああ、最低でも三ヶ月程は居ることになると思う」

隣国のティナヴィア王国は大国で、政治や教育など多岐にわたってこの国よりも発展していると聞いたことがある。王太子や貴族の子息が留学することも少なくない。

まだ先のことだけれど、三ヵ月という長い期間アーサー様に会えないのはとても寂しい。そんな気持ちが表情にも出ていたのだろう。彼は柔らかな笑顔を浮かべた。

「良かったら、アリスも一緒に行かないか」

「わたしも、ですか?」

「ああ。君さえよければ。アカデミーで興味がある分野を学んでもいいし、ただ旅行気分で付いてきてくれたっていい」

それは、とても魅力的な誘いだった。いつかは他国へと行ってみたいと思っていたけれど、もちろんそんな機会なんて無くて。

その上アーサー様と一緒にいけるなんて、言葉では言い表せないくらいに嬉しい。この先一番の楽しみになりそうだった。

「是非、行ってみたいです」

「本当に? 良かった。すぐに手配しておくよ」

アーサー様はほっとしたように微笑んだ。

◇◇◇

翌日、自宅に戻ると皆に温かく出迎えられた。両親にもひどく心配をかけてしまい、本当に気をつけなければと改めて反省した。

広間で休んでいると、丁度昨日届いたのだとお母様から大きな花束を渡された。わたしが一番好きな、あの花だった。

「お手紙も一緒に届いてたわよ」

「これは、どなたから?」

「グレイ様よ」

「……グレイ様から、ですか?」

先日、助けてくれたお礼と体調を気遣う手紙を送ったものの、返事なんて来ないだろうと思っていたのだ。けれど彼は、手紙だけでなく花束まで送ってくれていたらしい。わたしがこの花が好きだったのを、彼は覚えてくれていたのだろうか。

花を生けるようハンナに頼むと、部屋へと戻った。少しだけ緊張しながら、その手紙を開く。

そこにはわたしの体調を気遣う言葉と、一度会って話したいという事が、まるでお手本のような字で綴られていた。