鍵
グリンデルバルド家に来てから、一ヶ月が経った。
この一ヶ月間、わたしはグリンデルバルド家の敷地内から一歩も外に出ていない。
起きて身支度をし、アーサー様と共に朝食をとり学園へと向かう彼を見送る。彼が帰ってくるまでは読書や勉強をしたり、裁縫をしたり。彼が帰ってきた後は二人でゆっくりと過ごし、夕飯を食べ、眠る。それの繰り返しだった。
アーサー様と過ごす時間が多いのは嬉しい。けれど、流石にそろそろ息が詰まりそうだった。学園にも行きたいし、家族にも友人にも会いたい。
……先週、公爵様から呼び出されクロエ様に関する報告を聞いた。捕まった男と関わっていた証拠が出てきて、彼女は罪を認めたそうだ。
そして療養という名の、領地での謹慎を命じられたらしい。クロエ様は王都から遠く離れた領地で、外部との連絡を断ち一歩も外に出られない生活を送り続けることになる。年頃の彼女にとっては、何よりも辛いだろう。
「……アーサー様は、なんと言っていましたか」
罪を認めた後に、彼女はそれだけを尋ねたそうだ。アーサー様には知らせていないと伝えれば、糸が切れたように泣きだしたと公爵様から聞いた。
ミオン様は、クロエ様の計画について何も知らなかったという。誕生日パーティにわたしを呼ぶだけで、多岐にわたる援助を約束するという話だったそうだ。従兄弟の婚約者を祝いたいという彼女の言葉を、そのまま信じてしまったらしかった。
知らなかったからと言って、許される訳ではない。それでも、彼女の処罰については何も求めなかった。甘いと言われるだろうけど、彼女自身に恨みはない。もうこんな過ちを繰り返さないでくれれば良かった。その後、彼女からは長い謝罪の手紙や品が届いていた。
こうして、あの日のことは全て解決したのだった。
唯一気がかりなのは、グレイ様だ。手紙を書いても返事が来るとは思えず、会いに行く訳にもいかず、彼のその後が気になっていた。
◇◇◇
「アリスはこれも好きだったよね? 食べさせてあげようか」
「だ、大丈夫です……! 自分で食べられます」
今日もわたしは、アーサー様と共に一緒に朝食をとっている。朝日よりも眩しい笑顔で微笑まれ、甘やかされ続けていた。
クロエ様のことを知らせていないせいで、「全て解決しましたし、もう帰りますね」なんて言う訳にもいかないのだ。そもそも犯人は捕まっているのだけれど。
アーサー様はと言うと、ロナとの会話を聞かれてしまってからというもの、未だに彼はこれ以上ないくらいに上機嫌だった。
……今思えば、あの時はロナとのお喋りが楽しくて、自分でも信じられないくらいに饒舌になっていた。思い出すだけでも恥ずかしくて顔を覆いたくなる。
ロナ曰く、あの日のわたし達のやり取りは愛し合う二人の美談として、いつの間にか屋敷中に広まっているらしい。メイド達にとって、貴族同士の恋愛というのは憧れなのだとか。すれ違うメイド達が頬を染めてわたし達を見る理由が分かった気がした。本当に恥ずかしい。
学園へと向かうアーサー様を見送り、勉強をして過ごした後は、グリンデルバルド家専属のお医者様に腕を診てもらった。少し傷は残ってしまうらしいけれど、順調に治っているようで安心した。
その後、部屋で読書をしているうちにあっという間に夕方になっていた。あまりにも小説の内容が切なく、思わず涙しそうになっていたところでアーサー様の帰宅を知らされて。
玄関まで出迎えに行くと、彼の他に見知った顔がふたつ、そこにあった。
「アリスちゃん、怪我は大丈夫?」
「お見舞いにきたよー! これ、どうぞ」
そう言ってライリー様からは大きな花束を、ノア様からは有名店のケーキを渡された。久しぶりにこの屋敷の人以外の顔を見た気がして、嬉しくなる。
「お二人共、ありがとうございます」
「どういたしまして。ねえ、アーサーの部屋でお茶しよう! そこの君、四人分のお茶お願いね」
ライリー様は近くのメイドにそう声をかけると、わたしの怪我をしていない方の腕を引いてアーサー様の部屋へと向かっていく。アーサー様は「来るなと言ったのに」と溜め息をついていた。
アーサー様の部屋にて、四人でテーブルを囲む。二人に会うのは、彼の誕生日以来だった。
「本当に災難だったね。怪我は大丈夫?」
「はい。今日もお医者様に診て頂きましたが、順調に治っているそうで良かったです」
「良かった。最近、物騒な事件多いもんねえ」
そんな話をしながら、頂いたケーキを一口食べてみる。あまりの美味しさに、つい頰が緩んだ。
「アリス、美味しい? 俺の分もあげるよ」
「えっ? アーサー様も食べてください」
「俺は美味しそうに食べているアリスを見ている方がいい」
そんなやり取りをしているわたし達を、二人はなんとも言えない表情で見ている。
「ねえ、アーサーって毎日こうなの?」
「毎日、こんな感じですけど……」
「僕、この一瞬だけでもう胃もたれしそうなんだけど。アリスちゃんってすごいと思う」
ライリー様はそう言うと、ケーキを食べていたフォークを置いた。アーサー様は気にしていないらしく、にこにこと笑顔を浮かべたままわたしを見つめていた。
「あ、そうだ。ここに来るまでにやけに大きい変な鍵がついてる部屋があったけど、あんなの前来た時あったか?」
「あ、それ僕も気になってた」
間違いなく、わたしの部屋のことを言っていた。
アリスの部屋だよ、とアーサー様が答えるとノア様は深い溜息をついた。
「……アーサー、流石にあれはやりすぎだ」
「僕も今、普通に引いたんだけど」
「こんなことを続けていたら、本当にアリスちゃんに嫌われるぞ。お前もダメになる」
「………………」
そんなノア様の言葉を受けて、アーサー様の視線がわたしへと向けられる。まるで捨てられた子犬のような瞳だった。
「アリスちゃんも、嫌なことはちゃんと嫌だって言った方がいいよ」
「ノア様……」
彼は、本気で心配してくれているようだった。
「こんなところに二人で居たら、余計におかしくなる。学園にもそろそろ出ておいで」
「駄目だ」
すかさずそう言ったアーサー様に、ノア様の視線が鋭くなる。
「あのなあ、お前は一生アリスちゃんをあんな部屋に閉じ込めておく気かよ」
「ノアには分からない事だ」
「分かりたくもねえよ」
そうして、二人は言い合いになってしまった。わたしはどうしていいか分からず、戸惑うばかりで。そんな三人を尻目に、ライリー様だけが呑気に紅茶をすすっていたのだった。