罪の行方
慣れない場所ではなかなか寝付けないかもしれない、という心配は杞憂に終わり、雲のような寝心地のベッドのお蔭でぐっすりと眠れてしまった。
翌朝、スッキリと目覚めたわたしはアーサー様と共に朝食をとり、その後学園へと向かう彼と共に玄関へと向かう。出来るならば一緒に休みたかったと彼はこぼしていたけれど、アーサー様の立場ではそんな訳にもいかないのだろう、名残惜しそうにわたしを見つめていた。
「お気をつけて」
「うん、行ってくるよ」
前日よりも少しばかり、その顔色は良くなっているように見える。わたしが此処にいることで、彼が安心して眠れたのなら良かった。
……眠る前に聞こえた、カチリ、という鍵の閉まる無機質な音にはまだ慣れそうにないけれど。
「絶対に、屋敷からは出ないでね」
それは昨日から何度も言われていた事だった。分かりましたと答えれば、彼は安心したように微笑み、馬車へと乗り込んだ。
馬車が見えなくなるまで見送ると、部屋へと戻りロナに改めて身支度を整えて貰う。昨夜屋敷へと戻った公爵様はすぐに時間を作ってくれて、昼には会うことになっていた。
約束の時間通りに公爵様の元を訪ねると、彼は笑顔で出迎えてくれた。ロナを含め全ての使用人には退室してもらい、部屋の中には二人きりになる。
最悪、ロナや使用人の誰かがアーサー様に公爵様とお会いしたことを伝えたとしても、今後お世話になる上で挨拶をしたとでも言って誤魔化すつもりだった。
「先日の事件のことは聞いたよ、体調は大丈夫なのかい」
「はい、お蔭様で。こちらで暫くお世話になる上に、突然お時間を頂いてすみません」
「いや、いいんだ。何かあれば今後も、気軽に声をかけてくれて構わない」
わたしは小さく深呼吸をすると、公爵様に今回の事件のこと、クロエ様のことを話し始めた。また同じことが繰り返される可能性もあるからこそ、このままにしておく訳にはいかない。
けれど、クロエ様が今回の黒幕だという明確な証拠はない。
わたしの証言だけで信じて貰えるかは少し不安だった。
「……クロエが、本当にすまないことをした」
一連の話を終えるとすぐに、公爵様は謝罪の言葉を述べた。身内であるクロエ様を信じて当たり前だと思っていたからこそ、驚いてしまう。
「信じて、頂けるんですか」
「君が私にこんな嘘をつく必要もないし、アーサーが選んだ女性だ。そんなことをする人間では無いと思っているよ。それにクロエの父である私の弟も、あまり手段を選ばないところがあってね」
勿論信じたくはないんだが、と公爵様は眉を下げた。
「一応、クロエの周りを調べてみることにする。内側から調べれば、きっとボロは出るだろう」
そして深いため息を吐くと、右手を額に当てた。
「君が私にだけ話してくれたのは本当に助かった。こんな不祥事が知れ渡れば、我が家もスペンサー家も、ただでは済まなかっただろう」
それが、事情聴取の時に話さなかった一番の理由だった。
最近の社交界では、貴族のスキャンダルなどの噂話が娯楽の一つと言っていいほど盛んだった。だからこそ、憲兵隊の職員の中には貴族や出版社に買収され、事件の内情を漏らしてしまう者もいるのだ。婚約問題の縺れから起こった公爵家の身内による今回の事件など、誰もが食いつく話題に違いなかった。
「グリンデルバルド家の名にかけて、責任を持ってクロエには罰を受けさせると約束しよう。本当に、すまなかった」
「いえ、ありがとうございます」
「アーサーはこの事を?」
「知りません。このまま、知らせないで頂きたいです」
「何故だ?」
「……きっとクロエ様も、アーサー様にだけは知られたくないと思うので」
そうお願いしたのは、ただの自己満足だった。
今回クロエ様にされた事はこの先もずっと、絶対に許せない。グレイ様まで怪我を負ってしまったのだ、未だに彼女に対しての怒りは収まっていない。
それでも、彼女からアーサー様との未来を奪う形になってしまったことに、罪悪感はあった。アーサー様に黙っていてもらうのも、それを誤魔化す為のものに過ぎない。
「……君は、優しすぎる」
「そんなことはありません。自分のためです」
それでも、ありがとうと公爵様は呟いた。その目には悲しみの色が浮かんでいる。
公爵様にとってはクロエ様は姪にあたり、いずれ義理の娘として迎える予定だったのだ。思うところは色々とあるのだろう。
ミオン様の関わりについても調べてくれることになり、この話は終わりになった。思っていたよりも解決に向けてスムーズに話が進み、安堵する。
「お詫びと言っては何だが、何か欲しい物やして欲しいことはないだろうか」
「お気遣いありがとうございます。アーサー様に充分良くして頂いていますから、大丈夫です」
「そうか。何かあればすぐに言ってくれ」
その後、少しだけ他愛ない話をし、わたしは公爵様の部屋を後にした。
──クロエ様は今、何を思っているのだろうか。わたしが無事だったことを知り、事実が明らかになることを恐れ、怯えているのかもしれない。
どうか彼女が、これ以上道を踏み外すことはありませんように。ただそれだけを祈った。
◇◇◇
午後からはゆっくり読書をしていたけれど、それでもまだアーサー様が帰ってくるまで時間はある。幸い今日は天気も良い。わたしは庭に出てお茶をすることにした。
けれど、話し相手がいないのだ。ロナとレイを誘ってみたけれど、レイには「気を抜く訳にはいきませんので」と断られてしまった。こればかりは仕方がない。
ロナにも恐れ多いと断られたけれど、アーサー様も話し相手にと言っていたと言えば、なんとか了承してくれた。
「ロナの淹れてくれるお茶は、とても美味しいわ」
「ありがとうございます。アーサー様にも、そこを買っていただけたのかもしれません」
「美人だし、絶対にロナは男性にモテるでしょう」
「そんな、私なんて……」
「どんな人がタイプなの?」
「ア、アリス様、私のことなんていいですから……!」
話しているうちに少しずつ気を許してくれて、やがて彼女の方からもぽつぽつと質問をしてくれるようになった。大人びていると思っていたけれど、彼女も同い年の女の子らしいところが沢山あることがわかり、嬉しくなる。
「アリス様とアーサー様は、本当にお似合いですよね」
「そう見える?」
「はい。幼い頃から此処で仕えていますが、あんなにも幸せそうなアーサー様は初めて見ました」
「本当に?」
「ええ、本当です」
いつの間にかわたしたちは意気投合し、話に夢中になっていった。
「……なるほど、ロナには憧れている方がいるのね。その方のどんな所が好きなの?」
「男らしいところ、でしょうか」
「それは確かに素敵ね。わかるわ」
「では、アリス様はアーサー様のどういう所が……?」
「もちろん全部好きだけれど、一番は優しいところかしら。見た目もとても好みだし、いつも優しい笑顔を浮かべているところも好き。男らしいところも好きだし、」
思った以上にすらすらと出てきて、止まらない。こんなにも彼のことが好きなのだと、わたしは改めて実感していた。
「甘くて優しい声も好きだし、あとは、」
「あ、あの、アリス様」
「うん?」
「……その、なんだか、すみません」
そう言ったロナは、何故だか気まずそうな顔をしていた。そしてその視線はわたしを超え、その背後へと向けられている。
なんだか嫌な予感がして恐る恐る振り返れば、そこには顔を真っ赤にして口元を押さえるアーサー様の姿があって。わたしは声にならない声をあげた。
「すまない、立ち聞きするつもりはなかったんだ」
「ど、どこから聞いて……」
「……もちろん全部好きだけれど、という所から」
まさかの全部だった。本人が聞いているところで延々と彼の好きなところを話していたなんて、恥ずかしすぎる。一気に顔が熱くなった。
居たたまれなくなったわたしは、部屋に戻ります、と言って逃げるようにして立ち上がった。けれどすぐに、アーサー様によって引き止められてしまう。
「待って、アリス。少しだけ話を聞いてくれないか」
「……は、はい」
「最近になって、ようやく君に好かれているという実感は湧いてきたけれど、まだ夢なんじゃないかと思うこともあった。君が俺のどこを好いてくれているのか、わからなくて」
そう話す彼の視線は、照れ臭そうに地面を泳いでいる。本当に彼は、わたしのこととなると不思議なくらい自信が無くなるらしい。
けれど今まで彼に何度も好きだと伝えてはいたものの、どこが好きだという話はしたことが無かったように思う。いいきっかけだったのかもしれないと無理やり自分に言い聞かせながらも、心臓はまだ早鐘を打っていた。
「だから、君の気持ちが聞けて本当に嬉しかった」
「そ、それは良かったです」
「俺も、君の全てが好きだよ。愛してる」
そう言ったアーサー様も、きっとわたしも。
そしてすぐ側に居たロナやレイの顔もまた、林檎のように真っ赤だった。