グリンデルバルド家へ
嗅がされた薬は完全に抜けきり、手の怪我に関しても今後治療を続ければ問題は無いらしく、わたしはすぐに退院することとなった。
入院中一度だけ事情聴取を受けたけれど、庭を歩いている時に突然男に襲われた、ということだけを話した。犯人も既に捕まっているせいか、それ以上深く聞かれることはなかった。
退院日の朝、アーサー様は病室までわたしを迎えに来ると、乗り馴れたグリンデルバルド家の馬車へとエスコートしてくれた。腰に剣を携えた人々が馬車の前後に待機しており、いつもとは違う重々しい空気が流れている。
行き先は聞かずとも、我が家ではないことは明白だった。
「あの、アーサー様」
「どうかした?」
「本当にわたしもグリンデルバルド家へ行くんですか? あまりご迷惑をおかけするわけには、」
「迷惑なんかじゃないよ。まだ怪我も治りきっていないんだ。安全な場所で、ゆっくりと身体を休めてほしい」
彼の言う通り、グリンデルバルド家は護衛の数も屋敷の安全性の高さも、他とは桁違いだろう。我が家など比べるまでもない。ゆっくり出来るかと言えば、それはまた別だけれど。
「……それに、君の姿が見えないと俺の身が持ちそうにない」
そう言ったアーサー様の青白い顔には、隈が見えた。わたしのせいで眠れていないのかと思うと、申し訳なさで心苦しくなる。
「俺の両親に許可はとってあるし、君の両親も我が家なら安心だと快く送り出してくれたよ」
「ありがとう、ございます……」
「少し調べさせて貰ったけれど、アリスは単位も出席日数も大丈夫そうだし、学園も落ち着くまで休んだ方がいい」
「わ、わかりました」
有無を言わさないその笑顔に、わたしは頷くしかなかった。
何度見ても圧倒されてしまうグリンデルバルド家の巨大な屋敷の前には、ずらりと沢山の使用人達が並んでおり、盛大に出迎えてくれた。
公爵様は今夜、奥様は数日後にこの屋敷へとお戻りになるらしい。お二人にご挨拶するのはまだ先になりそうだった。
「アリスの専属になるメイドのロナだ」
「アリス様、よろしくお願いいたします」
「ええ、こちらこそ」
「ロナは同い年だから、話し相手にするのもいいだろう」
屋敷の中に入ると、まずアーサー様は一人のメイドを紹介してくれた。ロナと呼ばれた彼女は、同い年とは思えないくらいに落ち着いていて、穏やかな笑みを浮かべている。
「そして彼女が、アリスの護衛だ」
次に紹介されたのは、すらりとした身体に騎士服がよく似合う美しい女性だった。腰には勿論、剣を携えている。彼女はレイと言うらしく、日中は彼女が常に傍に居ることになるらしい。
「君の部屋は、俺の部屋の近くに用意したから」
そうして案内された部屋は、以前お邪魔したアーサー様の部屋と同じくらいの広さだった。内装も家具も全て、一目で一級品だとわかるものばかり。風呂なども完備されている。
彼の部屋と明らかに違うのは、ドアに取り付けられている鍵だった。あまりにも頑丈そうなそれは、周りの煌びやかな雰囲気の中で明らかに浮いている。
そしてその鍵は、部屋の外側についていた。
「アリス様のお召し物は、あちらのクローゼットに用意してありますので」
「我が家から運んで下さったんですか?」
「いえ、アーサー様が全てお選びになり、新たにご用意されたものになります」
「えっ、」
わざわざ服まで全て、新たに用意してくれたらしい。部屋の中を見渡せば、真新しい本や裁縫道具まである。以前、どうしても手に入らないんだとリリーにだけ零していた、わたしの好きな作家の過去作も全て揃っていた。
……どうして、それが此処にあるんだろう。
「欲しい物があればすぐに言って欲しい。何でも用意する」
「アーサー様、こんなに良くして頂かなくても、」
「ねえ、アリス」
そう言ってわたしの名前を呼んだアーサー様の顔は、酷く真剣なものだった。思わず、口を噤む。
「俺に出来ることなら何でもするから」
「は、はい」
「ずっと、ここに居てね」
彼のずっと、というのは一体どれくらいの期間なのか。今のわたしには見当もつかなかった。
その後、アーサー様と共に昼食をとり、わたしは自室となった部屋へと戻ってきた。グリンデルバルド家の食事は、高級レストランの如くとても美味しかった。
鍵をかけるのは就寝時だけらしく、少しだけほっとした。流石に、部屋の外にまで鍵をつける必要があるのかとは思う。けれど、その疑問を口に出すことは躊躇われた。すべて、わたしの為を思ってのことなのだ。
今もレイが部屋の前に待機しているらしい。正直、落ち着かなかった。
そんなことを考えながら、ソファに腰掛ける。信じられないくらいに柔らかく、思った以上に沈み込む。この部屋を整えるのに一体いくらかかったのかと考えるだけで、頭が痛くなりそうだった。
ロナが淹れてくれたお茶を飲み、一息つく。一体、いつまでわたしは此処に居ることになるんだろうか。
あのパーティ以来ほとんど室内にいるわたしは、気分転換に外の空気でも吸おうと窓際へと移動する。けれどそこには、あるはずの取っ手も何もない。不思議に思っていると、背中越しにロナの声が聞こえてきた。
「この部屋の窓は全て、開かないようになっております」
「……そう」
そういえば、先日アーサー様がそんなことを言っていたのをふと思い出す。開かない窓に、外側についた鍵。そして、日常生活のほとんどが事足りるようになっている部屋の造り。まるでこの部屋は、わたしを閉じ込める為にあるようだった。
実際、息苦しさのようなものは感じている。けれど、ここまでするほど心配を掛けているのだと思うと、何も言えなかった。
窓際から再びソファへと戻ってきたわたしは、そのまま瞳を閉じ、これからの事について考えてみることにした。アーサー様は明日から学園だけれど、わたしは此処で一人過ごすことになるのだ。時間だけは沢山ある。
「ねえ、ロナ」
「はい、アリス様」
「アーサー様には内緒で、公爵様に少しお時間を頂けないか聞いてもらいたいのだけど」
「かしこまりました」
──まずは、クロエ様のことを解決しなければ。