守りたかったのは

たまには家族全員で食事にでも行かないかと、父に声をかけられたのがきっかけだった。

そんな不愉快な集まりになど行きたくなかった俺は、同日あの令嬢にパーティに誘われていたことを思い出したのだ。彼女の名前は確かエレナと言った。エレナにはまだ返事をしていなかったが、彼女と出掛ける予定があると伝えれば、父は喜んで不参加を受け入れた。

騒がしいエレナと出掛けるのもまた憂鬱ではあったものの、当日、会場でアリスに偶然会った瞬間、俺は父にもエレナにも心から感謝した。音楽祭以来に見た彼女は、俺の顔を見た瞬間、驚いたように淡い桃色の瞳を見開いた。質のいい瞳と同じ色のドレスはきっと、あの婚約者から贈られた物なのだろう。

彼女がアーサー・グリンデルバルドと婚約をしてからというもの、こうして社交の場で偶然会う以外には、彼女との接点は無くなってしまっていた。

「……グレイ様」

アリスに名前を呼ばれるだけで、虚しくなるような切なさが押し寄せた。自分でも、本当にどうかしていると思う。

相変わらずお喋りなエレナがアリスに話しかけたことで、彼女はその場に立ち止まる。俺の顔を見た瞬間に逃げ出すと思っていたから、嬉しい誤算だった。

「まあ、ありがとうございます。嬉しいですわ。あの日はグレイ様も来てくださっていたんです」

けれどまさか、あの日学園に行ったことをアリスに知られるとは思わなかった。予想通り、彼女は不思議そうな表情を浮かべている。

エレナの為にわざわざ行ったと思われたなら、そんなにも最悪なことはない。かと言って、アリスを一目見たさに行ったなんてこと、尚更言えるはずもなかった。

「素晴らしい演奏でした」

「あ、ありがとうございます……」

そんなありふれた感想を言えば、アリスは戸惑ったように返事をしてくれた。もっと言いたいことはあったはずなのに、何一つ言葉が出てこない。

やがてアリスは一礼するとグラスを二つ手に取り、元々居たらしいテーブルへと戻っていく。

そんな彼女を引き止める理由も権利も、俺にはなかった。

◇◇◇

それから小一時間ほど経った頃。何度もアリスを目で追ってしまっていた俺は、このパーティの主役である男爵令嬢とアリスが、突然会場から出ていくことに気がついた。

何処へ行くのだろうと思いながら観察していると、一瞬、アリスが不安そうな表情を浮かべたのを俺は見逃さなかった。

……誰よりも彼女にそんな表情をさせてきたのは、俺だというのに。

心配になり彼女を追いかけて行こうとしたけれど、エレナは一人にしないでくれと纏わりついてくる。適当な理由をつけてその場を離れた時には、大分時間が経ってしまっていた。

探し回ってもなかなかアリスは見つからず、焦燥感が募る。

足早に庭の奥へと進んでいくと、人影が見えた。近づいていくうちに、アリスが男に襲われているのだと気づいた時には、考えるよりも先に身体が動いていた。

「……どう、して」

そう呟いたアリスの方を見る余裕など、俺にはなかった。恐らく、目の前の男は素人ではない。幼い頃から護身術を習ってたとはいえ、こちらの分が悪いのは明らかだった。

彼女は恐怖で足が竦み、動けずにいるようで。俺は必死に男に食らいつくものの、時間稼ぎにもならなかった。

「……っ、う、……!」

そうしているうちに、目の前で赤い血しぶきが舞った。それがアリスのものだと理解するのに、かなりの時間を要した。

どうして俺なんかを庇ったんだと、泣きたくなった。

慌てるようにしてアリスの口にハンカチをあてがう男の後ろから、全体重をかけて首を締めると、そのまま後ろへと倒れ込んだ。背中の痛みに耐えながら、男にしがみつき続ける。どんなに無様な姿だったとしてもいい、ただアリスを守ることが出来ればそれで良かった。

やがて人の声や足音が聞こえてきて、男は焦ったらしく必死に暴れ、俺の鳩尾みぞおちに一撃を食らわせた。あまりの痛みに一瞬拘束が緩むと、その隙に男はあっという間に逃げていく。

身体中が痛む中で必死にアリスの元へと駆け寄れば、彼女は真っ青な顔をしてその場に倒れ込んでいた。そっと抱きあげれば、彼女は安心したように少しだけ目を細める。

その腕からは真っ赤な血が流れ続けていて、目の前が真っ暗になった。

彼女を守りきれなかった弱い自分が、憎かった。

やがて駆けつけた人々によって、意識を失ったアリスと俺は、そのまま近くの病院へと運ばれたのだった。


医者の話によると、腕の怪我は少し痕が残るかもしれないものの、命に別状はないということだった。意識も、時間が経てば戻るらしい。その言葉を聞いた時は心から安堵し、その場に座り込んでしまった。

それから数時間が経った頃、アリスの両親が病院へと駆けつけた。偶然同じパーティに参加していて、彼女の姿が見えなくなり探しに行ったこと、見知らぬ男に襲われていた彼女を見つけ助けに入ったことを、ありのまま説明した。

あの男が何者だったのか、何の目的があったのか、未だに分からない。とにかく今すぐにでも、殺してやりたかった。

「娘を助けて頂いて、本当にありがとうございました。なんとお礼を言ったら良いか……」

「……いえ、俺は何も出来ませんでしたから」

「そんなことはありません! それに、グレイ様もお怪我をされているではありませんか……!」

俺自身も頬や腹など全身に打撲は負ったものの、彼女に比べれば大した怪我ではない。彼女は刺傷まで負ってしまったのだから。

アリスが刺されるくらいなら、俺が刺された方がよかった。優しすぎる彼女は、嫌いなはずの俺まで身を挺して庇ってくれたのだ。悔しさと愛しさで、胸が張り裂けそうだった。


そのまま病院でアリスが目覚めるのを待ち続け、一日以上経った頃。

アーサー・グリンデルバルドは現れた。

「……っアリスは……?」

いつも涼し気な顔をしていた彼は今、汗にまみれ、今にも死にそうなほどその顔色は悪い。かなり急いで来たのが見て取れる。

アリスの両親が、まだ意識はないものの命に別状はないと伝えると、少しだけ顔に生気が戻った。

「あちらにいるグレイ・ゴールディング様が、アリスを助けて下さったんです」

その言葉を受けて初めて、奴は俺を視界に入れた。ガラス玉のような、アイスブルーの瞳と視線が絡む。そのままこちらへと来ると、アーサー・グリンデルバルドは俺に対して、深く頭を下げた。

「アリスを助けて頂いたこと、礼を言う」

その姿に、何故だか無性に腹が立った。

「お前に感謝される覚えはない。今の今まで何をしていたんだ? 婚約者というのは、ただ甘やかして可愛がって、物を買い与えるだけの役割なのか」

最早、家も自分自身もどうでも良い俺は、公爵家の人間に対し有るまじき態度をとっていた。

アリスはこれまで、こんな事件に巻き込まれたことなどただの一度も無かった。この一件は、グリンデルバルド家と婚約したことにより起きた可能性が高い。それは紛れもない事実だった。

とは言え、正直ほぼ八つ当たりだった。アリスを守りきれなかった自分に、苛立ち続けていた。今まで彼女を傷つけてきたくせに、虫がいいにもほどがある。

「……すまない」

それでも、目の前の男は俺の失礼な言葉や態度に対して、何ひとつ怒ることも、言い返すこともしなかった。

ただ、静かに謝罪の言葉をひとつだけ言い、血が出るのでは無いかと言うくらいに、固く拳を握りしめていた。