幸福感と

最優秀賞のトロフィーを抱えながら控え室へと戻ったわたしは、待っていたミリア委員長の顔を見るなり、声を出して泣いてしまった。泣いているわたし達を見て、「そんなに泣かないでくれよ」と言ったフィン様の目も真っ赤で、二人して泣きながら笑った。

緊張や不安に押し潰されそうになる度に、出場することを後悔した日もあったけれど。この音楽祭での結果はきっと、今後わたしの自信となってくれるだろう。


翌日の今日は休校日で、アーサー様と夕食を食べに行くことになっている。今夜行く予定のレストランは、わたしが一生行くことがないと思っていた王都一の有名店だった。過去に頂いたドレスの中でも一番大人っぽいものを選び、ハンナに綺麗に身支度をしてもらった。

お店に着くなり広い豪華な個室に案内され、大きなテーブルを挟んでアーサー様と向かい合う形で座る。今日の彼の装いはとても華やかで、ドキドキしてしまう。

やがて次々と出てきた料理はどれも信じられないくらいに美味しくて、何度もその感動を伝えれば、アーサー様は「良かった」と嬉しそうに微笑んだ。

食後のデザートまでしっかりと頂き、ゆったりと温かい紅茶を飲んでいた時だった。

「大切な、話があるんだ」

突然そう言ったアーサー様へと視線を向ければ、やけに真剣な表情をした彼と目が合った。改まったその雰囲気に、なんだか落ち着かなくなる。

わたしはティーカップを置くと、黙ってアーサー様の次の言葉を待った。

「学園を卒業してから一年後、俺と結婚して欲しい」

「………え、」

そして耳に届いた予想外のその言葉に、口からは間抜けな声が漏れた。

婚約しているのだから、いずれ結婚するのは当たり前だ。けれど今日までのわたしには、いまいち現実味がなかった。

「本当は卒業後すぐにでも結婚したいけれど、俺はまだ一人前ではないんだ。けれどその時までには必ず、君を完璧な状態で迎え入れられるようにする」

「アーサー様……」

彼のそんな言葉に、幸福感で苦しいくらいに胸が締め付けられる。好きな人に結婚してほしいと言われたのだ、嬉しくない訳がなかった。こんなに、幸せなことはない。

段々と視界がぼやけていく。彼と出会ってから、嬉しくて泣くことが多くなった。

「本当に、わたしでいいんですか」

「俺は、アリスじゃないと駄目だよ」

「とても、嬉しいです。よろしくお願いします」

震える声でそう言えば、アーサー様は安堵したようにほっと笑みをこぼした。

幸せ過ぎて怖いと思ったのは、生まれて初めてだった。

◇◇◇

「アリス様、リリー様。来週、お時間が合えばわたくしの誕生日パーティに来ていただけませんか?」

「ええ、喜んで。アリスも行きましょうよ」

「では、わたしも」

「ああ、良かった! 招待状をすぐにお送りしますね」

クラスメートであるミオン様に、誕生日パーティの招待を受けたのはそれから一ヶ月後のことだった。男爵家の令嬢である彼女とは、わたしもリリーもあまり話したことがない。だからこそ、彼女の誕生日パーティに呼ばれたのは少し不思議だった。

リリーは社交の場に出ることがとても好きで、断る理由がなければいつも参加している。そんな彼女を見習い、わたしも今回は参加することにした。

「あら、また他の子達にも声をかけているわよ。クラスメートだけですごい人数になりそうね。彼女の家ってそんなに裕福だったかしら?」

クラスメートに次々に声をかけているミオン様を見て、リリーは首を傾げている。

その後招待状が届き、わたし達は参加すると正式に返事を出したのだった。

「リリーと一緒に、来週末クラスメートの誕生日パーティに参加してきますね」

「来週末か、その日は前々から父と遠くの領地に視察に行く予定があるんだ。君と一緒に行きたかったな」

「はい。お気をつけてくださいね」

「ありがとう。アリスも楽しんでおいで」

一応、アーサー様にもそのことを伝えれば、予定があるらしく残念そうな顔をしていた。


そして、当日。リリーと共に会場へと着いたわたしは、そのパーティの規模に驚きを隠せなかった。その豪華さも招待人数も、男爵家の娘の誕生日とは思えないものだった。

「これだけの規模だもの、そこまで仲良くないクラスメートを招いてもおかしくはないわね」

「ミオン様の家って、確かお店をやっているんだっけ。そんなに調子がいいのかしら」

「さあ。そんな話、聞いた事ないけれど」

リリーも不思議そうな顔をしていたけれど、とりあえず主役であるミオン様の元へに挨拶にいくことにした。彼女はわたし達の顔を見るなり、なぜかほっとしたような表情を浮かべた。

「アリス様もリリー様も、来てくださってありがとう。今日は楽しんでいってくださいね」

その後、わたしたちはクラスメートの令嬢が集まっているテーブルで、お喋りを楽しんでいた。彼女達もまた、ミオン様の誕生日に呼ばれたことについて不思議に思っているようだった。

「あら、もう飲み物がないわね」

「わたし、少し見てくるわ」

使用人を呼んでも良かったけれど、あまりの人の多さにそれもなんだか面倒で、わたしは自分で取りに行くことにした。そうして一番近いテーブルを覗くと、思わぬ人と顔を合わせてしまった。

「……グレイ様」

以前、リナリア様のパーティで一緒だった令嬢とはまた別の女性と共に、彼がいたのだ。向こうもわたしを見るなり、驚いた表情を浮かべていた。

「アーサー様の婚約者のアリス様ですよね? グレイ様とお知り合いなんですか?」

「ええと、幼馴染みたいなもので」

「まあ、先日アリス様の話をした時には、そんなこと一言も言っていなかったのに」

そう言って話しかけてきた彼女は、少し幼く見えるけれどとても可愛らしい顔立ちをしていた。

わたしの話をしていたというのは気になったけれど、少しでも早くこの場を離れるため、余計なことは言わないでおいた。

「私も同じ学園に通ってますのよ。音楽祭でのアリス様のピアノ、とても素晴らしかったです」

「ありがとうございます、貴女の演奏もとても素敵でした」

彼女もまた、音楽祭でピアノを弾いていた記憶がある。

「まあ、ありがとうございます。嬉しいですわ。あの日はグレイ様も来てくださっていたんです」

……グレイ様が、音楽祭に来ていたなんて。意外なその事実にわたしは驚いてしまった。

そして何より、あのグレイ様がわざわざ学園に演奏を聞きに来るほどだ。このご令嬢とはかなり良い関係なのだろう。何故だか少しほっとした。

「素晴らしい演奏でした」

「あ、ありがとうございます……」

グレイ様の他人行儀な誉め言葉に違和感を覚えながらも、わたしは近くにあったグラスを手にとると、一礼しすぐにその場を後にした。以前リリーが言っていた通り、なるべく関わらないようにしなければと思ったのだ。


そしてそれから一時間程経った頃。本日の主役であるミオン様から、突然庭へ出ないかと誘われた。わたしに見せたいものがあるのだという。リリーも一緒に行くと言ってくれたけれど、是非わたし一人でとミオン様は譲らない。

正直、少し気味が悪かった。それでも「きっと、アリス様も喜ばれますわ。音楽祭のお祝いだとか」と小声で嬉しそうに言う彼女に、悪意は無さそうで。結局、わたしは彼女と共に庭へと向かうことにした。大きな川沿いにあるその庭園はとても広く、沢山の木々や植物で溢れている。

そのまま庭の中を進んでいくと、急に一緒に居たはずのミオン様の姿が見えなくなった。それと同時に、ひどく嫌な予感がして。ここに居てはいけないと、すぐに引き返そうとした時だった。

「絶対に、騒ぐなよ」

突然に、背後から身体を押さえつけられたのだ。すぐに逃げ出そうとしたけれど、首元で光るナイフが視界に入った瞬間、そんな気持ちは一瞬で削がれた。

「このまま大人しくしてろ」

背中越しに聞こえる低く野太い声に、寒気がする。ひんやりとしたナイフが軽く首に当たって、腰が抜けそうになった。うまく働かない頭で、どうしてこんなことになっているのかと考えても、答えなど出るはずがない。

やがて聞こえてきた足音に、助けかもしれないと少しの希望を抱きながら顔を上げる。

「御機嫌よう、アリス様」

そこに居たのは、誰よりも美しい笑みを浮かべたクロエ様だった。