初めての言葉
「本当の本当に、何かないですか?」
「うん。アリスと過ごせるだけで十分だよ」
「それは、嬉しいですけど……困りました」
学園が始まって一週間。当たり前になりつつあるアーサー様との帰り道に、ふと誕生日はいつなのかと尋ねてみたのがきっかけだった。
すると「丁度言おうと思っていたんだけど、実は来月なんだ」と返されたわたしは、予想外の答えにしばらく固まってしまった。なんの根拠も無く、ぼんやりと数ヶ月先くらいに思っていたのだ。
誕生日パーティには一緒に参加して欲しいと言われ、勿論ですと笑顔で返事したものの、わたしはかなり焦っていた。もちろんパーティに向けて、アーサー様の婚約者として恥ずかしくない振る舞いを学び直すのも勿論だけれど、一番の問題はプレゼントだった。
先日、わたしの誕生日にはあんな素敵なものを頂いてしまったのだ。誕生日だけではない、普段から彼には沢山のものを頂いている。その恩返しのチャンスだというのに、何も思いつかない。そもそもわたしが買えるものなど、彼はいつでも簡単に買えてしまうから尚更だった。
そしてふた晩ほど悩んだ結果、本人に直接聞いてみることにしたのだけれど。
「本当にプレゼントなんて気にしなくていいよ。誕生日にアリスが婚約者として隣に居てくれるだけで幸せなんだ。ああ、ドレスも靴も用意しておくからね」
「それでは、どちらが誕生日か分かりません……」
ニコニコといつもと変わらない笑顔を浮かべるアーサー様は、いつも通りわたしを甘やかす。そんな彼に、喜んでもらいたいと心から思うのに。
「あと、例年親類は皆招待するから、クロエも来ると思う。なるべく傍に居るようにするから」
「はい、わかりました」
クロエ様も来ると思うと、やはり不安になってしまう。やはりわたしは彼女が苦手だし、怖い。けれどアーサー様にこれ以上気を遣わせる訳にはいかない。しっかりしなくては。
……結局、プレゼントに関しては数日悩み続けた結果、リリーのアドバイスもあり、刺繍したハンカチとペンを贈ることにした。ペンに関してはリリーの知り合いのお店で、とても良いものを安く買わせて貰えた。安いとは言っても、わたしの溜め込んでいた少ないお小遣いは、ほとんど消えてしまったけれど。
今王都では女性が男性に向けて刺繍をしたハンカチを贈るのが流行っているのだ。自分の瞳の色と、髪の色に似た色の糸で刺繍をすることで、「あなたといつも一緒に」という意味合いがあるらしい。アーサー様がこの話を知っているかは分からないけれど、もし自分が刺繍したハンカチを彼に持ち歩いて貰えたなら、とても嬉しい。
ハンカチもアーサー様が持ち歩くかもしれないと思うと安いものなど買えるはずもなく、わたしのお小遣いはすっからかんになったのだった。
そしてそれからというもの、アーサー様の誕生日までわたしは忙しい日々を過ごした。
◇◇◇
そして、誕生日当日。アーサー様に用意していただいたブルーの生地に金の見事な刺繍が入った素晴らしいドレスを着て、わたしは彼の横に立っていた。そんなわたしを見て、彼は恥ずかしくなるくらいに誉めちぎってくれた。
アーサー様はというと、白と深緑がベースの正装を着こなしていて、お会いした瞬間わたしはしばらく彼に見とれてしまっていた。こんなに素敵な人が、自分の婚約者だなんて未だに信じられない。そう思うのと同時に、彼に恥じないようにしなければと自分に活を入れた。
次々と祝いの言葉を述べに来る人々に、彼と共に笑顔で挨拶をする。純粋な好意を感じることもあれば、評価するような視線を感じることもあり、内心冷や冷やしていたけれど。隣にアーサー様が居てくれることが、何よりも心強かった。
「そちらが噂の婚約者の方ですね。あのアーサー兄様が夢中になっていると聞いておりましたが、とても素敵な方で納得しました」
「アリス以上の女性はいないからね」
「……本当に、こんな兄様を見るのは初めてです」
今アーサー様が話しているのは、彼の親類だというルイ様だ。お互いとても気さくに話していて、仲がいいのが見て取れる。そしてルイ様も、何より顔がいい。アーサー様のご両親は勿論、クロエ様もアスラン様も、彼の血縁者は誰も彼もが美しいことにわたしは驚きを隠せなかった。
楽しげに話すそんな二人を、遠巻きに見つめる令嬢も少なくない。ルイ様はわたし達よりも少し年下のようで、その顔にはまだ幼さが残っている。将来が末恐ろしい。
「あら、ルイ。先に来ていたのですね」
「クロエ姉様! お久しぶりです」
そう言って現れたのは、クロエ様だった。相変わらずの彼女の美貌と存在感に、圧倒されそうになる。周りにいた人々も皆、彼女に釘付けになっていた。
「アーサー様、お誕生日おめでとうございます。今年もこうしてお祝いすることが出来て、嬉しいですわ」
「ありがとう、クロエ。今日は楽しんでいって欲しい」
「はい、ありがとうございます」
そう言って綺麗に微笑むと、ルイ様を連れて人混みの中へと消えていく。今日もわたしの存在は完全に無視していたけれど、彼女がすぐにこの場を離れたことに思わずほっとしてしまった。
一時間ほど経った頃、アーサー様はご両親に呼ばれ、わたしは一人になっていた。彼はとても申し訳なさそうにしていたけれど、今日の主役なのだ。今までずっと一緒に居てくれただけでも、かなり気を遣わせてしまったように思う。
そうして飲み物片手に、一人で壁際に立って会場をぼうっと眺めていた時だった。
「あの、アリス様」
「ルイ様、どうかされましたか?」
わたしの元へとやって来たのは、ルイ様だった。彼は眩しいくらいの笑顔を浮かべている。
「僕、アーサー兄様に憧れているんです。だから、そんな兄様に愛されているアリス様ともお話がしてみたくて」
「わたしでよければ、喜んで」
一人でいるのは正直心細く、こうしてルイ様に話しかけて貰えて嬉しかった。そうして彼と、アーサー様の話をしていた時だった。
「ルイ、こんな所にいたの」
「はい。アリス様とお話をしていたんです」
こんな所、と言うところに棘を感じたけれど、わたしは笑顔のままクロエ様に会釈をした。彼女はわたしにちらりと視線を向けると、深いため息をついた。
「いつまで、婚約者ごっこをするおつもりですか」
「婚約者、ごっこ?」
「もう学園も卒業の年でしょう? 時間がありませんわ、いい加減にアーサー様を解放して頂けないかしら」
当たり前のことのように、クロエ様はそう言ってのけた。
「クロエ姉様、アーサー兄様はアリス様を心から愛しておられるようです。そんなことを言っては、」
「お黙り。お前には分からないことです」
「…………っ」
わたしを庇うようにそう言ってくれたルイ様にも、きつい物言いをするクロエ様に怒りを覚えた。
そしてこのまま黙っているのは、アーサー様に対しても失礼だ。小さく震える手を、きつく握りしめる。いつまでも、弱気でいるわけにはいかない。
……わたしは、誰よりも彼に愛されているのだから。
「アーサー様との婚約を、解消することはありません」
「貴女、何を」
「今のわたしは、アーサー様に相応しくないかもしれない。けれどいずれ、絶対に彼に相応しい人間になってみせます」
「口先だけでは、なんとでも言えるでしょう」
彼女の言う通りだ。今までずっと努力してきた彼女からすれば、こんなわたしの言うことなんて薄っぺらく聞こえるに違いない。それでも。
「……アーサー様を、愛していますから。彼のそばにいる為に、どんな努力だってしてみせます」
生まれて初めて使ったその言葉は、驚くほどしっくりときて。すとんと胸に落ちていく。
「っわたくしだって……」
わたしの言葉に対し、クロエ様が苛立ったように口を開いた時だった。
ふわりと、突然後ろから抱きしめられたのだ。
「そんな大事なこと、俺のいないところで言わないでくれないかな。危うく聞き逃すところだった」
そんな声に後ろを見上げれば、耳まで真っ赤にしたアーサー様がいて。
照れたようにその目線は逸らされ、行き場を無くしていた。