過去3

失意の中での手術は、無事成功した。

泣いて喜ぶ両親の姿を見て、自分は生きているのだと心の底から安堵し、大声を出して泣いた。そして次に思い浮かんだのは、アリスのことだった。もしもこの事を伝えたら、彼女は喜んでくれただろうか。そんなことをぼんやりとする頭で考えていた。

それからしばらくは、手術の後遺症に苦しんだ。半年ほどそれに耐えた後には、辛いリハビリと副作用のある投薬が待っていた。地獄のような日々だった。

辛い時には、彼女に貰ったぬいぐるみを抱きしめて、一人で泣いた。誰もいない病室で、何度も彼女の名前を呼んだ。何度も、届かない謝罪の言葉を繰り返した。

二年後には無事完治し、皮膚の色も何もかもが元通りになり、人前に出られるようになった。今まで心配や迷惑をかけた両親の為にも、数年分の遅れを取り戻すように勉学に励んだ。色々な集まりに顔を出し、交友関係を広げた。

数年ぶりにまともに見た自分の顔は、思いのほか綺麗な顔をしていた。これでは彼女に再会しても、気づいて貰えないかもしれない。その上、擦り寄ってくる令嬢は跡を絶たず、かなり苦労した。彼女らに全く興味は湧かず、「アリスはこの顔が好きだろうか」という事だけが気になっていた。


目まぐるしい日々の中でも、アリスのことを考えない日は一日もなかった。

朝起きてから寝るまで、何度も彼女のことを想った。アリスは今日何時に起きたのだろうか、朝食は何を食べたのだろうか、そんなことを常に考えていた。彼女と会わない時間も、その想いは衰えることはなかった。

それでも、俺が彼女に会いに行くことはなかった。調べればきっと直ぐに彼女を見つけられるだろう。けれど、合わせる顔がなかった。あんなにも良くしてくれた彼女を、会いたくないなどと言って追い返したのだ。今更どんな顔をして会いに行けばいいか分からなかった。

……最後に見た、悲しそうな彼女の笑顔が、頭から離れない。

優しいアリスのことだから、気にしていないよと許してくれるかもしれない。いや、きっと許してくれるだろう。けれど彼女に関わらずにいる事が、何よりもあの日の自分への罰だった。

──けれど、もし。また何処かで彼女と偶然出会って、話しかけてくれることがあったなら。

『わたし、アリス。あなたは?』

今度はもう、あんな失敗はしない。彼女を絶対に悲しませたりなんてしない。

何よりも大切にすると、誓った。


あれから五年後。俺は友人らと共に王都の学園へと入学することになった。

確かアリスは同い年だったはず、もしかしたら同じ学園に居るかもしれない。この国には沢山の学園があるというのに、そんな都合のいい妄想をせずには居られなかった。

そして、入学式当日。沢山の同じ制服を着た人間で埋め尽くされたそこで、アリスを見つけるのはあまりにも困難だった。結局、式が終わっても彼女の姿は見つけられず、此処に彼女は居ないのかもしれない、そう思った時だった。

「これ、落ちましたよ」

聞き間違えるはずの無いその声に、俺は思わず足を止めた。心臓が、痛い位に早くなっていく。その声がする方を振り向けば、あの頃よりも背は伸び、美しくなった彼女がそこに居た。

俺は息をするのも忘れ、ただ彼女を見つめていた。

「すみません、ありがとうございます」

「いえ、お気になさらず」

俺の後ろを歩いていた生徒が落とした手帳を拾ったらしい彼女は、あの頃と変わらない笑顔を浮かべていた。

……アリスが、いる。あんなにも夢見た彼女がそこに居る。

それだけで、俺にとっては奇跡のようなものだった。

一度も目が合うことはなく、立ち尽くしている俺の横を彼女は通り過ぎて行く。それだけで、胸が一杯になった。


それからというもの、毎日学園で彼女の姿を探すのが日課になった。他の誰かに向ける笑顔を見るだけで、胸が高鳴った。ただ彼女を見ているだけで、幸せな気持ちになれた。

俺は家格が高い子息子女が集められたAクラスだったせいで、アリスと同じクラスになることはこの先絶対にない。普段の彼女の様子が知りたくて、家来のビクターが彼女と同じクラスになるよう、知人のツテを使って頼んだ。

ビクターは想像以上の働きをしてくれた。彼女のことを毎日こと細かく教えてくれ、それが何よりの楽しみになった。彼女に婚約者も恋人も、親しい男友達さえいないと知った時には、何故か救われたような気持ちになった。居たところで、俺には関係の無いことだというのに。

同じ学園に居るのだ、もしかしたら彼女と関わる機会があるかもしれないと、当初は期待していた。けれど子供の頃とは違い、家格が違う彼女が俺に話しかけることなどあり得ないことだった。いつしか、そんな期待はしなくなっていた。

そして、そのまま四年の月日が経った。学園の卒業まで、そして俺にとってのタイムリミットまで、あと一年。父には、学園にいる間は誰とも婚約するつもりはないと強く言ってあった。一年後にはクロエと婚約することになると分かっていても、彼女と同じ学園にいる間だけは、まだ夢を見ていたかったのだ。

この頃になると、彼女のことは変わらず好きだったけれど、遠くから眺めるだけで幸せだと、心から思っていた。アリスが、幸せならそれでいい。本気でそう思っていた、のに。

◇◇◇

ある日の放課後、校門で一人立っているアリスを見つけた。帰りに彼女を見られるなんて幸せな日だと、思わず笑みが溢れる。

そして、彼女の目の前を通り過ぎようとした時だった。

「あの、わたしと婚約して頂けませんか!?

何が起きたのか、分からなかった。

突然、顔を真っ赤にした彼女がそう言ったのだ。彼女に聞こえてしまうのでは無いかというくらい、心臓が大きな音で早鐘を打っている。動揺しつつ周りを見渡しても、他に誰もいない。

──アリスが、俺に、話しかけている。

たったそれだけの事が、俺にとっては天地がひっくり返るような衝撃だった。

何故、彼女がいきなり婚約を申し込んでくれているのかは分からない。あまりにも自分に都合のよすぎる出来事に、夢かと思ってしまった。

……見ているだけでいいなんて、それだけで幸せだなんて、嘘だ。そう、自分に言い聞かせていただけだったのだと思い知る。

俺はきっとこの瞬間を、ずっと待っていた。

久しぶりにこんなにも近くで見た彼女は、あまりにも可愛くて、愛しくて。泣き出したくなるのを堪え、震える手をぎゅっと握りしめる。

そして、目の前の愛しい彼女に向かって、俺は笑顔を向けた。

「……いいよ、婚約しようか」

今度は絶対に、彼女を悲しませたりしない。