来訪
ゴールディング家でのお茶会から十日程経ち、夏期休暇も半分が過ぎた今日。
わたしは自室でアーサー様がやって来るのを待っていた。数日前に彼から手紙が届き、「急で申し訳ないけれど、時間が出来たから会いに来たい」とのことで。
わたしはすぐに了承の返事を送り、今日という日が来るのを指折り数えて心待ちにしていた。久しぶりにゆっくりアーサー様に会えると思うと嬉しくて、昨夜はあまり眠れなかった。
やがて使用人によってアーサー様の来訪を知らされたわたしは、すぐに玄関へと向かう。
「久しぶりだね、アリス。急ですまない」
「いえ、お忙しい中ありがとうございます」
「いつ見ても、君は本当に可愛いね」
久しぶりに会ったせいか、普段の数倍眩しく見えてしまう。使用人達も皆彼に見惚れていて、今回初めてアーサー様にお会いしたハンナは、口が開いたまま固まっていた。
大したものではないけれどなんて言いながら、今日もアーサー様は申し訳なくなる程の手土産を携えていた。両親は今日も、ひたすら低頭平身している。
それからは広間でお茶をしながら、お互いの近況について話した。アーサー様は勉学に励んだり、様々な集まりに参加したりと、相変わらず忙しいようだった。
「普段、家ではどう過ごしているの?」
「自室で読書をしたり、刺繍をしたりする事が多いです」
「アリスの部屋か、行ってみたいな」
「何もない部屋ですけれど、それでも良ければ」
そうしてメイドに後でお茶を持ってくるよう伝え、自室へと向かう。
アーサー様と共に階段を上がって行き、部屋の中へと通した時だった。
「ずっと、こうしたかった」
パタン、とドアが閉まる音と同時に腕を引き寄せられ、わたしはアーサー様に抱きしめられていた。久しぶりの彼の優しい温もりと匂いに、幸福感で満たされていく。
「……ねえ、アリス」
「はい」
「グレイ・ゴールディングと抱き合っていたって、本当?」
突然のその言葉に、夢見心地だったわたしはすっと体温が下がっていくのを感じた。
……どうして、アーサー様がそのことを知っているんだろう。
彼に誤解をされてしまうのが嫌で、とにかく説明しなければと慌てて口を開く。
「母と参加したゴールディング家のお茶会で、転びかけた際にグレイ様に抱きとめて頂いたんです」
「………………」
「わたしの不注意で、本当に、すみません……」
抱きしめられたまま、何も言わないアーサー様に不安が募る。きっと、怒っている。彼という婚約者がありながら、わたしの不用心さと不注意が招いた事なのだ。幻滅されたかもしれない。
そうして、恐る恐る彼を見上げた瞬間、唇を塞がれた。
先日初めてした時のものとは違い、荒々しくて、食べられてしまいそうなそれに、頭の中が真っ白になる。息の仕方もわからず、唇が離れた時には頭がくらくらして、その場に座り込んでしまいそうになった。
そんなわたしを、アーサー様は再びきつく抱きしめた。
「アリスは、俺がどれだけ君のことを好きなのか、愛しているのかわかっていない」
「………っ」
「この話を聞いた時、君を何処かに閉じ込めて二度と外に出られない様にしようかと思った。二度と君を他の男に触らせたくない、見せたくないと思った」
そう言った彼の瞳は、真剣そのものだった。
「けれどそんな事をして、君を悲しませるのも嫌なんだ」
「アーサー、様」
「どんなに一緒に居たくても、俺が君の傍に居られる時間は限られている。お願いだから、もっと気を付けて欲しい」
「はい……。本当に、すみませんでした」
涙が零れそうになったけれど、きつく目を閉じて堪えた。こんなにもわたしの事を想ってくれているアーサー様に、嫌な思いをさせてしまうなんて。本当に馬鹿だ。
やがてソファに二人並んで腰掛けると、アーサー様はわたしの頭を優しく撫でた。
「先日、知人のパーティーで名前も知らない令嬢が、嬉々としてこの話を教えてくれてね。君が俺の婚約者には相応しくないのではないか、もっといい相手がいるかもしれないのだから周りに目を向けてみては、なんて言うものだから驚いたよ」
あの場面を誰かに見られていて、そしてそれがアーサー様の耳に入るだなんて、全く想像もしていなかった。自分を見る周りの目が、今までとは違うということを改めて実感する。
きっとクロエ様のような人なら、こんなことにはならない。自分の危機感の無さを悔いた。
「俺の婚約者、という君の立ち位置を狙う人間は多いんだ。今後も君を蹴落とそうとする人間が出てくるかもしれない」
「はい」
「普通の令嬢として生きてきた君に、いきなり全てのことに気をつけろと言うのは無理な話だと思う。多少の事なら俺がフォローも出来る。けれど、今回のようなことは気をつけて欲しい。何より、俺自身が嫌なんだ」
「分かりました。気をつけます」
「……本当は、君にこんな気苦労はかけたくないんだけど」
そう言ってアーサー様はわたしの髪に、優しくキスを落とした。
……やっぱり、彼はわたしに甘すぎる。本来わたしが怒られるべきなのに、何故かアーサー様が申し訳無さそうな顔をしていた。いつまでもその優しさに甘えるわけにはいかない。
「……幻滅、しましたか?」
「えっ?」
「少しくらい嫌いになったり、していませんか」
そして、気づいてしまった。彼からの愛情が損なわれるのが、何よりも怖いということに。
「俺がアリスを嫌いになることなんて、絶対にないよ」
「本当ですか?」
「うん。命を賭けてもいい」
「やっぱり、アーサー様は大袈裟です」
その言葉に安堵し、つい笑ってしまう。そんなわたしに、アーサー様は「アリスは笑っているのが一番だよ。可愛い」なんて言って微笑んだ。
「俺こそ、さっきはごめんね」
「さっき、ですか?」
「君の許可もないまま、いきなり口付けてしまった。嫌ではなかった?」
その言葉に、顔に熱が集まっていくのを感じた。先程のキスを思い出すと、アーサー様の顔が見られなくなりそうだった。
「嫌なんかじゃ、ないです」
「それなら、もう一回してもいい?」
「は、はい」
「顔、真っ赤で可愛い。……アリス、好きだよ」
──今はこんなにも腑甲斐ないわたしだけれど、いつか彼に愛されるに値する人になりたい。
そんなことを考えながら、わたしはアーサー様の唇を受け入れたのだった。