変化
王都へ戻ってきてから一週間。わたしは毎日図書館と家を往復し、公爵家の歴史や領地についての資料や本を、片っ端から読み耽る日々を過ごしていた。アーサー様の婚約者として、最低限の知識は入れておかなければと思ったのだ。思っていた以上に学ぶべきことは多く、毎日があっという間に過ぎるのを感じていた。
アーサー様からは時折手紙が届いていて、何度もそれを読み返しては彼に会いたくなった。お手本のような読みやすい字で書かれているそれは、会いたいだとか好きだとか、読んでいるだけで顔が熱くなるようなものだった。
今日は久しぶりに外出する予定があり、わたしはハンナに支度をしてもらい馬車に揺られていた。大切な友人であるリリーの誕生日パーティがあるのだ。彼女に会うのも二週間ぶりで、とても楽しみだった。話したいことも沢山ある。
ちなみに今乗っている馬車も、アーサー様から頂いたものだ。新品を贈ると言われたけれど、流石にそこまでしてもらうのは申し訳無いとお断りした。けれど結局、使っていないという古い物を頂いてしまった。それでもとても立派で綺麗なもので、彼には本当に頭が上がらない。
「リリー、おめでとう!」
「アリス! 会いたかったわ。元気にしていた?」
会場に着き、真っ先にリリーの元へと向かう。同じ伯爵家の令嬢だけれど、彼女の家はとても大きな商売をしており、かなり裕福で今勢いがある家の一つだった。
今日は友人を集めたガーデンパーティで、軽い気持ちで来て欲しいと言われていたけれど、いざ来てみればかなり大規模なもので会場には人が溢れていた。
「……仲のいい友人だけでと言っていたのに、思いのほかお父様が張り切ってしまって」
「リリーの家はとても注目されているもの。それにとても素敵だわ」
「ありがとう。あちらにクラスメートの子たちもいるから、アリスも一緒に行きましょう」
二人で移動している間、リリーは不自然に周りをきょろきょろと見回していて。誰かを探しているように見えた。
「どうかした?」
「ううん。何でもないわ」
クラスメートの子たちが集まるテーブルへと着くと、皆笑顔で迎えてくれた。
「アリス様、とても綺麗!」
「アーサー様と婚約されてからというもの、より一層美しくなられたわよね。羨ましい限りだわ」
今日はアーサー様に頂いた新しいドレスを着て、髪や化粧もしっかりと綺麗にしてもらっている。地味な姿の時と比べると、自分でも驚くほど垢抜けたように思う。
そうしてお喋りに花を咲かせていると、突然後ろから声をかけられた。
「もしかしてアリスかい? 久しぶりだね」
「……キース、様」
「見違えたな、一瞬君かどうか分からなかったよ」
彼の顔を見た瞬間、一瞬で楽しかった気分が台無しになる。太りすぎたせいで細くなった目で、わたしを頭の先からつま先まで眺めるその姿は、不愉快そのもので。
──キース・ゴールディング。彼は、グレイ様の兄だった。
「あのグリンデルバルド家の婚約者になったんだって? すごいじゃないか、愚弟なんかと婚約せずに済んで良かったなあ」
「……………」
「うちの両親に感謝した方がいいぞ。あいつは子供の頃からずっと、君との婚約を頼み込んでいたのに、両親は何かと理由をつけて先延ばしにしていたんだから」
「えっ?」
「ようやく認められて申し込んだと思えば君は公爵家と婚約だなんて、タイミングが悪いにも程があるよな! とんだ笑い話だよ」
そう言って大声で笑う彼に、不快感と苛立ちが募る。グレイ様のことは嫌いだけれど、キース様のことも昔から大嫌いだった。
知力や容姿も全てグレイ様に劣っている彼は、子供の頃からグレイ様を目の敵にしていた。高圧的で、人の粗を探しては嫌味を言ってばかりの彼は昔から皆に嫌われていたけれど。ゴールディング家は、長男と言うだけでキース様を優先し可愛がっていた。
それよりも、グレイ様が子供の頃からわたしとの婚約を頼み込んでいたなんて、信じられるはずがない。グレイ様だって一度もそんなことは言っていなかったし、初耳だった。
「それにしても綺麗になったなあ、アリス」
「……ありがとう、ございます」
「そのうち婚約者に捨てられたら、俺がもらってやってもいい。俺の言うことなら両親も聞いてくれるだろう」
いい加減にして欲しかった。彼はいつもグレイ様に苛められていたわたしを知っているから、何を言っても大丈夫だとタカをくくっているに違いない。確かにいつもならば、何も言わずに黙っていたと思う。
それでも、わたしはこんな人に馬鹿にされるような生き方はしていない。グレイ様だって、わたしに対しては本当に最低だけれど、両親に振り向いてもらおうとキース様の数倍、努力していたのも知っている。
気が付けば、わたしは口を開いていた。
「ありがとうございます。けれど一生そんな日は来ません。キース様も冗談ばかり言っていないで、早くお相手を探しては? 婚約者どころか、結婚していてもいい年齢でしょうし」
「なっ」
「それにわたしは、婚約者のアーサー様にはとても大切にして頂いていますから。捨てられるなど有り得ません」
信じられないほどスラスラと言葉が出てきて、目の前で細い目を見開くキース様以上に、自分自身が驚いていた。心臓は大きな音を立てているし、冷や汗も止まらない。
けれど初めて言いたいことを言えたわたしは、とても清々しい気持ちになっていた。
「……っアリスのくせに、」
キース様の表情が、怒りに染まった瞬間だった。
「アリスの言う通り、俺が彼女を捨てるなんて有り得ないよ。あまり可愛い婚約者を苛めないでくれないかな」
……どうして、ここに。
気がつけばふわりと肩を抱き寄せられていて。隣を見上げれば、そこには見間違えるはずもないアーサー様その人がいた。
「ア、アーサー・グリンデルバルド様……!」
「アリス、元気だった?」
「どうして、」
「先日、とある集まりで君の友人に会ってね。今日のことを聞いて、時間が出来れば顔を出すと言ってあったんだ」
期待させておいて来られなかったら嫌だから、君には内緒にしてもらっていたんだと、アーサー様は微笑んだ。
……本物の、アーサー様だ。あまりに驚きすぎて、そんな当たり前の感想しか出てこない。たった一週間しか経っていないのに、とても長い間会っていなかったような気がした。
「俺は彼女と二人で過ごしたいんだ。そろそろ席をはずしてくれないか」
「し、失礼、します」
キース様は逃げるようにして、慌ててその場を去っていく。長年溜め込んでいた鬱憤が、少しだけ晴れた気がした。
「大丈夫だった?」
「はい、アーサー様のおかげで助かりました」
「俺は何もしていないよ。アリスが頑張ったんだから」
そう言って、アーサー様は優しくわたしの頭を撫でてくれた。
彼は何もしていないと言ったけれど、わたしがキース様に言い返せたのも全て、アーサー様のお蔭だった。彼に愛されているという、自信があったからだ。
「君に会えないこの一週間は、本当に長かったよ。この場で今すぐ抱きしめたいくらいだ」
「わたしも、会いたかったです。毎日アーサー様のことを考えていました」
「……本当に抑えきれなくなるから、あまり可愛いことを言わないで欲しい」
そう言って少しだけ顔を赤らめた、いつも通りのアーサー様にほっとする。そんな彼は、今日もその場に居るだけで、あっという間に周りの視線を集めていた。
「残念だけど、あまり時間がないんだ。一緒にリリー嬢のところへ行ってくれないか」
「はい、喜んで」
忙しい中、こうして会いに来てくれたことが何よりも嬉しい。大好きですと心の中で呟くと、わたしたちはしっかりと手を繋ぎ、リリーの元へと向かったのだった。