自信となるもの

『お前が居なくなったって、誰も困らない』

『何一つまともにできない、貴族の恥さらし』

『お前を好きになる奴なんか、一生現れないだろうな』


「………っ!」

目が覚めると同時に飛び起きたわたしは、重たいため息をついた。全身に嫌な汗が伝う。昨日クロエ様に言われたことを気にしていたせいか、久しぶりにグレイ様の夢を見てしまった。

……あの後、なかなか部屋から出てこなかったわたしを気遣い、アーサー様は移動で疲れただろうと早めに休ませてくれた。余計な気を遣わせてしまったことで、また罪悪感に襲われる。

このままではいけない、と軽く両頬を叩いて気持ちを引きしめると、メイドに身支度を整えてもらい、部屋を出た。

「おはようアリス。よく眠れた?」

「はい、お蔭様で。ありがとうございます」

「僕もいつもより、三時間も多く寝ちゃったよ」

食堂に着くと、既に皆テーブルについていた。朝から三人とも驚くほどに爽やかで、朝日のように眩しい。丁度朝食の支度が終わったところらしく、わたしはアーサー様の隣に腰掛けた。

「なんだかこうして見ると、新婚さんって感じだね!」

「し、新婚……?」

「本当、似合いの夫婦って感じだよな」

「……頼むから、少し黙ってくれ」

朝食を食べている間ずっと、なぜかノア様とライリー様はそんなことを言い続けていて。クロエ様のこともあり、気を遣ってくれているのだろうか。なんだか申し訳ない気持ちになる。


その後、広間にて今日は何をしようかと三人で話し合っていた時だった。

「皆様、おはようございます。明日までこちらにいる予定ですので、本日はわたくしもご一緒してよろしいですか?」

そう言って現れたのは、クロエ様だった。彼女の言葉を受けて、アーサー様はわたしに視線を向ける。大丈夫です、という意味をこめた笑顔を返せば、彼は困ったように微笑んだ。

「ああ、構わないよ」

「ありがとうございます」

そう嬉しそうに笑う彼女は、今日も花のように美しい。

そうして、午前中は街中を見て歩くことなったのだけれど、クロエ様はぴったりとアーサー様にくっついたままで。アーサー様は何か言いたげな様子だったけれど、わたしは見ないふりをしてノア様とライリー様と散策を楽しんだ。

昼食の間も彼女はアーサー様の隣を離れず、そんな二人を見るたびに胸がきゅっと締め付けられる。その後、近くの湖で小舟に乗ることになったわたしたちは、森の中へとやってきていた。キラキラと輝く水面に映るわたしの表情は、ひどく暗い。

「わたくし、アーサー様と一緒に乗りたいです」

「クロエ、俺は」

「よろしいですよね? アリス様」

クロエ様は、有無を言わせない笑顔でこちらを見た。

何も言えないでいるわたしを後目に、彼女はアーサー様の腕を引いていく。嫌だと言いたいのに、なかなか言葉が出てこない。そんな自分に心底嫌気が差した。

それでも、このまま二人が行ってしまうのは絶対に嫌で。

気が付けば、わたしはアーサー様の手を掴んでいた。

「……クロエ、すまない」

「っアーサー様!」

その瞬間、アーサー様はクロエ様の手を振り解いた。

そしてわたしの手をしっかりと握りなおすと、そのまま湖とは反対方向へと歩き出したのだった。

◇◇◇

着いたのは日陰にある小さなベンチで、二人並ぶようにして座った。いつもと変わらない近すぎる距離に、なんだか安心する。少し小高くなっている場所らしく、ここから見える景色はとても綺麗だった。風も心地いい。だんだんと、心が穏やかになっていくのを感じていた。

「あの、アーサー様、」

「嬉しかった」

「えっ?」

「こんなことを言う資格がないのはわかっているけれど、君が引き止めてくれて嬉しかったんだ」

突然手を掴んでしまったことを謝ろうとしたけれど、すぐに遮られて。そんなアーサー様の言葉にほっとしつつ、彼の話に耳を傾けた。

「クロエから、婚約する予定だったという話は聞いた?」

「はい、お二人が幼い頃から決まっていたことだと」

「俺の口から話しておくべきだった、本当にすまない。親が決めた事とは言え、俺の勝手でそれを反故にしてしまったから、クロエに対して罪悪感はあるんだ。だから彼女を邪険にはできなかった」

「……はい、わかっています」

本人の意志とは関係なく決められたことだとしても、彼を一途に想い、努力を続けてきたクロエ様に対して、アーサー様が強く出られないのはわかっていた。彼ほど優しい人ならば尚更だろう。

「でも、アリスが嫌がることは絶対にしたくない」

だから、嫌なことがあれば何でも言って欲しい。そう言って、アーサー様はわたしの頭を優しく撫でた。あまりにも優しいその手つきに、また心臓が跳ねた。

「わたしが、悪いんです。クロエ様に対して引け目を感じすぎていたから」

きっとわたしが彼女に勝てることなんて何一つない。だからこそ、彼女の存在が怖かった。

「君は、自己評価が低すぎる」

「……弱い自分が、本当に嫌なんです。嫌なことは嫌だって、ちゃんと言えるようになりたいのに」

グレイ様に対しても、クロエ様に対しても。

わたしはいつからか、自分に自信が全く持てなくなっていた。何をするにしても、グレイ様に言われた心無い言葉が頭をよぎるのだ。何か言いたいことがあっても、卑屈になり躊躇ってしまう。

「……自分に、自信が持てたらいいのに」

そんな願いが、思わず口から漏れる。アーサー様は、そんなわたしを黙って見つめていた。

こんな弱いわたしに、アーサー様も嫌気が差しただろうか。

沈黙が続き不安に思っていると、彼は突然立ち上がった。そしてベンチに座るわたしと向かい合い、同じ目線の高さになるようにしゃがみ込んだ。

柔らかな金の髪が、さらさらと風に揺れている。本当に綺麗な人だと、なんだか泣きたくなる。

「ねえ、アリス。俺のことはどう思う?」

「えっ? ええと、アーサー様は優しくて格好よくて、わたしが知る中で一番、素敵な方だと思います。皆の憧れです」

突然の質問に戸惑いながらも素直にそう答えれば、アーサー様は少し照れたように微笑んだ。

「じゃあそんな俺に、こんなにも愛されてるアリスはすごいと思わない?」

「……え、」

「俺、昔から人を見る目があるって言われるんだ」

「アーサー、様……?」

「そんな俺が人生でたった一人、好きになったのが君だよ」

彼の言葉によって、視界が、揺れる。

「まだ足りないのなら、俺はもっと努力するよ。君が誇れるような人間になる」

だから、と彼は続けた。

「俺が、君の自信になれないかな」

その瞬間、わたしの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

──どうして。どうして、アーサー様はこんなにもわたしが欲しい言葉をくれるんだろう。

ぽろぽろと零れてくる涙を、彼の指でそっと拭われる。けれどやがて、とめどなくそれは溢れてきて、いつの間にかわたしはしゃくりあげて泣いていた。

「アリスは誰よりも素敵な女の子だよ。俺が保証する」

「……っ、う、……っく、」

「俺のこと、信用できない?」

なかなか泣き止むことが出来ないわたしは、ふるふると首を横に振る。

そんなわたしを見て、アーサー様は泣き顔まで可愛いね、なんて言って笑うのだ。絶対に今のわたしの顔は涙でぐしゃぐしゃで、酷い顔をしているに違いないのに。

……アーサー様からの好意は伝わってきていたけれど、「好き」とはっきり言葉にされたのはこれが初めてだった。嬉しさで、余計に涙が止まらない。

胸の奥でずっとわたしを縛り付けていたものが、するすると解けていく気がした。

そしてこの日、わたしは恋に落ちたのだ。