わからないことばかり

「本当にアーサーが女の子といる」

「うわ、ほんとだ! 信じられない」

アーサー様と二人で昼食をとるようになり、数日が経った。未だ緊張はしているものの、ようやく食べ物の味くらいはわかるようになってきた、そんなある日。

わたしの前に現れたのは、彼の友人であるノア様とライリー様だった。彼らは家柄も見目も良く、入学当初から女子生徒の憧れの的で。三人はとても仲が良く、家族ぐるみの付き合いもあるという。

噂話に疎いわたしでも、彼らのことはよく知っていた。

「紹介していなかったね、俺の婚約者のアリスだ。こちらは友人のノアとライリー」

「よろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくね、アリスちゃん」

「えー、可愛い! アーサーもやるじゃん」

アーサー様にノア様、ライリー様の三人が揃っている今、学食中の視線がこの席に集まっていると言っても過言ではなかった。その中に一人混ざる凡人のわたしは、刺さるような視線を全身に浴び、いたたまれない気持ちになっていた。完全に針のむしろだ。

「付き合いが悪くなったと思ったら、本当に女絡みだったとはなあ」

「しかも親が決めたんじゃなくて、アーサーが必死に頼み込んだって聞いて余計に驚いたもん」

「公爵夫人なんてアーサーの我儘なんて初めてで、嬉しくて泣いてたって聞いたぞ」

「……頼むから、それ以上話すのはやめてくれないか」

アーサー様は片手で顔を覆い、深い溜息をついた。二人は「アーサーが赤面してる……!」と言い、信じられないものを見たような表情をしている。

一方、わたしはというとライリー様が言っていた、必死に頼み込んでいたという言葉に驚きを隠せずにいた。アーサー様がご両親にわたしとの婚約を必死に頼み込む理由など、いくら考えても見つからないのだ。彼が以前言っていた、『わたしだから』という言葉が頭をよぎる。

……アーサー様にとってのわたしとは、一体何なんだろう。

ずっと気になってはいるものの、彼の方から話してくれない限り教えては貰えないような気がして、あれ以来その話には触れていなかった。

「そう言えば、アリスちゃんをどこかで見たことがある気がするんだよね」

そう言ったのはライリー様だった。

「あの、グレイ様とお知り合いですよね」

「グレイ?」

「グレイ・ゴールディング様です。ゴールディング家主催のパーティーで、ライリー様にご挨拶させて頂いたことがあります」

わたしの言葉に、ライリー様は「ああ!」と納得した様子だった。

ゴールディング家で開催されるパーティには必ずと言って良いほど呼ばれており、ライリー様とお会いしたのは、確か一年ほど前だったと思う。

グレイ様の傍からは一時も離れることは許されず、周りには俺のものだとか散々な紹介をされ、ひたすらに惨めな思いをしていた。本当に忘れたい過去だ。

「てっきり、グレイの恋人なんだと思ってた」

「おい、アーサーの前でやめろよ」

「こ、恋人だなんて……! 本当に幼馴染みたいなもので」

「だって絶対あいつアリスちゃんのこと、」

「えっ?」

その瞬間、ふわりとわたしの両耳はアーサー様の両手によって覆われ、ライリー様のその先の言葉は聞き取れなかった。彼の両手に触れられているというだけで、心臓が大きく跳ねる。

やがて手が離されると、皺一つない袖からはとてもいい匂いがして、くらりと目眩がした。

「……ノア」

「わかったわかった、悪かったって! ライリー、行くぞ。お前だってまだ死にたくないだろう」

ノア様は溜息をつくとライリー様の腕を掴み、無理矢理連れて行った。

「騒がしくてごめんね、悪い奴らではないんだ」

「はい、わかっています。けれど、グレイ様の恋人だなんて言われて驚きました。他にもそんな勘違いをされている方がいると思うと……。本当にわたしはグレイ様が、」

そこまで言いかけたところで、アーサー様の人差し指がわたしの唇に触れた。

彼のその動作はあまりにも自然で、あまりにも綺麗で。わたしは息をすることも忘れ、彼に見惚れてしまっていた。

「他の男の話はもういいよ」

「……アーサー、様?」

「アリスは、俺を選んでくれたんだろう」

「…………っ」

「それなら俺だけを見て、俺のことだけ考えればいい」

わたしの頬にそっと右手を添えると、アーサー様はすがるような瞳でわたしを見つめた。視線を逸らせずにいると、彼の瞳の中に映る間の抜けた顔をした自分と目が合った。

……どうして、アーサー様はそんなことを言うんだろう。どうして、こんなにも胸が苦しいんだろう。どうして、悲しくもないのにわたしは泣きそうになっているんだろう。

本当に、彼と出会ってからは訳がわからないことばかりだ。

◇◇◇

「断られた? コールマン家に?」

「は、はい。そのようです」

「何かの間違いじゃないのか。あの貧乏伯爵家が、我が家の申し出を断る筈がないだろう」

「それが、その……」

何故か口籠もる執事に、苛立ちが募る。コールマン家に申し込んだ婚約が断られるなど、有り得るはずがない。アリスはともかく、あの家には長らく援助をしてきたのだから。

「……アリス様は、グリンデルバルド公爵家のアーサー様とのご婚約が決まったそうです」

「…………は?」

何を言っているのか、わからなかった。信じられないその言葉に、いよいよこの執事もボケたのかと思わざるを得ない。背中越しに聞こえてくる執事の声を無視し、急いで父の元へ確認しに行く。

そしてそれは紛れもない事実だと、すぐに思い知らされた。目の前が真っ暗になる。

残念だったなという父の表情は、言葉とは裏腹に嬉しそうに見えた。元々、こちらにとっては何一つ得がなかった婚姻話がなくなったのだ。その上、今まで散々恩を売っていた家が公爵家と繋がったとなれば、我が家にとっては吉報なのだろう。

……あのグリンデルバルド家がコールマン家と婚約だなんて、信じられる筈がない。

あんな貧乏伯爵家の娘を嫁にもらったところで、なんの得にもならないのだ。俺だって、両親からあんな家よりも、もっと良い家柄の娘と結婚しろと長い間説得されてきた。それでも必死に頼み続け、ようやく申し込むことが出来たというのに。

公爵家の長男ならば、家柄のいい美しい娘を国中から選り取りみどりなはずだ。けれど俺には、アリスしかいない。ずっとずっと、アリスだけを見て手元に縛りつけてきたのだ。

ふらふらと自室に戻りソファに倒れ込むと、俺は一人乾いた笑い声を上げた。

アリスを手に入れる為にひたすら努力をし、親の言うことも全て聞いてきた。彼女に群がる邪魔な奴らも全て、排除してきた。

その結果がぽっと出の奴に持っていかれて終わりだなんて、信じられるはずがない。こんな喜劇があってたまるかと、きつく掌を握りしめた。

───絶対に、逃がしてなんかやらない。