夢なんかではなく

「アリス! よくやった!」

帰宅した瞬間、お父様とお母様がすっ飛んできて、数十年ぶりの再会かとでも言うくらいに手厚く出迎えてくれた。わたしが恋人を連れて帰って来れず、グレイ様との婚約が決まったからこそ喜んでいるのだろうと思っていたけれど、聞こえてきたのは予想外すぎる言葉だった。

「ゴールディング家には申し訳ないが、公爵家からのお話をお断りする訳にはいかないからな。アリスの望み通り、グレイ様との婚約は無かったことにしてもらおう」

「……本当、ですか?」

公爵家という聞き慣れない言葉に疑問は残るものの、なぜだかグレイ様との婚約は無くなったらしい。もちろん飛び跳ねたいくらいに嬉しいけれど、一体どういう風の吹きまわしだろうか。

「先程グリンデルバルド家から連絡があってな、アリスとアーサー様の婚約について正式なお申し出があったんだよ」

「高貴な方とは言っていたけれど、まさかあのグリンデルバルド家だなんて……さすが可愛いアリスだわ」

「ちょ、ちょっと待ってください」

──さっきのは、幻なんかではなかった?

興奮気味に話す両親を前にして、わたしは嫌な汗がじわりと滲んでくるのを感じていた。

正式な婚約だなんて、本当に待って欲しい。あのアーサー様が本当に、突然現れた初対面の女に申し込まれた婚約を受け、すぐに手筈を整えたとでも言うのだろうか。そうだとしたら余程変わった方というか、むしろ変だ。絶対におかしい。

「すぐに承諾のお返事をさせて頂いたからもう安心だ。今後もアーサー様のお気持ちが変わらないよう、良い付き合いを心がけなさい」

「お、お父様! 本当に間違いではないのですか? 本当にグリンデルバルド家が……?」

「ああ、間違いないよ」

「夢心地で信じられないのね。本当におめでとう、アリス」

そう言って二人はわたしを抱きしめた。お母様なんて涙を流している。貧乏伯爵家の娘が公爵家に嫁ぐなんて、夢のまた夢のような話だ。今後コールマン家の安泰は約束されたようなものであり、ゴールディング家とは比べ物にならない程の玉の輿だろう。

こんなに嬉しそうなお父様とお母様を見たのは何時ぶりだろうか。色々聞きたいことや不安なこともあったけれど、なんだか水をさすのも嫌で、言いたいことをぐっと飲み込み自室へと向かった。ぼふりとベッドに倒れ込み、小さい頃からいつも一緒だったウサギのぬいぐるみのミーティアを、ぎゅっと抱きしめる。

……なんだか、ひどく疲れた。

今日一日で、わたしの人生は信じられないくらいに変わってしまったような気がする。なんだか全て他人事のようで、現実味がない。瞳を閉じればすぐに、睡魔が襲ってきて。

アーサー様は今、何を考えているんだろうか。そんなことを考えながらわたしは意識を手放した。

◇◇◇

────夢かと、思った。


「わたしと婚約して頂けませんか!?

ずっと、ずっと見ているだけだった彼女が、突然通りすがりに婚約を申し込んできたのだ。

まさに青天の霹靂へきれきだった。何かの間違いでもなんでもいい。何か事情があってもいい。

彼女の方から俺に話しかけてくれた、という奇跡のような事実だけで十分で。

『こちらからは関わらない』という、自分の中で立てた長く苦しい誓いが消えた瞬間だった。

「……いいよ、婚約しようか」

喜びや動揺を顔に出さないよう必死に冷静を装い、笑顔でそう答える。何年も何年もずっと、夢見ていた彼女との会話の一言目がこれだなんて、誰が想像できただろうか。

そう言った瞬間、彼女が俯いていた顔をパッと上げて、目と目が合った。彼女の瞳に自分が映っている。たったそれだけで、泣きそうになった。

ああ、可愛い可愛い可愛いアリス。

このまま抱きしめてしまいたくなる衝動を抑えて、笑顔を浮かべた。

「君の名前を教えてくれないかな」

本当は、彼女のことはよく知っていた。彼女の名前も、友人の名前も、好きな食べ物も、好きな本や動物も。けれど、悟られてはいけない。彼女の中で、俺たちは初対面なのだから。

「アリスか、可愛い名前だね。俺のことは好きに呼んでくれて構わない。用事があるから今日はもう行くけれど、これからよろしく」

まだまだ彼女といたい、話したい。その気持ちをぐっと押さえつけて馬車に乗り込んだ。

まだ、浮かれるな。先にすべきことは山ほどある。これ程のチャンスを、絶対に無駄にできるはずがなかった。頭の中をフル回転させ、今後のことについて必死に考える。

まずは今から会う予定だった両親を説得し、すぐにコールマン家に正式な婚約を申し込まなければ。もし先程の彼女の言葉が何かの間違いだったとしても、ありとあらゆる手を尽くし、決して揺るがないものにしてみせる。

「……アリス、愛してる」

一生胸に秘めているつもりだったこの気持ちを、初めて口に出してみる。

それだけで、言葉に出来ないくらいの幸福感に包まれたのだった。