そう言うと彼は、わたしの人生の中でとびきり一番美しい笑顔を浮かべ、待たせていたらしい馬車の中に消えて行った。その場に立ち尽くし、豪華な馬車が見えなくなるまでぼんやりと見つめていたわたしは、やがてへなへなと座り込んだ。
「アリス! あなた今アーサー様と話していなかった? まさかあのアーサー様に馬鹿なことを言ったんじゃないでしょうね」
跡を追いかけてきたらしいリリーに軽く頭を小突かれ、ようやく我に返る。
「……婚約、してくれるって」
「はあ? 何寝ぼけたこと言ってるのよ」
「確かに、夢、よね」
冷静になって考えてみれば、あのアーサー様が初対面の令嬢による婚約の申し出など、受けるはずがない。今のは現実逃避しすぎたせいで見た幻だったのだろう、と自分に言い聞かせた。そもそもあれが現実だったところで、今日連れてこいというお父様の条件は満たせないのだ。
とりあえず今日はもう帰って休みなさい、と言ったリリーの目は完全に哀れみに満ちていて。心身ともに疲れてしまったわたしは、彼女の言う通り今日のところは大人しく家に帰って休み、それから他の方法を探そうと決めたのだった。
そうしてふらふらと帰路についたわたしは、この出来事が夢や幻ではなかったことを、帰宅と同時に知ることになる。