わたしと婚約して頂けませんか!?

「……いいよ、婚約しようか」

「そうですよね! お時間取らせてしまってすみま……え?」

そこまで言って初めて、わたし、アリス・コールマンはねるように俯いていた顔をあげた。そうして初めて視界に入った目の前の人の顔を見て、よく腰を抜かさなかったと自分を褒めてあげたい。

サラサラとなびく輝くような金髪、端正な顔立ち。そして一際目を引くのが、宝石のように煌めくアイスブルーの瞳。間近で見るその瞳は、今まで見てきたどんな宝石よりも美しかった。このまま吸い込まれるのではないかと、恐怖すら覚えるほどに。

……それよりも、今さっき彼はなんと答えただろうか。

わたしの記憶が正しければ、「婚約しようか」という信じられない言葉が聞こえたのだけれど。追い詰められたわたしはいよいよ、耳までやられてしまったのかもしれない。

「あ、あの、」

「名前、教えてくれないかな」

「えっ?」

「君の名前だよ」

そう言って軽く首を傾げる姿の眩しさは凄まじく、わたしの顔は目も当てられないほど真っ赤になっていることだろう。

「コ、コールマン、です」

「これからは婚約者なんだろう? ファーストネームに決まっているじゃないか」

にっこりと王子様のような笑顔を浮かべ、これからは婚約者だと当たり前のように言った彼が、一体何を考えているのか分からない。

そもそも、彼とは一度も会話をしたことがなかった。けれど、この学園で彼のことを知らない者はいないだろう。

──アーサー・グリンデルバルド様。

この国の筆頭公爵家の長男で、眉目秀麗、成績優秀。伯爵家の長女であるわたしから見ても、雲の上の方だった。学園中の女生徒の憧れの的であり、普通に過ごしていたならば会話をすることもなかったはず、なのに。

……どうしてこんなことになってしまったのか。話は数十分程前にさかのぼる。

◇◇◇

「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」

「今更どうすることも出来ないでしょう、もう放課後よ。いい加減諦めたら?」

「うう、ひどい……」

机に突っ伏しながら、まるで呪いの言葉のようにどうしようと言い続けていたわたしを、親友であるリリーは冷ややかな目で見つめていた。

「どうしてそんなに嫌がるのよ。グレイ様、素敵じゃない。彼を狙ってる子も多いわよ」

「本当に、あの人だけは嫌なの!」

誰にだって、生理的に駄目な人間というのはいると思う。わたしの場合、それがグレイ・ゴールディング様だった。

伯爵家といえども貧乏な我が家は、昔から裕福な侯爵家のゴールディング家に媚びへつらっていて、そんな中でわたしと彼は幼馴染として育った。そしてわたしはずっと、彼に虐げられ続けていたのだ。トラウマになるレベルの悪戯や暴言もあった。

それが十年以上続いた今となっては、彼の顔を思い出すだけで食欲が無くなる位だと言うのに。

「よりによって、婚約者だなんて……」


今朝、いつも通り家族で朝食をとっていると突然、『グレイ様と婚約して頂くことになったから、そのつもりでいなさい』とお父様に言われたのだ。

マナーだけはいつも褒められていたわたしだけれど、あまりのショックに持っていたスプーンを思い切り床に落としてしまった。

『い、嫌です! グレイ様だけは絶対に!』

『あんなに素敵な方、他にいないだろう。どうして嫌なんだ』

『わたし、実はお付き合いしている人がいるんです。その方と結婚も考えています……!』

そしてあまりにもグレイ様との結婚が嫌だったわたしは、咄嗟に結婚を考えている恋人がいるという、突拍子もない嘘をついてしまった。そんな話、信じろという方が無理がある。けれどもう、後には引けない。わたしは固く掌を握りしめると、お父様に向き直った。

『アリス、それは本当なのか』

『ええ。後日ご紹介しますので、どうかグレイ様との婚約はなかったことにして頂けませんか』

『急にそんな事を言われてもだな……。相手は一体どこの誰なんだ』

『ええと、簡単に口にできないほど高貴な方なんです』

『ゴールディング家にも、断りの理由はしっかりお伝えせねばならないだろう。今日学園が終わり次第、その相手とやらを連れてきなさい。話はそれからだ』

『き、今日ですか?』

『今日連れて来なければ、このまま婚約は進めさせてもらう』

きっとお父様も、結婚を考えている恋人がいるだなんて嘘だとわかっていたに違いない。

だからこそ、今日連れてこいだなんて無理を言ったのだ。ゴールディング家との繋がりは、今や我が家にとって生命線になっていた。

貴族として生まれてきた以上、いつかは政略結婚をするとわかっていたし、親が決めた相手に文句は言うまいと思っていた。それでも、グレイ様だけはどうしても嫌だった。

……とにかく、今日中に誰か恋人役を連れてこなければ。

その後、気合を入れていつもより早く登校したものの、お付き合いしている男性どころか異性の友人すらいないという事実に、わたしは絶望していた。グレイ様のせいで、少しばかり男性が苦手になってしまっていたのだ。完全に詰んでいる。そうしてどうしようと悩み続けているうちに、あっという間に放課後になってしまったのだった。


グレイ様と結婚なんてすれば、わたしの人生は間違いなく終わる。

そもそも、どうして彼は嫌いなわたしなんかと婚約しようと思ったのだろう。性格は悪いけれど、グレイ様は家柄も顔も良い。選り取りみどりなはずだ。

不思議で仕方がないけれど、今はそんなことを考えている場合ではない。

「決めたわ」

「えっ?」

「今から校門に行って、そこを通った方に順番に婚約を申し込む。グレイ様以外なら、もう誰でもいい。沢山声をかければ、誰か一人くらい受けて下さるかもしれない」

「ちょ、ちょっとアリス落ち着きなさい! あなた、正常な判断が出来なくなっているわよ!」

「わたし、もう行くね。また明日、リリー」

そうして校門へと来たものの、いざとなると心臓が押し潰されそうなくらいに緊張してきた。

男性にあまり免疫がないというのに、いきなり婚約を申し込むだなんてハードルが高すぎる。やっぱりやめようか、いやでもグレイ様は嫌だし、とそんな考えがぐるぐると頭の中で渦巻き、パンクしそうになっていると、不意に人の気配がした。

追い詰められすぎたわたしは、半ば自棄になっていたのだろう。もうどうにでもなれときつく目を瞑り、顔も見ないまま、通りがかったその人に言ったのだ。

「あの、わたしと婚約して頂けませんか!?

と。そうして冒頭に至る。


「ア、アリスです。アリス・コールマンと申します」

「アリスか、可愛い名前だね。俺のことは好きに呼んでくれて構わない。用事があるから今日はもう行くけれど、これからよろしく」