閑かん話わ 冒ぼう険けん者しやは大移動する



 時は冬の初めにさかのぼる。


「なんだと! それは本当か!?」

 イスペップ村戦士団のメンバーが聞いた情報はにわかには信じられないモノだった。

 なんとアルッポのダンジョンが攻こう略りやくされ、消しよう滅めつしたというのだ。

 イスペップ村戦士団はザンツ王国サリオール伯はく爵しやく領内にあるイスペップ村を拠きよ点てんとし、村の警備を行っている冒険者パーティだ。団員も代々村出身者の跡あと取とり以外で構成され、普ふ段だんは村から出ることは少ない。しかしモンスターの襲しゆう撃げきが少ない冬の間は仕事がなくなるため、お金を稼かせぐために別の町に働きに出ることが慣例となっていた。そして、イスペップ村では長い間、冬はアルッポのダンジョンに行くというのが当たり前になっており、別の場所に行くという考えは誰だれにも、頭の隅すみにすら存在していなかった。

「落ち着いてください。これは事実です。先日、確かにアルッポのダンジョンは消滅しました。このギルドでも確かく認にん済みです」

「そんな……」

 受付嬢じようにそう言われてしまうと信じるしかない。

 しかしアルッポのダンジョンが消滅するなど彼かれらの想像力の外の話であり、次にどうすればいいのかなんて考えられなかった。

「どうするんだよ、おい! 今から他探すって無理だぞ!」

「だから言っただろ! 遊んでないでもっと早く動こうって!」

 他のメンバーが叫さけぶ。しかし良案は出ない。

「クソッ! 誰だよアルッポのダンジョンをクリアしちまったヤツはよ!」

 リーダーは叫び、苛いら立だち紛まぎれにカウンターテーブルをダンッと叩たたいた。

 そうして彼ら三人は答えが出ないまま酒場に移動し、時間もないのに葡ぶ萄どう酒しゆを飲みながら話し合いを始めた。

「どうすんだよ」

「どうするったって、今から行ける場所なんざ決まってるだろ」

「ここに留とどまるか、村に帰るか──王都に行くか……」

 そこで全員の言葉が止まる。

 暫しばらくの沈ちん黙もくの後、一人が口を開いた。

「俺おれはイヤだぞ。王都なんてな」

「あぁ、俺だってイヤだぜ。なにより物が高すぎる」

「じゃあどうするんだ? ここにいても金になんねぇし、村に戻もどりゃ肩かた身みが狭せまい。そうだろ?」

 また全員が黙だまり込こむ。

 全員、分かっているのだ。選せん択たく肢しはないと。

 その日は酒場で飲み明かした三人は翌日最初の馬車で王都を目指した。

 なんだかんだありつつ王都に到とう着ちやくした三人は人の多さに驚おどろき、物価の高さにも驚き、冒険者の多さにもっと驚きつつ、冒険者ギルドで情報収集を始めた。

「ちょっといいか? 安い宿とか知らねぇか? こっちに出てきたばかりでよく分からなくてよ」

「今年はどこも高いんじゃねぇか。周辺から冒険者が大量に集まってきてやがるからな」

「そう、なのか?」

「今年は過去一だぜ。金が出せねぇならスラムで空き家でも探すっきゃねぇな」

 そうして彼らは宿に泊とまることは諦あきらめ、スラムの空き家を探すことにしたのだった。


◆    ◆    ◆



閑話 鉱山管理人の憂ゆう鬱うつ



 日の差さない鉱山の中の埃ほこりっぽい部屋。

 鉱山管理人の男は手紙を読み、スラリと立つ若い商人風の男に怒いかりをぶちまけた。

「ふざけてるのか!? 鉱石の買い取りを止やめるだと!」

 鉱山管理人は机をドカッと殴なぐりつけ、そのまま殴りかかりそうな勢いのまま手紙を持ってきた男を睨にらんだ。

「いえ『買い取りを止める』などとは申しておりませんよ。我々は『一時的に中断したい』とお願いしているのです」

「どちらでも同じだ! 契けい約やくを破ると言っているのには変わりないからな!」

 商人風の男は苦笑いを浮うかべる。

「滅めつ相そうもない。契約を破るなど考えたこともございません。故ゆえにこうしてお願いに参上しております」

「そんな『お願い』とやらが聞き届けられるとでも思ったか! 鉱業は国営事業……この国の主幹産業だぞ! 国がそんなことを許すわけがない!」

 二人の論戦は平行線を辿たどる。

 が、商人風の男が状じよう況きようを打開出来る言葉を吐はく。

「ご心配には及およびません。この件については既すでに王太子殿でん下かから了りよう承しようを得ております。アルッポのダンジョンの消滅により鉱石の需じゆ要ようが減っていることをご説明したところ、快かい諾だくしていただけましたよ。勿もち論ろん、公こう爵しやく閣下にもです。後は管理人のあなたに承認していただければ全すべてが丸く収まります──さあ、こちらが殿下からの証書です」

「ぐっ……」

 机の上に置かれた手紙には王家の紋もん章しようでシーリングされていて、それがほぼ確実に王家の誰かからの手紙だと分かった。

 王太子と公爵が出てきた以上、既に商人とは裏で取引が終わっているはず。つまり、ここで鉱山管理人がゴネたところで結果は変わらない。ただ意のままに動かない鉱山管理人がクビになるか、『なんらかの事情』で仕事が出来なくなるか──とにかく拒きよ否ひする意味はなかった。

 そのことに気付きながら、鉱山管理人は王太子からの手紙を確認した。

「……はぁ」

 そして引き出しの中から紙を取り出して、なにやら書き込んでから印を押おすと、雑に机の奥おくへと滑すべらせる。

 商人風の男はそれを受け取り、中を一読してジャケットの内側に収めた。

「ご理解いただけたようで、我わが主あるじも喜びます」

 それだけ言って商人風の男は足早に部屋から出ていく。

 鉱山管理人はその背中に「私は、どうなっても知らんからな」と言葉を投げる。

 商人風の男がそれを聞いていたのかは分からなかった。

 暫くして鉱山管理人は部下を呼び、次の命令を出した。

「雇やとう鉱山労働者の数を減らせ。それから倉庫が満まん杯ぱいになり次し第だい、鉱山の操業を停止する」

 そうして数日後、王都にある鉱山の操業が全て停止した。これによって後に大きな変化が訪おとずれるとは、この時まだ誰も気付いてはいなかった。


◆    ◆    ◆



閑話 デフレスパイラル



 ゴォォォッと炉ろで火が燃える。

 赤く赤く燃える。

 しかしその炉に投下するのは鉄でも銅でもミスリルでもなく、水の入ったヤカンである。

「はぁ……」

 鍛か冶じ屋やの親方はため息を吐つく。

 このところ、めっきり注文が減り、ついに武具を打つことがなくなった。

 まったく仕事がないのだ。

 いつからどうしてこうなったのか、まったく分からないが、いつの間にかこんな状況に追い込まれていた。

 鍛冶師ギルドの他の面々も同じ状況で、そろそろギルドとしてなんらかの対策を打つことになるのかもしれない。

 親方は濡ぬらした布でヤカンを取り出してカップに注ぎ、それをグイッと飲む。

 炉の前は落ち着いた。どこにいるより落ち着いた。

 鍛冶師としての性さがなのか、仕事がなくても炉の前に座すわり、火を入れ、それを眺ながめていた。

「親方!」

 扉とびらが開け放たれ、店番をしていた弟で子しが飛び込んできた。

「注文です! 親方!」

「本当か!?」

 親方は立ち上がり、急いで店の方の扉を開く。

 するとそこには、まだまだ若い少年が立っていた。

 親方は少し落らく胆たんする。これではあまり大きな仕事にはならないかもしれないからだ。

 しかしそれを見せずに親方は話しかけた。

「注文だって? なにを作るんだ?」

「槍やりが欲ほしいです」

「素材は? どんな槍にするんだ?」

 気が急せいて次々と口から質問が飛び出てくる。

 親方の頭の中には素材ごとの槍の作り方や大きさや形などによる仕様の違ちがいが浮かんでいく。

 しかし少年の次の言葉でズッコケそうになった。

「ロックトータスを貫つらぬける槍を!」

「無茶を言うな! そんなモン、オリハルコン製の槍でも貫けねぇだろ。それがしたいなら自みずからの技量でなんとかしろ」

「えっ? オリハルコン製でも無理なんですか?」

 そう聞かれて親方は少し困る。

 自身でもオリハルコンなんて扱あつかったことはなく、本当はどうなのか実際には分からなかったからだ。

「いや、俺もオリハルコンなんざ触さわったことはねぇけどよ。いくらオリハルコンつっても結局はただの金属だろ? 槍にすればそりゃ硬かたいだろうし斬きれ味は最高だろうが、それだけでロックトータスが貫けるわけじゃないだろ? まぁ属性武器とか魔ま法ほう武器、アーティファクトならロックトータスぐらい貫ける武器もあるだろうぜ。俺は専門外だけどな」

 そうして暇ひまなこともあり、少年と長々と立ち話を続けてしまったが、ハッと気付いて「で、どうすんだ?」と聞いた。

「作ります! 丈じよう夫ぶで魔力の通りが良い槍を」

 丈夫で魔力の通りが良い槍、と聞いて様々な素材や作り方が親方の頭の中に思い浮かんでいく。

「長さはこれぐらいで、穂ほ先さきはこんな感じ」

「なるほど、じゃあ石いし突づきは──」

 親方は少年と槍の詳しよう細さいを詰つめ、槍の形を頭の中で作り上げていった。

「で、値段なんだが──」

 親方は考える。

 最近、何な故ぜか鉱石の価格が異常なぐらい下がってきている。それに炭や他の素材の価格も下落傾けい向こうだ。鍛冶屋の仕事もなくなってきているから仕事があるだけで嬉うれしい。今なら質の良いミスリルを使っても採算は合うだろう。

 木工職人にも良い素材を用意させよう。あいつらも仕事が出来て喜ぶだろう。

 色々と考えて親方は値決めをした。

「金貨一〇〇枚ってところだな」

「分かりました」

 少年は値切りもせず、すぐに頷うなずいた。

 信しん頼らいされているのか、と考え親方は気分が良くなり話が弾はずんだ。

 そうして大体の形が出来上がった頃ころ、親方は暇なこともあって少年の持つ武器に興味が湧わいた。

「ところでお前さんが持ってるその棒、ちょっと見せてくれねぇか?」

「これですか?」

 その武器はミスリルと他の金属の混ぜ物で造られており、無骨な金属の棒のような形で異質だった。

 その珍めずらしさもあって話は弾み、久し振ぶりに良いモノが作れる嬉しさに心が湧き立ち、親方はいつの間にかこう言っていた。

「良いモノ作ってやるよ」

 親方の心から出た言葉だった。

 少年は「期待してます」とだけ言い残して去っていった。

 こうして、とある鍛冶屋は久し振りの仕事にありついた。


◆    ◆    ◆



閑話 コット村の決断



 その日、ラディン商会の行商人はコット村への冬季行商に向かっていた。

「まったく、貧びん乏ぼうくじもいいところだぜ」

 コット村への冬季行商は食料の買い付けがメインで、売上はほとんどない。つまり商人個人の評価にはほとんど繫つながらなかった。しかし買い付ける食料は王都では必要不可欠なため、外すことの出来ない重要な仕事であって止められない。結果的にこの仕事は商会の中では貧乏くじ扱いになり『そういうヤツ』が行かされる仕事になっていた。

 それに真冬の移動は寒さも厳しく、場合によっては命の危険もあり、人気のない仕事だった。

 彼らの内心はともかく、馬車は順調に進み、予定通りコット村へ到着。しかし村の門は閉とざされたままで、一向に開く気配はない。

 行商人は馬車から降り、門の前まで歩いていった。

「おおぉい、ラディン商会の者だ、今年も行商に来た。門を開けろぉい」

 そう叫ぶと、門の側そばに立っている物見台に人が登って叫び返してきた。

「断る! 今年の行商は受け入れない!」

「えっ?」

 想像もしていなかった言葉に行商人は言葉をなくす。

 この行商は毎年同じように行われていて、ただ決まったことを繰くり返すだけの単純な仕事だったはずなのに、それが断られて理解が追いつかなかった。

「バ、バカなことを言うな! 断るなんかありえないだろ! 今すぐ門を開けろ!」

「断る! 帰れ!」

 取り付く島もない言葉に商人も苛立ちが隠かくせない。

「いいか、よく聞け! これはお前らごときの一存で決められるような軽い話じゃない! 下手をすれば国とお前らのサリオール伯爵との問題になるんだぞ!? 分かったらさっさと門を開けろ!」

「断る! サリオール伯爵様もご理解くださるはずだ!」

 サリオール伯爵が理解してくれる。

 この言葉に行商人はなにかを感じ、考える。

 そして彼らが拒否する理由について興味を持った。

「そもそも理由はなんだ! これまで問題なく上う手まくやってきたじゃないか!」

「上手くやってきた、だと……」

 物見台の男の声が震ふるえる。

 その震えが寒さから来たものでないことは行商人にも理解出来、少し気け圧おされてしまう。

「理由など、自分の胸に聞けぃ! もうお前らの横暴に付き合うのはウンザリじゃ!」

「なにを──」

 その後も話し合いは平行線を辿り、結局、行商人は村に入れず王都に戻ることになった。

 帰りの馬車では誰もが無言だった。

 簡単に成功するはずの行商を失敗した責任だとか、これから起こるであろうこととか、様々なことで頭が一杯になる。

 とにかく──

「大至急、このことを上に報告しないとな……」

 馬車は王都に向けて走った。


◆    ◆    ◆



閑話 組織の男



 暗い暗い部屋の中、机に置かれた一つのランプの明かりだけが周囲を照らす。

 そのテーブルに両りよう肘ひじを突つき、なにかを考えているように見える男が一人。

 そんな沈黙と暗くら闇やみが支配する部屋にドアをノックする音が響ひびいた。

「入りなさい」

 男がそう言うと、ドアが開いて白いローブの人物が入ってくる。

 その人物は軽く一礼した後、一言も発さない。

「実験体を入手しなさい。分かっているとは思いますが、町とは関かかわりの薄うすいスラムの新参者にするのですよ」

 男がそう言うと白いローブの人物は一礼し、すぐに部屋から退出していく──が、それを男が「そうだ──」と引き留めた。

 男は言葉を続ける。

「例のキノコも採取してきてください。アレもそろそろなくなりそうです」

 白いローブの人物は肩かた越ごしに振り返りながらその言葉を聞き、軽く頷くと部屋から出ていった。

「……」

 またその部屋に静せい寂じやくが戻ってくる。

 ランプの中でジジッと油が跳はねる音だけが響く。

 男は立ち上がり、ランプの火を吹ふき消して呪じゆ文もんを詠えい唱しようした。

「光よ、我が道を照らせ《光源》」

 魔法の光が宙に舞まい、部屋全体を明るく照らす。

 男は白いローブの人物とは違う扉から出ていき、光源の光の玉と共に消えていった。

 今度こそ、その部屋は沈黙と暗闇を取り戻した。


◆    ◆    ◆



閑話 密談



 大きく豪ごう華かな会議室の中、これまた大きく長い重じゆう厚こうなテーブルの一席に男が座っている。

 その男は上質そうなコートを身に纏まとい、優ゆう雅がにお茶を飲みながら誰かを待っていた。

 暫くすると大きな扉がコンコンとノックされ、大きな男が入ってくる。

 その男は腰こしに立派な剣けんを差し、背中に上質な布で作られたマントをなびかせ、その大きく筋きん骨こつ隆りゆう

々りゆうな体で周囲を制するように力強く歩いて、座っている男の反対側の席に着いた。

「待たせたな、内ない務む卿きよう殿どの」

「こちらも来たばかりですよ、将軍閣下」

 お互たがいありきたりな挨あい拶さつもそこそこに、すぐに本題に入っていく。

「王太子殿下がまたやらかしたそうだな」

「えぇ……本当に頭が痛いことです」

 ラディン商会による鉱石の買い取り延期の許可。

 国営事業として国の財政を支えている鉱石の販はん売ばいを延期するという暴挙により国の財政は逼ひつ迫ぱくしていた。

 そして鉱山の停止により鉱石の在庫は積み上がり、多くの失業者が生まれたことで国の経済はどん底状態である。

「それを追認した公爵閣下も、また問題であるな」

「王おう妃ひ殿下の兄で王太子殿下の伯お父じという立場を最大限活用されているようで……。大方、ラディン商会と裏で色々とあったのでしょう」

 重大な問題が起こっているというのに二人の顔には切迫した焦あせりの色はない。むしろ二人共に余よ裕ゆうすら見える。

「だが、その状況も、やりようによっては上手く使える、か」

「えぇ、その通りです」

 二人は顔を見合わせ、口の端はしを吊つり上げた。

 内務卿は言葉を続ける。

「減った予算は増税で補いましょう。そして争いの空気を演出することで……金属の需要を高める」

「うむ。古来、金属の価格が高まるのは戦時であるからな」

「そうすれば鉱山が再開され内ない需じゆは回復し、軍の重要性が見直されて──」

「軍事費増強案が通りやすくなる、か」

「いいえ、通してみせますよ。将軍閣下にご協力いただけるなら、ですが」

 二人はまた口の端を吊り上げる。

「問題はどこに火種を作るか、だが……」

「今は万が一にでも外に敵は作りたくありませんよ」

「分かっているとも。つつくのは内部……サリオール伯爵領にする。最近、あそこの村でラディン商会が食料の買い取りに失敗してな。これは明確な反逆行こう為いだろう?」

「なるほど……それなら軍を動かす名分も立ちましょう。そのうえ……食料不足の今ラディン商会が得るはずだった食料を別の商会に流してやればラディン商会を弱体化させることが出来、ひいてはそれを庇ひ護ごする公爵閣下の派は閥ばつを弱体化させられると」

「うむ。一石二鳥というヤツだな」

「それに──」

 内務卿は将軍の言葉に被かぶせるように言葉を続けた。

「その流してやる商会を将軍閣下と近しい商会にすれば、将軍閣下の懐ふところも大層温かくなるのでしょうね。一石三鳥とでも言うのでしょうか」

「うん? ……まぁ、そういうこともあるかもしれんな」

 二人は顔だけで笑い、相手の目を強く見つめ合う。

「ところで、サリオール伯爵が今回の作戦の後にも事を起こさないと将軍閣下は確信されておられるのですか?」

「ん? あぁ、アレは起こさぬだろう。あの家には昔からそんな度胸などない。それが出来るのなら我が国への併へい合ごうなど許さず戦い、とっくの昔に滅ほろぼされていただろう」

「なるほど……」

「それに、サリオールの子もまだ学院にいるのだろう?」

「えぇ、在ざい籍せきしてますね」

「人ひと質じちがいて反旗を翻ひるがえせるような蛮ばん勇ゆうなど、あの家の者は持ち合わせておらんわ。精せい々ぜい、遺い憾かんの意を伝える手紙が届いて終わりよ!」

 将軍は小さく笑った。

「それにだ。仮にサリオール家が反旗を翻したとして、それがなんだ。所しよ詮せんは田舎いなか貴族。物の数ではない! 王都に駐ちゆう留りゆうする騎き士し団だんだけで捻ひねり潰つぶしてくれるわ!」

 そう言って豪ごう快かいに笑う将軍に対し、内務卿は『その田舎貴族に食料の大部分を頼たよっているのが我が国なのだがな』と思いながら、小さく「それは頼たのもしいですね……」と返した。

「……後は、王太子殿下をつついてみるのも面おも白しろいかもしれませんね」

「ほう?」

「焚たき付けてやれば揉もめ事を起こして火種を少し大きくしてくれるかもしれません」

「確かに、面白いかもしれんな」

 そうして二人の密談は続き、作戦の細部が詰められていった。

「それでは将軍閣下、計画通りよろしくお願いしますよ」

「あぁ、内務卿殿も軍事費増強の件、期待しているからな」

 二人は固く握あく手しゆを交かわす。そして並んで部屋から出ていくのだった。


◆    ◆    ◆



閑話 酒場の三人



「最近、どうだ?」

「聞くなよ、そんなもん。分かるだろ」

 酒場の片かた隅すみで気の抜ぬけたラガーをチビチビと舐なめるように飲んでいた男らが話をしていた。

「鉱山が止まってから客も減っちまったしよ」

「そこに増税だもんな」

「なに考えてんだ! って話だよな」

 一人が熱くなって勢いでテーブルを叩く。

 すると近くを歩いていた女性のホールスタッフが一いつ喝かつした。

「ちょっと! 暴れるんなら叩き出すからね!」

「わ、悪かったよジニー……」

 男は、今度は小さくなり、ラガーに口をつけてごまかした。

「まったく……カップ一杯で長居するのを大目に見てあげるのはウチくらいなんだからね。たまにはもう少し注文してよ」

「感謝してるって。な?」

「あぁ、勿論だ!」

「聖なる白馬亭ていはこの町最高の店だぜ!」

 そう言って男らはまたエールをチビチビ舐める。

「はぁ……まったく」

「それぐらいにしとけ、ジニー」

「お父さん……」

「今日も寄らせてもらってます! ブライドンさん!」

 ブライドンは手に持っていた皿を男らのテーブルに置いた。

「俺からの奢おごりだ。残り物だがよ」

「マジっすか! いただきます!」

「流石さすが、ブライドンさんっす!」

「旨うまい!」

 男らはモグモグと凄すごい勢いで食べていく。

 さっきまでチビチビ飲んでいたのとは別人のようだ。

「もう……そこまでしなくていいのに」

「ジニーの幼おさな馴な染じみなんだ、大事にしないとな」

 大きな町では区画ごとに同年代の子供が集まるようになり、必然的に仲良くなっていく。

 そうして誰もが大人になっていき、地域に仲間意識と団結力が育まれていくのだ。

「それに困った時はお互い様だろ? こいつらだって好きでこうしてるわけじゃない。この不ふ況きようで家業が傾かたむいて仕事がないからこうしてるだけだ」

「それは、分かってるけど……」

「まぁ聞け。この『聖なる白馬亭』はな、聖女ステラ様とその愛馬のユニコーンにあやかって付けられた名前だ。聖女様のようには無理かもしれねぇが、人々に希望を与あたえられるような店にしたいという意味が込められているんだぜ」

「もう……それは何度も聞いたし」

「そうだったな……。でもよ、一皿の串くし焼やきで人々に希望を与えられるなら、安いモンだと思わねぇか?」

 隣となりでモグモグ食べてた男らが「確かに希望は貰もらいましたぜ!」とか「希望GETだぜ!」とか「ヒャッハー!」とか叫んでいる。

 しかしジニーがキッと睨むとスッと大人しくなった。

「確かに、そう、かもね」

「だろ? 希望なんて案外そこらに転がってるもんなんだぜ」

 希望とは、たとえそれが小さくても、あるのとないのとでは大違いなのだ。

 ブライドンはそれを娘むすめに覚えておいてもらいたかった。

 自分の後を継つぐであろう娘に、その『聖なる白馬亭』の理念だけは受け継いでもらいたかった。

「ブライドンさん、お客さんが来てますよ」

「あぁ、今行く」

 宿の店番をしていた店員に呼ばれ、ブライドンは宿の入り口に向かっていく。

 それを見送り、ジニーは少し考えていた。

「人々の希望、ユニコーンか……」

 自分にも、そんな希望を与えられるような店が作れるだろうか。

 不安に思いながらトレーを抱だきしめる。しかし答えは出てこない。

「おっ? どうした?」

「ハグの練習か?」

「えっ! ジニー、もしかして好きな人でも出来たのか?」

 相変わらず隣の幼馴染らは口が減らず、ジニーはトレーを振り上げたのだった。


◆    ◆    ◆



閑話 憤ふん怒ど



「大変ですっ!」

 一人の秘書見習いが伯爵のいる執しつ務む室しつの扉を勢いよく開け、息を切らしながら部屋の中に飛び込んできた。

「ノックもせずに無礼ですよ」

「す、すみません! でも、それどころじゃないんです!」

 執事長に怒おこられ謝あやまりながらも怯ひるまず、手に持ったクシャクシャな手紙を己おのれの主がいる執務机の上に置いた。

「手紙もこんなにヨレて……こんなモノを伯爵様に出すなど──」

「まぁよい、執事長。それで、なにがあった?」

 伯爵は秘書見習いに尋たずねながらクシャクシャな手紙の封ふうを小さなナイフで切った。

「はいっ! 伝令の者が申すには、昨日、コット村が襲撃を受けました!」

「なんですと!」

 執事長は驚きの声をあげ、伯爵の方を見る。

 伯爵はクシャクシャになった手紙を読みながら、静かに「続けろ」と言った。

「はいっ! 襲おそったのは所属不明の国軍、とのこと……」

「所属不明ですと? 誰の軍がやったのか摑つかませないつもりですか……」

「……」

 伯爵は無言で前を向いたまま、手紙を執事長の方に差し出した。

「失礼……」

 執事長は手紙を受け取って中を確認していく。

 届けられた手紙は二枚あり、一枚目には被ひ害がい状況が記されていた。

 執事長の顔が曇くもる。

 死者数名。負傷者多数。家屋倒とう壊かいにより村は壊かい滅めつ状態。そして村長死亡により息むす子こが跡あとを継いだ、と。

 続く二枚目。

「こちらは、筆ひつ跡せきが違いますな」

「あぁ、コット村の村長……今は前村長の字だろう」

 伯爵はそう言って俯うつむき、まるで懺ざん悔げでもするように組んだ指に額をのせる。

 二枚目の手紙の内容は覚かく悟ごと謝罪。さながらそれは遺書と呼んでもおかしくないモノだった。

 その内容を要約すると以下になる。

 王都の者に侮あなどられるのは我が慢まんしよう。しかしサリオール伯爵様のご息女に対する仕打ちは到底、許せるモノではない。よって『ささやかな抗こう議ぎの意』を表すことにした。が、それによって今回の事態を招いたのは全て自身の責任であり、サリオール伯爵様と全ての村民に対し、最後まで先頭に立って戦うことで謝罪としたい。

 そしてサリオール伯爵に対しての『後のことはよろしくお願いいたします』という言葉で手紙は締しめられていた。

 手紙を読み終わった伯爵はイスの背もたれに体を預ける。

「あいつとは、学院で一いつ緒しよだった」

 サリオール伯爵はそう呟つぶやくように発した。

「年ねん齢れいはあいつの方が上だったが、気が合ってな。昔はよく話したもんだ」

「平民ながら学院に行くとは、さぞ優ゆう秀しゆうだったのでしょうな」

「あぁ、私の右みぎ腕うでにするつもりだったが、家を継いでコット村の村長になってしまってな」

 サリオール伯爵は立ち上がり、窓の方を向いた。

 外はまだ雪景色が残っているが奥に見える大通りには人が行き交かっていて、そこには日常があった。

 伯爵は語り始める。

「私が侮ぶ辱じよくされることはよい。それは耳を塞ふさいで聞かなかったことにしてやろう。我が娘が蔑ないがしろにされ酷ひどい仕打ちを受けても、それはサリオール家に生まれた者の務め。民たみの安あん寧ねいのためなら涙なみだを吞のんで目を瞑つむろう。サリオール家が汚お名めいを着せられたとしても、口を閉ざし笑ってやろう」

 サリオール伯爵の手は力強く握にぎりしめられ、小刻みに震えている。

 そして振り向き、高らかに叫ぶ。

「しかし奴やつらは我が領民に手を出した! それは絶対に! 絶対に許しはしない!」

 執事長、秘書見習い、護衛の従士、メイド。その場にいた全ての人がその言葉に頷いた。

「コット村に救きゆう援えんを送れ! 準備出来次し第だいすぐに出しゆつ立たつせよ!」

「分かりました!」

 秘書見習いが礼れい儀ぎの欠片かけらもなく部屋からすっ飛んでいった。

「それから……領内の全軍を、集結させろ!」

「はい」

 執事長は一礼し、すぐに部屋の外に向かおうとする。

 伯爵の顔には怒りと様々な感情が浮かんでは消える。

 憤怒一色から始まったその感情はいくつかの異なる感情を経て僅わずかな『迷い』という感情を呼び起こし、扉の向こうに消えていこうとする背中を呼び止めた。

「執事長──」

 その言葉を遮さえぎるように、執事長は「伯爵様」と言った。

 執事長は扉の前で振り返る。

「伯爵様のご決断。そしてコット村前村長の行動につきましても、この領内に批判するような輩やからは一人もおりませぬ。我らサリオールの民も、そろそろ我慢の限界という言葉が頭にチラつくようになっておりましてな」

「そう、か……」

 伯爵は伸のばしかけてた手を下ろし、静かに執事長を見た。

 執事長はそれを真正面から受け止める。

「あなたは我々サリオールの民の柱。そしてお嬢様はサリオールの民の宝です。それを傷付けようとする者を黙って見過ごすような者はサリオールの民にはおりませぬ!」

 いつも冷静な執事長がオーガのような顔を貼はり付け叫び、護衛の従士すら気け圧おされてしまう。

 執事長は言葉を続ける。

「伯爵様、思うがままにお進みください。我々も共に進みますぞ」

 執事長は一礼し、部屋から退出していった。

 沈黙が部屋中を包む。しかし熱気は残ったまま。

 部屋の外では慌あわただしく人々が走り回る音が聞こえる。

 もう暫くすれば町の住人にも話が伝わり、町中が慌ただしくなるのかもしれない。

 伯爵は大きく深呼吸し、ガッと目を見開いた。

「私の鎧よろいと剣を準備しろ!」

「はい!」

 メイドが部屋の外に走っていく。

 それを見送ってから伯爵は次の指令を出す。

「監かん視し中の『鼠ねずみ』を全て捕とらえよ。一匹ぴきも逃のがすな」

「はっ!」

 従士が部屋の外に出ていき、一人になった部屋で伯爵は呟く。

「はやまりおって……」

 伯爵は暫しばし昔を思い出しながら外の景色を眺めた。


◆    ◆    ◆



閑話 婚こん約やく破は棄きされて追放されましたが、なぜか聖女と呼ばれてます

~回復魔法が凄すぎて人生変わりました~



「よいしょっと!」

 エレナは干し肉の入った袋ふくろを持ち上げ、鍋なべの横のテーブルに置いた。

「聖女様、そんな雑用はしなくても大丈夫ですよ!」

「あの、何度も言っていますが、私は聖女様ではないですからね!」

 そう言ってエレナは炊たき出しの準備を続けていく。

 もう何度も行っている炊き出しなので、エレナも慣れたものだ。

「エレナ、そろそろ」

「あっ! そうだったね」

 マリーサに呼ばれ、スラムの住人が集まっている方に行く。

 そして深呼吸して、声を張り上げた。

「それでは怪け我がをしている方、集まってくださ~い」

 炊き出しの時、エレナはいつも治ち療りようを行っていた。

 貧しい人でも怪我を治せるように、無料でだ。

「聖女様! お願いします!」

「この子、昨日から調子が悪くて──」

「俺は足を怪我しちまってさ……」

 続々と集まってくる怪我人をマリーサが一列に並べていく。

「私は聖女様ではないですよ!」

「ちゃんと並んでくれ! でないと治療出来ないぞ!」

 なぜか最近『聖女様』と呼ばれるようになってしまったけど、本人としては畏おそれ多いし困こん惑わくするだけだ。何度も訂てい正せいしているけど誰も聞き入れてくれなくて、エレナも半分諦めている状態。

 エレナは小さく「よしっ!」と呟き、自分に気合いを入れる。

 いつもは彼かの女じよの先生が一緒に治療してくれて、彼女が治せないような大きな怪我をした患かん者じやも彼が治してくれていた。でも、今日は一人で全ての患者を診みなければならない。先生は別の仕事で来られなかったからだ。

「しっかりしないと、ね……」

 少し緊きん張ちようしながらも順番に治療していく。

 一人、二人、三人。列は長く、まだまだ終わらない。

 途と中ちゆう、炊き出しのスープが完成しても、エレナは魔力ポーションを飲みながら治療し続けた。

「エレナ、そろそろ休きゆう憩けいしよう」

 マリーサが良いタイミングで休憩を入れる。

 エレナは額に汗あせを浮かべ、その顔には疲ひ労ろうの色が見えていた。

「……うん」

「悪いが暫く休憩する。少しこのまま待っていてくれ」

 マリーサがエレナを仮設テントの方に連れて行こうとする。

 やはり一人でこの全ての患者を診るのは難しかったのかもしれない。

 思い返してみると、いつもは先生が治療の大部分を引き受けてくれていた。だからこそ、この炊き出しでの無料診しん療りようが成り立っていた。そのことを改めて思い知らされ、エレナはちょっぴり落ち込んだ。でも──

「うん! よしっ!」

「エレナ?」

 それでもすぐに切り替かえ、前を向く。

 これが最近、エレナが大きく変わったところだった。

 以前のように後ろ向きで、すぐにマイナス思考になるのではなく、とにかく頑がん張ばって一生懸けん命めいに前を向こうとする姿勢。それはエレナが先生との修しゆ行ぎようによって得た変化だった。

 その変化に気付き、マリーサは「フフッ」と笑う。

「どうしたの?」

「いや……。エレナは変わったな、と思ってね」

 それも、良い方向に。

 最初は若すぎるし少し怪あやしいと思ったけど、エレナの先生はエレナにキッチリと回復魔法を覚えさせ、こうしてエレナを変えた。もう、認めるしかない。

 マリーサは自身もしっかりと前を向き、未来を考えようと思った。

 しかし、そんな彼女らに、あまり聞きたくない声が近づいてきたのだ。

「邪じや魔まだ! どけっ!」

「道を開けろ!」

 冒険者にしては上品な鎧を着た男らがスラムの住人らを蹴け散ちらしてエレナに近づいてくる。

 マリーサはエレナの前に立ち、険しい顔を見せる。

 周囲の人々は困惑の表情を浮かべながら見守っている。

「久し振りだな、エレナ。……いや、エレナリア・サリオール」

 そうして現れた男の顔を見て、エレナの顔が曇る。

「イラ様……」

 同じ学院の生徒であり、元のパーティメンバーでもあり、エレナのかつての婚約者で、それを破棄した男。

 その周囲には、いつもの取り巻きと、スミカと名乗ったいつぞやの少女もいた。

 エレナの顔は強こわ張ばり、マリーサの服の裾すそを握りしめている。

 そのエレナの昔の癖くせを背中に感じ、マリーサはエレナを守るためにもう半歩、前に出た。

「最近、派手にやってるそうだな」

「……どういうことでしょう」

 質問のような言葉にエレナは慎しん重ちように答える。

「聖女だなんだと名乗り、こうやって貧ひん民みん共に施ほどこしを与えているのだろう?」

「……聖女と名乗ってはおりません」

「おいおい、とぼけるなよ。お前が聖女と呼ばれて調子に乗っていることぐらい、調べがついてるんだぜ」

「そんなことは──」

 取り巻きAの言葉にエレナが反論しようとした言葉を遮りながらイラが言葉を放つ。

「まぁそれはどうでもいい。とにかくその力、我々が上手く使用してやることにした。ついてこい」

「ど、どういうことです?」

 エレナが困惑の表情を浮かべている間に取り巻きの一人が無ぶ遠えん慮りよにズカズカと近寄ってきてエレナの腕を摑んだ。

「痛ッ!」

「おいっ! 止めろ! どういうことだ」

 マリーサが剣を抜こうとするのをエレナが押し止とどめる。

「どうもこうもない。お前とまた婚約するなどお断りだが、その力は使ってやるというのだ。行くぞ」

 イラがそう言うと、エレナの腕を摑んでいた取り巻きがグイッと遠慮なくエレナの腕を引っ張り、強ごう引いんに連れて行こうとする。

 無理に引っ張られたエレナが痛みで顔を歪ゆがめる。

 異様な光景に周囲の人々は理解が追いつかない。

 そんな中、その無茶苦茶なやり方に我慢の限界に達したマリーサが怒りの表情で剣のロックを親指でピンッと外す。そして覚悟を決めた。

 ここで剣を抜けば、奇き襲しゆうなら一人は斬れる。二人目もいけるかもしれない。しかし三人目は分からない。四人目については絶望的だ。

 そして仮に全てが上手くいったとしても、ここで剣を抜けば──死は免まぬがれない。

 ここで剣を抜けば間違いなく重罪人になる。上手くこの場を逃れても、いずれどこかで処しよ刑けいされることになるだろう。しかしそれでも、ここで引くわけにはいかなかった。

 ここでエレナを渡わたしてしまえば、どんな扱いをされるか分からない。

 マリーサは昔の記き憶おくを走馬灯のように思い出していく。

 子供の頃、初めてエレナに会った日のこと。最初は彼女の年の近い友人としてあてがわれたが、いつしかエレナのことを本気で守りたいと思うようになり、魔法の才能がなかったので剣の道に入ることにした。執事の子が剣の道に進むことを両親は反対したけど、マリーサは絶対に譲ゆずらなかった。

 そして心配しながらも応援してくれたエレナの顔。二人で一緒に祝った誕生日。学院で無二の親友を見付けたというエレナの父の言葉を聞き、二人で学院に夢を抱いだいていたあの頃。……学院での絶望感。

 もう二度とエレナにはあんな顔はさせないと誓ちかったのに、今ここでその顔と震える手を見ている不ふ甲が斐いなさ。

 全ての想おもいを胸に秘ひめ、マリーサはカッと目を見開く。

 そしてエレナとその家族に累るいが及ばないよう祈いのりながら右手に全力で力を込めた。

 次の瞬しゆん間かん──

「気安く聖女様に触ってんじゃ! ねぇぞ!」

 横から飛び込んできた男がエレナを摑んでいる取り巻きをぶん殴った。

 放ほうり出されて体勢を崩くずしたエレナをマリーサが慌てて引き寄せる。

「俺はこの足を聖女様に治してもらったおかげで今がある。どこぞの偉えらいさんのクソボンボンかは知らないが、聖女様に乱暴するヤツはこの俺が許さんからな!」

「あなたは……」

 エレナはその男になんとなく見覚えがあった。

 その男はエレナが炊き出しを始めて最初に治療した冒険者だった。

 ただ、この場にエレナの先生がいたのなら『いや、あの怪我はエレナでは治せなかったから僕ぼくが治したよね!?』と鋭するどいツッコミを入れたはずだが、この場にはそんな空気の読めない男はいなかったので話はそのまま進んでいく。

「そうだ! 聖女様になにしやがる!」

「ふざけんじゃないわよ!」

「とっとと失うせやがれ!」

 固まっていた周囲の人々も男の勇気に動かされたのか、口々に罵ば声せいを浴びせていった。

 その勢いに取り巻きらが少し怯んで後退する。が、勢い付く人々を黙らせる男がいた。

「お前ら……俺様を誰だと思っている! 俺はこの国の王太子、イラジャイ・ソルマズだぞ!」

 イラが苛立ちながらそう言った瞬間、周囲の人々に動どう揺ようが走る。

「王太子……」

「王太子って本当なのか……?」

「お、おい。どうすんだ?」

 人々に先さき程ほどまでの勢いは消え失せていく。

「まったく、この卑いやしい貧民共が……。おいっ! 目め障ざわりだ、殺せ」

「はっ!」

 イラの後ろに控ひかえていた護衛が剣を抜き、取り巻きを殴った冒険者に斬りかかった。

「は?」

 飛び散る鮮せん血けつ。倒たおれていく体。

 彼は剣を抜く間もなく袈け裟さ懸がけに斬り捨てられた。

「俺に逆らい、貴族に暴行を加えた罪をその命で償つぐなえ」

「あぁ!」

 エレナが倒れた冒険者に駆かけ寄り、両手をかざす。

「今治しますから! 光よ、癒いやせ《ヒール》」

「聖女……様……」

 冒険者はゴプリと黒い血を吐き、手を震わせる。

「どうして!? どうしてこんなことを! 彼だってあなたの──この国の民ではないですか!」

 エレナは叫んだ。

「民、だと? こいつらがか?」

 イラは喉のどの奥でククッと笑う。

「こんな掃はき溜だめに住むゴミなど税金も払はらいやしない役立たずの虫けらだろう? 民などではないわ!」

「そんな!」

 その言葉に多くの人々が俯き、体を震わせた。

 それは怒りから来る震えなのか。それとも恐きよう怖ふなのか、情けなさなのか。分からないが、誰もその場を動けなかった。

「傷が塞がらない! どうして!?」

 エレナは涙を浮かべながら懸命に治療しようとする。

 しかし、残念ながらその傷はエレナの魔法で治せるモノではなかったのだ。

 それでもエレナは一生懸命、治療しようとする。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 エレナは懺悔をするように、大おお粒つぶの涙を流しながら治療を続ける。

「聖女、様……いいんだ……もう、いいんだ……」

「よくない! よくないよ! お願い! 治って!」

 エレナの懸けん命めいな治療にもかかわらず、男の動きは次第に鈍にぶっていく。

「茶番はもういいだろ。おいっ! 早く来い!」

「とっとと立てよ!」

 取り巻きがまたエレナの腕を摑もうとした時、今度こそマリーサは覚悟の剣を抜き放ち、切っ先を取り巻きに向けた。

「いい加減にしろ! エレナはどこにも行かん! お前達の好き勝手にはさせんぞ!」

「マリーサ! 駄だ目め!」

 エレナが止めようとするが、もう遅おそい。

 王族に剣を向けた以上、マリーサの処しよ罰ばつは免れないのだ。

「ほう……貴様、俺に剣を向けることがどういうことか、分かっているんだろうな! 国家反逆罪だぞ!」

 国家反逆罪。その言葉に周囲の人々に動揺が走る。

 しかしマリーサは覚悟を決めた顔でまっすぐに前を見る。

「だったらどうした! ここで主を守れなければ、騎士失格だ!」

 そして友達としても失格だ、とマリーサは強く思った。

 マリーサは言葉を続ける。

「ここで諦めたら、一生エレナの顔をまっすぐに見られなくなるんだよ!」

 マリーサのその叫びに、周囲の民衆の中にも顔色を変える者達がいた。

 いつもは聖女聖女と呼んでいたのに、ここでなにもせずに見過ごしたら次にエレナと会った時その顔をマトモに見られるのかと。

 そんな彼らの葛かつ藤とうを他よ所そに、マリーサと護衛の戦せん闘とうが始まる。

 護衛の剣を受け、流し、避よけ、反撃する。

 それは鬼き神じんのような強さで、学院の生徒のレベルでは到底なく、一流の剣士の剣だった。

 しかし、王太子であるイラの護衛とは近衛このえ騎士団の一員であり、近衛騎士団とは王国一の猛も者さを集めた集団である。いくら学院で優秀であっても、そもそも学院の生徒と近衛騎士団では格が違いすぎたのだ。

 次第にマリーサの体に傷が増え始め、押されていき、剣を捌さばききれなくなってきて──

「ぐふっ……」

 マリーサの胸に剣が吸い込まれた。

「マリーサ!」

 マリーサの耳にエレナの叫び声だけが響く。

 剣が引き抜かれ、マリーサはゆっくりと後ろに倒れていく。

 世界がスローモーションになっていく。

 そんなゆったりとした世界の中で目の端はしに映るエレナを見て、マリーサは自分が『守れなかった』ことを思い知る。

「あぁ……」

 その絶望感が倦けん怠たい感によって打ち消されていく。

 生ぬるい安らぎ。

 体から力が抜け、そのままエレナの腕の中に飛び込み、その温かさを知る。

「駄目! 駄目だよ! マリーサ! 光よ、癒やせ《ヒール》」

 しかしマリーサを貫いた深い傷は治らない。

 ヒールにはそこまでの能力はない。

 必死に治療しながら、腕の中でゆっくり弛し緩かんしていくマリーサを感じ、エレナは絶望の足音を聞く。

「なんだ、それも治せないのか。聖女などと呼ばれているのに使えんな。やはり無能は無能。我々には必要ない、か」

「だから私は最初からそう言っているじゃないですかぁ」

 スミカがイラにしなだれかかりながら言う。

「そうだったな。内務卿が聖女だなんだと言うから来てみたが、とんだ無む駄だ足あしだ」

「もう帰りましょう。私、そろそろお茶にしたいです!」

「そうだな」

 一行は何事もなかったかのように踵きびすを返す。そしてティータイムを彩いろどる茶ちや菓が子しの話題について語っている。

 しかしエレナはそれどころではなかった。ただただ必死にヒールをかけ続ける。

「あぁ……駄目だよ……」

 大粒の涙を流し続けながら、必死に、必死にマリーサを治そうとする。

 エレナにとっては最初の友達で、一番の親友。失うわけにはいかない大切な人。

 しかし、治らない。治せない。エレナでは、治せない。

 こんな時に先生がいたら治せたのだろうか、とエレナは思う。でも、先生はここにはいない。今は自分でなんとかするしかない。

「マリーサ! お願い! マリーサ!」

 エレナの叫び声が響く。

 その声に一人の男が顔を上げる。

「ふ、ふざけ、るなよ!」

 男は民衆の中から一歩二歩と進み出て腰の剣に手を伸ばす。

「なにが王太子だ! 聖女様にこんな酷い仕打ちをしやがって! ここで黙ってちゃ一生お日様の下を歩けねぇ! 仲間や娘に合わせる顔がねぇんだよ!」

 そう言って剣を抜き放ち、切っ先を王太子に向けた。

 すると、それに続く者が現れる。

「……そうだ、な。このままお前らをタダで返しちゃ、俺は一生後こう悔かいする。そんなのはごめんだぜ!」

「あぁ、ここでなにもしなきゃ男がすたるってもんよ!」

「ゴミだの虫けらだの好き勝手言いやがって! お前らなんぞが治める国なんざ、こっちから願い下げだ!」

 一人の男の言葉が伝染していき、大きなうねりになっていく。

 やがてそれが群衆全ぜん般ぱんに伝染し、スラムの住人だけでなく騒さわぎを聞きつけて遠巻きに集まってきていた町の住人にも広がっていく。

 これまでの国に対する不満が、出口を見付けたかのように口から飛び出してくる。

「お前らが増税したせいで、うちの店は……」

「こんな不景気なのに、のんきにお茶だと? ふざけやがって!」

「俺は知ってるぜ! ラディン商会から金貰って鉱山を止めたのはこの王太子だってな!」

「それは本当か!?」

 人々の敵意が広まって、王太子一行を包んでいく。

 その雰ふん囲い気きに少し圧され、イラは怒ど鳴なり声を上げた。

「黙れ下民が! お前ら一族郎ろう党とう、国家反逆罪で死し刑けいにされたいのか!」

 護衛が一気に抜ばつ剣けんし、イラを囲むように広がって民衆に剣を向けた。

 それに民衆がたじろいで半歩下がり、膠こう着ちやく状態が生まれる。

「どいつもこいつも国に逆らいやがって! おいっ! 見せしめに数人殺せ!」

 その言葉で護衛が前に出てターゲットを探し、一人の女性の前に進み出た。

 それは、エレナと一緒に炊き出しに協力していた女性だった。

「な、なんだい! 私を殺そうってのかい!」

 女性は持っていた料理用の棍こん棒ぼうをギュッと握りしめ、剣のように前に出した。

「女だからって舐めんじゃないよ! こちとら人生の酸すいも甘あまいも経験してるんだい! 人の後ろに隠れるしか能のないそこのボンクラより度胸はあるんだからね!」

 女性はそう言いながらシュッシュッとスイングをし、王太子を睨む。

「なんだと! 王族侮ぶ辱じよく罪ざいだ! そいつを殺せ!」

「はっ!」

 護衛が剣を振り上げる。

 周囲の誰もが息を吞んだ。

 そして剣が振り下ろされようとした瞬間──奇き跡せきが起きた。

「ん?」

 どこからともなく聞こえてくる馬の蹄ひづめの音。

 そうして民衆や建物を飛び越え、白い影かげが舞い降りた。

「あれは!」

「ユ、ユニコーン……」

「ユニコーンだ! ユニコーンが現れた!」

 白い体に額から一本の角を生やした馬、ユニコーン。それが民衆の真ん中に降り立ち、エレナの顔を見つめていた。

「ユニコーン……」

 エレナはその名を呼ぶ。

 ユニコーンはエレナの方に近づいていき、エレナに顔を寄せる。

「お願い、ユニコーン! 助けて! お願い……」

「……」

 エレナは大粒の涙を流し続けながらすがるように頭を下げた。

 ユニコーンはなにも言わずにそれを聞き、頭を落として角をマリーサの方に向けた。

 次の瞬間、暖かい光が角から発せられ、マリーサの体を包んでいく。

 すると青白くなってきていたマリーサの顔に赤みが戻り、マリーサが「ゴホッ、ゴホッ」と咳せきをして目を覚ました。

「私は……どうして?」

 不思議そうな顔で目覚め、そうして目の前の白い馬を見て「ユニコーン……」と呟く。

 その後ろでは、最初に斬られた冒険者の男もついでに復活し、ムクリと起き上がって「ここはどこだ?」と周囲を見回している。

「マリーサ!」

「エレナ? 私は助かったのか?」

 エレナがマリーサに抱きついた。

 群衆はそれを見て言葉を失っている。

 そして、抱き合う二人とついでの男一人を見ていた人々の中から、どこからともなくポツポツとある言葉が発せられていった。

「奇跡──」

 奇跡。その言葉が群衆の中に広まるのに時間はかからなかった。

 それはどんどん広がって、やがて街中に伝でん播ぱしていった。

「なにをしている! ユニコーンがなんだ! 早く殺せ!」

「いや、しかし……」

 王太子一行は内うち輪わ揉もめを始める。

 この国でユニコーンとは『聖女と共にある神の御み使つかい』である。聖女ステラが残した伝説のおかげでこの国にはそのイメージが民衆の隅すみ々ずみまで浸しん透とうしているのだ。なのでユニコーンに剣を向けるなど不敬であり自殺行為に近かった。

「ユニコーンは聖女と共にある……」

「ユニコーンは神の御使い……」

「神のお告げ……神しん託たく──」

 人々の中に『神託』という言葉が広まっていく。

 止めどなく広がっていく。

 その中心であるユニコーンは、炊き出しで配られるはずだったオランの実をモグモグ食べている。

 そして一人の男が叫んだ。

「テスレイティア様は聖女様をお見捨てにはならなかった! ユニコーンをここに遣つかわし、我らを導いてくださっている! なにを恐おそれる必要があるのか!」

 群衆の中から「確かに!」とか「神のご意志だ」など男に同意する言葉が発せられる。

 男はもっと声を大きくし、叫んだ。

「天意は聖女様にある!」

 その言葉に周囲から「オォォオオオオオ!」という地響きのような声が上がる。

 周囲の誰もが武器を取り、武器がない者は石でも鍋でも丸太でも手近な物を摑み頭上に掲かかげて叫んだ。

「聖女様を守れ! 神は我らにお味方くださる!」

「王太子を叩き潰せ! 絶対に許すな!」

「全員、俺に続け! 突っ込めぇぇぇ!」

「オォォォォォ!」

 地響きのような音と共に群衆が鬼神のように突っ込んでいく。

 その姿は圧巻で、その場にいた誰しもが血湧き肉躍おどった。

「殿下! ここはもう保もちません! 一いつ旦たん、王城へ退たい却きやくしましょう!」

「なにを言っている! 下民ごとき全員撫なで斬ぎりにしろ!」

「無理です! 数が違いすぎる!」

 護衛の一人が王太子を引っ摑み、剣を振り回して突とつ破ぱ口こうを作り城の方に退却していった。


◆    ◆    ◆



閑話 教会の不正



 地下にある部屋の中、ステラ教会の司祭であるサディクは、立ったまま机の上にある書類をアレコレ探さぐり、そのおぞましき内容を確かめていた。

「なんと……」

 サディクは本ほん棚だなにあった本も素す早ばやくめくり、その内容をざっと読み取っていく。

 読めば読むほどサディクの顔は険しくなっていき、その内容が好ましいモノではないと見て取れた。

 そうしている内、部屋の外でコツコツと足音が響いてきて、それが扉の前で止まる。そしてギイィと音を立てて扉が開いた。

「……」

 扉を開けたのはローブで全身を覆おおった仮面の人物。

 その仮面の人物は部屋の中にいたサディクに気付くなり杖つえを構えて戦闘態勢を取る。

 しかしそれに動じず、サディクは本を読みながら口を開いた。

「まさか大教会の地下でこんな実験をしているとは……想像すら出来なかった」

「……どうしてここにいる」

 仮面の人物が低くくぐもった声で問う。

「私もかつてはこの大教会でそれなりの役職を持っていた身。地下の隠し通路ぐらい把は握あくしておるよ」

「……なぜ気付いた」

 仮面の男は部屋の中に一歩踏ふみ込みながらまた問う。

「相変わらず質問が多い男だ……。そうだろう? メンデス。いや、今はメンデス教会長と呼ぶべきですかな」

「……」

 メンデスと呼ばれた男は暫く沈黙した後、ゆっくりと仮面を外した。

「久し振りだな」

「えぇ。こんな形で再会するとは思いもしなかったがね」

 サディクは本を閉じ、それを机に置いた。そして言葉を続ける。

「我々は時に忘れそうになる……神からいただいた恩おん寵ちようをね。そうは思わんか?」

「……」

 サディクは天てん井じよう付近に浮ふ遊ゆうしていた光源の魔法の玉を降下させ、右手の上に移動させる。

「我々、教会に属する者は当たり前に使っているこの光源の魔法も一般社会では使える者が少ない、それなりに珍しいモノなのだ。我々はこれが当たり前すぎて時にそのことを忘れてしまう」

「……なにが言いたい」

「見た者がいるのだよ。仮面の怪しい人物が色々と動いているのをね。そしてその怪しい者達は光源の魔法を当然のように使っていたという。いくつか証言を得たが、皆みなが口を揃そろえてそう言うのだよ」

「……」

「私は光属性持ちが集まる場所を一つしか知らない。そして、そんな人らが人知れず悪わる巧だくみをするとしたらこの地下の隠し通路しかないと考え、ここに来てみた。それだけのことだよ」

「そうか……」

 サディクは光源の魔法の玉を天井に戻し、メンデスに向き直る。

「さて、そろそろこちらの質問に答えてもらう番だろう」

 サディクは一冊の本を机から取り、それをメンデスに見えるように持った。

「人造聖女計画……。これはなんだ?」

「……」

「人には聞くだけ聞いて、自分は答えないつもりか?」

 メンデスは息を吐き、持っている杖の石突で地面をカツンと突いた。

 そして堰せきを切ったように喋しやべり始める。

「聖女ステラの生おい立ちは特とく殊しゆだった。スラムに生まれ落ち、極ごく貧ひんの中で育ち、いつの間にか強大な力を持ち、人には成し得ないような功績を上げ、気が付けば聖女として覚かく醒せいされていた。そんなことはほとんど後世には伝えられておらず、口伝やこういった禁書にしか残されていないがな」

 メンデスは近くにある本棚を指し示した。

「私は考えたのだ。もし、聖女ステラの覚醒がその特殊な生い立ちにより成されたモノだとしたら、とな」

「バカなことを……。そのようなこと、あろうはずもない」

「本当にそうかな?」

 メンデスは部屋の中を進み、サディクの横を通り過ぎて部屋の奥にある扉の前に立った。

「聖女ステラが幼少期に毎日のように食べていたモノがある。それはこの地では安価で手に入り腹を満たせるが、軽度の毒性があり食べ過ぎると精神に異常をきたす。だが、それを大量に食べ続けていたはずの聖女ステラに異常は見られない。私はそこに秘密があるのではないかと考えた」

 メンデスは扉を開き、中をサディクに見せる。

「そして長い実験の結果、私は見付けたのだ。クラクラ茸だけの中に回復魔法の効果を増強出来る成分があることをな!」

 部屋の中にあったのは手術台のようなベッドと檻おり。

 檻の中には生気のない顔の人間が転がっていた。

「回復魔法に影えい響きようする成分が出てきた以上、これは間違いなく聖女を創り出すための重要な要素の一つなのだ!」

「……お前は、なにも分かっておらんのだな」

「なに?」

 呆あきれたような、哀あわれみを帯びたような声を出したサディクにメンデスは苛立ちを覚えた。

「聖女とはそのようなモノではないのだ。回復魔法がどうとか、そういう問題ではない。あれは我々の知る回復魔法──光魔法とは完全に別物の存在。仮に一般的な回復魔法の効果を上げる効能がそれにあったとしても、そこに関連性はないのだよ……」

「なにを意味不明なことを──」

「それに、もしその話が本当だったとして、それがなんだ? このような悪事に手を染めて聖女を創り出したとて、それがなんになるのだ?」

 メンデスは嘲あざけるように鼻で笑う。

「甘いことを……。多くの人々を救うには多少の犠ぎ牲せいが必要な場合もある。スラムの人間が多少犠牲になるだけで崇すう高こうな研究が進むなら安いモノだろう? 実際、スラムで数人消えても誰も気にしなかったしな」

「スラムの人々が消えていたのはお前の仕し業わざだったのか……」

「だとしたらどうするんだ?」

「決まっておろう。ここで止めるしかあるまい」

 サディクは持っていた杖を構える。

 それを見てメンデスは天井からぶら下がっていた紐ひもを引っ張った。

 するとメンデスの後ろ側から仮面の男らがゾロゾロ出てきた。

 彼らはその手に様々な武器を握っている。

「私にはそれなりに賛同者がいてね。……久し振りに研究について話せて楽しかった。礼を言うぞ」

「大教会がそこまで腐くさっているとは……。だが、私がただ闇雲に一人で乗り込んできたと思っているのか? もう出てきていいぞ」

 サディクがそう言うと、サディクの後ろの扉から二人の人間が入ってきた。

「お前は……鉄てつ拳けんのフービオ、それに鮮血のブライドンか」

「教会長様に二つ名まで覚えてもらえてるとは、光栄だな」

「俺もまだまだ捨てたもんじゃねぇな!」

 冒険者ギルドのギルドマスターであるフービオと、今は宿屋のオーナーであるブライドン。冒険者は引退したが巨きよ漢かんの二人が入ってくるだけで威い圧あつ感が増した。

「大人しく投降しろ。痛い思いはしたくないだろう」

「お断りだ。こんなところで崇高な研究を終わらせるわけにはいかんのでな」

「そうかい。じゃあ仕方ねぇな……」

 そうして言葉のやり取りが終わり、静かに両者が戦闘態勢に入っていく。

 広くもない部屋の中でお互いがジリジリと距きよ離りを詰め──激げき突とつした。


◆    ◆    ◆



閑話 ニック



「ふ~……今日も酒が旨い!」

 ニックは今日も冒険者ギルドに併へい設せつされた酒場のカウンターに陣じん取どり、美お味いしく酒を飲んでいた。

「それぐらいにしとけよ。ちょっとペースが速いぞ」

「わぁってるよ!」

 マスターの小言に返し、また「もう一杯!」と注文した。

 冬場、それなりに稼ぎが安定した冒険者は二通りの行動を取る。一つは冬場でも働ける場所を見付け、冬の仕事をこなす。もう一つが、冬場の仕事を諦めて秋に蓄たくわえたモノで英気を養う。どちらが正しいとは一いち概がいには言えないが、それなりに若くて上を目指す冒険者ならどんどん功績を上げる方を選ぶ傾向にあるだろう。

 問題はそれなりに歳としを食った冒険者だ。

 自分の力量や限界が見えてきて、頑張っても女め神がみの祝福が与えられなくなり、全てにおいて停てい滞たいしてくる。そうなると無理して頑張っても上は狙ねらえないのだから無理はせずに安定的な仕事しかしなくなってくる。冬場なんかは余計に無理して働く気がなくなるものだし、ゆったりと一日を過ごしたりする。

 それを人は『老い』と関連付けたりもするのだが、それもまた一つの冒険者の生き方であるし、そういった冒険者にも重要な役割があったりする。

「よう! ニックの旦だん那な。今日も朝から酒さけ浸びたりかい?」

「うるせぇぞ小こ僧ぞう。一流の冒険者は冬には仕事はしないもんだ」

「ははっ! 相変わらずだな! ……実はな、最近ちょっと困ってることがあって──」

「あぁ? まぁ……それなら町の西にある──」

 若い冒険者の相談に乗る。

 誰が決めたわけでもないが、そういう役割もあるものだ。

 若い冒険者は彼らから話を聞き、成長していき。情報や経験といった形のないモノも受け継がれ、時代は続いていく。

「大変だ!」

 若い冒険者が冒険者ギルドに飛び込んできて叫んだ。

 その様子が尋じん常じようではなく、ニックは席から立ち上がって男の方に歩み寄って話を聞く。

「どうした? 喧けん嘩かでもあったのか?」

「そんなもんじゃねぇ! 門の……門の前で戦闘が始まってる!」

 その言葉に周囲の冒険者らがざわつき、周囲に緊張が走った。

 ニックの表情が少し曇る。

 場合によっては町中にも大きな被害が出るかもしれない。こういう場合、どう動くにしても素早く状況を判断して迅じん速そくに次の行動の方向性を決めなければならない。

 対処出来る状況なら早さつ急きゆうに対処した方がいいし、最悪の場合は町から逃にげることも選択肢の一つになる。ここの判断を間違えたり遅かったりすると、この世界では生き残れないのだ。

「モンスターか? それともどっかの軍か?」

「モンスターじゃない! 貴族? かなんかが町の人間とやり合ってんだよ!」

「は?」

 ニックは状況がまったく摑めなかった。

 貴族が揉め事を起こすことはある。しかし大おお騒そう動どうに発展することはあまりない。貴族と争っても良いことはないし、どこかの段階で騒動は大きくならずに終わるモノだ。しかし今回は『戦闘』が起こっているらしい。それはまったく意味が分からない状況である。

「どれぐらいの規模だ?」

「数人とかじゃない! 一〇〇人以上は確実にいた!」

 想像以上に大きな規模に、ニックは自分では判断しきれないと考え冒険者ギルドの受付を見た。

「ギルマスはいるか?」

「昨日の夜からお戻りになってません」

「どこにいる?」

「それが、分からないのです……」

 ギルドマスターがいないと冒険者全体を動かすような決定は出来ない。

 しかし時間は待ってくれない。

 となると、今は個人でなんとか状況を見み極きわめて立ち回るしかないだろう。

「少し様子を見てくる」

 そう言ってニックは冒険者ギルドの外に出る。

 遠くに聞こえる騒ぎの音。

 周囲は人が普通に行き交っており、まだ混乱は起こっていない。しかし遠くで聞こえる喧けん騒そうに異常さを感じたのか、いつも以上に大通りに人が集まってきていた。

 とりあえず問題の中心地に向かおうと考え門の方に行きかけた時、その元げん凶きようらしき集団が門の方から現れた。

 上等な胸当てや剣に身を包んだ護衛らしき男らが貴族の子し弟ていらしき子らを引き連れ、時に雪に足を取られながらも道を走ってきたのだ。

「どけっ! 邪魔だ!」

「道を開けろ!」

 彼らはそう叫び、なにかを警けい戒かいしているのか剣を振り回して進行方向の人間を近づけさせないようにしている。

 その異常とも言える警戒度合いにニックは不信感を覚えた。

 その時──

「あっ……」

 騒ぎの見物にでも来たのだろうか、路地から走ってきた子供が大通りに飛び出してしまった。

 しかも、よりによって貴族の護衛の前に。

「近づくなと言っただろうが!」

 それに気付いた護衛の男が剣を振り上げ、振り下ろそうとする。

「なっ!」

 ニックは驚きよう愕がくする。

 いくら貴族が特権を持っているとはいえ、いきなり子供に斬りかかるなどなかった。しかしそれが目の前で起きようとしている。

 その刹せつ那な、ニックの心に様々な感情が渦うず巻まき、頭の中では崩ほう壊かいしたコット村の映像が再生されていた。そして、ある冒険者から聞いた言葉をチラリと思い出す。

 その瞬間にはニックの体は勝手に動いていて、これまでに感じたことのない神速で相手に接近し、雷らい鳴めいのような音を発しながら雷かみなりのような速度で抜剣して護衛の剣を受け止めていた。

「相手は子供だぞ! いきなり斬ろうとするヤツがあるか!」

「黙れ! 逆らう気か!」

 ギリギリと軋きしむ剣。周囲の驚きの声。

 考える前に助けてしまったものの、この先どうすればいいのかニックにも分からない状況になってしまった。

 しかも間の悪いことに王城の方から兵士達が走ってくるのが目の端に映る。

 ニックは頭の中で舌打ちをし、打開策を考えようとするも、答えは出ない。

「なんの騒ぎだ!」

「我々は王太子殿下の護衛だ! 見ての通り殿下が暴徒に襲撃されている! 今すぐに暴徒を鎮ちん圧あつせよ!」

「はっ!」

 ニックは最悪中の最悪の状況に頭を抱かかえそうになるが、生憎あいにくと両手は使用中で頭は抱えられなかった。

「王太子……万ばん事じ休す、か」

 そう呟いた後、倒れている子供に「すぐに逃げろ」と言い、覚悟を決める。そして力任せに護衛の剣を撥はねのけた。

 王太子一行相手に剣を抜いた時点で人生はほぼ終了と言っていい。

「まったく……いつからこんな国になっちまったんだろうな?」

 愚ぐ痴ちをこぼしながら剣を構える。

 何年も前からずっとマズそうなところはあった国だが、ここまでは酷くはなかった。

 思い返せばアルッポのダンジョンが消滅した頃から余計におかしくなった気もする。が、一いつ介かいの冒険者でしかないニックには詳くわしい因果関係は分からない。

 兵士達がニックを囲むように配置され、異常さに気付いた町人が逃げていく。

「あ~……あれ、なんだったか。確かモモクリサン……」

 さっきの瞬間、頭に浮かんだ言葉を思い出そうとする。

 冒険者ギルドでよく話す若い冒険者から聞いた言葉だった。

 若いくせに妙みように落ち着いた少年で変な深い知識も多く持っており、いつもとは逆に教わることもあって妙にニックの頭の中に残っていた言葉。それは『桃もも栗くり三年柿かき八年』であるが。

 ニックはその言葉を完全には思い出せなかったが、意味は思い出せた。

「確か、何事も成すまでにはそれなりの時間がかかる、とかそんな話だったな」

 ニックはこの絶体絶命の中で妙に落ち着いていた。

 なんだかもう吹っ切れたのかもしれない。

「成すまでに時間がかかるのなら、早く始めなきゃいつまでも変わらん、か」

「なにを意味不明なことを!」

 襲いかかってきた兵士の剣を弾はじき、蹴けり飛ばす。次の兵士の剣を捌いて軌き道どうを逸そらし、また蹴り飛ばす。

「抵てい抗こうするか!」

「抵抗しなきゃ殺されるんでな」

 知らなかったとはいえ、王太子に剣を向けた時点で死罪である。抵抗しないだけ損だ。

 だが、多勢に無勢。抵抗してもどれだけ意味があるのか分からない。絶望的な状況に変わりはない。

 そうこうしているとニックの後ろで剣を抜く音が聞こえた。

「まったく……見ず知らずの子供を助けるために国に喧嘩売るたぁニックの旦那らしいぜ」

「だな」

「なんだかんだでお人ひと好よしなんだよね」

 さっきまで冒険者ギルドの中にいた冒険者らが武器を取り出し、ニックの横に並び立っていた。

「おい……お前ら、勝ち目のない戦いなんだぞ!」

「まぁ、旦那には世話になったしな」

「あんたにならこの命、預けても構わねぇ」

「私も最近のこの国には我慢ならなかったんでね。もう未練はないさ!」

 冒険者ギルドの中からゾロゾロと冒険者が出てくる。

「う~い……。なんだ? ワシの誕生日パーチーか?」

 ついでにブルデン爺じいさんも酒さか瓶びんを持ったまま出てきた。

「お、お前ら! 冒険者が国に逆らってただで済むと思っているのか!」

 守備隊の隊長が剣をニックに向けながら叫ぶ。

 それに呼応するかのようにニックも叫んだ。

「お前らはコット村で虐ぎやく殺さつを行い、ここでまた住民を殺そうとした! もう、うんざりしてんだよ!」

 その言葉に事情を知っている冒険者らは頷き、詳しい事情をまだ知らない一般人は驚いた顔をする。

「虐殺だって──」

「俺も聞いた。コット村はもう壊滅状態だと」

「流石にそれは──」

 民衆の中に様々な感情が広がっていく。

 その感情は様々なモノだったが、確実に国に対してはポジティブなモノではなかった。

 すると、民衆の中から一つの声が上がる。

「俺は知ってるぞ! そこにいる王太子がラディン商会から賄わい賂ろを受け取って、ラディン商会が鉱石を買わなくていいようにしたんだ! だから鉱山は停止したし、だから俺達は失業したんだ!」

 どこからともなく聞こえたその言葉に民衆の心は揺ゆれる。

 この町の住人なら景気が悪い理由が鉱山の停止にあることは百も承知。それは大きな問題で大変なことではあるが、詳しい事情を知ることがない一般人には天災と同じで諦めるしかないことでもあった。しかし、その元凶が目の前にいて、しかもそれが自らの私腹を肥やすために行われたとしたらどう思うか。

「王太子が賄賂を受け取った……」

「賄賂を稼ぐために鉱山を止めたのかよ」

「増税もこいつのせいじゃないか!」

 言わずもがな、その場の全ての敵意が王太子に降り注ぐ。

 それまでただの傍ぼう観かん者しやだった町の住民も、今にも襲いかかりそうな空気に包まれている。

 その時、門の方から王太子を追ってきた民衆が数を増やしながらなだれ込んできた。

「いたぞ!」

「王太子だ! やっちまえ!」

「国軍がなんだ! 調子に乗るんじゃねぇぞ!」

 ニックら冒険者を囲んでいた兵らが後ずさり、その大通りは次第に国軍と民衆の二つの勢力に分かれていった。

「お。俺は知らんぞ! 知らんからな! 守備隊! 早くなんとかしろ!」

 王太子が叫び、守備隊長が慌てて陣形を組み直すが、その場の形勢は完全に逆転していた。

「全隊、鎮圧せよ!」

 次の戦いが今始まる。

 門の外で始まった小さな騒動は、こうして火種を撒まき散らしながら国を揺るがす大騒動になったのだった。


◆    ◆    ◆



閑話 そうして伝説へ…



「あれは……どうなっている!?」

 エムレ・サリオール伯爵は王都ソルマールを望む丘おかの上でそう叫んだ。

 王都は何故か混乱しているようで、王城からは黒こく煙えんが上がっている。

「現在、調査中ですが、何者かが王城を襲撃していると思われます」

「反乱、か」

「恐らくは」

「天は我らを見放さなかった、か……」

 サリオール伯爵は空を見上げ、目を閉じる。

 サリオール伯爵の進軍は分が悪い賭かけだった。軍の規模は王家の方が上であるし、人質は取られているし、城しろ攻ぜめという本来なら不利な戦いを行うわけで、良い要素なんてほぼない状態。勿論、覆くつがえすための策は時間をかけて準備していたのだが、それを含ふくめても勝率はそこまで高くはなかった。

 なのに今、天に導かれたとしか思えない好機が目の前にある。その場にいた誰しもが神の見えざる手を感じざるを得なかったのだ。

 サリオール伯爵は後ろに控える自軍を振り返り、叫ぶ。

「見よ! 天はソルマズ王家の悪政をしっかり見ておられたのだ! 天意は我らにある! 全軍、進め!」

 その言葉に全ての兵士が雄お叫たけびをあげ、王都に向けて進軍していった。

 そうして王都ソルマールに様々な目的や理由で剣を取った者が集まり、それぞれの信念のために戦った。

 後の世では『革命の日』や『ソルマズの落日』などと呼ばれたその日は、ザンツ王国にとっては歴史が塗ぬり替わる大きな転てん換かん点となったのだ。

 しかし、この日の出来事には不ふ審しんな部分が多く、後世の歴史家の中には疑問視する声も多い。

 まず『聖女』と呼ばれたエレナリア・サリオールが王都のほとんどの住民や冒険者らを味方に付け、そこに父であるサリオール伯爵をも呼び、一日で大教会を断罪し、当時の王家を壊滅させたという話は流石に盛りすぎである、というのが大多数の歴史家の意見である。

 恐らく、サリオール伯爵が娘の影響力を上手く使い、民意を得て王家を滅ぼし、その後に大教会の改革を行ったが、王位簒さん奪だつの汚名を上手く薄めるために民衆にウケる劇的な展開のストーリーに歴史を修正したのではないか、というのが研究者の間で囁ささやかれている話だ。

 だが、歴史というモノは人の数だけ存在し、歴史書では語られない真実があるもの。実際にどうだったのかは、その時に生きていた人にしか分からない。

 そう。別に暗あん躍やくするつもりはなかったのに何故か本人すら知らずに暗躍した感じになってしまう、という意味不明な状況に置かれた人物の話も歴史書には書かれない真実であるのだが、それはまた別の話として──

 こうして、伝説は生まれたのだ。